『滅亡世界大戦』
「世界が終わり」、確かにそう言った自称‘‘神’’の言葉に、未だ誰一人として反応できずにいる。
それをさせるのは、彼の威圧感と彼が放った言葉の意味の突拍子のなさだ。言葉は一字一句間違うことなく耳に、抉じ開けて侵入してきていると言うのに、その意味を理解するための脳が働いていない。世界の時が止まったようなこの空間のせいで脳が働かないのか、はたまた、言葉の意味を理解したくなくて、本能的に脳の働きを停止させているのかは、誰にもわからない。
今分かること、確実に言えることは、誰も動けず、脳も働いていないという、ただ一点のみ、である。
終わりを見せぬ静寂。それをすぱっと軽く切り裂いて見せたのは、またもや彼の言葉であった。
「あ、あれれー? みんな信じてない?ないの? そうかー、残念だなー。この僕が言うことを信じてくれないのか。そうかそうか。自分たちの産みの親の言葉を信用できないというのか。君たちは、実に、薄情だね。悪劣だね。非道だね。正に、外道とも言えるね。『他人のことは信用するな、全て疑って掛かれ』、みたいな育て方をされたのかい?ほんと、親の顔が見てみたいよ。って、それは僕か。あはは。ねえ、みんなは、今の僕の惨めな気持ちがわかるかな? わからないよね? よね? 自分が生んだ子供達に、一切信用してもらえない、この惨めで惨めで、悲しい気持ち。わからないよね? わからないでしょ。でもね。僕にはわかるよ、君たちの気持ちが。それこそ、手に取るようにわかるよ。ああ、わかるさ。わかるとも。なんたって僕は、正真正銘、全知っ!全能のっ!‘‘神’’だからねっっ!!」
誰も反応を返さない様子を見て、自分が‘‘神’’と呼ばれる存在であることを信じていないのではないか、と、とんだ勘違いをした‘‘神’’は、およそ検討違いな言葉を矢継ぎ早に連ねる。
まさか、これだけの存在感と異常性を発揮する彼を‘‘神’’でない、などと言う人間は、少なくとも彼を直接目にするこの場の中にはいるまい。
「うーん。どうしたら信じてくれるのかなぁー? 人間風情が他の誰でもなく、この(・・)、僕に頭を使わせるなんて、ほんと、自分達の価値を見誤ってるよね。普通は僕が言うことなんだから、何も疑わず、そのまま言われた通りのことを迷わず信じて、呑み込んで、信じ込まなくちゃいけない筈なんだけどなぁ。そもそも、僕の言葉に一瞬でも、一片でも疑いを持っちゃいけないんだ。僕の言葉がこの世の全て。それが当たり前。それがこの世の摂理だ。人間は人間らしく、自分が人間として生まれてきて世界を汚してしまったことを懺悔しながら、慎ましく生きるべきだと僕は思うんだよ。ましてや、全知全能の‘‘神’’である僕の手を煩わせるなんてもっての他だ。自分達の価値が、この世の底辺だってことに気付いていない、正真正銘の馬鹿もいるし、ほんと~~~ぅに、困るんだよね。迷惑だ。生まれながらにして他人の脚を引っ張ることしかできないようなクズは、ゴミクズは、今すぐに失せろ。散れ、消えろ、滅びろ、死ね。そして、死ね。それにね。もっと、僕の苦労を考えて敬うべきだと思うんだ。と言ってもまぁ、僕の崇高な考えを理解して、僕の仕事の苦労を知ることなんて、君たちみたいな無能じゃ無理だけどね。というか、僕のやる事なす事を人間如きが理解できるはずもないのに、想像しようとすること自体、烏滸がましいことだけどね。それでも多少は、僕みたいな高尚な存在が君たちよりもずぅっとずうぅぅぅぅっと苦労していることくらいは、考えずとも分かるよね。ちょっとくらい、気を使えてもいいと思うんだけど、人間にそれを求めるのは、流石に苦かな? それに引き換え、僕って、優しい! 穢らわしい人間は、生まれた瞬間に自ら死ぬべき下等な存在だって言うのに、生き続けることを許可してあげてるんだから! やっぱり、全知全能の‘‘神’’である僕は、どんなに醜くて生きているだけでも他の種族の足を引っ張るようなゴミクズでも、その存在の意を汲んであげるべきだからね。ああ、憎いっ! 僕は、僕の懐の深さが憎いっ! 怖いほどだ!」
‘‘神’’の独白は続く。
「こほん。話が逸れたようだね。とにかく僕は全知全能の‘‘神’’なんだよ。もう説明とか説得とか掌握とか洗脳とか面倒くさい。だから手っ取り早くいくね? 僕が‘‘神’’であることを信じられない奴は今すぐーーーー死ね」
ドクンッ!
