「……周りにロクな奴がいないんですね。」
長めです
先日開催された第一回勉強会はラブコメ空間に成り果ててしまった。
年頃の男女が一緒にいるのは良くない。酒池肉林の宴が始まるところだった。
しかし、物理と英語は多少、理解が進んだ気がする。
エレベーターや滑車の運動などはどうでもいいが計算はできるようになった。応用問題は自信がないが。
「おはよー。」
「あ、お早う。」
旭さんと青くんは今日も一緒に登校してきた。
土曜日、青くんは散々旭さんをからかっていたのでどうなることかと思ったが、互いに再び大きな傷を付けることで決着したらしい。
「元気があってよろしい!」
そういうことにしておこう。
「ついにテスト2週間前だね。
はー……。」
「土曜日頑張ったじゃん。いけるいける。」
「たった数時間で赤点が免れるとでも……?」
「大丈夫じゃない?豊平さん頭良さそうに見えるし。」
見た目がそうであっても中身がそうとは限らない。
「また勉強会しようよ。
……先輩も呼ぶからさ。」
旭さんが頬を少し染めて体を硬ばらせる。
「な、なん、」
「いやいや、今更しらばっくれても無駄ですよ。
勉強会やりたいでしょ?ってか先輩と会いたいでしょ?」
「……う、うるさい!」
彼女は肩を怒らせながらスタスタと歩いてしまう。
からかいすぎたかな。
「ごめんごめん、ふざけすぎ、た……」
慌てて追いかけると、彼女は前をまっすぐ見ていた。
その顔は険しい。
何事かと思って彼女の見ている方向を向いた。
「ハハ!何それ!マジお前頭おかしいんじゃねえの?」
「……そう、だな。」
階段の踊り場で、ガラの悪い男2人と日和先輩がいた。
日和先輩、絡まれてるんだ。
「あ……」
どうしよう、と思う間も無く旭さんが飛び出した。
「旭さん!?」
「わー!待て、あんたは行くな。」
後に続こうとした私の手を青くんが掴む。
「でも、」
「翠なんかゴリラと同じ檻に入れても無傷だって。
教室行ってな。」
「やだよ!
先生呼んでくる……!」
「いい、やめとけ。あんたは……」
青くんは何か言おうとした。
しかし、ハッとしたように固まると、私の腕を引いて旭さんの後を追いかける。
「……青くん?」
「……何が正しいのかもう分かんねえな。
1人にしても、誰かといてもダメだ。何しても八方塞がり。詰みだよ。」
「何言ってるの?」
「……その鈍感さが悪いんだよ。
でも安心して。俺はあんたのこと守るから。」
彼が何を言っているのかわからない。
青くんの手の熱さと苦しそうな顔しかわからない。
「翠が暴れないといいな。」
「え?あ、うん。」
私と青くんは階段を駆け上がる。
頭上から聞こえる旭さんの怒号に無理な話だったな、と虚しく思った。
踊り場では旭さんが日和先輩の横に立ち、ガラの悪い2人と対峙している。
私たちは少し離れた階段下で様子を伺うことにした。
「先輩のこと馬鹿にするなら、お前らの臓物抜き取って臓器バイヤーに売ってやるからな!!」
怒り方が激しい。
旭さんは目を吊り上げ、牙を剥き、男たちに今にも食らいつきそうだ。
言ってることはメチャクチャだが。
「は?なんだお前?」
「臓器バイヤーって……。
ってか、何?日和の友達?」
「いや日和に友達がいるわけないだろ!
……あー、てかお前、旭だろ?旭 翠。
知ってるよ。その顔利用してカツアゲしてくるらしいじゃん?」
男の1人が旭さんに手を伸ばした。
彼女はそれをはたき落とす。
「いって!
