第百一話 山首さんへの来訪者(後編)
許せぬ。
許せぬ、許せぬ、許せぬ!
このエルフは、我らを侮辱しに来たのか!
竜を愚弄するならば、その末路はひとつだけだ!
我は灼熱の息を叩き付けた。
骨すら残らぬ、炎の吐息よ。
最早、生かすに値せぬ。無礼を咎める言葉よりも早く、この痴れ者にブレスを浴びせた。
「熱ッ! 熱いでやんすッ!」
部下のひとりにちょっぴり当たってしまったらしいが、それもこれも、あのエルフの女が悪い。
死して後悔せよ!
「ぬ……ッ!」
我が吐息が晴れた後、そこにいるのは、柔らかな笑顔で佇む、無傷のエルフの女。
この我のブレスの威力を知る竜たちが驚いている。
我も驚いたが、どうやって防いだのかは分かった。
「……空間魔術か。小癪なマネをする」
空間魔術の厄介なところは、攻撃性能だけではない。それは防御力にも現れる。
この女のように、彼我の空間を断裂させてしまえば、どのような攻撃も届くことがない。
何せ、文字通り、居場所が異なるのだから。
この場合、威力の強弱は意味を成さぬ。
別のアプローチでなければ、こちらからの干渉は不可能となる。
「己が安全であれば、我ら竜を侮辱しても大過ないと思うたか。それは心得違いであるぞ?」
「言葉足らずであったことは、謝罪致します。私はもとより、皆様方と争う意志はありません」
白々しいこと、この上ない。
ならば初めから煽るような云い方をする必要はあるまいよ。
我がそう伝えると、女はもう一度頭を下げた。
「竜は強さを尊ばれると聞きました。これは、その一端。少なくとも、貴方様と、『あの御方』との間で使いっ走りをする程度の力は有すると思って頂ければ、幸いです」
「ふん。使いっ走りだと? それ程の力を持ちながら、何者かの下に付いていると?」
「もとより、私は商会の副会長で、会長よりも立場は弱いですよ? それに、あの御方とは、比べるべくもありません」
力を誇示した上で、『己より上がいる』とのたまうか。
我らを侮辱し、脅迫していると取られかねぬ発言だ。
周囲の竜たちが激高している。
しかし、そのせいで、我は却って冷静になった。
「それで、貴様を遣わした愚か者は何者だ? この期に及んで、秘す必要もあるまい?」
「はい。山首様とも面識のある、あの方です」
「何、我とだと……?」
我にエルフとの接点はない。
あるとしたら、それは先々代様を一方的に叩きのめした――。
「ま、まさか……ッ!」
背筋に冷たいものが走った。
死と破壊と殺戮の化身。『壊す』ことに特化した、あのバケモノ。
エルフの形をした、別の存在……。
「アーチエルフ……!」
我の呟きに、部下たちは静まりかえる。
あれの伝説は、竜ならば皆が知る。
古代竜最強の闘者、竜王ゴヌンレイを撃破した、絶対者。
「左様です。私は、高祖様の命により、こちらへ遣わされました」
女は、柔らかい笑顔で頭を下げた。
「アーチエルフ!」
「始まりのエルフ!」
「超強いって噂の奴でやんす!」
配下たちもささやき合っている。
それだけ、アレの悪名は凄まじいのだ。
ドラゴンは最強の存在。
この山に集う竜は、さらに竜種の中でも最も強い、古代竜なのだ。
だが、そんな我らでも届かぬものが確かに存在する。
そのひとつが、神代竜。
真竜、或いは本物のドラゴンとも呼ばれるそれは、幻精歴を最後に絶滅している。
区分上、幻精歴は神代に分類されるが、その時代の終焉と共に、オリジナルドラゴンは滅んだのだ。
ただし、我らは竜であるが故に、三頭しかいない生き残りを知る。
フェフィアット山。
あの雪と氷の山脈を寝床とする氷竜は、そのうちの一頭で、歴代竜王ですら、その存在を憚ったとされる。
アーチエルフとは、その真竜たちが当たり前に生きていた幻精歴以前より生き続ける存在だ。
もしも戦うならば、全滅も覚悟せねばならない。
「……アーチエルフの名を出して、我を脅迫するつもりか? 何故そこまでして、我が領地を狙う?」
「脅迫など、とんでもない。高祖様は私に、くれぐれも無用の問題を起こさぬように、と厳命されました。それに、私は土地を『貸して頂きたい』と申し上げたはずです。領有権は、今後も山首様のものです」
「貸す、と云うのは方便ではなく、本来の意味だと?」
「左様でございます」
「では、我が領土を、何事に使うつもりか?」
あの生ける災厄の名を出すと云うことは、何が何でも借り受けるつもりであろう。
そこまでして、何故、我が領地を欲するのか?
