『世界の崩れる音』
風によって、日に暖められてぬるくなった空気と共に、木刀のぶつかる乾いた音が運ばれてくる。
「はああッ!」
木刀がぶおんっ、と音を鳴らして空を切る。
「腰が引けてる! やる気あんのか! 月無ッ!」
木刀を軽く払われて、手を打たれる。
「うおおおッ!」
「甘い、甘い、甘いッ!!」
脚を打たれる。
膝がガクッと落ちる。
体側を打たれる。
身体が倒れるように、横に転がる。
喉元に突き付けられる。
「…………参りました……」
「ふぅ~、よし! 休憩しろ」
「はい……」
「返事はもっと大きく、もっと鋭く! そんなんじゃ、実践で声が通らんぞっ!」
「はいっ!」
痣だらけになり、傷んだ身体でふらふらと木陰に倒れ込む。
「おい、無能 お前相変わらず弱えな」
「まじで、そうだよな」
「ほんとほんと。さすが無能だ」
そう言ってギャハハと笑う雑魚三人衆。ムカッとはするが、事実なので言い返すこともできず、黙り込む白斗。
周りから色々言われているが取り合わず、返事の代わりに、小さい小さい溜め息をつく。そして、右手首に着けた腕時計型の装置に手を翳して呟く。
「オープン」
半透明の板が浮かび上がって来た。
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月無 白斗 17歳 男 Lv.3
天賦:
筋力:30
体力:30
耐性:30
敏捷:30
魔力:30
魔耐:30
技能:ーーーー
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「はぁ~」
溜め息をついて、肩を落とす。
この動作を今までに幾度、繰り返してきたことか。高校に入学してからすでに二年目である今まで、勉強をさぼったり授業を休んだりしたわけではない。
ある程度はしっかりとこなしている白斗ではあるが、誰にでもーーそれこそ100人中100人が与えられる、天賦の才が、空欄になっている。つまりは、全く才能がなく、全ては努力でのみ決まるということなのだ。
努力をするのは当たり前だと唱える人もいるだろう。それは、ある意味において正しく、ある意味においては間違いである。
天才と凡人の間には、成長率並びに成長限界の隔絶した差が存在する。言うまでもなく、天才の方が凡人よりも圧倒的に成長が早く、成長限界が高い。つまり、凡人がいくら努力しようとも、天才に叶うことは有り得ないということに他ならないのだ。
とは言うものの、先程も言った通り、「努力をするのは当たり前だ」というのは、ある意味においては、正しい。と言うのも、人が各々の成長限界に至るまでには、例え成長速度が途轍もなく早かろうとも、それ相応の努力が必用になるからだ。
つまり、努力しない天才には、努力した凡人が打ち勝てる可能性も少なからずある、と言うことなのだ。
しかし、白斗のステータス。努力が形として現れる、‘‘技術’’欄が空欄になっている。すでに自明のことだが、白斗のやる事なす事が努力に値しないということだ。
証拠に、何時もチャランポランとしている雑魚三人衆のステータスを思い出してみればーー
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雑賀 亮太 17歳 男 Lv.7
天賦:剣士
筋力:90〔+20〕
体力:70
耐性:80〔+10〕
敏捷:100〔+30〕
魔力:70
魔耐:70
技能:斬撃速度〔小〕・筋力〔中〕・耐性〔小〕・敏捷〔中〕
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魚島 英介 17歳 男 Lv.5
天賦:拳闘士
筋力:70〔+20〕
体力:50
耐性:50
敏捷:60〔+10〕
魔力:50
魔耐:50
技能:筋力〔中〕・敏捷〔小〕・爆拳〔弱〕
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三田 和男 17歳 男 Lv.5
天賦:槍騎兵
筋力:60〔+10〕
体力:50
耐性:60〔+10〕
敏捷:50
魔力:50
魔耐:50
技能:筋力〔小〕・耐性〔小〕
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白斗は苦笑する。
脳内では、雑魚三人衆などと呼んでいるが、ステータスのただ一つすら勝てないのだ。
この学校はそもそも、国の戦力を育成するためのプログラムが組まれ、将来は兵士や騎士、傭兵などになることを望むもののみが集まる場所であるが故、必然的に‘‘天賦’’には戦闘系の職業を持つ者がほとんどだ。
