其の参
大きな音がした。
地面を揺るがすような大きな音であった。
慌てて屋敷を飛び出し、コタンは目を見開いた。
煙が上がっている。
街の一角から煙が上がっていた。
この屋敷は一際高い所にある。それ故、目を凝らさなくともそれが見えた。
船だ。
大きな船である。
蒸気が立ち昇る、最新式の船だ。
その船の横から迫り出した黒い筒が見える。
大砲だ。
「どういうこと?」
コタンが呆然と呟くと、「火薬臭いな」とワイシャツを腕まで捲ったリオが鼻に皺を寄せながらやってきた。頬に少し土がついていて、明らかに土いじりをしていたのだとわかる風体である。
「直接撃って来た瞬間を見ていないからわからない。だが、今目の前に見えるものが全てだ」
そう、あの船が街に向けて大砲を撃ってきたというのは変えようのない事実だ。理由が何であれ、それは許されざることである。
「警告ですよ」
派手ですね、と家庭教師は呟いた。
「どういうこと?」
コタンは再び同じ言葉を口にした。
「簡単に言うのなら、見せしめです」
彼はあっさりと言うが、それでもそのそもそもの根底の部分が解らない二人は揃って首を傾げた。
「奴隷を売買するのは奴隷商人です。しかし、奴隷の売買を認めているのは国なのです。そして、その売り上げの何割かが国に献上されます。それが今回は納められなかったので、それでこの暴挙に出たのでしょう」
「これが国のやることだというの」
コタンは街から目が逸らせない。
悲鳴がここまで聞こえてくる。
今や大パニックだ。怪我人は出ただろう。それに、死者だって出たかもしれない。国がこんなにも軽々しく命を扱うなど、あってはならないことだ。
「戦争はあるわ。それは仕方がないことだって私は思うの。だって文化の違いもあるし、それ以前に人間には欲があるもの。だから、欲しいものを得るとか己の主張を通す為に武力行使するのはある意味仕方がないわ。けど、だからといって、それから何も学ばないのは愚か者のすることだわ。過去にあったことから、私達は学んで向上していかなくちゃいけないのよ」
「お嬢様……」
「それに、それで巻き込まれたら堪ったものじゃないわ。だって、普通だと思っていることが当り前じゃなくなってしまうんだもの。けど、これは違うでしょう。これは仕方なく起こったことじゃないわ。これは、一方的な暴力だわ」
どんな世界でも戦は起こる。そして、割りを喰うのはいつも民だ。国を導く存在が王なのだから、王が民を見捨てるのはあってはならないことである。もしくは、使い捨ての駒だという認識はしてはいけないことなのだ。
「お嬢様は戦争反対派だと思っておりました」
「確かにないに越したことはないわ。誰だって解っている筈だわ。けど、それがこの世からなくならないのも確か。それじゃあ、何故なくならないのかって考えてみたら、それってあんまり深い理由なんてないような気がするのよね。要するに道徳の問題なのよ」
「そうですね。そうなのかもしれません」
「それで、これはどうやって収拾を突けるつもりなんだ?」
レオの問いに、コタンは「うーん」と悩み声を上げた。
「奴隷商人を突き付けるのが一番だと思うけれど、彼らは一体どこに行ったのかしら?」
「推測が間違っていないとなれば、彼らが直接王のお膝元へ行き、直訴したというのが一番濃い線だと思いますけれどね。何せ、彼らは気絶しただけでしたから。そうなると、止めを刺さなかったことが悔やまれますね」
「俺もそう思う。そうじゃなきゃ、もう少し時間はかかった筈だ。それにこんなことを大々的にやってくるってことは、それで俺達のことを炙り出そうとしているんだろう」
「けど、本当にそんなことで出てくると思っているのかしら? だって、そういうことにはまるで興味がない相手だったかもしれないのに」
「だが、効果はあるだろう?」
探る様な目に、コタンは素直に頷いた。
