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流れ者  作者: saki
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其の四

 最新式の船は早かった。

 蒸気を上げ、想像以上の速さで進んで行く。

 風を切る感覚が気持ちいい。

 コタンは海が好きだ。だから、こうしてその声を聞くのも好きなのだ。

「見えて来たぞ、あれが本土だ」

 本土とは、国王のお膝元を現す。意外なことに、国王の住む王都は四方を海に囲まれた、大きな島であった。陸続きではない為、余所から襲撃がされ難いが、逆に四方から攻められれば陥落しやすいということを授業で聞いたのも記憶に新しい。

「じゃあ、こいつもふんじばって行かないとな」

 メインマストにロープでぐるぐる巻きにされた船長をコタンは眺めた。両手両足が縛られているのだから、脱出はかなり困難だ。

 何故船室に入れないのかというと、それは単純に罰だそうだ。こうやって日差しの元に長時間晒され続けるというのは、案外体力が必要だ。それを奪う為、こうして屋外に出されているのだ。

「いやー、あんたの部下はなかなかに働き者だ。流石、無能のトップを支え続けていただけのことはあるなぁ」

 含みのある言い方である。頭に笑い混じりに揶揄され、しかし既にそれに反論する体力も惜しいのか船長は頭を睨みつけるだけだった。

 あの後、頭は船長を堂々と楯にし、それで船を乗っ取った。それはもう、素晴らしいまでの手際の良さだった。

 そして、それにコタンとレオ、頭とその部下は堂々と乗り込んだのである。

 意外なことに、船長を助けてこっちに攻撃をしかけるのかと思いきや、刃向うことは何一つとしてこない。コタンが原因で体験したあれが恐怖になっているらしく、コタンが居るだけで抑制になっているようだ。



 やがて船を接岸させると、碇を下ろした。

 船長だけをロープで引っ張り、コタンとレオと頭とその数名の部下で上陸をした。その為、船には他の部下を残してある。念のため、船乗りは大き目の一室に全員閉じ込めておくことにしたそうだ。

 少ない人数である。しかし、頭に言わせると「戦争をしに行くわけではないのだから、これで良いのだ」だそうだ。

 ある意味こうも堂々と王都へ足を踏み入れているのだから、反逆罪と早々に決断されたとしても文句は言えない。だが、それでも彼は部下をたくさん連れて行くということを拒否した。



 同じ港町であっても、コタンが住んでいた街とは随分と違う。

 活気があった。

 王都というだけあって、比べものにならない程の人達が住んでいるようだ。みんな、洗礼された綺麗な服装をしていた。

 街並みも何処か洒落ていて、道もきちんと舗装がされている。やはり税が集まるだけあって、金の使い方が違う。

 そして、所々に視界にひっかかるものがあった。

「気が付いたか?」

 頭の視線もコタンと同じ所に行き、それを指していることが解った。

「あれは警報装置だ。簡易な作りにはなっているが、さすがは国中の科学者を集めただけある」

「どういうこと?」

「あれは強力な音が出る仕組みになっている。それは、周囲に異常を知らせるためだ。そして、強力な臭いと色が付着するマーキング弾が仕込まれているんだ。それによって、危険人物が何処に居るのか一発で解るようになっている。その臭いは、洗おうが一週間は取れないくらいに強烈だ。単純だが、なかなか理に適っているだろう? あとは、街の彼方此方に武器も隠されている。護身用にという名目ではあるが、そんなのを住民に振り回せること自体、自治が上手くいっていない証拠じゃないのかねぇ」

 含みのある言い方に、コタンは「うーん」と頷いた。

「お前達、呑気だな」

 それは、完全に周囲から白い眼で見られているこの状況を指しての言葉である。

「んっ? そう? たかだか怪しい目で見られているだけだろう? 別にここに住むわけじゃないんだから、気にしない、気にしない」

 誰だって、明らかにこの国の軍服を着た男を縛って引き連れていたとしたら、それは厄介な人物だと理解できるだろう。何事もなくスルーでもされたら、そっちの方が驚きである。

