表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

5 「歴史が始まる」

 古き者は退場し。

 新しき者が参戦する。

 統暦0年は、どこへ向かおうとしているのか。

                    ー*ー

 「はっ」

 私は、力が抜けて倒れそうになる身体を、壁に持たせかけました。

 「どうした、流羅ルイラ?」

 私がまた、私の意に反して「避けがたい未来を見た」ことを察して、数真さんがグルコースの注射液を差し出してくれました。

 「アカネさんが!危ない!です!」

 私が意識的に発動をコントロールすることができず、無意識により発動させられる「絶対未来視」の魔法。生まれつき保有することができない魔力を得るために強制的に魔力に変換される大量のカロリーを補って。

 「松良あかねが?」

 …ここで、こうしている時間も惜しいです。確か、見えた未来の中で、講堂の時計の表示時間は、後5分…!

 「2人組!それに、おそらく魔法です!撃たれます!」

 「テロリスト、か…?

 とにかく、今、2世界の融和の最前線にいる松良あかねが暗殺されれば、融合世界での主導権を巡り2つの世界の間で戦争が起こるぞ!」

 …そうなったら、いえ、アカネさんが死んでしまうだけでも、私は、悲しいのです。

 「急ぎましょう!」


                     ー*ー

 松良あかねが、話を終えたその時。

 聴衆が、一斉に、真上を向いた。

 別に、そこに何かあるわけではない。ただ、天井から1枚、コインが吊るされているだけ。でも、誰もが、その何の変哲もなさそうなコインに目をくぎ付けにされてしまっている。

 VRを使って全世界に中継していたカメラとマイクが、シャラシャラと錫杖の音を浴びて、サラサラと灰になり崩れ落ちる。

 コイン以外には何の注意も払えなくなってしまった観衆の間を、少年と少女が壇上へと走り抜けていく。

 「アカネさん、伏せてっ!」

 声とともに、扉が吹き飛び、壇上の少年少女めがけて、機関銃弾幕が奔った。

 少女が、傘を開く。

 唐草模様を含む同心円が回転を始め、翠の光が傘の表面で輝き、そして、銃弾が空中で静止し、真っ赤に輝き、爆発音を発して蒸発した。

 それでも、聴衆の注目は、コインから離れない。そして、警備員も警報も反応しない。

 「くっ、すごい魔力だ…」

 扉から出て来るなり、亜森連人は呟いた。

 「これだけの魔力があれば!

 『魔王』を名乗れるだけの!力です!」

 「待て流羅、連人。

 もう一人、男のほうも、かなりの実力者だぞ。」

 何であれ。

 今の亜森家に、松良あかねを失うという選択肢などない。ここまで深くかかわってきた人物を殺されて笑っていられるほど、彼らは冷たくない。

 みすみす、2人組のテロリストをほっておくわけにはいかなかった。

 「…邪魔者も、消すしかない、か。」

 「ケミスタ、やはり最初から、建物ごと吹き飛ばしたほうが良かったのでは?」

 「それは、万が一いなかった場合のことを考えなくていい今だから言えることだろ、ソーシア。」

 2人組の目が、殺意で満ちる。

 一触即発の雰囲気。

 「なるほど、君たちの目的は、これだったか。」

 カツカツと靴音を響かせ、第三の闖入者は、朗らかに呟いた。

 「朝本陸将、何を…」

 白髪を撫でる彼ー朝本覚治退役陸将を、亜森数真はにらみつけた。

 「そうそう、怒らないでくれ。

 昔の亜森君は、本官に似て、持っているチャンスはすべて生かす機会主義者だったはずだ。

 いつ、情が芽生えたのかな?最初に松良あかね君に接触した時の君の目的は、しょせん、君自身が異世界とこの世界を再びつなげるために利用しよう、ただそれだけだったはずだ。」

