CASE2「色白の男」
その日は天気も良く、暖かい日差しが冬木異能相談所を明るく照らしていた。
ぽかぽかとした陽気で、正直眠くなる。
事務所には所長代理である僕、夢路と、助手の夜葉。
静かに二人でお茶を啜る、穏やかな時間。
夜葉は窓から入る日差しに顔を向け、目を瞑っている。
春の暖かさをめいいっぱい感じているのか、それとも僕同様眠いのか、それとも――このつかの間の平穏を、噛みしめているのか。
僕はそっと、壁に掛けられた時計を見る。……そろそろか。ほら、足音が――
「こんちわー! やっほー! いやっほー!」
――ノックもせず、事務所のドアを開け放ち、静寂を破るテンションの高い声。
夜葉を見ると、目を瞑ったまま、僅かに眉間に皺を寄せている。
やっぱり、平穏を噛みしめていたのかな。だけど夜葉、現実を見よう。目を瞑っていても、彼女はいなくならない。
「はぁ……本当に毎日くるんだな、穂純」
「ん? 当たり前でしょ? 夢路くん、夜葉ちゃん、こんちわ! ほらほら、挨拶は大事だよー」
「はいはい……こんにちは、穂純。いらっしゃい」
「……………………………こんにちは。穂純さん」
観念したのか、夜葉も目を開けて挨拶をする。
夜葉と二人でお茶を飲んでいると、騒々しく現れる穂純。
こんな光景も、今日で三度目だ。
彼女の悩みを解決(?)して、三日が経った。彼女は宣言通り、ここに入り浸っている。
別に、困りはしない。今のところ、お客も来ていないし。
彼女の能力の安定のためにも、確かに必要なことではあるだろう。
「それにしてもやっぱり疲れるなー。ずっと能力のこと考えてるのって、思ったより大変かも。五時限……あ、昼休みにぼけっとしてたら寝ちゃって、気が付いたら爪が伸びてたし」
今、間違いなく五時限目と言おうとしていた。寝てしまったのは昼休みではなく授業中だったのだろう。
穂純は応接スペースのソファに座って、鞄から爪切りとティッシュを取り出す。またここで切るのか……。
「穂純さん、爪落とさないでくださいね」
とん、といつの間にかお茶を淹れていた夜葉が、穂純の前に湯飲みを置く。
「お、ありがとぉ夜葉ちゃん! 喉か乾いてたんだよね。気が利くなぁ」
「どういたしまして。出涸らしですけど」
さすがに茶葉までは変えなかったようだ。
しばらくパチパチと、穂純の爪を切る音が事務所に響く。穂純は爪を切っている間は静かだった。
……これはこれでちょっと気まずいのだけど。
僕は何気なくスマホを弄り、BLTに目を向ける。
『なんか事務所の雰囲気が変わってきたよな』
『ユンもそう思うか、やっぱり』
『まーな。でもいいんじゃないか? 新鮮だろ』
『僕はいつもの穏やかな雰囲気も好きだけどね。たぶん夜葉も』
『お前らは相変わらず年寄り臭いな……。相変わらず日本茶だしな』
余計なお世話である。
『……ふむ。良かったな、お前が今飲んでるお茶は、ちゃんと国産のだぞ』
『そりゃそうだろう、そう書いてあるのを使ってるし。夜葉は結構お茶にうるさい』
『わかってるよ。でも最近は産地偽装とかあるんだろ?』
『なんでこっちの時代の世相に詳しいんだよ……』
『まぁいいだろ。そういう偽装はこっちの時代にもあったしな』
『え?! あるのかよ!』
ユンの生きている時代は、今はもう知ることのできないほど昔、超古代文明のはず。
そんな時代にも、産地偽装なんてあるのか?
