CASE6「能力を使うということ」
ではそろそろ、古秋夜葉の話をしよう。
冬木異能相談所の所員として、僕と一緒に入ったのが今からちょうど一年前。
そしてそもそも冬木異能相談所を知ることになったのは、僕が夜葉と出会ったからに他ならない。
ユンとの出会いは、以前語った通り。夜葉に会う少し前、中学二年に上がってすぐに買って貰ったスマートフォンに、気が付いたらビフォーライフトークなるアプリが入っていて、交信ができるようになってしまった。要するにスマホを乗っ取られたようなものである。
最初は、ユンから色々話を聞いても、異能についてどこか半信半疑だった。というか、すべてをそのまま、信じられるはずがなかった。
そんな折、僕は学校で夜葉のことを見かける。
……ここまできたら、正直に言ってしまおう。
一目惚れだった。
可愛くて、清楚な雰囲気の、でもどこか儚げな少女。
今まで自分の好みというものをあまり考えたことはなかったが、これこそが自分の好みだったのだ、とその時は確信した。
『……なんの因果だろうな』
夜葉のことをスマホのカメラを通してユンに見せると、そんなコメントを返してきた。
意味がわからなかったし、聞いても答えてくれなかった。その時の僕はまだユンのことをそこまで信頼していたわけではないので、深く考えず、追求しなかった。
少女が入ったばかりの一年生ということはわかったが、名前まで調べるのは意外と難しかった。同じ学年なら聞きようがあるが、一学年下となるとツテがなく、そうもいかない。
『調べてやったぜ。古秋夜葉って名前だ』
突然、ユンがそう教えてくれた。
もちろん、それだってデタラメの可能性があると、当時は思っていた。確認のしようもなかったし。
今では疑いようがないし、驚かなくなったが、ユンの万能能力ならば、すぐには無理だが時間をかければ、写真からでも名前を調べることは可能なのだった。
たまに校舎で見かける夜葉は、いつも一人だった。
そしてある日、放課後に校舎裏へと向かう夜葉を見付け、つい僕は追いかけてしまった。
校舎裏に一人で、なにをしに行くんだろう。気になったというのもあるし、その……なんだか嫌な予感もしたからだ。
しかし校舎の角を曲がって覗くと、そこには誰もいなかった。
校舎裏には特になにも無い。隠れることも不可能だし、塀は結構高いので夜葉のような小柄な少女が、今の一瞬で乗り越えられるとも思えなかった。
「どこにいったんだろ……」
『マジかよ……冗談きついぜ』
何故か、ユンは僕以上に驚いていた。
理由は、その夜すぐにわかることになる。
『おい、夢路。大事な話がある』
『なんだよ、急に』
いつもはこんな風には話しかけてこない。適当に、こんな能力があるんだが、みたいな感じで話しかけてくるばかりで、大事な話なんてしたことがなかった。
『お前が追いかけ回してる、古秋夜葉って女の子だけどな』
『追いかけ回してない。失礼な』
『どっちだっていい。あいつな、能力者だ』
『は? またなにを言い出すかと思えば』
『お前、俺様の言うことまだ信じていないのか?』
『そりゃ、だって……なぁ』
『ふん。とにかくあいつは、能力者だ。それも、瞬間移動能力者だ』
『瞬間移動? さっきのは瞬間移動で消えたって言うのか?』
『そうだ。ある意味、最凶の能力者だ。……まさかお前の時代にも現れるとはな』
『最凶って、なんでだよ。ていうかその言い方、ユンの時代にもいたのか?』
『……まぁな。俺様の、恋人だった』
『こ、恋人ぉ?!』
『そして古秋夜葉の前世だ』
『なに言ってんのかわからん!!』
結局僕がそこでBLTを閉じてしまい、その日はもう続きを聞かなかった。
それどころか、しばらく起動する気にもなれなかった。
ユンからも交信が無かったので、今思えば僕の心情を察知していたのだろう。
しかし、学校内である噂が広まり始めると、そうもいかなくなってしまった。
それは、突然姿が消える、女の子の幽霊が出るという噂だ。
僕はその噂を聞いて、すぐにユンから聞いた話を思い出す。
異能、瞬間移動。もしそれが本当だとしたら、幽霊の正体は夜葉かもしれない。
今は噂で済んでいるが……いつかは、はっきりと見られて、バレてしまうだろう。
そうなれば、夜葉はどうなる?
……僕は再び、BLTを起動した。
『ユン、この間の話の続きがしたい。彼女と接触を図るには、どうしたらいいと思う?』
『ようやくことの重大さに気付いたか』
『ああ。いや、完全に信じたわけじゃない。だけど、もしも本当で、疑っている間に手遅れになってしまったら、その方が嫌だ』
『ふん。まぁ今はそれでもいい。だが……お前は、もっと知らなければならない』
『わかった。どんな話でも聞いてやる。あの子のためなら』
『いい覚悟だ。俺様も腹を括った。詳しく話してやるぜ』
*
それは万能能力者ユンスランタと、瞬間移動能力者だった恋人のヨルンネリウスの物語。
ほとんどなんでもできるユンだったが、瞬間移動まではできなかった。
だからこそ、瞬間移動能力者であるヨルンに惹かれ、恋仲になったそうだ。
しかしヨルンは、次第に危険な思想を抱くようになる。
「私は、あの太陽に行ってみたい」
もちろんそんなことをすれば、その瞬間骨も残らず蒸発してしまう。
「なにを言ってる。いくらお前の能力でも、そんな遠くへは行けないさ」
ユンはそう答えたが、ヨルンの能力なら飛べるということは、わかっていた。
そしてヨルンも、わかっていながらも、そうだね、と小さく笑って応えたそうだ。
「ユンは、自分が神様みたいだと思ってる?」
「ふん。……だがまぁ、ここまで色々とできちまうとな。そう思うこともある」
「……そうだね。私だって、時々そう思う。すきな時に、すきな所へ飛べるのだもの。だからあなたも、私も……神なのかもしれないって」
そんな話をすると、またヨルンは太陽の方へ目を向ける。
ユンは、ヨルンが太陽へ飛ぶという欲求が高まっていると、感じていた。
その、理由についても、気付いていた。
「ヨルン。確かに君の命はもう長くはないかもしれない。だが少し待ってくれ。俺がなんとかして、君の病を治してみせる」
