第百十六話 不可解な訪問者
神聖歴1204年の十二月。
今年最後の月。
部屋で本を読んでいると、妹様に声を掛けられた。
「にーたにーた……!」
ドアの向こうから半分だけ身体を覗かせ、ちいさく俺を手招きをしているマイエンジェル。
何だろうね?
普段のフィーなら直接抱きついてくるか、膝の上に乗っかってくるはずなんだが。
尤も、マイシスターの動きを論理的に考える意味はあまりない。
その時の気分次第で、俺にしたいこと、して欲しいことが変わるからだ。
俺は開いた本をそのままに、首だけを最愛の家族に向ける。
「フィー、どしたー……?」
「ふぃー、にーたに、はなしある……!」
小声の大声とでも云うんだろうか?
手招きを続けているので、俺に『来て』と云うことらしい。
本を閉じて近づくと、妹様は、「おみみかして?」と呟いた。
何だろう? 内緒話かな?
だが妹よ、周囲には今、誰もいないぞ?
頭を傾けて耳を寄せると、マイエンジェルは、こしょこしょと耳うちを始めた。
「あのね、あのね……。ふへへへへ……! ふぃー、にーたのこと……すきッ!」
うん。知ってますよー?
これで「実は嫌い」とかだったら、ショックで噴死するね。
とっておきのひみつを明かしたかのような態度の妹様は、次いで俺に問いかける。
「にーた、にーた! にーたは、ふぃーのこと……すき?」
小首を傾げるマイエンジェルの瞳には、ある種の期待がみち満ちている。
俺はフィーを抱き上げる。
「こ~ら。答え知ってるくせに、それを訊くのか~?」
「きゃー! しらない! ふぃー、こたえしらない! ふぃー、にーたに、きかせてほしい!」
既にデレデレの表情だ。
期待しているであろう言葉以外を口にしてからかっても良いが、それをするとたぶん泣いてしまうので、普通に答えるか。
「俺はな……」
「う、うん……!」
「フィーのことが、大好きだあああああああああああッ!」
「きゃふううううううううううううううううううううううううううん! ふぃー、うれしい! ふぃー、にーたにだいすきいわれた! ふぃーも! ふぃーもにーただいすき!」
腕の中で「やん! やん!」と悶える妹様の髪を撫でていてあげると、ミアがやって来た。
「アルトきゅ~ん、ちょっと良いですかー?」
「ん? 何? 今フィーを可愛がるので忙しいんだけど?」
「それは『今』じゃなくて、『いつも』じゃないですかー。たまには私も構って下さいよー。……えっとですね、アルトきゅんに、お客様が来ていますよー?」
「客? 俺に?」
駄メイドの言葉に驚いた。
何せ交友範囲が狭い人間なので、客が来るなど想定外だ。
考えられるとしたら、それはエルフくらいだろうか?
しかし俺のエルフの知り合いは商会関係者しかおらず、商会のエルフが用事があるならば、たぶん、ヘンリエッテさんがイーちゃんで先に知らせてくれるはずだ。
イーちゃんと云えば、敬愛する先生であるエイベルは今、うちにはいない。
今朝方、そのイーちゃんが飛んできてエイベルを呼び出したからだ。
「誰が来たの? イフォンネさんじゃないよね?」
「違いますよー。イフォンネだったら『お客様』という表現はしませんねー。それに、直接ここに通しちゃいますよー」
まあ、たしかにそうだな。
彼女とは既に顔見知りだ。客という表現なわけがない。
それに、ここに来るなら、それは俺ではなくミアを訪ねてになるか。
「やって来たのは、王国勤めの魔術師です。免許試験の人みたいですよー?」
「んん? 免許試験の?」
ますます訳が分からんなァ……。何かの告知か?
