「そうか。是非見てみたいな。 きっと綺麗なんだろう。」
「第一回!豊平邸勉強大会!いえーい!」
パンっと軽やかな破裂音がして紙吹雪が舞う。
父がクラッカーを鳴らしたのだ。
「……お父さん。出てって。」
「人がせっかく盛り上げてるのに!?」
「勉強会だから盛り上げ不要!邪魔!」
紙吹雪をかき集めゴミを捨てる。
旭さんと青くんはそんな父をボンヤリ眺めていた。
ああ恥ずかしい。
私は父の背中を押して部屋から追い出した。
悪いがリビングは使わせてもらう。自分の部屋にでもいてくれ。
「紙吹雪……。
そう、紙吹雪といえばタコが噴火した時の話だけど青いマグマが流れてきて……あれって固まるとやっぱり黒い岩塩になるのか?」
何故かいる日和先輩は紙吹雪の一枚を弄りながら何やら言っていた。
単語単語はわかるのだが、その内容の意味はわからない。
「そもそもタコが噴火ってなんすか?」
「しないっけ?しなかったか。
うーん……どこまでが梯子の上でどこまでが川の底なのか……わからないな。
……それで、なんの勉強するの?」
「英語です。
先輩って英語得意ですか?」
「俺の得意な教科は物理なんだ。
外国語は全くわからない。」
「高2の英語も?」
「ああ。でもポルトガル語なら話せる。
Coleta de poeira no Assentoranu, que também preside o mundo brilhou com cheiro mesmo o lodo no fundo do Rio」
突然、先輩が流暢な外国語を披露したので私たち3人は驚いて、ただ呆然と見ることしかできなかった。
「……また変なこと言ってた?」
「多分変なことを言ったんでしょうけど、俺たちの誰もわかりませんよ……。
すごいですね。どうして喋れるんですか?」
「さあ……。なんでだったかな?
まあ大したことじゃない。
物理の勉強なら教えられるからいつでも声かけて。」
「あ、先輩まだうちにいるつもりなんですね。」
別に構わないけれど。
だけど何故うちにいるんだ。
「じゃあ私は物理やろうかな。英語もヤバイけど、物理のがヤバイし。」
「じゃあノート私が借りちゃうねー。
青くんは?何やる?」
「じゃあ俺も英語やる。そのノート見せて。」
ということで私と青くん、旭さんと日和先輩が並んで座ることとなった。
さて、では始めよう。
そして教科書の範囲を確認した瞬間全て投げ出したくなった。
範囲広い。
「もうやめよう。」
「諦めるの早いな!
ペン持て!やるって決めたからにはやれよ。」
「うん……。でもまだ試験まであるしさ、間に合うんじゃないかな?」
「そう言ってやらない。そういう未来が見える。」
私も同じ未来が見える。
でもほら……万が一でも間に合うんじゃないかな。
「赤点回避したら何か褒美が欲しい。」
そもそも進級したくないのだ。
このまま、今のメンツと同じ学年に上がりたくない。
不登校になって留年してしまえば良いのではないか、と思うが小心なのでそれもなかなか実行出来ない。
最近は学校やテストに関するやる気のようなものが失せていき、授業も聞かず無駄な時間を過ごしている。
「成績が3になる。」
「そうじゃなくて。
高いヘッドホン買ってもらうとか……お父さん買ってくれないかな。」
「なら俺があげるよ、ご褒美。
肩叩き券とかでいい?」
「気持ちだけ貰っとくよ。」
ここでダラけていても仕方がない。
父にヘッドホンを買う約束をなんとか取り付けて頑張ってみよう。
私は問題集と向き合った。
✳︎
「滑車とかどうでもよくありませんか?」
旭さんの凜とした声に思わず顔を上げた。