 聴衆席の奥の扉から、演壇のある舞台の方へ。確かな貫録を伴い、彼は降りてくる。

 「朝本閣下、あなたにも、人の心があるはずだ。

 それでも、なお!?」

 「かつて、君と出会ったころの本官ならば、あるいは、な。」

 2人の迫力に気おされ、ケミスタとソーシアでさえ、立ち止まり、ただ、聞き耳を立てていた。

 「しかし、まあ、長いこと宮仕えしてきてね。

 異世界から日本への侵略を防げ、なんていう因果な部局だ。考えることは無限にあったよ。そして、情を排するべき時の存在も。

 EB社が行おうとしているのは、国家中心の国際構造から、企業中心の国際構造へのシフトだ。2つの世界の国家間の外交においてEB社ーヒナセラが仲介をし続ける今の状況を許容すれば、この世界の国家の威光は薄まってしまう。そうなれば、東方辺境諸国を含めれば国家数で勝る異世界側では、地球世界の利益代表は国家ではなく企業体だと思うことになるだろう。

 ただでさえ、日本国の発祥には異世界が関わっていると言うことで、日本国国体の権威は薄れている。この上で国家主権の権威を損なわせるようなことはまかりならない。

 さらに、だ。

 東方辺境諸国は、すべて、極東にある。そして、ヒナセラを始めとした百に迫る国が、日本の領土領海の上だ。

 このまま世界の融合が進めば。

 日本国は、それら都市国家を存立させるために領土領海のかなりを地球世界ではなく異世界に譲り、異世界国家のものとしなければならなくなる。その時、日本国の本領は、虫食いとなって、まともに残らない。

 日本国を日本国としてきちんと存続させるためには、日本国は、東方辺境諸国を承認せず、それどころか異世界国家じたいを否定しなければならない。その時、異世界国家と太いパイプを持つキミたちの存在はね、邪魔なんだ。

 君たちEB社を通し、東方辺境諸国に、自らの国をあきらめてもらうように説得する…それも、できそうにはなかった。君たちは我が強いからね。

 未来から来たという少年少女が接触してきた時、本官は思ったよ。

 ちまちまねちねちと行動に干渉し、方向性を変えさせ、下の世代により日本と世界がゆがまないようにする今までのやり方。それは確かに、ここまでうまく、日本に国益をもたらしてきた…異世界とこの世界の関係性において、常に日本に一番乗りをもたらし、バスに乗り遅れないようにしてくれるという意味、でね。

 しかし、本官にも、疲れることくらいある。

 退役して、世論に影響を与える評論家としてまた自衛隊の異世界課の相談役として活動し続けるのより。

 もし、手に入れたジョーカーを切ったら、どうなるのか、と。」

 松良あかねを止めるより、松良あかねを殺させる方が、老いたる朝本覚治にとっては、楽に思われたのだ。

 「…それは、機会を生かしているわけじゃない。

 今の閣下は、ただの、強い新参者に取り入って時流に乗りたい日和見主義者だ。

 例え、EB社のつなぐ世界が結果的に日本国を崩壊させるにしろ。

 …はっ、僕は、大事な人と、大事な人の大事な人のためなら、一度は、日本どころか世界を滅ぼす『魔王』になることも躊躇しなかった人間ですよ?」

 「…御託はいい。

 殺れ、ハクラン君、テフェルン君。」

 その一言で、2人は我に返り。

 閉じ傘を強く握り、振った。

 致死の腐敗毒を含む銃弾と、致死の発狂魔術を含む銃弾。それが、松良あかねの額に迫りー

 ーそして、空中で、静止した。

 「この子たちの、未来の世界のすべてのために、私を倒したい、その想いは、痛く伝わってきた。

 だけど、朝本退役陸将、あなたはー

 ーダメ、絶対、ダメだよ。」

 「ん、な…」

 ケミスタも、ソーシアも、絶句したー1700年以上もの技術・魔術の差があるにもかかわらず、触れるだけでも千人を殺せる銃弾を、左手を払うだけで松良あかねは弾き落としてしまったからだ。

 「私を作り使うのに手を貸したことを、まだ恨んでいるのか?そう聞かれたら、私はいいえと応える。だって、自衛隊が伊達大作に出していた資金のおかげで、今の私たちがいる。

 …だけど、私は、ね?

