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CASE5「止まるセカイ」

 放課後、学校の昇降口を出たところで、ばったり夜葉(よは)と会った。


「こんにちは、夢路(ゆめじ)さん。これから事務所ですよね」

「うん」

「私は一度家に帰りますね」

「わかった」

「それでは後ほど」


 いつも通りの、当前のことを確認し合う。まぁ挨拶みたいなものだ。

 校門で夜葉と別れ、僕は一人ゆっくり歩いて事務所に向かう。

 夜葉とは同じ学校だが、学年も違うしあまり話す機会はない。

 放課後に事務所でいくらでも話せるのだから、よっぽどのことがない限りは、無理して会うこともない。ちょっとした連絡なら、こないだのようにメールでいい。

 ……それに、周りの目もあるし。二人で会って、噂になるわけにもいかない。


「二人で、か……」


 周りに聞こえないような小声で呟く。

 今月、四月の初めの件以来、毎日穂純(ほずみ)が顔を出すようになった。

 また、毎日ではないが二日に一度くらい、虎生(とらお)までついてくるようになった。

 夜葉と二人で過ごす時間は、明らかに減っている。

 別に穂純と虎生の二人が邪魔なわけではない。虎生はちょっとウルサイが、穂純はだいぶ夜葉と仲が良くなったし。

 夕方には二人とも帰って行くから、時間がゼロになったわけではない。それでも……。


「………………………………」


 何を考えているんだろうな、僕は。

 けど、最近こういうことを考えることが増えた。

 僕は気分を変えようと、ポケットのスマホに手を伸ばし、BLTを起動する。

 こういう時はユンになにか面白い能力の話でもしてもらって――。


『春だな』

「……………」


 その第一声に、思わず口が止まる。もとい、指が止まった。

 前世であり、万能能力者ユンスランタ。だいたいのことしか、こっちのことはわからないはずなのに。

 僕は動揺を隠すように、普通に返事を打つ。


『もうすぐ五月だよ。ゴールデンウィーク』


 連休前。初夏だ、と打とうとしたが、さすがにまだ早い。


『連休か。なにか予定はあるのか?』

『予定って、そんなの相談所を開くに決まってるじゃないか。去年もそうだったし』

『去年はお前、入ったばっかのペーペーだったろ。今は所長代理だ、開けるも閉めるもお前次第じゃないのか?』

『そりゃ、そうだけど……』

『たまにはどっか遊びに行ってもいいんじゃないか?』


 どこか、遊びに……?