この場にいる全員が心臓を直接触られたような感覚を得た。身の毛がよだつ。間違いなくこの世で、最も不快な感覚。命に直結する、大事な、本当に大事な器官を握られる。命を物理的に握られる、そんな感覚。その不快感から逃れるために、心臓が大きく跳ねた。
たった今、間違いなく思考の精査が行われた。体内に何かが流れ込み、血流に乗って一周、体の隅々まで動き回った、否、蠢き回った。
安らかに死んだ方が数百倍も数千倍もましだ、と100人中100人が断言するようなおぞましい感覚を身じろぎ一つ許されぬ中で、失神も発狂も禁じられて無理矢理に耐え抜かされた結果ーーしかし、死者はいなかった。
やはり、彼を‘‘神’’ではないなどと考える愚か者はいなかったらしい。
「なんだ。なんだ、なんだ。みんな僕が‘‘神’’ってちゃんと理解してたのか。だったらちゃんと返事は返すべきだよね? 何か反応するべきだよね? そうだよね? 誰かと会話する時は、話の途中途中で相槌を打たなきゃだよ。人間は、僕みたいな価値のある、唯一無二の存在じゃなくて、うじゃうじゃ、それこそ、掃いて棄てる程いるんだから、それくらい知ってるんじゃないの? 知らないの? 知ってるよね、知ってるでしょ。それとも、もしかして僕は会話をするに値しないとでも思ってるのかな? もしかしてそうなのかい? そんなこと思っちゃってるのかい? 全知全能の‘‘神’’である僕の声を聴き、姿を目にして、わざわざ会話までしてあげよう、っていう僕を会話するに値しない存在だとでも言うのかい? ーー思い上がるな、人間」
グンッ! と空気の圧力がさらに強まる。これ以上強まれば、脆弱な人間では、ぐしゃぐしゃに潰れてしまいかねない。
「第一ね。僕の声を聴いたなら、自分から耳を引き千切って、僕の姿を目にしたなら、自分から眼球を潰すべきなんだよ。それが当たり前だよ。身の程を知るべきだ。そのくらいのことはいくら価値が皆無の存在である人間でもできるでしょ。もしそれもできないなら、もはや生物であることすら疑うね。蝿は蛙には近づかない。蛙は蛇には逆らわない。蛇は鷲には挑まない。それは何でかわかるかい? それはね、この世には、絶対的な、覆すことの出来ない序列と言うものがあるからだよ。つまりは、皆、自分達が収まるべきところをちゃーんと理解し、そこからはみ出ないようにして生きてる、って事なんだよ。そこで、もし君たちがーー人間が、身の程を弁えることを知らないって言うんだったら、本当に人間っていうのは生物の分類に入るのだろうか。絶対に違うよね? ね? 僕だったら、生まれて来たことが恥ずかしくて、恥ずかしくて、自分で自分の首を絞めて死にたくなるよ。人間ってのは、本当に馬鹿で愚かでーー可哀想な存在だね」
たった一人、たった一柱で長々と話を続ける。
「ああ、また、話が逸れちゃったね。これは僕の悪い癖だ。許してね。ま、許すもなにも、僕のありがたーい言葉を長いこと聴けるんだから本望だよね。寧ろ、本望じゃない奴は死ぬべきだ。今すぐ死ぬべき。ーー死ね。って、またまた話が逸れてるや。全く、僕のばか」
と言って、自らの拳で軽くこつんっ、と頭を叩く‘‘神’’。完成された美の体現である彼がすれば、普通の男がやれば間違いなく気持ち悪がられる行為でも、誰もが見惚れるものになるようだ。
話は続く。
「じゃあ、本題に入ろうか。僕も君たちに何時までも構ってあげられるほど、暇じゃないからね。じゃあ、まず、僕がわざわざここに来た理由なんだけど、さっきも言った通り、『世界はもう終わり』っていうことを伝える為だね。この世界を創ったはいいんだけど……正直、飽きちゃったんだよね。もう、飽き飽きさ。それに、維持するためのエネルギーも無駄だからね、って言ってもエネルギーさえあれば、維持するのはほとんど全自動だけどね。まぁー、とにかくだよ。もう飽きたから消そうと思ってね」