『こっちの場合は能力を使った偽装だけどな。美味と言われていた食材に見えるよう、細工をしていたんだよ』
『……さすが、次元が違うな』
『一番有名でたちの悪かったのは、バフン事件だろうな、やっぱり』
『バフン? 馬糞か?』
『いや、お前らの時代で言う馬はいなかったから別の生き物だが……物は同じと思ってくれ』
『お、おう。それで?』
『そのバフンを、別の高級料理に見えてしまうように、能力を使ったんだ』
『それは悪質だな、本当に。でも……想像したくないが、味でわかるんじゃないか?』
『視覚情報ってのは結構大事でな。すぐにはバレなかった』
『すぐには……ってことは、バレたのか』
『そりゃな。専門家の鼻や舌は誤魔化せなかったさ。しかしすでに食べてしまった被害者は結構いてなー』
『あぁ……』
『ちなみにそいつの力は、別に偽装する能力ってわけじゃなかった。光の屈折を操作し、完全に別の物に見えるようにしていたのさ』
『へぇ……?』
光の屈折率を変えて? よくわからないが……。
『つまりだな――おっと?』
ユンが会話を止める。こういう時は――
キン、コォン。
チャイムが鳴り、三人の視線がドアに集まる。
「……お客だ。夜葉、頼む。穂純は帰るか――」
「えー、まだ爪切り途中なんだけど。ほら、中途半端」
「――こっちの空いてる机に座って、大人しくしていてくれ」
仕方がないな……今はお客が優先だ。
僕はネクタイを整えて、気を引き締める。
「よし、開けてくれ」
「はい」
夜葉がドアノブに手をかける。
『今週は多いな』
『そうだな』
三日前の穂純に続き、二人目。これで多いというのも、どうかとは思うけど、押し寄せるくらい能力者が来る状況というのも異常だろう。これくらいで十分だ。
「いらっしゃいませ、ようこそ冬木異能相談所へ。異能の力にお困りですね?」
*
夜葉が開けたドアの向こうに立っていたのは、スーツを着た色白の男性だった。
背が高く、ひょろっとした印象で、なんだか少しぼうっとしている。
この事務所に足を運ぶ人は、大抵戸惑いながら入ってくるからこれは見慣れた光景だ。
「どうぞ、お入り下さい」
「あ、はい。……あれ?」
しかし彼は、一歩事務所に入ると首を傾げて立ち止まり、天井を見上げたり振り返ったりしている。この反応は……。
『ユン。今回の依頼者は、能力に自覚があるかもしれない』
この事務所には、能力の使用に制限がかかっている。その違和感に気付けるということは、能力を自覚的に使えているか、無意識に発動し続けていたものが消えたからか。彼の身振りからして、前者な気がする。
『ほう。それなら手間が省けるな』
確かに能力を探る手間は省けるが……その場合大抵悩みが複雑だったり扱いの難しいものだったりする。
「どうぞ。こちらにおかけください」
「は、はぁ。あの、冬木異能相談所って、外に」
夜葉がお客さんにソファを勧めるが、戸惑っているのかオロオロするだけで座ろうとしない。
僕は立ち上がり、ゆっくりとソファに近寄った。
「ここは、異能者専門の悩み相談所。僕はその所長代理の白鷹夢路だ」
「所長……? 君が?」
「そうだ。意外に思うかもしれないが、ここはそういう場所だ。あなたなら、その意味もわかるはずだ」
「…………」
わざと含みを持たせて喋る。僕はまだ十四歳だし背も低い。だけどこの場ではそんなものは関係ないのだと、わかってもらいたい。
まぁぶっちゃけて言うと、なめられないようにするためだ。
「さあ、話を聞こう。座って欲しい」
「…………」
彼はしばらくじっと僕のことを見ていたが、再度促すと、コクリと頷いてようやくソファに座ってくれた。僕も正面に腰掛ける。
そこへ、夜葉がお茶を淹れ彼の前にとんと湯飲みを置く。さすがに茶葉は変えたようだ。
夜葉はいつものように、僕の隣りに座った。
「改めて、ようこそ冬木異能相談所へ。彼女は助手の古秋夜葉だ」
「よろしくお願いします」
「は、はぁ」
夜葉が頭を下げるのに倣い、彼も会釈をする。
「名前を聞かせて貰えるかな?」
「え? あ、そう、ですね。ぼくは波木光哉。見ての通り、サラリーマンです」
元々気が弱いのだろうか。僕相手にも敬語を使ってくれる。
さっきの僕の言い方も、効果があったのかもしれないが、大人が最初からこうして敬語を使ってくれるのは初めてかもしれない。
僕はそっとBLTに名前を入力した。
「波木さん、単刀直入に聞こう。あなたは能力者だな?」
「……能力者って、そんなぼくは……いや」
否定しようとして、自分で言葉を止める。
「……ここで隠しても仕方なさそうですね。はい、そうです」
あっさりと認める。やはり、思った通りだ。
「おぉ、すごい夢路くん……」
穂純がぼそっと呟くが、気にせず続ける。
「能力のこと、聞かせて貰えるかな」
「はい……。ぼくは、その」
話すのに若干抵抗があるのだろうか、口ごもりきょろきょろと辺りを見渡す。
『おい夢路、すごい偶然だな。これだからお前の時代は面白い』
『なにがだ?』
『さっき話したバフン事件、あの犯人と同じ能力だ』
……なんだって?
