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そして迎えた茶会当日。
王妃は茶会を開催する後宮の一室でゆったりと構えていました。
この1週間で計画を練り、準備してきたので当日はただ敵を待ち構えるのみでした。
前日までに用意した衣装や宝石、それに合う化粧を施し、王妃は椅子に腰かけていました。
その隣には、王太子妃が座っています。
「今日は頼みましたよ」
王妃は、隣に優雅に腰掛ける王太子妃に念を押しました。
王太子妃がこの茶会に参加することになったのは、王太子から「妃も参加したいと言っています」と後日申し出があったからでした。
王妃が最初考えていたのは、王妃が選らんだ美しい王子の妃候補の娘を招こうと思っていたのですが、それよりも王太子妃を招いた方が王妃自身も気を遣わなくていいと考え、許可しました。
何よりも可憐な王太子妃と並べばコリン・ノームも言われずとも自分との差を自覚し、身を引くかもしれないと思ったからでした。
王太子妃も今回の茶会に参加したいと言い出したのは、恐らくはもしもコリン・ノームが王子妃になれば、必然的に式典等で王太子妃はコリン・ノームと隣に並ばなければならなくなるので、それが嫌なのでしょう。
案の定、王妃の念押しにも王太子は愛らしい笑みを浮かべました。
事前の話し合いで、コリン・ノームに話題を向けるのは王太子妃がすることに決めていました。
王妃はその間、コリン・ノームを観察するつもりです。
どうせ騎士団に所属するような女性ですから、貴族の女性としての教養も知性もないだろうと王妃は侮り、少しでもおかしなことを言えば、思いっきり嗤ってやろうとまるで物語の悪女のようなことを考えていました。
果たして約束の5分前、彼女は王妃の侍女に案内されて部屋へとやってきました。
「コリン・ノームでございます」
室内の出入口に立ち、頭を下げ続けるコリンを王妃も王太子妃も無言のまま見つめました。
当のコリンは、王妃の許しがなければ頭を上げることも口を開くことも許されません。
不安定な姿勢、それを強いたのは決してそれは王妃の意地悪ではありませんでした。
王妃も王太子妃もコリンの姿に絶句していたからです。
コリンが身に纏っているのは、今流行の形のドレスで、若い娘ならこぞって選ぶデザインではあります。
しかし、その色に問題がありました。
目に眩しい、太陽に輝く赤色だったのです。
さらには赤色のドレスには薄いピンク色のリボンやレースがところどころ飾られています。
コリンぐらいの年齢の女性が身に着けるには少し幼すぎるような、そして派手すぎるような気もしました。
一瞬見ただけでも即座に「似合わない」と思う装いでした。
では逆にコブリン顔にどのドレスが似合うのかと言われれば、それはそれで回答に困るのですが。
王子から身を引かせるためにはどんなことも厭わないとまで意気込んでいた王妃ですら似合わないと批判することをためらうほどでした。
そんな王妃に王太子妃がこっそりと
「あれは王子殿下が贈られたとお聞きしています」
と耳打ちしてきたことにさらに衝撃を受けました。
薄々とですが、王妃は思っていました。
もしかしたら王子には服装に関するセンスというものがないかもしれないと。
本人は侍従たちが差し出すものを淡々と身に着けているし、騎士団に居るときはほとんど制服や訓練服で過ごしているので、それが人の口に上ったことはありません。
しかしちょっとしたときに現れるそれらを垣間見て、王妃はもしかしたらと思ったときもありましたが、まさか完璧な息子に限ってと王妃は打ち消していました。
ですが今日、はっきりとしました。
息子はセンスないなって。
王妃は衝撃からどうにか立ち直ると、頭を下げ続けているコリンに許しを与えて席に着くよう勧めました。
