湯けむりと白湯と魔法陣後半
「……ここ、どこ……?」
森の中に立ち尽くしたまま、ゆのは呆然とあたりを見渡した。
湿った土の匂い、ざわつく風の音、木々のざわめき。さっきまで温泉の湯船に浸かっていたとは思えないほど、五感が鮮やかに世界を感じている。
「いやいやいやいや!転んだ?夢?幻覚??」
パニック寸前のゆのの手には、しっかりと白湯入りポット。
なぜかそれだけは一緒に転送されていたらしい。
「……とりあえず、一口落ち着こう……」
ゴクリ。
白湯を一口飲んで、深呼吸。
すると、背後から「グゥ……」と重たい音がした。
「ひぃっ!? く、熊!? いや……豚!?」
振り返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
――しゃべる豚だった。
いや、正確に言うと、豚が口を動かし、声帯を使って、明らかに人語らしきものを発していた。
「おお、ようやく目を覚ましたか、人間の娘よ!」
「えっ!? あ、喋った!! しゃべった豚ーーー!!」
「拙者の名はポロリーノ三世!この辺りの森の支配者にして、現・王国付き豚魔導士である!」
「王国付き!? 豚で魔導士!? しかも三世って……代替わりするの!?」
「あれこれツッコむな、驚くのもそこそこにしておけ。お主には運命の使命がある」
「ええええええ!?!?」
白湯で落ち着く暇もなく、ゆのの異世界ライフは容赦なく始まっていた。
⸻
ポロリーノ三世の案内で、ゆのは森を抜け、見晴らしのいい高台に出る。
そこから見えたのは、立派な城と、その城を中心に栄える街の姿だった。
「……まるで、絵本の世界……」
石造りの建物、賑わいのある市、空を飛ぶ魔導士たちの姿。
ファンタジー作品で見たことがあるような景色が、現実としてそこに広がっていた。
「これ、夢じゃないのか……」
「夢ではない。お主は“選ばれし湯女”として、この地に召喚されたのだ」
「湯女!?」
「そう、この国では“白湯の力”は神聖なる癒しの源とされている。そしてお主の魂は、その白湯と強く共鳴している。故に……魔法適性、極めて高し!」
「ちょ、ちょっと待って!? なんか凄そうだけど、まだ気持ちが追いついてないの!」
そのとき。
市の中心を横切るように走ってきた馬車が、勢い余って転倒しかけた。
「危ない!!」
咄嗟に手を伸ばしたゆのの掌から、ぽうっと白く温かな光が溢れ出した。
次の瞬間、馬車とそれに乗っていた人々が、ふんわりと宙に浮かんだのだ。
市民たちはどよめき、すぐに拍手喝采へと変わる。
「おお……! これが、“白湯魔法”…!!」
「“白湯の乙女”、現る……!」
戸惑いながらも、ゆのは思った。
“この世界で、私にも……必要とされる場所があるのかも。”
そして、その人混みの中。
城下町の広場の階段に、金の髪に碧い瞳を持つ青年が、じっとこちらを見つめていた。
――彼の名は、レオンハルト=エルネスト王子。
ゆのが記憶を失った幼馴染だと知るのは、もう少し先の話である。