加えて、この‘‘天賦’’にしたがって、手に入れやすい‘‘技能’’も変化し、それを獲得すれば、さらに‘‘天賦’’を生かすことができる。つまり、‘‘天賦’’はステータスを大きく変動させる程の力があるのだ。
とにかく、何の才能も持たない白斗には、この世界の現実は厳しすぎるということだ。
「まぁ、俺だから仕方ない」
微妙に卑屈な性格の持ち主である白斗は、その現実を受け入れている、というよりも、諦めている。以前は、他の子供たちと同様に英雄になることを夢見ていた白斗。
だがしかし、数年前からは、そういう考えは一切浮かぶことはない。無能な自分が何かを守ったり助けたり、何かを成し遂げることなど出来る筈がないと思い込み、完全に諦めきってしまっているのだ。
未だ17歳という若さで人生に疲れきったような雰囲気をもつ白斗は、やはり人生を知った気になっているだけの、思春期の子供に相違ないだろう。ただ、思春期だから、という理由だけでは、説明できないほど妙に人生を達観している様子ではあるのだが。
「今日はこれで授業は終わりだ! すぐに教室に帰れ! 飯だ、飯!」
今日の午前の授業は終わったようだ。これから昼休みなので、腹を空かせた生徒たちは我先に、と教室に駆け戻っていく。
白斗も今日は先生に散々しごかれたので、早々にグラウンドを後にしようとしたのだが。
「月無! ちょっとこい!」
そう言って、先生が、グラウンドの中心辺りで手招きをしている。
「はい、何でしょうか?」
何となく、この熱血先生が何をするために白斗を呼びつけたのかはわかっているのだが、念のために聞いておく白斗。
その質問にも答える前に、すでに先生の手には二本の木刀が持たれていた。
「これから、特別に稽古をしてやる! さあ、構えろ!」
木刀が白斗に向けて投げられる。
慌てて取ろうとして取り損ね、地面に落とす白斗。どんくさい。投げ渡されたときに、取り損ねる、というのは、どうしてか非常に恥ずかしく感じるものだ。地面に落ちた木刀を拾い上げる白斗も、顔が少し紅くなっている。
「「よろしくお願いします!」」
木刀を腰のところに差したような状態で持ち、互いにお辞儀をする。これから、相手と打ち合うが、その前に相手に敬意を払うのは当然の事だ。先生と白斗もそれに倣って、礼をする。
先生が正面に木刀を構えた。
軽く息を吐くと、白斗もまた、木刀を中段に構える。
一言も発さず、目の前の相手に集中する。
静かに。ひたすら、感覚を研ぎ澄ませる。
そして、一陣の風が吹いた。
同時。
「はあああッ!」
白斗が刀を振り上げた。
先生は動かず、ただ見ている。
前に踏み込み、そのまま脳天に振り降ろす、が。
「遅いッ!」
パァァンッ!
「うっ!」
一瞬の内に、刀は弾き飛ばされて白斗の手元を離れ、逆に身体に打ち込まれた。
「月無! 踏み込みが甘い! 刀がぶれている! そして、相手をよく見ろ!」
「はいっ!」
「次だ!」
「お願いしますっ!」
それから暫く、二人は何度も何度も、木刀を打ち合い続けた。
× × ×
「ふぅ~」
疲れを身体から押し出すようにして息を吐く。あれから白斗は、昼休み終了間際まで先生と打ち合いを続け、昼食を食べ損なった。
今は調度、昼休み後の授業も終わり、閉店時間直前の売店でパンやら飲み物やらを買って、今日の残り1時間の授業のために、教室に戻ってきたところである。
「何か疲れてるね、月無くん どうかしたの?」
「あっ、桜庭さん」
惣菜パンーー白斗は特に焼きそばパンが好きだーーの袋を開けたところで、本日二度目の登場を果たした、学校の女神、その名も桜庭 希。
どうして構ってくるのかは、全くもって謎なのだが、きっと一人でいる白斗を可哀想に思って気を効かせて話し掛けているのだろう。白斗としては、そんな気遣いいらないから! 話し掛けてこなくていいから! と、時間をおう度に痛みが増してくる視線を避けるために、声を大にして主張したいところである。そんな度胸があればだが、自分に自信がなく、卑屈な性格の持ち主である白斗は、言うまでもなく、そんな度胸を持ち合わせていない。
「ちょっとね……」
そう言って疲れた表情を浮かべる白斗。
「もしかして、またあの先生? 面倒見が良くていい先生なんだけど……ちょっと熱血過ぎるよね」
「うん……能無しの俺を見てくれてるのには、感謝してるんだけどね……」
「あはは……」
会話の途中で自然と織り混ぜられた自虐的な言葉に苦笑する希。その様子を見て、根性のねじ曲がってしまって、当たり前のようにそう言った言葉を使ってしまい、自覚のない白斗は、首を傾げる。