目の前に姿勢よく腰かけたコリンは、伏し目がちで内心の感情は全く読めません。
直視するのがちょっとあれなので王妃は、扇で顔を隠しながら王太子妃に目配せしました。
「今日は王妃さまにご無理を言って、私の母国の御菓子を用意しました。御口に合えばよろしいのですが」
合図を受けた王太子妃は目の前の菓子を示しながら控えめに口を開きました。
今日用意した王太子妃の母国に伝わる菓子は、あまり一般的ではないものでした。
これもコリンを試すために王妃が王太子妃に頼んで用意させたものです。
王妃が挙動を監視する中、コリンはひっそりと笑みを浮かべました。
「アヤリ、ですね。以前父の知人からいただいたことがあります」
あっさりと菓子の名を当てたことに王妃はつまらないと思いましたが、まだ茶会は始まったばかりです。
まだまだこれからだと王妃は、扇を握る手に力を込めました。
しかし王妃の思いとは裏腹にその後も、才色兼備と名高い王太子妃にさまざまな話題を振られ、コリンはところどころ答えをためらう素振りを見せましたが、ほとんど満点に近い回答をしました。
どうにか揚げ足を取ってやろうと勢い込んでいた王妃は、肩すかしを食らった気分でした。
気を張り巡らせてコリンの言動に注意していた自分が、馬鹿らしく思えるほどでした。
目の前では、
「コリンさまは博識でいらっしゃいますね」
王太子妃が感心したように微笑み、
「いえ、私など妃殿下に比べれば……」
褒められてコリンは照れたように頬を赤くしています。
こんなはずではなかったのに、と王妃は明らかに仲良くなっている二人に悔しくなりました。
コリンの立ち振る舞いや所作、知識は同年代の貴族の令嬢に比べると文句なく素晴らしいと言えるものでした。
王妃が少し前に王子の婚約者として選んだ姫君など足元にも及ばないくらいに。
せめてその顔が平凡であれば、王妃はどうにか我慢して王子との結婚を許したことでしょう。
しかしいくら見つめてもコリンの顔は、醜いと言われるコブリンにそっくりな顔でした。
彼女がなぜコブリンを嫌うのか、それは実は誰にも話したことはありませんが、理由がもう一つありました。
それは王妃がまだ12歳になって間もないころでした。
公爵家の一人娘として生まれ、大事に育てられた彼女は初めて王宮で開かれる夜会に参加を許され、はしゃいだ気分で庭へと出て迷ってしまいました。
大広間はあれほどの人であふれかえっていたというのに、庭園は閑散としていて寂しいものです。
月さえも雲に姿を隠され、暗闇に恐怖して涙を流していると、
「迷子か?」
と声をかけられたのです。
近くに来るまで気配に気づかなかった王妃は、飛び上がりました
おずおずと見上げた相手は、どうやら王妃よりも年上の若い男性のようでした。
「大広間まで連れて行ってやるから泣くな」
静かな声とともにごしごしと布で涙を拭われ、目を白黒させる王妃の手を引くと、相手はさっさと歩きだしました。
暗闇の中、20代くらいの男性だろうということしか分からない相手でしたが、彼は慣れない靴のため歩みが遅い王妃に歩調を自然と合わせてくれました。
途中、言葉少なくではありますが、話も振ってくれました。
静かな声と落ち着いた口調に王妃の恐怖はあっという間に消えていくようでした。
次第に大広間から漏れる光が近くなると、自分の手を引く人が騎士団の制服を着ていて、肩には棍棒を担いでいるのが分かりました。
しかし振り向いたその顔に王妃は再び飛び上がりそうになりました。
それは、見紛うことなき―――――コブリンだったのです。
絵本で見た、あの怖い顔。
顔を強張らせる王妃に気づいた彼は最初不思議そうな顔をしましたが、すぐにああと合点がいったような顔をしました。
そしてすぐに王妃の手を離して、
「ここまで来れば一人で戻れるだろう」
と静かに言うと、立ち去りました。
王妃はその間、彼に礼一つ言うことができませんでした。