 あんまり、そういうことは考えたことがなかった。

 だから咄嗟には思いつかなかったし、なにより……。


『……いや、やっぱりそういうわけにはいかない。だいたい、夜葉とどこに行ったらいいかなんて、わからないし』

『んー? 誰も夜葉と一緒に遊びに行けなんて言ってないぞ?』


 びしり、と空気が固まる音がしたような気がした。思わず足を止めて慌てて指を動かす。


『いやちがういまのはことばのあやでべつにたいは』


 急いで弁解しようとして、無変換、全部ひらがなで打ってしまった。

 ……これじゃあ動揺がまるわかりだ。


『ふん。俺に遠慮したってしょうがねーだろ』

『……なんとなくだよ』


 そう打って、BLTを閉じてスマホをポケットにしまってしまう。

 夜葉と二人で出かける……。

 想像して、だけど、やめた。

 冬木異能相談所。異能に関する悩み専門の相談所。

 連休中だろうと、悩みがあれば相談に来る人はいるはずだ。閉めるわけには、いかない。


                   *


「お疲れ様です、夢路さん」

「お疲れ、夜葉」


 ドアを開けると、いつものように、いつもの格好で、夜葉が出迎えてくれた。

 僕は奥に進み素早く着替えを済ませ、デスクに座ると、すぐに夜葉がお茶を出してくれた。


「ありがとう」

「いえ」


 夜葉も自分のデスクに座り、お茶を啜る。

 ……穂純が来るまでのこの僅かな時間も、ある意味貴重な二人の時間だった。

 デスクにスマホを置くと、さっきユンと話をした内容が思い起こされる。


「……そういえば、夜葉」

「なんですか?」

「もうすぐゴールデンウィークだけど……なにか予定はあるか?」

「あ、いえ。ありません。大丈夫ですよ、事務所、出られますから」

「そうか。よろしく頼むよ」


 まぁ、わかりきっていた、当然の受け答え。これも挨拶みたいなものだ。うん。

 自分のように、変に誤解することもない。するはずがないじゃないか。


「………………」


 僕は黙ってお茶を啜る。……なんだか動揺を隠しているみたいで、嫌だな。

 夜葉にわかるわけがないことだけど。


「でも、夢路さん。ゴールデンウィークには……」


 と、夜葉がなにかを言いかけたところで――


 ガチャ。


「こんちわぁ」


 ――穂純が事務所に入ってきたのだった。

 なんてタイミングで来るんだ……続きが気になるじゃないか。


「いらっしゃい、穂純さん」

「うんー」

「あら? 何か、元気がないですね」

「ちょっとねー」


 穂純はだらっと、空いてるデスクに座る。夜葉がお茶を入れに立ったので、そっと声をかける。


「夜葉、さっきなにを……」

「あ、すみません。あとでお話しします」

「わかった」


 そうなるよなぁ。気になるのに……。

 仕方がないか。穂純の様子も、気になると言えば気になるのだ。

 目覚めた能力の制御に、なにか異常が出た可能性もある。

 夜葉が穂純のデスクにお茶を置くのを待って、穂純に話しかけた。


「それで、穂純。どうしたんだ? 獣化の能力に、変化でもあったか?」

「ううん。そっちは大丈夫。爪も、あんまり伸びなくなったし」

「それじゃあ、異能は関係ないのか」


 ちょっと安心する。ここのところ、穂純は能力をきちんと制御できているようだったし、大丈夫だろうとは思っていたが。

 しかし、穂純はそこで首を傾げた。


「うーん……どうなんだろう。なんかね? 最近学校にいると、頭がぼーっとして……なにも考えられなくなるんだよね。無気力になっちゃうっていうか」

「……穂純さん。五月病って知ってますか?」

「知ってるよー。やっぱそうなのかなぁ。先生たちも、そう言ってるし」


 夜葉の言う通り、ただの五月病だろう。

 と……思うのだが……なにか、引っかかる。


「穂純。先生たちも、と言ったな。その話、お前だけじゃないのか?」

「クラスのみんなも言ってるよ。先生たちはなんともないんだって。だからさ、先生たちからは、たるんでる! って怒られるのよねー」


 確かに……今現在、穂純は弛んでいるように見えるな。


「でもあたし見ちゃった。先生たちが職員室で大あくびしてるところ! 授業も、前の続きのページ間違えて始めちゃったりするし。本当は先生もぼうっとしてるんだよあれ」


 ふむ……どうやら穂純の言うその症状は、かなり蔓延しているようだ。

 五月病って、そんな花粉症の如く誰でも彼でもなるものだったか? それに……。


『ユン。学校の生徒のほとんどが、五月病になるような異能ってあるか?』

『なんだそりゃ。まぁそりゃどっかにあるかもしれないが……』

『あるのかよ』

『あったとしても、それはそんな限定的な能力じゃあないと思うぜ』


 限定的な能力ではない……。確かに、人を五月病にする能力なんて、嫌だ。

 つまりなにかの能力で、副次的に五月病のようになってしまう、という可能性はあるわけだ。


「学校にいる間だけなんだよねー。朝は普通だし、学校終わったら、だんだん色々考えられるようになるしさ」

「そりゃ、学校終わればそうだろうさ」

「……ちょっと待ってください。穂純さん、放課後だけじゃなく、朝、登校時も、大丈夫なんですか?」

「うん。元気に登校してるよ」

「……おかしいです、夢路さん」

「なにがだ?」

「わかりませんか? 普通、五月病なら、登校したくなくなるはずですよ」


 ……なるほど、確かに。五月病なのに、元気に登校できるはずがなかった。


                   *


 五月病。新しい環境に慣れることができず、体調を崩したり、疲れが残ったり、無気力になったりする症状のことを言う。

 原因が環境、穂純の例で言えば学校にあるため、普通は朝からもう外に出る気力は無いはずだ。登校する気力があるのに、その後だんだん無気力になるというのはおかしい。


「あたし五月病ってよくわからないけど、そういうもんなの?」


 穂純は五月病とは縁が無さそうな感じがするよな……。

 そういう意味でも、やはり異常なのかもしれない。

 だいたい、まだ四月なのだ。五月病はゴールデンウィーク明けに症状が出るものだろう。


「よし、今から学校に行ってみよう」

「え、今からですか?」

「ああ。もし何者かの能力による作用だとして、その能力者がまだ学校に残っているかもしれない。いなくても、ユンなら何かわかるかもしれないからな」

「それもそうですね」

「なんかちょっと大事になってきた? ここにいたら、少し頭回るようになってきたし、学校行くなら案内するよ」

「ちなみに今回の件、穂純さんからの相談ということになるんですか?」

「まぁ、そういうことになるかもな」

「ちょっと待って! それって相談料がかかるってこと?!」

「ふむ。本当に頭が回るようになってきたようだな」

「そんなー!」

「……能力者が見つかれば、そっちに交渉するさ」


 立ち上がり、スマホをポケットに入れて準備をする。


「夜葉。……一応、着替えておいてくれ」

「……わかりました。それでは、少しお待ち下さい」


 そう言って奥へ引っ込む夜葉。


「ねね、なんで着替えるの?」

「もしもの時に、そのまま帰れるようにだよ」

「ふぅん? じゃあ夢路くんは着替えなくていいの?」

「僕はいいんだよ」


 穂純は首を傾げていたが、それ以上追求することもなく、立ち上がって伸びをする。

 ……まぁ深く聞かれても困るのだが。

 僕たちは夜葉が着替え終わるのを待って、穂純の通う学校へと向かうのだった。


                   *


 穂純の学校に到着したのは、一七時を少し回ったところだった。

 まだ十分明るいが、次第に日も暮れ始めるだろう。

 僕らは校門の脇に寄り、BLTを開いてユンの意見を聞くことにする。


『穂純の言う通りだな。その辺、なにかの能力が作用しているぞ』

『いきなりビンゴか……』


 能力者がいるかもしれないとは言ったが、もう帰っている可能性も高かった。

 まさか本当にいるとは。


「やはり、誰かの能力によるものらしい」

「そうですか、やっぱり五月病ではないのですね」

「……それよりさ、さっきからずっと気になってたんだけど、聞いてもいいかな? その、夜葉ちゃんの服装って……」


 なんだ急に……と思ったが、まぁ気持ちはわかる。

 夜葉は黒のワンピースから着替え、変なキャラクターの描かれた安っぽいTシャツに、地味な灰色のズボン。靴も黒いサンダルで、素足だ。下町の銭湯帰りかという感じの格好だ。こないだのロングTシャツにロングスカートのがまだシンプルでマシだっただろう。

