ある王女の罪
初めて投稿します。
「地獄へ堕ちろ!」
最愛の騎士からかけられた彼の最期の言葉を、わたくしは理解できずにいた。
彼は何を言っているのだろう。一年ぶりに会えたというのに。わたくしは貴方に会える喜びに、胸を震わせていたというのに。
彼はその言葉を吐き捨てると、口から血を流して事切れたのだった──。
わたくしは恋をした。
この国を護る騎士団の副団長を務める彼に。
近衛ではなかったので、彼はわたくしの護衛をしてはくれなかったけれど、王宮の守護を任じられる際には姿を垣間見ることもあった。
彼は涼しげな容姿に似合わず、剣技も優れていて、先の御前試合で優勝するほどだった。
その勇姿に、父王から言葉をかけられ騎士の礼をとる姿に、胸が高鳴るのを抑えることはできなかった。
だから、わたくしは父王にねだったのだ。彼との婚姻を。
最初の打診に、彼は身分違いを理由に恐れ多いとやんわり断ったという。
父である王も、周囲もそれを良識ある判断だと受け取った。この話はこれで終わりになるはずだった。
わたくしが、わたくしだけが納得できずに我が儘を言わなければ。
わたくしは彼が身分差故に、王女であるわたくしに遠慮しているのだと、彼を気の毒にさえ思っていた。
わたくしを彼が愛さないなどとは思いもしなかった。
誰からも愛される末の王女として、これまでずっと生きてきたのだから。
わたくしは彼に遠慮してほしくなくて、彼にわたくしの気持ちを伝えたくて、騎士団の彼の執務室に、王宮や王都で警護中の彼のもとを訪ねては、丁寧に話をしたのだ。
彼は紳士的な態度で聞いてくれるのだが、決してうなずいてはくれなくて。
彼の憂いを取り除きたくて、わたくしは父王に、彼へ爵位や領地を与え、わたくしに釣り合うよう身分を整えてあげてほしいと頼んだ。
父王だけでなく、王太子の兄や母である王妃までも難色を示したことに、わたくしは驚いてしまった。
いつだってわたくしのお願いは笑って聞いてくださったのに。
特に兄には、彼は全くそんなことを望んでいないのだと言って、これ以上彼の職務の邪魔をするなと叱られてしまった。
どうして分かってくださらないのだろう。こんなにもわたくしは、彼のことを思っているのに。
兄の命なのか、彼に会えなくなった。彼の執務室にも、彼がいるであろう場所に立ち入ることもできなくなってしまった。
誰に頼んでも、彼に会わせてもらえなかった。どんなにお願いしても「姫様の御為です」と言われてしまう。
彼に会えない日々に、わたくしは何も手につかなくなり、王女に課せられた孤児院への慰問等の慈善活動もおざなりになっていった。
母から王族の女性として苦言を呈されたが、耳に入らなかった。
だって、彼がわたくしの世界なのだ。彼がいなければ何の意味もない。生きていてもしかたがない。
部屋に閉じこもり、何もせず泣いてばかりいるわたくしを哀れに思ったのか、父王が折れた。
周囲の反対を押し切り、彼にわたくしとの婚姻を命じたのだ。
ああ、やっと彼と結ばれるのだと、わたくしは歓喜にうち震えた。
彼もわたくしとの未来を、どんなにか夢見ていたことだろう。
早く、一刻も早く彼に会いたい。顔を見たい。声を聞きたい。この喜びを分かち合いたい。
わたくしは彼の訪れを今か今かと待ちわびた。
けれど、彼がわたくしを訪ねてくることはなかった。
───彼の出奔を知ったのは、五日後のことだった。
わたくしは信じられなかった。彼が逃亡した事実を受け入れられなかった。
誰かがわたくしたちの結婚に反対したため、誰かが邪魔をしたのではないか?