アーチエルフの名を出すか、商会の財力があるならば、他所の土地を得ることなど、いくらでも出来るだろうに。
「過日、我々はある一団を保護致しました。彼らは住処を追われており、また、今後も狙われる可能性があります。ですので、そのものたちに安息の地を与えたいのです」
「それで、『貸せ』か。ふざけおって、とんだ毒まんじゅうではないか!」
我の主権が及ぶ地域でなければ、どのような問題が起ころうと、係わることもない。
だが、我が領土内で争いが起きたとなれば、話は別だ。
我は領土の守護者として、この地を守らねばならぬ。
それはとりもなおさず、その『一団』とやらを我が守ることに他ならない。
とんだくわせものだ。
我ら竜を、その為に使うというのか!
「何者なのだ、その一団とやらは! 貴様等エルフ、ゆかりのものか!?」
「いいえ。我らが高祖が旅先で出会い、合力を約束しただけでございます。そのものたちは、赤蜥人。フレイムリザードマンでございます」
トカゲ? トカゲだと?
意味が分からぬ。何故、そんなものを保護するのか。
我が訝ると、女も苦笑した。
「高祖様の真意は私にも計りかねます。ですが、あの御方が望まれるのであれば、それを叶えるのは、我らハイエルフの役目です」
「はっ! 貴様自身も得心しての行為ではないと? 愚かしいことだ。それで我ら竜を敵に回すことも辞さぬか」
「必要とあらば」
女の笑顔には、ある種の決意が宿っている。
戦士が死地に赴くそれにも似た瞳だった。
我は無礼者は許さぬが、この瞳だけは別だ。
本物の輝きだけは、尊重せねばならぬ。
「全く……! アーチエルフは戦闘能力に加え、このような絵も描けるのか。厄介な事よな!」
「いいえ。あの方は、駆け引きや交渉事に、まるで向きません。ですので、差し出がましくも、我ら商会員が今回の運びとさせて頂きました」
ならば自ら動いたこの女が、我らを巻き込むことを考案したのか。
つくづく食えぬエルフよ。
思えば、あのアーチエルフは、いつだって我らに例外をもたらした。
勇猛で知られた先々代様の心を打ち砕いたのもそうであるし、力を持って山首の地位を得るべきこの山で、先々代様が不在になったために最強ではないものが先代になったのもそれだ。
そして我の代でも、エルフの要望でトカゲに土地を与えるような事態が起ころうとは……。
どうせ南の沼地など、放っておいて使わぬ場所だ。
ならば、我も例外に属すのも一興か。
「地代は高いぞ」
我は一言、そう告げた。
エルフの女は、柔らかい笑顔で頷いた。
※※※
「わあぁ……!」
ひとりの蜥人の子供が、大地を駆ける。
そこには暖かな自然があった。
人にも、同族にも踏みいられることのない、昔ながらの大自然。
山の中にも水の中にも獲物が満ちあふれ、豊富な熱が吹き出す天然の魔石さえも、至る所にある。
そこは、まさに蜥人の天国であった。
「ここが……! ここがグウェル兄ちゃんが俺たちにくれた土地なんだね!」
「くうきがきれいだー!」
子供たちははしゃぎ回る。
傷つき、数を減らした大人の赤蜥人たちは、このような安息の地を得られた奇跡に、ただただ涙した。
彼らの一団を見つけ、この地へと誘ったエルフの女は、同族の勇士であったゴーレムマスターの名前を告げ、彼が勝ち取ったものだとだけ告げて立ち去った。
信じられぬ事だが、ここは、彼ら蜥人が生きていて良い場所なのだ。
「やっぱグウェル兄ちゃんはスゲーな!」
「ああ! 兄ちゃんが帰ってきたら、いっぱいお礼を云うんだ!」
「あたし、はなかざりあげるのー!」
そこには、笑顔があふれていた。
それは、ある蜥人の魔術師が夢見た、ひとつの理想郷であった。




