「青くん!おはよう!」
私は学校から逃げるように青くんの家に来ていた。
翠ちゃんは学校の様子を伺っている。
別れ際に見た彼女の拳は赤く染まっていた。
「髪揃えよっか?
出来るかわかんないけど……誤魔化すことは出来ると思う。」
「……じゃあお願いします。」
青くんの家は大きかった。
中も豪華絢爛。さすが教祖の家。
しかし青くんの部屋は布団が置いてあって、横に必要なものが適当に積んであるだけの質素さだ。
物が少ないから綺麗に見えるが、よく見ると教科書は折れ曲がってるし服も脱ぎ散らかしてある。
「……不思議な部屋だね。」
「掃除してないから汚いんだよね。あんまり見ないで。」
「目でも瞑っとく?」
「そこまでしなくてもいいけど。」
床に新聞紙を引いて、首にバスタオルを巻いて、髪を梳かされる。
そしてシャキンという軽やかな音と共に髪が切られた。
「青くん。色々言いたいこととか、聞きたいことがある。」
「……なに?」
「まず……幸伝会とかどうでもいい。
青くんが教祖の息子でもなんでもいいよ。」
青くんの手が止まった。
彼を見上げるとちょっと苦しそうな顔をしていた。
「でも、気持ち悪いでしょ。いいよ。無理しないで。」
「無理してない!
……あのね……私……青くんのことす、好き、なんだ。
だから……青くんが何者でも……いいっていうか……。」
私の告白に彼はぽかんとしていた。
そしてみるみるうちに頬が赤くなる。
「それ本当?」
「本当だよ!私がそんな嘘つくと思う!?」
「…………嬉しい。
あんた、俺が付き合って、とか言っても無視するし。照れてたけど。」
「だって、からかってんのかと思ったから!」
「からかってはない……けど。
いや、ちょっとからかってたかな。わかりやすくて、つい。ごめん。」
そして青くんは私の頬に手を当てた。
「俺も好きだよ。」
ブワワ、と体の奥から熱が上がってくる。
う、嬉しい。
「じゃなきゃ助けないし。」
「う、うん……。」
気恥ずかしくなって私は青くんから目を逸らした。
が、結局彼を見る。何か話さなくてはと思い、雪沢の話題を振る。
「あのさ……青くんは、雪沢がなんであんなことしたのか、わかる?」
私の言葉に青くんが驚いた顔になった。
「まだわかんないの!?」
「だって!雪沢、私のこと好きなわけ!?あんなことしておいて!?」
「そうじゃないよ!
あんたがそうやって鈍いから雪沢は頭おかしくなっちゃったんじゃん!」
「わ、私のせい!?」
「そうだよ!……いやそんなことないけど!
雪沢はあんたのことが好きで好きで堪んないのにあんたは雪沢のこと好きじゃないどころか、記憶の端にもかからなかった。
雪沢プライド高いし自身過剰だから、あんたなら……あんたは優しいし……だから絶対自分の恋人になると思ったのに、そんなことはなかった。
それどころか、他の人と噂が流れた挙句、俺みたいなのと仲良くしてた。だからキレちゃったんだ。」
「何それ……。」
理解できない。
私を自分の物だなんだと言っているし他の男には渡さないとか言っていたから私のこと好きなのかーと思ったのだが、やってることは強姦だ。意味がわからなかった。
「意味わかんないし……怖い。」
「うん、でももういないから。」
青くんは私の肩を気遣うようにさすった。
そうだ。もう雪沢はいない。
私たちが雪沢を燃やしたとバレればタダじゃすまないがそれでも構わない。
雪沢から離れられるのならば。
「……雪沢はあんたが好きすぎて憎くなったんだね。」
「……私も、青くんのこと好きすぎて憎くなったりするのかな。」
私は雪沢の話をするのが嫌になり話題をずらす。
青くんはそれに気が付いたようだが、そこには触れないで話を続けてくれた。
「それはそれで。
……にしても、いつから俺のこと好きになったの?」
話題を避けた先にまた崖とは。
「えっと……答えなきゃダメ?」
「吊り橋効果の可能性あるから。」
「………………ひ、とめ惚れ……的な……?」
「……一目惚れ?」
「……ごめん……。」
面食いで……。
ああ、青くんの顔が見れない。
幻滅したかな。
「でも!あの、確かに一目惚れだけど!でもちゃんと中身も好き!だから……。」
「うーん。まず俺の外見を好きになることが信じられない。」
「えっ!?」
なんでだ!?こんなにかっこいいのに!?
