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二、しまいとふとん


 一本牙を倒してから三日が経った。

  

 すぐ次の日に村から宴を開くとの知らせを受けたのだが、疲労と獣の爪牙による傷から体調を崩した事を理由に辞退させてもらった。

 今も多少体が軋むような感覚が残るが、一人暮らし故に何もせず寝ている訳にもいかない。

 水汲みから薪集め、家屋の補修とやることは山のようにあるのだ。

 受け取った食料にはまだ余裕があるが、他に必要なものも多くあるので午後に村へ行くことにした。

 雲一つ無い秋晴れの空の下、溜め込んだ三日分の洗濯物や蒲団を干し、ふうと一息つく。完調にはまだ少し時間がかかりそうだ。

 

 棒の先に鉤針の付いた糸を括りつけただけの簡素な釣竿を川に垂らし、のんびりと陽の下で釣りを楽しむ。

 村へいく際の手土産にでも、と思って始めたが、これがなかなか掛からない。魚が少ないのかそれとも単に下手なだけなのか、どちらが真実か定かにならぬまま刻々と時間が過ぎる。

 林の中からの小鳥の囀りと小川のせせらぎを愉しみながら、何処までも吸い込まれていきそうな青空を茫とした心地で見上げる。

  

 興奮と共に弓と鉈を手に持って草木を掻き分け進むのも良いが、こうして何も考えずにただ静かに過ごす時間も嫌いでは無かった。

 子供の頃は非常に大人しい性格で、外に出て兄や父と弓や刀の稽古をするよりは姉妹たちと貝合わせや詩歌を作る方が楽しかったものだ。

 体が大きくなり始めてからは武家の男子たるもの、から始まる台詞で無理矢理引っ張り出されるようになり、そのような遊びをする機会は無くなったが。

 近年は泰平の世が続き、戦の気配もとんと感じられないが、今も兄弟達は馬に跨がりいつ来るか解らぬ『有事』に備えているのだろうか。

  

「……おっと」

  

 釣竿に手応えを感じて慌てて立ち上がり、竿を立てる。ちゃぽん、と小さな水音を立てて一匹の魚が水面から飛び出した。

 ぴちぴちと手中で跳ねる魚から針を外し、傍らの水を張った手桶の中に放す。そよぐ風に濡れた手が僅かに冷えた。

  

  

  

 村へ行く際に手にした三匹の川魚は、帰りには大工道具の入った木箱と細々とした日用品、そして酒に換わった。

 二日前の宴会の際のものを残していてくれたとのことで、丁重に礼を述べた後に有り難く頂いた。


 都にいた頃はまだ成年前で飲むことは無かったし、旅に出てからも呑む機会はあまり無かった。

 幾度か同じ旅人や狩人仲間と酒の席を持ったことはあったが、それは酒を呑むことよりむしろ情報交換が主な目的だったので、楽しんで酒を呑んだことはなかった。

 酒は神の生み出した命の雫だ、と評する者もいるくらいである。楽しみ方を知れば素晴らしく魅力的なものなのかもしれないが、一人酒ではそれの知りようも無い。

 とりあえず今晩にでも少し試してみるかと思いながら森の中の道を抜け、もはや見慣れたぼろ家へと辿り着く。

 と、そこでふと異変に気付いた。今朝干しておいた筈の洗濯物が無くなっている。

  

 簡単に組み上げた台にかけ、大量の布に通しておいた竿代わりの棒が、今では無造作に地面に転がっている。

 風で落ちたなら洗濯物がそこらに散らばっているはずだし、獣がじゃれついたのなら土台だけ無事に残っている筈もない。

 となると誰かが盗んだという線が残るが、あれだけの量の布を盗む理由も思い付かない。

 土台の傍まで近寄っても、多少朝よりは傾いているかという程度で他に不審な痕跡は残っていない。

  

「どういう事だ……?」

  