「私と先生は顔を隠していたから大丈夫かもしれないけれど、レオは不味いかもしれないわね。絶対に顔が割れているわ」
「だろうな。それにこの容姿は結構目立つようだ。街を練り歩いていたのも効いているかもしれない。中には、俺がこの屋敷に買われた奴隷だと思っている奴も結構いるようだったし、場所はすぐに知れるだろう」
「と、なると、とる手段は決まっているわ」
断定的なコタンの様子に、家庭教師は少し青ざめた顔で「ちなみに、どんなお考えなのかお聞きしても?」と尋ねた。
「特攻あるのみよ」
拳を握り、堂々と言ったそれに双方から溜息が吐かれた。
「それは考えなしって言うんじゃないのか?」
「まさか。考えなら一応あるわよ」
いい、と指を一本立てる。
「あそこからだったら声が届かないわ。つまり、こんな攻撃をしてきた要求が伝えられないのよ。だから、こっちに上陸してくるでしょうね。そして、降りてくる時には間違いなく上の人がいる筈だわ。その上の人を人質にしちゃえば良いのよ。どう? 良くないかしら?」
「良くないってこともないな。ある意味、手っ取り早い」
「しかし、こちらが反逆罪に問われる可能性があります。こういう場合、直接話をつける代表として、旦那様と奥様がいらっしゃらないのが非常に痛いですね。治める者がいるのといないのではまるで立場が違います。痛恨です」
二人が屋敷を出て、まだ数日しか経っていない。今回の遠出は一月の半分程の予定だった為に、まだ二人が戻ってくることはないだろう。
「私が代表ってなると、やっぱり立場的に低いかしら?」
「そうですね。お嬢様はあくまでも領主の娘であり、領主ではありませんから。ですから、相手が直接交渉に応じてくれるかどうかもわかりませんね」
「けど、今回の発端は私にあるわ。私がどうにかしないと……」
唇を噛み締めた。
第一撃があったが、大砲をちらつかせているだけで第二撃を撃つつもりはないようだ。あれは威嚇の意味だ。つまり、こちらにはすぐにでも打って出ることができるという意思表示なのだ。
そうなると、少なくともすぐにまた攻撃されることはない。何故なら、そんなことをするくらいなら、今すぐにこの街を壊滅状態にしてしまった方が楽だから。しかしそれをやってこないということは、この港町を失うことがどれだけの損害であるのかということに気が付いているからだ。
コタンは「ねぇ」と声をかけた。
「私が単独でやったということにしたらどうかしら?」
「どういう意味ですか?」
「私が領主の娘だから事が大きくなってしまったのよね。この状況で尚、こちらからは手が出せない。けれど、私が後ろ盾も何もないただの娘だったら、たった一人反逆をしたのだということになるわよね」
そう、コタンが出て行くのが躊躇われる理由の一つとしては領主の娘であることが大きい。それを捨ててしまえば、そもそもコタンはこの世界で身よりはないのだ。誰にも迷惑をかけることはないだろう。
だが、それを捨てるということは、今までの繋がりを絶つということだ。少なくとも、この街には戻って来られないだろう。
「行けません、お嬢様。本気なのですか?」
誰だって気違いだと思うはずだ。しかし、レオが居る以上時間の問題なのだ。
レオと目が合った。その目は洞窟の時同様、コタンに任せると言っているようで不安なものがまるで感じられなかった。
コタンの中には彼だけを突きだすという、彼を見捨てる選択肢はないのだ。だったら、ここでコタンはそれ以外の最善を選ばなくてはならない。
「本気、なのだと思う。これが一番だわ」
コタンは決断した。一方を選ぶのなら、もう一方を捨てなくてはならない状況は誰にだってある。そして、コタンの場合は今だったのだ。
