第1章 砂と男
巨大なホバークラフト・トラックから地に打ちつける空気の雑音は確かに鳴っていたが、周囲に響く事はない。
トラックの揺れる音と厚手のガラスの外側がその理由を教えてくれる。
地上...ここは常に強烈な風と砂が叩きつけられる僻地となってしまった。
化け物じみた砂嵐の横凪がトラックを襲っている。
あの“第8次”は地球環境にこれほどの変化を与えたのだ。
トラックの硬い座席には一人の男が鋳鉄処理されたハンドルを握っていた。
男は巻き上げられた砂の間から首を数回曲げたり倒したり、どうにかして前方の透明な半球を目視すると、目的地に向けて更に接近する。
”ノアの箱”。透明なドームの内側はすぐに分厚い壁になっている。
中はからきし見えないが、俺の目に投影するのは人々の姿だ。
黒く細いワイパーがリズム良く左右に動いて乗っかった砂を蹴落とす様子には目もくれなかった。
砂山を用心して下り断片的だった半球が全貌...
透けたドームの隠れていた土台部分から飛び出した出入口4つが見え始めた。
伸ばされた出入口の通路の途中は膨らんだ部分がある二つは人用のもので、
もう二つは貨物車用だ。
ドーム部分にはいくつか補修された跡が増えている。
ドームB面のパラボラアンテナの大半が傘を閉じたように潰れ、転げ落ちていた。
それらが遺跡のような印象を与え、自分たちに訴えかけてくる。
空はくすみ、一面を覆う虹色の砂。風は絶え間なく吹き続ける有害な風。
汚染された空気...
戦争の影響で高濃度の放射能と砂だけとなった。
全てのものを砂に化した核。
核の地上から逃れられない人々がまだ”ノアの箱“に存在している。
それから2時間をかけ、貨物車用の野太い通路の中へ入った。
中は風と入れ替わるように空調機が吹き通す音を一斉に鳴らす。
トラックと通路の間は上も下も9センチばかりしかない。
フロントガラスから見えた白い天井は端がくすみ、
一部が割れ空調機の寒暖色の配線がひねり出てしまっている。
側面の壁も黄ばみが見受けられた。
不安げな目線を設備に向けてしまった...
いくら放射能中和加工がされているとはいえ
弱くなった設備のせいでドームの内部に放射能が入り込んでしまうのはどうしても避けなければいけない。
顔が入り組み、奥ばんだ部分がより深く強調されていった。
その苦い顔が素直に俺の今の心情を示していた。俺は...表情に出やすいタイプのようだ。
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その間にもトラックは通路下に敷き詰められたベルトコンベアで指定の方向へ進み、壁と天井に取りつけられたドレッドヘアーのようなごろごろしたブラシの毛が男のトラックを擦っていった。
ブラッシングエリアを通過してようやく10kmある通路を抜け、ドーム内の検問所へ行き着く。
検問所にトラックの10分の1が入り込む最中
自分の手で頬をはたくとシャツの第1ボタンをしめ、整える。
ここも壁が随分と黒ずんでいて、見るに堪えない。
検問所の入り口脇に
くたびれて意味のない薄黒いボディアーマーを身につけた警備員が一人無機質な床に横たわっているのが見えた。
心配になったため呼び掛けようとしたが、その警備員の胸の動きと口からの歪な音声で座席から察しがつき、シートにひき離した首を戻した。
「最早、警備員の意味がないな」
居眠りぼうやと似た格好をした女性が叫ぶ。
「フンセンさんですね!」
下方の細い首から出されたキンとした声が、今度こそ耳に入った。
その後ろには荷物係の数人が大型トラックの荷台へ向かっているのが見える。
「お疲れ様です!中の荷物を確認するので少しお待ち下さい!」
その丁寧な挨拶にこちらも答える。
「わざわざ悪いね。検査はなるべく早くしてくれ」
呼びかけた声に女性警備員が安堵の顔で小さい頭に被っているヘルメットを正しい位置に直したのを見届け、席に戻ろうとしたがあえて彼女を呼び止めた。
「あそこの居眠り坊やを叩き起こしてやってくれ。」
うなだれた警備員に気がついた女性警備員が怒る口調を遮って
“彼をちゃんとベッドで寝かせてあげてくれ”とだけ伝えて扉を閉じた。
席の背面の壁面に後付けした小型冷蔵庫から飲料水を取り出して、固い席に腰を下ろす。
ペットボトルを軽く握り、既に封が開けられているキャップを外して水分補給。
ある程度含むと蓋を閉じ、冷蔵庫に戻さずボトルを両手に握った。
その手から浮き出た血管としわにはどうしようもない不安感が微量に交じっていたが、それよりもこの先にある顔を期待していた。
「俺も年をとったな...」
どんな顔を彼らは見せてくれるのだろうと思い、
実際にそれを見るのが彼の今の目的であり願いであり、一種の幸福だ。
荷物内容の確認が終わって異常なしをブザーとランプで伝達される。
それを聞いてまた立ち上がり下に目をやった。そこには既に小さいピクニックシートが引かれ、開封済みのケースと荷物係と彼らの指に挟まれたハンバーガーの鮮やかな断面が覗いていた。
「すいません。もう頂いてしまいました!」
上からの視線に気がついた女性警備員がそう言って軽く手を振ると周りの男たちも顔を上げ、軽く会釈した。
直接渡したかったんだが...