ヨルンの病は、ユンでも治すことができないものだった。心臓に生まれつきの腫瘍があり、それ自体に特殊な力が働いていて他の異能を受け付けず、無理に取り除こうとすれば、彼女の瞬間移動能力が暴走した挙げ句、命を落とすことになるそうだ。
「まだ実験途中だが、能力で事象の操作を行うことで、君の腫瘍そのものを……」
「ありがとう、ユン。知ってると思うけど、私の病は、体だけじゃない。心も病んでいた。でもその心の病は、すでに貴方が癒してくれた」
ユンが出会った頃、ヨルンはその短命の運命に、悲嘆に暮れていた。瞬間移動の力を使って、無茶苦茶していたらしい。
それがユンと出会うことで、心の平静を取り戻せたのだ。
「ヨルン……!」
「ユン。聞いて、最後にお願いがあるの」
「ダメだ、それだけはできない!」
ユンには、ヨルンがなにを望んでいるのか、わかっていた。
「私が太陽に飛ぼうとする前に、私を殺して」
「できるわけがないだろう!」
「ダメよ。このままだと、私は絶対に、死ぬ間際に飛ぼうとしてしまうから。そうしたら」
「この星と共に飛んでしまう、そう言いたいんだろう?!」
ヨルンの瞬間移動能力は、強力だ。触れているものならなんだって、共に飛ぶことができる。
それを、どこまでの範囲と解釈するかで、その恐ろしさは変わってくる。
普通なら、できると思うはずがない。
地球と共に飛ぶなんてこと、できると思うはずがない。
でもヨルンは普通ではなかった。それができると信じ、そしてできてしまう能力者だった。
なまじ強力な能力だったがために――ユンという万能能力者と出会い、まるで神のような能力者ですらできないことを、自分はできるのだと、知ってしまったがために――ヨルン自身も、自分が神のようだと、考えてしまったから。
この地球すらも、自分の所有物だと思えてしまう。
「この星は、私のもの……きっと、無意識でそう思ってしまうから。だから、持って行ってしまう」
「だからって、どうして俺が!」
「貴方にしか、できない。他の人に殺されるなんて、私には考えられない。逃げてしまうわ。それこそ、太陽に。だから……貴方がいいの」
ヨルンのその悲痛な願いを聞き、ユンは、彼女の命が本当に残り短いのだと悟る。
「…………っ! わかった。けど、やっぱり殺すことはできない」
「でも……わかっているでしょう? 私は、もう」
「眠らせる。病がお前を冒し、死に至らせるまで。ずっと、夢を見るんだ」
最期のその瞬間に、瞬間移動を使ってしまわないように。
「……ユン……。ごめんなさい。……ありがとう」
「ヨルン……」
「愛してる、ユンスランタ。私に、夢を見させて?」
「わかった。愛しているよ、ヨルンネリウス。――いい夢を」
ユンがヨルンに口づけをすると、ヨルンはゆっくりと瞼を閉じ、二度と開くことはなかった。
「でも、ヨルン? 俺は、君と、この星と共に、心中してもよかったんだぜ……?」
こうして、死ぬまでの短い時間を、ヨルンは夢の中で過ごすことになったのだった。
*
『……ということがあったわけだ』
ユンの話を聞いて、僕はすぐには文字が打てなかった。
『なんだよ、もしかして泣いているのか?』
『な、泣いてない!』
信じていない。……はずだったのに、ユンの話にすっかり引き込まれていた。
『とにかくだ、古秋夜葉はヨルンネリウスの生まれ変わりだ。お前と同じで、何代も前の前世の話だがな』
『って、ちょっと待って! じゃあ、僕があの子のこと気になるのって……』
『さすがに関係ねーだろ。時効だ。……ま、どっか好みは似てるのかもしれないけどな』
好み、という言葉にグサリと来る。まさに、夜葉みたいな子が好みだったんだと、自覚したばかりなのだ。
『……あれ? なんで、あの子はヨルンの能力受け継いでるの? 僕と違ってヨルンとの血縁があるってこと?』
『いや、無い。ヨルンとの子は……いないしな』
『そ、そう……。って、だったらなんで? 前世ってだけじゃ、能力は引き継がれないって言ってたじゃないか。だから僕はなんの能力もないんだろ?』
『古秋夜葉の瞬間移動能力は、あれは突然発生型だ。遺伝じゃない』
『それって、ヨルンの生まれ変わりに、偶然瞬間移動能力が備わったってこと?』
『そうなるなぁ……ちなみに腫瘍は無いから安心しろ』
『それなら良かった。……いやよくないよ、どんな偶然だよ! あり得るのか? まるで、誰かがそう仕組んだみたいなことが……』
『そうだな。もし、これに誰かの意志が働いているとしたら、それは神だろうな』
『え、神? 神様って、そんな』
『偶然は、それだけじゃねーからな。お前は、俺様と交信した直後にヨルンの生まれ変わりに出会った。そしてその生まれ変わりは瞬間移動能力に目覚めていた。まったく、これこそ運命ってやつだろ。そんなのいじれるのは、神くらいなもんだ』
『……でも、さっきの話で、ユンだって神様みたいなものだって』
『けっ! 今じゃそんなことまったく思ってねーよ。俺様には、運命なんていじれねーからな』
その言葉の意味を――今はわかってしまったから、僕はなにも言い返せなかった。
*
話を聞き、さらには『奥の手』まで見せて貰った僕は、もう異能について疑おうなどとは思わなかった。
本人は強く否定するが、お前が神か! と本気で思った。
そんなユンと色々考えてみたが、なかなかいい接触方法が思いつかなかった。
途方に暮れた僕は、商店街を歩いていると――不思議な名前の看板が目についた。
冬木異能相談所。
ぶるりと、スマホが震える。
『おい、この場所なんか変だぜ? 結界みたいなのが張ってあるな』
僕はしばらくそこで迷ったが、結局中に入ってみることにした。
「ようこそ、冬木異能相談所へ。君は、異能でお困りですな?」
出迎えたのは、白髪頭に白髭、黒いスラックスにベスト、赤いネクタイの細身の老紳士。
初代所長、冬木灯司郎だった。
戸惑う僕は、促されるままに中に入り、ソファに座らされる。
ちらりとスマホに目を向けると、ユンは無反応。なにも言わない。
「その携帯、ちと不思議な力を持っておるのお?」
