CASE1「春に眠る」
『なぁ夢路、今日は依頼者来るか?』
『そんなのわかるわけないだろ。ユンこそ、未来予知とかでわからないの?』
『ある程度はできるけどな。俺様が干渉しているこの時間軸は、それ故に予知ができない』
『ユンが干渉してるから、未来がどんどん変わってるってことか?』
『ま、そんなところだな』
事務所のデスクに座り、スマートフォンアプリ、ビフォーライフトークことBLTを使って、そんなやり取りをする。
前世ユンスランタとのチャットを可能とする、僕専用のアプリ。
一年前、親に買ってもらったスマートフォンに、いつの間にかインストールされていた。
ホーム画面の真ん中に置かれたアイコンは、文字化けしていて名前が読めないという、明らかに危険なアプリだった。
削除すべき、と思ったが、突然頭に『起動しろ』という声が聞こえて、気が付いたらタップしてアプリを起動してしまっていた。
開いたアプリはチャットソフトのような画面で、そこにはユンスランタの名前があった。
『俺様はユンスランタ。お前の前世だ。よろしくな』
最初は、なんかそういうゲームなのかな、と思ったものだ。
けどその後、色々あって……ユンスランタ、ユンの言うことを信じることになる。
信じざるを得なくなる。
そして今いる冬木異能相談所と深く関わることになり、ついには所長代理なんてものになる。
……本当に、ユンのおかげで自分の人生は大きく変わってしまった。
『ま、予知ほど不安定で悲しい能力は無いよなー。いくらでも変えられるし』
『それはお前が、他の能力で干渉するからじゃないか?』
『そうとも言うな』
ユンはほぼなんでもできる、万能能力者だ。このアプリもいくつかの特殊能力を組み合わせて、生み出したものらしい。とんでもない話だ。
僕はため息を吐き、辺りを見渡す。
四月、夕方。人の来る気配のない事務所。
……まぁ、元々大勢人が押しかけてくるような所ではない。
あくまでここは、異能力者専門の相談所なのだから。
この冬木異能相談所は、路地裏の古びたビルの二階に居を構えている。
スペースはそれほど広くはない。入口側にソファが二つにテーブルという相談スペース。その奥にデスクが三つと、それだけでいっぱいになる程度の広さだ。
部屋はこれに加えて給湯室にトイレ、さらにバスまで付いているのだけど、ここで風呂に入ったことはない。そしてもう一部屋、小さなロッカールームがあるのだが――
「夢路さん、お茶が入りました」
「ありがとう、夜葉」
デスクの上にとんと、湯飲みを置いてくれる少女。
冬木異能相談所の助手である、古秋夜葉。
襟元の白い、黒の長いワンピース。赤いネクタイをしていなければ、修道服のようだ。そんな清楚な格好に加え、さらには髪は肩の上で切りそろえたボブカット、つまりちょっと長めのおかっぱ。精巧に作られた西洋人形のような雰囲気がある。長いまつげに切れ長の瞳は、清純で、ガラスのような儚さを感じさせる。
『なんだ、また緑茶か。コーヒーくらい飲め、所長代理』
そんなユンの茶々を黙殺する。ユンはある程度こちらの状況を見ることができるようだけど、声を発することはできないため、僕が相手をしなければ周りには伝わらない。
だいたい、なんでコーヒーとか緑茶を知ってるんだ、超古代文明人よ……。
もっとも、ユンの言いたいこともわかる。日本茶だと格好が付かないってことだろう。
夜葉のワンピースに合わせたわけではないが、ワイシャツに黒のベスト、下も黒のスラックス。そして赤のネクタイ。これで日本茶を啜るのはまぁ似合わないだろう。
けど、僕はコーヒーが好きじゃないのだ。……苦いし。緑茶の渋みは好きなんだけど。
「ふぅ……」
気が付くと夜葉は、僕の斜め前、自分のデスクに座って同じく緑茶を啜っていた。
修道服みたいな黒のワンピースを着ている割には、日本茶が好きなのである。それこそ紅茶でも飲んだ方が絵になりそうだが……まぁ幸せそうな顔で飲んでるから良しとしよう。