 僕が言うのもなんだが……ダサい。


「言いたいことはわかります。超安物でまとめていますから」

「う、うん」


 それは見ればわかるけど、じゃあ何故そうしているの? と穂純は聞きたいのだろう。

 が、そう言われてしまうと、聞くに聞けないようだ。口をぱくぱくさせている。

 ……まぁ今はそれどころではないし。あんまり突っ込んで欲しくないところなのだ。


「集中するぞ」


 仕切り直し、BLTに文字を打つ。


『ユン。どういう能力かはわからないのか?』

『ハッキリしないな。ただこの前のように、テリトリーが決まっているタイプではない。能力者を中心に、広範囲に効果のある能力だ』


 この前というのは、萌歌那の件のことだ。あれは、彼女の部屋がテリトリーだった。


『つまり、学校という場所に使われた能力じゃあないんだな』

『そういうことだ。そして、気をつけろ。それはつまり、まだ能力者が学校に残っているということだ』


 範囲タイプの能力の効果が作用しているということは、その能力者はまだこの辺りで能力を発動させているということだ。


「どうやらまだ、能力者は校舎にいるらしい。気を付けよう」

「わかりました。でも……どうしますか?」

「中に入ればいいんじゃない?」

「穂純さん、私たちはここの生徒ではありません。部外者です」

「それに、中に入れば僕たちまで無気力にされてしまうからな」

「あ、そっか……」

「とはいえ、ここにいるだけじゃどうすることもできないな……」


 これは、思った以上に厄介だ。

 僕はため息をついて、塀の外から校舎を見上げる。


「ん……?」


 屋上に、誰かがいる。

 目があった……と、断言していいのか、遠くてわからない。

 ここからではよく見えないが、穂純と同じ白いブレザーの女の子だ。

 僕がぼうっと屋上の少女を眺めていると、手の中のスマホが震えた。


『おい、急に能力が消えたぞ』


 これは……まさか。


「夢路さん? どうしました?」

「……わからない。だが、どうやら能力の効果が消えたようだ」

「おぉ? チャンスなんじゃない、夢路くん!」

「罠かも知れないけどな」


 とはいえ、僕らはまだなにもしていない。警戒されるようなことはないと思うが……。

 再び顔を上げると、屋上の少女はいなくなっていた。


「よし、こっそり入るぞ」

「え……大丈夫、ですかね」


 夜葉は改めて自分の姿を見る。

 僕はまだしも、夜葉は完全に私服だ。


「穂純に先行してもらいながら行こう」

「あ、あたしにできるかなぁ」


 不安そうな顔の穂純。僕は少しだけ考え、口を開く。


「……この際だ。穂純、能力を使ってみるんだ」

「能力って、獣化の?!」

「そうだ。少しだけ、解放するイメージをしろ。最初の日に、僕からスマホを奪った時の感覚を思い出せ。獣の、野生の感覚を使うんだ」

「で、でも、そんなことしたら……」

「そうですよ、穂純さんの耳が獣みたいになったり、しっぽが生えるかもしれませんよ」

「失敗すればな。だが、少しは使ってみた方が、結果的に制御が上手くなるかもしれないぞ」


 僕の言葉に、穂純は自分の爪をじっと眺める。


「そっか……。うん、いいよ、やってみる! やらせて!」


 穂純は僕らの方を見て、見つめていた手を拳に変えて、引き受けてくれた。


                   *


「本当に、大丈夫ですかね」


 作戦通り穂純に先行してもらい、僕と夜葉は校舎に侵入した。


「大丈夫だろう。見付かる心配よりも、能力者を警戒した方がいい」

「違いますよ、穂純さんの獣化の能力です。本当に使わせてよかったんですか?」

「そっちか……」


 先行している穂純は、「耳と鼻がすごいよくなった気がする」と真剣な顔で言っていた。

 だから曲がり角や階段の先に、誰かいるのかどうかがよくわかると。

 ちなみにその影響か、また爪が伸びていたが、耳は人間のままだし尻尾も生えていない。

 今のところ、上手く能力を使えていると言えるだろう。

 夜葉が心配しているのは、能力の暴走なんだろうけど、問題はないと思う。だが……。


「そうだな、今は大丈夫でも、能力者と対峙した時にどうなるかわからない」

「はい」

「それだけじゃない。穂純は元々依頼人だ。最近事務所に入り浸っているから忘れがちだが、本来なら仕事に巻き込んではいけない。しかし……」


 僕は手の中のスマホを握りしめる。


「僕は先代所長、冬木の爺さんとは違う。特殊な力なんてない。こういう場面では、力を頼るしかないんだよ」


 所長代理。代理なのは未成年だからだが、そういう理由もあるに違いない。


「……それでも夢路さんは、ユンさんと一緒に、たくさんの人を助けました」

「僕だけの手柄じゃないよ」

「少なくとも、穂純さんと……私は、そうですよ」


 夜葉……。


「なんかいい感じの話してるとこ悪いけど、ここから上はもう大丈夫だよ」


 ハッと二人して顔を上げると、階段の上からニヤニヤと笑う穂純が顔を覗かせていた。


「ふふふー。夜葉ちゃん、心配ありがとね」

「わ、私は……うぅ」


 そうだった、今の穂純は耳がいい。こっそり話していたつもりだったが、全部筒抜けだったわけだ。……迂闊だった。


「ほ、穂純。この上が、屋上だな?」

「うん。誰かいるみたいだよ。たぶん……女の子」


 やはり。さっき見かけた女の子は、まだ屋上にいるのだ。


「夢路さん……?」

「ああ。これは僕の勘だけど、おそらくその女の子が能力者だ」


                   *


 屋上のドアは開け放たれていた。

 誰にも会わないよう、慎重に登ってきたせいもあって、すでに日が暮れ始めている。

 夕日で真っ赤に染まった屋上に、その女の子は静かに立っていた。

 白のブレザーに茶色いチェックのスカート。この学校の女子の制服だ。

 くせっ毛なのか、ウェーブかかった長い髪がふわりと風に揺れている。

 間違いない、下から見上げて目が合ったのは、彼女だ。


 少女は無表情に、無気力に、夕日の赤の世界に入り込んだ僕らを、じっと眺めていた。

 真っ赤な夕陽を背中に預け、ぼんやりと佇む少女は、神秘的であり、妖しくもある。

 それは異様な、どこか幻想的な雰囲気の光景だった。

 話しかけることも、近寄ることも憚られるような、そんな雰囲気。


 ……いけない。

 思わずその雰囲気に呑まれかけたが、本来の使命を思い出し、そっと手の中のスマホを動かして、BLTを起動したまま一瞬だけカメラを少女へと向ける。


「おい、穂純」

「……えっ! な、なに?」


 どうやら穂純も雰囲気に呑まれていたらしい。夜葉も同じようで、横でビクッとしてから背筋を伸ばす。


「名前、わからないか?」

「うーん……わからないかな。三年生の先輩みたいだけど」

「そうか……」


 次いで、スマホに視線を落とす。


『カメラから姿は確認したが、やはり名前が欲しいな』


 ユンはスマホのカメラと視点をリンクできる。名前を聞けるかわからない相手にはこういう手段が有効だが、その人物について調べるのは名前の方が早いらしい。

 しかしそれにしても、目の前でこそこそとやり取りをしているというのに、少女はぼうっと僕らの方を眺めるだけで、なにもしてこないし、なにも言わない。

 ……どうにも読めない相手だ。ユンからの情報もアテにできない以上、自分でなんとかするしかない。僕は数歩足を進めて、少女との距離を縮める。


「初めまして、僕は冬木異能相談所、所長代理の白鷹(しろたか)夢路。貴方は今、異能にお困りでは?」


 とりあえず、いつものように挨拶をしてみたが……。


「…………? わたしは、野良犬じゃないよ」

「野良犬? ………………………………………………って、それは保健所だ」


 唐突なボケにすぐには突っ込めなかった。

 しかしそれでも、ぼうっとしたまま少女は首を傾げるだけだ。反応鈍いなぁ……。


「冬木、異能、相談所、だ」

「いのう……相談所」

「そうだ。特殊な力に目覚めてしまった人や、その身近な人専用の相談所だ」

「特殊な……力」

「なにか、心当たりはないか?」


 しかし少女は、またしても首を傾げるだけだ。

 これは、無自覚系か? とも思ったが、この少女の場合、話を理解してないだけの可能性もある。


「それじゃ、こんな噂は知っているか? ここ最近この学校にいると、生徒たちがだんだん無気力になってしまうらしいんだ。朝は普通に登校しても、学校にいる間にぼうっとしてしまい、授業にならなくなってしまう」

「……………………」


 そんな話をしてみても、やはり少女に反応はない。

 やりにくいな……。


「夢路さん、もしかしてあの人、能力の影響を受けてしまっている、被害者なのでは?」


 正直僕も少しだけそう思い始めてきたけど……。

 校舎の外から少女を見た時の感覚。そしてなにより、その直後に能力の効果が消えたことを考えると、やはり彼女が能力者だという可能性を捨てきれない。


「噂なら、知ってるよ」

「ん? ああ、そうか。さすがに聞いているか」


 テンポの遅い返事に、こっちの反応まで遅れてしまう。本当に、やりにくいな。

 とはいえ、あんまり難しく考える必要はないのかもしれない。聞けば、なんでも素直に答えてくれそうだ。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。教えてもらってもいいかな」


 夢路がそう尋ねると、少女はじっと後ろの方を眺める。ああ……。


「紹介が遅くなったけど、後ろの制服を着ているのが夏水(なつみず)穂純。もう一人が古秋(こあき)夜葉だ」

「…………月森(つきもり)幹子(みきこ)

「え? っと、月森幹子さん、ね。よろしく」


 ほんとにテンポが合わない人だな……。とはいえ、名前を聞くことはできた。僕は急いでBLTに名前を入力する。


「君が、白鷹君。制服の子が、夏水さん。ダサい服の子が、古秋さん」


 だ、ダサいとか言うなよ! 後ろ振り向けなくなったじゃないか。

 夜葉に安い服を強要している身としては、すごく申し訳ないのだ。

 と、そこでスマホがぶるりと震える。


『おい、そいつマジもんだぞ。三代続いた能力者だ』


 血縁遺伝の能力者……!

