兄弟①
ケイネスは数十年後に再び訪れるであろう聖杯戦争への参入の機会を待つことにしたわけだが、その意思を表に出すことは厳に慎むようになった。それは、単に周囲の不評を回避するためというだけでなく、自分の夢を叶えるために必要な処置であったからだ。聖杯戦争へ参加して勝利を収めるためには自身が一流の魔術師であることが必須条件であり、それはアーチボルト家に脈々と受け継がれる魔術刻印を継承することで資格が得られるのである。魔術刻印は一子相伝の秘宝であり、それを複製したり分割したりして複数の者に継承させることは一般的ではない。理論的には刻印を分割して他者にその一部を引き渡すことは可能だが、それにより分割された各々の魔術刻印に内包された力の絶対量は減少する。魔術刻印の完成度の高みをめざす一般的な魔術師ならばそのような行為に走ることはないだろうし、まして格式ある魔術家ならば刻印の力を弱体化させる愚行をおかすことは決してない。
なので、魔術刻印の継承者を決定する過程では競い合いが大なり小なり発生することになる。子が一人しかいない場合は、外部からの簒奪者が現れない限り、刻印の継承は比較的に円滑に進められる。問題は、継承の資格がある者が複数いる場合だ。最も多い状況は、魔術刻印の持ち主に複数の子が存在し、彼らがみな一様な実力を備えた場合だ。その際は長子や男子が伝統的に継承の恩恵を授かる場合が多いが、それを不服として親族間で骨肉の争いが展開されることも歴史上はしばしば目撃されてきた。それを事前に避けるため、刻印継承問題が発生する前に候補者の一部を他の魔術家へ養子に出すといった処置が一般的に行われてきた。
「兄さん、高等部卒業おめでとう。」
ノックの後に一人の少年がケイネスの部屋の扉を開き、中へ入ってそのような言葉を彼に告げた。
「ありがとう、ヨハン。」
ケイネスは親しみを込めた笑顔を見せながら返事した。部屋にある椅子を見つけてそこへ座った少年の名はヨハン=エルメロイ=アーチボルトであり、ケイネスの1歳違いの弟であった。
「主席卒業するなんてさすが兄さんだ。校長先生もロンドン時計塔魔術学校の歴史の中でも兄さんは傑出した成績をもつ学生だって褒めてたよ。」
ケイネスは今年の7月をもって魔術学校の高等部を卒業したわけだが、同年代の学生達を大きく引き離した圧倒的な差を見せつけていた。魔術に関する知識はもちろんのこと、その行使や応用、そしてそれを支える身体能力においても同世代の若者たちに追随を許さなかった。それは、アーチボルト家の嫡子として生を受けた優秀な遺伝子に裏打ちされた才能の賜物だけでなく、またその天賦の素養に奢ることなくたゆまぬ努力を続けてきたケイネスの努力の結果でもあった。彼がここまで意欲的に魔術師としての自己の能力を伸ばし続けてきたのは、聖杯戦争での勝利という大きな野望を常に胸中に秘めていたからであるが、別の理由も存在した。それは、ケイネスの目の前で今まさに鎮座している弟のヨハンの存在であった。