この相談所には現在、所長代理の僕と、その助手の夜葉しかいない。
僕は一四歳という歳で所長代理なんてやっているが、彼女も一つ下の一三歳だ。
縁あってこの相談所の助手をすることになったわけだけど……。
いや、むしろその縁こそが――。
キン、コォン。
チャイムが鳴り、ぱっと顔を上げる。夜葉も驚いてドアを見るが、すぐに僕の方へ振り返る。僕が黙って頷き返すと、夜葉は立ち上がりドアへと向かった。
『来たみたいだな、夢路』
『そうだな』
僕はユンに返事をし、夜葉がドアを開けるのを待つ。
「いらっしゃいませ、ようこそ冬木異能相談所へ。異能の力にお困りですね?」
さて……久しぶりの依頼人、相談者だ。
*
相談者は、近くの学校に通う女子高生だった。白いブレザーに茶色のチェックのスカート。青いリボン。腰の辺りまで伸びた長い黒髪はとても綺麗だが、口をへの字に曲げて困惑している表情からは、少々勝ち気な性格が見え隠れしているようで、夜葉のような清楚さは感じられなかった。スカートもなんか短いし。
「あのー……あたしなんとなーくで入って来ちゃったけど、ここって? あなたは?」
「ここは冬木異能相談所。僕はその所長代理の白鷹夢路だ」
「え? き、君が? 所長?」
「こんな子供が、と思うかもしれないけど、ここはそういう場所だから」
「は、はぁ……でも」
「それから、彼女は助手の古秋夜葉」
「よろしくお願いします」
「よろしく……」
いきなり子供二人が出迎えたら、誰だってこういう反応をする。わかっているし、慣れてはいるけど……あぁ、せめてもうちょっと僕に身長があれば。
とりあえずデスクの手前に置かれたソファに彼女を座らせる。相談、応接スペースだ。
僕と夜葉は並んで正面に座る。
「ではお姉さん、名前を教えてもらっていいかな?」
「あ、うん。あたしは夏水穂純。見ての通り高校生で、一年生」
夏水穂純、と。BLTに名前を入力する。
しかし……高校一年。一五歳かな。自分とは一つしか違わないのに、どうして高校生というだけで少し大人に見えるのだろう。
僕の背が低く、彼女の背が高いからか。そうなのか。身長のせいなのか。
……なんて自分の悩みは置いておくとして。
「夏水さん。あなたは、何にお悩みで?」
「へ? 悩みって……急に言われても、困るわよ」
おや、と思う。いつもの相談者なら、ここでビクッとなるはずだった。なのに彼女にはそれがない。唐突に聞かれて、本当に困惑しているだけに見える。
「悩みなんていっぱいあるに決まってるじゃない。素敵な彼氏が欲しいなとか、可愛い服が欲しいなとか、勉強なんてしたくないなーとか、最近眠いこと多いなーとか……」
「それはただの願望ですよ」
横で聞いていた夜葉がぼそりと呟く。
「ぐぐっ……」
「そ、そうではなく……。おかしいなぁ。ここに来た以上、あなたはなにか、異能の力、超常的ななにかに、悩まされているはずなんだけど」
「ど、どういうことよ?」
「……仕方ない。少し説明しようか。ここは、冬木異能相談所。名前の通り、異能の力に悩む人のための相談所。この場所は先代の所長が残した、制限……結界のようなものが貼ってあって、異能の力に関する悩みを持つ人にしか、気付くことができないんだ」
「へ、へぇ……。で、その先代の所長はどうしちゃったのよ」
「いません」
すっぱり答える。こういう対応には、慣れている。
「え? あ……のこした……遺したって、そういう……。ごめん」
「ここに入れたということは、つまり悩みを持っているということなんだ」
「うーん……そう言われてもなぁ」
夏水さんは顎に手を当てて、悩む素振りを見せる。
……いよいよおかしい。ここまで緊迫感の無い相談者は初めてかもしれない。
まさか、先代がこの事務所にかけた制限が、緩んでいるのか?
