黒夜叉
はい、また予約投稿の日時を間違えました。未完成の話を読んでしまった方、本当に申し訳ありません。
ルーカーシャ王国の迷宮都市ボグメア。そこは数々の迷宮に一攫千金を求め、屈強な戦士たちが集う大都市である。
『迷宮』 それは自然発生したと思われる摩可不思議な建造物である。なぜなら誰が、何のために、どういう目的で造ったのか全てが謎に包まれているからだ。未だに原理も構造も解明されていない。別称、『神の創造物』
その内部には外と同じ様に生物とは少し違った魔物が生息しており、侵入者に対しては攻撃的な対応をとる。外の魔物との違いは迷宮内の魔物は倒すと身体は黒い煙のように霧散し、『魔石』と呼ばれる黒い石を残すことだ。
何年もの研究でこれは高密度の魔力結晶であると判明し、研究者はこれを用いて魔力を燃料とする魔法道具を開発。火や、水、風といった現象を生み出すマジックアイテムが普通の家庭でも安価に手に入り人々の生活水準の向上を大きく促した。また、魔石のほかに珍しい鉱物や、植物、生物なども存在することが判明しており、迷宮は人々にとって欠かせないものとなっている。
各国は迷宮の出入りを国主導で制限し、入るために必要な登録証の発行や迷宮で得たものを買い取る組織、『ギルド』を創設し、莫大な利潤を獲得した。そして日夜、迷宮に挑む者は後を絶たない。
人々は、迷宮に潜る者たちを『探索者』と呼んだ。
○
大都市ボグメアのギルド内はたくさんの探索者で大いに賑わっていた。
迷宮でレアな物品を見つけ、大きな金が入り昼間から酒をあおぐ者、一緒に探索してくれる仲間を募集する者、迷宮での成功を労い食事を楽しむ者など部屋の雰囲気は活気に溢れていた。
ギルドの中は、人がたくさんいることで外よりも熱気があり暖かかった。加えて、今日は酷く風が強い日でもあった。ギルドの入り口の扉が開けば、そこから冷たい空気が入り込み、身体の熱を冷やす。もし、扉が開けば嫌でも視線がそちらにいってしまう。
今日はギルドも人の動きがいつにもまして少ない。外はかなりの悪天候で、むやみに外に出ようとは誰も思わないからだろう。
しかし、夕刻になってまもなく静かに扉が開いた。年季が入っているのだろう、軋むような音をたてながらゆっくりと開く。扉の近くにいた男はその冷たい風に身震いし、無意識にそちらに目をやった。するとそこにいたのはあまりにも異質な存在。おそらく冷気が入り込まなければ、近くを通り過ぎてもその存在に気づくことはなかっただろう。それほどまでの希薄な存在感。だが一度見ればその奇異な格好を忘れることはない。異常なほどの見た目の派手さ、そして気配の薄さを今入ってきた者は兼ね備えていた。
所々ギザギザに千切れた、薄汚れた黒い外套で身体をすっぽりと覆い、顔を隠すように深くフードを被っている。さらにそれだけでは物足りないのか顔にお面をつけていた。それは夜叉のお面。力強い、豪気な太い線で描かれており、かといえば細部にまで緻密な装飾が施されている。そして、その描かれた目にはなにものにも形容しがたい迫力があった。戦闘に向くかはともかく、美術的価値はかなりのものだろう。
その者は、人が歩いているとは思えないほど静かに移動し、迷宮の受付へと向かっていく。
周りは、扉の近くにいた男が固まっているのを見るという間接的なことでようやく仮面をつけた者に気づき始め、騒がしかった空気が段々と冷めていった。まだ、この迷宮都市に来て間もない新参者たちは不審者を見るようにその仮面をつけた者を見る。しかし、古参者は絶対に関わりを持たないようにと我関せずとした態度を取っていた。
ギルド内の喧騒さは少しだけ弱くなり、仮面をつけた者に幾つもの視線が集まる。そして、その者は周りからは見えない口を開け声を発する。
「『黒龍の巣窟』に行きたい」
