18.黒樹の森へ、いざ参らん!
「……行くしかないか」
俺が呟くと、タロウの顔がぱっと明るくなった。
「……殿下ご自身が向かわれるというのですか?」
リカルドが低く言った。
その声には、当然の懸念がある。
まあ、そうだろう。
新領主になったばかりの王子が、到着翌日に魔物の森へ行くなんて、普通に考えればありえないことだ。
タロウはぱっと顔を輝かせたが、リカルドの表情は一気に険しくなった。
「殿下。恐れながら、それは認められません」
「ですよね……」
俺は即答した。
正直、言われると思っていた。
むしろ言ってくれなかったら、少し不安になるところだった。
「殿下は王族であり、フェルミアの新領主様です。昨日着任されたばかりで、しかも魔物襲撃を受けた直後。黒餓石の影響が確認された森へ向かうなど、危険が大きすぎます」
まったくその通りである。
俺も行きたくない。
全力で行きたくない。
できれば「ですよね、じゃあ寝ますね」と言って毛布へ戻りたい。
だが、問題はそれでは済まない。
「わかっています。なので、撤退判断はリカルドさんに任せます」
「私に……ですか?」
「はい。リカルドさんが危険だと判断したら即撤退。黒餓石を宿した上位個体が確認された場合も撤退。僕が余計なことをしようとしたら止めてください」
やがて、リカルドは深く息を吐いた。
「……わかりました」
リカルドは、やれやれと言った表情で頷いた。
「リリア殿も同行を?」
リカルドの問いかけに、リリアは当然だと言わんばかりに、勢いよく頷いた。
「それでは、行きましょうか。黒樹の森へ」
俺の掛け声に、みんな頷いた。
***
馬車は、黒樹の森の入口へ向かって進んでいった。
入り口に着いたら、俺たちは馬車を降りて徒歩で向かうことになっていた。
黒樹の森はその名前の通り、黒かった。
幹も枝も、墨を吸ったような色をしている。
葉のない枝が空へ伸び、まるで何かを掻き取ろうとする指のようで、気味が悪い。
それから、常に何かがこちらを見ているような薄気味悪い気配が常にしていた。
俺は、無意識に眉をひそめる。
「……なんだか、嫌な森だな」
「はい」
タロウが小さく答えた。
「でも、わたしたちの住む森なのです」
俺は深く息を吐いた。
「……とにかく、早く終わらせて帰ろう」
タロウが頷く。
そして、俺はまだ知らなかった。
すでに別の七王の視線がこちらを捉えていたことを。
***
護衛騎士たちは馬車の周囲を確認し、二名を残して待機させる。
俺とリリア、リカルド、タロウ、護衛騎士八名。
それから、黒餓石の気配を調べるために同行している若い魔法兵が一人。
少人数と言っていいのか、微妙な人数だが、王子の護衛としては少ない方だろう。
人数が多いと、俺がこっそり魔法を使いにくいので、まぁよかった。
道の途中、木の幹に奇妙な傷があった。
爪痕だ。
三本線。
それがいくつも、同じ方向へ向かって刻まれている。
「灰牙狼の縄張り印です」
リカルドが言った。
「昨日の襲撃に参加した群れのものかもしれません」
「その灰牙狼は、角持ちに従っていたんだよな?」
「はい」
タロウが頷く。
「ですが、灰牙狼は元々私たちの群れにいたわけではないので、角持ちがどこかから呼び寄せたのだと思います」
「なるほどな」
***
森の奥へ進んでいくごとに、俺は先ほどから感じていた視線をさらに強く感じ、ふと足を止めた。
「アルト様?どうかなさいましたか?」
リリアがすぐに気づく。
「……いや」
俺は森の奥を見た。
黒い幹が幾重にも重なっている。
昼間だというのに、木々の間は夜の底みたいに暗い。
風が吹くたび、枝がこすれ合い、かさかさと乾いた音を立てた。
「気のせいかもしれない」
先頭を歩いていたリカルドが振り返る。
「何かありましたか」
「いえ。視線を感じた気がしただけです」
その言葉に、護衛騎士たちが一斉に周囲へ目を配り、剣の柄に手がかかる。
若い魔法兵が、腰の魔灯石へ触れた。
タロウも耳をぴんと立て、森の奥へ目を凝らしている。
「アルト様、少なくとも近くに魔物はいないようです」
「なら、気のせいか」
俺はそう言って歩き出そうとした。
だが、その瞬間、森の奥で赤い花が一輪だけ咲いているのが見えた。
俺ははっとして瞬きをする。
赤い花は、もうなかった。
黒い幹のあいだには、ただ暗い茂みが広がっているだけだ。
それに、どこかから、甘い匂いがする。
花の匂い。甘い、甘い、蜜のような匂いーー。