「お父様とお母様には感謝しているわ。感謝の言葉も尽くせないもの。けど、私がここに居ることで迷惑がかかるくらいだったら、出て行くわ。大丈夫よ、あの二人には感謝はしているけれど、私が勝手に出て行っただけだと伝えてもらえれば。恩を仇で返す真似になって申し訳ありません、って」
「いけません、お嬢様」
「けど、これが最善だわ」
小娘一人の命と、街そのものを天秤にかけたら、間違いなく街の方が重い。それは誰だって解ることなのだ。
「それでしたら、わたくしも……」
「駄目よ、先生。先生は私の先生ではあるけれど、領主様ご夫婦の使用人なんだもの。その本分を見間違えちゃいけないわ」
その言葉に、家庭教師は唇を噛んだ。
意味は解っているのだ。彼は大人だ。それを誤ったりはしないだろう。
「それじゃあ、レオ、行きましょうか」
彼の方に向き直れば、レオは「あぁ」と頷いた。瞳が赤く輝き、獣のようであった。
街に下りれば、そこは酷い有様であった。
いつまた砲弾が撃ち込まれるのではないのかと住人は怯えている。荷物を抱え、街を出て行く算段をつけたようで、沢山の人が行き交っていた。
「状況は芳しくはないわね」
まるで戦火の跡地のようである。このままであったら、収集の取り返しのつかないところまでいくだろう。
「おい、嬢ちゃん」
いつもの果物屋の屋台の親仁であった。
「嬢ちゃんも早く逃げた方が良い」
そして、ちらりとレオへと視線をやった。
「わかるだろう? ここにこのまま嬢ちゃんが居るのは良くない。その少年を連れているのなら尚更だ」
「何故?」
「奴隷市場が原因だっていうのは、今や街のみんなが知っていることだ。あの夜、あんな大騒ぎになったのだから尚更だ。夜中だっていうのに、みんなたたき起こされたようなものだ」
そう、とコタンは頷いた。
「だから、悪いことは言わない。その少年とお別れしたくなければ、さっさと街を出た方が良い。そうじゃなきゃ、少年を差し出した方が良い。まだ売買されていない奴隷は王国のものだ。王の所有物をくすねたと難癖つけられたら、堪ったものじゃない」
真剣な目であった。何処か、焦りにも似たものがその瞳には見え隠れしていた。
「ちょっと、何しているのよ」
親仁は声をかけられ、「あぁ、悪い」と背負っている荷の紐をぐっと握った。
「じゃあ、行くから。けど、忠告はしたからな」
そして、去って行った。
去って行く背中を何となしに見つめていたら、不意に手が握られた。自身のそれよりも大分大きい手に、コタンはどきりとした。
「俺は、コタンがどんな決断を下そうが、それで構わない」
それは暗に、自分を見捨てても構わないと言っているようなものであった。
コタンは首を振った。知ってしまった今では、今更この温もりを手放すことなんてできやしないだろう。
「何を言っているんだか。正直言って、私は弱いの。だから、期待しているわよ」
茶目っ気たっぷりに言えば、彼はふっと笑んだ。
「あぁ、そうだな。俺が守るさ」
二人は笑い合うと、場違いなまでに悠々とした足取りで歩き始めた。その手は繋がれたままだった。
案の定とでもいうべきか、やはり船から下ろされた小舟に数名乗り込み、街へと上陸してきた。
男達が数名。
その真ん中には、一際立派な服装をした男が立っていた。
船長だ。
つまり、彼がこの中のリーダーだということだろう。
仁王立ちで腕を組んでコタンは男達と対峙した。
船長はコタンを見て見下すような視線を向ける。そして、鼻で嗤った。
「お嬢ちゃん、お家へ帰りなさい。お母さんが心配しているだろう」
コタンの外見からそう判断したのだろう。しかし、部下らしき男が船長に何かを耳打ちした。すると、彼はコタンの横に立つ少年を見て「ほう」と呟いた。
「一つ尋ねるが、この少年はお嬢ちゃんの奴隷かい? 見た所、首輪も鎖もつけていないようだが」
「違うわ。彼は奴隷なんかじゃないわ」
「だが、彼はどう見ても一般市民には見えないのだが」
「ここは港があるのよ。色々な人種の人が居たとしてもおかしくはないわ」