 『天地の定めをないがしろにする禁忌』よ、万象の生死を我に。」

 「あっ、ああっ…」

 朝本覚治は、ミイラの様にしなびていく手で、天を仰いだ。

 「松良あかね、お前が、お前たちの幸せを捨てて世界のためになるのではなく、お前たちの幸せのために世界を捨てるのなら…

 …本官は、最後ではないぞ…っ」

 そして、全身をミイラにし、朝本覚治は死に絶えた。

 「…そうなった場合、ね?

 私は、私の先生と違って、未来のために撃たれてあげたりは、しない。

 私の大切な人たちの幸せな未来に私の死が必要なのなら撃たれても仕方がないけれど、漠然とした『全世界』の未来のためになんか、絶対に、撃たれてあげない。

 あなたたちは?」


                    ―*―

 「…その力は、いったい…」

 心当たりが、あり過ぎる。そう亜森数真が思った矢先。

 松良あかねは、羽織っていたコートを脱ぎ捨てた。

 今なおJK時代の無邪気なおしとやかさを保ちつつも色気の乗る肢体。それを守っていたのは、ただのブラウスとスカートではなく。

 いつか、亜森数真も羽織ることになった、「魔王」テライズ・アモリのマント。組み合わせることで存在する通常魔法すべてを再現できるだけの数の小さな魔法陣が編み込まれたそれが、ワンピースとなって、無数の回転魔法陣で彼女を彩っていた。

 「玉瀬ちゃん…もう一人の私からの、最後の贈り物だよ。」

 「タ、タマセ…?」

 「そう。

 玉瀬くらな。私が、捨てざるを得なかった、私の分身。

 …心当たりが、あるの?」

 「私たちをこの時代へと連れてきてくれたのが、その、タマセ様です。」

 クラナ・タマセは、巡洋戦艦「穂高」搭載のミロクシステムが観測理論的実在効果を以てして17の頃の松良あかねにそっくりな実体を生み出している、いわば「触りあえる立体映像」のようなもの(実際に、「極度にリアルで、誰も虚像と思わないような、五感を持つ立体映像を生み出すことにより、その立体映像が自らでも外部の他者にも実物と区別できないことで実体と化しているのだが)であることを念頭に置くのならば、それは、スコルズビフィヨルドに消えた「穂高」が未来において復活することを意味する。それだけは、純粋に喜べた。

 「そっか…

 …それで、だとしたら、私を殺しに来たのは、玉瀬ちゃんの差し金?いくら未来人でも私たちをだましきれるわけないし。」

 「…そうだ。

 俺たちの時代、世界は魔術を信奉する勢力と科学技術を信奉する勢力で1700年以上戦争を続けている。そして、そのどちらの勢力にも加担することで戦争を裏から助長してきたのが、『ミロクシステム』…だから、俺は、茶番の戦争を起こさせないために、ミロクシステムを破壊しに来た。」

 「貴女が、『ミロクシステム』の創始者であると。

 分身体であるクラナ・タマセは今年の9月に死に、700年後に復活させられるまでなんの権限もなかったと。

 …つまり、それ以降に貴女が暴走したとしか思われないのです。」

 「俺たちの世界の人間は全員、ミロクシステムを名乗るネットワーク知性の構成因子であるナノマシンに感染している。だけど、ざっと調べた限り、体内に微小金属を入れて脳に干渉している人間は、この時代ではお前だけだった。

 すべての元凶が、松良あかね、お前であることは確実だ。だから、お前をここで殺し」

 「「歴史を変える!」」

 ケミスタとソーシアは、決然として、傘を構えた。

 「あなたたちが、そのつもりなら。

 私だって、タダで殺されるわけにはいかない。」

 松良あかねは、マントを翻し、堂々と正対する。

 「私には、未だ1つになり切れてないこの世界を、まとめ上げないといけない。

 そういうことなら、かかってくればいい。

 だけど…

 私、誓って、そんなことはしないよ。」

 松良あかねとて、作られて、意思を奪われた経験を持つ。

 伊達大作の、人体とインターネットを物理的につなげ、全人類を1つの超知性として進化させる「ホモ・アーキフィキアリス」という理念に対し、その実験機のような存在でありつつも嫌悪感を今でも示し続けている。