 実はそういう能力者は少ない。いや、相談所に来る能力者の中には少ないと言うべきか。

 血縁遺伝なら、親という一番身近な相談相手がいるからだ。わざわざうちには来ない。

 今回の件だって、穂純から話を聞いたからこそ、接触を図ったわけだし。

 ちなみにこの間の星明君は、厳密には血縁遺伝だが、能力として開花したのは彼と五代前の血縁者なので、どちらかというと隔世遺伝の能力者と呼ぶべきだろう。

 三代も続いた能力者はレアケースだが、その分、どんな能力なのか、すぐに調べることが出来る。ユンは彼女の能力について説明し、最後に、慎重に挑めと警告までしてくれた。

 確かに……この能力は、厄介そうだ。


「なに、見てるの?」


 普段なら怪しまれるので堂々とBLTを見たりはしないのだが、彼女、月森幹子なら問題ないと油断していた。じっくりとログを読んでいたら、さすがに指摘をされてしまった。


「あ、いや。済まない、なんでもないんだ。……あっ」


 手を振って誤魔化すと、後ろからすっと手が伸びてきてスマホを奪われてしまう。

 振り返ると、穂純が僕のスマホを手に持ち、横から夜葉も覗き込んでログを読んでいる。

 ……まぁ読めば事態が思ったより深刻だとわかってくれるだろうし、ちょうどいいか。


「それより。さっきの噂話に戻るけど……月森さん、君は無気力になったり、頭が回らなかったり、だるかったり、そういう症状は出ていないんじゃないかな」

「……わたしは、もともとぼうっとしてるって、よく言われるから」

「いや、そうかもしれないけど」


 いけない、彼女のペースで話を進めていたら埒が明かない。

 というかやっぱり、これが彼女の素なのか。……それなら、この線でいけるはずだ。


「君が、ぼうっとしているからこそ、この学校の生徒たちも、ぼうっとしてしまうんだ」


 今度はさすがに本気でわからないのか、さっきよりも大きく首を傾げる。


「いいか、月森さん。君は異能者だ。その能力は――シンクロ系。同調能力と呼ばれるもので、周囲の人間の気分を同じにしてしまう能力なんだ」

「同調……シンクロ」


 相変わらず表情はわかりにくいが、納得しかけている。心当たりは無いと言っていたが、少なからずこの学校の状況には引っかかるものがあったのだろう。


「そうだ。君はどこかで、自分と同じように、同じテンポで話をして欲しいと、願っていたんだ。それが異能となり、力となり、周囲に広がった。その結果、今の学校の状況ができあがる。みんなが君のようにぼうっとしてしまい、テンポが遅くなる」

「わたしが……のぞんだ……?」


 ……さすがに、少し無理があるだろうか。でも、彼女の力は――。


「無意識かもしれないな。とにかく、君の思考のテンポが、周りにシンクロしているんだ。大丈夫、ちょっと意識するだけでいいんだ。能力を自覚して、そして止めようと思うだけでいい。そうすれば、きっと能力の暴走は止まる。……そう、君の能力は今、暴走し、勝手に発動しているんだ。それは、止めなくてはいけない。だろう?」

「……うん。勝手には、いや……かな。でも……」


 何かを言いかけるが、僕は畳みかける。考える時間を与えず、言葉で、力ずくで納得させる。


「それに、僕がこれだけ早口で、色々話しているのに、君はしっかり理解できている。君の頭は、決して回転が遅いわけじゃない。むしろしっかり話を聞いて、理解して喋るから、少しテンポがゆっくりになってしまうだけなんだ。そんなのは慣れれば速くなるだろう。……いいか、君はしっかりと考えている。ぼうっとなんか、していない」

「……うん。君の言ってること……わかる」

「だったら、大丈夫だ。君が考え方をちょっと変えるだけで、能力は止まるはずだよ」

「止まる……。そうなのかな。わたしは、どこかでそんなことを考えていたのかな。わたしに、あわせてほしい、なんて。わたし、わたしは……ああでも、君の、言葉なら――」


 幹子は宙を見上げ、考え込む。よし、おそらくあと一押しで――。


「もう一度言おう。君の能力は、同調能力、シンクロだ。だから――」



「あれ? 夢路くん、この人の能力って、催眠支配系(・・・・・)? じゃないの? ――っぷむぐぐぐ!」



 慌てて振り返ると、青い顔で穂純の口を無理矢理塞ぐ夜葉と、驚いて目を丸くする穂純の姿。

 ……しまった。


「さいみん……しはい……支配?」


 せめて聞こえていなければ、と思ったが、ハッキリ聞こえてしまったらしい。


「ぷはっ! なんで止めるのよ、夜葉ちゃん」

「穂純さんが余計なことを口走るからです! 申し訳ありません、夢路さん。私がついていながら」

「いや……仕方がないな」

「え? ええ? なんで? だってほら、能力は自覚した方が制御しやすいって、あたしの時教えてくれたじゃない!」

「それは能力と場合による。とりあえず、スマホを返せ」


 穂純からスマホを奪い返し、再び月森幹子の方を見る。



 夕陽を背に、彼女は僅かに笑んでいた。



 ぞくり、とした。

 ああ、そうだ。自分で彼女を諭したように、彼女は決して頭の回転が遅いわけじゃない。

 話したことをしっかりと、理解しようとする。一語一句、聞き漏らさずに。

 だから、きっと――。


「ねぇ……この世には、どうして事件が起きるんだと、思う?」


 口を開いた彼女の声は、さっきまでよりもしっかりしたものだった。


「……どうして、事件が起きるかだって?」


 そんなもの、答えようがなかった。

 特に異能相談所なんてのをやるようになってからは、そう思うようになった。

 前世を知るまでは。異能を知るまでは。なにかの悪意があって、そして事件は起きるものだと思っていた。事故でさえも、どこかに人の意志が働いて、そして起きるのが事故だと、そう考えられると思っていた。

 だけどそれだけじゃない。ただ不幸なだけの事件もあり得る。

 異能は、人を振り回す。誰の意志とも無関係に、周囲を荒らし、事件を起こす。

 そんなケースを僕はいくつも見、知ってしまった。

 だから、彼女、幹子の問いに答えることができなかった。

 いや、むしろそのままを答えれば、それでよかったのかもしれない。

 幹子は僕の返事を待たず、話を続ける。


「人がね、考えるからだよ」

「……考えるから、事件は起こる。君は、そう言いたいのか」

「その通りだよ。考えることをやめれば、事件は起きないの」

「果たしてそうかな。人間は考える葦だという言葉もあるぞ。それは全否定か?」

「そんな言葉、知らない」


 おいおい、いいのか高校三年生……。


「どっちにしろ、乱暴すぎる理屈だ」

「事件が起きるよりは、ずっといいよ」


 ……まずいな、これは。いや、もしかしたら、もう手遅れか。


「なんとなく予想は付くが……なにを、考えている?」

「……さっき、教えてもらったから」

「なにを……」

「支配……催眠、支配。わたし、たまに、こうして欲しいなって思うと、本当にその人がそうしてくれることが何度かあったの。最初は偶然だと思ってたんだけど……やっぱり、違ったんだね。そういう、ことだったんだね」

「いや、それは……だな」


 今更違うと否定もできない。しかし幹子は、僕の返事など必要としていなかった。


「わたしには、特別な力があるんだ。きっとそれは、事件を無くすためにあるんだね。支配だって聞いて、やっとわかった。わたしは、わたしに併せて欲しいんじゃない。わたしが、みんなを併せたいんだ。誰も、なにも考えないように」

「……おい、月森幹子。バカな真似はよせ」

「バカじゃないよ。君がそう言ってくれたんじゃない。教えてくれたんじゃない。……ね、みんな、みんなが考えることをやめれば、どんな事件も起きないんだよ? それがどういうことなのか、君にも見せてあげる。白鷹……夢路君」


 瞬間、なにかが、見えない何かが、体を過ぎった気がした。


「あっ……」

「ゆ、夢路さ……」


 後ろの声に振り返ると、力なくその場に座り込んむ穂純と、苦しそうに頭を抱える夜葉。


「夜葉! 穂純!」

「ちょっと、弱かったかな。でも、うん……これ、わたしに、できそう」

「ゆめじ……さん……頭が……かんがえられなく……」

「………………」


 夜葉は辛うじて抵抗できているようだが、穂純は完全に思考停止している。

 僕が何ともないのは、彼女が宣言したように、僕にそれを見せるためなのだろう。

 そしてそれは、不幸中の幸いだった。僕だけでも動ければ、逃げる手段はある。

 最終手段だが、もうしのごの言っている場合ではない。

 こうなってしまっては、一度逃げて、体勢を立て直さなければ。

 ただ……もう、僕だけではどうにもできないかもしれない。その時は……。


 拳に力を入れる。今は、とにかくこの場を離れることを考えろ。

 僕は素早く夜葉に近寄った。

 しかしその瞬間、隣の穂純の目が、大きく見開かれた。


「う………………うがああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 目を剥き、髪が逆立ち、爪が鋭く伸びる。そして耳が、先の方がゆっくりと尖り始めた。


「まずい、穂純! 落ち着け!」


 そうだ、穂純はまだ能力を開放したままだったのだ。そんな状態で思考を停止させられれば、制御が完全に外れ、能力が暴走する。


「……どうしたの、その子……」

「どうしたの、じゃない! 早く能力を止めろ!」

「……それはできない。わたしは、事件を無くすの」

「ゆめじ……さ……穂純さんの……手を……」


 夜葉の言わんとするところを理解し、僕は慌てて左手で穂純の手首を掴む。そして反対、右手を伸ばし、夜葉の伸ばした手を握る。


「いいぞ、夜葉! 頼む!」


 夜葉の方を向き、大声で叫ぶ。すると――


 ――目の前の夜葉が、素っ裸になった。


                   *


「……………………………………………………」

「……………………………………………………」


 能力なんて関係ない。思考は、停止するものだ。


「だから、目を瞑ってくださいよ! もう!!」



 バッチーーーーーン!!