 思わず口に出してから、家の中に置きっぱなしの荷物に考えが及び、僅かに早足になって家へと向かう。

 出るときに閉めたはずの玄関の戸は開け放たれていた。

 これはまさか、本当に――? と嫌な考えが頭を過ぎる。しかし、戸をくぐり荷物を纏めておいた辺りに目をやると、そこに洗濯物の山が出来ていた。

 つまり、誰かが自分が留守の間に家を訪れ、干しっぱなしになっていた洗濯物を取り入れたことになる。

 また、三和土から上がる所には覚えの無いとげのついたままの栗や土の付いた茸などが集めて置いてあった。

 一体誰がという疑問が浮かんだが、土間を上がり居間を見回した所で気付いた。

  

 ――蒲団から、二つの小さな頭が飛び出している。

  

 この辺りではあまり見かけない、黄と茶の髪がべたっと広がっている。

 すぅ、すぅ、と規則正しい寝息に合わせて蒲団が僅かに上下するばかりで、他には身じろぎ一つしない。よく眠っているようだ。

  

「…………」

  

 さて、どうするか。

 状況からして土間の食べ物やこれらの洗濯物を取り込んでくれたのはこの子たちだろうし、悪さをしにきたわけではないのだろう。

 それに、日が落ちるまではまだ時間がある。というわけで。

  

 起こさないように注意しながら、洗濯物を畳むことにした。

  

  

  

 ※※※※※※※※※※

  

  

 

 さて。

  

 洗濯物も一通り整理が済み、他にやることも思い付かない。

 障子の張り替えや戸の修理は外す際に大きな音が出るし、弓や鉈もしばらく手入れは必要無い。夕餉の準備にはまだ早いし、薪は先二日分くらい拾い集めてある。

 なので、なんとなく眠る二人の傍に寄ってその様子を眺めてみた。

  

 見た限り二人はよく似た女の子で、どうやら姉妹ではないかと思える。

 二人は十六の自分より更に二、三は下に思える幼い顔立ちをしており、穏やかに閉じられた瞼からは長い睫毛が伸びている。

 化粧もしていないのに肌は白く、唇は瑞々しい赤。二人とも今はかわいらしい、という感じだが、成長すれば美しい、若しくは艶やかな、という言葉が似合う女性に育ちそうだと思えた。

  

 黄色い髪を肩先くらいまで伸ばした方の子がきゅう、と唸りもぞもぞと動く。それに反応して、同じくらいの長さの茶色の髪を紐で括った子も、うに、と言って身じろぐ。

 横になっていた体がころんと上を向き、次いで茶色の髪の間から覗くその瞼がぱちりと開き、そして自分と目が合った。

 しばらくの間、互いに無言。女の子はしばらくぱちぱちと目を瞬かせていたが、そのうちにだんだんと大きく見開かれていく。

  

「…………んと、えと、その、これは」

  

「おはよう」

  

「あ、はい、おはようございます」

  

 一呼吸。

  

「じゃなくて、せんちゃーんっ! やばいってばー!」

  

「みぎゃっ!? なにわらばっ!?」

  

 がばっと急に起き上がり、隣ですぴすぴと寝ていた黄色い子をがくがくと揺する。

  

「な、なぁにこんちゃん。野犬でも近くに出たのっ?」

  

「そうじゃなくてっ! 寝てる間に帰って来ちゃった!」

  

「へ?」

  

 ぬぼーっと今にも口からよだれを垂らしそうな表情で虚ろな瞳をさまよわせる。まだ夢心地といった具合である。

 と、その瞳がこちらを向いたところでぴたりと動きを止め、しばし硬直。

  

 間。

  

「…………あの、その、なんと言いますかですね」

  

「おはよう」

  

「あ、おはようございます」

  

 点 点 点、

  

「失っ礼しましたぁーー!!」

  

 残像が見えそうな程のもの凄い勢いで土下座された。

 茶色い子もびっくりして呆然とその様子を見ているばかりである。

  

「何してるこん、お前も頭を下げろ!」

  

 こんと呼ばれた子はえ、あ、とうろうろと手を動かしたあと、同じように頭を下げた。

 そうなると、落ち着かないのは自分の方である。

  

