「魚は関係ないんだ。顔の無いバレリーナが踊ってるだけで。うん。そうなんだ。」
私たちは授業にも行かず、階段に並んで腰掛けていた。
試験も近いので授業を受けるに越したことはない。が、私のイジメ問題を解決するのも大事なことだ。
「どうやってイジメからお金を巻き上げるの?」
「なに?やる気になったの?」
「違うけど。」
ふうん、と旭さんは呟きながらスマホを取り出した。
「ツイッターで、あんたが悪口言われてるやつとか脅されてるやつとかを探してそれを警察に通報するよって言えばいいんだよ。ほら、アイドルとかをネットで殺害予告してる人捕まってるじゃん?」
「ああ……。でも、そういうのって未成年にも適応されるの?」
よく分からないけど……。というか、非公開アカウントで言われる陰口なんて脅しにならないんじゃないだろうか。
「法律なんて難しいことわかんなくない?こっちが自信持ってそれらしいこと言えば向こうは簡単に騙されるよ。」
これが詐欺師の手口。
気を付けなくては。
「さて……ツイッターでどうやって探せばいいかな。」
「旭さんがアカウント取って、みんなにフォローしてもらえば?
フォローしてもらえれば非公開でも見れるようになるし。」
「非公開?」
「えっと、普通にネットに載せてるアカウントと、非公開にして隠してるアカウントがあるんだよね。こっちは許可がないと見れない。
大体悪口言うときは非公開アカウント。」
私が説明すると旭さんは途端に面倒そうな顔になった。
「私がアカウント作ったところで、許可くれるかよね。
青も別クラスだしなあ……。」
青、の単語に胸が高鳴るのがわかった。
「青くんもやるの?その、イジメ撃退?」
「まあね。なにやるにも2人1組でやってきたから。」
そうか……。
あの美人の彼がいるなら少し嬉しい。
嘘。すごく嬉しい。
「……あれ?っていうか、あんたはなんで自分がツイッターで悪口言われてるって知ってんの?」
旭さんがスマホを片手に首をかしげる。
「それは春田がわざわざ私に見せて来たから……」
「そりゃご丁寧なことで。
春田のアカウント名わかる?」
「えっ?どうだったかな……。
確かローマ字でハルの後に麻雀牌って付いてた気がする。」
「ま、麻雀牌?なんでだ?
……あ、これか。」
彼女がスマホを差し出した。
見ると、犬のアイコンのアカウントが現れた。これだ。
「うん。非公開になってるね。
IDは……」
「なにするの?」
「乗っ取りだよ。
パスワードは……誕生日かな?
この間騒いでたからよく覚えてるわけ……0913と……」
そんな単純なわけないだろう、と思ったが旭さんはあっさり春田のアカウントに入り込んだ。
嘘でしょ。このご時世に……無警戒すぎる。
「ふんふん……こりゃひどいね。
スクショ撮っておこう。」
なんて言われているかは聞かないでおこう。
「これで色々集めるとくよ。
ま、任せておいて。こういうのは得意だから。」
「ツイッターが?」
「人を貶めることだよ。」
旭さんがニンマリ笑う。
この人だけは敵に回さないでおこう。
*
放課後、私は着替えるために女子更衣室にいた。
トイレに入っていたらバケツで水をかけられたのだ。
ドラマで見たことのあるようなやり方だがまさか自分がやられるとは思わなかった。
靴下が濡れて気持ち悪い。
まるでプリンの上を歩いているみたいだ。
ジャージに着替えて部屋を出る。
濡れたままでは持って帰れないし、制服を少し乾かしたい。
……そうだ、美術室にドライヤーがあったはずだ。
私はびしょ濡れの制服を抱えて別棟へと向かった。
*
「あれ?豊平くんじゃないか。」
「日和先輩……?」
美術室の教卓に背の高い男子生徒が座っていた。日和先輩だ。
彼はこちらに気がつくとその垂れた目を更に垂れさせ人懐こくにっこり笑った。
「どうしたんだ?こんなとこで。」
色素の薄い髪がフワッと揺れ、ヒョロヒョロの体が近づいてくる。
「制服濡らしちゃったんで乾かそうと思って……先輩は?」
先輩たちは私がイジメられていることを恐らく知らない。
ここ最近のことだし、彼らは受験で忙しい。
「忘れ物とりに来たんだ。魚が……魚がほら筆記用具家に無いから。」