「……夏水さん、随分と爪が長いんですね」
夜葉の言葉に夏水さんの手元に目を向ける。……確かに長い。それもかなり。普通の人の二倍近くはありそうだ。あんな爪で、ノートが取れるんだろうか。
「あれ? またこんなに伸びてる……もう。朝切ったのになぁ」
「ん……朝切った? それは、少し削ったとか、そういう?」
「違うわよ。きちんと指先が見えるまで切ったわよ。それなに、すぐ伸びるんだから。困っちゃうわよ。あ、悩みといえば、これがそうかしらね。このすぐ伸びちゃう爪!」
「それって……夢路さん」
「ああ……おそらく」
急いで手元のスマホを確認する。
『夏水穂純、彼女の血縁に能力者はいないな。突然発生型の能力者だろう』
『ユン、爪がどんどん伸びる能力……いや、爪を伸ばす能力なんてある?』
『あるぞー』
『あるのかよ!』
『武器としてだぞ? 鋭く伸びた爪は十分凶器だ』
……それもそうか。正直、爪が伸びるだけの能力なんて、なんのためにあるんだ、と思った。
『彼女は気が付くと爪が伸びているみたいだ。これって能力を制御できていないタイプだと思うか?』
『まぁそうだろうな。もう少し話を聞いてみろ』
凶器か……少し厄介かもな、と考えながら顔を上げると、そこにはティッシュを広げて爪を切り始めた夏水さんがいた。長くて困るのはわかるが、ここで切るか?
「夏水さん。朝切ったばかりなのに、夕方にはそんなに伸びている。これは明らかに異常だ」
「あー……やっぱり? 変だなとは思ったのよね」
「変って、どう考えてもおかしいじゃないですか!」
「このこと、誰かに相談は?」
「してないよ。できるわけないじゃん。だからこうして、爪切り持ち歩いてるんだから」
「……夏水さん。やはり、自覚があるんじゃないですか。悩んでいるという」
「そ、それは……そんなこと……」
夏水さんの手が止まり、俯く。
「さっきも話した通り、ここは異能相談所。遠慮はいらない。自分の体の異常に悩んでいるなら、話して欲しい。僕らに相談して欲しい。ここは――そういう場所だから」
「異能……相談所」
呟いて、夏水さんはそっと顔を上げる。
「……困ってるよ、あたし。この爪のせいで。でも、ほんと、なんなの? 友だちにも、イメチェン? とか言われたり、あんたの爪、伸びるの早すぎって口を押さえて笑われるしさ? それもだんだん、気味悪がられるようになるし。本人はもっと気持ち悪いわよ!」
だんっ! とテーブルを叩く。切った爪が辺りに散らばり、夏水さんは慌ててそれを掻き集めた。……見た目より律儀で真面目なのかもしれない。
「……わ、笑いたければ笑えば? こんな、くだらない悩みかよって……」
「異能は、理解されない」
僕はじっと夏水さんを見つめ、話す。
「異能、普通とは違う、特殊なこと、力。それらはすべて、忌むべき物とされがちだ。大昔から変わってない。日本なら鬼だ狐だと言われていた時代、西洋なら魔女と呼ばれていた時代とね。理解ができないからこその恐怖が、人に徹底的な排除という道を取らせる。自分に害を成すかもしれないから。だから――異端者扱いされる」
視線を自分のスマホに落とし、そして夜葉を見、夏水さんに戻す。
「夏水さん。僕は、異能な力を持っていない。特殊能力なんて無い。だけど異能の存在を信じている。信じざるを得なくなってしまった。そして異能者の気持ちを理解してしまった。だから……僕は、この相談所の二代目所長に選ばれた」
そう、今は代理だけど、何年かすれば、その代理も外れる。
「夏水さん。ここでは異能の力の話をするのが普通だ。さっきのように、なんでも話して欲しい。バカになんかしないし、笑ったりもしないから」