こだわりとそれを達成できなかった不燃感を小さくつぶやく。
直接自分の手で渡す。
この時代この俺がとても大事にしていること...だが食べてしまったものはしょうがない。
「...そうか大切に食べてくれ
ところで倉庫はいつもの3番倉庫を使わせて貰って大丈夫か?」
その質問に女性警備員は人差し指と親指でOKのマークを作って返答し、
ハンバーガーを握ったまま制御盤を操作しベルトコンベアを動かし始めた。
それまで閉め切られていた6つの巨大化な扉の中央が割れ、道を開けてくれる。
ベルトコンベアは大型車両を丸い線がひかれた床に誘導し、
転車台の要領で重い鉄の塊を回転させいとも簡単に向きを変える。
バックの状態で開かれた扉へ向かう。
一通りの作業が終わり重厚な戸が再び降りる。
閉まる扉の先には警備員一同が手を振ってくれている事に気がつきこちらも手の平を見せた。
格納庫にトラックが納められると
運転席からトラックの荷台部分に繋がっている勝手口から荷台に足を踏み入れた。棚には積んだ物が落下しないよう複数の蝶番とネジで金網が固定されており、
その金網の間から穀物の袋や缶詰めなど保存が効く食品が並べられていた。
キッチンパントリー(食品庫)という奴だ。
並べられた食品庫の棚の下のスペースから異常に膨れた茶色いリュックサックと使い古されたキャリーケース2個を引きずり出す。
リュックサックにペットボトルを突き刺すと、取り出した荷物を肩と指にかけると奥に備えられた勝手口から更にトラックの後方へ進む。
その先は巨大な冷蔵庫、冷凍庫に改造されている。
冷えた空気が汗をかき消してくれるため心地よい。
だが、今日食料の間を通った男の顔は堅パンよりも硬くなり始めていた。
リヤドアを開いた時ちょうど係員が駆けつけたため、
意識してまた何時もの顔へ戻した。
「ご苦労さん。今回は運転席にある冷蔵庫の中身を使ってもいいから」
使い込んだポークパイハットを被りながら見慣れない顔に告げると格納庫を去った。置いてかれた顔は茶色い俺の後ろ姿に“いつもご苦労様です”と張り上げた。
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壁のボタンを操作し荷物用の大型の箱を呼び寄せる。
数秒後扉が開き、は乗り込む。
がたついた巻き上げ機のギリギリした苦痛を訴える低音が広いエレベーターをより広く感じさせ、シンプルな室内が空いた体積の虚無感を強調する。
孤独とは寂しいものだが、慣れるとそうでもなくなってしまう。
しかしこの瞬間だけ孤独が強く意識させられた。
人の“慣れ”というものは恐ろしいものなのである。
しみじみとチュイ・フンセンはその感覚をかみしめた。
昇りきったエレベーターから体を出し、馴れた足音が目的地へ向かう。
エレベーターの扉の先は20万人強が住めそうなビルと住宅街の塊。
しかし街の大部分は機能不全に陥っており冷たい空気ばかりが漂っている。
偽物の空は稼働しているものの、電力消費を抑えているせいでくすんでいたり
補修の布テープのようなものがあちこちに貼り付けられており“演出”が弱まっている。中の建造物は6割は無意味な残骸になり果ててしまっている。生えた木々も青い葉や実をよく成っているが避難所内の雰囲気のせいで、しなびて見えてしまう。
