第九話 日本語とお月様
神聖歴1204年の四月。
九級魔導試験の日。
俺はついこの間に来たばかりの試験会場へとやって来た。
同行者も同じ。
フィーとエイベルと母さん。
「やっぱ人多いね」
周囲を見渡しながら、そんな感想を口にする。
九級も内容はイージーなので、受験者が多いのだとエルフの恩師からは聞かされている。
試験内容はみっつ。
魔力測定。
実技。
筆記。
今回は魔力のあるなしではなく、一定以上の魔力量を保持するかが判定される。もちろん、規定の魔力量がなければ、即時失格だ。
と云っても、判定する魔力量は魔術一回分。
つまり、一回でも魔術を行使出来る量の魔力があれば合格を貰えるので、仮に平均以下の魔力しか持っていない人でも簡単に合格する、との話だ。
他の変更点としては十級は筆記試験のみだったが、九級からは実技試験が加わる。
実技と云っても、こちらも簡単。
試験官の前で何かしらの魔術を使ってみせればそれで良い。
その際に魔力の安定度やコントロールも見られるが、あまり試験結果に影響しないとのこと。
危なっかしくても、不安定でも、常識の範囲内で魔術を使えることが証明できればれば、それで良いのだと。
「今回も何とかなりそうだね」
「……慢心はダメ」
エイベルにチョップを喰らう。加減してくれているので全く痛くない。まあ、教師役としてはそう注意するのは当然だろう。
「流石に前回よりは年齢が上がってるわね~」
フィーをだっこしたままの母さんが周囲を見渡す。
云われてみれば、少しは受験者の平均年齢は上がっているかもしれない。
(十級の時よりも、幼児は目立つな……)
当然だが、幼児の受験者なんぞ、俺だけだ。
(俺だけ……? いや)
ついたて。
前回、お貴族様たちを見かけたついたてに目をやった。
「ねえ、エイベル。前回、俺以外にも最年少合格者がいたよね?」
「第四王女様のことねー? 百年に一人の天才って云われてるのよ?」
何故か母さんが代わりに答えた。
でもうちのアルちゃんの方が天才、などと根拠無く呟いている。恥ずかしいから、勘弁して欲しい。
ぶっちゃけ、俺は天才ではない。
前回満点が取れたのは、ただ単に大人の頭脳を持っているからで、誇れるような成果ではない。
そう考えると、その第四王女様とやらは本当に頭が良いのだろう。俺と同じ、転生者でもない限りは。
(ん? いや、ホントにその可能性もある訳か)
別に俺は唯一無二の存在ではない。他に転生者がいても不思議はない。
(ちょっと確かめてみたいなぁ。また居たりしないかなぁ)
フラフラと近づいてみる。
ついたてから『向こう側』をのぞき込むと、その探し人がいた。
「あ……」
「こ、こんにちは、です……」
まるで待ち構えていたかのように、月のように儚げで美しい女の子がついたてのそばに立っていた。
いや、待ち構えていたのだ。だって、開口一番、彼女はこんにちはと云ったのだから。
(やっぱり、この娘が第四王女だったか……)
さて、どう反応しよう?
敬語で話すべきか。
普通に語りかけるか。
「こんにちは。前に目があったよね?」
別に名乗られていないので、普通に接することにした。彼女の背後に控える女従者が明らかにむかついた表情をしていたが、知ったことではない。
「は、はい。お久しぶりです。ご壮健でなによりです……」
ご壮健と来ましたか。ホント、育ちが良いのだな。しかし平民の子供と話した事なんてないのだろう。少し緊張しているようだ。
十級試験の時はもっと落ち着いていたように見えたが、初対面の見知らぬ子供が相手じゃ、仕方ないことなのかもしれない。
「うん。キミも元気そうでなによりだ」
前回会った。
それだけで、もう互いの素性を名乗ったのと同じことだ。
しかし、彼女は一国の王女。気安く話しかけて良い存在ではない。自己紹介をしたら、その時点で喋る資格を失うのだろう。
(ああ、だから緊張しているのか)
今更ながら思い至った。
わざわざついたての傍にいる時点で、彼女は俺と話してみたかったのだと理解する。同時に、その機会がたちどころに失われる危険性も知悉しているようだ。まさか彼女の方から「名乗り合ってはいけません」と云う訳にもいかないもんな。
「今日もお互い、満点合格できるといいね」
だから自己紹介をすっ飛ばしてそう云ってみた。
「――!」
瞬間、彼女がパアッと明るい笑顔を見せた。俺が意図に気付いたことが嬉しかったらしい。
何か気の利いたセリフのひとつも云ってあげたいが、その前に確認することがある。
『ところでキミ、突然で悪いがこの言葉はわかるかな?』
四年と十ヶ月ぶりの日本語だ。さて、どんな反応をするだろうか?