強いねー!さすがじゃん。
マジなんで日和のこと庇うわけ?」
「そうそう。こいつさー、まともに日本語喋れねえし人の話聞いてねえし。気持ち悪いんだよな。
お前も近づかない方がいいよ?」
ゲラゲラと笑い声をあげる2人。
その笑い方は私をからかっていた春田と同じものだった。
「お前らみたいなゴミクズがっ!先輩のこと悪く言う権利なんか無い!」
彼女は目を剥き男たちに襲いかかった。
私はその時、やっちまえ!と思った。
こんな嫌な奴ら、蹴散らせばいい。
こんな……いじめることしか出来ない奴らなんて……
「旭さん、ありがとう。」
日和先輩の手が、旭さんの手を引いていた。
「離してください!こいつらに思い知らせてやる!」
「必要ない。お願いだからそれはやめてくれないか?」
「なんでですか!」
「大したことじゃない。
本当のことを言われただけだから。」
先輩が男2人をチラッと見ると、彼らはバツが悪くなったのか「自覚あんのかよ」とボソボソ言いながら階段を下りた。
青くんが「情けねえな」と言って挑発するが、彼らはそれに乗ることはなく去っていった。
「本当のことってなんですか……」
「頭がおかしいとか、気持ち悪いとか。それは本当のことだ。
俺は……周りの人と同じ物が見えてないんだ。多分病気だろう。1人だけ目隠しをつけて海に放られたように思うんだ。
皆には当たり前に見えるものが、出来ることが、出来ない。
夢と現実が混ざるんだ。話してる時に夢を見ることもある。会話というものが出来ない。
だから怒らなくて良いんだ。」
そうか。
彼はわかっていたのだ。皆が日和先輩を嗤っていることを。
笑われていることはわかるが、それが何故かはわからない。
「ありがとう。
俺のことを庇ってくれて。
君と、豊平くんと、旭くん。3人とも。」
先輩が私達を見て悲しそうに笑う。
「……私は何も……」
「怒ってくれただろ?
それに豊平くんは俺の……俺が訳が分からなくなるといつも助けてくれる。」
そんなことしてただろうか?
私はただ、話を繋いでいただけで、先輩のことを庇ったことなんか無い。
むしろ私も先輩のことをどこかおかしく思っていた。
「君たち3人と仲良くなれて良かった。あまり、人と仲良くなれないから。嬉しい。
……巻き込んですまない。あの2人はいつもああだから、今後はもう気にしないでくれ。」
先輩が俯いている旭さんの肩を叩いた。
これでもうこの話は終わり、と言いたげな。
「……ふざけないでください……!」
「えっ……?」
「ふざけないで!先輩は頭がおかしくも気持ち悪くもない!
本当に頭がおかしい奴は、周りの人間をどれだけ傷つけても平気な、自己中心的な奴!先輩とは全然違う!
先輩は人と少し違うだけで、どうしてあいつらに貶められなきゃいけないんです!?
会話が出来ないなら、今どうやって私と話してるんですか!
周りの人が出来ることが出来ないから病気なら皆病気ですよ!英語が出来ない豊平さんも、物理が出来ない私も、禁煙出来ない青も!」
旭さんは何故か、怒りを先輩にぶつけた。
眉根を寄せ、拳を握り、先輩に食ってかかる。
青くんタバコは未成年はダメだよ。
怒鳴られた日和先輩は最初ポカンとしていたが、やがて苦しそうに笑うと旭さんに抱きついた。
「ありがとう。
そんな風に言ってくれたの君だけだ。」
先輩の声は震えていた。
「……周りにロクな奴がいないんですね。
私もですけど。」
「俺がいるじゃん。」
「あんたが1番ロクでなし。」
「私は?」
「豊平さんって良い子かと思ってたけどそんなことなかった。」
「泣かないで、催花ちゃん。」
「目から汗が出てるだけだし。」
私は目元の涙を拭った。
そろそろ教室に戻らなくては。
「先輩、もうすぐチャイム鳴りますよ。
いくら美少女の体を堪能したいからっていつまでも抱きつくのはどうかと……。」
私の言葉に先輩はバッと旭さんから飛び退いた。
その顔は赤い。ついでに目元も。
「そ、そんなつもりじゃない!