その街の広場には人の渦が形成されており、圧倒される空気圧があった。
道中の空気の冷ややかさが嘘のようになっている。
エレベーターを降りてから初めて人の熱を感じることができた。
人ごみの中から無邪気な幼い子の声なども耳に入った。
その人の渦がやがて林になり俺を通し始めてくれる。
重荷を下ろし、
ケースを仕切った石灰プラスチックからバンズの天辺を見せると人々はそばにあった飲料水には目もくれずに、たんを切ったようにバンズを手に取る。
彼らの頬こけた顔が膨らみ、元気を取り戻していた。
その間に角が擦れた腰カバンから小さなケースを出すと、
未だに料理に手をつけていない2つの家族にそれぞれ手渡した。
「今回はハラールの教えに違反してない肉が手に入らなかった。許してくれ。」
フンセンは申し訳なさそうに頭を下げた。
ケースの中のバンズにはキツネ色に揚げた白身魚が嵌まっていた。
「大丈夫だよ。何時もありがとうね。」
と一人のおばあさんが優しく返辞をしてくれた。
その言葉を耳にしたフンセンの顔はこの日最も晴れた顔になった。
荷物が空になるのを見ると俺は賑わう人々から人目につかぬよう足を忍ばせ、広場から息のない建築物の間に消えた。
俺の役割は今日はここまでだ。
彼らの充足した顔を思い浮かべながら強つく足を小刻みに動かしていると、
薄く野暮ったいコートの脇ポケットから振動が胸に伝わる。
それを感じ、俺は荷物を手首にかけて空いた左手を突っ込み、
1/4に折り畳まれた黒いタブレット端末を耳に当てる。
オレンジ色の明るい声がスピーカーから出力されてきた。警備のお嬢さんだ。
「フンセンさん、お疲れ様です配給終わったんですよね?」
検問所に居た女性警備員。答える間もなく、更に言葉を続けた。
「今日持ってきたホバートラックの食糧を避難所の冷蔵室に移して、トラックをお返ししたいんですが」
これまで6ヶ月分の食糧を彼らに運んで貰うのは重労働で申し訳ないという気持ちになっていた男。
だが今の俺は違う。
俺は解決方法を手に入れている。
「移すのは面倒だろう今回からトラックをそのまま冷蔵室として使ってくれ」
「で、でも帰る時どうするおつもりなんですか?」
「実はもう一台トラックを帰宅用に持ってきてるんだ
心配はいらないよ...じゃあお互い頑張ろうまたこちらに来るから」
彼女の気がかりな質問を軽快に返し、通話を終えた。
人目につかない小路へ足早に向かっていく。
錆びついている重いふたに絡みついた草を引き抜いて、ふたをギッと開ける。
ここから先に人間サイズの出入り口がある。
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更衣室でコートの上からインナーを装着しカバン類にカバーを被せると、更に顔をガスマスクで覆った。
空のトランクの車輪をカラカラ鳴らしながら人間用の出入り口の一つ目の隔壁をぐぐり抜けた。
通路は俺以外使う者がいないため、この箱には似合わないほど小綺麗。
長い付き合いなうえ見物するモノはこれっぽちもないので急ぐ。
2メートル先にはまた隔壁があり、これを隣に備えられた単簡な押しボタンを親指の指紋を押し付ける。隔壁が普遍な動き半分上がった所をまたくぐり抜ける。
だが、また2メートル先に隔壁が現れた。
これがあと5キロメートル以上続く。
放射能がここに侵入する事がないように...