誰かが──わたくしは最後まで王命を下すことに反対していたという兄を疑った。
わたくしは侍女にも護衛にも止められたが、先触れも出さずに兄の執務室へと向かった。
執務室の前の護衛の騎士たちは、わたくしの訪れを当然のように中の兄に伝え、意外なほどすんなりと扉が開かれ中へと通された。
わたくしは大きな執務机の向こうで、冷ややかにわたくしを見る兄を睨み付けながら、思っていることを口にした。
兄は冷ややかな視線を更に険しくして、わたくしに信じられないことを告げたのだった。
彼には将来を約束した許嫁がいたと。すでに結婚の許可も降りていたのに、父王がわたくしのために無理やり反故にしたのだと。
そして、彼はその娘を連れて逃げたのだと───。
何かの間違いだと思った。そうだ、きっと優しい彼はその許嫁だという娘を見捨てられず、その娘の願いを聞き入れて一緒にいるだけに違いない。
しばらくすれば、彼はわたくしの元に帰ってくるだろう。
だってわたくしはこの国の王女で、誰からも──彼にも愛されているのだから。
王命に逆らった罪で、彼らには追手がかかっている。彼も所属している優秀な騎士団が、彼らを見つけることは難しくはないだろう。
わたくしは父王に彼を生かしてくれるように頼んでいた。
無事にわたくしの元へ彼が帰ってきてくれることだけが望みだと。
父王は眉間の皺を深くして、貴族の間からも民からも彼の助命嘆願が寄せられていると話してくれた。
その声は日に日に大きくなり、王家としても無視できないほどだという。
誰よりも強く優しい素敵な彼は、国民に愛されている。
国境の戦での活躍もあり、皆が彼を讃えているのだ。
そんな彼をわたくしは誇らしく思う。
ああ、早く無事な姿を見せて欲しい。早く、早くわたくしの元へ帰ってきて。
わたくしは気付かなかった。彼に罪がないと誰しも思っているということは、では誰に罪があると思われているのかということを──。
母の苦言にも耳を貸さず、慈善活動も何もせず、わたくしは王城の自室から出ることもなく、ただただ彼の帰還の知らせを待っていた。
一年が過ぎようとしていたある日、待ちに待った知らせがわたくしの元に届けられた。
彼が見つかったとの知らせが。
王都に到着するには更に3日もかかると聞き、わたくしは待ち切れずに城門まで迎えに行きたいと、父と兄にお願いした。
この一年で父は窶れ、兄は常にわたくしに冷たかったが、兄も行くことで了承された。
わたくしは彼に会える嬉しさで、周りが全く見えていなかった。
いいえ、わたくしは生まれてから一度も、周りなど見えていなかったのかも知れない。
その日は一年ぶりに彼の目に映る自分が、誰よりも美しくありたいと、念入りに着飾った。
彼の髪色のドレス。彼の瞳の色のジュエリーを合わせて。わたくしは彼の唯一だと誰が見ても分かるように。
もちろん、彼にもわたくしが貴方のものだと一目で分かってもらえるだろう。
城門に到着すると、兄はわたくしの装いを見て不機嫌に眉を寄せたきり何も言わなかった。
しばらくして、騎士団の旗を掲げて騎乗した兵士に前後左右を護られた護送用の武骨な馬車が到着した。
後ろ手に縛られた彼が、二人の兵士に左右から抱えられて馬車から降ろされ、兄の前へと連れてこられた。
いつの間にか集まっていた民たちから悲痛の叫びが上がり、辺りは騒然としていた。
わたくしも駆け寄りたかったのに、護衛たちに阻まれて身動きができずに、ただ彼を見詰めるしかなかった。
いつも優しい微笑みを浮かべていた彼なのに、何の表情もなく、兄の前で頭を垂れた。
兄は苦し気に彼へ、すまなかった、と呟いた。
わたくしはプライドが高く常に王太子然とした兄が、謝罪を口にしたことが信じられなかった。
そもそも何に対して謝罪をしたのだろう。
