クリスマス短編 一線の意味
クリスマス。一年で子供たちが一番好きと答えることの多い日だろう。
いい子に過ごした子供たちがサンタのおじさんからおもちゃを貰える日。多くの子は、親からおもちゃに限らず欲しかった物を買ってもらえる日である。
だがこの少年の家は少しだけ違った。
母子家庭であり、生活を母のパートと少ない援助で何とかやり繰りする白山家では、当然クリスマスに欲しいものを買ってもらえるなどと言うことはない。
だが少年はサンタを信じていた。
夜も更けた午前零時。今年も彼は現れる。
「サンタのおじさん! 今年もいい子にしてたよ!」
「ホッホッホ。よくいい子で過ごせたね。そんな白山君にはプレゼントだ」
真っ赤な衣装を身にまとい、白髭をたっぷりと蓄えた男が、やや作った声で笑い声をあげ足元に抱き着いてくる少年の頭を撫でる。その後ろでは、長い髪をシュシュで纏め、くたびれたシャツとくすんだ色のスカートをはいた女性が優しい笑みを浮かべていた。
この疲れた印象の女性こそが少年の母、白山風香であった。
「毎年ありがとうございます」
「ホッホッホ、いい子にプレゼントを贈るのはサンタの使命だからね」
頭を下げる風香に、サンタは再び笑い声を上げた。
そして足に抱き着いたままの少年を離し、肩に下げていた大きな袋に手を入れる。
そこから出てきたのは、今話題の最新ゲーム機だ。
「ニンニンドーボタンだ! しかもポイントカードもついてる!」
ゲーム機本体と、そのゲームを買うための仮想通貨のセットに、少年は大はしゃぎだ。嬉しさのあまりに、箱を持ったままサンタの周りを走り回り、自慢げに風香へと見せつける。
風香は変わらない笑みを湛えたまま、良かったわねと息子の頭を撫でた。
「サンタのおじさんにありがとうは?」
「サンタのおじさん、ありがとう! 来年も会えるよね!」
「ホッホッホ、来年も一年いい子にしていたら、また会えるよ」
「僕からなずいい子にしてるから、ぜったいに来てね!」
「ホッホッホ。じゃあいい子な白山君はそろそろ寝ないとね」
サンタがそういうと、あからさまに眉をしかめ、まだ眠くないと首を振る少年。だがサンタはそんな少年の顔の前に手を向け、少年にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「彼の者に深き眠りを」
呪文を唱えた瞬間、今まで大興奮だった少年の目がトロンとすると、徐々に瞼が落ちてくる。
サンタは少年の肩を優しく推して布団へと誘導してやる。持っていたゲーム機は枕元へと置き、横になった少年に布団を掛ける。
少年からはすぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
優しく少年の頭を撫でたサンタは、ゆっくりと立ち上がり振り返る。
「待たせたね、風香」
サンタは帽子を取り、付け髭を外した。
現れたのは、まだ二十代前半の青年の顔。整えられた茶髪に、シャープな顎。高い鼻と青色の瞳は、彼が外人であることを示していた。
ゆっくりと歩み寄り、サンタは風香を抱きしめる。
風香は一瞬体をビクリと振るわせた後、自らの両手をサンタの背中へと回した。
「一年間はとても長いわ、リオ」
サンタの胸元から見上げる風香の表情は、瞳を潤ませ頬を上気させていた。
そこにあったのは、先ほどまでの子供を見守る母親の顔ではなく、一人の女の顔。
「ごめん」
「謝らないで、リオ。あなたが一年にこの日しかここに来れないことは分かっているの。これは私のわがままでしかないわ」
「違うよ。これは風香に惚れてしまった僕の罪だ」
本物のサンタの一人。それが青年、リオの正体だ。
一年に一度、クリスマスイブの日に子供たちにプレゼントを配る心優しきおとぎ話の存在。
それは、複数人のサンタという魔法使いによって成されている現実。リオも数年前からサンタとして毎年働き、何人もの子供たちにプレゼントを渡してきた。
彼らは正体を知られてはいけない。知ってしまった子供や親には魔法を使って記憶を消す。それがサンタの掟。
だがリオは、サンタとしての初仕事で風香にその姿を見られ、そして一目惚れしてしまった。
リオは自分の正体を明かし、真実を話した上でアプローチした。
あなたから自分の記憶を消したくない。僕のことをもっと知って欲しいと。
初めて受ける自分よりも年下からの強烈なアプローチに風香は思わず頷いてしまう。
それから二人の秘密は始まった。
毎年一日だけ二人は会い、短い間の会話を交わし少しずつ親交を深めていく。いつしか風香も一年に一度しか会えないリオのことを想い始めていた。
「いつかからなず、僕は今日以外でも風香と会えるようになってみせる。だからその時まで、待っていてくれるかい?」
「ええ、待っているわ。あの子の成長を見守りながら、私はずっと待ってる」
「ありがとう。愛しているよ風香」
「私もよ、リオ」