 目を瞑るなんて関係ない。目の前に火花が散って前が見えなくなった。

 強烈な平手打ちだった。そのまま後ろに倒れ込む。


「ふ、服! 着てきます!」


 奥へ続くドアが開き、バンと閉まる音。


「……危なかった」


 視界がようやく戻り、状況を把握する。

 見慣れた天井、座り慣れたソファ。ここはそう、冬木異能相談所の応接スペース。

 そのソファに倒れ込んでいた。

 ちなみに、ソファの下には穂純が倒れ、気を失っている。


「おい、穂純……大丈夫か?」

「きゅう……」


 ダメそうだが……大丈夫そうだ。耳も、普通の人間のものに戻っている。

 おそらく、暴走するほどフルスロットルで解放されていた力が、事務所の制限能力で強制的に遮断され、しかも幹子の能力下から離れたおかげで思考が戻り、そのショックをしっかり感じ取ってしまい、結果気を失ってしまったのだろう。

 もしくは……慣れないテレポートの影響か。


 そう、僕らは全員、学校の屋上からこの相談所へとテレポートしたのだ。

 これこそ、夜葉の異能。瞬間移動能力。

 今は能力に制限がかけられていて、特殊な条件でしかテレポートができない。

 その条件の一つが、基本的に夜葉自身しか瞬間移動できない、というものなのだ。

 これはつまり、瞬間移動を使うと服やら持ち物が取り残されてしまい、本人は移動先で素っ裸になるということだ。

 そのため、いつでも逃げられるように、安い服を着てもらっているわけだ。その結果、ダサい服になりがちなのだが……。


 ちなみにこの条件には例外があり、それが僕だ。

 夜葉は僕だけは連れて瞬間移動が可能で、しかも僕が身につけ手にしているものは、一緒に飛ぶことができる。今回のように、人も一緒に運ぶことができる。

 つまり僕を介した場合のみ、その制限が無くなるという、本当に特殊な条件だ。


「……理不尽です。この制限、やっぱりなんとかしてもらいたいです」

「僕に言われてもな……どうしようもない」


 もちろん最初からこうだったわけではない。夜葉の能力に制限をかけたのは、先代所長である冬木灯司郎(とうしろう)。あの人は、なにかに制限をかけるという、ユンさえも驚かせた、特殊な異能を持っていた。

 奥から戻ってきた夜葉は、いつもの黒のワンピース姿で、怒った顔をしている。しかし顔はまだ真っ赤で、目を合わせようとはしない。ていうか、僕も今は合わせられない。視線を向けることすら危険なので反対を向く。……たぶん僕の顔も真っ赤だ。しかも、ひっぱたかれた頬はこれからさらに赤くなるだろう。


「できれば、使いたくなかったんだが……仕方がなかったんだ」

「わかっています。でも、これで三度目ですよ。いい加減、目を瞑ることを覚えてください。今度開いていたら、薬缶で頭を叩いて記憶を消します」

「……本当に、申し訳ない。気を付ける」


 そう、三度目なんだよな……いやはや。

 でも瞬間移動はまさに一瞬だし、咄嗟の場合は目を瞑る余裕なんてないんだ。今回は特にそうだろう。

 別に、見たいから努力をしようとしないわけではない。断じてない。本当だ。信じて欲しい。


「それより、これからどうするか、だな」

「……そうですね。どうするんですか?」


 相手は、自分の能力を把握してしまったようだ。

 とりあえずユンの意見を聞いて……。


「……は、はれ? ここ、事務所? 学校にいたような……」


 まずは、穂純への説明が先か。


                   *


「すっご……夜葉ちゃんの異能ってすごいんだね」


 応接スペースで穂純と向かい合い、夜葉のテレポートについて説明する。


「すごい、だけですよ……褒められたものではありません」

「そうかなぁ。でもなんで、変な制限付けられちゃったの?」

「それは……」


 ちらりと、困り顔で僕の方を見る夜葉。


「それには色々事情があってな」

「まさか、夢路くんの趣味……」

「違う! だいたい制限の条件を決めたのは、先代、冬木の爺さんだ!」


 誤解を招く発言は控えて貰いたい。


「……ちなみに制限は他にもあって、思った以上に自由に使えないぞ」

「裸になる時点で十分使えないと思うけど? ていうか、驚いて忘れてたけど、夢路くんのえっち、へんたい! 夜葉ちゃんの裸を見るなんて、許されないことだよ?」


 ……そんな罵倒は思い出さなくていい。


「穂純さん、やめてください。私自身も忘れたいんですから」


 まったくだ。引き摺らないでほしい。


「あ、ごめんね。どうしても一言言いたくて。ごめんごめん」

「えー……話を続けるぞ。他には、飛べる場所に、制限が付いている」

「テレポートの移動先ってこと?」

「そうだ。夜葉が飛べるのは、この事務所と、それから僕の側だけだ」

「これまた厳しいねー。ていうか、なんか夢路くん中心な制限だよね、それ」

「まぁな……。爺さんが、僕の助手になるのなら、こういう制限がいい、って言ってな」

「ふぅん。でもさ、裸になるのは関係なくない?」

「だから、穂純さん……」

「っとと、つい。そっか、あんまり頼りすぎないようにとか、そんな感じなのかな?」

「……そうですね。それも理由の一つです」

「便利だもんねー、飛べるところ限定されてても。そっかぁ。夜葉ちゃんも、色々大変なんだなぁ……」


 夜葉の異能についての説明は、これくらいでいいだろう。


「本題に入るぞ。さっきの月森幹子についてだが」

「あ! そうだ、それそれ!」


 いきなり穂純が大声を上げて、立ち上がる。


「ごめんなさい!」


 そして、勢いよく頭を下げた。


「あたし、余計なこと……したんだよね」

「……まぁ、な。けど仕方がなかったさ。きちんと説明しなかった僕も悪い」

「でも……そんな暇、なかったでしょう? あたしがバカだから、こんなことに」

「いいから座ってくれ、穂純。何故彼女の場合、能力をはっきり教えない方がよかったのか、ちゃんと説明するから」

「うん……」


「まず、幹子の能力は催眠支配系。これはかなり強力な能力で、つまり他人を操れる能力の一つなんだ」

「さっき、スマホでユンくんの説明読んだけど、それって相当やばいよね」

「ああ。彼女がどこまでできるかはわからないが……。彼女の思想は、人が考えるのをやめれば、悲惨な事件は起こらない、というものだ。つまり、すべての人間の思考を止めようとしていることになる。おそらく、普段からそういうことを考えていたんだろう」