……ただ……泣いてるところを見られるのが恥ずかしいから……隠れてただけで……ごめん……。」
「私はだ、抱きついててもらっててて、大丈夫ですよ!」
旭さんも顔を赤くし、両手を広げた。
欲のままに行動するなあ。
「……旭さんは優しいね。」
彼はフワリと微笑むと旭さんの目尻を親指で撫でた。
さすが先輩。やってることは気障男のそれだが恐らく気付いてないだろう。
旭さんは顔を更に赤くすると「キャパシティオーバー」と呟いてへにゃりとその場に座り込んでしまった。
「ご、ごめん。俺はまた変なことを……」
「翠は免疫がなくて……すみませんねえ。」
「痴漢は平気なのに……?」
基準が分からない。
「翠!早く立てよ!」
「わかってる。」
「わかってる、じゃねえから。」
青くんがイラついている。
姉のラブコメを見るのが精神的苦痛なのかもしれない。単純に僻みかもしれないが。
「もしかして俺のせいか……?」
先輩はオタオタして、旭さんの横に座る。
旭さんは赤くなった顔を見られるのが恥ずかしいのだろう、少し先輩から目を背けた。
「そ、そんなことはないです!」
「ごめん。安易に触れて。
君があいつらに怒ってくれたのが嬉しくて、ああなんて優しいんだろうって思ったら涙が溢れてきたんだ。
泣き顔を見られるのは恥ずかしいから思わず君に縋り付いてしまった。」
「気にしないでくだ……」
「そんな、縋り付いて情けないことしたのに君は振り払ったりしないで受け止めてくれた。
それが嬉しくて、あと愛おしくて、ずっとこうしてたいと思ってしまったんだ。
優しさに付け込むようなことをしてごめん……。」
へえ……言葉で人を殺す時ってこうするんだなあ……。
私は首まで赤くして涙目になっている旭さんを見てボンヤリ思った。
「あの先輩、わざとやってるんじゃ?」
「どうかな。そんな気がしてきたけど。」
わざとだとしたらタチ悪い。が、わざとじゃない方がもっとタチ悪い。
「旭さん?……怒ってる?」
「おおおおお怒ってないです。」
「そうか?ならどうしてそっぽを向いてるんだ?」
「……諸事情がありまして……。」
「諸事情?」
先輩は首を傾げ、旭さんの顎を掴んで自分の方に向かせた。
すごいよ先輩。本当にそれわざとじゃないんですよね?
「ひゃ……」
「顔が赤い……。多血症じゃ……」
「違いますから!
……せ、先輩が恥ずかしいことばっかり言うから……!」
「え?ごめん、恥ずかしいこと言ってたか……?
どんな?」
「言わせるんですか……」
羞恥プレイ、というやつが始まったようだ。
それは関谷先輩と松川さんがやってればいいやつだ。
そろそろ助けに入るべきだろう。
「先輩〜、それは私が教えてあげますからそろそろ旭さんを解放してください。」
「ん?ああ、ごめん。」
日和先輩は旭さんから体を離すと彼女の手を握って立たせていた。
「つまり両思いってこと?腹立つなー……。」
「まあまあ、おめでたいことじゃん。
これで旭さんもすぐに暴力に訴えることはしなくなるよ。」
「どうだか。
……あ、俺も可愛い恋人出来たら暴力振るわなくなるかも。」
「……そうかな?そうだったらドメスティックバイオレンスなんて無くなると思うけど……」
「そうだよ。
だから俺と付き合わない?」
「旭さんがまた立てなくなってるよ。」
私が彼女を指差すと、青くんは嫌そうに顔をしかめた。
このままじゃ旭さんは一生ここに座り続けるだろう。
「蹴飛ばしてやりてえなあ。」
彼はため息ひとつつくと旭さんの方に歩き出した。
しかし不意にこちらを振り返ると私の鼻をつまんだ。
「あんたも案外わかりやすいよね。」
ニンマリと笑い、青くんはパッと旭さんの方に行ってしまった。
……また揶揄われてしまった。
青くんは旭さんの首根っこを掴むと「ちょっと喝入れてくる」と言い階段を駆け下りた。
旭さんの体がガンガンと階段にぶつかる。
旭さん……!
「私たちも戻りましょうか。」
先輩に声をかけると、先輩は思案顔で私のそばに駆け寄った。
「うん。
それで、俺の言った恥ずかしいことってなんだ?」
「愛おしいとかずっと抱きついてたいとか。」
「それは……恥ずかしいのか?本当のことなんだが……。」
「そういうところが……。
照れちゃうんですよ。先輩も誰かに好き!とか愛してる!って言われたら照れるでしょう?……いや、照れないか……。」
「確かにそれは照れ臭いな。」
おや、先輩にもそういう感情があったのか。
「でもどうなんだろうか。
俺が……俺だしな……。俺に言われたところですり抜けて透明に、飛んで行っちゃうんだ。黄色いクラゲみたいに……。」
「先輩に言われたから嬉しいんですよ。」
「……それは無いんじゃないか?