「え? いや、これはその、別に」
「ほっほ。最新の『すまーとふぉん』じゃな」
「は、はぁ」
「……ふむ、特に害は無さそうじゃな。制限を緩めてやるか」
爺さんがそう言った途端、スマホがぶるりと震える。
『やっと突破できたぜ。というより結界が……ふん、緩めたわけか』
「ここにはの、異能が使えなくなる制限をかけておる。その『すまふぉ』にはその制限を取っ払ってやったんじゃよ」
「は、はぁ」
「ふぅむ、それにしても珍しい。その『すまふぉ』について、話してくれんか?」
なんだかもうわけがわからなかったが、ユンの許可が出たので説明することにする。
「なるほどのう……いやはや、万能能力者とは、素晴らしい」
『制限能力者なんて、俺様でも知らなかったぜ』
ユンでも知らない能力とは……この爺さん、ただ者ではない。
「それで、悩みはこのユン殿のことでは、ないんじゃな?」
「はい……そうですね」
ユンも認めている相手だ、もう隠すこともないだろう。
僕は正直に夜葉の話をした。
「ふむ……それはそれは。確かに、ちと厄介じゃが……」
爺さんは立ち上がると、バンと夢路の背中を叩いた。
「あいたっ!」
「しっかりせい! 女の子の一人くらい、呼び出せるじゃろ!」
「え、ええぇ?」
「その子をここに連れてきなさい。そうしたら、能力の方は儂がなんとかしよう」
よくよく考えれば、爺さんの言う通りだったのだ。
接触の方法を考える、だなんて……そんなの、学年は違えど同じ学校なのだ、クラスくらいは探せばわかるのだから、直接教室に行って呼び出せばいいだけである。
ただ、ものすごく勇気がいるだけで。
しかしぐだぐだ言っている時間はない。噂は広まりつつあるし、いつかは夜葉だとバレるに違いない。
翌日僕は、昼休みに一年生の教室へと向かった。夜葉は、すぐに見付かる。
「あの、このクラスに古秋夜葉っていると思うんだけど……ほら、窓際のあの子」
「え? あ、はい。呼んでくればいいですか?」
「うん。お願いします」
廊下にいたそのクラスと思わしき女の子に、思わず敬語で頼んでしまう。
その子はちょっとだけ笑うと、素直に夜葉を呼んでくれた。
当然だが、夜葉は不思議そうな顔をして廊下に出てきた。
「は、初めまして、古秋さん。僕は、二年の白鷹夢路です」
「はい……」
やはり警戒しているようだ。
どうして自分の名前を知っているんだと、思っているはず。
「君は……」
瞬間移動能力者だよね、と聞こうとして、やめる。
いきなりそれはマズイと、咄嗟に気付いたのだ。
昨日あの後、ユンと話をした。
もしかしたら、能力を制御できていないのかもしれない、と。
噂はおそらく、本人の耳にも届いているはず。それなのに目撃者が減らないのは、本人が使いたくなくても、勝手に発動してしまうからではないか?
そして少なからず注目を集めているこの状況下で、そんな質問をして動揺させ、能力を発動されたら……発動してしまったら、言い逃れは出来なくなる。
「あの……私に、なにか用事なんですよね」
「ああ、そうなんだ」
場所を変えたいが、警戒されているこの状況では素直についてきてくれるとは思えない。本当のことを言えればついてきてくれるんだろうが、それができない。
どうすれば、彼女を救える? 教えてくれ、ユン――
「……そうだ。ちょっと待って」
僕はスマホを取り出し、BLTを立ち上げて文字を入力する。
そして他のログが見えないように手で隠して、彼女に画面を見せた。
「えっ……?」
『君は、異能でお困りだよね? 古秋夜葉さん』
思い出したのは、昨日の冬木異能相談所。入った時にかけられた、爺さんの言葉だった。
*
声に出さず、なるべく動揺させず、用件を悟らせる。
その三つを同時に可能にさせると、彼女は静かに頷いて、僕についてきてくれた。
警戒を解いたわけではないだろうが、無事に場所を変えることに成功し、きちんと話をすることができたのだ。
もっとも、後々聞いたところによると、特別警戒はしていなかったそうだ。
用件に心当たりはなかったが、第一印象で悪い人ではなさそうだと、思ってくれたらしい。ありがたい。
その後色々なやり取りがあって、冬木異能相談所に連れて行き、冬木の爺さんに夜葉の瞬間移動能力に制限をかけてもらうことができた。……しかし。
「報酬は二〇万になるぞ」
「……って、金取るの?!」
「当たり前じゃ」
「そんなに払えるわけないじゃないか! 僕は中学生だぞ?」
「だったら、ここで働きなさい。ちょうど跡継ぎ候補が欲しかったしのう」
「こ、ここで?」
「嫌なら二〇万、今すぐ払ってもらうぞ」
『はっはっは! 夢路、いいじゃねーか。面白そうだ』
「ユン……。むぅ、わかったよ」
冬木の爺さんがそんな交渉を持ちかけたせいで、僕はここの所員となったわけだ。
二〇万なんて払えないというのもあったが……ユンと同じで、少し面白そうだと思ったのも確かだった。
もちろん、冬木の爺さんは僕ではなく、ユンという万能能力者の力を見込んだんだろうけど。
「待ってください! 白鷹さんが依頼料のために働くのなら、私も一緒に働きます!」
夜葉がそう買って出た時、僕は心臓が飛び出るかと思った。
彼女が責任を感じることはない……と、言うのは無理があるか。
夜葉の悩みを、僕が代わりに相談所に相談したようなものなのだから。
冬木の爺さんはそんな夜葉の気持ちを汲んで、了承し、完全に制限していた能力を少しだけ緩め、条件を付けた。
それが、相談所と僕のそばになら飛べるというのと、僕なら一緒に飛ぶことができ、また僕が触れているものならば他のものも一緒に飛べるという、特殊な条件だった。
*
――大事なお話があります。屋上で待っています。古秋夜葉――
さて。時間を戻そう。
月森幹子の件を解決した翌日、放課後。
帰ろうと下駄箱を開けたら、そんな手紙が入っていた。
一瞬喜びかけたが、わかっている、これはラブレターなんかではない。
――追伸、外に出られるように靴と鞄を持ってきてください――
なんて書いてあるし。
一応ユンに報告し、それから屋上へと向かった。