あまりにも簡単に世界の終わりを宣言する‘‘神’’。それだけ、この世界の滅亡が取るに足らないことなのだと、よく解らされる。
「最初は魔物で全員狩り尽くしてしまってから、崩壊させようと思ったんだ。でもねー。さすがに簡単に壊してしまうのも勿体ないと思ったんだよ。つまらないって思ったんだよ、僕は。そこで、すぅぅぅっっっごく、いい考えが思い付いたんだよ!」
自らが、一月前から続く、魔物の狂暴化の原因であり、王国を揺るがした原因であると、呆気なく暴露した。
その事実もまた、彼には取るに足らぬ事なのだろう。気にした様子もない。
言いながら興奮して熱くなってきたのか、握り拳を振り上げる。
「ゲームだ! ゲームをするんだよ!」
プレゼンテーションでもするかのように、身ぶり手振りをしながら続ける。
「プレイヤーは全知全能の神である僕と! この世界に棲む『人族』『精霊族』『獣人族』『魔族』全員ッ!!」
彼の興奮は最高潮に至り、
「僕ーーアンラ・マンユの名に於いて!」
手を大きく広げ、
「ここに!」
叫ぶ!
「【滅亡世界大戦】の開戦を宣言するッッ!!」
世界を賭けた闘いの幕が開けた。
× × ×
‘‘神’’ーー‘‘アンラ・マンユ’’は、未だ話を続けていた。
「宣言は終わったんだけど、最低限のルールは決めとかなきゃね」と言って、‘‘アンラ・マンユ’’が出したルールは、白斗含む人間側へのハンデのような物であった。
白斗を含む【アンティー・ゴッド】ーー神によって便宜上、人間側の集団を‘‘反神’’を意味するアンティー・ゴッドと名付けられたーーの為にハンディーキャップとして作られたルールは以下の3つ。
第一は、‘‘神’’の行動開始は3年後、ということ。
それまでは、魔物の狂暴化をはじめとしたあらゆる殲滅行為、並びに戦闘準備の阻害を一切行わない、とのことだ。
このルールの意味するところは、勿論、【アンティー・ゴッド】へのハンデの為、と言うのもあるが、人族の王国【ジパング】の最高戦力育成学校である【ジパング対魔物高等学校】の生徒がまだまだ未熟すぎる為に、楽しめないのではないか、と‘‘アンラ・マンユ’’が危惧したのだ。
彼は、どこまでも自信があり、実際、彼に対峙する白斗達は、この怪物を打ち破るほどの戦力を用意することが出来るなどと、夢物語にすら思えない。無理、無謀。その言葉のみが頭に浮かぶ。
「それに……」
そう言って、一人の人間を見る。白斗だ。
全体に向けられていた意識が、白斗という一点に収束しただけで、白斗は意識が飛びそうになる。が、そんなことは‘‘神’’に許可されていないので、不幸中の幸いで失神することで‘‘神’’の存在を無視して不興を買うことにはならなかった。
「お前みたいなゴミの中のゴミもあることだしね」
そうして、道端に落ちる犬の糞を見るかのような、それよりも汚い物を見るような蔑んだ視線で白斗を射抜く。
「人間の中ですら必要とされない無能。ぷっ、ほーんと、こんなのにも生きるだけの場所を提供してあげてるのか。人間も案外、捨てたものじゃないのかもしれない。思ったよりもずっと優しいんだね。くくくっ。あはははっ」
「僕の中で人間の価値が少しだけ上方修正されたよ。本当にごく僅かだけどね」と人間を心底馬鹿にするようにニヤニヤと嗤い、時折噴き出しながら歩みを白斗に向けて進めてくる。
一歩近付く度に、さらに圧力が強くなっていく。あまりの圧力に、血液が沸騰を始めそうな予感までする。
一歩、また一歩。ゆっくりと、白斗の次第に苦痛で歪んでいく顔を見て、味わうように、噛み締めるように、楽しむように、近づいていく。
そして、白斗の目の前で立ち止まった。
「無能くん。ぷっ。‘‘技能’’が一つも無いなんて、君ってほんとに無能なんだね。ぷふっ! 君みたいのが【滅亡世界大戦】に紛れ込んでたりしたら興醒めだからね。3年間の内にちゃんと振るいに掛けてくれよ、人間共?」