「実は、ぼくは自分の周りの光を操ることができるんです」
*
光操作系能力者。
『こりゃ、ちょっと厄介かもな……』
ユンがぼそりと呟くが、夢路にはまだ事の重大さに気付くことができなかった。
というのも、さっきのバフン事件の話もそうだが、光を操作できるということがどういうことなのか、ピンと来ないのである。
「具体的には、どういうことができるんだ?」
「そのまんまですよ。例えばすごく明るい場所に、光を操作して影を作ったりできます」
「ほほう……?」
「試したいんですけど、なんかここに入ってから、力が使えなくて……」
「ああ、それはここに、そういう制限がかかっているからだ。この場所では能力が使えないと思ってくれ」
「そうなんですか。うーん、それじゃ説明ができないですね……」
確かに。いまいち光操作の能力がどういうものかわからないし、一度見せてもらいたいところだ。
「波木さん。あなたの悩みは、その能力についてだな?」
「そうです。ぼくはこの力のことで、悩んでいて」
「わかった。しかし能力を見ずに相談に乗るのはやはり難しい。屋上へ行こう」
「お、屋上ですか? どうして……」
「実はこの場所の能力制限は、あくまでこの部屋の中のみ。屋上は範囲外なんだ」
範囲外だからとはいえ、ドアの前で能力を使って貰うわけにもいかないので、こういう時はいつも屋上を使う。
「はぁ。よくわかりませんが……太陽光があったほうが、説明が楽だと思いますし」
「では参りましょう。……穂純さん、留守番お願いしますね」
「えー、あたしも見に行きたい!」
「……穂純さん?」
「う、睨まないでよー夜葉ちゃん。ね、夢路くん、いいよね?」
「ふぅ……。仕方がないな。ただし、仕事に口を出さないでくれよ」
「オッケ! もちろん、邪魔しないから」
ガッツポーズの穂純に、ぼけっと波木さんが目を向けている。
「えっと、彼女は……?」
「ああ、すまない。彼女は夏水穂純と言って、前回の依頼者なんだ。申し訳ないが、同行させて欲しい」
「それは構わないですけど……」
首を傾げながらも、ドアに向かって歩き始める。
「さあ、僕らも行くぞ」
ドアを開け、僕と夜葉が先導する。ここに上がってくる階段を、そのまま上に登ると、屋上に出られるのだ。二階建ての低いビルの屋上は、周囲のビルに囲まれて、開放感はまるでない。むしろ閉塞感すらある。が――それでも、部屋の中とは明らかに違う、太陽の光に暖められた空気があった。
「夢路さん、どうして許可したんですか」
階段を登るとき、こそっと夜葉が話しかけてくる。
「……他の能力者を見るのも、能力安定に効果があるかもしれない。そう思ったんだよ」
「なるほど……それは、確かにそうかもしれませんね」
よかった、納得してくれたようだ。
もちろん咄嗟に思いついた出任せなんかじゃない。本当にそう思ったからこそ、許可したのだ。
自分以外にも能力者がいるというのは、やはり安心すると思うのだ。
それは能力の制御に繋がる……かもしれない。
実は穂純のような、能力者のアフターフォローは初めてなのだ。たまに、以前の依頼者が再び相談に来るようなことはあるけど、こういう継続してのフォローはしたことがない。
僕は僕なりに、フォローの仕方を考えているわけだ。
それは所長としての、確かな経験になるはずだから。
「それでは波木さん。早速見せて頂きたい」
「わかりました。では、さっき言ったのを……」
波木さんはまるで手品を見せるように、ちょっとだけ緊張した面持ちで手をそっと前にかざす。すると――
「うわ、なにこれ!」
声を上げたのは穂純だったが、僕と夜葉も思わず声を出しそうになった。
かざした手の、その上に。下ではなく、甲の上に。丸い、影が浮かんでいる。
それはあり得ない光景だった。手をかざして、その下に影ができるのならまだしも、上にできるなんて。