「……?」
少女は戸惑った表情で首を傾げる。意味が分かってないようだ。つまり余程の演技派でもない限り、彼女は転生者ではないのだろう。
「あ、あの……今の言語は、どこか外国のものなのでしょうか……?」
「え? あーうん。遠い異国の言葉で、こんにちはって云っただけだよ。ちょっと気取りすぎたね」
「そうなのですか……。周辺国家の言葉は全て覚えたつもりでしたが、まだまだ勉強が足りないようです……」
しゅんと項垂れる。
しかし俺は、その言葉の意味にびっくりする。
この娘まだ四歳だろう? それなのに既に多言語話者なのだろうか? だとしたら凄い天才だ。俺のような、まがい物とは次元が違う。
『ところでキミ、突然で悪いがこの言葉はわかるかな?』
ギョッとした。
目の前の少女が、今さっき俺が口にした日本語を、一字一句、イントネーションの違いもなく再現している。
「その……今ので、よろしいでしょうか……?」
完璧だったのに、少し自信なさげに質してくる。
「え? あ? うん……」
「素敵な響きの言語ですね……」
俺に向けられる、控え目なのに目を惹く月のような笑顔。
間違った意味で覚えさせてしまった罪悪感が胸に響いた。
「あー……その、ごめん。俺今、嘘を吐いた。その言葉の本当の意味は、この言葉はわかるかな? だ。すまない」
「そう、なのですか。挨拶にしては長文なので、日常語ではなく、格式のある改まった云い方なのかなと思ってしまいました……」
……言葉の長さだけで、そこまで考えられるのか。凄いなこの娘。
「お嬢様、そろそろ」
最初からずっと俺を睨んでいた女の従者が少女を促した。時間の都合じゃなくて、得体の知れない平民がなれなれしく話しかけているのが許せないのだろうな。
まあ、気持ちは分からなくもない。護衛役も兼ねているのだろうから、警戒するのは当然だ。
『名も知らぬ少女』もそれを理解しているのだろう。
素直に、
「はい。わかりました……」
と頷いた。
しかし、促されてついたてから離れる前に、再びこちらに話しかけてくる。
「もしよろしければ、先程の異国言語での挨拶を、ひとつだけ教えてはいただけないでしょうか?」
それは意外なお願いだった。
ただ単に日本語が気に入ったのか。それとも向学心が刺激されたのか。どちらにせよ、日本語を覚えても使う機会なんてないだろうに。
まあ、それを説明するわけにも行かないから、ごく簡単な挨拶を口にする。
「……『こんにちは』だ」
「ありがとうございます。ああ、やはり挨拶はシンプルなのですね。『こんにちは』」
外国人特有の訛りもない。完全に流暢な日本語で彼女は云ってのけた。
(凄いなぁ、この娘。中身が大人の俺よりも、ずっと頭が良いや)
お月様な幼女を、まじまじと見つめてしまう。
うん。綺麗な子だと思う。パーツのひとつひとつに高級感がある。
くせのないプラチナブロンドはサラサラで手触りがよさそうだ。大きなマリンブルーの瞳はとても綺麗で、ついつい見入ってしまう。
そういえば、いつの間にか彼女の瞳も真っ直ぐに俺に向いている。
なので図らずも見つめ合う形になった。
「…………ッ!」
俺の視線が不躾すぎたのか、女の子は真っ赤になって俯いてしまう。耳まで赤い。余程に恥ずかしかったのだろう。悪いことをしてしまった。
彼女はリンゴのような状態で俯きながら、
「あ、あの……し、七月に、またお会いできると嬉しいです……」
恥ずかしがっているのに折り目正しく礼をして、足早に去ってしまった。
これが俺と第四王女様との間に交わされた最初の会話だった。