事務所ではなく、学校の屋上を選んだということは……やはり、ユンの心配した通りなのかもしれない。
屋上に出ると、まだ明るい空の下、夜葉が一人で待っていた。
「ありがとうございます……来ていただいて」
「そりゃ、来るよ。……それで、どうしたんだ?」
「事務所ではできない、相談があるんです」
「相談か。いいぞ、何についてだ?」
「ここではなんですので、場所を変えましょう」
そういうと夜葉は、近寄って僕の手を取る。
そして次の瞬間――青かった空が瑞々しい木々の緑に変わった。
テレポート。僕らは今、山の中にいる。
「ここなら、邪魔は入りませんね」
「……そうだな」
夜葉は普通に、制服を着たままだった。
*
服を着たまま、見知らぬ場所へ瞬間移動できる――それは、つまり。
「もう、わかっていただけたと思いますが……私の能力の、制限が緩んでしまっています」
「そうみたいだな……。昨日の、あの後からか?」
すでにユンから聞いてはいたが、一応確認してみる。
「気付いたのは、今朝です。夢の中で、自由に瞬間移動する夢を見て……何故でしょうね、できると、思ったんです。でも念のため、最初は事務所に飛んでみることにしました。そうしたら……」
「服を着たまま飛べたわけだ」
「はい、パジャマを着たままでした。そしてそのまま、自分の部屋に戻ることもできました」
パジャマか――いやなんでもない。
とにかく、現状を把握しよう。
この場所は……山の中だが、下の方に街並みが見える。あれは、僕らが住む街だ。
つまりここは、街の北側を囲む山々の一つ、その山腹辺りというわけだ。見知らぬ土地ではないようだ。
「どうして、制限が緩んだんだと思う?」
「きっかけは、昨日の月森さんの能力です」
「思考を止められかけたな」
「はい、それです。どうも、冬木のお爺さんの制限能力は、人の思考に働きかけるようですね。無意識にリミッターをかけてしまうというか。そして昨日、月森さんの能力の影響で、一時的にそのリミッターが外れました。彼女の能力が消えると同時に再びリミッターはかかりましたが……意識をすれば、外せてしまうんですよ」
「……なるほど」
ここまでは、ユンの予想通りだった。制限能力の効果が緩んでいるかもしれないと気付き、二人で考察を重ねて辿り着いた答えと同じ。問題は……。
「夜葉。冬木の爺さんの能力が緩んでしまったのは、わかった。それで、夜葉はどうしたいんだ? 再び能力を封じたいのか、それとも、このまま枷を外し能力を自由に使いたいのか?」
「私は……」
夜葉は、僕の目をじっと見つめる。
「夢路さん。私はいま、この瞬間移動能力を、きちんと制御できています」
「それは……」
「一年前までのように、ちょっと思っただけで勝手に瞬間移動してしまうようなことはありません。……緩んではいても、制限が完全に無くなったわけじゃないからかもしれませんが」
「おそらくそうだろうが、それだけじゃないな」
「はい。日頃、能力を使っていたからだと、私も思います」
夜葉はだいたい、事務所に来るときに瞬間移動を使っている。
学校から一度家に帰り、そこから事務所にテレポートする。当然服は脱げるので、ロッカールームでいつもの黒のワンピースに着替えるのだ。
当然事務所の服を着て帰るので、そのうちストックが無くなるから休みの日に洗濯をして持ってきているようだが。
なんでそんな面倒なことをするのか聞くと、
「助手として、夢路さんを出迎えたいですから」
ということらしい。まさに助手の鑑である。
そのため、例え校門で別れて僕が先に事務所に向かっても、夜葉が出迎えてくれるのだ。
……もっとも、寒い冬の間は普通に通っていたようだが。僕も気を遣って極力ゆっくり事務所に向かったものだ。風邪をひかれても困るし。
とにかく、制限下であったとはいえ、毎日のように使っていれば、制御の術が身についていてもおかしくはない。
「覚えていますか、夢路さん。一年前のこと」
「当たり前だよ」
「……そうですよね。あの頃、私は自分が消えてしまいたいと、思っていました」
それは、学校で夜葉を呼び出した後。
冬木異能相談所に連れて行くことになるまでの話。
再び、思考が一年前に飛ぶ。
*
昼休みに夜葉と話す機会を作れた僕は、屋上に場所を変えることにした。
「あの……どうして、私のこと」
「まぁちょっと……なんて説明したらいいか。僕の、そうだな……相棒みたいなやつが、ちょっとすごいヤツで、君の能力、瞬間移動のことを見抜いたんだよ」
「……! そう、ですか……」
「安心してほしい。他の誰にも喋っていないから。例の噂の幽霊の正体が、君だってことは、僕しか知らないはずだ」
「本当に……なにもかもお見通しですね」
「……能力が、制御できないのか?」
「はい。どこかに行きたいと、ちょっとでも思っただけで……本当に飛んでしまいます」
「それは……よく、今までバレなかったな」
「そうですね。そういう気持ちを抑えるのは、だいぶ慣れました」
「慣れたって、いったいいつから能力が使えたんだ?」
「小学校入った頃からです。初めのうちは、本当に大変でした。あちこち飛んじゃって」
「……ほんとよくニュースにならなかったもんだ」
色んなところに瞬間移動しまくる少女。うまく、人目には付かなかったということか。
「便利だって、思いますか?」
「……どうだろうな。制御できれば、そう思うが」
「そうですよね。制御できれば……」
そう言って俯く夜葉。
「なにか、あったのか?」
「白鷹さん。制御できないというのは、勝手に発動してしまうだけじゃありません。本当に飛びたい時に、能力が発動しないこともあるということです」
「確かに、そうだな……。ということは、そういう事態があったということか」
こくりと、小さく頷く。
「詳しく聞いても、いいか?」
「……白鷹さん」
顔を上げ、僕をじっと見つめてくる。
「白鷹さんは、どうしてそんなに、私のことを気にかけようとするのですか?」
「それは……」
考えるまでもない。だけど、今はすべてを言葉にできない。
「……君の悩みを、解決してあげたいんだ」
「私の……」
「君を助けたい」