「なるほど、それが……光操作」
「はい。逆に少ない光を集めて、一カ所だけ明るくすることも可能ですよ」
それは確かに、すごい能力かもしれない。
とはいえ……いったい、それでなにができるのだろうか。
「えっと、白鷹さん。ぼくの悩み、聞いてもらってもいいですか」
「……もちろん。どうぞ」
「ぼくの悩みは、この能力がなんの役に立つのか、ということなんです」
彼の悩みは、夢路の疑問そのものだった。
*
なんの役に立てるか、か。
確かに、それは僕にも思いつかなかった。
便利そうな能力に見えるけど、いざなにかに使おうと思うと、これが……なかなか思いつかない。
「探し物するときは便利そうだよねー」
と、穂純が口にする。
「穂純さん、さっき夢路さんに言われたでしょう?」
「あ、ごめんごめん。口は出しません」
そう言って穂純は自分の手を口に当てる。
「そうだね、確かに暗いところを照らすのに、ライトは不要だよ。……だけど」
「ちょっと便利、というだけだな」
ライトは不要だけど、逆に言えばライトがあれば不要な能力となる。
「災害救助なんかでは、役に立つかも知れませんが……」
夜葉がそんな案を出す。確かにそう言う場での明かりは何かと役に立ちそうだが……。
「そうなったらそれどころじゃないと思いますよ。そりゃ、いざという時は人命救助に使うと思いますよ。……けど、この力をおおっぴらに使う気はないです」
「……そうですよね」
そうなのだ。非常時は別としても、異能の力を公で使うわけにはいかない。
「ふうむ……」
僕は右手にスマホを持ったまま、腕を組む。そして考えるフリをしてBLTを見る。
……これは、この間の件からちょっと考えてみた、BLTを自然に見るための手段。
けど、やはり不自然だろうか。幸い不審には思われていないようだけど。
『どうやら、こいつは気付いてないんだな。能力の使い方に』
ログには、そんなユンの言葉が残っていた。
僕は手を動かさず、そのまま続きを待つ。
『光操作ってのは、さっきも言ったが屈折率を操作する能力である場合が多い。たぶんそいつもそうだ。光を屈折させ、その場所に光が当たらないようにすることで、闇を作るわけだ』
なるほど、さっき作っていたあの影は、そういう……。
『それだけじゃない。バフン事件の犯人のように、目に映る情報を変化させることもできるんだよ』
……ん? それは、どういう意味だろう。
『物体に光が当たり、人の目はそれを視覚情報として受け取る。しかし光の屈折を複雑にいじれば、例えば青い物を赤く見せたりすることも可能だってことだ』
なるほど……ようやく、ユンが言いたいことがわかった。そして例のバフン事件の犯人がなにをしたのかも。
『バフン事件の犯人は、かなり力を使いこなしていてな。別の物体に見せることもできたんだ』
*
光の屈折率を操り、別の物体に見せることが出来る。
そう言われて真っ先に思い浮かんだのは、蜃気楼だった。
あれは確か空気の密度のせいで光が屈折してしまい、遠くの景色が見えたり上下逆さまに見えたりする現象、だったはず。それをもっと、局所的、正確に行うことで、実際の物体とは別の物体を映し出しているというわけだ。
『もちろん近くに本物が無いと難しいけどな。バフン事件の犯人は本物に混ぜて出していたらしい』
なるほど。というか本物が出せるなら何故そんなバカなことしたんだろうな……。
しかし、困ったな。
「ちなみに波木さん、その力はいつから使えるように?」
「物心ついた頃には、もう使えてました」
生まれながらにして能力者か。つまり、それだけ能力に慣れているということだ。
おそらく、そういうことができると教えてしまえば、きっとすぐにでもできてしまうだろう。思いつかなかったから、試さなかっただけで。
そしてこれは、教えるべきなのだろうか?