「は、はい。それでは登録証をお出しください」
予想より若い声が響く。声音からして男のようだ。受付嬢は怯えるように声を震わせ、差し出された登録証を受けとる。そして、仮面男が行くといった迷宮の名前を聞いた者は驚愕する。
「赤の……クロア様ですね。迷宮に入る条件を満たしております。どうぞお気をつけて」
探索者には力の格付けとして5段階のランクが存在する。上から黒、金、赤、青、緑となっている。迷宮はそれぞれ内部の魔物の強さも違うのでランク制限が設けられており、高ランクの迷宮も存在する。その高ランク迷宮の中でも指折りな難易度を誇るのが『黒龍の巣窟』である。
そして、仮面をつけた男は迷宮に続く奥の通路に向かってまた歩きだした。足音は――しない。まるで幽鬼のように、不気味に歩く仮面男の背中が見えなくなった後、ようやくフロア内の空気は徐々に正常に戻っていく。
「……先輩、あの仮面の奴ってどんな奴なんですか?」
そんな中、賑やかに食事を摂っていたある若い男が仮面男に興味を持ち、同じパーティーの先輩に質問する。そのことに気になった人はちらほらおりその男達の会話に耳を傾けた。若い男に聞かれた壮年の男はというと――
「……いいか、自分の命が恋しいと思うなら絶対にあの男を怒らせるな」
先程まで酒に酔いしれていた先輩とは思えない低い声音が発せられ、若い男はたじろぐ。
「お前がこっちに来るかなり前、アイツの格好が鼻に触ったのかあるパーティーがアイツに目をつけた」
ギルドは探索者同士の揉め事には基本的に不干渉である。ギルド側に被害がくるようならガーディアンと呼ばれる部隊が制裁に入るが。
「そのパーティーは新人を迷宮に連れて殺して身ぐるみを剥ぎ、金をとるなんてことを平然としていた屑な奴らだった」
「ギルドはそれを止めなかったんですか!?」
「迷宮の中で起こったことは自己責任だ。それはあの無駄に量のあるギルド規則の大原則にも書いてあるだろ? それに加えて奴等は証拠も巧妙に隠しやがる。なまじ力があったおかげもあって報復を恐れ目撃証人もだんまりだ。だからギルドもそいつらの非業を止められなかった。誰もが思ったよ、可哀想にってな」
なのに、と男は話を続ける。
「アイツは一人で帰ってきたんだ。何かされていないかと尋ねたらさっきのパーティーが殺そうとしてきたからやり返したと、さ。登録してまもない緑のやつが、赤のリーダーのパーティーをたった一人で全滅させたんたぞ。普通じゃねーよ」
若い男はぞっとする。ギルドが決めたランクとは原則絶対的なものなのだ。今、自分は緑だがこれから赤のパーティーに勝負を挑み勝てるかと言われれば答えは否。断言できる。絶対に勝てないと。そもそも相手が複数いる時点で同ランクの者にも勝てるかも怪しい。ようやくあの仮面男の異様さが理解できた。
「覚えておけ。あの仮面男、クロアの二つ名は『黒夜叉』。実際の戦闘を見たやつはあまりいないが、実力は折り紙つきだ。現に『黒龍の巣窟』なんて迷宮俺らが行ってみろ。低層で全滅するに決まってる」
くどいようだが『黒龍の巣窟』の迷宮はこの都市屈指の難関迷宮である。入る条件としては赤以上の探索者。4人以上のパーティーなら一人以上は赤、最低ランクは青という条件。普通なら4~6人程度のパーティーで挑むそんな場所をたった一人で攻略していくクロア。周りからは一目置かれている。
しかし、それはクロアのことを少しでも知っている者たちの中での話である。
「ハハハ! そんなもの何か訳があるに決まってるだろ。俺も『黒龍の巣窟』には一度行ったことがあるが、あそこは一人でどうこう出来る場所じゃねーよ。
どうせそのどっかのパーティーとのいざこざも作り話なんだろ?」