夏水さんは、しばらくじっと僕を見つめ返していたが、やがてこくりと頷いてくれた。
*
ようやく相談者からの信頼を得ることができた僕は、次のステップに進むことにする。
「さて……夏水さんの能力だけど、おそらく爪を伸ばし凶器にする類の能力だ」
「きょ、凶器? なんであたしがそんな?!」
「たまに、そういう突拍子もない能力に目覚める人もいる」
「だからってなんで凶器なんか……」
「今はまだ能力に目覚めたばかりで、制御ができていない。だから急に……」
そこまで説明して、違和感を感じる。
「……夏水さん、朝爪を切ったと言ってたけど、昼間、学校では爪はどうだった?」
「もちろん、伸びてきてたよ。昼くらいには今の半分くらいまで伸びてたかな」
「今の半分くらい……」
僕は慌ててスマホに視線を落とす。
急にスマホをいじり始めた僕に、夏水さんは怪訝な顔をするが、気にしていられない。
『サイレンス・クローなんて能力があるぞ。まさに暗殺用の能力だ。あとは……ポイズンネイルは別に爪は伸びないか』
見るとユンはいくつか能力の候補を上げてくれていた。けど……おそらく、どれも違う。
『ユン、凶器から離れた方がいいかもしれない』
『ん? なんだ、追加情報があるなら早く教えろ』
『彼女の爪は、一気に伸びたわけじゃない。数時間かけて、ここまで伸びたんだ』
『ああ? ……そういうことか』
ユンが上げた能力は、暗殺用というくらいだ、普段は爪が短い状態だろう。凶器として使用するときに、一気に伸びる能力のはずだ。
しかし夏水さんは違う。もし彼女がサイレンス・クローの能力者なら、気が付いたら今と同じくらいまで伸びていた、でなくてはいけない。
『だとすると……おい、夢路。確認しろ。その女――』
僕はBLTに表示された文を確認し、視線を夏水さんに戻す。
そして告げた。
「夏水さん。靴を脱いで、靴下も脱いで欲しい」
「え?! い、いきなりなによ!」
「そうです、夢路さん。いくら夏水さんが年上のお姉さんだからって……。職権乱用はいけないと思います」
「違う! これはユンが!」
「ん? ゆん? 誰よ?」
おっと、まずい。つい口を滑らせてしまった。
「……とにかく。僕は夏水さん、あなたの素足を確認したい」
「夢路さん……いくらユンさんの指示とはいえ、なんだか変態ぽいです」
「夜葉! わざと言ってないか?」
「確かに変態ぽいけど……ま、いいわ。確認したいのは、足の爪でしょ?」
「……そういうことだ」
夏水さんはソファに座ったまま、少し足を上げて靴下を脱ぎ始める。
……スカートの裾が持ち上がり、白い太ももが見え、僕はそっと視線を逸らした。
「………………」
逸らした先で夜葉と目が合う。その目が語っている。やっぱり職権乱用、と。
「脱いだよ。見える?」
僕は立ち上がって、テーブルを迂回して夏水さんの足下を見た。
「……伸びてるな、かなり」
「でしょう? 靴下何枚かダメにしたんだから」
「足は手ほどこまめに切れないはずだ。爪は、それ以上は伸びない?」
「そうね。確かに、これより長くは伸びないかな。手もたぶん、さっきの長さより長くなってることはなかったかも」
「なるほど……」
「あ、ごめん。ついでだから足の爪も切っちゃうね」
「あ、ああ……構わないが、爪を落とさないでくれよ」
ソファに戻ると、またも夏水さんの白い足が……視線を逸らすと夜葉の目が……。
目のやり場に困った僕は、結局スマホに視線を落とす。
『足の爪も伸びてたし、一定の長さ以上には伸びないみたいだ』
『そうか。暗殺用の能力じゃないのははっきりしたな。その手の能力は、普通足の爪まで伸びない』
足の爪まで伸びたら、逆に動くのに邪魔そうだ。
