14.逆張りの核
VRゲーム機というのは本体の電源が切れれば自動的に意識が現実に引き戻されるわけではない。一時的に感覚器官と脳の接続を絶ち、代わりにVRゲーム機から情報が脳に送られる。そんな仕組みが故に突然ゲーム機の電源が切れてしまうと脳が肉体から乖離したままになってしまう。
本来ならそうならないようにVRゲーム機には内部に予備バッテリーが搭載されており、生命維持機能が常に作動するようになっている。また、生命維持機能と予備バッテリーの動作が十分か定期鑑定を受けて、問題ないと診断されたもの以外のVRゲーム機は作動すらしないようにキーがかけられている。
つまり本来ならここで俺が能動的にログアウトする術を失っても、俺の健康が危機的状況にあるとシステムが判断すれば、俺は強制的に現実へと引き戻される。だが、現実の俺の体につながれているVRゲーム機を含めた諸々の機械は一般のものとは異なる特別仕様なのだ。
具体的に何が異なるかといえば、機械が常に俺の生命・健康状態を管理している。管理であって監視でない。機械が俺の脳に代わってあらゆる栄養補給や排泄行為などあらゆる生理機能。行為を代理・促進・補助している。
何がいいたいかというと、一般プレイヤーにはログアウトしづらくなったぐらいの問題のはずが、俺にとっては完全にログアウトできなくなってしまったのだ。どれだけ長時間ログインしてようが健康には一ミリの変化も起きないだろうし、VR機自体も特別仕様なせいで何日、何十日、何百日と連続で稼働させても俺のVR機は問題なく動作し続けるだろう。
さすがに運営もこの事態は想定していないだろうから数日経てば異変に気付いてくれるかもしれないし、もしくはUIが消失してもログアウト自体は別の方法が用意されていると思いたい。
「おぬしの体がどう変化したか今一度診てみようぞ」
ベネット老人が再び杖を手に取る。先端に浮かんだ小さな魔法陣が淡い光を放ち、静かに俺の全身をなぞった。淡い青白い線が肌を撫で、内側を探るように流れていく。
「蘇生前と大して変わらんようじゃ。ただ…」
「ただ?」
「おぬしが眷属でなくなりその権能を失っておるのは明瞭じゃ、この状態じゃ甦りの権能も無いものと考えた方がよいであろうな」
「つまり?」
「おぬしが次に死した時、おぬしは本当に死ぬということじゃ」
その言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに揺れた気がした。
ゲームにおける「死」という言葉を、こんなに生々しく感じたのは初めてだ。現実の肉体がどうこうという話ではない。そう頭では理解しているのに、心の奥が妙にざわつく。
もしこの世界で「本当の死」があるのだとしたら、それはどんな終わりを意味するのか。普通の死亡→リスポーンとは別枠の死、そしてその死にともなった負債。ならばそれはキャラクターデーターの消去あたりが妥当だろうか。
一見、もはや逆張りというより縛りプレイのように思われるかもしれない。だが違う。逆張りと縛りプレイは似て非なるものだ。同じリソースの中であえて弱くなるようにするのが逆張りなのに対して、縛りプレイはそのリソースという前提条件自体を制限し、結果的に弱くなるものだ。
このゲームで例えるなら弱い称号を選ぶのが逆張りなのに対して、そもそも装備する称号の数を減らすのが縛りプレイとなる。
俺は逆張りは大好きだが、別に縛りプレイは好きではない。PVEなら個人の自由だと思うが、PVPにおいては舐めプや煽りともとれるこのスタイルはむしろ嫌いである。何より、縛りプレイにはロマンがない。逆張りには弱くとも、個性が、それにしか出せないアイデンティティがある。
その点このUI消失は逆張りであるといえるだろう。ここまで弱点ばかり挙げてきたが、一つ確実な強みがある。それは適正の無い武器を扱ってもスタミナが極端に消費されないということ。スタミナという概念そのものが適用されなくなったのかは定かではないし、それがシステム上の抜け道なのか、単なるバグの副作用なのかはわからない。だが、それは確かに唯一無二の強みだ。
数多の弱点、致命的なデメリット。その先に僅かな、だが確固たる強みがある。これはこのリタイトルズにおける俺の逆張りの核となるやもしれない。
「しかし、実質死ねないというハンデを背負って、強みがスタミナ一つは救えない。これからはUI消失の影響をメリット・デメリット問わず検証していかないとな。なぁ、ベネット爺さん、脱眷属が成功した今の俺には具体的どんな変化が望めるんだ?」
「それは、儂にもわからん。なんせ、この論理を施したのはおぬしが初じゃからな」
ベネット老人は肩をすくめ、言葉を吐く。しかしその軽薄な仕草とは裏腹に、その老いた瞳は好奇心を孕んでいた。
どうやら地道に検証していくかしかなさそうだな。
「じゃ、脱眷属の話はこれで一旦終わりにして、さっき言ってた手記とやらを見してくれよ」
「現金な奴じゃな…ほれ読むがいい。ただ丁重に扱うんじゃぞ」
ベネット爺さんから手渡されたのは、ノートやメモ帳のような整ったものではなく、いくつかの古びた紙を束ねたものだった。紙はすでに黄ばみ、端は崩れている。何度も手に取り、読み返したのだろう。そこに記されていたものは文章量がそこまで多くなく、そのほとんどがベネットとクリントの思い出話だった。