 それに、船長が大声で叫んでいるのもその原因の一つだ。悪目立ちにも程がある。

「ねぇ、今からでもこの男の口を塞がない?」

 まさかコタンがそういうことを言うとは思っていなかったのか、レオはぎょっとしてコタンを見た。しかし、頭は楽しそうに笑っただけだった。

「御嬢さんも言うねぇ。けど、これが良いのさ。これも作戦の内さ」

「今にも、さっき説明していた警報装置が役に立ちそうな状況だって言うのにか? もしそんなものを誰かが喰らったら、俺は暫く距離を取るからな」

 五感が人並み以上に優れたレオらしい言葉だ。そんなに強烈な臭気を放つのだとしたら、彼にはきついだろう。

「まぁ、そうかもしれないが、ここまできたら逆に押されないさ」

「どういうこと?」

「やられるのだったら、初めのうちにやられていたっていうことだよ」

 意味が解らず、二人は顔を見合わせて首を傾げた。

「最初の頃ならいざ知らず、もう中心地を過ぎてしまっている。つまり、今更過ぎて誰も押せないんだよ」

「つまり、最初の方で許容されたってこと?」

「その通り。入り口の方でなら敵扱いだったが、ここまで来てしまえば不審者程度で収まってしまう。それが、この装置の盲点さ。人間というのは、後になればなっただけ何も行動を起こさない。つまり、最初の方に任せているんだ。先に居る奴が何もしなかったら、ここでも何もする必要が無いって具合にね。大した他力本願だ。おかげで、こうも堂々と道を進めるのさ」

 心理的な問題である。

 周りの者はみんな遠巻きにしている。それなのに何か行動を起こそうものなら、自分だけが他の人達と違うのだという風に思えるのだ。だからこそ、みんな怪しいとは思いつつもこうしてこの集団を見送っていた。

「せこいが、ある意味正論ではあるな」

 感心した風にレオは呟いたが、それは褒めているようでいて貶してもいる風にも取れる言い方であった。しかし、頭は笑顔のまま「そりゃどうも」と礼まで言ってのけた。

 そんなこんなで城の前まで実に簡単にやって来られた。拍子抜けさえしてしまうほど楽々と。

 しかし、当然門兵には止められた。

 槍やら剣を向けられる。

「何者だ」

 鋭い声に、頭は実に悠々とした態度で船長を突き付けた。勿論、手はロープを握ったままだ。

 それを見て、兵達に緊張が走った。見覚えがある顔だったのだろう。敵意にも似たものをぶつけられる。

「まぁまぁ、そう慌てなさんなって」

 この場にそぐわない、とてものんびりとした気の抜けるような声であった。その上、両手を軽く挙げた。つまり、敵意がないということを意思表示している。

「確かにオレはこの通り、この船長さんを捕まえてはいるよ。けど、見ての通り、手に武器なんかもっちゃあいない。つまり、丸腰さ。現にほら、後ろの奴らも何ももっちゃあいないだろう?」

 その言葉に、コタンは無意識に懐に隠してあるマキリに服の上から触れた。

「それじゃあ、貴様らは何をしにやって来たんだ。軍の者を捕らえていることといい、返答次第ではただでは済まんぞ」

「じゃあ、単刀直入に言わせてもらおうか」

 そして、頭はそのへらへら笑いを止めた。真面目な表情になる。それは冷めているとさえも取れ、コタンはその豹変ぶりにぞっとした。

「王に会わせろ。王との面会を要求する」

 その言葉を口にした瞬間、ざわついた。

「ふざけるな。そんなことができると思っているのか」

「思っているさ。思っていなければ、わざわざこんな所までやっては来ない」

 いいか、と頭は更に重ねる。コタンは、不思議と、この場の空気が頭によって支配されつつあるということに気が付いた。

「見ての通り、こっちには人質もいるんだわ。それがどれだけの効果があるかは知らないけれど、もしもこいつがその役目を果たさないっていうのなら、それだけの価値がある奴を次次捕らえれば良いだけだ。オレの言っている意味は解るよね? だったら、どうするのか決めろ」

 高圧的な物言いに、兵はたじろいだ。

 潜められることのない、不安が飛び交う声が耳に届く。

 流石は頭とでも言ったところだろうか。彼の面目躍如だ。煽り方が上手いとしか言えない。

 少しして結論がついたのか、兵の一人が「我々の手では負えない。上に指示を仰ぐからそのままで待っていて欲しい」と言った。普通、こんなことを口にはしないだろう。しかしそれをやってしまう程、彼らは追い詰められたのだ。びびっていたのだ。