もう一度強く抱きしめ合い、ゆっくりと体を離す。
「今日も家が最後なのよね?」
「うん。もちろん」
「ご飯はまだでしょ? よかったら食べて行って」
「ありがとう、頂くよ」
クリスマスとは言っても、風香の家に豪華な料理を並べられる余裕はない。
スーパーで買ってきたモモ肉をローストし特製のソースをかけサラダを添える。トースターで焼きなおした丸パンが甘く香ばしい匂いを放ち安物のワインがグラスに注がれた。
デザートは、コンビニの小さなカップケーキ。
リオはそれを美味しそうに食べ、風香はリオの前に座り嬉しそうにその光景を眺める。
「風香の料理は美味しいね。毎日食べられるあの子が羨ましいよ」
「あの子にはスーパーのお弁当の方が美味しいなんて言われちゃうけどね」
「ハハハ、子供にはまだ早い味だったかな?」
「あの子、野菜が嫌いなの。私が作ると、必ずサラダを添えるからね」
「そう言うことか。お弁当は野菜が少ないからね。来年はちょっと注意してあげよう」
「サンタさんの言葉なら、あの子も聞くかもしれないわね」
風香が話す子供の可愛いエピソードを筆頭に、二人の食卓は会話が途切れることはない。一年間の間を埋めるように、のどが渇くのも忘れて料理を食べ終えても話し続ける。
だが、ワインも飲み終えたころ、リオが手を伸ばし風香の指に触れた。
「風香、少し飲み過ぎてしまったみたいだよ」
「お水持ってくるわね」
「待ってくれ」
席を立とうとする風香の腕を掴み、リオは立ち上がる。食器が慣らすカチンという音が、やけに大きく響いた。
リオは風香の側へと歩み寄り、背中側から風香を抱きしめる。
「もう、酔い過ぎよ」
「風香」
リオの腕が首から下へと延びる。それを風香が掴んで止めた。
「ダメよ。一線を越えたら止まれなくなっちゃう」
「でも、辛いんだ。また一年間会えなくなってしまう」
「それは私も同じよ。でも我慢するって決めたじゃない」
「そうだけど……」
お互いの好きが結ばれた二年前の今日、その時二人は一つの約束をしていた。
一緒に暮らせるようになるまで、一線は超えないようにしようと。
ただでさえサンタの掟を破っているのだ。これ以上迂闊なことをすれば、どこからその事実が発覚するか分からない。
サンタの本部にこの事実が知られれば、風香は他のサンタによってリオの記憶を全て奪われ、リオはサンタの資格をはく奪される。
それは一生会うことができなくなるのと同義だ。
風香は年上として、秘密を守るためにも節度を持ったお付き合いをしなければならないと考えていた。
「大丈夫よ。私は必ずここで待っているから」
「風香――」
「けどクリスマスだもの。お互い少しだけプレゼントをもらってもいいと思わない?」
「えっ」
振り返った風香の顔が不意に近づき、お互いの唇が触れ合う。
柔らかく温かい感触を惜しむように、ゆっくりと唇を離した風香は頬を真っ赤にして笑みを浮かべていた。
「クリスマスプレゼント――サンタさんにもらっちゃった」
「ずるいよ風香。ここまでされて我慢しろなんて」
風香のアダルトな魅力に、リオはワインで火照った体の下腹部がさらに熱くなるのを感じる。
「大人はずるいものなのよ、リオ。だからこんな言い訳も得意なの」
風香は椅子から降りるとリオの前で両膝を突く。視線の先にあるのは、テントを張るリオのズボン。
「大人の言う一線ってどこなのかしらね?」
◇
凍えるような寒さの室内。カーテンの隙間から朝日が差し込んできていた。
親子がそれぞれの布団ですやすやと眠る中、リオはそっと立ち上がる。
脱ぎ散らかしたサンタ服を着て鏡で身だしなみを整えた。
そっと部屋を出ようとしたところで、背中から声がかかる。
「リオ、行くの?」
風香は上体を起こし、布団で前を隠す。
「ああ。日が昇ってきちゃったからね」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。そこらへんで飲んで帰るサンタもいるからね。朝帰りも珍しくないんだ」
「そっか。リオ、また来年待ってるわ」
「うん。必ず来るよ。その子がいい子だったら――だけどね」
サンタはいい子の元にした来ることができないからだ。
だが、リオも風香も当然そんな心配などしてない。
「いい子に暮らすわよ。私の自慢の息子だもの」
「そうだね」
「早くあなたの子供にしてあげてね。大きくなる前にお父さんからのプレゼントも上げたいから。いつまでもサンタさんは本当にいるなんて言ってたら、学校でいじめられちゃうわ」
「分かったよ。頑張ってくる」
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
帽子をかぶり、髭を付ける。
リオは魔法を使って窓をすり抜け、静かに明け方の空へと消えていった。
風香は目尻に溜まった涙を拭い、気持ちを切り替える。
愛する息子を起こすために、身だしなみを整え部屋の換気から始めるのだった。