わかる……。私も授業中ずっとそう思ってた……。
「これは滑車じゃなくてエレベーターだ。」
「同じでしょう。」
「モーターで動くから重力の力だけで動くわけじゃないから、少し変わる。」
「ならエレベーターとかどうでもよくありませんか?」
旭さんのどこか憎しみのこもった言葉に日和先輩が苦笑した。
「エレベーターが無かったら給食のワゴンも、ヒグマも、洗濯機も運べない。どうでもよくはないんじゃないか?」
おお、先輩がちょっとだけまともだ。
旭さんがムウっと口を尖らせる。
「……難しい……。」
「そんなことない。
これは運動方程式を使って……」
私は2人の姿をじっと眺めてしまっていた。
意外にも日和先輩は真面目に教えているし、根気強く旭さんが自力で解けるのを待っている。
そして何より意外なのは、いつものボンヤリとしたどこか遠くを見ている表情が消えて楽しげに微笑みながら教えていることだ。
教えるのが好きなのだろうか。
いつものあの謎の言葉を発している日和先輩とは思えない。
「……先輩がまともに見える。」
青くんが小さな声で呟いた。
私もそう思う。
「いつものあれさえ無ければまともなんだね……。」
「俺も後で物理教えてもらおうかな……。」
「私も……。」
そう。我々も滑車とかどうでもいいし、エレベーターがどう動こうが構わない。そういう人種なのだ。
私たちは英語がひと段落すると、日和先輩に教えを請うた。
先輩は嬉しそうに笑うとエレベーターの運動について教えてくれた。
✳︎
「あ、だからこのグラフになるんですね。」
「そういうことだ。」
授業で聞くよりもわかりやすい。
3対1での指導だから……というともあるだろうがそれよりも日和先輩の教え方が上手いのだろう。
「すごいっすね!わかりやすい!」
「本当です。先生よりも全然教え上手ですよ!」
「そう?嬉しいな……。」
先輩は頬を赤らめながら笑う。
「ちなみに、物理以外で教えてもらえるのってあります……?」
この教え方なら赤点も逃れられる……!そう思った私は欲を出した。
先輩はうーんと困った顔をする。
「物理以外……」
「あわよくば数学とか。」
「数学……は……外国語よりは出来る……。」
「……古文とかは?」
「コブン……?」
古文はダメそうだ。初めて聞いたと言わんばかりの表情になってしまった。
「そういう催花ちゃんは何が得意なの?」
「地理。
2人は?」
「俺は何も得意じゃなーい。」
「私は体育かな。」
筆記試験の話をしているのだが。
「旭さんは運動得意なんだ?」
「そういうわけじゃないですけど……。座学に比べたらマシですね。」
「羨ましいな。俺はあまり運動が得意じゃないから……。」
先輩が顎に手を当て、旭さんを見る。
彼の鈍臭さ……いや、少し動きが鈍いことは私も知っている。
何もないところでよく転けるし足も遅い。
「豊平くんは新体操やってたんだよな。変わってる。」
「そうですか?」
先輩に変わってるなんて言われるとは終わってる。
「あんまり聞いたことがない、ような。そうでもないのか?
平均台の上を歩いたり跳び箱飛んだりするやつだよな?凄いと思うよ。
俺ならすぐ落ちて……どこかに散って……。ハア。
豊平くんは落っこちたりしないだろ?」
先輩がなんの競技を指しているのかわからない。
それは体操じゃないだろうか……?
新体操はレオタードを着てリボン振ったりするやつだ。
「えーっと……あ、でも小さい頃はよくボールを頭に落としたりしてました。」
「それは可哀想に。」
「だからその時英語を学ぶのに必要な脳細胞を失ったんだ……。」
旭さんも可哀想に、というように私を見てくる。
何を納得している。
「違うからね?