 だからこそ、無意識に発動した能力の効果が、周囲の人間の思考を緩める、というものになったのだ。今は自分の能力をはっきりと認識したため、自分の思想をダイレクトに能力に反映し、思考を止めることができるようになってしまった。


「そんなことをしたら……」

「確かに事件は起こらないが、人類が滅亡するという大事件が起きそうだな」

「それじゃ意味ないじゃない!」

「本当にな。だがおそらく、彼女にはそんなこと関係ないんだろう」


 あんな思想……簡単に生まれるものではない。


「話を戻すが、この催眠支配系の能力はとにかく強力で、能力を自覚してないうちはまだ安全だが、いきなりはっきりと自覚してしまうと、危険な思考に陥りやすい。だから別の能力と誤解させておいて、ゆっくりと時間をかけて精神面のケアをし、危険な思考を取り除いてやる必要がある」

「そっか……だから、シンクロ系だって」

「もっとも、それも失敗していたかもしれないけどな」

「そうなんですか? 夢路さん」

「夢路くん、あたしに気を遣ってそんなこと言ってるんじゃ」

「違う。幹子には、表には出していなかったが、すでに危険な思想があったんだろう。例え同調系だと納得させることができても、結果は同じだったと思わないか?」

「私には、夢路さんの言葉に、思考が少しだけ違う方向に向かおうとしていたように見えましたが……」

「……そうか?」

「はい。……でも、そうですね。あそこまでの思想が、そうそう変わるとは思えません。シンクロ系だと勘違いさせたところで、自分と同じように、考えるのを放棄するように、シンクロさせようとしていたでしょう」

「そういうことだ。だからどちらにしろ、こういう事態になってはいただろう」

「う、うーん……じゃあ、どうすればいいの? あの先輩を止めるには……」

「そうだな……。こういう時は、まずユンの意見を聞いてからだ」


 僕はスマホを出してBLTを起動する。


『やっと出番か。話が長いぞ』


 相変わらず、どこまでこっちの様子を把握しているのやら。


『お前の言う通り、催眠支配系の能力者は厄介だ。時間をかけて解決するのがいいが……今回はあまり時間が無さそうだな』

『そうなんだ。なにかいい手はないか、ユン』

『んー、手がない訳じゃない。ただ……あんまり気乗りしない手だ』

『なんだよ。もったいぶらずに教えてくれ』

『ふん。いいのか? キーは、その獣化女、穂純だぞ』


「……え?」


                   *


「そんな、作戦……」


 ダメに決まってる。そう言いたかったが……それ以外の方法が、思いつかない。

 ……いや、思いつかない、じゃない。他の手段を考えろ。第一、こんなの作戦とは呼べないじゃないか。


「なるほどねぇ。うん、いいよ。あたし、それやってみるよ」

「――って、穂純!」


 いつの間にか穂純が後ろに回り込み、BLTのログを読んでいた。穂純だけじゃない、夜葉までも覗き込んでいた。


「え……こ、こんなの、駄目ですよ穂純さん! なにを言ってるんですか!」

「……夜葉の言う通りだ。これ以上、一般人である穂純を巻き込むわけにはいかない」

「一般人って、獣化能力なんて持ってる時点で、一般じゃあないよね、あたし」

「そういう意味じゃない! 言い方を変えよう。ここの所員ではないのに、巻き込めないと言っているんだ」

「確かに、あたしは入り浸ってるだけだよ。でもさ……」


 穂純は僕から離れ、向かい側のソファの方へ戻っていく。


「さっき、学校に忍び込む時、あたしに能力を使えって、言ってくれたでしょ? その時、思ったの。学校でみんなを無気力にさせている能力者も、きっとなにか悩んでいる。あたしは夢路くんに会って、助けてもらえた。だからその人も――月森先輩も、助けられてもらいたい。そのためにあたしの能力が必要なら、いくらでも使って欲しいって。同じように、異能に悩んでいる、その人のために」

「穂純さん……」


 あの時のあの表情は……そういう決意だったのか。

 冬木の爺さんが聞いたら、喜びそうな台詞だ。しかし……それでも……。


「それに、あたしも少しだけ、わかった気がするんだ。この間の、波木さんの気持ちが」


 この間ここへ相談に来た依頼人、波木光哉。彼は生まれついての光操作系能力者だった。

 彼は穂純と違い、能力をしっかり制御できていたが……それでも、悩んでいた。


「あの人が、なにに悩んでいたのか……制御できたからって、それで終わりじゃないんだって。その先が、あるんだって……。あたしにも少しだけ、わかった気がするの」


 どうやら、穂純の意志は固そうだ。


「……どうしますか、夢路さん」

「………………」


 おそらく、僕がダメだと言っても、穂純は勝手に作戦を決行するだろう。

 でも、だからって、そんな理由で任せてしまっていいことではない。

 任せるのなら、きちんと、しっかりと指示しなければいけない。

 僕自身が、僕自身の責任で。

 この、冬木異能相談所の、所長として。


 こつん――。


 と、そこで窓に小石かなにかが当たる音がする。

 それと同時に、手の中のスマホが震えた。


『おい、向こうから来たみたいだぜ?』


「なっ?!」


 僕は慌てて立ち上がり、窓に駆け寄り勢いよく開いた。

 日が暮れて、薄暗くなった路地。事務所の下に、一人の少女が立っていた。


「月森、幹子……」


 どうしてここに? と思ったが、異能の悩みがある人物なら、この場所がわかるのだ。

 つまり彼女は――。


「夢路さん、見てください。暗くてよく見えませんが、向こうに……人がたくさん倒れています」

「なんだと……」


 まさか、学校からの道のりで、すれ違う人すべての思考を止めてきたのか?


「どうするの、夢路くん!」

「夢路さん!」

「……落ち着け、二人とも。ここの建物は、爺さんの制限能力で、能力が使えないようになっている。この中にいる間は安全だ」


 そう、外に出なければ安全なのだ。けどそれでは、解決には至らない。


「……よし。穂純、ユンが提示した作戦、頼む」

「……! わかった! あたしに任せて!」

「そんな、夢路さん!」

「責任は、所長代理の僕が取る。穂純、危なくなったら、僕と夜葉でなんとしても止める。その時は夜葉、事務所の中に飛んでくれ。そうすれば獣化も止まるはずだ」

「…………わかりました。この距離なら、服は回収できますし」

「あ、夜葉ちゃん。さっきのダサい服も回収できるかもよ?」

「穂純、ダサいって言うなって……ん?」


 見ると、幹子は手に夜葉の服を持って、こっちに向かって振っていた。

 その中には、夜葉のパンツも。


「なっ……は、はは、早く行ってください穂純さん!」


 夜葉の叫び声が路地に響く。

 安心しろ、みんな思考が止まっているからわからない。


                   *


 事務所のドアから穂純が飛び出していくのを、窓から見届ける。


「月森先輩、まずはその服返して貰います!」

「……そう」


 幹子はなんの躊躇いもなく、服をぶんと宙に投げた。

 するとシュパパパパと地面に落ちる前に、穂純がすべて宙で掴んだ。

 学校での要領で、能力を少しだけ発動させたようだ。


「よっと。はい、夜葉ちゃん!」


 Tシャツにくるんで一纏めにすると、ぽいっと窓に投げつけてきた。


「きゃっ」


 なんとかキャッチするが、その拍子にほどけ、中身が散らばってしまう。

 そして僕の頭に、なにかが乗っかった。


「きゃあああ!」


 ぺしんと頭を殴られた。……ああ、パンツが乗ったみたいだ。灰色の。


「そ、そんな涙目で睨まないでくれ。文句なら穂純に」

「わかってます。うぅー……」


 そそくさとパンツも隠し、急いで自分のデスクに服を置いてまた戻ってきた。

 ……どうも今日は、夜葉に恥を掻かせてばかりだ。


「あれ。上の二人に……わたしの力が届かない。届かないよ?」

「どうしてだろうな? それより、油断していていいのか?」

「……あっ」


 穂純が素早く幹子の後ろを取り、羽交い締めにする。


「捕まえた! あとは事務所に連れて行けば――――あっ!」


 しかし次の瞬間、穂純は力なくその場に崩れ落ちる。


「穂純!」

「よくわからないけど、わたしをあの中に連れ込もうとしたんだ。できなかったけど」


 やはり、そう簡単にはいかないか。穂純の思考を止められる前に、抱えて事務所に連れ込むことができれば、とりあえず能力は止まるし、なんとかなるんだが……。


「うがぁぁぁぁぁおん!」

「……!!」


 幹子の後ろで、穂純が飛び跳ね、距離を取る。さっきと同じだ。髪が逆立ち爪が鋭く伸び、耳が尖っていく。しかも今度は、八重歯が伸びている?