「なら、何故、お嬢ちゃんと一緒にいるのかい? それに、この間逃げ出した奴隷によく似ているのだがね」
不躾な視線と質問に、レオは「それは他人のそら似だろう」と不敵に笑んだ。
「では、君が誰なのか聞かせてもらおうか」
「あぁ、そうだな。下僕とでも言うところか? 俺は奴隷じゃない。こいつ個人の下僕さ。だから、首輪も鎖も必要ない」
「ほう、だが、それなら申請が必要な筈だ。それなのに、彼のような存在が居るとは登録されていないのではないか?」
「あら、国は人の趣味嗜好にまで制限をつけるつもり?」
「そうだ。自由思想までも制限をかけるつもりか?」
子供であるというのに、何処までもふてぶてしい態度に船長は「大人をからかうものではない」と額に青筋を浮かべた。
「子供であったとしても、我らは王の勅命を受けてやってきた。このまま邪魔をするというのなら、公務執行妨害で子供であったとしても牢へとぶち込んでやるぞ」
「あら、それは怖いわ」
コタンは笑んだ。それは、見る者を一瞬躊躇させるような底の知れない笑みであった。
「貴様らが何であろうが構わん。とにかく、その少年は一緒に来てもらおうか。話はそれからだ。それから、奴隷と奴隷を逃がした奴を拘束する」
最初の方はコタンとレオに、最後の方は部下に向けての言葉であった。
「それが本音なのか?」
「どういう意味だ」
「国を運営するのなら、ある程度の秩序は必要だ。だが、あんたのそれは私怨でないとは断言できるのか?」
「何が言いたい」
「だから、さぁ、俺のことを拘束するというのは、俺が奴隷であるという確固たる確信がないのにしても良いことなのか? 疑わしきは罰さずじゃなくって、全てを疑わしいと思って断定するやり方はあまり履行とは言えない。確かに手っ取り早くはあるが、悪戯に恨みを買うだけだ」
レオは顎で視線を掬った。
その先には、武装をした街の人達が居た。逃げた者も居たが、それでも逃げなかった者もたくさん居たのだ。
「どういうつもりだ」
「それは、こっちの台詞だ」
誰かが叫んだ。
「こんな真っ昼間に大砲をぶち込みやがって、それが国のやる事か」
「そうだ。店を滅茶苦茶にしやがって」
「怪我人が出たんだぞ。どうしてくれるんだ」
次々に不満の声が上がる。
それはそうだ。一方的に攻撃をしかけられたのだ。それも、自分とは全く関係の無いことで。怒らない者の方がいないだろう。
「それなら、何故、貴様らはその少年をとっ捕まえて突き出さんのだ? その少年は原因の一つだろうが」
すると、「何を言っているんだ」とあの親仁が前に出てきた。逃げたのだと思ったのに、まだ街に留まっていたということにコタンは目を開いた。
「その坊主は前からここに居たさ。嬢ちゃんと一緒に街に出て来ていたものなぁ」
「そうだ。その嬢ちゃんは小さい頃から毎日市場に来ていたさ。知らない奴の方が少ないくらいさ」
「それで、この少年とよく来ていたさ。それなのに、勝手に連れて行って奴隷にするとでも言うのか? それが国のやることか」
擁護の声が上がり、レオは目を瞬かせた。その顔は、明らかに紅潮していた。
「貴様ら全員を反逆罪と見做す」
鼓膜を震わす怒声が響き渡った。
びりびりと肌を突き刺すようでさえあった。
「いいか、合図を送ればすぐにでも大砲を撃ちこめる手筈になっているのだぞ」
余裕綽々といった態度に街の住人達は慄いたが、コタンはくすくすと笑った。
場違いなまでに明るい少女の笑い声が響き渡る。
「何が可笑しい」
「あら、良いのかしら? こんな場所でぶっ放そうものなら、自分も巻き込まれるんじゃないの?」
それはそうだ。ここに大砲をぶち込もうものなら、自分も巻き添えを喰うに決まっている。レオ並みの身体能力があるのなら別かもしれないが、この男がそこまで凄い存在であるとはコタンには思えなかった。