大体もう演技できるようになったし。」
「凄い。偉いな。努力家だ。」
そうだろうか?もうやめてしまったし努力家とは言わないような……。
そう思ったが先輩は偉い偉いと言いながら私の頭を叩くので、私は何も言えなかった。
まあ……偉いかもしれない。努力家かも。
「お褒めいただき光栄です。
なんか、自分が努力家な気がしてきました。」
「運動するなんて努力家に決まってるよ。
自らを厳しい鍛錬の場に置くんだからな。
でもだからこそ、運動してる人は美しい。」
それはわかる。
私は大したことないけど全国大会に行くような人は筋肉が引き締まっていて、纏うオーラも違っていた。
「……わ、私だって……足めっちゃ早いです。見たらビックリしますよ!」
旭さんが顔を赤くしながら対抗してきた。
フフ、お主は努力家と言えどカツアゲの努力家じゃないか。
「逃げ足がな。」
「うるさい!」
「そうか。是非見てみたいな。
きっと綺麗なんだろう。」
先輩が微笑みながら言う。
よくまあそんなことサラッと言えるわ……。
言われた旭さんはボンと音が出そうなほど勢いよく顔を真っ赤にして「き、綺麗……」ともぞもぞ言っていた。
……この反応、もしや?
「……先輩って……運動出来る女の子が好きなんですか?」
私の質問に旭さんが身を硬くした。
「うん?
男女問わず羨ましいと思ってるよ。」
「じゃあ好きな女の子のタイプは?」
「………………オンナノコノタイプ。」
「こりゃ大変だ。
この先輩恋愛なんかしたことなさそうだぞ?」
「旭さん、頑張って!」
旭さんは全身を赤く染めてこちらを睨む。
そんな赤い顔で睨まれても怖くないぜ?
「……俺はまた何か変なことを言ってしまったか?」
「いえ……先輩は……何も。」
「どうした?顔が赤い。
糖尿病なんじゃないか?ほら……甘いものが悪さするんだ。美味しいけどな、アレは良くない。美味しいけどな。」
「んな突然糖尿病になるかよ〜。」
先輩は青くんの言葉に気付かず、旭さんの頬に手を当てた。
「ヒョエ……」
「熱がある。
肝臓が悪いのかもな。沈黙の臓器……沈黙の……。黙ってるのは良くないことだ。美味しいけどな。」
「い、いえ、ちが、ちが、」
「先輩の距離が近いんですよ。」
まともに喋れない旭さんに変わって先輩を離すことにした。
全く、人の家をラブコメ空間にするでないよ。
「距離が?
そうか……悪かった。」
日和先輩は手を離し旭さんから離れようとする。
これで少しは旭さんもまともに喋れるようになるだろう。
「あっ……」
しかし旭さんにとって私の手助けは余計だったのか。
彼女は先輩の離れていく手を掴んでいた。
これはラブコメじゃ済まないかー……。
チラッと青くんを見ると天井を見つめ舌打ちしていた。
「……すみませ、咄嗟に、」
「良いんだ。」
旭さんは先輩の手を離し居住まいを正した。
あからさまに好意を剥き出してしまったわけですけど……私たちどうしたらいいんですかね。
「……腹立つ……。」
「青くん!確かにラブコメ劇場を見せつけられてなんだこれ?ってなったけどダメだよ嫉妬しちゃ!」
「嫉妬っていうか、翠の顔がキモいからイラつくんだよね。」
キモくない。アレは恋する乙女の顔。
「キモい?旭さんが?
そんなことはないだろう。こんなに美人なんだ。」
ふうん、言葉でのトドメってこうやって刺すんだ。
私は机に突っ伏す旭さんを眺めながらそんなことをボンヤリ思った。
「殴りてー……。」
「そのバイオレンスな発想はかなぐり捨てようか。」
「わかった。あんた、ちょっと俺のこと癒してくんない?」
「お金ならありませんけど。」
「例えば俺に抱きついてきたりするとか。」
「オレンジジュースお代わりいる?」
「いらない。」
そう、と答えて自分の分のオレンジジュースだけ注いだ。
我が家はラブコメ空間に犯されつつあるようだ。
私は少し熱い頬をオレンジジュースで冷やした。
ポルトガル語のところは「世界がどんなに輝いていたとしても川の底のヘドロは臭く、誰も座らぬ椅子には埃がたまる」というそれっぽい言葉をgoogle翻訳にかけました