第百十四話 トルディ・ノート(その三)
ピートロネラさんには、我が家に泊まって貰いました。
幸い、今の私は親元を離れてのひとり暮らしです。
広くはない部屋ですが、お客様を休ませるスペースくらいはあります。
ただ、ベッドはひとつしかないので彼女に譲ったら、
「一緒に寝よ?」
元気よく、そう云われてしまいました。
「私のベッド、そんなに大きくないですよ?」
「密着して眠れば、大丈夫だよ」
「……ピートロネラさんは、それで良いんですか? 寝にくくないですかね?」
「ううん。私、誰かに抱きついて寝る方が落ち着く」
「そ、そうですか……」
甘えん坊気質なのでしょうか?
しかし、それが殆ど見ず知らずの私とでも構わないと?
「うん! 人間は嫌いだけど、トルディなら大丈夫!」
あ、矢っ張り人間は嫌いなのですね。
でも、私ならば大丈夫とは、これいかに?
「だってトルディ、私にご飯食べさせてくれたもの。とっても良い人よ?」
それが理由とは驚きです。
ううむ……。この子は予想通り、危なっかしいですね。
この無防備さは、きっと周囲の人たちに愛情を持って、大切に育てられたが故なのでしょう。
「よく無事に王都まで辿り着けましたね……」
「ん? 私はエルフよ? とっても強いの!」
そう云って、か細い腕に力こぶを作ります。
うん。まるで膨らんでいませんね。
しかし、お腹も満たされ寝床も確保できたことで、だいぶ余裕が出来たようです。
これならもう少しお話が出来るでしょうか?
「さて、ピートロネラさん」
「トロネで良いよ? 皆、そう呼んでくれるから」
え? 何で省略形がそこなんですか?
エルフの文化? いえ、聞いたことがありませんが。
「トルディ、どうかしたの?」
「いえ、何でもありませんよ、『トロネ』さん」
「あはッ!」
私が愛称で呼ぶと、彼女は花のような笑顔を浮かべました。
よく分からない子ですね。
「トロネさん。質問があります。よろしいですか?」
「うん、良いよ。何でも訊いて?」
「では確認から。私とトロネさんは、ショルシーナ商会の近くの路地で会いましたよね?」
「え? う、うん……」
おや。明るい表情が曇りましたね。
私には、ある疑念がありますが、その予測が当たっていると云うことでしょうか。
「私の疑問は、そこなのです。商会からずっと離れた場所で出会ったなら、それはただの迷子だと思ったことでしょう。けれど、私たちはお店の近くで出会いました。貴方は、商会の場所を知っていて、あそこにいたのではありませんか?」
「…………」
トロネさんは気まずそうに俯いてしまいました。
これは、いよいよ予想が当たったようです。
「人間族の誰かを捜すならば兎も角、同族を探すのであれば、普通はエルフに手がかりを求めるはずです。食事だってそうです。飢えておりお金がないのであれば、同族に相談すると思うのですが、貴方はそれをしていなかった。つまり、他のエルフに、会うに会えない事情があるのではありませんか?」
それこそが私が考えていたことでした。
エルフの高祖のような存在を探すならば、ハイエルフに尋ねるのが第一でしょう。
尋ねたけれど追い払われたと云うのであれば話は分かりますが、この娘はそんなことは口にしていませんでした。
つまり、尋ねてさえいない、と云うことなのでしょう。
「うぅ……」
トロネさんは目に涙を浮かべてしまいました。
しかし、きちんと事情を伺っておかないと、トラブルに巻き込まれることになりかねません。リスク管理はしっかりとしておかねばなりません。
まあ、彼女を既に我が家へ引き込んでしまっているので、破綻している気もしなくはありませんが。
「貴方は何故、高祖を探すのですか? どうして、同族を頼らないのですか? それを訊かせて欲しいのです」
万が一にも犯罪がらみだったら困りますからね。
たとえば、高祖を暗殺するだとか誘拐するだとかが目的の場合です。
悪い子には見えないのですが、そう思い込み、決めつけるわけにもいきませんからね。確認はきちんとすべきでしょう。
「…………」
トロネさんは暫くの間、俯いていましたが、やがて顔を上げました。
話してくれる気になったみたいです。
「私……私ね、高祖様にお願いがあるの。お願いを聞いて貰う為に、里から出て来たの」
「ふむ? お願い――ですか」
そりゃあ、お願いがあるからと云って高祖を呼びつける事なんて出来ないでしょうね。用があるなら、自分で出向かなくてはなりません。立場の上でも礼儀の上でも。
「しかしそれが、同族を避けることと、どのような関係があるのですか?」
「大ありだよ~。逆に訊くけど、トルディはこの国の王様に、自由に会えるの?」
「国王陛下にですか? そんなの、無理に決まっています」
「でしょでしょ~? じゃあ、それでもどうしても会いたい場合って、こっそり会うしかないじゃない~」
成程。
少しだけ、彼女の云わんとしていることが見えてきました。
ハイエルフはエルフの上位種。謂わば高祖に最も近い存在。
アーチエルフに正式に会える身分ならば相談役に持ってこいでしょうが、逆に云えば、その資格ない場合、最大の障壁になりうると。
(エルフにとって、高祖とは崇拝の対象。絶対的な存在だと聞いたことがありますからね)
不審者は決して近づけない。寧ろ排除する側に回るでしょう。
「ここだけの話だけど、ショルシーナ様の商会って、高祖様に連絡を取ることの出来る、数少ないポイントなの。だから私の行動を知られるわけにはいかないし、でも、お店の傍で待っていれば、ひょっとしたら高祖様が来るかもしれないって思って……」
「それで、あの場所にいたわけですか……」
彼女は気まずそうに頷きます。なんとも無謀な綱渡りですね。
要はこの娘は高祖の元に、無理矢理押しかけるつもりと云うことでしょう。
場合によっては、罰せられるのではないでしょうか?
「うん……。それは覚悟している。だから、ひとりで出て来たの」
そう云って彼女は寂しそうに笑いました。
そこには、悲壮な決意が浮かんでいます。
「トロネさん、そこまでして、高祖に何を願うのですか?」
「……私、どうしても、欲しいものがあるんだ……」
彼女は高祖に何かを譲って貰うつもりのようです。
これって私の立場に置き換えた場合、陛下に非公式に直訴して宝物をねだると云うことですよね?
高祖が厳格な気質であった場合、とんでもないことになるのではないでしょうか?
宝は貰えず、罰だけが下されるような。
「トロネさん。確か神代より唯一生き残っている高祖・『天秤』は極めて謹厳な人物であると聞いた覚えがあるのですが」
「ううん。私がお会いしたいのは、そちらの方ではないの。もうひとりの方よ?」
「もうひとり……?」
エルフの七大祖のうち、今なお生き続けるアーチエルフは、ただひとりのはずです。
それ以外の全ては、既に死亡していると記録にはあります。
従ってエルフの高祖と云えば、それはただひとりを指す言葉なのですが――。
「まさか他にも、高祖は存在するのですか?」
「もちろんよ。まさかも何も、現存する高祖様は、おふたりだよ?」
「七大祖の中に、他に大崩壊を乗り越えた者がいると云うことなのですか!?」
「ん? トルディ知らないの? 始まりのエルフ様は、八人だよ? 七人じゃなくて」
――『八番目』!
噂だけにある、八人目のアーチエルフ。
「まさか、『破滅』! 彼女は実在したのですか……!」
不思議そうに首を傾げるトロネさんを見ながら、私は何度も頭を振りました。




