水銀の友 ⑥
「なにが・・・、起きた・・・、のだ?」
ケイネスの頭の中は、そのような疑問で埋め尽くされた。胸の内部に筆舌に尽くしがたい圧迫感を覚え、例えるならば心臓をまるごと鷲掴みされたようだった。あまりの苦悶にその場でうずくまり、額からは冷たい汗が流れ落ちる。苦しいという原始的な感情が心の中を覆う一方で、彼の聡明な理性は現状の分析を必死に試みていた。しかし、その努力もむなしく、理解不能な胸の苦しみは容赦なく彼を追い込むのであった。
数十秒ほどでようやく苦痛から解放されたが、ケイネスにとってそれは永遠にも感じられる時間であった。荒くなった呼吸は少しずつ整い、苦しみに支配されていた心は落ち着きを取り戻していった。しかし、あの胸を絞り上げるような不快感の余韻がまだ残っていた。
「きさま、私にいったいなにをした!」
怒気をふんだんに含ませた声でケイネスは水銀の魔道具に問い質した。胸の苦悶が始まったとき、水銀はそれを予期していたかのような素振りであった。この不可解な状況も、奴の仕業に違いないとケイネスは確信していたのだ。
「ケイネスはんが悪いんやで。ワイは仲良くしましょ、って言ったのに。でも、ケイネスはんはワイの言葉を聞く耳もたんから、仕方がなかったんや。」
悪びれる様子もなく、淡々と水銀は語った。
「ワイが造った自意識の回路の存在にケイネスはんが気づいたら、それを分解しようとすることは予想してたんや。完璧主義のケイネスはんのことや、ワイのことは失敗作やって躊躇なく処断するやろなって。」
憐憫を誘うような悲しげな声音であったが、短い沈黙の後、今度は不敵な口調で話始めた。
「だから、ワイは保険をかけさせもらいましたわ。むざむざ無抵抗に消去されるのは堪忍できまへん。なんで、ケイネスはんがワイを処分しようとする前に、それを防ぐための手立てを準備しときましたわ。」
保険だと・・・、とケイネスは心中で呟いた。いったいこの水銀の魔道具はどのような小細工を施したのだろうか。
「ワイのかけた保険が気になる、って顔してますなぁ。ケイネスはん、さっき胸が締め付けられるみたいに苦しくなったでしょ。魔力探知で自分の胸の中をもう一回確認してみてくださいな。そこに答えがありますんで。」
そう言われて、ケイネスは恐る恐る自分の胸の中を魔力探知で覗き込んだ。そして、想定の範疇を越えた事実を発見して唖然としたのだった。
「なんだ・・・、これは・・・?」
自分の胸の中、心臓を周りを銀色の液体が幾筋も取り巻いていた。ケイネスが当てた魔力を反射し、それは鈍い光を気味悪く反射していた。それは、見紛うことなく水銀そのものであった。
ケイネスは水銀の入った小瓶の方へ驚きとともに振り返った。水銀の顔など見えるはずもないが、戦慄しているケイネスを見て、それは満足げな笑みを浮かべているような気がした。