クロアのことをよく知らないパーティーの一人がそう呟く。男のパーティーで何かいいことがあったのだろうか。長机の上には空になった酒瓶が幾つも転がっていた。男の顔をよくみると相当赤くなっており、酔っていることが伺える。だが、例え男が酔っており、正常な思考が出来ていなくとも男の言っていることはあながち間違ってはいなかった。それほどまでにあり得ない話だったのだ。――普通なら。
「別に信じてほしいわけじゃない。ただ、クロアにちょっかいをかけるのは止めておけと言っているだけだ。どうなってもしらないからな」
「けっ、腰抜けが。俺はああいうズルで不当にランクをあげる奴が一番嫌いなんだ。……そうだ、俺たちが暴いてやるよアイツの正体を!」
クロアをよく知らない者たちからは歓声があがる。その意気だ、やってやれ、などとそのパーティーを囃し立てる。
「先輩、どうするんですか? あいつら」
「ほっとけ。探索者は何が起きても全て自己責任だ。丁寧に忠告してやったっていうのに……」
フロアは一段と騒がしくなる中、クロアを知る一部の者はそのパーティーに憐れみの目を向けていた。
○
一方、クロアはというと迷宮の入り口に辿り着いていた。迷宮の入り口には何重にも施術された強力な魔力の障壁が展開されており、外部からの侵入はほぼ不可能。入るためにはギルドからそれぞれの迷宮へ続く通路の奥にある転移門をくぐらなければならない。
当然、クロアもその手段に乗っ取り、ギルドにある転移門から、『黒龍の巣窟』の入口近くの転移門へと一瞬で移動した。そこには二人の衛兵がおり、迷宮への出入りを管理している。迷宮に不法に侵入され、迷宮内の価値ある物を盗られては国としても財源が減ってしまうからだ。そこのセキュリティは万全である。
「お、クロアか。おひさ」
「こらテッド。仕事中だぞ。気を付けろ」
一人はクロアに好意的に話しかける。もう一人は相方の態度を諌めた。
「テッドとラトロか……。調子は?」
テッドとラトロ。実はこの二人、過去にクロアに助けられた経歴を持つ。顔が似ているためよく兄弟だと間違われるが二人は全く血が繋がっていない。加えて、テッドは陽気で能天気な性格であるのに対し、ラトロは真面目で慎重な性格である。一見、意見の衝突が絶えないように思われるがこの二人に至ってはまるで双子のように何かと同じ答えに行き着く。それはもう周りが面白がるほどに。思考のプロセスは違えど同じ結論に至るその相性と、容貌の似ていることもあって仕事はよく上から二人一組で組まされることがほとんどであった。
「ん、ぼちぼちだ。にしてもクロア、ここは黒龍の巣窟だぞ? やっぱスゲェな」
「確かに。だが、気をつけろよ? 推奨ランクは赤ランクのパーティーなんだから。ソロだとキツいだろ?」
テッドはクロアの強さに感心するが、ラトロはクロアの身を案じる。迷宮では何が起こるか分からない。突発的な出来事が起これば一人のクロアには助けてくれる仲間はいない。そうなったとき、探索者の生存率はガクンと落ちる。ソロで迷宮を攻略するということは無謀と言ってもなんら差し支えない。
「別に初めてではないし、問題はないよ」
しかし、クロアはもう何年もソロで数々の迷宮を攻略してきている。そこらのソロの探索者とは踏んできた場数が違うのだ。
「そういえばクロアって何の武器使ってんだ? あん時は何もしてないのに勝手に魔物達が倒れてびっくりしたなぁ」
「それは秘密だ。情報もまた武器になるからな」
クロアはテッドの質問をはぐらかし、他愛もない話をしたあと、登録証を見せる。それをラトロが受け取り、特殊な魔道具でクロアがいつギルドの受付を通ったのかを読み取り、整合性を確かめた。
「よし、異常無しだ。それじゃあ気を付けてな」
「ああ、ありがとう」
「んじゃ、がんばれな」
テッドにより迷宮への許可が下りたあと、クロアは石造りの入り口に入っていった。
「なあ、クロアはなんでソロなんかでやってると思う?」
