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2 食堂の犬と巨岩鳥

習作です。

よろしくお願いします。

1日2回投稿の2回目です。

「黒い霧だって……?」

バートが椅子を引く重い音と、アーサーがボウルの底を最後の一舐めした小さな音は同時だった。

村の男たちが運び込んできた知らせは、瞬く間に食堂の温かな空気を凍らせ、リナが焼いたパンの香ばしい匂いさえ、どこか遠いものに変えてしまった。

迷宮の入り口に澱みが溜まる。それは、星の浄化が正常に機能していない、極めて危険な兆候だ。

(ふー、ごちそうさま! ……って、黒い霧? せっかくの美味しい朝食の後に、不作法なやつだな。小精霊たちが逃げ出すなんて、よっぽど酷い味のアニマなんだろうな)

アーサーは琥珀色の瞳をパチクリさせ、深刻な顔をするバートと、肩を震わせる村人たちを交互に見上げた。内心では迷宮の「震え」の正体を探りつつも、表向きは首を傾げた「ちょっと賢いワンコ」の顔を崩さない。

相談役のバートは、眼鏡を押し上げ、静かに窓の外の山稜を見つめた。

「落ち着け。迷宮の溜息が入り口まで届くのは珍しいが、今はまだ山風が吹き抜けている。風向きが変われば霧も晴れるだろう。パニックになるのが一番の害だ」

バートの落ち着いた声に、男たちはわずかに肩の力を抜いた。彼はこういう時、いつも理路整然とした言葉で村の秩序を守る。

「リナ。今日は村の子供たちを連れて、丘へ薬草を摘みに行く予定だったな?」

「ええ。レオとメイも楽しみにしてるし、お昼のお弁当もおむすびも準備しちゃったわ。父さん、今日は止めたほうがいいかしら」

バートは一瞬、迷宮の方角へ視線を投げたが、やがて穏やかに首を振った。

「いや。霧の様子が気になるが、村の境界にある『丘』までなら影響も少ないだろう。それに、溜まり始めた澱みを吸い込まぬよう、子供たちを陽光の下へ連れ出すのは良いことだ。……アーサー、お前もリナに付いていけ。お前の鼻なら、おかしな気配にもすぐに気づくだろうからな」

「ワンッ!」

アーサーは元気よく返事をした。尻尾をプロペラのように激しく振り、リナの足元でくるくると跳ね回る。

(お弁当! おむすび! 『丘』には美味しい木の実も落ちているし、リナが握ってくれるおむすびは、アニマの味がするほど絶品なんだ。護衛なら、このアーサー様に任せてよ!)

足元から伝わる迷宮の異音は確かに気味の悪いものだったが、今は大好きなリナと一緒に外へ出られる喜びが勝っていた。アーサーは、看板犬としての使命(と食欲)に燃えながら、勢いよく宿を飛び出した。

村の境界に位置する『丘』は、その名の通り一年中柔らかな陽光が降り注ぎ、精霊たちが好んで集う聖域のような場所だ。

わんぱくな少年レオと、その妹で少し内気なメイ。二人の手を引きながら、リナとアーサーは秋の風がそよぐ草原を歩いていく。

「見て! アーサー、追いかけっこだ!」

レオが樫の木の枝を高く投げると、アーサーはわざと「おっとっと」と足をもつれさせてズッコケるフリをしながら追いかけ、最後は電光石火の、けれど、いかにも犬らしい泥臭いジャンプでその枝をキャッチした。

「あはは! アーサー、今日はいつもより張り切ってるね。そんなに楽しみだったの?」

リナが笑いながら、野花が揺れる大きな木陰にチェック柄のシートを広げる。

アーサーは「ヘッヘッヘ」と舌を出して笑い、メイの足元に鼻を寄せて「撫でていいよ」とばかりに甘えてみせた。

(ふふん、完璧な看板犬だろう? こうしていれば、みんな笑顔になるし、最後には美味しいおやつが待っている。過去を捨てて辿り着いたこの場所は、僕にとってどんな幻の森よりも大切な『聖域』なんだ)

だが、草原に腹ばいになった瞬間。

アーサーの耳が、心地よい風の音に混じる「異音」を拾った。

それは物理的な音ではない。アニマの化身である小精霊たちが、何かに怯えるように羽音をさざめかせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う精神的な振動だ。

空気中に漂うアニマの「味」が、鉄の錆びたような、不快な苦味を帯び始めている。

(……おかしい。迷宮の『澱み』が、地脈の奥深くを通って、この聖なる丘にまで染み出してきているのか?)

アーサーは遊びを止め、鼻をひくつかせた。

視線の先。深緑が濃くなる森の境界線で、空気がどろりとした負の魔力を孕んで歪んでいる。

不浄な気に当てられ、アニマの純度を失った哀れな獣「魔獣」の気配だ。

「……お兄ちゃん? あそこ、何か光ってる。変な色の光」

メイが震える指で差したのは、木々が密に並ぶ森の入り口だった。

そこには、さんさんと降り注ぐ陽光を遮るように、紫色の不気味な光の粒子が、重たい毒霧のように立ち昇っていた。

「あれは何だろう。ちょっと見てくる!」

レオが好奇心に負けて走り出そうとした、その時。

森の深部から、地鳴りのような、そして金属を擦り合わせるような不快な咆哮が響き渡った。

「レオ、待って! 戻りなさい!」

リナが叫び、子供たちを自分の背中に隠す。

次の瞬間、茂みを真っ二つに割り、地を削りながら現れたのは、本来なら迷宮の深層にしか生息しないはずの怪物だった。

巨大な岩のような鱗に覆われ、四つの翼を持つ巨岩鳥。

澱みの魔力を過剰に吸い込んだその瞳は、知性を失った濁った赤色に染まり、飢えた視線でリナたちを捉えていた。

(げっ、あんな大物がこんなところまで!? 迷宮の浄化機能が、思った以上に詰まって逆流してるじゃないか!)

アーサーは迷わずリナたちの前に飛び出した。

見た目はただの子犬。けれど、その琥珀色の瞳の奥では、幻獣・雷狼としての冷徹な計算が火花を散らしている。

(正体は明かせない。でも、リナもお弁当も、この平和な時間も、絶対に守らなきゃいけない。……よし。ちょっとだけ『魔法的な偶然』を起こしてやるか!)

アーサーは「キャンキャン!」と威嚇するフリをしながら、巨岩鳥の鼻先に躍り出た。そしてわざとらしく、森のさらに奥へと全速力で駆け出す。魔獣の注意を自分に向けさせ、リナたちの視界から完全に外れる場所へと誘い出すために。

「アーサー! ダメよ、戻って! 逃げるのよ!」

リナの悲痛な叫びを背中に受けながら、アーサーは口角を密かに釣り上げた。

(大丈夫だよ、リナ。あんなデカブツ、僕がこっそり白銀のいかずちで、羽の根元まで浄化してやるからさ!)

一頭の犬と一匹の魔獣は、砂塵を巻き上げながら、静寂に包まれた森の闇へと消えていった。

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