旭さんは美人だけど、俺はこんなだし。」
先輩は腕を広げ「これはいかがなものか」と言った。
「いつもの先輩ですよ。」
「そうじゃなくて……俺が彼女なら俺なんか歯牙にもかけない。」
「釣り合いが取れてないと?」
「そう!そういうことだ!」
「何言ってるんですか。旭さんは人格破綻者ですから、先輩みたいな聖人にいてもらわないと。」
「ジンカクハタンシャ……?」
「なんでもないです。」
わざわざ旭さんが人格破綻者であると伝える必要もないだろう。私は咄嗟に手を振って話を終わらせた。
「豊平くんは優しいね。いつも助けられてるよ。」
どうしてそういう話になったのかわからないが、それはいつものことだ。
私は先輩の言葉に首を振った。
「……そんなことないです。だって、私も……先輩のこと、笑ってますから。」
「それなら俺だって、豊平くんのこと笑ってる。」
「え」
「ごめん。豊平くん面白いから……。」
「私が?」
先輩に面白いと言われたらおしまいじゃないか。
「うん。面白いところは沢山あるけど……。でも、1番面白いのはアレかな?」
日和先輩は階段の下を指差した。
何もない。
アレってなんだ?
「どれです?」
「いつも君の後ろにいる人。
ずっと君を見てる。」
面白いよね、と先輩はニコニコ笑う。
いつも、私を?
体がブルっと震えた。
私の後ろに何がいる。
「友達じゃないよね?話してるところ見たことないし……。
それに……いつも睨んでる。」
背筋が凍る。
何が見えてる?これも先輩の妄想?
「や、やめてください。私怖い話得意じゃないんです。」
「怖い?どこが。」
「その誰かって先輩にしか見えてないやつなんじゃ。つまり……幽霊のような。」
「そんなことない。授業を受けてるの見たことあるよ。
それに睨んでるのは君を、じゃない。俺だ。」
「え?」
「君と話す俺を睨んでる。
相当暇なんだろうな。面白いよ。」
先輩は本当に愉快そうに笑っている。
どこが面白いんだ!?私は恐怖で身が動かない。
私の後ろに何がいる。
私の後ろで何をしている。
やっぱり幽霊なんじゃ……お祓いに行くべき?
「死にたくない……」
「大丈夫。豊平くんは殺されでもしない限り死なないよ。」
*
日和先輩と話をしてから足の震えが止まらない。
何故あんな話を聞いた後に、理科室に行かないといけないんだろう……1番出そうじゃないか。
なんだろう……後ろにいるって……。
幽霊、お化け、妖怪、幽波紋、どれ?
「豊平さん……大丈夫?」
顔を上げると松川さんがオドオドとした様子で私の顔を覗き込んでいた。
ひどい顔をしていたようだ。
「松川さんってお祓い出来たりする?」
「ごめんなさい、鞭打つくらいしか得意じゃなくて……。」
「それはもしや謙遜してるの?
……あ、英語のノートありがとう。すごくわかりやすい。
もう少し借りてていい?」
「もちろん!」
ありがたい。遠慮なく読むこととしよう。
「……あんた……すごい顔色してるけど。」
後ろから声をかけられた。愛宕だ。
「ちょっとね。
ねえ、お祓いとか出来る?」
「ついに祟られたのか。
普通の高校生にお祓いなんか出来るわけないでしょ。」
「ハハ、もしかして自分を普通の高校生だと思ってる?面白いなー。」
普通の高校生は淫売なんて言ってこないし、複数人と付き合ってる女に殺意を抱かない。
「ウッザ。
で、何?何が取り憑いてるの?」
「私の後ろに何かいるらしい。」
松川さんと愛宕は怪訝な顔で私の後ろを見た。
何もない。
「…………そこまで追い詰めてごめん。」
「授業、私ノート取っとくし……ゆっくり休んで?」
あれ?この反応。
モルダーあなた疲れてるのよ、と同じ響き。
幻覚を見てると思われてる?