「にしても、よく体育の先生の事だってわかったね」
「そりゃあ、わかるよ。だって昼休みの終わり頃に戻ってきた月無くん、何回もため息ついてたし。いつもより多いくらいだったもん」
「うーん? そんなにいつも溜め息ばっかり吐いてるかな? 自分じゃよくわからないや」
「吐いてるよ。いつも見てる私が言うんだから間違いないよ!」
と強く言い切って、豊満な胸を張る希。しかし、その言葉を白斗含めたクラスメイトの皆が聞いてしまっていた。
視線が集まる。中には明らかに殺気を放つ男子生徒までいる。
希の言葉の真意を確かめるために、問う白斗。
「えーっと……いつも見てるって……?」
「うん? そりゃ、言葉のままの意味…………はぅわあっ!? ち、違うよっ!? 別に、『今何してるのかなぁ』とか『今日も眠そうだけど、昨日の夜は何してたのかなぁ』とか考えながら、いつも眺めてた訳じゃないからねっっ!?」
墓穴掘ってるぅぅぅっ! と心の中で叫ぶが、自分がいつも見られていたと知って、恥ずかしいやら照れるやらで顔が真っ赤に染まっており、悶絶する内心を全く隠せていない。
希もまた耳まで真っ赤に染め上げて、顔と手をブンブン振り回して「ち、ちがうよ! いつも見てるって言っても、ずっと見てる訳じゃないよっ! はわわっ、そうじゃなくて、チラチラっと見てる……じゃなくてっ!」とそろそろ体が地面に埋まって見えなくなるのではないだろうか、と言うほどに墓穴を堀に掘りまくっている。
視線の圧力が強くなりすぎて、身体がギシギシッと軋むような音が聞こえ始めたので、少しばかり冷静になった頭で希の自爆を止めようと口を開く。まだ顔の紅くなった部分は、もとに戻っていないのだが。
「桜庭さん」
「はわわっ……ふぇっ? ど、どうしたの? 白斗くん? ……じゃなくて! 月無くん!」
「うん。ちょっと落ち着こうか、桜庭さん。ほら、深呼吸して」
「う、うん。すぅー、はぁー。すぅー、はぁー」
「深呼吸して」と言ったのは間違いなく白斗なのだが、息を深く吸い込み、吐き出すたびに、希の胸がぷるんっと目の前で揺れ、釘付けになってしまう。男には、毒だ、それも、猛毒だ、けしからん、などと心の中で呟きながらもチラチラっと見ていると、どこからともなく斬撃の如き鋭い視線が突き刺さった。
「ほら、希! 変態に見られてるわよ!」
「えっ!」
無論、もう一人の女神、澪の視線であった。
澪の視線は、自然の摂理を打ち破って絶対零度を下回るのではないか、と思われるような冷徹な視線を白斗に突き刺している。
だがそれよりも、白斗は先程の澪の言葉で目をそらし、希は俯いて、恥ずかしさに悶えて体温が急上昇しており、あまり効かなかった。
「おーい、そこ。授業はじめるぞー」
そんな中、次の授業の先生が教室に入ってきた。授業が始まるらしい。
結局、白斗と希の二人は、授業の間に熱くなった顔を冷やすのに専念し、授業の内容が入ってこないのであった。
× × ×
外は陽が落ちて、辺りは茜色に染まっている。
本日の授業も無事に全て終わり、クラスメイトも皆、帰りの支度を始めていた。
一日の授業が滞りなく終わり、拘束から解放されたことで、皆が皆、がやがやと話ながら、帰る準備をしている。もちろん、がやがやしているのは、白斗以外であるが。
そんな、授業が終わると同時に騒がしくなった教室から突如。
ーーーー
音が消えた。
全員が一斉に動きを止めた。
呼吸も止めた。
鼓動すらも、止まったかもしれない。
瞬くために下ろされる、瞼の音すらもしない。
世界の時が止まったように。
音が、消えた。
全員が動くことを禁じられた世界で、唯一動く目を、一点に集める。この異常な状況を作り上げた、紛うことなき異物に。絶対の覇者に。
「僕は」
視線の先。
男でも心底惚れてしまうような、完璧な美の体現。
名のある芸術家が人生を懸けて造り出した精緻な人形でも遠く遠く、果てしなく遠く及ばぬほどの、美しく整えられた容貌、そして肢体。
見知らぬ美少年が呟く。
「僕は」
音のない世界で。
時の凍てついた、静謐な世界で。
再び、波紋がーー音が鳴る。
「‘‘神’’だ」
息が詰まり、命を刈られるほどの威圧感。
自分達よりも、圧倒的上位にいることを否応なく、無理矢理に理解させられる、そんな存在感。
‘‘神’’。間違いなく、彼は、‘‘神’’だ。
そして、‘‘神’’は、言った。
「この世界は」
秘境の奥深くに潜む泉のような、
一切波紋のない、静寂な空間に。
再度。
「この世界は」
雫が、
「もう」
落とされる。
「ーー終わりだ」
世界が、音を立てて、崩れ始めた。