“ボタンを押し戸をくぐる”
というサイクルはとても単調で苦痛なものである。
次第に足は自分の思考と反し、無意識に膝と足首が可動する。
別の生物やロボットの足を下半身に取り付けたようになっていく。
だが足腰の痛みよりも無機質な扉や壁やインナースーツ、ガスマスクが普段閉じている空洞を押し開けるようで、何とも心苦しい。
しかも足を進める先は死の世界だ。
だがその死の世界がフンセンの3年に及ぶ活動歴の蓄積と活動場所である。
慣れてしまえば実家や自国のような安心感がある。
...いやしかし。
勿論気を抜けば荒れた自然から地獄への招待状を貰うことになってしまう。
実家や自国という比喩は全くもって的確ではないと考え直す。
道中の第一更衣室にてインナーの上から中和加工された防護服でリュックサックも黄色い生地に隠すとまた単調な繰り返しを始める。
そろそろ出口だ。
そう感じると足が急かし始めるが、
隔壁がそう簡単には通してくれない事がやきもきさせる物を印象づけた。
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...やっとの思いで外へ戻った。
荘厳な空気の圧が防護服の上から殴りつけた。
折角帰ってきたというのに惨い仕打ちで潔く挨拶をしてくる。
暴風の声のせいで
通路を通った際に感じた虚無感はいや増してしまっていたのが鼻につく。
出入り口の重い隔壁が閉まりきるのを確認すると帰路につく為、
“あいつ”を隠した独立峰へ男は走り出した。
その後ろ姿に横から風が更に強く吹き付けてきたが、
受けた痛みを無視し突破する。大回りをし、山の裏側へ足跡を残す。走って数分。
辿り着いた山の裏には人工的な建造物があった。
縦に細長い。小山に半分埋もれたような形で砂がこびりついた白い建物がそこにある。
この白い建造物はもともと軍の管制塔だったそうだ。
男は白い隔壁左下の小さな扉に入ると
砂を取り払い、防護服を脱ぎ、また長い通路を行きいつもの帽子姿に戻った。
通路の最後のノブを回して離すとドアが開き、施設の中の様子が見えるようになる。
中は”あいつ”を隠し入れるために壊してしまったので、意図的にぐしゃぐしゃだ...
ゴツゴツした内壁に包まれたその中には黒い布に覆われた妙な物体が洞窟内でひっそり居座っていた。
壁にもたれかかってジッとしている様子が不思議な古代兵器なオーラを匂わせ、
確かな存在感を掲げている。
黒い布の隙間から陶器の質感に似通った煉瓦色と白色が際立って見える。男が近付く度その物体の威圧感は増していく。
色がくっきり分かれ物体の構成もはっきり分かってくる。
頭、胴、腕、指、脚。その姿はまさしく巨大な機械仕掛けの人形。
黒い布を被った人型の物体が、立ち膝をし生気なく居座っていた。
曲げた脚のすねはフンセンの背丈より長く、大きい。
膝や肘には防塵用の布で包まれており、
巨大な黒い布には細かなソーラーパネルが敷き詰められ
風に揺れると小さく雑音を鳴らす。
黒い布は人間が身に付けるコートのように首の辺りの留め具で着せられている。
フードの中の顔は頭部を横に一周したレールに沿って二つつぶらな瞳がある。
しかし、この人を選別する目は未見な人々からすれば、戦慄だろう。
俺はコートの下をくぐり、腰の後ろの板っぱちに備えつけられた自作のコンテナに
手荷物を入れると
辺りの岩を駆使して人形の脇へかけ登った。
腰に乗ると、人形の聳える巨大顔が更に大きく写る。
胴腹は卵型が埋め込まれたような形状になっており
ここが人形の操縦席になっている。
厚めのハッチを乳酸が溜まった腕で開け放つ。
内装は全面がモニターになっており、狭い弾円球体の中央にはシート。
シートにはレバーやハンドルといった類のものはなく肘かけの先端に展開式の透明な扇状の板とグリップが付けられているだけだ。
急いで体を曲げて腰を下ろすと丸い戸が閉じ閉まった戸が密閉する様子を耳に入れた後、肘かけの先の透明な板を持ち上げた。
それはキーボードだったようでスッとキーボードのキーの模様が浮かび、
角張った指を認識する。上方のファンが回り始めると息を整える。
その間人形の中身が無条件に網膜認証を開始。俺に顔を上げろと指示する。
「はいはい」
まだ整っていない呼吸から声を絞り出し、
モニターに埋め込まれた機器から放たれる赤い光を目に当てる。
暫くすると、電子音が鳴り認証が完了する。
『暫定パイロット“チュイ・フンセン”57歳男性認証』
『ようこそ“ドミナンス01”へ起動します』
と中性的、無感情な声で伝える。
そのあと張り巡らされたモニターが外の光景を移す。
俺の今の大事な話し相手がこの人形“ドミナンス01”に埋め込まれたAIだ。
名は“アイン”。
この“ドミナンス01”という人形に搭載されていることから名は
ドミナンス01の1から取った。
元々名前は無かったが、名前がないのは扱いづらい為に名付けた。
どんな事も余裕綽々に行う淡々さは今でも驚くものがある。
加えてアインには感情という起伏も存在している。
機械に感情を持たせるなどいつどこで生まれた技術なのか...