ラトロがテッドに素朴な疑問として聞いてみた。クロアの戦闘力の高さは二人が助けられた際、間近でみていたため理解している。あれほどの使い手であればクロアをスカウトする探索者はいくらでもいる気がするのに、と。
「さあ? ま、クロアならパーティー組まなくても大丈夫な気がするけど」
「……確かにな」
そんな疑問にテッドは投げやりな対応をする。しかし、ラトロはそんな答えに何だか納得してしまっていた。
○
黒龍の巣窟内部は暗い通りになっており、石造りの圧迫感のある狭い入りくんだ構造になっていた。偶に大きな部屋があったりとなっいる。薄暗い道を歩いているとまず、最初に出会ったのは5体のスケルトン・ウォリアー。人の骸骨が古い甲冑を身に纏い、錆び付いた剣に薄汚れた盾を持ち、カタカタとクロアに近づいてくる。
「顕現せよ」
そうポツリと溢すと、クロアを中心として円のように剣が5本現れ宙に浮かぶ。
「剣の舞」
刹那、5本の剣がそれぞれ意思を持ったかのように動きだし、骸骨戦士に向かう。それは文字通り剣の舞。縦横無尽に飛び交い、その鋭利な刃を敵へと滑り込ませる。分厚い甲冑、武器もろとも骸骨戦士は骨を引き裂かれ、シュウッと黒い煙をたて消滅する。カランと音をたて、残るは5つの魔石。
(ハァ、やっぱり小さいな)
クロアは拾う魔石の大きさを見ながら不満を漏らす。もっと迷宮の奥に潜む強い魔物でないと満足しないのだ。魔石の大きさは魔物の強さによって左右される。質も勿論、価値の判断基準になるが、サイズも大きければ大きいほどその価値も高くなる。この大きさではクロアにとってはした金にしかならない。
しかしそうはいうものの、一応換金はできるので、マントに隠れている腰につけた小袋に魔石を入れる。
この小袋は魔法具の一種で見た目にそぐわずたくさんの物を収納できる便利なアイテムである。ただし、高価なものなので所持している者は探索者の中でも限られてくるが。
迷宮はそれぞれ違った特色を持っている。沼のような湿地地帯だったり、密林のような森林地帯だったり様々だ。ここ『黒龍の巣窟』は石造りのうす暗い場所で要所要所に燭台があったりするが基本的に灯りが必須である。また、魔物はその暗さを利用した奇襲をしてくるため用心しながら進まねばならない。だがクロアは夜目が利くのか暗くても平然と歩き、気配を消すことで魔物よりも早く攻撃を仕掛けることができる。
この迷宮の1層から10層に出現する魔物は骸骨や不死者など、倒すのに苦労する魔物が多い。骸骨は骨に直接傷を与えないといけないが分厚い甲冑に覆われているため打撃系統の武器でないと破壊は難しい。不死者は人が腐敗したような姿でそれほど素早い動きはしない。だが、腕を切っても、足を切っても核を破壊しなければ止まらず、向かってくるしぶとさが厄介である。
しかし、それらの厄介な魔物をクロアは意に返さず淡々と倒していく。
10階層は円形の広いフロアとなっていた。そこには守護者といわれる特別な魔物が待ち構えている。『黒龍の巣窟』の10階層守護者は異形骸骨。通常の骸骨よりも何倍も大きく、分厚くなった本体の骨に、眼窟の奥には煌煌と赤く、不気味に輝く瞳が。普通は二つあるはずの骨の腕は、全部で四つ。肋骨は不自然に開かれ、そこには大きな口があった。外にまで飛び出た長い舌に、隙間なく並べられた鋭そうな歯。ケタケタと笑うように上顎と下顎の骨をかち合わせ、音をたてる異形骸骨。対峙する相手の恐怖心を扇ぐような見た目をしているがクロアにとっては既に見慣れた相手。特に問題はない。
「行け」
クロアの命令に従い、5本の剣が踊り出す。対するバリアント・スケルトンは手に持った4本の直剣で捌く。バリアント・スケルトンは生身の人間では不可能な変則的な動きで、クロアの剣を対処していた。あり得ない方向に関節は曲げられ、あらゆる方向からの攻撃に対処する。剣戟は途切れることはなく、火花が激しく散り、骸骨は剣と踊る。