『じゃあなんなんだよ、この能力。本当にただ伸びるだけの能力なのか?』
『稀に、そういうどうでもいい能力が発現することもあるみたいだけどな』
『迷惑でしかないな、ほんと』
どうでもいい能力。暇なときにユンから聞かされることはあったが、まさか本当にあるとは。……いや、まだ決めつけるのは早い。
「ね、さっきからスマホでなにしてるの? まさかそれで調べてるとかじゃないわよね」
腕を組んでスマホを睨み付けていたからか、怪訝な声の夏水さん。
……まぁ気持ちはわかる。相談者の前でいきなりスマホをいじりだしたら、大丈夫なのかこいつと不安になるだろう。過去の相談者相手でもそういうことはあった。
なんか上手いやり方考えないといけないかもな……。
「失礼。別にネットで調べているとかそういうのではない」
僕はスマホをテーブルに置く。
すると、夏水さんの目がぎらりと光った。
「――――?!」
一瞬だった。パシン! という音と共に、スマホが消えた。
「ゆ、夢路さん!」
「……へ? あっ!」
先に事態に気付いたのは夜葉だった。僕のスマホは、夏水さんの手の中にあった。
「どれどれ~? 相談者の目の前でなにを見てたのかなっと」
見えなかった。とんでもない速さで、奪われたのだ。
「か、返してくれ!」
「ふん。……なにこれ、チャット? びーえるてぃー?」
「あー、それはちょっと特殊なアプリで……」
「ユンって、さっき呼んでたわよね。……ん?」
夏水さんの顔が、とても険しい表情に変わっていく。
「どーでもいー能力ー?」
あ、まずい。よりによってそんなログを見られるとは。
「なによ! 偉そうなこと言って、やっぱあたしのことバカにして……!」
「違う! だいたい、まだ能力は考察中で……!」
「うるさい! なにが異能相談所よ! こんな物……!」
夏水さんが立ち上がり、スマホを持った手を掲げて――
「――落ち着いてください。それを壊せば、あなたの能力は解明されませんよ」
夜葉が立ち上がり、僕の前に腕を広げる。庇おうとする。
「なに言ってるのよ。ていうか、あんたもグルでしょ?」
「私は、この冬木異能相談所の助手。そして、夢路さんとユンさんの、最初の相談者です」
夜葉の告白を黙って聞く。
「…………え? 相談者って、じゃあ」
「はい。私も異能者です。今は能力を制限されていますが――。だから、あなたが自分に向けられた悪意に敏感になる気持ちもわかります。疑心暗鬼になるのもわかります。でも、信じてください。お二人は決して、あなたを馬鹿になどしていません。……ちょっと軽口を叩いていただけでしょう。いつものことです」
「それは……そう、なのかな……」
夜葉の言葉に、夏水さんは改めてスマホの画面に目を向ける。
「夏水穂純さん。ここは、私に免じて、溜飲を下げてもらえませんか? もう一度ソファに腰を下ろし、夢路さんの話を聞いてください」
「…………でも」
「もちろん、ユンさんのことも説明しますから」
「お、おい、夜葉、それは……」
「こうなっては仕方がないですよ、夢路さん」
……それはそうなんだけど、あまり気が進まないのだ。ユンのことを話すのは。
「わかった。そうね、ちゃんと説明してくれるなら、いいよ」
そう言って、夏水さんは腰を下ろす。それを見て夜葉も座った。
「とりあえず、スマホ返してくれるか」
ん、と夏水さんがスマホを差し出し、僕はそれを受け取る。
「……本当に話さないと、ダメか?」
「もちろん。さ、早く早く。じゃないとあたし帰っちゃうよ?」
……なんて相談者だ。まったく。
まぁでも、折角夜葉が取りなしてくれたのだ。仕方ない、話すとしよう……。
*
「は? ぜんせ? ゆんすらんた? ばんのうのうりょくしゃ? びふぉーらいふとーく?」