「どうぞ、お好きに。但し、攻撃をしかけてきたり、オレ達を嵌めようとするのだったら、その時はどうなるのか解るだろう?」

 それを真に受け、青ざめた兵が駆け足で城の中に戻った。

 不思議な緊迫感が漂っている。

 ただ違うのは、あちらが一方的に緊張しているだけで、こちらはかなり余裕があるように見えるということだ。何故なら、ここに来る間に、頭から「何があっても余裕の姿を保て。隙を見せるな。付け込ませるな」と言われていたからだ。それを忠実に実行しただけで、ここまでの威力がある。

 コタンは頭を見つめた。それに気が付いた彼は、「何?」としまりのない笑みを浮かべた。

「何、何、御嬢さん。もしかして、オレの魅力に気がついちゃった?」

「いえ、そう言われればそうではあるけれど、そうじゃないとも言えるわ」

「つまり、どっち?」

「貴方の場と展開を読む力に驚いただけ。貴方、一体何者なの?」

 その問いに、頭は笑みを消した。

「俺も聞きたい。振る舞いを見ている限り、どうしてもちんぴらには見えない。それに、あの集まりは案外統率が取れていることも気になる」

 レオからも疑問が上がり、頭は頭を掻いた。

「オレはオレさ。君たちもあの時にそんなやり取りをしていただろう? だったら、オレは奴隷を解放しようとしている頭。それだけで良いじゃないか」

「それだったら、私はまだ、貴方がどうしてそんなことをやっているのか聞いていないわ。どうして奴隷の解放をしようと思ったのか、どうして奴隷の解放の為に行動しているのか、その目的さえも聞いていないわ」

 ここまで何だかんだで頭のペースに流されてきて、結局の所、彼の素上に関しては殆ど何も聞いていなかった。それは、彼の取り巻く空気がそうだからだろう。だから、飄々としているそれによって有耶無耶にされていたのだ。

「オレは……」

 彼は前を見据えた。ゴーグル越しで直接瞳は見えないが、それが何処か遠くを見つめているような気がした。彼は時々こんな表情をする。

 そして、彼が再び唇を開けた。

「おい、話がついたぞ」

 そんな時に限り、兵が戻ってきたようだ。彼は肩で息をしていて、全力で戻ってきたのが見て取れる。

「王がお会いになられるそうだ」

「本当かい。ラッキーだ」

「だから、その……」

 その視線の先を辿り、頭は「あぁ、そうか」と気が付いた。

「君はもう要らないね」

 掴んでいたロープを実にあっさりと放した。それによって、船長は脱兎の如く逃げ出した。

「さぁ、人質は解放したよ。これで、連れて行ってくれるんだろう?」

 こんなにも簡単に人質を捨てるとは思わなかったのか、驚いた風に兵は「あぁ」と頷いた。

「何を驚いているんだい? 君たちがそれを要求したんだろう?」

「それはそうだが……」

 兵が言い淀むのも無理はない。頭のこの行為はセオリーだとは言えない。寧ろ、人質を連れたまま入城するのが大抵の人間だろう。それなのに、全く何でもないかのように振る舞うのだ。底が知れない。

「さぁ、早く行こうか。時は金なりだよ。あんまり先方を待たせて不機嫌にでもなられたら、堪ったものじゃないからね」

 さぁさぁと促し、兵は「ついて来い」と踵を返した。

「じゃあ、オレ達も行こうか」

 不意に、頭に手が乗せられた。ぽんっと効果音が付きそうな軽さであった。

 頭は人差し指を一本立てると、唇だけで「また今度ね」と言ったような気がした。



 城というだけあって、造りがとても大きい。コタンが住んでいた屋敷も大きくはあったが、それとは天と地ほども違う。

 堅牢なのだ。

 豪奢ではあるが、その華やかさに城の厳格さが見え隠れしている。

 赤い絨毯が敷かれた廊下に、廊下には甲冑やら剣やら高名な師が描いた絵やらが飾られているが、それでもその壁が鉄でできているのが見えたら何とも言えない気持ちにもさせられた。それはこの城の見た目と相まってまるで要塞のようであり、この国は一体何と戦っているのだろうか、とコタンは疑問を抱いた。

