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哀しき秋虫

作者: 泉田清

 カエルならまだいい。彼らはちゃんと干からびることなく、ねぐらへ帰っていく。ウマオイは駄目だ。紛れ込んだが最後、力尽きるまで出られないのだ。

 ここはアパート二階の外廊下だ。夜、蛍光灯に様々な生き物がやってくる。雨の夜はカエルが捕食に、ウマオイは繁殖のために。朝、外廊下には緑色の死骸がいくつか散らばるのだ。まだ死んでいない個体もちらほらいる。いつまでいるつもりか。


 眠い目をこすり、車に乗り、出勤する。早朝。隣のアパートから男の歌声がした。カラオケで歌うように、全力で。何日か前は深夜だった。全力の歌唱は三曲ほど続く。隣の男がキャバクラ通いをしているのか、仲間とカラオケに行くのが趣味なのかはわからない。我々が女の前で喉を自慢するのはままある事だ。昔のある集落では、多くの女と関係できるのは歌うのが上手い者だという。歌声はセックスアピールなのだ。おかげで私はいま寝不足に陥っている。


 休み。スーパーマーケットに向かって車を走らせる。「あるロック・バンド」の曲を流す。何十年も活動しているロック・バンドで、今でも新曲を出し続け、私はほとんどの曲をカラオケで歌える。先日出たばかりの曲も中々いい。

 フロントガラスにウマオイがへばりついていた。時速六十キロで走っていてもビクともしない。ワイパーを優しく、低速で動かした。驚いて飛び去ってくれることを期待して。ところがウマオイは驚異的な粘りを見せた。圧倒的な質量と駆動力を前にしても、翅を広げ体を折り曲げ抵抗を示し、引きずられるように端に追いやられる。その代償として肢を一本失った。そして力尽きるように後方へ振り落とされていった・・・

 「あるロック・バンド」はシャウトした。いつだったか。カラオケで、若い女子社員の前で同じ曲でシャウトした。私は「あるロック・バンド」の曲しか歌えない。それなりに自信はある。「なんていう曲なんですか!?」彼女はキラキラした目で私に質問した。そのあと二、三の会話をした。彼女との関係はそれきりだ。私が異性というものを感じた最後の記憶である。歌声でのセックスアピールは不発に終わった。それでも「あるロック・バンド」を聞き続けている。未練か、次のチャンスに向けてか。

 

 スーパーマーケットに着いた。運転席側のタイヤのホイールに、小さい緑色のものがへばりついていた。ウマオイだ!いつからへばりついていたのか?少なくともアパートからいたことになる。ウマオイは15kmの距離を、時速60キロの速さでで回り続けていた。なんという執念。驚異的である。呆気にとられていると、ウマオイがポトリと落ちた。力尽きたのだ。このだだっ広い、アスファルトの駐車場に。彼を拾い上げ、隅の草むらに葬った。彼は苦しみから解放されたのだ。


 朝方、目が覚める。静寂、の向こうから微かに虫の音がした。リリリ、リーリー、スイーッチョン、ギイーギイー、何とも優しい音色。彼らの、求愛の音色である。

 それは心地よい眠りに誘ってくれるはずだった。「あいの・・・!」隣のアパートから絶叫がした。初めて歌詞が聞き取れた。そのまま2、3曲披露された。隣の男のセックスアピールは未だ成就していないか、届ける対象が無いとみえる。絶叫の必要性はそこにあるし、成果が無いからこそここにいる。思いを遂げるまで、あるいは諦めるまで、朝方のリサイタルは終わりそうにない。


 リサイタルのあと、ふたたび虫の音が聞こえだした。だからといって眠りに就くわけにはいかない。もう起きる時間なのだった。

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