ユンのこと、BLTのことを一気に説明すると、予想通り夏水さんはぽかんとした顔になった。
「なに言ってるのよ?」
「あああああ! だから話したくなかったんだ!!」
こういう反応をされるのはわかりきっていたことだ。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「いやだって、いくらなんでもそんな……ねぇ?」
「仕方ないだろう、全部本当のことなんだから!」
くそう、そんな可哀想な人を見るような目を向けるな。
「……夏水さん?」
「えっ」
低い、怒気を孕んだ冷たい声が、隣から響く。
「夢路さんは、本当のことを話しました……。荒唐無稽かもしれませんが、すべて本当です」
「う、うん……でもさぁ」
「ですがそれは、あなたのその爪も、よっぽどおかしな話でしょう。真実を話しているのに信じてもらえず、笑われることの辛さを知っているはずのあなたが、どうして夢路さんの話を信じることができないのですか?」
「あ…………」
夏水さんが胸を押さえ、僕の方を見る。
「……ごめん。そうだよね。あたしほんとバカだなぁ……自分のことばっかりで」
「……いや。それが当然だ。あなたはここに、相談に来ているのだから」
「それでも。ごめんなさい」
ぺこりと、深々と頭を下げる夏水さん。……やっぱり、見た目より素直で律儀な人だ。
「顔を上げてくれ。話を進めよう」
「う、うん……」
僕は改めて、スマホを見る。
『落ち着いたか? さすがだな、夜葉は。あとで礼を言っとけよ』
というログがあった。こっちの状況、わかっているようだ。
「僕はBLTを使い、異能の生き字引……あ、いや、前世だから生きてないか……でも生きてるユンだから……まぁいい。万能能力者であるユンに相談者について話し、その能力がどういうものか聞き、今後の方針を決める。このスマホは商売道具だから、手荒に扱わないでくれ」
「わ、わかったわ。うん」
こくこくと頷いている。どうやらさっきの罪悪感がまだ残っているようで、今なら僕の言うことをなんでも信じそうだ。……いや騙したりはしないけど。
「それにしても夏水さん、夢路さんのスマホを奪う動き、すごかったですね」
「そ、そう? 正直あたしも、半分無意識だったのよね。取る! って思った次の瞬間には、手が動いてたっていうか」
「獲物を狙う獣のようでした」
「それって、あんまり褒めてないわよね。助手ちゃん」
確かにあの時の目は、獣のそれだったが……。
「………………」
僕はそっと、スマホを操作する。
そして夏水さん全身をじっと眺めた。
「夏水さん。一年生と言うことは、この四月に高校に入ったばかりだな?」
「うん。そうよ? 当たり前でしょ」
「では、生徒手帳を見せて欲しい」
「え? あ、もしかして身分証明書が必要とか?」
「今更そんなことは言わない。さっきの足の爪と同じで、確認したいことがあるだけだ」
「なになに? あたしの誕生日が知りたいの?」
「職権乱用ですね」
「だからなんでだ……いいから見せてくれ」
「はいはい。ちなみに誕生日は八月一日よ」
言いながら、夏水さんは鞄から生徒手帳を取り出し、見せてくれた。
「あ、でもちょっと恥ずかしいかも。……今とちょっと違うから」
僕はそれを開き、表紙をめくる。そこには――
「……え? これって」
「やっぱり、そういうことか」
――生徒手帳に貼られた写真の夏水さんは、活発そうなショートカットだった。
*
『獣化系の能力か。それなら、伸びるのは爪だけじゃないぞ。確認しろ』
ユンにその可能性を話したところ、そういう指示が出た。