『地下都市の株価の確認と株式の購入、農場への入金は済ませておきました』
「すまない今日は色々やって貰ったから、無理に操縦の補助はしなくて良い」
『人工知能に休みなど要りません』
「そう言うな。君の電子盤を冷やしておけ。」
アインとの会話が今日フンセンに漂っていた霧を追い払ってくれる。
AIの存在は予想以上に大きいのだ。
太古の家庭におしゃべりをしてくれるロボットがよく普及したそうだが、
今の彼なら彼らの気持ちも今なら手にとるように理解できるし、同意もできる。
俺は会話という工程で整った肺の動きを感じていた。
突如として、爆音が砂嵐を裂いた。
周囲の風が凶変した。空気の流れが暫時、異様なものへ変わった。
カメラとモニターをONにしていたため、僅かな窓から確認した。
一瞬だけ何かが目先の茶色い空を通った。雲に紛れているが、
人工物であることだけは分かる。
“速い”。
ドラゴンの腹の中のような気候であの速度を出して飛ぶ物体は異常だ。
ドミナンス01の飛行速度の数倍はある。
「なんだあの今のは...アイン、解析出来たか?」
『速過ぎますあれが何か判別出来ません』
アインの声で少しだけ考えたが、
「......面倒は御免だ早くここから離れよう」
と結論を出すのを諦めた。
腰を持ち上げ体を捻ると、シートの後ろから灰色のコードが数本取り付けられたヘッドギアをフックから取り外す。
コードを引き伸ばしてヘッドギアを頭に固定すると肘掛け先のグリップを起こし、
足をベルトで固定する。
『脳波確認。動作確認を。』
ヘッドギアから読みとられた脳波が巨大な腕に命を吹き込んだ。
頭部と肩の先に内蔵されたサーチライトが点灯。暗がりを照らし、
巨体は左膝を砂から離して立ち上がる。その間腰後ろの板っぱちから細いコードが飛び出す。
その先端に取り付けられた4本の爪ががっしりと埋もれた地面を掴み細い見た目と反して強靭な力を発揮して機体を安定させ、立ち上がる主軸の脚の動きをフォローした。
足の裏を地面へ完全に接触させると我が家へと歩き始める。
大きな歩幅が一時避難施設から距離を離し暗い砂煙の中に巨体を隠し始める。
進む先は嵐が強さが増して視界が不明確になってゆく。
気配を感じ取った。濃厚なその“赤い”気配がこの空間を牛耳っているのがひしひしと感じられ、なぜか血生臭い。そして何か無邪気な...
その悪い予感は目前の光が現実たらしめていた。数十km進んだその先に砂まじりの中、三点の黄色い光が薄く浮かび上がっている。
二人がその光に気がついた次の瞬間
目の前に物体が猛烈な勢いで飛び出した。
咄嗟にドミナンス01の腕の翳す。
無意識に瞑ったまぶたを開けるとドミナンス01の左腕のプラスチック装甲はその衝撃を受け、吹き飛ばされていた。
飛び出した長い物体は先端の白く鋭い爪がつけられた手が見えた。
カフェオーレ色の腕は、細い新機構関節が顕著に露わになっている。
やがて白い爪が大きな指だと分かり、
赤い物体の正体も二人の頭の中で大まかに形成されていった。
受けた衝撃で後ろに転倒しそうになったところを、どうにかその場に踏みとどまり相手に重い顔を晒す。
戻っていく長い腕を辿って、その巨腕の持ち主を見る。
赤い...