それもまた、素直な気持ちの一つだった。
*
「わかりました、白鷹さん。お話しします」
そう言って、夜葉はゆっくりと、自分の過去を話し始めた。
夜葉の家は、両親との三人暮らしだったそうだ。
父親は登山家で、たまに長期間家を空けることがあったらしい。
その冬の日も、父親は家を空けていて、母親と二人で過ごしていたらしい。
夜葉はまだ、一〇歳。すでに能力に目覚めていて、ようやくどこかへ行きたいという気持ちを抑えられるようになってきたところだった。
クリスマスイブ。本当なら、ケーキを食べて楽しく過ごす予定だったのに、母親はテレビとラジオを付け、電話の前で黙って座っていた。テレビとラジオはニュースを流し続けていたが、母親にとっては無意味なニュースばかりのようで、じっと電話だけを見ていた。
実際、たまに電話が鳴ると素早く取り、何度も頷いたあと、ため息をついて受話器を置くというのを繰り返していた。
さすがに、夜葉にも状況はわかっていた。
雪山に登山中の父親たちが、遭難中なのだった。
受話器から漏れ出る声から察するに、どうやら父親の居場所の見当は付いているものの、吹雪で救助が辿り着けないらしい。
それならば、簡単な話だった。自分が、父の元へ飛び、連れて帰ってくればいい。
幼い夜葉でも思いつくことだ。
実際母親も、それを期待しているようだった。
「あなた……!」
ベルが鳴ったか鳴らなかったかわからないほどの速さで取った電話は、なんと父親からだった。
「でも……あなた、夜葉なら……! ……ええ、わかってる。わかってるけど、うまくやれば……!」
その頃の夜葉には、両親がどんなやり取りをしているのか、まったくわからなかった。
「……わかったわ。そうね、私がおかしかった……ありがとう。愛してる、あなた」
そう言って、受話器を置く母親は、涙を流していた。
「お母さん?」
「いい、夜葉? お父さんの所に飛ぼうとしちゃダメよ」
「え? でも、わたしなら……」
「絶対に、ダメよ」
その時は、どうしてダメなのかわからなかった。
今なら、わかる。
父親は一人で遭難しているわけではない。他にも仲間がいて、一緒に遭難している。
どうしても、目撃者は出てしまう。
もしそれをやれば、夜葉の能力が世間にバレてしまうだろう。
父親は、それを恐れ、能力を使わせないよう、母親に釘を刺したのだ。
「お母さん……」
だけど、子供にそんな理屈は通用しない。
お父さんを助ける。そのために、この力はあるんだと、信じていた。
「だけど、そんな時に限って、瞬間移動が発動しませんでした」
「…………」
「どれだけ強く願っても、父の所へは飛べなかったんです」
「それは、でも」
「両親の願いとか、そんなのは関係ありません。……私は今でも後悔しているんです。あの日、飛べなかったことを。肝心な時に発動しなかった、瞬間移動能力を恨んでいます。そして未熟な私自身を……すべて、消してしまいたいと、思っているんです」
*
僕はごくりと唾を飲み込んでいた。
正直、ここまで重い事情が飛び出してくるとは思っていなかったのだ。
でも、それでも……助けたい。
「例えば、満月の夜に……月面に飛んだら、素敵だと思いませんか? 兎を見る前に、死んでしまうと思いますけど」
「っ!! ……そう、だな。兎はいないと思うが」
「ロマンがないですよ、白鷹さん」
「そんなこと、ないさ」
何代も前の前世と会話ができるなんて、ロマンが溢れているだろう?
僕はぎゅっと、手の中のスマホを握る。
夜葉のその発想が、先日聞いた、太陽に飛びたがったヨルンを思い起こし、動揺してしまう。
やはり……生まれ変わりだから、なのか?
「自分が死ねば、それで自分が消えたことになるなんて、思っているのか?」
「はい。少なくとも、これからの未来からは消えます」
「そんなの、消えられてないよ。君の母親や、僕の記憶にも残り続ける」
「それは……そうかもしれませんが」
「死んで、それですべてを無かったことにできるのは、自分にとってだけだ! そんな行為になんの意味もない! 君のお父さんだって、そんなことのために、お母さんに最後の電話をかけたわけじゃないはずだ!」
カッと夜葉の顔が真っ赤に染まる。
「わかったようなこと言わないでください! あなたにお父さんのなにがわかるんですか!」
「君のお父さんのことは知らないが、でも気持ちはわかる! 君に、平穏に過ごして欲しかったに決まってるんだ! その決意が、どれほど重たいものだったか……!」
「わかりますよ! でも残された私とお母さんは、どうなるんですか!」
「そう思うなら、なんでお母さんを一人残そうとするんだよ!」
「…………!」
夜葉の顔が、今度は真っ白になる。
「……白鷹さん。それでも、私は、消えてしまいたいです」
「どうして……」
「あの日、私が能力を使おうとして、使えなかった時。使えないとわかった時。お母さんが、どんな顔をしたか、わかりますか?」
「…………!!」
「あの時は、ただただ恐かった。でも今ならわかります。一瞬でしたが、あれは、怒りと絶望が混ざり合った表情です。……お母さんもやはり、望んでいたんですよ。お父さんの決意を聞いても、それでも私が、お父さんを助けに行くことを」
それは……。さすがに僕は、すぐに口を開くことができなかった。
「だから、やっぱり、私は消えるべきなんです」
「お母さんが、君のことを恨んでいるから、だから消えるのか?」
「……そうですね」
僕はじっと、夜葉の目を見つめる。夜葉は、すっと視線を下げて目を逸らした。
「違うんじゃないかな。古秋さん。……もしかして、そのあとすぐに、お母さんは……」
ここは、間違えられない。間違えてはいけないポイントだ。
「お母さんは、謝ったんじゃないか?」
「…………!!」
夜葉は驚いて、顔を上げる。
「君にすぐに、謝ったんじゃないか?」
「……参りました。本当に、お見通しですね」
「古秋さん……」
