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四、あまぞらとたびびと

 普段ならそろそろ日も沈み月が天に輝き始める時間帯であろうか。朝から降り続いている雨は未だにその勢いを衰えさせる事も無く、時折思い出したように吹く突風と共に雨戸を叩き軋ませる。

 それなりに時間を掛けて補修したものの所詮は素人の手に因るもの。板敷きの床の上に並べられた五、六ほどの器が天井から滴る雫を点々と受け止めている。

 朝からもう何度目になるか、器に溜まった雨水を捨てつつ、これでもやらなかったよりは幾分ましなのだろうと思って心を慰める。

 流石にこの雨の中を突っ切ってくる訳にはいかないのだろう。ここ数日欠かさず顔を出していた姉妹も今日は現れず、久し振りに一人きりで無言の一日を過ごした。

 一年以上寄り添ってきた孤独を相手に、心の隅で僅かに感じているどこか物足りないという思い。それは自分がまだどこか普通の暮らしに未練を感じているということなのだろうか。


「…………」


 火鉢に満たされた灰の上、赤くぼんやりと照り輝く黒炭が音を立てて小さく弾ける。

 自分は、人に寄り添うことが叶わないと知りながら、それでも繋がりを絶つことが出来ずに遠くから未練がましく眺めている矮小な存在であるとは自覚している。いや、そう言い聞かせているというべきか。

 だが今、その心底から願って止まない他人の温もりが掌中にある。それが逆に自分の中にある癒えない寂しさを強く思い出させるのだろう。


「……はぁ」


 これまた今日何度目になるかという溜め息を吐き、それから油を燃やしている燭台と床に積まれた本の山を手繰り寄せる。

 先日家を掃除していた際にせんが押し入れの奥から見つけ出したものであり、古今東西の様々な物語を集めた古書のようであった。

 以前この家に住んでいた者が所有していたのだろうが、都周辺ならともかくこのような辺境の村の、更に外れた場所に住む読み書きを習得した人物とは一体どのような偏屈だったのだろうか。

 一際厚い和紙で作られた表紙を摘んで開けば、ぱりぱりと乾いた音に僅かな埃を立ててその中身をさらけ出す。

 表紙はすっかり色褪せて劣化も激しいが、その内側は奇跡的に一字一字しっかりと読み取れる程に良好な状態を保っていた。

 今は昔、西国の美しき異貌の都にとある若侍あり――そんな定型文から始まる物語にしばし時を忘れ、隙間風にゆらゆらと揺れる火の明かりを頼りに頁をめくる。

 ぱらぱらと屋根を叩く雨の音に紙の擦れる音を混ぜながら、そういえば屋敷を出て以来読書もしていなかったなと思い出す。

 とはいえ武家の生まれということで、読む物といえば小説や随筆など読んで楽しい類の物では無く、大概が武芸や兵法に関する実用書ばかりであったのだが。

 それでもちょっとした悪戯として姉や妹から借りた恋物語などをそれらの中にこっそり潜ませ、父の目の前で剣術の指導書とうそぶきながら愛し恋しの世界に意識を飛ばしたりしたものだ。

 その後には当然ながらその所業がばれ、三人掛かりでみっちりとしごかれたわけだが、とにかくあの頃は進んで馬鹿な真似ばかりしていたものである。




 物語も終盤に差し掛かった頃、ふと耳に石を蹴り上げるような慌しい足音が届いた。

 規則的な足音は少しずつ近付く。それが軒下の辺りまで来ると今度はがたんと壁に寄り掛かったらしい音を立て、それから一つ大きく息を吐いた。

 何者だろうかと一人沈黙して様子を伺っていると、足音は家の戸の方へと向かい……声を掛ける事もなくがらりと開いた。


「…………」


「あ」


 手元の燭台に乗せられた皿の上で頼りなく燃える油だけしか光源のない室内は薄暗く、故に現れた人物の姿はよく見えなかった。

 だが発せられた声の響きから若い女性であるということは分かった。更にそこに含まれた驚きの色からここに人が住んでいないと思っていたであろうことが推測され、それから村の者ではないのだろうという結論が出された。


「旅人か? 雨宿りはかまわんが、戸を開ける前に確認くらいしてくれ」


「う、いや悪い。こんな場所だし、空き家か何かかと」


 ぼんやりとした影は片手を上げて頬を掻くようにしている。まあ外見も古ぼけているし、外にあまり荷を置いていないから仕方ないかもしれない。


「で、どうする。村まで行くのなら道案内くらいするが」


「いや、この辺りは立ち寄っただけで村には特に用事はないし、わざわざそこまで……っくし!」


「……取り敢えず中に入れ。着替えと茶くらいは用意できるぞ」


「うぁー……では、お言葉に甘えて」


 鼻をぐしぐしとさせながら女は履物を脱ぎ居間へと上がる。それにつれ、その姿が段々と闇の中から浮かび上がってきた。

 雨に濡れてべったりと張り付いた短髪は黒みがかった灰色で、すらりとした輪郭と気の強そうな目付きには野性的な力強さがある。また、左目の下、耳から鼻の根元にかけて一本の大きな傷が走っている。