クロアの操る剣は、持ち手が5人いるかのようにそれぞれバラバラな動きで、その剣筋に同じ特徴はない。それに対応するのは至難の技であろう。バリアント・スケルトンは実質5人の相手と戦っているようなものだ。段々とその太刀筋を追いきれずに捌ききれなくなっていく。
これは不味いと思ったのか、バリアント・スケルトンは一旦距離をとろうとする。しかし、クロアはそれを予測していた。バリアント・スケルトンが後ろに跳んで着地したと思いきや先回りしたクロアがその背後にいた。いや、クロアのいた場所にバリアント・スケルトンが自ら近づいたのだ。階層の守護者ですらクロアの気配を察知するのは不可能だった。
「近寄るんじゃねーよ」
背後からの蹴り。全く予想もしていなかった方向からの突然の奇襲に異形骸骨は簡単にバランスを崩す。
「隙だらけだ」
格好の的となった異形骸骨に5本の剣が突き刺さる。ついに均衡は崩れ、腕、足と切られていき胴体の口だけが独立した形で残った。
人差し指をクイッと異形骸骨のおぞましい口へと向けられる。その軌道に乗るように1本の剣がその口に突き刺さった。
「ギャアオウ、アガァァアアアッ!!」
絶叫にも似た叫びをあげる。その大きな口から大量の唾液を撒き散らし、暴れる。
「しぶといな」
再び人差し指をむけ、残り4本の剣を突き刺した。そうしてやっと討伐は終了する。
10層から20層は死霊系の魔物がいた。魔物の種類は変わるが迷宮の内の構造には大きく変化はない。死霊系の魔物は通常の物理攻撃では倒すことは出来ない。透過してしまうのだ。
しかし、何も無敵という訳ではない。倒す方法は幾つもあり中でもクロアは魔法を使うことで難なく階層を進んでいった。
そうしてたどり着いた20階層の守護者は死者王。薄汚れた茶色いローブに身をまとい、宙にプカプカと浮いている。実体はほとんどなく、仄かに人型らしいものが透けてみえている。死者王の扱う死霊術は不死者や幽霊を無限に生み出し、それを意のままに操ることが出来る。加えて死者王自身、魔法に長けており、容易に近づくことはできず、接近できたとしても物理攻撃は通用しない。探索者からは大いに恐れられ、死者王によって葬られた探索者も少なくない。畏怖すべき魔物である。
リッチーはクロアを警戒し、早速死霊魔法を使った。持った杖を振ると地面から何十、何百のアンデットやゴーストたちが湧き、それはとどまることをしらずどんどんと増えていく。一体一体は対したことない相手でもこの物量は驚異である。しかし、クロアはそれに動じることなく手をかざし、詠唱を唱え、魔法を放った。
「ホーリーライト」
大きなフロアを埋め尽くしていた不死者、幽霊が淡い光に包まれる。すると、急に呻きだしたかとおもうと、その身体は煌やかな粒子となって消えていく。消える寸前の不死者や幽霊の表情はどこか晴れやかで解放感に包まれていた。
何千もの配下を一度に失った死者王は動揺を隠せない。それを見過ごすほどクロアは甘くはない。続けざまに魔法の詠唱を始めた。
「ホーリーエッジ」
リッチーの真下の地面から魔方陣が展開される。そこから光の礫が目にもみえない速さでリッチーに命中した。
「ギィアアアアア!!」
リッチーは断末魔の叫びをあげる。魔方陣の組立式からしてもかなり高度な魔法であるが、クロアはまるで何事もないように魔法を構築した。その威力は言わずもがな。全ての光の礫が撃ち終わったと同時にリッチーも黒い煙に巻くように消失した。
「ふぅ、少し魔力を込めすぎたな。必要最低限の力で終わらせないと」
第三者からみれば圧倒的ともとれる勝利たったが本人には不満があるよう。今の戦闘を反省し、クロアは21階層へと向かった。