「その通りですよ。お母さんは、すぐに怯えるような顔をして、私を抱きしめて泣きながら謝りました。それだけじゃありません。……父の命日が近くなると特にそうなんですが、時々私を抱きしめて、謝るんです。仏壇の父の位牌に向かって、謝っているのを見かけたこともあります。……泣きながらです。お母さんは、後悔しているんです。あの時、私に向けた感情を。ずっと、罪として背負っているんです」
その一瞬、抱いてはいけない感情を抱いてしまったとしても、すぐにそのことに気付くのではないだろうかと、僕は考えたのだ。母親とは、そういうものだろうと。
「お母さんは、ずっと自分を傷付け続けています。だから……だから、私は消えるべきなんです」
「古秋さん。でもそれは違うよ。もうわかっているんじゃないか? もし君が消えたら、死んでしまったら、君のお母さんは今よりももっと深い傷を負うことになる。自分を傷付けてまで、娘を思い遣るお母さんなんだ。どういう結果を迎えるか、わかるだろう?」
「……だったら」
つうっと、夜葉の頬に涙が伝う。
「だったら私は、どうすればいいんですか? 私は、本人がなんと言おうと、お父さんを助けるべきだったと思っているし、助けられなかった自分が、許せません! お母さんを傷付け続けることにも、耐えられません!」
「…………………」
僕は黙って、夜葉を見つめる。
正直に言えば、僕にだってわからなかった。
本当のことを引き出すことはできても、答えを出すことはできない。
だって、そんな答えをどうやって出せばいい? 僕は彼女よりほんの一年ほど長く生きているだけの、まだ子供なのだ。どうしたらいいのかなんて、ましてやお父さんを助けるべきだったのかどうかさえも、わからないのだ。お母さんの傷を癒す方法も、わからない。
だから僕は、叫んだ。
「わからないよ!」
「………………え?」
「そんな難しい答え、わからない! だから!」
僕は後ろを向いて駆け出し、フェンスに飛びかかった。
「な、なにをするんですか!?」
がしゃがしゃと音を立ててフェンスを登っていく。
「君が、月に飛んで死ぬというなら、僕もここから飛び降りて死ぬ!」
「と、とびおり……?!」
一番上まで登り、フェンスを跨いで夜葉を見下ろした。
「うっ……」
当然だが、高い。ちょっと風が吹けば、下まで真っ逆さまだ。
「ば、馬鹿なことはやめてください」
「だったら君も、馬鹿なこと考えるのはやめろ」
「めちゃくちゃですよ、そんなの!」
「ああ、自分でもそう思うよ!」
なにをやってるんだろう、と思う。こんな無茶苦茶な方法、無理がある。
「降りてください、お願いだから……」
「い、いやだ! 君が考えを改めない限り、降りないぞ!」
「そんなのずるいですよ! ……私は……」
……無謀過ぎただろうか。だけど、後悔しても遅い。
「いいか、古秋さん! 僕はまだ子供だ! 君だって子供だ! 色々辛いことがあったと思う。君の過去は、人よりずっと重いと思うよ! だけど、まだ――これからだろう!」
「そんなの、私にこれからなんて……想像できないですよ!」
「だったら、僕が道を示すよ! 未来を作ってあげるよ! 言っただろう? 僕は、君を助けたいって!」
「………!! 白鷹さん……」
夜葉の瞳から、再び涙が流れる。
よし、もう少しで――。
「だから、月に飛ぶなんて考えは――っととと!」
「あぶない!」
突然の強風に、僕の体が外側へぐらりと傾く。
あ、これはやばい――もしもの時は、ユンが助けてくれるかな……。
「だめです!」
そんな声が、まさに倒れようとしている校舎の外側から、聞こえた。
そして思い切り突き飛ばされ、僕の体は反対に、内側へと倒れ込む。
夜葉だ。夜葉が、瞬間移動して飛びついてきたのだ。
落ちる――このフェンス結構高いから痛そう――と思った次の瞬間には、僕は屋上の床に寝ころんでいた。衝撃はあったが、それはただ横に倒れ込んだ程度の軽いものだった。
「よかった、上手くいって……」
……空中で、もう一度瞬間移動したのか。
夜葉は僕の上でほっと息を吐くと、胸に顔を埋めて、嗚咽を漏らして泣き出してしまう。
「……ごめん、無茶苦茶なこと、して」
「いえ……いいんです。助け、られたから……」
お父さんの代わりに。
口にはしなかったが、そんな意味があるような気がした。
「古秋さん……。僕にはやっぱり、答えは出せないけど」
「……はい」
「君の能力を、なんとかするアテがあるんだ。放課後、ちょっと付き合ってくれないか」
こうして、夜葉を冬木異能相談所に連れて行くことができ。
学校の幽霊の噂も、ぴたりと止まったのだった。
*
「……あの時は、本当無茶苦茶だったと思う。思い返すと本当に恥ずかしい」
「ですよね……人のこと言えませんけど」
一年前のことを思い出し、お互いちょっとだけ笑い合う。
街の北側、山の中腹で。もうすぐ暮れ始めそうな空を眺める。
「夢路さん。私は、勝手に能力が発動してしまわないようになるだけじゃなく、発動したい時にきちんと発動できるようになりました」
「ああ、そうだな」
「だからこそ……また、考えてしまうんです。あの時出せなかった、答えについて」
やはり、そうなるのか。予想はしていた。
僕は頷いて、続きを促す。
「私は、やっぱりお父さんを助けるべきだったと思います。そして、助けることの出来なかった自分が、許せません。お母さんは、今でも私を抱きしめて謝ります。……夢路さん、私は、どうすればいいのでしょう」
あの時は、出せなかった答え。
あれから一年、僕は冬木異能相談所の所員として、そして所長代理として、たくさんの能力者の相談に乗り、その悩みを解決してきた。
そのたびに、僕は夜葉のことを考えた。あの時の答えを求め続けた。
「夜葉。僕も、お父さんを助けるべきだったと思うよ」
「はい。……やっぱり、そうですよね」
「お父さんとお母さんの覚悟は、それはそれで尊重すべきだ。だけど……そんなの、子供には重すぎるよ。現に、君はその重さに耐えられていなかった」
「…………はい」
「そして、色んな異能者を見て、思った。確かに能力を使わないというのも、自衛の一つだ。だけど……じゃあ、持った力をいつ使うっていうんだ? 自分の父親が、大事な人が死のうとしている時に使わなくて、いつ使う?