「どうしました? 夢路さん」
「いや……なかなか思いつかないものだな」
本当は色々思いついているけど、どうにも悪用しか思いつけない。最初にバフン事件なんて話を聞いてしまったからかもしれないが。
「そりゃそうですよ。ぼくは何年もずっと悩んできたんです。けど光を操って遊ぶくらいしかできなかった。ああ……そういえば、不良に絡まれた時に闇に紛れて隠れるのはよくやりましたよ。逆にフラッシュみたいに目くらましをしたり」
確かに、防犯効果は高そうである。
「それは、なにかに使えそうじゃないですか?」
「そうだな。身を守る手段として、役に立っているじゃないか」
「確かにそうです。だけど……違うんですよ。自衛手段としてじゃなくて、こう……なにか、人の役に立てるような、そんな使い方ができないかなって……」
まぁそうだろう。これで悩みが解決できるなら、何年も悩むことはなかっただろうし、この事務所を訪ねることもなかっただろう。
僕はそっとBLTに『闇に隠れたり防犯目的で使用していたらしい』と入力する。
『ま、それが一番思いつきやすい、能力の有効利用だろうな。もっとも闇に紛れたり目くらましだけじゃもったいないけどな』
もったいない? どういう意味だろう。僕はそっと手を動かす。
『他にもなにかできるのか?』
『さっきの応用だ』
『ああそうか、別人になれば』
『もっと簡単な方法があるだろ。どっちかというとこっちのが簡単で、偽装の方を応用と呼んだ方がいいだろうな』
偽装よりも、簡単な方法? 思わずまじまじと波木さんを見てしまうが、わからない。
『光の屈折を操って、近くの別の物に見せるってことはな、自分の後ろの景色を見せるんでもいいんだ』
自分の後ろ……ああ、そうか、そういうことか。
『つまり、透明人間になれるってことさ』
透明。さっきの話を聞いた時点ですぐに気付けてもよかったことだ。
隠れるなら、なにも別の物に見せる必要はない。後ろの風景に溶け込み、擬態する。透明になればいい。いわゆる光学迷彩と呼ばれる技術が、軍とかで研究されているはずだ。
……よかった、波木さんがそういう知識に疎くて。知っていたら試していただろう。
しかしそうなると……ますます、能力のことを詳しく教えるのが恐い。
「あの、夢路さん。ユンさんはなにか教えてくれないんですか?」
「む……まぁ」
BLTを見ているのがわかっているのだろう。夜葉が小声で聞いてくるが、僕は曖昧に濁す事しかできなかった。
ユンの話を聞けば聞くほど、彼の能力のすごさがわかる。
ただ、使い方を知らないから、驚異ではないというだけで。
彼の悩みを解決するだけなら、それは簡単に思えた。
例えば適している職は探偵業だろう。透明になれるのなら、色んな場所に簡単に忍び込めるはず。探偵どころかスパイにだってなれそうだ。
偽装による詐欺などの悪用ではないし、これなら、とも思うが……。
これを教えることによって、悪用しないとも限らないだろう。
……そうだ、どこにだって、忍び込めるのだ。セキリィティの厳重な施設等はそれでも難しいだろうが、普通のところだったら、大抵入れるだろう。
彼がそういう悪用をする度胸のある人間には見えないが……それでも、魔が差すことはあるだろう。彼だけが得をするような、悪用方法。例えば、その、男性が入れない場所に潜入したり。思いつかないと言い切れるだろうか?
……そういうことを考え出すと、果たして能力の使い方を詳しく教えてしまっていいものか、教えない方が、このままの方がいいんじゃないか、と思ってしまうのだ。
こういう能力の悪用は、相談の上での障害になりやすい。
ここまで色んな可能性に気付いていないというのも、珍しいが……。
「はぁ。やっぱり、思いつかないですよねぇ……」
「い、いや。そうだな……た、例えば、プラネタリウムとか、できるんじゃないか?」
なんだそれは、と自分で自分にツッコミたくなる。隣の夜葉も若干呆れた顔で僕を見てくる。やめてくれ……。
「ああ、それは自分の部屋で試したことがあります」
「あるのか」
「はい。成功しましたけど、星の知識なんてないから、実際の夜空の再現とかは無理でした。適当に星をちりばめる程度で……」
「それでも十分すごいと思うが」
「確かに綺麗でしたけど……個人で楽しむ範囲ですし、それに」
「それに?」
「プラネタリウムに行けばいいだけですよね」
「……そうだな」
全くその通りだ。しかも今は家庭用のが売っていたりするし。
僕はこっそりとため息を吐き、考え直す。
「そういえば、最近は太陽光発電の技術が研究されていますよね」
夜葉がぽつりと呟く。なるほど、その方向性があった。が……すぐにBLTに不穏なことが書かれる。
「太陽光発電! なるほど、それはいいかもしれないです!」
「……屋根にあるソーラーパネルに光を当て続けるのか?」
「そう! それなら役に立てるかも!」
「正直それにどこまで効果があるかわからないが……電気を節約したいのなら、能力を使って外の明かりを家の中に取り込んだ方がいいんじゃないか?」