「さっきもだけど……この子、なにも考えないで動いてる?」

「そうだ。そいつの異能は、獣化能力。思考を止めたところで、本能で動く」

「本能で……思考を、止めたのに」

「月森幹子。君は、思考を止めれば事件は無くなると思っているようだけど、果たして本当にそうだと思うか?」

「……思う。そうに、決まってるから」

「それは違うぞ」


 さっきは言えなかったが、今度はきちんと僕の意見を言う。


「事件というのは、ただただ不幸なだけのものだってあるんだ。誰の悪意もない、誰の意志も関与しない、そんな事件だってあるんだ」

「無い、そんなの、無い」

「現に、そいつは思考せずにお前を止めようとしている」

「わたしを……止める?」

「ああ。そいつはな、うちの所員でも無いのに、能力者として目覚めたお前の心配をしていた。突然異能に目覚めたお前が、悩んでいるんじゃないかってな。そして悩んでいるのなら、助けたいと。きっとその想いは、獣化した今でも同じはずだ」

「そんなはずはない。獣化して……本能のみになれば、わたしを襲い、傷つけるだけ。そうなれば、そうし向けたあなたたちの悪意のせい。そうでしょう」

「そうなれば、な」


 正直、これは賭けだ。獣化した穂純に、どこまで理性が残っているのか。いや、残っていても、それは幹子の能力で消されてしまう。だから獣化する以前の意志が、思考ではなく想いが、今の穂純に残っているのかどうかによる。

 作戦とは呼べない、ただの賭けでしかない。

 だけど、信頼していい賭けだと、僕は思っている。


「うがぁおん!」


 穂純は一鳴きすると、幹子に飛びかかった。あまりの速さに幹子は抵抗もできず、その場に押し倒されてしまう。穂純はそのまま、幹子に馬乗りになる。


「うっ……」

「がぁぁぁ?!」


 穂純の体が仰け反る。まさか……幹子、能力を強めたのか?

 馬乗りになった状態で、穂純は頭を両手で抱えてぶんぶんと振る。

 まさか、幹子の能力は本能にまで作用するのか? もしそこまで強い催眠支配を受けたら……それはもう、催眠ですら無いだろう。ただ精神を壊してしまうだけの力になる!


「まずいな……。夜葉! こうなったら、僕らも行くぞ!」

「は、はい! でも夢路さん、外に出た瞬間、私たちも思考停止してしまいませんか? あんなに強い力を浴びたら、さすがに抵抗できませんよ!」

「ぐっ……」


 確かに、そうなのだ。さっきまでなら、まだ抵抗できたかもしれない。側に駆け寄るくらいのことはできたかもしれない。だけど、今は……。


「うがあああああああああ!!」

「そう……これが、こわれる……ということ……」


「夜葉、出るぞ!」

「はい!」


 もう、迷っている暇はない。僕と夜葉は、勢いよくドアから飛び出した。


「穂純!!」

「穂純さん!! ……あっ」


 外に出て、名前を呼んだ瞬間、夜葉の膝が折れ、階段から落ちそうになる。僕は慌てて夜葉を抱えるが、がくんと、僕の体からも力が抜ける。

 まずい、と思った瞬間、スマホが震えた。


(ぐっ、わかってるよ!!)


 ログを見る必要はない。僕は唇を噛み、その場に踏ん張る。

 そうだ、今思考を停止するわけにはいかない!

 強く噛みすぎて切れた唇から、血が滲む。その痛みと、血の感触が、僕の頭を覚醒させる。完全に頭が晴れるわけではなく、うっすらと靄がかかったような感じだが、今はこれで十分。僕は大きく息を吸い、そして、


「幹子! やめてくれ!!」


 思い切り叫ぶ。

 今の状態で、難しい言葉は出てこない。説得はできない。

 だから、必死な想いを乗せて、力の限り叫ぶ。


「ぐっ……みきこぉぉぉ!!」


 地面に倒れた幹子が、僕の方を見て目を見開く。

 瞬間――。


「あっ……ゆめじ、さん?」

「これは……」


 頭にかかった靄が、少し晴れた気がする。体に力を入れることができる。しっかりと、意志を込めることができる。

 ……能力が、弱まった?

 よし、これなら穂純の元へ――



「うがあああああぁぁぉぉおおん!!」



 ――ビリビリと空気を震わす咆哮に、僕らは立ちすくんだ。


 穂純だ。穂純への力も弱まったのだろう、解放されて、一際大きな咆哮を上げたのだ。

 抱えていた頭から両手を放し、そしてそのまま幹子の両肩を掴む。

 幹子は一瞬びくっと震え、穂純の顔を見る。


「穂純ぃ!」

「穂純さん!!」


 今度は二人で、穂純の名を叫ぶ。

 声が届いたのかどうか、わからない。

 穂純はそのまま、口を開き幹子に顔を近付けて――


「っく……………………………………………え、えぇ?」


 ――幹子の、戸惑いの声。

 穂純は、幹子の顔をぺろぺろと舐め始めていた。


 ……やっぱり。信頼していた通りだ。


「……終わったな。行こう、夜葉」

「そうですね、夢路さん。テレポートの必要は、ないですよね?」

「すまん……穂純の獣化を止めないといけない」


 僕らの力では、今の穂純を引っ張っていくのは難しそうだ。幹子から引きはがすのも嫌がるかも知れない。夜葉もそれを察したようで、小さくため息を吐く。


「わかりまし……た」


 と、そこで夜葉を抱きかかえたままだと気付き、慌てて、だけどそっと夜葉の体を放し、お互い少し照れながら階段を下りる。


「で、でも、今度はちゃんと目を瞑ってくださいね。絶対ですよ。開いていたら、薬缶ですからね」

「……わかってる。約束する」


                   *


「……待たせたな。月森幹子」

「だいじょうぶ……」


 あの後、やはり穂純を引きはがせなかったし、幹子が道中思考停止をさせてきた人たちが目を覚まし始めたので、急いで夜葉にテレポートを頼み、事務所の中に飛んだ。もちろん約束通り、ちゃんと目を瞑り、さらに後ろも向いたので、薬缶は避けられた。

 穂純はまた気を失ったが、今度はすぐに目を覚まし、作戦が成功したことを告げるとほっとして、嬉しそうな笑みを浮かべた。……本当に、成功してよかった。

 ちなみに、周囲の人の意識がはっきりする前に服を回収しなくてはならなくなり、急遽僕が出ることになったのだが、下着を見ないよう、触れないように気をつけなければならず、しかし人目を気にする必要もあったため、かなり焦った。