……だから僕は、助けるべきだったと、思う」
僕の言葉に、夜葉は暗く俯いていく。
傷付けている。そう思うと、僕の胸も苦しい。
「だけど君は、助けようとしたんだろう?」
「……! はい、もちろんそうです!」
「助けようとして、でも……助けられなかった」
能力が発動せず、お父さんの元へ飛べなかった。
「なら、仕方がないじゃないか」
「仕方がないじゃ済まないですよ! 私は……!」
「未熟だった。それはつまり、君はお父さんを助ける力を持っていなかった、ということだ」
「そ、そんな、の」
「夜葉、君は、力を発動できなかった本当の理由に、もう気付いているんだろう?」
「……はい。お父さんの居場所が、わからなかったからです」
「そうだ。幼い君には、地名を聞いてもそれがどこだか、認識できなかった」
「はい。瞬間移動で飛ぶ先がイメージできなければ、私は飛ぶことができません」
それが、夜葉の能力のルール。
冬木の爺さんが設けた僕の側になら飛べるという条件も、だいたいでも僕の居場所がわからなければ、飛ぶことはできないのだ。
「君は当時、能力だけじゃなく、知識的にも未熟だった」
「……そうですね。私は、子供でした」
「今の君なら助けられたが、子供の君では助けられなかった。詭弁だと思うか? だけど、君が消えずに今まで生きて、成長して、だからこそ得られたんだ。助けられる力を」
「でも、そんな答えじゃ……私は、満足できませんよ。それに、お母さんのことは、どうすればいいんですか?」
「ああ……。すまない」
僕は、まだまだ未熟だ。一年もあったのに、結局言えるのはこんなことだけだ。
でも……夜葉は涙を流しながら、笑っていた。
「今の僕じゃ、こんなことしか言えないんだ。それが、今の僕の力だから」
「はい……」
「でも、そうだな。代わりに、一年前のあの時に伝えられなかったこと、今なら言えるよ」
「夢路さんが……私に、ですか?」
「うん。あの時どうして、君のことを気にかけたのか。それは……」
一年間、ずっと一緒にいて。だけどずっと、伝えられなかった言葉。
「夜葉。君のことが、好きだからだよ。実は、一目惚れだったんだ」
夜葉の顔が朱色に染まり、それと共に夕日の赤が二人を照らし始めた。
*
「ゆ、ゆ、ゆめ、夢路さん?! が、わ、わたし、を?」
そこまで驚かれることの方に、僕は驚いてしまう。
まさか、まったく気付いていなかったんだろうか。
「迷惑、だったか?」
……よくよく考えたら、これからも同じ職場で顔を合わせるんだよな……。
つい、勢いで告白してしまったが、よかったのか?
「迷惑だなんてとんでもない! ちょ、ちょっと待ってください!」
夜葉はすーはーすーはーと大きく深呼吸している。
突然そんな告白をされたら、激しく動揺するのも無理はない。
「……えっと、一年前のあの日、私を呼び出した時のこと、覚えていますか?」
「ああ。すごく警戒してたように見えたけど、違うんだっけ?」
「はい。違います。警戒していたわけじゃありません」
夜葉はようやく落ち着いたのか、くすりと笑む。
「なんか、優しそうな人が呼んでくれたなぁって、思ったんです」
「……本当か? 明らかに警戒してたと思うんだけどなぁ」
「警戒と言えば、警戒ですけど……もしかして、告白でもされるのかと」
「ぶっ!?」
いや、でも一目惚れしていたわけで、能力の件が無ければ……そういう未来も、あったのか?
「結局は、能力の件で……。あ、スマホで見せてくれたのは、助かりました。声に出されていたら、動揺してどこかに飛んでいたかもしれません」
「まぁ、そこは気を遣ったからな」
「でもその時、ちょっぴり残念でした」
「……ざ、ざんねん?」
「自分の人生の最後に、こんな人から告白されるのも、いいなぁって」
「ちょっ?! それってもし告白だったら、そのまま月に飛んでたかもってことか?」
「はい、そうです」
なんてことだ……告白しなくてよかった。
「でも……わかりませんね。もしかしたら、それだけで、消えるのを諦めたかもしれません。少なくとも、今だったら絶対諦めます」
「……って、夜葉。それってつまり」
夜葉は真っ赤な顔で、ニッコリ微笑んだ。
「はい。私も、夢路さんが好きです。……もしかして、気付いてなかったですか?」
自分の頬が、かーっと急激に真っ赤に染まるのがわかる。
「い、いやぁ、うん。わからなかったっていうか、なんていうか」
「人のこと言えませんけど、夢路さんも結構鈍いですね」
「いや、だってわからないよ……」
「好きじゃなかったら、毎日事務所で出迎えたいだなんて、思いません」
「あー……それも、そうか」
言われてみると、確かにその通りだった。
顔を見合わせ、照れ隠しするように笑い合う。
だけど、夕日の赤の中でも隠せないほど、お互いの顔は真っ赤だった。
*
「ところで……夢路さん。問題が発生しました」
「なんだ?」
顔の熱が冷めるまで、二人でじっと夕日を眺めていると、夜葉がそんなことを言い始める。
「……さっきの夢路さんとの会話で、どうも……冬木のお爺さんの制限能力が、完全に復活してしまいました」
「ほほう……それは、意識しても制限が外せなくなったってことか」
つまり夜葉の能力は元通り。
相談所と僕の側になら飛べる。僕も一緒に飛ぶことができ、また僕が触れているものならば他のものも一緒に飛べる。ということは……。
「……飛んで帰るのには、夜葉の制服が犠牲になるな」
「鞄もです! というかさすがに困りますよ!」
と、言われても。ここに連れてきたのは夜葉だ。
「鞄と靴だけなら僕が持てばいいが、制服はな……」
「うう、やっぱりちょっとこの制限は、理不尽です」
以前一度、試しに夜葉の服を掴んだ状態で飛んでみたことがある。
が、そんなズルは許されなかった。
夜葉は裸になった。僕は紳士として、きちんと目を瞑っていた。
「どうするかな……」
最終手段はなくなはい。
確かに着た状態の服は掴んでも一緒に飛ぶことができなかった。
しかし、予め服を脱ぎ、それを僕の荷物として持てば、すべて一緒に飛ぶことが可能だ。
……が、それはできない。できるわけがない。
夜葉にこんな所で裸になれと? 無茶を言うな。
「……夢路さん?」
「大丈夫だ、そんな提案しないから」
「? なにを言ってるんですか。それより、下山の道を探しましょう」
まぁそれが正しい。が……すでに日が暮れ始めているのだ。
街は見えているが、道は見えない。今から下山するのは危険だろう。
「仕方ない。いや、いい機会かもしれないな。夜葉、君にも見てもらいたいんだ」
「え? なにをですか?」
僕はスマホを取り出し、BLTを起動する。
『ユン、状況わかってるよな?』
『ああ、告白成功おめでとう』
『そうじゃない! ……できるよな?』
『しゃーねーな。祝いにいっちょ、派手にやってやっかあ!』
江戸っ子か。余計なことまでしないといいんだけどな……ちょっと嫌な予感がする。