だから僕は、生徒手帳の写真を確認したのだ。入学したてならば、生徒手帳の写真は最近撮られたもののはずだから。
「なんか髪も急激に伸びてさぁ。さっきも言ったけど、イメチェン? とか言われたりね」
……ああ、そういえば、言ってたな。それ、爪じゃなくて髪のことだったのか。それならそうと最初から言ってくれよ。大事な情報じゃないか。
「あはは……。ま、これはあんまり困ってなかったの。最近黒髪ロングって流行りでしょ?」
「夏水さんはショートのが似合ってそうですよ」
「う、やっぱりー? それもよく言われるのよ。長くしたことなかったから、新鮮で気に入ってるんだけどなー」
まったく……。これで、彼女の能力はわかったようなものだ。
「夏水穂純さん。あなたは獣化能力に目覚めた異能者だ」
「じゅ、じゅうか?」
「それも、おそらく……ネコ科かな」
「猫? やだ、なにそれカワイイ!」
「……ふむ。けどユンはこう言ってるな。能力を制御できないまま放っておくと、だんだん人の姿を維持できなくなる、と」
「それって、ネコ耳とか生えちゃうってこと? 尻尾とか?」
何故それを、目を輝かせながら聞いてくるんだ?
「よくわからないが……頭にネコ耳が生えると思っているのなら、期待しない方がいい」
「えー? 生えないの?」
「ああ、生えない。当たり前だろう、すでに顔の横に耳があるのに、どうして頭の上に新しい耳が生えるんだ。耳は飾りじゃないんだぞ」
「それは……うーん、ロマン?」
「知らん。僕が言いたいのは、耳は生えないが、耳は、ネコ耳になるということだ」
「え? それ、どう違うの?」
「大違いじゃないか? その耳が、ネコの耳に変わっていくんだ。その位置で」
「……え?」
「それも、人の耳の形を少し保ったまま、変わるだろうな。……結構ホラーじゃないか?」
「う、うわ! やだよそんな生々しいの! カワイイネコ耳生やしてよ!」
「無茶言うな……」
ほんと、なにを想像してたんだ。アニメや漫画の見過ぎだ。
『まぁそういう能力もあるけどな。アニマルズ・ファッションっていう能力』
『あるのかよ!』
思わず咄嗟に返してしまった。このログは夏水さんには見せられないな。
「ネコ化かぁ……ネコ娘になっちゃうのね。最近眠いことが多いのはそのせい?」
「……そうかもしれない」
そういえば最初、夜葉が願望と切り捨てた悩みの中にそれもあった。
どうやら僕もまだまだのようだ。色んなところにヒントはあったんじゃないか。
「あれ? でも……あれれ?」
「どうした?」
「爪……。いつもなら、数分で少し伸びてくるのに。切った時からまったく伸びてないの」
「ああ、それは……」
説明するか少し迷ったが、ユンのことを話してしまった今、隠すこともあるまい。
「この事務所には、ある種の結界のようなものが、かけてあるんだ」
「け、結界? さっき言ってた、気付けないってやつ?」
「それもあるが……。異能が発動しにくいように、制限がこの場所にかけられている」
「ほへー。よくわからないけど、ここならネコ化しないってこと?」
「まぁそうだ」
「すごい! 君がやったの?」
「……いいや。所長だよ。所長の能力だ」
「所長って……あ、先代のってこと、ね」
気まずそうに視線を逸らす夏水さん。
「それで……夢路さん。能力はわかりましたが、では、夏水さんはこれからどうすればいいんですか?」
「あ、そーだ。どうすればいいのよ?」
「そうだな……制御できるようになれば、問題は無くなる。ユンによれば、能力を自覚することが制御の第一歩だそうだ。意識することが大事らしいから」
「ふむふむ。そっか、それはなんとなくわかる気がするよ」