『君との出会いは驚きのものだったよ。危険を顧みずに君のことを助けたというのに返ってきた言葉は「自分はお前のような野蛮な者が触れていい存在ではない」だったからね。でもそれでも嬉しかったんだ。なんせ、僕以外のヒューマン、それも近しい年齢の者と会うなんて久しいことだったから。言葉を交わせるというそれだけで嬉しかったんだ。それから君が村に帰るまでの時間はあっという間であったよ。君は壁の外で一人孤独に暮らしている僕を憐れんでか村に迎え入れようとしてくれた。その心意気は嬉しかったけど、僕には使命があり、そのためには壁の内側にはいられなかったんだ。君にこんな孤独な人間の身の上話をするのも気が引けてしまってね、何も言わずに村の前で消えたのはそれが最善だと思ったからなんだ。すまなかったね。君にあの村と僕ら一族の因縁を伝えた時、僕らは出自なんか関係なく、確かな絆で結ばれていた。そして神々の痕跡を見つけ出し、彼らの所業を、今の村の安寧がいかに凄惨な過去によって持たされていたのか、知った君が激怒していたのが懐かしい。「いつか俺が絶対に神の支配を打ち砕き、お前とその一族の雪辱を晴らしてみせる」と息巻く君は誰よりも勇敢で情に厚い、偉大な真理の探究者だった。遺跡の探索に君にとっては初めての野営、君が得物が捕れず「俺は頭を使うのが本分だ」と言い訳を漏らしていた狩り、君が教えてくれて、大人げなく僕に勝ち越した遊戯だとか、いろんな時間を君と共にした事は僕にとって何もかもが新鮮で楽しかったよ。きっとこれからの僕の人生には二度と訪れないであろう、かけがいのない一時だった。ありがとう友よ。さて。君にこれを手向けようとしたのは実は思い出話をするためではないんだ。厄災が動き出した。それだけを伝えておきたかったんだ。厄災が何なのかは正直僕も詳しくはわからない、ただあの姿は僕が幼き日から言い聞かされてきた姿にそっくりだった。ただ恐怖を押し固めたような、形も捉えられない巨大で蠢く何かだった。壁の内側にいるうちは安全だと多分思う…だが、もし再び君が壁の外に出るようなことが、壁が維持できなくなるようなことがあったら、すぐにそこを離れてとにかく遠くに避難してくれ。僕ももうここにはいられない。だから最後にこれを君との別れの地に残すよ。最後にもし、これを見つけたのが君でないなのならどうかこの手記をベネットという人物に届けてほしい。彼曰く彼は大層御高名な錬金術師殿らしいから容易にみつかることだとろう。しかし、考えたくはないがこれを第三者の誰かが読んでいる時には僕もベネットもこの世にはいないかもしれない。人探しを依頼しておいてなんだがもしかしたらそちらの方が君たちには幸運かもしれないね』
静寂の中、紙の端が指先でかすかに鳴った。誰かの残した言葉というより、まるで遠い昔の声が直接響いてくるようだった。
わかりやすいように神だとか、この世界の真実について語っているわけではなかった。だがそれでも気になった語彙がいくつかあった。
「僕以外のヒューマン、それも近しい年齢の者と会うなんて久しいことだったから。言葉を交わせるというそれだけで嬉しかったんだ」
「あの村と僕ら一族の因縁」
「神々の痕跡」
「彼らの所業を、今の村の安寧がいかに凄惨な過去によって持たされていたのか」
「厄災が動き出した」
「厄災が何なのかは正直僕も詳しくはわからない、ただあの姿は僕が幼き日から言い聞かされてきた姿にそっくりだった。ただ恐怖を押し固めたような、形も捉えられない巨大で蠢く何かだった」
これらの抜粋した文言からわかることは。
・”ヒューマン”という区分があるのだから、ボーダーの外にはヒューマンに限らずいろんな種族が存在している、もしくはしていた。
・クリントという人物とその一族はボーダーの外にいながら、村と何か因縁を持つ重要なキーパーソンであるということ。
・神は偶像なんかでは無く、どれぐらい過去かはわからないが過去には実在していたということ。
・この村が作られた経緯には凄惨な過去というものがあるらしい。”壁の内側か遠くに避難しろ”や”昔から言い伝わる存在とその厄災とやらが酷似している”とクリントンが遺しているのを見るに、神たちはこの厄災とやらをやり過ごすために、この村を、余燼の鏡とボーダーを生み出しのだろう。「彼らの所業」という言い回しから察するにその手段は褒められたものではなかったのかもしれない。そしてその厄災とやらは少なくとも3か月前、それ以前に動き出しているはずだ。
「読み終わったかのう?」
静かな声に顔を上げる。何故だかベネット爺さんの顔が表情も何も変わっていないのに、哀愁に満ちたているように思えた。
「…ああ、ベネット爺さんはここに書いてあること全部知っているのか?」
「それが知りたければ儂の信用をもっと得てからにせんか」
「信用って具体的になんだよ?」
「まずは定期的にここに顔を出せ、そして脱眷属の影響と経過観察で分かったことがあったら報告しろ。そしたら代わりに儂が知っているさらなる情報を教えてやろう」
以前の俺が音信不通であったために警戒しているのか、それとは関係なくNPCとの親密度を稼がないと進まないタイプのシナリオなのか。
「となれば、早速一つお題を出してやろう。再度緑ポーションを作ってみぃ」
「まぁいいけど」
言われた通り錬成の準備をする。前回の錬成で使った素材の余りが、まだ机の上に残っていたのでそれを使うことにした。まずはインベントリから貰った錬金術キットを取り出…――
「――てか、インベントリも開けないじゃん…」
竹刀も取り出せない。これずっと封印とかじゃないよな…?