「ち、違うよ!日和先輩がそう言ってたの!」
「……あの先輩いつも変なことしか言わないよね……。」
松川さんが口元を歪めて遠くを見た。
「話したことあるの?」
「……私と目があうたび関谷先輩とバオバブの木の話をしてくる……。」
本当に変なことしか言わないな。
「いいじゃん、関谷先輩との仲を持ちたいんだよ。」
「いや、バオバブの木って意味わからないでしょ。」
「バオバブの木は良いんだけど……関谷先輩のこと言われても……。
2人とも害虫が部屋に入り込んで殺そうとしてる時に、害虫は大事にしなきゃダメだよ!って言われてもは?ってならない?」
関谷先輩のこと害虫だと思ってるのか。
松川さんのこともよくわからない。
「それはまあ、なるかも。」
「本当に鬱陶しい……。」
松川さんが眉を寄せため息を吐いた。
関谷先輩の恋の成就は遠いようだ。
「……それで、そこで死んでる旭姉はなんなの?」
愛宕はちょっと嫌そうに、ずっと机に突っ伏している旭さんを指差した。
実はあれ以来ずっとこんな感じなのだ。
「旭さんにも春が訪れました……。」
「そうなんだ……!おめでとう!」
松川さんは嬉しそうに笑って拍手をした。相手は松川さんにバオバブの木の話しかしない日和先輩ですけどね。
「へえ、旭姉にも人を好きになる感情があるんだ。」
「こう見えても旭さんは純情だからね?」
「俄かには信じられない。」
そんなことないのにね、と旭さんに声をかけるが返ってきた返事は「青……殺してやる……」という呻き声だった。
「……殺害予告してるじゃん。これのどこが純情。」
「あれ?おかしいな。さっきまでは確かに……。
旭さん?どうしたの?」
「ぶっ殺す……臓物引きずり出して切り刻んでやる……」
「どう見てもサイコパス。」
どうしてこんなことに。
「旭さん……青くんに何されたの?」
「あいつ、男のくせにねちっこいんだよ。グダグダうるさいし、その癖ビビリだし。大口叩いてるけどいざという時は逃げるね、絶対。喧嘩弱いもん。」
また喧嘩したようだ。
双子って仲がいいと思ってたけど、全然全くそんなことないんだなあ。
「青くんと喧嘩しちゃったの?」
「なーにが青くんだ!あいつなんかのことそんな優しく呼ぶな!ヘタレって呼んでやれ!」
「も、もしかしてお酒飲んだ……?」
「アルコールランプならいっぱいあるけど。」
やさぐれている。
これから授業が始まるが、受ける気あるんだろうか。
「大体なんで私は旭さん呼びなのに青のことは下の名前で呼ぶの?」
「青くんがそう呼べって言ってたから……。苗字だとどっちかわかんないからって。」
「ハー!手が早いな!本当に、クソ!」
情緒不安定なの?
「ってことは最初から狙ってたってわけ?いつから……何がしたい……。
クソ、イライラするな……。」
「あ、旭さん〜?」
「良い、わかった。私のことは翠ちゃんと呼びなさい。青のことは旭くんと呼ぶように。」
「どうして……。」
「反論禁止!」
「わかりました、翠ちゃん!」
私の敬礼と共にチャイムが鳴った。
私たちは各々の席に戻る。
旭さん……いや、翠ちゃんはちゃんと授業を受けるんだろうか。
先生が少し遅れて教室に入る。
テスト期間なので忙しいのだろう。
先生は挨拶もそこそこに授業を始めた。
「……だからここの答えは…………ん?」
先生が不意に顔を上げた。
どうしたんだろう?視線の先を見ると春田が冷却スプレーをしているところだった。
教室中に爽やかな匂いが蔓延する。
「春田!何やってる。」
「あー、すんません。汗かいちゃって気持ち悪いんで……」
「ここではやめなさい。
今は物理の授業をやってるが、そういうスプレー類は危険だから持ち込み禁止だ。」
授業中に何やってるんだ。
そういう呆れた視線が春田に突き刺さる。
「すみませえん。」
「スプレーでの火事は多いから気をつけるんだ。
そうだ、この機会だからスプレー缶について講義しておこう。」
先生はテスト期間ということを忘れたのか、すっかり教科書と離れた話を始めた。
おいおい、冗談だろ?テスト範囲まだ終わってないんだぜ?
小粋なアメリカ人のように笑いたいが、そんな余裕はない。
私は春田を睨むことで精一杯だった。