「俺が女なら俺はごめんだな。」
「う、嘘だ!かっこいいのに!」
「……ありがと。
でもかっこよくないよ。いや、本当に。客観視して。」
「してるよ!客観視してないのは青くん!
だって、日和先輩は翠ちゃんのこと美人って言ってたよね?つまり同じ顔の青くんも美人ってこと!ね?」
拳を握り力説する。
が、彼の顔は晴れない。
「女顔なんだよね。」
「そうだね。」
「……かっこよくないじゃん……。」
「そこがいいのに!」
なぜわからんのか!と憤慨してしまう。
価値観の違いという奴か。
「……あんたが俺を好きになってくれてよかった。」
「青くんは私のこといつから好きなの?」
3日前、とか言われたらどうしよう。
青くんはこの質問にうーんと唸り声を上げる。
答えにくいのかな……。
「雪沢と俺、1年の時同じクラスだったんだよね。」
「へえ?」
なぜここで奴の名前が?
と思ったら青くんは急に私の顔を上げさ、チョキチョキと散髪を再開した。
「雪沢は皆から気に入られてたけど……俺は嫌いだったよ。いつも人を見下してて。
でもそんな雪沢がさ、笑ってたんだよ。あんたを見て。
好きなんだろうなーって思った。
で、それとなく観察してたんだ。
……不思議だった。雪沢はあんたをずっと見てるんだ。ずっと。
でも声はかけない。ただ見るだけ。
気持ち悪いよね。
しかも男と話すとあからさまに嫉妬する。
やばい奴に好かれたなってあんたのこと思ってたんだ。それだけだった。
でも……雪沢と同じクラスになってもあんたは変わらなかった。
鈍すぎるよ。あんなにずっと見られて気付かないもん?本当に心配した。案の定こんなことになるし。
あんたは変な奴に好かれてて、鈍い、けど……悲しそうに笑う子だなって。
そういう癖っていうか生まれつきなんだろうけど、あんたは笑う時眉毛が下がってて泣きそうに見える。
……それで好きになった。」
「え?」
思わず顔を上げる。
青くんは慌ててハサミを止め、私の方に照れたように笑う。
「ミイラ取りがミイラになっちゃった感じ?
雪沢のこと笑えないよね。俺もあんたを見てるだけで話しかけもしなかったんだから。」
全然気が付かなかった。
青くんはおろか、雪沢の視線も。
……本当に鈍い……。
「気付かなかった……。」
「別に、俺はいっつも見てたわけじゃないから。
でも雪沢のアレに気付かないのは不思議だな。
他の奴らも気が付いてたと思うよ。」
「翠ちゃんは?」
「あいつは気が付けないね。馬鹿だから。」
馬鹿ではないと思う。
ただ彼女も私と同じように鈍いのだろう。それか、私や雪沢に興味がないか。
「……にしても……結構前から私のこと好きだったんだね。」
「まあそうだね。」
それは……嬉しい。かなり嬉しい。
顔中が緩んでしまう。
「なに笑ってんの。」
「嬉しくて……。」
「その顔。好きだよ。」
青くんはフッと笑うと、私の方に顔を近づけた。
そして、唇が重なる。
さっき、雪沢にされた時とは大違いだ。
全身が痺れて、幸せな気持ちが溢れる。もっとしてほしくなる。
唇が離れる。
思わず青くんの手を掴んでいた。
「……あっ……。」
「ごめん、あんなことされた後にこんなの、嫌だよね。」
青くんが指で唇を拭うので慌ててそれを止める。
「違う……。
……あの……もう一回……ダメ?」
彼は目を見開き、顔を更に赤くした。
「……ダメなわけないじゃん……。」
また唇が重なる。
ああ、なんて幸せなんだろう。
心が満ちていく。
目を瞑ると雪沢にされたことが頭をよぎるが、青くんに触れられるとそれが消えていく。
青くんが触れたところから、青くんで頭が一杯になっていく。
もっと触ってほしい。雪沢のことを忘れられるくらいに強く—
「……あ、ぶな……。」
「んえ?」
急に唇が離される。
寂しくなってまた縋り付きたくなったが青くんがそれを止める。
「待って、ちょっと……困る。」
「……あ……ごめん。」
「あー!違う、嫌なんじゃなくて……!