その道中、クロアは多くの魔物と遭遇したが全てを瞬殺し、機械的に魔石を回収していく。そして迷宮25階層に到達するといつもとは違う空気を感じとる。少し警戒しながら大きなフロアに入ると、一匹の魔物が堂々と待ち構えていた。
「……?」
クロアは首をかしげる。クロアはこの『黒龍の巣窟』は48階層まで攻略している。だが、目の前の魔物は今までに見たことがない。
「ブモォォォオオオ!」
手に持つ大きな手斧を振り上げ、激しく咆哮。クロアの肌がヒリヒリと震える。
「へぇー。牛頭巨人の稀少種か」
稀に現れる魔物の稀少種。通常の魔物に比べ戦闘能力が異常に高く、その出現条件は未だ不明。探索者にとっては厄介極まりないが落とす魔石は通常よりも大きく価値が高い。稀少種と戦うことはハイリスク・ハイリターンなことである。
牛頭巨人。闘志湧き出る牛の顔に、体は人の形をしている。ただし、その図体は5メートルを優に越える。はち切れんばかりの盛り上がった筋肉は見た目以上に力を生み、その剛腕から繰り出される一撃は即死級の破壊力を持つ。この魔物を一人で倒せることが出来れば探索者として一人前と認められることもある。
しかし、クロアの目の前にいるのはただのミノタウロスではない。通常の個体よりも体は一回り大きく目は血走り、荒い息をたてている。力も、体力も、身体能力も通常個体の比ではない。だが、そんな怪物を前にクロアはというと――
「今日は早く切り上げられるな」
余裕綽々の様子。黒革の手袋をきつく着け直す。そして深く深呼吸。だが相手は待ってくれない。ドカドカと大股で巨大な質量がクロアに迫る。
「顕現せよ」
今度は、クロアの目の先で一振りの刀が出現する。
「今回はお前にしよう、『虎徹』」
そして、横にした刀の柄を持ちスルリと鞘を抜く。その刀身は銀色に美しい輝きを放っていた。そして、クロアもまた走り出しミノタウロスより先に攻撃を仕掛ける。
「ほら、当たるぞ」
ミノタウロスはクロアが振るった刀の軌道を読み取り、その巨体からは考えられないほど器用に避ける。そして、体を捻りながら、手斧を振り上げた。
「刀を造る上で、重要な三要素を知ってるか?」
ミノタウロスに問い掛ける。ミノタウロスからすれば素早く手斧を振り上げクロアの隙を突いた攻撃だと思っているのだろう。しかし、その振り上げる動作はクロアにとっては大きな隙であり、どうぞ斬って下さいと言っているようなものであった。
「折れず、曲がらず、よく斬れる。ということらしい」
だから――
「手に持つそんなナマクラじゃあ、何の守りにもなりゃしねーよ」
自身に迫るミノタウロスの手斧をスッパリと切り裂く。その鋭さにミノタウロスは目を見開いた。しかしまだ終わりではない。
「シッ!」
クロアはそのまま横一文字にミノタウロスの体を両断する。骨すら何の抵抗もなく切り裂くその刃に血は付着せず、刃こぼれ一つもない。恐ろしいほどの切れ味である。
ミノタウロスは声を上げることなく上半身を地に落とし、下半身はそのまま後ろに倒れた。その後、シュウと黒い煙をたて魔石が残る。クロアはそれを確認してから刀を鞘に収めた。
「思ったより呆気なかったが……低層に現れる稀少種はこんなものか」
自分の握りこぶし程の大きさの魔石を拾い、上に放り投げながら呟く。
「今日はあがるか」
クロアは少しもの足りなさそうに呟く。しかし、今日は深く潜るつもりはなく、いつも通りの収穫ができれば帰る予定であった。ユニークの魔石は通常の魔石よりも高く売れる。これ以上進んでも意味はないと思い、足向きを反転し元きた道を戻っていった。
○
クロアは迷宮の入り口でテッドとラトロに一言交わし、ギルドに戻った。そして迷宮で獲得した魔石の換金所へと向かう。
「エリック、換金をお願いしたい」
「はい、それでは獲得した品をここに置いてください」