「……あ」
「他人の家のソーラーパネルの効率を良くすることもできるかもしれないが、すごく地味だし、たぶん気付いてもらえないぞ」
「……そうですよね。いや、気付かれなくてもいいんですけどね……はぁ」
しょんぼりとしてしまう波木さん。正直ちょっと申し訳ないが……。
「……夢路さん?」
「しょうがないだろう。ユンが、その方向性はマズイって……」
「ユンさんが?」
理由は書かれていないが、ユンがそう言うのならばマズイのだ。
夜葉としては、さっき言ったような使い方ではなく、太陽光発電の研究自体になにかしら役に立てるのでは、という意味での発言だったのだろう。光を操れるという能力を隠しながらでも、様々な実験、研究を行えるはずだからだ。
「いいと思ったんですが……」
「そうだな。しかしこれもダメとなると……本当に、難しいな」
「あの、BLT、見せて貰ってもいいですか?」
「ああ。……波木さんが来る前の雑談からになるから、ちょっと長いぞ」
僕はそう言って夜葉にスマホを渡す。彼女は少し首を傾げて、一歩下がり、僕に隠れてBLTのログを読み始める。
「すまない。なかなか良い案が思い浮かばなくて」
「いえ……仕方ないですよ。すぐ思いつかれても、複雑ですし」
数年悩んでいたことが、ちょっと話しただけで解決されても困る……というわけか。
しかし本当に難しいな。一番思いつきやすい、今あるなにかの代わりに力を使うという案は、それがあるから十分という結果になりやすい。現状難しい技術を簡単にする、という方向性ならいいのかもしれないが、今度は能力を公にできないという壁にぶつかるだろう。彼が望んでいるのは、人知れず誰かの役に立てる方法。もしくは能力を隠しながら使っても問題のない利用方法だ。
そういう意味では、先の太陽光発電の研究利用というのは、やはりうってつけに思える。
なにがいけないんだろうか……。
「あ、あの、夢路さん。ユンさんのログ、最後まで読みました?」
振り返ると、青い顔をした夜葉が恐る恐るスマホを差し出していた。
「……ん? 最後?」
「マズイと言った理由が、書かれています」
おそらく、夜葉に渡す直前に書かれたのだろう。僕は夜葉からスマホを受け取り、そのログを見る。
『光に関する研究に携わるのはマズイんだ。いいか、こいつの能力の有効範囲にもよるんだが、例えば広範囲の太陽光を収束させると、どうなると思う? お前らも昔、虫眼鏡で実験をしたことがあるんじゃないか?』
それを読み、僕は夜葉と同じようにサッと青くなった。
虫眼鏡を使った実験。光を収束させて、黒い紙に穴を開ける。それをもっと広範囲の光を集めて行えば、どうなる?
『例えば今この場で行えば、こんな小さなビル、消し飛ぶぞ』
ユンがわざわざ続きを書いてくれた。……確かに、光について詳しく研究させるのはマズイかもしれない。
『そうじゃなくてもな、超強力な能力者だったとしたら、辺り一帯を突然夜にすることだって可能かもしれないんだぜ? 逆に夜を無くすことだって可能かも知れない』
『さ、さすがにそこまではできないだろう?』
思わず反論してしまう。
『どうだろうな? こいつ、生まれながらの能力者だろ? 先天的な能力者ってのは強力なヤツが多い。バフン事件の犯人は富裕層への復讐を考えていたようだが、効果範囲が狭く偽装なんていうくだらない手段しか使えなかった。だが、そいつもそうだとは限らないぜ? 本人が気付いていないだけで、な』
ごくりと唾を飲む。
確かにユンの言う通りかもしれない。
けど、どうだろうか。ソーラービームはともかく、突然夜にしたりとか、昼にしたりとかは、子供なら思いつきそうなことだ。試していてもおかしくない。しかし彼はそれに気付いている様子はないし……そう考えれば、能力の有効範囲はそこまで広くないかもしれない。が、断定もできない。
これは、ますます能力の説明ができなくなってしまった。
下手をすれば、世界を滅ぼしかねない能力なのだと、わかってしまったから。
*
「ああ、やっぱりぼくのこの力は、使い道の無い能力なんだな……」
波木さんはがっくりと項垂れ、落ち込んでいる。
思わず夜葉と顔を見合わせる。僕も同じ顔をしているのだろう、非常に困った表情だ。
ユンの話を聞いてしまった以上、もう、このまま落ち込んでいてくれた方がいい。前向きになって、自分の能力の使い道を考え試行錯誤するよりも、自分の能力のすごさに気付いてしまうよりも、今のままの方がいい。
でも、だけど、本当にそれでいいのだろうか?
彼は悩み、そして冬木異能相談所にやってきた。ここは異能に関する悩みを相談する場所。それなのに、これでは彼の悩みはなにも解決していない。
解決しないことが危険を避ける一番の方法だとしても、それでは彼が悩み続けることになるのだ。
いや、そもそも本当にこれが安全策なのか? 後ろ向きのまま、落ち込んだまま、そのまま自棄を起こす可能性は? 彼の性格から低いとは思うが、それでもゼロではない。
だったら、正解はどこに――?