彼が視線を上げ、兄を見詰め首を左右に振った。兄が更に苦しそうに顔を歪めるのを、わたくしは不思議に思いながら見ていた。
彼が視線をわたくしに向けたのに気付き、わたくしは歓喜に満面の笑みを溢す。
彼の瞳にわたくしが映っている!この瞬間をどれだけ待ちわびたことか。
喜びのあまり、わたくしは言葉が出てこなかった。ああ、話したいことは山のようにあるというのに。何より、わたくしの愛を伝えたいのに。
けれど、次の瞬間、何の感情も乗せていなかった彼の表情が憎悪で染まった。
そして───
「地獄に堕ちろ!」
わたくしに向けられた呪詛のような言葉は、民衆が集まった城門前に響き渡った。
血を吐く彼を、彼の周りにいた騎士たちが抱き起こし、医師を!薬師を!と叫ぶ。民衆も、神よ!と口々に泣き叫び出し、阿鼻叫喚の図と化した。
わたくしは何が起こっているのか、全く理解できずに、護衛たちにその場から連れ出されたのだった。
───彼がわたくしの元へ姿を現すことは、二度となかった。
その日の夕刻、彼の上司でもあった騎士団長が、わたくしに彼のことを報告してくれた。どうしても聞きたくて、父王に泣いて縋ったのだ。
酷く疲労を滲ませながらも、騎士団長は毅然と、あくまでも事務的に報告を始めた。
彼と許嫁だった娘は、彼女の父親の喪が明けたら結婚式を挙げる予定だったこと。
既に一緒に暮らしていたこと。
王都の民はそれを知り祝福していたこと。
王太子殿下夫妻からもお祝いの品が届けられたこと。
国王王妃両陛下からも承認されていたこと。
だが、一方的に国王陛下が承認を取り下げ、末王女との婚姻を命じたこと。
王妃と王太子、貴族院からの再三の諫言も届かず、王命が覆ることはなかったこと。
彼女が何度か王女の手の者に襲われかけたこと。
彼が命に代えても最愛の人を守ると決め、逃亡したこと。
兵士に囲まれ、逃げ切れないと悟った彼が、自ら許嫁を手にかけたこと。
その時、彼女は彼に微笑んだということ。
そして、その身には彼の子を宿していたということ。
その後彼は抵抗せずに捕縛されたこと。
剣や短刀は取り上げたが、口の中に毒薬が仕込まれていたこと。
城門前でそれを噛み、自死したこと。
彼の骸は騎士団が処理し、国王陛下の許しを得た王太子殿下の采配で、既に親族に返されたこと。
わたくしは、その方のお命を脅かすことを命じたことはなかった、と呟くと、騎士団長は、王族に忖度する者は常に存在するのですよ、と皮肉げに仰って目を伏せたのだった。
結局、わたくしは彼に一つも愛されてなどいなかったのだ…。
その後、城門の前での事件は、民衆の口から王都中、国中に広がった。
英雄の騎士に横恋慕した我が儘な王女が、騎士との結婚を願い国王に泣き付き、娘可愛さに愚かにも下した王命により、結婚間近の幸せな恋人同士を引き裂いて二人と小さな命を奪った、愚王と毒王女の話として──
あれから一年もたたずに、父王は退位を迫られ、新たに兄が王位に就いた。
戴冠式でも、わたくしへの周囲の目は厳しいものだった。
貴族の間からは城門でのわたくしの装いは勘違いが過ぎると嘲笑され、民衆からは慈善活動も行わないのに派手に着飾った税金を無駄遣いする馬鹿な王女だと蔑まれた。
もはやこの国に愛された末王女は存在しない。
わたくしの居場所は何処にもなかった。
王となった兄から呼び出されたわたくしは、修道院へ行くよう命じらる。
玉座の兄が、これからは自分の罪に向き合って過ごすようにと、わたくしに告げる。
わたくしも静かに問い返す。
わたくしの罪とは何でしょうか、と。
彼に恋したことでしょうか。
彼との未来を望んだことでしょうか。
兄王は目を眇めながら、わたくしの目を見据え、他者の幸せを、一度も考えたことがないことだ、とお答えになった。
拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。