クロアは顔馴染みの鑑定士、エリックと一言交わし、ジャラジャラと小袋を逆さにして複数の魔石を取り出す。
「はは、やはりクロアさんは他の探索者とは一線を画しますね」
魔石を鑑定するエリックはクロアが取り出した魔石を見てそう褒める。クロアの魔石回収量は異常だ。数は軽く見積もっても他の探索者の倍程度はある。そしてその質も文句なし。むしろ高純度である。ソロでここまで稼ぐ探索者はクロア以外にいない。
「これは……稀少種の魔石ですか……」
「ご名答。いい眼をしているな」
「はは、ありがとうございます。僕もそんなに稀少種の魔石は見ないですけどよく見ると赤い脈があるんですよね」
仕事柄、目利きはしっかりしているのだろう。エリックは査定がてらクロアに話題を振る。
「今日はもう上がりですか?」
「ああ。思ったより稀少種の魔石が高くつきそうだからな。ノルマは達成した」
「そうですか。あ、そういえばクロアさんにピッタリの依頼があるんですけどどうですか?」
依頼とは、ギルドが仲介役となって一般人が、探索者にしか出来ないことを文字どおり依頼するシステムである。例えば、迷宮にしか存在しない療薬の材料となる植物採取だったり、貴重な鉱物の発掘だったり等々。依頼内容は多岐にわたる。
「詳細は?」
「『黒龍の巣窟』で、とある令嬢に安全に魔物と戦闘経験を積ませることです」
話の内容を聞いたクロアは間を置かず依頼の受託を拒否する。
「却下だ。貴族と関わりを持つと碌なことにならない」
「ですよね。クロアさんなら断ると思ってました」
エリックは答えを分かってたかのように苦笑する。
「クロアさんは今何層まで攻略しているんですか?」
「48層だ」
「……は?」
瞬間、エリックが時が止まったかのように固まる。
「冗談、ですよね……?」
「事実だ。そろそろ別の迷宮に入ろうかと考えている」
『黒龍の巣窟』の最下層は50層。名前の通り、巨大な黒龍が最後に待ち構えている。自身の実力に対して余裕のある見知った迷宮であれば1日に10層以上は可能だが同ランクの迷宮であればそうはいかない。未知の場所であるため迷宮のマッピングは不可欠。そして迷宮はどこも広大である。そんなところを1日に1層攻略できればいいほうだろう。だが、クロアがこの迷宮の攻略を始めてから一週間も経っていない。つまり、クロアにとって『黒龍の巣窟』は取るに足らないと暗に言っていることになる。クロアの底知れない実力にエリックは戦慄する。
「黒龍には……挑戦するおつもりですか?」
「当然だ」
迷宮にはそれぞれ一定の階層に守護者がいる。それらはみな特別な魔物で、倒すと魔石だけでなくランダムに身体のある部位を落とす。また、倒しても時間が経てば再び同じ個体が出現する。そして問題は黒龍。この黒龍討伐のため黒のパーティーが3つ合同で挑んだことがある。しかし結果は惨敗。奇跡的に命を落とした者はいなかったがあまりの強さに再戦は取り止め。現在、確認されている守護者の中で最も強いと云われている魔物である。
「でもクロアさんは名声に興味がないはずじゃあ……」
「倒したとしても報告する気はない」
「……僕が報告するとは思わないんですか」
「赤のランクがたった一人で黒龍を倒したなんて与太話をギルドが信じるとは思えないがな」
「……はあ。分かりましたよ。別に報告する気はありません」
最下層の守護者を最初に倒した探索者には報告義務がある。そしてギルドから初回討伐として特別報酬が貰える。加えて、大々的にその人物の名前が発表されるのだ。迷宮を攻略した者は英雄として祭り上げられる。
しかしクロアは、そんな名声に興味などない。下手に人に絡まれるだけと認識しているだけ。
「それじゃあまた明日」
「はい、お疲れ様でした」
これがクロアの日常。明日もまた、同じように動くだけである。