「普段からネコ化しないよう、人の姿を強くイメージし続けること。そうすれば勝手に能力は発動しなくなる。爪も髪も伸びないし、耳が獣っぽくなることもない」
「う、うん。でも疲れそうね、それ……」
「慣れればそこまで強く意識しなくても、制御できるようになるさ」
「ふぅん……そっか、やってみるよ」
夏水さんは拳を作り、力強く頷く。
「頑張ってくれ。……さて、どうやらこれで依頼は果たせたかな」
「あ…………うん」
夏水さんは虚を突かれたように、背筋を伸ばして僕と夜葉を見る。
「……さっきは、バカにするようなこと言っちゃって、ごめんなさい。うん、すごいよ冬木異能相談所。あたしの悩み、解決しちゃった」
まだ制御できるかどうかわからないけど、と笑う夏水さん。
「お役に立てたようでなにより」
「本当に、ありがとう。……夢路くん、夜葉ちゃん」
頭を下げ――ここに来て、一番の笑顔を見せてくれた。
「ね、また来てもいい?」
「ん? ……まぁ、制御できるかどうか、まだわからないからな。僕としても経過は気になる。だから構わないが……」
「そうそう。それにさ、ずーっと意識してるのって、やっぱ最初は疲れると思うの」
「それはそうだろうな」
「でね、ここに休憩しに来たいの」
「きゅ、休憩だと?」
「そ。ここならネコ化しないんでしょ? 意識しなくていいんでしょ?」
「それは、そうだが……しかし」
「夏水さん、他の相談者の方が来るかもしれませんし、それは」
「そんなにいっぱい異能者って来るの?」
「……いっぱいは来ません」
「だよねー。ま、来ても邪魔しないからさ、ね? お願い」
「でも……。夢路さん」
「あ、ああ……」
「もう! いいでしょ? 二人に会いに来たいの。もっと、色んな話、聞きたい!」
「……それが本音ですか、夏水さん」
呆れた声の夜葉。……正直、対応に困る。
「ね? いいでしょ、いいよね。夢路くん。夜葉ちゃんは、いいってよ?」
「え……そうなのか?」
「私はなにも言ってません!」
「あー能力制御できないかもなー。二人の話を聞けば制御できるかもー」
そんなワケあるか!
「はぁ…………」
僕はため息を吐く。……これは、どうにも断れそうにない。
「わかった。能力が制御できるようになるまで、な」
「ゆ、夢路さん!」
「ほんと!? やった、ありがと、夢路くん!」
……微妙に夜葉の視線が痛い。
「夜葉ちゃんも恐い顔しないで! ね? これからよろしく!」
「仕方ありませんね……。よろしくです、夏水さん」
「あ、穂純でいいよ。堅苦しいから」
「わかりました、穂純さん」
「うん!」
……それ、僕も名前で呼ばないといけないんだろうか。
夏水さん……穂純はいい顔で、今度こそ立ち上がり、出口に向かおうとする。
「あ、そうだ。ちょっと待って欲しい」
「ん? なになに?」
「夜葉。肝心な話を忘れているぞ」
「あ……私としたことが。穂純さん、帰る前に――」
夜葉が立ち上がり、穂純の前に立つ。
「――相談料を頂きます」
「え……えええ? お金取るの?」
「当然です。ちなみに、五〇万円になります」
「ご、ごじゅうまんえん? 嘘でしょ?!」
「初回割引と学生割引が効きますので……ああ、学生証はさっき確認したから大丈夫ですね。割り引いて、五万円になります」
……容赦ないなぁ。大人でも五〇万とか取るのはよっぽどの場合なのに。
五万だって、高校生には厳しい金額だ。ご愁傷様としか言いようがない。
……さっきのこと、やっぱり夜葉は怒っているんだなぁ。後が恐い。
そして、穂純はやっぱり、律儀だった。
「うぅ……分割でお願いします」
……どうやら、さっきの話が無かったとしても、ここに通わないといけないようだ。
ジャンル、コメディーでいいのか悩みつつ。続きます。