「着いたぞ。失礼のないようにしろ」

 案内してきた兵が偉そうに口にした。しかし、彼はドアの取っ手には指一本として触れようとはしない。

 扉の両側には、当然のように兵が構えていた。そこに居る二名の兵は扉の前でクロスを作るようにして、槍で扉に近づく者を威圧していた。

 コタンの疑問に満ちた視線に気が付いたのか、一緒に来た兵は憮然とした表情のまま扉を見ていた。

「ここは謁見の間だ。中から許しがあるまで開けることも、入ることもできない。つまり、入室許可が出るまでここで待たなくてはならない」

 納得がいくようないかないような気持ちで、コタンは「ふーん」と返事をした。

 コタンが居た屋敷にも当然そういう類の部屋はあったが、それでも執事がちゃんとお客様を案内していた。それさえもないのだから、王というのは余程の堅物なのか警戒心でも強いのか、面倒くさい仕来たりだと思った。

 それから少しして、ドアが開けられた。

 ここに来ていることは解っているのに、その勿体ぶったやり方に、レオは「やっとかよ」とぼやいた。矢張り、同様に思っていたのはコタンだけではないようだ。

「どうぞ、中へお入りください」

 完璧な礼で持って、室内へと促された。だが、何処か機械的でもあるような坦々としたものでもあった。

 上座に王は座っていた。やはり、王冠というものはつけているのだ。そのことにコタンは感心した。

「かけなさい」

 長いテーブルの、それも王から遠く離れた場所に椅子が用意されていた。王の背後には兵が控えている。それどころか、壁際にも窓際にも武器を提げた兵がずらりと隙間なく並んでいた。厳重体勢というよりも、これではこちらが何かをするということが前提であるかのようであった。

 曲りにも王に椅子を勧められたのだ。しかし、頭は少し硬い声で「いや、結構」とそれを断った。

 王の申し出を断った。そのことによって、兵達が一斉に武器を構えたが、王が片手を上げてそれを制した。

「別に無理にとは言わん。好きにするが良い」

「では、お言葉に甘えて」

 そして、その言葉の通り本当に頭は着席しなかった。それに倣い、コタン達も立ったままであった。

 このことによって、王よりもこちらの頭が高いことになった。こういう場合、椅子を勧められたのだから座るのが普通だ。それどころか、王が前なのだから片膝でも着いて見上げなくてはなからなかったのかもしれない。玉座の前ではないのだから後者が正しいのかどうかは不明ではあるが、今のこの状況は間違いなく不敬罪に問われてもおかしくはない状態だった。

「して、貴様らは何用で参ったのだ?」

 鷹揚なようであり、気怠けにも感じられる話し方であった。興味など何もないというのが言外に伝わってくる。

 コタンは頭の方を見た。しかし、彼は唇を固く結んだままであった。そしてレオを見ると、彼は頷いた。

「私達は話し合いにやって来ました」

「話し合いだと?」

「そうです。奴隷制度についての話し合いをする為にやって来たのです」

 奴隷という言葉を聞き、王はコタンを睨みつけた。

「成程。では、貴様らがあの騒ぎの元凶か。そんな奴らの話を聞くつもりはない」

「そう思うのならばそれで結構です。しかし、王は民の嘆願を聞く義務がある筈です」

「義務だと? それは、納めるべきものを収めてから口にしろ。そこで初めて発生するものであろうが。それとも何か?」

 王はコタンの後ろ、正確にはレオを見た。値踏みするような視線である。不躾であるにも程がある。

「そこの奴隷を献上するというのなら、話だけは聞いてやっても良いぞ」

 横柄な態度に、コタンは「彼は奴隷などではありません」と怒鳴った。

「奴隷には、それを示す為の焼印がある筈でしょう。レオにはそれがありません。それなのに、彼を奴隷呼ばわりとは、貴方は国民を何だと思っているのですか」

「決まっているだろう? 余の為に命と忠義を尽くす、使い捨ての存在だ。奴隷なんてそれ以下が。奴らには人権がないのだ。そんなものをいちいち気にしていて何になるというのだ」