 …ナノマシンネットワークを構築し全人類を操り戦争を1700年も行わせるなど、絶対にありえない、彼女はそう思い、怒った。

 「信じられるものですか!」

 しかし、そんな事情、ソーシアにしてみれば知りようもない。

 翠の刃が、空気の分子を消し去りながら松良あかねめがけて迫りくる。

 「ー空間断裂と認識ー

 ー防御不可能と分析ー

 ー対抗空間断裂を生成ー」

 当たり前のことだが、「想像により人体を実体化させる」ようなことができるミロクシステムには、「想像により空間をぶった切る」ことだって可能である。

 翠の膜と翠の刃が交錯し、薄れて消える。

 ー「あかねっ、大丈夫か!」ー

 その時、松良あかねの脳内に、声が響いた。VR空間を通じ、愛夫である松良優生からの連絡があったのである。

 ー大丈夫!だけどちょっと困ったことになってるー

 ー「全然大丈夫じゃない。

 あかね、とりあえず退け。退かせろ。」ー

 ーだけど…

 うん、そうだよね、わかってるから。ただ、説得できるかな…ー

 ケミスタの傘の石突きから放たれる無数の固体化空気弾を、無数の魔法を駆使してなんとか迎撃しながら。

 松良あかねは、遠回しに「無理」と言った。

 ーまあ説得は難しそうだ。でも…ー

 「…まあ、そうだよね…」

 別に、好き好んで、未来からの救世主を始末したいわけでもない。

 魔術でできたギロチンを、魔法で発火、蒸発させて。

 反物質を封入したアンプルでできた銃弾を、「生死を操る魔法」で半減期寿命に至らしめて反物質を消し。

 松良あかねは必死に防戦しつつ、呼びかけた。

 「そこの、さっき、私たち全員にケンカを売った人。

 その人、軍の高官なの。」

 退役しているが、ミイラとなって死んでいる朝本覚治が自衛隊の重要人物であることには違いがない。

 「だから、ここで戦ってると私たち暗殺犯と思われて日本を、世界を敵に回すよ!」

 その一言で、天井裏にいたイルジンスクは大きく舌打ちした。

 松良あかねがこの時代どのような人物であるかは把握済み。…メディアに大きな影響力を持つ彼女は、自分が暗殺現場に居合わせて戦っていた一方だと知られれば、「私たち」全員ではなく「戦っていた私たちの中の、敵側の人間」に罪を擦り付けかねない。そしてその場合、最悪、この時代全てを敵に回す。

 慌てて飛び降りる。

 「おいケミスタ、ソーシア嬢、手打ちだ。

 お前らが世界に敵と認識されたら、どっかでお前ら勢い余って世界を滅ぼしちまう。歴史を変えに来た意味がねえ。」

 「ちっ…確かに、救いに来た過去世界と戦うのは問題外か。」

 「ですね…

 いいでしょう、場所を移しましょう。

 クララ、後片付けを!」

 「ほいよー。」

 講堂の梁の上からピンクの光の粉が舞い降り、朝本覚治の遺体がジュッと音を立て、煙となって吹き去られた。


                    ―*―

西暦2063年/神歴2723年12月26日

 急遽、予定を開けて。

 日生楽市のElectric・Bioグループ旧本社ビルで、松良あかねは事情に詳しい知り合いを集め、ケミスタ・ハクランたちと対面することになった。

 日生楽市は、異世界にて多大な影響力を持ち消滅させるわけにいかない都市国家「ヒナセラ自治政庁」と位置が被るがために、いずれ日本にも到達するであろう2世界融合においてヒナセラに土地を譲ることに備えて全域退去命令が出されている(世界中のあちこちで見られる光景である)。

 「まず、そちらの事情をあらためて。

 遠い未来、魔術と技術で割れてしまった世界から、全人類に感染して両方の勢力に肩入れし戦争を続けさせている『ミロクシステム』を名乗るナノマシンネットワークの元凶をつぶすために、ミロクシステム始祖である私を倒しに来た、であってる?

