ワンモアタイム
腕の中、血にまみれた催花を半夏は祈るような気持ちで見つめていた。
だが彼女の虚ろな瞳に半夏の姿が映ることはない。催花は夫の青に顔を向け事切れていた。
結局、彼女の澄んだ瞳が半夏に向けられることは無いままであった。
彼は催花の死体を抱き上げ部屋の中をうろついた。
撒き散らされた青の内臓は構わず踏んで歩く。
寝室はすぐに見つかった。綺麗な部屋だ。
あの、旭 青と使っていたベッドだと思うと腹の立つことこの上ないが仕方ない。半夏は催花を優しくベッドに下ろし、そして。
赤ん坊の声が聞こえてくる。顔を上げると部屋の隅にベビーベッドがあることに気がついた。
まさか子供がいたなんて。心が軋む音を立ててまた歪んでいく感覚がした。
催花の真っ直ぐな髪をひと撫でして立ち上がり、彼はベビーベッドの中を覗き込む。
そこにいたのは可愛らしい赤ん坊だった。
女の子だろうか、ピンク色のロンパースを着せられている。
親を求め小さな手を伸ばし、真っ赤な頬は涙で濡れていた。
半夏は求めに応えるように手を差し出した。血まみれの手を握られる。
想像よりもずっと強い力だった。
彼はそのまま赤ん坊を抱き上げる。赤ん坊の澄んだ、催花そっくりの瞳に半夏が映り込んでいた。
ずっと求めていた。催花が半夏を見ることを。
ずっとずっと夢に見ていたのだ。
彼は赤ん坊を……催花をあやす。
やっと手に入った。
*
「もう、お父さんってば。子離れしてよね」
催花がケタケタと甲高い声で笑いながらそう言った。半夏は催花のクルクルの髪を撫でる。
「そんなことできないよ」
「ハア! 困ったお父さん!」
わざとらしくため息を吐く可愛い催花を半夏は抱きしめた。
汗の匂いと甘い果物の匂いがした。
「……そうだよ。お父さんは困った人なんだ。
だから離れないで」
「ハイハイ。しょーがないなあ」
催花は照れ笑いを浮かべながら半夏を抱き締め返す。
催花。可愛い催花。
くだらないことで笑い合う時も、怒った時の膨れた頬も、泣いた時の透明な涙も、柔らかな寝顔も、全てが愛おしい。
もう一度こうしてやり直せるのが奇跡のようだ。
いつか父じゃなくなるその日まで、父親の顔して笑っているよ。
その日はもう、すぐそこまで来ている。
わかりにくいと思ったので補足
1章催花≠2章催花
1章父親=雪沢半夏
2章催花の娘が1章催花
時系列としては2章→(15年後)→1章