それどころか彼の顔がコブリンに似ているというだけで怯え、固まってしまったのです。
王妃の失礼に彼は憤ることなく、むしろ当然のように受け止めていました。
慣れているといわんばかりの態度でした。
要するに王妃のような態度を取る者など彼にとっては珍しくもなんともないのでしょう。
そのときはまだ幼い彼女には、そこまでは思い足りませんでしたが、後から後からあのときの彼の表情はそういう意味だったのだろうと理解するにつれて、何とも苦い思いが沸き起こりました。
あのときのことは彼女にとって消してしまいたい、過去の記憶です。
王妃が、コブリンを嫌うのはあの顔を見れば、嫌でもあのときの苦い記憶が呼び起されるからなのです。
王妃は、一つため息をつくと、王太子妃と仲良く話すコリンを見つめました。
悪い娘ではないことは、以前からの評判でも知っていましたし、今日観察していてもそれは分かります。
コブリンに似ている、その一点のみが王妃にとってどうしても引っかかるのです。
しかし中身に非が見当たらない以上、覚悟を決めなければならないかもしれません。
口では頑として認めないとは言いながら、内心では王妃もコリンを妃として迎え入れなければならないかもしれない、とある程度は覚悟していました。
王妃は、すっと息を吸い込むと、コリンを見据えて口を開きました。
「あなたは、ライトのどこが好きなの」
もう回りくどいことはやめて、単刀直入に尋ねました。
答えによってはさっさと切り捨てるつもりでした。
もしも、もしも彼女の回答が王妃にとって納得できるものであれば―――と覚悟も決めて。
見つめたコリンは、王妃の眼差しに一瞬目を伏せました。
王太子妃も沈黙し、コリンを見つめます。
伏せていた目を開けると、コリンは静かに口を開きました。
「一言で申し上げることはできません」
と。
その言葉に眉を吊り上げそうになった王妃でしたが、それよりも早くコリンが続けます。
「殿下は、私にとって幼いころから憧れでした。騎士として誰よりも強いところも、副団長として騎士団を率いられるところも。そして、何よりも……国の平和を守りたいと志を抱き、それに向かって努力されているところをとても尊敬しています。微力ながら王子のお役に立てればと思っています」
それはとても真っ直ぐな言葉でした。
尊敬、それは口先だけの言葉ではなく心からそう思っているのだと表情や口調からも計り知れました。
若い娘がよく口にする王子の顔や身分、それではなかったことは良いことだと思いました。
しかし、コリンが口にした言葉は、王妃を認めさせるには不十分なものでした。
だから少し意地悪く、
「王子を尊敬し、王子の役に立ちたいというあなたの気持ちは分かりました。でもそれは妃でなくともできることでしょう。今のまま騎士として仕えるだけではいけないのかしら」
問いました。
もちろん意地悪い表情など浮かべず、純粋な疑問だと言う態度を繕ってです。
側近という身分で満足できないのか、そこまで欲深いのかと暗に言った王妃の言葉をコリンはどう受け取ったのでしょうか。
困ったように目を瞬かせました。
うまく畳み掛ければ諦めさせることができるかもしれない、と王妃は僅かな光明を見出しました。
固唾をのんで答えを待つ中、ややああってコリンは再び唇を開きました。
「……そう、ですね。確かに最初は騎士として王子に仕えることを目標にしてきました」
なら、と王妃は口を開きかけましたが、それよりも早くコリンが困惑に揺らしていた視線をしっかりと王妃に合わせて言いました。
「ですが、気が付いたのです。殿下の御姿を見るだけで、私に微笑んでくださるだけでこの胸がひどく痛むことに」
「………」
「私は―――――不敬にも殿下を一人の男性として愛しているのだと気づいたのです」
静かなコリンの声には、どこまでも真摯で揺らぎない力が込められていました。