このままじゃ歯止めが効かなくなるから……。
……意味わかる?」
「……うあ、……う、ん。」
恥ずかしくなってパッと体を離す。
……いや、何やってるんだ自分。
今髪を切ってもらってるだけだから!
何キスしてんの!何ねだってんの!
「…………もう少ししたら髪、整えるね。ちょっと待って……。今己の中の獣を鎮めてるから……。」
「ひゃい。」
体をガチガチにして青くんが獣を鎮めるのを待つ。
「素数を数えよう。3.141592653……」
「それ円周率。」
*
「催花ー!」
「翠ちゃん。」
翠ちゃんがこちらに駆け寄ってきた。
「おはよー。」
「おはよう。髪短いの慣れないなー。
誰かわかんない。」
「似合うでしょ?」
「はいはい。」
あれから2週間経った。
雪沢は病院に搬送され、全身大火傷の重傷とのことだった。
茨島と長流川も同じ病院に搬送されたが、忽然と姿を消した。
そんなことがあって学校は浮ついていたが茨島たちを殴った犯人も見つからず、そして何よりテストが近いということで何事もなかったかのように日々が流れる。
「今日のテストどうかな。」
「日和先輩と松川さんにたくさん見てもらったじゃん。大丈夫だよ。」
「赤点は免れたい。」
同じく。
ペタペタ廊下を歩いていると、肩を叩かれた。
「おはよ。」
「青くん!おはよう!」
今日もかっこいいね!大好きだよ!
と言いたくなるのを堪える。
前に言ったら顔を赤く染めた彼が「催花ちゃんのバーカ」と可愛らしく言ってきて心臓が止まるかと思った。
他の人に見せたくない。
「ハー……バカップルめ……。」
「えへへ……。」
「褒めてないからー。」
「なんだ、嫉妬?
まあわかるよ。こんなに可愛い彼女が弟にできて、羨ましいよね。」
青くんはフフンと得意げに笑う。
そういうところも好きだ。
付き合いだしてから、自分の思いが加速しているのがわかる。
彼が何しててもカッコよく見える。見てるだけで心臓がバクバク止まらない。
「……催花、顔。」
「え?」
「デレデレしすぎ。」
そ、そんなに顔に出ていたか。
顔を引き締める。
気をつけないと。また愛宕に「ごちそーさま」と嫌味を言われる。
「青くんは今日のテスト大丈夫そう?」
「うん。まー赤点は避けるよ。
……じゃあまた帰りね。」
「うん!」
あー幸せ。
これが恋かー……。
「……あんたがそんなんだから、4股の噂が消えたのは良いけど……。
でもやっぱ青のあのデレデレした顔、腹立つな。」
「青くんも、翠ちゃんが日和先輩に対してデレデレしてる顔見ると腹立つってよ。」
「な!デレデレしてないし!」
勿論嘘だ。デレデレだ。
「……テスト前の確認するよ!」
翠ちゃんは照れた顔を隠すように私を引っ張った。
何も変わってないかのように見えて、少しずつ日々は変化していく。
翠ちゃんも青くんも、もう痴漢のカツアゲはしない。スカートも前よりは長くしているし、されたらちゃんと警察に突き出すと言っていた。
クラスメイトから奪った金はどこに行ったか知らないが……でも、それでも少しはマシになった。
私はというとイジメはすっかり無くなり、何人からかは謝られた。
先生は何も気づいてないフリでやり過ごそうとしているが、それでもう良いだろう。
雪沢の事故で相当絞られただろうし。
「催花?」
「はーい!」
こうして、私の苦難の生活は終わり、薔薇色の学園生活が始まったのだった。