 身に纏う服は普段生活の中で着る色合いや見た目にこだわったものではなく、体の動きを阻害しない事に重点を置いて縫製された旅装の類であった。

 炭を足した火鉢を渡してからその場を離れ、着れそうな服と拭巾を手に取って居間に戻る。


「男物で悪いが、見てる奴もいないし我慢してくれ」


「ホントに悪いな。しかしまあ、こんな時期に雨とはねぇ。雪でないだけましかもしれないけどさ」


 隣の部屋に移って障子を閉めると、そのむこうからしゅるしゅると帯を解く音が響いた。


「それで、一体どうしてこんな所に来たんだ? 暗くて道を外れるにしたって、林の中を歩いていれば気付くだろ」


「いやまあそれがな。何人かの仲間とつるんで旅をしてたんだけどさ、その途中今朝からの雨で足止め喰らっちまって。近くに旅籠もないしこれからどうするー、とか道の上で相談してたら野盗に襲われてさ。それから逃げ回ってたらいつの間にか荷物は無くなるし仲間とは散り散りになるし何故か森の中にいるしで」


「そりゃまた運が無いな」


 そう言うと女は苦笑いを浮かべ、まあねと呟いた。


「でもま、今もこうやってちゃんと命はあるし安全な場所も見付けられたし、なんとかなるもんだよ。っと、もう大丈夫だ」


 障子を開けて居間に戻ると、女は頭に拭巾を乗せたまま火鉢に手を翳していた。毛布も出しておくか。


「明日になれば雨も止むだろうし、一先ず今日のところは泊まっていくといい。私の名は貴実。狩りをしながら各地を旅しているが、今は村の世話になっている」


「あたしはりつ。あたしも世間で言うところの旅人だね。南から北上してきたとこ。とりあえず、一晩よろしく」


 軽い挨拶の後、私は予備の毛布を出すために押し入れへと歩きだした。




 それからは特にすることもなかったので、少し早い時間ではあったが夕餉の支度をすることにした。

 旅中で身につけた料理などたかがしれたものだがそれはそれ、同じ卓を囲む者がいるというのはそれだけで食事を何倍も旨く、楽しいものにしてくれるものだ。

 また、りつは話すのも聞くのも上手く、こちらの話には一々頷いたり相槌を打って場を盛り上げ、自分が話すときは大袈裟な身振りや表現を交えてこちらを楽しませた。

 食後には仕舞っておいた酒を取り出して盃を酌み交わし、それぞれの旅の話で盛り上がった。


「それでそいつときたら、俺は熊だって素手で殴り殺せるが猫だけはどうしても駄目なんだ! とか叫ん、で……ふぁあ……」


「ん、眠いのか?」


「あー、先の見えない雨ん中必死で走り回ってたからなぁ。今日は少し疲れたかも」


 りつはごしごしと眼を擦り、それからまた一つ大きな欠伸をする。

 傍の燭台を覗き込めば、なみなみと満たしておいた油がすっかりと干上がっていた。思ったより長いこと話し込んでいたようであった。


「そろそろ布団でも敷くか。私はむこう、りつはこっちの部屋でいいか?」


「ん? 別にいいよ、そんなめんどいことしなくても。一緒の部屋でいいって」


「そういう訳にもいかないだろう」


「障子一枚隔てたところで何が変わるわけでもないでしょ。それに、近くに人の気配があるほうが安心できるしさ」


「……分かったよ。一緒でいいんだな」


 仕方なく卓を片付けた居間の中央に少し離して二組の布団を敷いたところ、不満げな表情をしたりつが片方を引きずってくっつけようとしたのだが、流石にそれは阻止した。


「頼む、頼むからそれは勘弁してくれ。夫婦(めおと)でもあるまいし」


「むぅ。ま、いいや。許してあげよう」


 そう言うとりつは片方の布団に潜り込み、さむさむっと一人呟きながら丸くなった。……顔に出ていないが結構酔っ払っているのだろうか。

 もぞもぞとうごめく布団を眺めながら、自分も布団の中へ潜り込む。冷えた空気を一杯に吸いこんだ布団のひんやりとした感触が火照った体に心地良い。


「なぁ、貴実」


 燭台に蓋を落として火を消すと、隣から静かな声が上がった。


「しばらくこの家に置いてはくれないか?」


「……それは、どうしてだ?」


「ちょっと思うところがあって、ね。今は詳しいことは話せないけど、後でちゃんと説明するから」


 酔いか、それとも眠気が原因か、ぼうっとした口調でりつは語る。


「迷惑はかけない。自分のことは自分でやるし、貴実の手伝いもする。ただ場所を分けてくれるだけでいいんだ」


「落ち着いて過ごしたいのなら、村に行ったほうがいいんじゃないか?」


「貴実が邪魔だって言うんなら、無理は言わないけど。あたしはこっちのほうがいい」


「邪魔とは、言わないが」


 自分の中のヒトの部分が首をもたげる。りつも旅人なら縛られるようなことはないだろう、傍に置いても大丈夫ではないか、と。

 獣の部分はそれを拒む。他者を寄せるな、孤独に勝る優位は存在しない、と。


「せめて数日だけでもいい。あたしのことをうっとおしいと思った時点で放り出してくれて構わないから、ここに居させてはくれないか」


「……分かった。だが、やることはしっかりやってもらうし、追い出すときは追い出すぞ」


「ああ、それでいいさ。取り敢えず、また明日話そう。今日は本当に疲れた……」


 しばらくするとりつの布団からはすぅすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。大分疲れが溜まっていたのだろう。

 気付けば雨もすっかり止んだようで、漏れた雨水が器を叩く音も途切れ途切れになっていた。


「そういえば、水を捨て忘れてたな」


 朝になって溢れていたら面倒だな、なんてことを考えながら、私の意識はゆっくりと闇の底へと沈んでいった。

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