‘‘神’’はいいことでも思い付いた、とばかりに顔を醜悪に歪ませ、白斗から視線をはずして周囲に向けて話を続ける。
「人間もこんなのを生かしたくもないのに。こんなゴミクズの為に生きる土地を狭めたくなんてないのに。生かしてあげてるなんてやっぱり優しいね。そんな君たちに朗報です!」
再び視線が白斗に戻される。
「手をゴミクズの為には汚してあげられない君たちに代わって、この僕が! ‘‘神’’であるこの僕が! 君たちの優しさに免じて、君たちの安寧の為に、この手を汚してあげよう!」
死刑宣告。
白斗への死刑宣告だった。
‘‘神’’は心底面白い、というような表情を浮かべながら、ゆっくりと白斗の顔に掌を向けていく。
この時、白斗は昔の記憶を思い出していた。
大切な、家族の一人だった彼女。
自分の命を救ってくれた彼女。
体に沢山の傷を負いながらも、必死に守ってくれた彼女。
そしてーー
彼女を見捨てて逃げた自分。
白斗は、彼女を置いて逃げ去り、彼女は、命を落とした。
そんな過去を持つ白斗は、自分がこの場で誰かに助けられるなどとは微塵も思わない。当然だ。このクラスにいる生徒達には「無能」と疎まれ、蔑まれてきたのだ。それに加えて、自分自身、大切な家族を見捨てて逃げたことがあるのだ。大切な人どころか友人一人いない白斗を、異様な存在感を放つ‘‘神’’に楯突いてまで、命懸けで助けようなどと思う、頭のネジが飛んだ人間はこの場にいないだろう。
と、思っていた。‘‘神’’すらも、そう思っていた。
「君はこれから僕に殺される。だけど、僕を怨み、憎むのはお門違いだからね。怨むなら、憎むなら、自分の無能さか、君を無能に生んだ親にするんだね。さぁ、死ーー」
「…………て……」
「ん?」
「や、め…………て……ッ!」
「ほう……」
許可していないにも関わらず発言し、あまつさえ‘‘神’’である‘‘アンラ・マンユ’’の行動を阻害した彼女に、驚嘆と称賛と侮蔑と鬱憤の感情がごちゃごちゃにない交ぜになった表情を向ける。
「許可もしていないのに言葉を発した上、私の行動を阻害するだけに飽きたらず、私に意見するとは、君はよっぽど死にたいようだね、桜庭 希」
「ーーっ」
怒気が原因の大半を占めた、威圧が希に直撃する。
そのまま、白斗に向けていた掌を希に向けていきーーーー思い直したように、直ぐ様下ろした。
「まぁ、いい。今は殺さないでおいてあげよう。折角の楽しみが減ってしまうからね。ただーー君は僕を不愉快な気持ちにさせた。次に会ったときは……そうだな…………指を一本ずつ、歯や眼球を生きたまま抜いていくのがいいか…………あっ、いや。ゴブリンとかオークを大量に集めて、その中に投げ込むというのも……」
‘‘アンラ・マンユ’’の悪劣非道な、正に外道とも言うべき言葉を聴いて、その状況を幻視したのだろう。もしかしたら、幻視させられたのかもしれない。希の顔は真っ青になり、それを通り過ぎて土黄色に染まっていた。
「おっと。話の途中だったね」
そして、まるで何もなかったかのようにルールの続きを話し始めた。
第二は、‘‘神’’に直接対決を挑む際のパーティーには、『人族』『精霊族』『獣人族』『魔族』の全種族が含まれていること、というものだ。
【滅亡世界大戦】はあくまでも、‘‘アンラ・マンユ’’対【アンティー・ゴッド】の闘いなので、【アンティー・ゴッド】は人類の連合軍らしく全ての種族が力を合わせるべきだ、と考え、設定したのだ。
そして、最後のルール。
「それは」
一呼吸置いて。
「仲良く、元気に、楽しみしましょうっ!」
世界の存続をーー命を賭けた闘いを楽しむことができる筈などない。そんな当たり前の気持ちを無視したルールを平然と言い放つ‘‘アンラ・マンユ’’。
世界の滅亡までのカウントダウンは、確かに、開始された。