「浅はかだな。子供の考えることだ。何で我々が上陸してきたのかを考えれば、すぐにでも解るものだ」
それを聞いて、コタンは更に笑った。
「本当、貴方達は自分の立場を理解しているのかしら?」
「ふざけるな。侮辱罪でこの場で処刑してやる」
船長は刀を抜いた。横でレオが構えた。
コタンは「後ろ」と言った。
「良いから見てみてよ」
その言葉にちらりと視線を向けて、船長は「なっ」と息を呑んだ。
小舟がなかったのだ。
繋いであった筈が、沖に流されていた。
「何故、しっかりと繋いでおかなかったんだ」
部下は責められ、「すいません」と叫んだ。
「船では逃げられないわ。そして、この場からも。だって、今の貴方達が袋の鼠だもの。場所が悪かったわね」
そう、男達は背後を海に取られている。そして、その周囲には街の人達が人垣となって存在しているのだ。幾ら力があったとしても、多勢に無勢。それを蹴散らしていくことは並大抵のことではないだろう。
「もう、良い」
合図を送ろうと手を挙げかけた船長に向かい、「やはり貴方は場が読めていないわ」とコタンは言った。
「無駄だわ」
海が荒れた。
晴れ渡るほどの青天であるというのに、大きな船が停まっている所だけが不自然なほどに荒れている。それこそ、嵐であるかのように。
「どういうことだ……」
呆然とした呟きに、「だから言ったのに」とコタンは残念そうに呟いた。まるで、可哀想なものでも見るかのような、蔑んだ目であった。
「貴方は指揮官の器ではないわ。だって、天啓も何もなさそうだもの」
「えぇい、天啓だと。そんなものは必要ない。そんなものがなくても、我々は強い。つまり、力があるのだ」
「貴方達は神を信じないのね」
「当り前だ。そんな不確かなものを信じて何になる」
鼻息荒く言い切った船長に、コタンは残念そうな表情を浮かべたまま、「神はいるわ」と断言した。
「だから、貴方達は海になめられるのよ」
「ふざけるな。王に勅命を受けた我らは、そんなものに負けるわけがない」
「海を侮ってはいけないわ。この世には万物に神が宿っているの。カムイを馬鹿にする貴方達は、カムイに嫌われているわ。何時から、貴方達はそんなにたいそうなものになったのかしら?」
可愛らしく小首が傾げられる。
そして、船長の背後で渦巻いた水が船を噴き上げた。
クジラの潮吹きのようであった。
超常現象としか言いようがない光景が目の前に広がっている。船長は元より、その部下も、街の人達だって呆然としてそれに見入っていた。
「貴様、何をした」
コタンは肩を竦めた。
「私は何も。ただ、カムイにお願いしただけだわ」
「カムイだと? さっきから何を言っている」
「カムイとは、私達の一族の言葉で神を現す。神を馬鹿にする者が神の恩恵を受けられるわけがないわ」
風が吹いていた。
コタンの背後からは不自然なほどに風が吹いていた。
突風だ。
目を開けていることさえも困難な風圧に、男達は腕で顔面をカバーした。
「さぁ、これは私達にとって追い風になるのかしら?」
ねぇ、お頭さんと尋ねれば、「勿論さ」と応えがあった。
「やることが派手だねぇ。けど、ここまで大げさな方が、力の差は歴然っていう感じなのかな?」
「誰だ!」
そこにはゴーグルに無精髭のだらしなさそうな男が立っていた。
「悪いねぇ。君の部下は捉えさせてもらったよ」
「貴様!」
頭の後ろで、その部下が己の部下を捉えているのを見て、船長は唇を震わせた。
「形勢逆転ってね。まぁ、形成も何も、元々君たちの方が悪かったから、ただ君たちが敗北しただけっていうだけだね」
チェックメイトだ、と唇で言った。
「何をするんだ。こんなことをして、ただで済むと思うのか」
ロープ片手に近づく男達を前に、船長はみっともなく喚いた。
「うーん、つまらない。台詞に面白みがないな。所詮は三下っていうところかな?」
それを聞き、街の人達はわっと湧いた。