赤い人形だった。
顔のレールに沿った瞳。卵が埋まったような胴腹...その各々がドミナンス01に酷似していた。
しかし片腕だけ異様に長く、指が獣のような鋭い爪になっている。そして右腕の肩は装甲どころか布のカバーすらなく、01と同じ細い関節が晒され垂れ流しになっている。こまかな差異よりその赤さと腕と殺気を感じ取っていた。
長い右腕の指の間には形のなくなった強化プラスチック片が付着していたが、
すぐに風の中へ消えていった。
両者の間には膠着が生じ、薄暗い空と風のうなる音だけ。
フンセンとアインは既に相手が何者か感じとっている。
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ともかくまだノアの箱が近い。
それにもう数メートル先には地下都市で使われている電力を作り出している大規模な風力発電所と太陽光発電所が存在している。
地下の人々も桃源郷にいる訳ではない。地下30万人をまかなう電力の一部を絶つ訳にはいかなかった。
俺にはそう考えるのが当然であって必然的でもあった。
「被害を最小限に抑える!飛ぶぞ!」
『了解』
各部の装甲に埋め込まれたプラズマジェットノズルから青い光を放って
暗闇混じりの空へ飛び立つ。
雲の渦を払いのけ、雲海の上に出、昇った軌跡を見返ると赤い人形と目が合った。
両者の距離は驚くほど近い。
赤い人形が空中で攻撃の姿勢をとる。やはりこの1号機が狙いのようだ。
長い腕が伸び、ドミナンス01が纏ったマントに掠めてマント表面のソーラーパネル群を粉々に砕いた。
赤い人形は攻撃的の手を止める気配がない。
伸びきった腕を懐にしまいながら、胸のレーザー砲を放ってきた。
この赤いのも”ドミナンス”だ。
無数に広がったレーザーがドミナンス01の軌道を狂わせ、偏差を狙った奴の左腕の突きが命中する。
マントには大穴が空き、羽織りものとしての形状を保つことが出来なくなりドミナンス01は自身の腕でマントを首から外し空へ投げ打った。
バザッと布とは思えない音を発して雲海へと消える。
隠れていた異形のパーツの組み合わせがはっきり現れ、ドミナンス01の全身が赤い人形に晒された。
赤い人形は攻撃の手を緩めず、
右腕を振り回して間にレーザー砲の攻撃を挟んだ連続攻撃を披露した。
『エネルギーバリアを展開します』
「頼むッ」
焦って声がおもわず強張る。
ドミナンス01は手の平を突き出し、飛ばされたレーザーを受け流す。
しかし赤い人形がすぐさま第2射を放ち
膝下を撃ち抜いた。
『下腿のバッテリー損傷、加えてエネルギーバリア、オーバーヒート
バリア使用不可、電力状況不安定です』
汗がどっと雪崩出る。
手甲から危なげな煙を吹き出てている様子が二人を苛烈に焦らせた。
「早めに奴を退かないと...」
思わず口の外に漏れる焦り。
バッテリーの残量も通常運転は戦闘を想定していない。
必要最低限の電力しかない。
赤い人形は急接近して、爪での攻撃を狙う。
胸部のレーザー...赤い人形のレーザー攻撃で
はっと、やっと01の胸部のレーザー砲の存在を思い出すと冷静さを取り戻し叫ぶ。
「俺たちもレーザー砲を使う」
『出力が足りません』
「これ以上やり合ってるといずれ被害が出る!俺達もやられる!やるしかない!」
アインは俺の焦燥に駆られた提案の必死さが
言った本人と同じように感じとった。
『無茶な事を...』
接近した奴の腕が伸びようとしたその時!
胸部のレーザー砲から光を短く放った。
それは赤い頭部を掠め、火花を散らし頬の左半分を溶かした。
この攻撃を受けた赤い人形は引き下がって頭を右腕で覆い隠すと、
プラズマジェットを強く噴射し頭から砂煙の中に消え、その場を去っていった。
「...やったか?」
風だけが煩い静かな時間が再び流れ始める。
細く、とても赤い人形とは比べものにならないひょろりとした弱々しいレーザーだったが
不意を突いた事で何とか奴を退かせる事が出来たようだ。
ドミナンス01は失速し、空から落ちていき、砂に覆われた大地に着陸した。
地上に降りると腰の円柱状のパーツから畳んだバルーンを出し
股のタンクに貯められた水素を入れ、膨らんだバルーンを浮かす。
バルーンは円柱状になっており、
空いた空間には回転する羽根があった。BAT(空中浮体式風力発電)だ。
専用のバルーンを浮かしその場で電力を発電できる。
『近くの風力発電発電所からエネルギーを供給すれば5時間早くバッテリーを充電できますが...』
アインの少々身勝手な提案に
「地下に住む人も必死なんだ。そんな事は俺には出来ない。」
と秒で返す。
『...そう言うと思いました』
フンセンがまた荒くなってしまった息を整え、投げかける。
「ところで奴の正体は...分かったか?」
『おそらくですが私による独断です
データベースの照合が必要なのは必然的です』
「家に帰る前にあそこに寄る
壊したこいつの装甲も作って貰わないといけないしな。」
モニターを介して破損した左腕を眉毛を寄せて見つめる。
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10時間後、日が上がった後フンセンらはドミナンス01用のマントを回収して砂を払いのけると大きな足跡をつけその場から消えた。