「ちょ、ちょっと待て、なんだいきなり」

  

「人様の家へ勝手に上がり込んだあげくに蒲団まで無断で借用し、尚且つ挨拶もせずに眠りこけて迎えるなど、本当になんとお詫びすればいいか……!」

  

「いや、お詫びとかは別に構わないから。土下座はやめてくれないか、なんだかこっちが罪悪感を覚えるんだが」

  

「しかし、このような無礼を働いた以上……」

  

「いいって。洗濯物を取り入れて、食べ物を持ってきてくれたのは君達だろう? むしろ礼を言いたいくらいだ。だから頼むから、顔を上げて」

  

「……分かりました」

  

 そういうとおずおずと顔を上げ、ちょこんと正座して縮こまる。別にそれほど畏まる必要もないのだが……

  

「それで、君達は誰? どうしてまたこんな所に」

  

「はい。私はせん、隣にいるのは妹のこんといいます」

  

 黄色い髪の子、せんが言うと、隣のこんがぺこりと頭を下げた。

  

「私の家の裏にある栗の木が今年はよく実ったので、そのおすそ分けに参りました」

  

「じゃあ、村の子なのか。わざわざ森を抜けて大変だっただろう?」

  

「いえ、それほどでも……」

  

「せんちゃん、あれだけぐっすり眠っておいて疲れてないなんて説得力無いよ」

  

「……それを言うならお前もだろう、こんっ!」

  

「あたーっ!? なんだよう、ぶつことないじゃんか」

  

 涙目で頭を押さえながら姉に向かってぶーたれるが、せんはそれを無視する。

  

「まあ、とにかくありがとう。悪かったね、わざわざ気を遣わせてしまって」

  

「いえ、近くに暮らす者同士助け合うのは当然のことですから」

  

「何いまさらいい子ぶってるのよー。うう、いたい……」

  

 小声でぶつぶつと嫌味を言う妹を一睨みして黙らせ、せんは立ち上がる。

  

「では、今日はこの辺りで失礼させていただきます。日が暮れては危険ですし、そちらもまだ色々とお忙しいようですので」

  

「ん、分かった。道中気をつけてな。冬の獣は気性が荒いから」

  

 と、二人をそこまで見送ろうと思い、立ち上がろうとしたところで、癒えかけた左足の傷が不意に疼いた。

  

「――っ!」

  

 思わずがくりと膝を折り、畳に手をつく。

  

「大丈夫ですかっ!?」

  

 すると、三和土で草鞋を履いていたせんが急に顔色を変えて駆け寄ってきた。

  

「ん、ああ、大丈夫。たいしたことないから」

  

 そう言ってもせんは不安そうにこちらを見つめ、泣きそうな顔で言う。

  

「本当に、本当に大丈夫ですか? 嘘では御座いませんね?」

  

 左足に手を添えて、俯きながら――せんが今感じているこの感情はなんだ? 悲哀? それとも、後悔?

 なぜこのような反応をしたのかは分からないが、とにかく安心させるため、せんの小さな頭に手を置いてゆっくりと撫でた。

  

「大丈夫。ほとんど治りかけてるし、あと三日もすれば包帯も取れる。今日だってあの長い村までの道を往復したきたんだ。経過は順調、何も心配することなんて無いよ」

  

 手の動きに合わせて柔らかく揺れる黄色い髪を見つめながら、優しく頭を撫でる。

 しばらくそうしていると、こんが俯いたせんに近づいてそのまま隣に座り、その背をぽんぽんと叩いた。

  

「せんちゃん」

  

「…………うん」

  

 せんはゆっくりと立ち上がり、ぺこりと無言で一礼すると三和土へと歩いていった。

  

「それじゃ、また今度お邪魔しますねっ!」

  

 続いてこんが元気よく礼をすると、せんの後に続いて三和土へと向かった。

 そして最後に、私が立ち上がった。


 左足はもう痛まなかった。

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