「ゆ、夢路さん」
「ん……?」
夜葉に注意を促され、顔を上げて波木さんの方を見る。彼はぽかんと口を開け、ぼうっと空を眺めている。
「そうだ………ソーラーだ……。どうせなら……試しに……」
彼は僕らに背を向けて、ゆっくりと、その両手を持ち上げる。
な……なにを考えている? ソーラーとか聞こえたが……。
まずい、止めなければ――だけど、どうやって? 僕には、先代所長のような力はない。ユンのように万能能力者でもない。彼が能力を使うのを、どうやって止める?
「うーーーーーん、やっぱりあたしには、お兄さんがなにを悩んでるのかわかんないんだけど?」
「……えぇ?」
ピクリと、動きを止めて、ぎぎぎと振り返る波木さん。思わず僕らも振り返る。後ろには、腕を組み首を傾げる穂純の姿があった。
「穂純さん……! 仕事には口を――」
「待て……夜葉」
注意しようとする夜葉を手で制する。当然夜葉は驚いた顔をするが、素直に引き下がってくれた。
「わからないって、そ、それはそうだろう、君。特殊能力の悩みが、普通のじょ、女子高生に、わかるわけがない!」
「あたしも一応、異能者? だよ?」
「へ……えぇぇ?」
思わず間抜けな声を漏らす波木さん。突然そんなカミングアウトをされたら驚くのも無理はない。
「う、うそだ、そんな」
「いや、本当だ。さっきも言ったと思うが、彼女は前回の依頼者。うちの事務所には、異能の悩みを抱えた人にしか辿り着くことができないんだ」
「む……じゃあ、君も悩んでいるのか?」
「今は夢路くんに能力のことを教わったから、悩んではいないかな? まだちゃんと制御できてないのが、悩みといえば悩みなんだけど」
そこはきちんと悩みとして認識して欲しいが……野暮なことは言わないでおこう。
「制御、できていない……?」
「そう! そこなのよ、あたしがわからないのは」
「へ……?」
「だってお兄さん能力を制御できてるんでしょ? だったらもう悩む必要ないじゃない」
「い、いや、そんなことは」
「わたしなんて、この事務所にいる時以外は、ずーっと意識してないといけないんだよ? そうじゃないと勝手に能力発動しちゃうから」
「そう、なのか。それは結構大変だね……」
「うん! でもここに来る前は、これが特殊能力だってこともわからなかったから……今思い出すと、本当に辛かった。あはは……相談に来たときは強がってたけど、あたしだいぶ参ってたんだと思う」
「穂純さん……」
確かに穂純は、最初なんでもない風を装っていた。けど、あんな風に能力が勝手に発動していれば、自分の体に普通ではない変化が起これば、恐いし、辛いに決まっている。
「しかし…………いや」
波木さんは自分の手を見つめる。
彼は生まれながらにして能力者だったそうだが、それでも幼い頃、制御できない時期があったのかもしれない。おそらくそれを思い出したのだろう。
「だからあたしから見たら、お兄さんは能力を完璧に制御できてるんだし、なにを悩むことがあるんだろうって思っちゃうのよね」
穂純の視点だと、そうなるだろうな。だけど……。
「……そうだね。君の悩みは、辛さはわかるよ。僕も幼い頃、両親に迷惑をかけたみたいだから。……制御ができているんだから、それでいい。問題はない。それもわかっている。わかっているけど……そうじゃ、ないんだ」
え、と口を開けて戸惑う穂純に、優しげな笑みを浮かべ、波木さんは再びその両手を挙げようとする。
ダメ……か。
手の中のスマホが震え、咄嗟に画面を見る。
『なぁ、そいつの肌の色は何色だ?』
ユンの質問に答えつつ、顔を上げた。
「波木さん。そう言えばあなたは、とても肌が白いな」
「……え? あ、ああ、はい。よく言われますけど」
「もしかしてそれも、能力で?」
「そうです。僕は肌が弱くて、すぐ赤くなっちゃうんですよ。だから常に能力で、僕に当たる日光をコントロールして、紫外線をカットしています。日焼けしないように」
なんでもない風に、さらっと説明してくれる。
「え……それって」
「そんなことできるの?! すごい!」
それを聞いた女性陣が色めき立つ。
「そ……そんな、すごくなんてないですよ。これくらい……」
「すごいって! 女の子がどれだけ日焼けに気を遣ってるか、お兄さんわかってる?!」