 そんなこんなでバタバタしたが、ようやく一息つくことができたのだ。

 今は応接スペースに僕と夜葉並んで座り、その向かいに幹子と、隣りに穂純が座っている。

 幹子は、僕らが落ち着くまでソファに座ってじっとしていた。

 外の人たちも目が覚めたし、この事務所に入ってもなにも言わないということは、もう能力を発動するつもりは無いようだった。……とりあえずは。


 しかしこれは……さすがに、ちょっとしたニュースになるだろうな。謎の集団昏倒事件。原因は不明のまま、未解決になるだろうけど。冬木の爺さんの知り合い、おそらく昔の依頼者に事情のわかる警察関係の人がいたと思うから、大事になるようだったら連絡を入れておいた方がいいかもしれない。


「それでは、改めて話を聞かせて欲しい」

「うん……いいよ」

「まず、君のその、みんなが何も考えなければ、悲惨な事件は起こらないという考え。どうして、そんな考えに至ったんだ?」


 問題の核を、ストレートに聞く。もう遠回しにする必要も、誤魔化す理由もないだろう。

 幹子はじっと、夜葉が入れてくれたお茶を見つめると、ゆっくりと顔を上げ、僕の目を見て話し始めた。


「わたしのお父さんとお母さん、三ヶ月前に事故で死んだの」

「…………」


 いきなり、重い話だ。穂純が息を呑む様子が視界の端に入る。僕も思わず目を逸らしそうになり、寸前で堪えた。

 ある程度は覚悟していた。あんな危険な思想を持つほどなのだから、よっぽどの理由があるのだろうと。


「わたしはお祖母ちゃんに引き取られて……。そこで、聞かされたの。お祖母ちゃんも、お母さんも、不思議な力があったって。詳しくは教えてくれなかったけど……悲しそうに、話してくれた。だから、それだけでお祖母ちゃんがなにを言いたかったのか、わかった。わかっちゃった。お母さんたちはその力のせいで、悪意を抱かれて、殺されてしまったんだって」

「それは……いやしかし、本当に殺されたのだと、はっきりわかっているのか?」


 幹子は首を振る。


「わからない。本当に、ただの事故かもしれない。でも、悪意を持って殺されたのかも知れない。どっちにしろ、誰かがなにかを考えたから……事件は、事故は、起きた」

「だからすべての人の思考を止めたいと、考えるようになったわけだ」


 こくりと頷く。

 事件だけでなく、悲惨な事故までも、人が考えるせいだと、思っているのか。


「けど、それは……」

「浅はかだって、言いたいんでしょう?」

「………………」

「本当はわたしだって、どこかでわかってた。だけど……そうでもしないと、わたしはもう、だめだった。わたしの頭が壊れてしまいそうだった。だから、わたしは……」


 幹子はそこで一度俯き、ちらりと隣の穂純を伺ってから、再び僕のことを正面から見つめる。


「さっき、気付いた。わたしは、本当は、自分の頭を止めたかったんだって。思考してしまう、自分を止めたかったんだ。すべての人間を止めて、自分も止めて、それで……終わりに、したかったんだ」


 あはは、と小さな声で嗤い、頬を涙が伝う。


「わたしはもう、壊れちゃってるみたい。頭がおかしくなってるみたい。こうなりたくなかっただけなのに。もう、遅かったんだね。もう、だめだったんだね」

「……幹子」


 僕はじっと幹子を見つめ返す。


「質問をしよう。幹子、君はまだ、すべての人の思考を止めたいと思っているか?」


 首を振る。


「では、まだ自分の思考を止めたいと考えているか?」

「うん」


 ハッキリと、涙を流しながら、即答する。


「……そうか。いいか、幹子。それは他人を巻き込むのをやめたということだ。他人のことを考えられるようになったということだ。だからもう、大丈夫だよ。君は、壊れていない」

「……でも、そんなの」

「聞いてくれ。人間はやっぱり、考えるのをやめるべきではないと思う」


 ちらりと、スマホを見る。そして、横にいる夜葉の手元を見る。


「確かに考えるからこそ、悪意が生まれ事件は起きるのかもしれない。事故は起きるのかもしれない。でもそこには、どちらかと言うと思考の放棄がある。考えるのをやめてしまったからこそ、事件や事故が起きているんだ」

「考えるのをやめたから、事件が、起きる?」

「そう。考えれば他に手段はあったかもしれないのに、考えるのをやめてしまったからこそ、起きてしまう事件だってある。……もしかしたら君の両親も、そうかもしれないよ」

「……で、でも、それって」

「今のちょっとずるいか。すまない。けど……人間が考えるのをやめたら、なにも残らないと思わないか? 悪意はもちろん、善意だって、生まれない」

「善意……」

「そう。隣の穂純から、十分善意を感じただろう?」

「え? あたし?」


 突然話を振られ、不思議そうに首を傾げる穂純を見て、幹子は自分の頬に手を当てながら、こくりと頷く。

 穂純は獣化していた時のことをあまり覚えていないらしい。

 ……まぁ記憶にない方がいいこともある。


「幹子。僕から言いたいのは、一つだけだ。これからも、考えるのをやめないで欲しい。その能力を使うということが、どういうことなのか。よく考えて欲しい」

「…………!」

「そしてもし、その力に悩むことがあれば、またここを訪ねてくれ。ここは、そういう場所だから」


 冬木異能相談所。異能者のための、悩みを解決する場。


「……やっぱり……話してみようと思って、よかったな」

「え……?」

「校舎の外にいる君を、屋上から見ていたら、不思議な感じがしたの。話がしてみたいなって、思ったの。そうしたら、君が来てくれた。これは、力とは関係ないよね?」


 あの時……そうだ、目が合って、そうしたら能力が止まったのだ。

 思考を止めず、話がしたいと、思ったから。願ったから。


「そうだな。異能は、関係なかったはずだ」

「そっか……うん。わかった。考えてみるよ、夢路君」


 にっこりと、そう言えば出会ってから初めて見る満面の笑みを、幹子は浮かべてくれた。


                   *


「……今回は、大変でしたね。夢路さん」

「そうだな……」

「結局相談料も成功報酬も貰えませんでした」

「依頼料は、穂純が体を張って払ってくれたよ」

「確かに、今回解決できたのは穂純さんのおかげですよね。……私は割に合いませんでしたが」


 ちくりと痛い、夜葉の言葉。

 確かに夜葉には、色々と割に合わない事件だっただろう。お詫びに今度、休みの日にでも甘い物を買って来よう。日本茶に合うように、和菓子がいいかな……。


 幹子と穂純が帰り、二人きりの事務所。

 そろそろ僕らも店を閉めて、帰る時間だ。


「夢路さん」

「なんだ?」

「私は、考えることを放棄しているのでしょうか?」


 僕と夜葉は、デスクを挟んでじっと見つめ合う。

 しばらくして、僕はその問いに答えた。


「……そう思う時点で、考えてるじゃないか」

「……そう、ですね。すみません、おかしなことを聞いて」


 夜葉は立ち上がり、湯飲みを盆に乗せて、給湯室へ向かう。

 直後、スマホが振えた。


『おい、少し気を付けた方がいいかもしれないぞ』

『確かに、夜葉の様子が少し……』

『様子だけじゃない。おそらくさっきの幹子ってやつの能力の影響じゃないか? あれは、おそらくジジイのかけた制限が緩くなってるぜ』


「なっ……」


 思わず声を出してしまったが、幸い水を流す音のおかげで、夜葉には聞こえなかったようだ。



いよいよ夜葉の異能が明らかに。

続きますが、次で最後の予定です。

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