 王は鼻で嗤った。当然であると言わんばかりの態度である。

 部屋の彼方此方からも嘲笑う声が聞こえてくる。コタンは唇を噛み締めた。

「貴方はそれでも王か。それでも人の上に立つ者なのか。命を何だと思っているんだ」

「何度も言わせるな。余の為に使える存在のことであろうが」

 ふざけるな、とコタンは呟いた。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」

 部屋中に響き渡る怒声であった。窓がびりびりと振動し、吠えたかのように大きな音であった。

「私は貴方を王だとは認めない。命や人の重さを知らない者が、その上に立てる筈がない」

 不敬罪だ、と誰かが叫んだ。

「貴様は不敬罪として処す!」

 部屋中の武器がコタンに向けられる。しかし、コタンはそれを見て肩を竦めただけだ。

「やってみれば?」

 何でもないことであるかのように、坦々と呟いた。その瞳には軽侮の色が見て取れ、こんな状況であるのにまるで動じていない少女の姿に誰もが息を呑んだ。

「やれるだったら、やってみれば良い」

 諸手を広げ無防備に懐を開いた。

「ほら、私はこんなにも無抵抗なのに。それなのに、貴方達はまだ十代前半の少女の戯言を信じ、武器を向けることを何とも思わないんだ」

 その唇が囁く。人でなし、と。

 責めるようなその目に耐えられなくなった者が武器を取り落した。

 硬質な物体が床に弾かれた音が響き渡る。

 異様な空気であった。

 道徳とかそういうものを持っている人間なら、それこそ普通の神経をした人間だったら絶対に怯んでしまうような何かがそこにはあった。

 うわあぁああぁあ、と悲鳴が響き渡る。

 この空気に耐えられなかった兵が、武器を構えて突進して来たのだ。しかし、それがコタンに届くことはなかった。

「悪いな。丸腰の女の子を殺そうというのは、どうかと俺も思うぜ」

 その瞬間、レオは容赦なくその拳を兵の顔面へとぶち込んだ。

 兜が飛び、大の大人が回転して吹き飛ぶ。

 壁まで飛び、ドンッと大きな音を立てて激突した。

 割れていた。

 ぶつかった壁にはヒビが入っていた。

「あぁ、一応手加減はしたんだけどなぁ」

 レオは髪を掻き上げた。

 まだ十代半ばであり、身体も完全には出来上がっていない少年の信じられない力強さに、兵たちは戦慄いた。

 「この、化け物が」

 叫ぶなり、四方から武器を構えて襲いかかてくる。

「やっぱり、こうなるか」

 悪びれもなく、寧ろ楽しそうなのがその表情からも見て取れる。好戦的な笑みを浮かべたまま、レオは唇を舐めた。

 しかし、コタンの声が静かに告げる。

「下がっていて」

 その瞬間、風が吹き出した。

 これまでとは比べものにならない程の強力で強烈なものであった。

 それはコタンやレオ、頭とその部下の隙間をすり抜けて周囲へと力を振るった。それこそ、意思を持っているかのように蠢いている。

「何だ、何なんだ、貴様は」

 王が立ち上がった。その顔は恐怖により、青ざめていた。

 コタンは距離を詰める。間近まで寄ると、にこりと笑んだ。

「ただの一般市民です」

 その言葉を聞き、「馬鹿な!」と王は怒鳴る。

「寄るな、この化け物が。えぇい、誰か、この者を捕らえろ。いや、殺すんだ」

 唾を撒き散らして喚く王を見て、「マナーがなっていないわ」とコタンは呆れた風に呟いた。

「貴方、それでも王なの? 王なら、どんな状況下であろうとも、毅然としたままでいるべきだわ。そうでなければ、貴方についていって良いのかわからないもの。だからやっぱり、貴方は王の器ではないわ」

「ふざけるな。余は王だ。余こそが王なのだ」

「そう? それじゃあ、見て? この場では、貴方のことを助ける者など誰もいないわ。それなのに、貴方は自身が王だと主張するの? 貴方には、本当の意味で従う人間っているのかしら?」