夜葉もうんうんと頷いて同意しているが、波木さんは恐る恐る首を降る。
「夏の暑い日に半袖で出かける時は日焼け止めクリーム必須! ちょーっと買い物に出かけるだけでもすぐ焼けちゃうからね。こまめに塗らないとダメなの。日焼け止め代バカにならないけど、これ、女の子のたしなみってやつ?」
「……夜葉も塗ってるのか?」
「もちろんです。私も肌は弱い方ですから。これからの季節、日焼け止めクリームは手放せません」
全然知らなかった。もっとも事務所では必要ないし、知らなくても当然なのかもしれないけど。
「日焼け……止め……」
「UVカット。波木さん、それは他人にもできるのか?」
「はぁ。一回使えば、一定時間保ちますよ。僕もずっと力を使い続けるのはしんどいので、一度使えばその周囲の紫外線をしばらくカットできるようにしました」
「ほう、便利だな。それなら人の役にも立てるんじゃないか?」
「でも、こんな使い方、ずっと小さい頃に思いついたものなのに」
「案外そういう使い方が、後になって役に立つものだ」
波木さんは挙げようとした手を下ろし、腕を組んで考え込む。
「……けど、どうやって他の人に力を?」
「そうだな。例えばUVカットの効果がある光を当てます、とかなんとか言って……」
「夢路さん、それ調べられたらバレちゃいませんか?」
「む……そうか。確かにちょっと怪しすぎるな」
「実際に効果があったら……いえ、あるわけですし、きっとすぐに評判になってしまいます」
「そこはローカルで、細々とやっていけば」
「それならいっそ日焼けサロンとかの方が……」
「あ、あのすみません、白鷹さん」
僕と夜葉がああでもないこうでもないと話していると、波木さんが止めに入る。
「ありがとうございます。それだけで、十分ですよ。僕は営業をやってるんですが、女性のクライアントに会うとき、これを話題の一つにできそうです」
「営業……なるほど」
例えば、この日焼け止めクリーム効くんですよと勧めて、こっそり能力を使えば、次に訪ねた時に好印象を得られる。確実に、日焼け止めの効果があるのだから。
「はい。なので、ここから先は、僕自身が考えます」
「……わかった。では、下に降りよう。料金の話もあるしな」
「料金……あ、ああ。そうですよね」
ちょっとだけたじろぐ波木さん。お金取られるとは思っていなかったらしい。
……とはいえ、今回は相談料をあまり取るわけにはいかないだろうな。解決へのきっかけは与えたが、具体的な解決案は自分で考えると言っているのだから。
ひやひやさせられた分、取りたい気もするが……それを説明するわけにもいかないし、仕方がない。それに……。
ちらりと振り返る。黙って後ろからついてくる、穂純。
今回の相談料の半分くらいは、彼女の取り分にしてやらないといけない。
彼女は波木さんを止めることはできなかったが……しかし、穂純の言葉があったからこそ、そこで一度気持ちを落ち着けることができたからこそ、その後の日焼け止めの話に繋げることができたのだから。おそらく、先にその案を出しても聞く耳を持たなかっただろう。
「うーん……」
しかし当の彼女は、さっきからずっと腕を組んで唸っている。
まだなにか納得がいかないのか首を傾げていた。
「どうした、穂純。さっきから静かだな」
「あ、うん……えっとさ、夢路くん」
「なんだ?」
「なんでさっき、あのお兄さんに、そうじゃないって否定されたのかなって……」
ああ、そのことか……それで、ずっと悩んでいたわけだ。
「さあ……な」
まだ穂純にはわからないだろう。彼の視点と、穂純の視点は、まだ違うのだから。
「だが、今回少しだけ役に立った。相談料の何割かを穂純の借金に充ててやるぞ」
「借金って言い方重いなぁ。でもほんと? やった、これでチャラになるかな!」
「ならん」
……半分くらいと思ったが、やはりもう少し少なくするか。
波木さんとの交渉の結果、今回の相談料は五千円。穂純の取り分は千円とした。
彼が帰ったあとに、穂純は自分の時と全然違うと喚いたが、0にするぞと脅して黙らせた。まぁその後帰るまでずっとふて腐れていたが……きっと明日には元気にこの事務所にやってくるだろう。
こうして、穂純の相談料、借金は残り四万九千円になった。
先は長い。……長い、付き合いになりそうだ。
こんな感じでのんびり続きます。