鬼退治・ロック
「なぁ、そろそろやめにしようぜ」
言いづらそうに、しかしはっきりと言い放つ犬山に、桃川は目を見開いた。
ロックスタジオの中で派手な衣装に身を包む彼らは、ヴィジュアル系バンド『TARO‘S』。
高校時代にガールズバンドを扱ったアニメが流行したことをきっかけに音楽を始め、大学入学と共にバンドを結成。紆余曲折を経て今の和風ロックに落ち着いた彼らは今年で結成十周年を迎えるが、バンドメンバーたちの顔は浮かない。
「コロナ禍でライブ開ける所もなくなってきたし、俺たちもう二十九だろ。そろそろ人生を真剣に考えなきゃいけない歳だから、さ」
「何だよ犬山! お前、今まで遊びで音楽やってったって言うのかよ!」
諭すような口調の犬山に、ドラムスティックを持った猿渡が食ってかかる。もともと衝突することの多い二人だ、本気で喧嘩になったら殴り合いにまで発展するだろう。それを慮ってか木島がキーボードから離れ、必死に猿渡を宥める。それを見やりながら、犬山は続ける。
「『バンドやってる』って正直周りからのウケも悪いし、仕事の合間にやるから正直疲れも溜まるだろう? メイクで肌も荒れるし、上司とか同僚にも興味本位で色々聞かれてうんざりするし。メジャーデビューできそうなほどの腕もないし、『若い時に楽しく音楽をやってた』でもう、十分じゃないのか?」
犬山の言葉を聞いた猿渡が顔を真っ赤にするが、言い返すことはできないのか押し黙る。
大学から音楽を始めた彼らの演奏の腕前は、そう高いものではない。オリジナル曲もどこかで聴いたことのあるようなものばかりで、ぱっとしないことは今までのライブで嫌と言うほどわかっていた。奮起を狙ってYoutubeに拙いMV付きの曲や「○○歌ってみた」動画を投稿してみたものの、チャンネル登録者数は百人にも満たない。それどころか他のもっと上手いバンドや素人の曲を聴き、改めて自分たちのレベルの低さを突きつけられてしまったばかりだ。
自分たちのバンドは世間に通用するほどのものではない。その現実を知ると、否が応でもバンド以外のことを優先しなければならなくなる。就職活動の時は「楽器をやっている」「バンドを結成している」が自己PRの強力な武器となったが、社会人になるとその経験は全く役に立たない。休みだってそう簡単に取れるものではなく、休日出勤の多い木島はもともとパワハラ気味だった上司に「いつまで学生気分でいるのか」と大勢の前で怒鳴られてしまったという。
鬼のような顔をした上司を思い出し、木島はキーボードに目を落とす。最初はただ、歌うのが楽しかった。自分たちで好きな曲を歌い、時にはあれこれ話し合いをしながら曲を作り、自由に音楽をできるのが楽しかった。だが、今はどうだろう。犬山と猿渡が喧嘩をする回数は以前より増えたし、こうやって四人が集まったこと自体が久しぶりだ。コロナ禍であまり練習ができない、と言い訳してきたが本当の理由はそれだけではない。
もう、やめるしかないだろうか。
「わかった。犬山、バンドはとりあえず抜けていいよ」
あっさりと言い放ったのは、それまで沈黙を保っていた桃川だった。淡々と紡がれたその言葉に猿渡も木島も、そして犬山自身も驚いている。だが桃川はそれに臆することなく、手元のギターを握りしめながら話す。
「俺さ、実は中学の時ひどい虐めに遭ってからずっと人間不信だったんだ。学校にも全然行けてなかったけれど、高校でお前たちと出会えて居場所ができてさ。バンド作って人前で歌えるようになった、って話をしたらばあちゃんが、涙流して喜んでくれたんだ」
桃川の唐突な言葉に、三人は目を見開く。
桃川は整った顔立ちで、それなりに見た目に気を遣えば「雰囲気風イケメン」と言えるぐらいの顔立ちだ。少々コミュニケーション力不足な一面もあったとは思うが、少なくとも今までバンド活動を行っていてそのように重い過去があった話を聞いたことはない。
だが、考えてみれば彼の書く歌詞は暗いものが多かった気がする。渡る世間は鬼ばかり、人はみんな鬼のような心を持っている、それでも心の刀を向いて懸命に立ち向かうしかない……。言葉を失う三人を前に、桃川は続ける。
「俺、お前たちがいなかったらずっとぼっちで、こうやって音楽することもできなかったと思う。だから今まで、お前たちと音楽をやれたのが楽しかったよ。お前の言う通り、本当はそれで満足するべきだと思う。でも俺はその時の気持ちを支えに生きてるから、どうしても音楽を手放したくないんだ。だけどそれが犬山にとって苦しいなら、別に抜けても構わない。バンドメンバー同士でギスギスしたら音楽も良くならないし、辛いからさ」
寂しげにギターへ一度目を向けると、桃川は猿渡と木島に話しかける。
「他のみんなも、抜けたいなら素直に言って欲しい。別に解散して、すっぱり音楽を断ち切らなくてもいいと思うんだ。何十年も後になって再結成するバンドとか、珍しくないだろ? だからさ、俺はお前たちが楽しくやっていける方でいい。いつかジジイになってまた笑い合えたら、それでいいと思うんだ」
桃川は静かに、幼子に語りかけるようにメンバー三人を見渡す。いや、落ち着いているのは声だけだ。ギターのネックを握るその手は、かすかに震えている。
「『渡る世間は鬼ばかり』は誤用だよ。本当は『渡る世間に鬼はなし』が正しいんだ」
かつて自分たちのオリジナルソングを作る際、歌詞を提案した桃川に犬山が得意げにそう語ったことがある。世間はそう厳しい人ばかりではない、優しい人もたくさんいる。そうなんだ、と素直に感心した木島と「そんなことねぇだろ」とクールに返した猿渡を桃川は優しく見守っていた。
諺として正しいのが「鬼はなし」の方だとしても、実際の世の中は鬼かそれ以上に辛く当たる人間の方が多い。三十路を手前にして曲がりも何も生きてきた自分たちは、それを十分わかっている。けれど、それに立ち向かう時に力をくれたのは何だったのか。今までもこれからも鬼と戦っていくのには、何が必要なのか。犬山が目を落とすと、そこにはベースがある。今までTARO’Sの一員としてずっと使い続けてきた、決して高級ではないベース。しかし今の犬山にとって、それは一番必要なものであるように感じられた。見渡せば猿渡はドラムを、木島はキーボードをそれぞれ見つめている。
みんな、同じ気持ちだ。自分たちが今まで、鬼に立ち向かうために必要としてきたもの。そして、これからも戦うための武器となるもの。それが今、全てここにある。
「そんなこと言われて、やめられるかよ」
犬山は投げ捨てるようにそう口にすると、ベースを構える。それに答えるように猿渡はドラムスティックを、木島はキーボードに指を乗せる。桃川は一瞬、驚いたような表情を見せるがすぐ三人に微笑み返し、自らもギターを抱えてみせる。
「それじゃあ俺たちの曲、『鬼ヶ島』から行こうか」
桃川の言葉に三人が頷く。
ありきたりだが、華やかなイントロがスタジオに響き渡った。