「夜葉。これから、万能能力者ユンスランタの、奥の手を披露する」
「奥の手? あ、そういえば前に、そんな話をしてましたね……。でも、とんでもないんですよね? 滅多には使えないから、なかなか見せられないって」
そう、ユンの奥の手は、とんでもない。
僕は背面のカメラを、町の方に向けてかざす。
『ユン、僕らはここから見えるあの街へ帰る手段が欲しい』
『よし。任せろ』
スマホを手元に戻し、BLTの画面を夜葉と二人で覗き込む。
『事象精査開始……事象海のマッピング完了』
「いったい、ユンさんはなにを……」
「まぁ、見てて」
正直なにを行っているのかは、僕にもわからない。
『事象調整、確定連鎖、次元障壁、複合能力発動』
『未来予知開始。事象海マップの補完、誤差修正完了。次元干渉を拒否』
『連鎖の原点確認。シミュレート開始。事象障害の迂回、現在過去の連鎖進路確保』
『連鎖の終点確認。未来予知開始。振れ幅確認、問題無し。現在未来の進路確認、障害無し。……シミュレート完了』
これを見るのは二度目だが……確かそろそろのはず。
『さあ、動かすぞ! よぉく見とけよ!』
言われて僕は、視線を前に向ける。目の前の、街並みへ。つられて夜葉もそっちを向く。
『これが俺様の奥の手だ! 発動、複合能力! 事象調整連鎖・現在点改変!!』
スマホの画面が光り輝き――
「なっ……?!」
「うそ……」
目の前で始まった現象に、僕と夜葉は同時に声を上げた。
山の下に見える街から一本の道が延び、蛇のようにうねりながら山を登ってきたのだ。
いや、正確には、道が現れる。元々そこにあったかのように、浮かび上がるように。
時には山の形を変え、にょきにょきと道路は延びる。いや、伸びる。
白線が引かれていき、ガードレールまで丁寧に生えていく。
「こ、これはものすごいな……ここまでできるのかよ」
「これ、ユンさんがやってるんですか?!」
道はあっという間に僕らの足下までやってきた。すると今度は、周囲が切り開かれ、小さな駐車場とバス停が、地面から生えた。にょきっと。
まるで魔法を見ているかのようだった。
「ユンの奥の手っていうのは……ユンのいる過去から、僕らの現在を改変する能力なんだ」
「それって、つまり……?」
「ユンが過去でなにかをすることで、その事象の連鎖が、ここに道路を造るんだよ。ユンの説明によれば、複雑な未来予知を繰り返しながら、事象を連鎖させる能力と、歴史が崩れてしまわないようにバランスを取る能力と、それによる次元の崩壊が起きないように保護する能力を駆使して、望む現在を作り出すとかなんとか……」
「あ、あり得ないですよそんなの!」
「本当にな……僕もそう思うよ」
本当に、とんでもない。
さっき、力は使うべき時に使え、みたいな話を夜葉にしたが、あとで少し訂正しておこう。
ここまで強力な力は、使わなくて済むなら使わない方がいい。
『はぁ……さすがの俺様でも疲れたぜ。結構繊細な調整が必要なんだぜ?』
『ご苦労様。……ありがとう、ユン』
そう文字を打ったところで、下からバスがやってくるのが見えた。
よかった、あのバスに乗れば帰ることができそうだ。
しかしそのバスの行き先表示を見て、僕らは目を丸くする。
「山の上ユンネリウス教会行き……?」
振り返ると、僕らの後ろには、ステンドグラスが填め込まれ、天辺に十字架のある建物。いつの間にか、綺麗な教会が現れていた。
そして、それがユンの余計なメッセージだと気が付いてしまい、僕らはバスが到着するまで、ぴしりと固まっていたのだった。
……ユン。やっぱり、やってくれたな。
*
バスは、僕らがいるところ……教会で折り返し下山する、循環バスだった。
他に誰も乗っていなくて、一番後ろに並んで座った。
「あの……夢路さん。こんなことを考えてはいけないんだと思いますが……」
「……もしかして、ユンの能力でお父さんを、か?」
「!! ……夢路さんはなんでもお見通しですね」
「当時、僕も同じことを考えたから」
スマホに目を落とす。そう、同じことをユンに聞いたことがあるのだ。しかし……。
「それは無理だって言われたよ。振れ幅が大きすぎるんだってさ」
「どういうことですか?」
「それをやると、この現在に辿り着けなくなる。つまりこうして一緒にいる歴史が、消えてしまうんだそうだ」
「それって、夢路さんと出会えなくなるってことですか?」
「わからないけど、その可能性は十分ある」
「そんな……いえ、そうですね。お父さんを助けていたら、私は夢路さんと会えなかったかもしれない……」
「それは、言い過ぎかも知れないけど……」
でも……少なくとも、夜葉の人生は大きく変わってしまうだろう。
「夢路さん。その理由なら、私は納得できたかもしれませんよ?」
「夜葉……」
「私、たぶん今……幸せです。夢路さんとユンさんと一緒に、冬木異能相談所に勤めることができて。穂純さんとも仲良くなれました」
そっと、夜葉が僕の方に頭を寄せる。
「夢路さんとこうして……一緒に、いられます……」
「……そうだな。僕も、幸せだよ」
それからしばらく、黙ってバスに揺られる。
「……夢路さん。帰ったら私、お母さんと話します」
「話す?」
「はい。今まで、きちんと話をしてきませんでしたから。……あの日のこと」
「そうか……」
「お互い、わかっているって、気付いていたから……だから、それに甘えて話をしてきませんでした。……それじゃ、駄目ですよね。言葉にして、きちんと話さないと。正面から、真っ直ぐ、お互いの顔を見ながら、話さないといけなかったんですよ」
「そうだな。……なんだ、自分で解決方法、見付けられたじゃないか」
「そうですね。でも、これも、夢路さんのおかげですよ」
そして目を瞑り……そのまま、眠ってしまった。
「さすがに、疲れたのかな」
僕はそっと手を動かして、スマホのBLTを立ち上げる。
『ユン、今日はありがとう』
改めて礼を打つが、ユンはすぐには返事をしなかった。
『ユン?』
『……なぁ、夢路。ちょっと聞いていいか?』
『なんだ? 珍しいな』
『俺様は、ヨルンを眠らせたわけだが……それって、殺したのと変わらないよな』
『そんなことないだろ?』
『お前を見てるとさ、他にも手はあったんじゃないか、もっと話をすれば、眠らせなくても、地球と心中だなんて、諦めさせられたんじゃないかって……な』
『ユン……』
『なんてな。なんでもねー。忘れてくれ』
僕は隣で眠る夜葉を見る。ヨルンの生まれ変わりだと、ユンは言う。
『そんなことない。ユンは、最良の手を打ったさ。ヨルンは、幸せだったはずだよ』
『……なんでそんなこと、わかるんだよ』
『わかるよ』
『根拠は?』
僕はスマホのカメラを、隣りに向ける。
『夜葉の寝顔が可愛いから』
『……ちっ、ノロケやがって。だが……』
『だが?』
『説得力のある寝顔だぜ』
エピローグへ続きます。