「当然だ。王に従わない臣下がどこにいる」

「滑稽ね。まるで、ごっこ遊びをしている子供みたいだわ。否、それよりももっと酷いわ。だって、貴方は道理をまるでわかっていないんだもの」

「くそう。誰か、こいつを何とかしろ」

 その叫びも虚しく、風の流れによって周囲の者は拒まれている。誰も近付けない。

 ここはある意味、密室であった。

 風によって隔離された、一つの空間であった。

「長いものには巻かれろって言うでしょう? 貴方は今、自分の立場が解っているのかしら?」

 コタンは更に一歩近づいた。反対に王は後ずさったが、風圧によってそれ以上下がることができなかった。

「ねぇ、貴方は賢君なのかしら? それとも、愚君なのかしら?」

 静かな問いであった。しかし、王はそれに答えることができない。

「もう一度、私の要求を言います。奴隷の解放を。奴隷制度の撤廃を求めます」

異論は認めません、と断言した。

 王は完全にコタンに押されていた。今や、この場の支配者はコタンであった。

「これはお願いではありません。強制です」

 鋭い眼光を前に、王は唾を飲み込んだ。それでやっとのことで声を絞り出した。

「ふざけたことを言うな」

「ふざけている? まさか。それでしたら、試してみてください。どうなるのか、私が実行して見せましょう」

 コタンは更に一歩近づいた。

 距離がどんどん縮まっていく。それに怯え、最早王には威厳も何もなかった。恐怖に震える、ただの中年の男だった。

「余は王だ。王なんだ。みんなが余の前では膝を着くんだ」

「あんた、相変わらずなんだな」

 頭がこの空間に入って来た。その後ろにはレオも居た。

「何だ、貴様は。無礼だぞ。この無礼者。王に向かって、何たる口のきき方だ」

「さぁ、オレには今のあんたは漏らしそうなおっさんにしか見えないな」

「何たる無礼な。この非国民が」

「あんたはいつもそればっかりが。語彙が少なくて、いっそ可哀想にしか思えない」

 頭はゴーグルを外した。そして、案外端正な顔立ちが露わになる。しかし、その目は冷え切っていた。目の前の全てを軽蔑しているようでさえあった。

 王子、と誰かが言った。

 それを皮切りに、口々に「王子だ」「王子様が戻られたぞ」と声が上がる。

 兵達の手から武器が落ちた。その瞬間、風も止んだ。

 コタンはきょとんとした顔で、横に立つ男を見上げた。

「貴方、王子様だったの?」

「あぁ、けど昔のことさ。今はその肩書きを捨て、自由に生きているただの人間さ」

 吐き捨てるような、懐古するかのような、何とも言えない表情であった。コタンには、彼が泣きそうにさえ見えた。

「なぁ、おい……」

 王は震える手を伸ばした。

「お前はこの哀れな父を助けてくれるよな」

 なっ、と縋りつく手を頭は振り払った。

「自業自得だろう」

 目の前の王とは似ても似つかない鋭い瞳であった。それは怒りにも哀しみにも満ちていた。

「貴様、勝手に城を出て行ってのこのこと戻ってきて、それでクーデターか。城を乗っ取るつもりなのか! 貴様など、息子でも何でもない」

「そんなものには興味なんてないさ。ただ、オレはオレの筋を通しに来ただけだ」

 長かった、と彼は言った。

「ここまで来るのには長い時間がかかった。だからこそ、オレは間違えたりなんかしない。奴隷制度の廃止を要求する」

 強い意志の籠った声であった。

 コタンは彼に素質を見た。彼には紛れもなく人の上に立つ、先導する素質があった。

「もう、終わりにしよう。そんなもの、あってはいけないんだ。みんな、この国に生きる民だろう。それを蔑ろになんかしてはいけない。民である以上、みんな平等に生きる権利がある筈だ」

「ふざけるな。奴隷に人権なんてあるわけがない。なら、奴らは家畜だ。家畜が人間になれる筈がない」

 言い終えるか言い終えないかの瞬間に、ドンと大きな音が響いた。

 テーブルを叩いたのだ。

 力強く打ち付けた為に拳からは血が滴っていたが、それでも構うことなく頭は宣言した。

「人は人だ。それ以上でもそれ以下でもない。だから、優劣をつけてその哀れな優越感に浸る時代は終わりだ。これからは、新しい時代を作るんだ」

 光が差して見えた。彼の背後から、未来が見えた。

「さぁ、国王として決断してくれ。どうするのが正しいのかを」


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