水銀の友 ③
机の上の小瓶が喋っている。いや、正確な表現を期すならば、小瓶の中の水銀が人の言葉を思念という形で伝達している。あまりに予想外の出来事に、さすがのケイネスも自分の置かれた事態を把握するのに苦心した。
混乱する思考の中で、まずは落ち着いて状況を整理しようとケイネスは試みた。あの小瓶の中には、1年前に自分が作った水銀の礼装が収められている。そして今、ただの魔道具に過ぎないはずの水銀が自分の意思を持つかのように話しかけている。あの水銀の礼装には確かに自律機能を装填したが、あくまで形態の自動制御にとどまり、意思をもって行動するなどありえない。しかし、それでは現在のこの局面をどう解釈すればよいのか。
ケイネスは彼の明晰な頭脳を最大限に回転させ、この不測の事態を説明しうる理論を探し始めた。豊かな思考の海へ飛び込んだのち、やがて一つの回答を導き出して、心の中でつぶやいた。
「知らず知らずのうちに、生霊が水銀に憑依していたか。」
それが、彼がはじき出した結論であった。魔力を含んだ物体には生霊が住み着くことがある。物体のもつ魔力がまるで色香のように生霊を引き寄せてしまうのだ。宿った生霊はその魔力を糧にして自身の力を増長させ、その物体を媒介にして実世界に干渉する。それは、魔術の心得のない者たちからは古来より神秘や奇跡として崇められている。
従って、魔道具には生霊が侵入できないよう結界が張られることが多い。それは、木製家具の表面に漆を塗布して、木材を水分や汚れから守るのに近しい。もちろん、魔道具の表面に結界を直接塗り付けるわけではないが、概念的にはそれに類する処置を施すのだ。
「結界に綻びが生じているのだろう。私としたことが、詰めの甘いことをしたものだ。」
そう言って、ケイネスは机の上にある陶製の小瓶を握りしめた。そして、除霊の術式を静かに唱えて小瓶に魔術を注ぎ始めた。しかし、少し時間を置いてから脳内に再び言葉が送り込まれた。
「・・・ワイは生霊ちゃうで。そんなことしても無駄やと思うけどなぁ。」
水銀からの呼びかけを無視し、ケイネスは魔術の行使を継続した。除霊を免れるための小賢しい方便かもしれない、と考えたのだ。除霊の魔術は程なくして完了し、彼は再びソファへ体を投げ出すようにして腰を下ろしたのだった。ここ最近煩わされていた頭の中に響く声からはこれで解放されるだろう、そのような安堵感が彼の胸中に広がっていた。この件に関しては平穏を取り戻すができるだろうと。しかし、彼の期待を含んだ前向きな見込みはすぐに裏切られる。
「だから、ワイは言いましたやん。生霊ちゃうから除霊しても無駄やって。」
その声を聴き取ったあと、ケイネスはソファに座り込んだまま両手で頭を抱えこんだのだった。