セールスなわけは……ないだろうな。
(子供なのに満点取ってるからカンニング疑惑が出た、とかかな? もしそうなら、完全な冤罪だが)
まあ、兎にも角にも、何をしに来たのかは、会ってみなくては分からない。
俺はフィーを抱えたまま立ち上がった。
※※※
「お久しぶりですね、アルト・クレーンプットくん」
客間にいたのは、完全に予想外の人物だった。
高校生くらいに見える綺麗な女性。いや、少女と云うべきか?
最初、「誰ですか?」と云いそうになってしまったが、「久しぶり」と云う言葉で思い出した。
「七級試験の時のお姉さん……ですよね?」
「はい。そうですよ。私は、トルディ・クロンメリンと申します。以後、よろしくお願いしますね? アルトくん」
にこやかに会釈をされてしまった。
会ってみなくては分からないとか思っていたが、会ってみたらますます分からないことになったぞ?
何でこの人が、俺を訪ねてくるのだろう?
「……クロンメリン様、それではどうぞごゆるりと。何かありましたら、お気軽にお申し付け下さいませ」
ミアが別人のような態度で礼をして去って行く。
こっちにも「誰だよ?」って云いそうになったわ。
と云うか、ちゃんとメイドやれているのな。
ミアには母さんを呼びに云って貰った。
どんな話であれ、俺はまだ子供だ。保護者同伴が基本だろうから。
「にーたにーた、このおねーさん、だぁれ?」
俺にしがみついたままの妹様が服を引っ張って訊いてくる。
まあ、俺からしても誰だかよく分からないんだけども。
トルディと名乗った少女は、俺たちの視線に柔らかい笑顔を作った。
「アルトくんの妹さんですか?」
「ええ。フィーって云います。自慢の妹ですよ?」
俺がきっぱりと答えると、トルディさんはクスクスと笑った。シスコンだと思われたのかな?
「私はトルディと云います。よろしくお願いしますね、フィーちゃん」
「ふぃーです! にーたがすきです!」
元気よく返事をするマイエンジェル。
しかし、すぐに妹様は笑顔を消して訪問者に尋ねる。
「にーたはふぃーの。おねーさん、ふぃーのにーたとる?」
「取りませんよー? 私、年上が好みですので」
「きがあう! ふぃーも! ふぃーもとしうえがいい! にーたがいい!」
フィーの歳で年下が好みだったら、そりゃ大問題だからな。
だが、取り敢えずは妹様の逆鱗に触れるような発言はしないでくれたようだ。
本音なのかそうでないのかは、この際、どうでもいい。
「えっと、トルディさん。何か俺に話があるようですが、母さんが来てからでも良いですか?」
「はい。その方がよろしいかと。親御さんを抜きに勝手に話を進めるわけにもいきませんからね」
「……何か、深刻な内容だったりするんでしょうか?」
「いいえー。簡単な挨拶のようなものですから、そう構えないで下さいね」
俺を安心させようとしている為か、殊更笑顔を作ってみせるトルディさん。
本当に言葉通りに穏当な理由であると良いのだが。
「そうだ。アルトくんとフィーちゃんに、ひとつ訊きたいことがあるのですが」
「何でしょうか?」
「ふぃー? ふぃー、にーたがすきだよ?」
彼女は俺たちの顔をまじまじと見つめている。どこか真剣な瞳だ。
「貴方達は、今、幸せですか?」
それは意外な質問だった。
どうしてそんなことを訊くのだろうか? やっぱ家庭環境が複雑だから気になるのかな?
まあ、何であれ、俺の答えは決まっている。
「……幸せですよー。大好きな家族といられるんですから」
「ふぃーも! ふぃーもにーたといっしょだからしあわせ! にーたが、ふぃーのしあわせ! ふぃー、にーたすき! だいすきッ!」
しがみ付く力を強める妹様の頭を撫でる。
この娘がいる生活は、紛れもなく、最上だ。
「そうですか。良かったです」
トルディさんはニッコリと笑った。心から安心したかのような笑みだった。
それで俺は少しだけ――この人のことを、好きになった。