「魚が?」
「魚は関係ないんだ。顔の無いバレリーナが踊ってるだけで。うん。そうなんだ。」
この人は時々何を言っているのかわからなくなる。
なんでも、話をしていると途中で気が散って妄想を始めてしまうらしい。よく分からないが。
「バレリーナって?」
「なんでもない、クマが玉乗り、なんでもない。」
どんな妄想をしているのか知らないが随分楽しそうだ。
「そ、そうですか。
そうだ、先輩。お腹空いてませんか?確か美術準備室ってお菓子があるんですよ。」
私はなんとか話を逸らそうと提案をする。このまま楽しげな妄想を聞き続けていたらこちらまでおかしくなりそうだ。
「そうなの?そりゃいいね。」
私は美術室に繋がっている準備室に勝手に入る。
そこには冷蔵庫があって、先生が飲み物やお菓子を入れているのだ。
「わあ、カントリーマアムありますよ。あと、エンジェルパイとマシュマロ。」
「マシュマロが欲しいな。」
「はい。」
先輩にマシュマロの袋を渡すと嬉しそうに受け取った。
そのまま袋をバリッと開けて、遠慮なく食べ始める。
彼の赤い口腔に白いマシュマロが詰められていく。凄い勢いだ。
「マシュマロ好きなんですね。」
「ううん。白い食べ物しか口に入れないって決めてるだけ。」
……これは、妄想の一種類だろうか?
私は苦笑いしながらカントリーマアムを頬張った。
「あ、廊下側の窓からこっち見えるから気を付けて。
先生にバレたらミネストローネが爆発する。」
「わ、はい。」
こんなところ見られたら厄介極まりない。また彼氏だー4股だーと騒がれる。
そこではたと気付く。
騒がれているのにお菓子を渡したのは失敗だったのでは……。
「あー、私、用事思い出しました!
また後で来ますね。」
「ん。俺は……そうだ、忘れ物……」
「筆記用具?」
「そうそれ。それそれ。うん。」
そう言いながらマシュマロを頬張る。
まだ居座るつもりのようだ。
びしょ濡れの制服をどうしようか迷ったが、10分くらい図書室で時間を潰してまた来よう。
そう思って準備室を出た。
*
図書室でどう時間を潰そうか。
そうだ、ブラックジャックがあるからあれでも読んでようかな。
うちの高校は図書室なのに漫画が結構ある。小説なんぞ普段読まない私からしたら、漫画が置いてある方がまだ楽しかった。
そんなことを考えながら階段を下りていると、後ろから足音がした。
しかも、かなり近い。
誰かいる?
振り返ろうとしたその時、背中に衝撃が走った。
悲鳴をあげる間も無く階段から転がり落ちる。一段転がる度、どこかが痛む。
ベチン!と音がして床に叩きつけられ、私の体は止まった。
今、私、突き落とされた?
顔を上げて階段の上を見る。
そこに立っていたのは雪沢だった。
彼はただ私を睨む。
それが不意に恐ろしくなった。
雪沢は、本気で私が憎いのだ。
それがその顔からひしひしと伝わってくる。
その憎しみを睨んだまま階段を下りてきた。
「派手にこけたな。メッチャ笑えんだけど。動画でも撮っときゃ良かったよ。」
その赤い唇だけを釣り上げて雪沢が笑う。
「こけたって……突き落としてきたんでしょ。」
「は?そんな証拠がどこにある?」
「なに?」
「俺に突き落とされただなんて誰が信じる?」
信じてくれる人は一杯いるだろう。
なんたって彼が私を執拗に虐めていることなど周知の事実なのだから。
「俺さ、割と先生に気に入られてんだよね。
お前は違う。人から嫌がらせされてても教師どもは無視してる。そうだろ?」
雪沢が私の横に立つ。
恐ろしい。
何故この男はここまで私が憎いのか。
私は何かしたのだろうか。
「あーあー、きったねえ顔。」
雪沢はおかしくて堪らないという顔で私を見つめ、そして手が伸びてきた。
その大きな手が私の顔に触れようとする。
また殴られるかもしれない。
私はその手を避けるようにして立ち上がり、走り出した。
全身がギシギシと痛むが構ってられない。
捕まったら何をされるかわからない。
後ろからペタンペタンと歩く音がする。
嘲笑っているのだ。
私がノロノロとしか走れないことを。
ゆっくり歩いていても、あいつは追いつく。
なんなんだあいつは!ホラー映画のシリアルキラーか?