歓喜が広がる。
彼方此方から、「やったぞ」「目に物見せてやった」「国民だって不満があれば行動するんだ」と声が聞こえてくる。
そんな中、コタンは目当ての人物に近寄った。「お疲れ様」と声をかけた。
「親仁さん、どうして戻って来たの?」
「本当は逃げ出そうと思ったさ。けど、反乱軍だとかお嬢ちゃんのことを見ていたら放っておけなくなった。同類だからな」
肌蹴させた胸元には、焼印があった。蛇を模ったそれは大きく、それはとても醜悪であった。
「元奴隷なんだ。実際に買われ、こうして所有印を押された。だが、寸でのところで抜け出した。そして、この街で暮らしていたんだ」
「そう、なんだ」
だから、親仁はあの行列を見て絶望したのだろう。
「ありがとうございます」
レオが頭を下げた。それに、親仁は慌てた。
「何だよ。何がだよ」
「擁護してもらったのが嬉しかったから」
「あぁ、あれか。けど、あんなの擁護したことにはならんさ」
「そう言うのならそうかもしれないけれど、俺は嬉しかった。だからお礼を言ったんだ」
素直な言葉に面を喰らい、「あぁ」と親仁は頬を掻いた。
「よぉ、少年少女」
背後からお頭に肩を組まれた。
「お前達、街の住人に好かれているな。良いことだ。おかげで、被害を最小限に留めることができた。これは僥倖だ」
「そうね。私もそう思う。みんなのお蔭だ、って」
わいわいやっている姿を見ると、どうして力を貸してくれたのか不思議にも思う。これで国から目をつけられた筈だ。だが、それでも目の前の光景が掛け替えのない素晴らしいものであることはちゃんと理解ができる。
「どうだった?」
「何が?」
「んっ? 国のやり方を見てどう思った?」
コタンは再び目の前の光景を見た。それは、不思議と脳裏に焼き付いた。
「多分、このまま放置しておいたらいけないことなんだと思う。だって、今回はこの街だったけれど、今後他の所でこういうことが起こる可能性は十分にあるんだもの。そこが、この街のようにみんなが力を合わせて行動するとは限らない。だからこそ、今の内に何とかしなくっちゃいけないのだと思う」
ねぇ、とコタンは頭に向き直った。
「国王の元へ行きましょう。直訴しましょう」
頭はコタンの瞳をじっと見た。そして、「良い目だ」と呟いた。
「お嬢様」
駆け寄ってきた家庭教師に、コタンは笑んだ。
「私、行くことに決めたから。止めたってむだよ?」
「いえ、行ってらっしゃいませ。貴女のご武運をお祈りしております」
どういう風の吹き回しなのかと思うほど、彼は晴れやかな笑みを浮かべていた。
「レオ、お嬢様のことを頼みます」
その真摯な声音に、レオは「あぁ」と頷いた。
「良いのか? あんたは御嬢さんが行くのに反対なんだろう?」
「えぇ、もちろんです」
「じゃあ、何でだ?」
「お嬢様はこのままこの街に戻ってはこないでしょう。これは確信です。けど、このままお嬢様をここに留めておくのも良くはないのだということを教えられました」
「誰から?」
「街の人達から」
その言葉に、お頭は楽しげな街の人達を見た。
「彼らの方が余程お嬢様のことを解っているようでした。それで、言われたんです。可愛い子には旅をさせるものだ、掌の中で温もりを与え続けることだけが全てじゃないって。笑いますよね。自分よりも頭は悪いのに、自分よりも余程道理を解っているのだということに気が付かされました。お嬢様はここには戻らない。お嬢様は外に羽ばたくのだ、そう思ったのです。それが、お嬢様をお見送りする気持ちになった理由です」
そうか、と頭は頷いた。
「あんたはなかなか良い教師のようだ」
そして頭は彼に背を向けた。
「なぁ、御嬢さん」
「何?」
「オレ達と一緒に行こうや。それでまずは手始めに手を貸してくれないかい?」
真っ直ぐに伸ばされた指先は、すっかりと静まった水面に浮かぶ船を指していた。