静かでありながら強い、言葉。
それは王妃の口から、否定や意地が悪い言葉を失わせるほどの力を持っていました。
そして同時に、王妃に考えさせ、過去を思い出させる力も。
――――――胸が痛む恋。
それはどんなものでしょうか。
普通、若いときにする恋ば喜びや相手にどきどきと胸が高鳴るような楽しいものが多いでしょう。
ですが、胸が痛む恋――――それは決して楽しいばかりではない、辛い恋でしょう。
王妃にも覚えがあります。
相手は夫である王でした。
王は、歴代の王の中でも決して賢王と言われる王ではないかもしれません。
幼いころから勉学を苦手とし、剣術も人並み程度でした。
それを彼自身早くから自覚しており、口癖のように
「私はぼんくらだ」
と言っていました。
しかしそれは決して卑屈なものや言い訳めいたものではありませんでした。
事実、王は口ではそう言いながら努力を怠ることはなく、必死に自分でできることを行ってきました。
そんな王に自然と家臣も力を貸し、支えてきたのです。
己を飾らない、自分の欠点を自覚して努力する王に次第に好意を抱くようになりました。
ですが恋に鈍感な王に気づいてもらうには、それはそれは骨が折れました。
思いが通じず、苦しくてたまらないときもありました。
それがどうにか実ったときは、本当に嬉しくて幸せでした。
王と結婚して、確かに苦労も多くありました。
王の無知を面と向かって嗤うような人間はいませんでしたが、それでも影では王を馬鹿にしたり見下す者もいました。
王妃はそのたびに腹が立ったりしましたが、最終的には王の良さは私が知っていればいい、好きに言えばいいと思うようになりました。
人はその人の本質など決して見ず、批判するものだと。
「………」
そこまで思い出し、王妃ははっと我に返りました。
自分は決してそうはならないと王妃は思っていましたが、いつの間にか王妃自身「コブリン」ということに囚われてコリンのことを否定しようとしていた自分にようやく気づいたのです。
王妃は毛嫌いしていた者たちと同じ行動を取っていた自分に気づき、恥ずかしくなりました。
相応しい、相応しくないなど他人が決めることではありません。
自分たちが決めることだとあれほど強く思っていた自分が、同じことを息子に押し付けるなど身勝手極まりないことだと王妃は反省しました。
そんな王妃など露知らず、コリンはどこまでも真っ直ぐでした。
「私は、私が王子殿下に相応しくないことは理解しております。それでも王子殿下は、私を望んでくださいました。ですから私は誰に何を言われようとも、王子殿下のお傍に居たいと―――――妃になりたいと思っています」
王妃の完敗でした。
これほど真っ直ぐな想いをぶつけられて絆されない者が居るでしょうか。
少なくとも王妃には無理でした。
これほど慕われる王子は、幸せ者だと認めざるを得ません。
これからきっと王子とコリンはたくさんの苦労をすることでしょう。
多くの批判や心無い中傷を受けることもあるでしょう。
それでも二人が強く想い合い、そして周囲の支えがあれば幸せになれるはずです。
そう、王と王妃のように。
王妃は今度は自分が周囲に支えられた分、息子たちを支えてあげなければと思い、微笑みました。
そうして王妃が開催した茶会は、無事に終了を迎えたのでした。
むかしむかし、とある国にはとある王妃が居ました。
王妃は、妖精「コブリン」のことが大嫌いでしたが、彼女の二番目の息子が結婚したのは、そのコブリンにそっくりでした。
ですが、王妃は息子夫婦を嫌うことなく周囲の強い批判の中、息子夫婦を守り、支えました。
それを見た人々は、王妃を慈愛に満ちた素晴らしい王妃だと称え、自然と息子夫婦に対する批判も弱まる中、息子夫婦にはたくさんの子どもが生まれました。
王妃は、たくさんの孫に囲まれていつまでもいつまでも幸せに暮らしました。