必死で体を動かす。
誰か……誰かいないだろうか。
美術室に行けば日和先輩がいるかもしれないが、階段を登る余裕はない。
この階に……。
後ろの足音は先ほどより早くなった。
私を捕まえる気だ。
それに気がついて涙が溢れる。
何をされるのかわからない。怖い。
誰か……。
「……催花ちゃん……?」
通りかかった教室から声がした。
この声は……。
「青くん……?」
「なんだそれ、どうしたんだよ。」
彼は私の足を見て顔をしかめた。
見ると血がダラダラ垂れている。こんなことになってただなんて。
「あ……た、助けて……」
雪沢に捕まる。
私が彼の方にヨロヨロ歩くと、青くんは慌てたように私の肩を掴む。
「なにがあった?なにから助ければいい?」
「……雪沢……」
私が後ろを指差す。
誰もいない廊下を。
「雪沢?雪沢半夏?あいつにやられたのか?」
青くんは戸惑ったように廊下を見渡す。
雪沢がいない?
いやでも、確かに追いかけられていた。
後ろから足音がしていた。
ということは奴は青くんに見つからないように逃げたということだろうか?
「いない……な……。
……歩けそう?」
「あの、ほんとに、雪沢が……私、階段から突き落とされたの!」
「わかってる。大丈夫。疑ってない。
保健室行こう。」
その優しい声に不意に泣きそうになった。
彼は労わるように私の背中を押した。
*
「……そんなことが……」
青くんは保健室の椅子にあぐらをかきながら私の話を聞いた。
イジメられていることから階段から突き落とされたことまで話すと彼は嫌そうに顔をしかめる。
「あんたがイジメられてるってことは翠から聞いたんだ。イジメてる奴らを脅すってことも。
でもこんな……暴力されてるほどだとは思わなかった。」
雪沢と茨島と長流川以外は暴力的な振る舞いはしてこない。茨島も長流川も、まあ痛いが奴に比べれば大したことじゃない。
問題は雪沢だ。力があるのにすぐに手が出る。私という存在が憎くて潰したくて堪らないのだろう。
「あいつ確かに教師に気に入られてるもんな。取り入るのが上手いんだよ。」
「知ってるの?」
「一年の時おんなじクラスだった。
……あんまり話したことないけど。」
どこか掴み所のない青くんと人を支配したがる傲慢な雪沢ではタイプが違うし、仲良くなれそうでもない。というか、雪沢と仲良いやつと話したりなんかしたくない。
「あんたが先生に、奴に突き落とされたこと言っても信じてもらえない……ってことはないけど、雪沢が事故ですって言ったらそうなるかもな。」
「そんな……。」
「しかしいきなりなんで雪沢はあんたにそんなことするんだ?」
そんなのこっちが聞きたい。
確か……10日前。あの日いきなり彼は私を糾弾した。
それまではろくに話したことすらなかったのに。いや、ろくにどころか話したことすら無い。
私が首を振ると、彼は「大したきっかけじゃないのか」と呟いた。
大したきっかけも無いのにイジメなんてしないでほしい。……いや、イジメなんていつも大した訳は無い。
「あんたさ、返り討ちに合わせないの?
鈍器で後ろから殴ればさしもの雪沢も倒れると思うけど。」
「……しないよ。」
「どうして。」
「自業自得だから。」
私は制服を取りに行こうと立ち上がった。
青くんは不思議そうに首を傾げていたが、1人にさせられないと一緒に美術室まで来てくれた。