 それと、何年未来から来たの?」

 「あっています。

 時代は、統暦1735年。」

 「統暦紀元…って西暦で何年?」

 「わからん。ただ、この時代なのは確かだ。

 紀元0年代の出来事の記録は、デジタル媒体の再生形式が非時間従応のせいで散逸してるからな。」

 現代人側は遠い目をしたークラウドなどにとってかわられて等しいDVDやUSBがデバイスの世代が新しくなりすぎて再生できなくなる問題はすでに顕在化していて、機器が変わっても媒体を再生できるように情報保存の統一スタイルが作られてはいるが、100年後、1000年後の歴史家が今のデジタル情報を読めるかと言えばおそらく否である。

 「…でも、この世界と異世界の2つに分かれていたりはしないんだよね?」

 「はい、ですからかなり驚きました。」

 「…あかね、ふと思ったが、暦が変わるなんてよっぽどのことだ。

 世界宗教の教祖の出現とかがいい例だが、後は…」

 国家の創設、あるいは。

 「2つの世界の相互融合なら、新世界に於ける暦を創り出すに充分値する。660年分のズレがあるものを使い続けるのは無理があるって、今ですら新暦法の話は出てるからな。」

 「そうだね。

 そう考えると、統暦0年は、世界の融合が始まった、今年…ってことになるよね。」

 未来人側は感慨深そうな目をした(それに、どうして世界が魔術陣営と技術陣営に分かれた年を以て「統」暦紀元0年としたのか長い間謎に包まれてきたが、それまで世界が地球世界と異世界の2つに物理的に分かれていたものが「統一」されたからだ、とやっと解明された)。

 「やはり、私たちに語り伝えられる、『魔法』を『魔術』に変えた『女神』は…」

 ソーシアが、あかねを指さす。

 「…だと思う。

 今まで異世界では、『魔法』は、『魔力で同心円の間に文字を書いたモノを作れば事象に変化が起きる』以上の理解がされてこなかった。

 それを、私たちミロクシステムは、『そう誰もが思っているからこそ、魔法により世界をいじることができるように世界の在り方が構成されて、そのおかげで魔力という実在しない幻想で事象を改竄することができる』と、観測理論を交えて理解できた。

 自分たちの無意識下の『魔法は存在する』という思い込みがメカニズムの根底と判明したことは、『魔法』を『魔術』と言い換えるにふさわしいパラダイムシフトに間違いない。

 私たちは、歴史の転換点、歴史の始まりにいるんだね…」

 「…その対比で行くと、俺たちの側では、その女神とやらが人々をそそのかして堕落させ、技術文明を崩壊させようとさせたことになってるんだが?」

 ケミスタが、純然たる科学技術の産物であるあかねを見つめて尋ねる。

 「1700年もあれば、歴史なんていくらでも変わる。

 あかねちゃんが実際やったのはおそらく、魔術の原理の発表と、それによって文明が揺らぐ懸念の表明…くらいなものでしょうね。それを、それぞれの思想の根底において、勝手な評価を下し、そしてデマとプロパガンダの末に歴史は歪められた…と言った所かしら。

 まあ、両陣営の逸話、精神的支柱が同じところにあり同じルーツと考えられることからすれば、お互いに意識しているというだけではなく、根っこにいる黒幕が描いた偽神話カノンを翻案したモノでしかないのね。」

 峰山武は、コツコツと指先で机をたたき続けてにべもない。

 「私としても、あかねちゃんが暴走して世界を2勢力に割る戦争を始めるなんてありえない、そう、保証できるわ。

 もし、あかねちゃんがそんなことをするのなら、私は、全てをなげうって、あかねちゃんを殺して私も死ぬ。」

 「私も、お兄ちゃんも、そうだと思います。

 あかねお姉さまが如何なる存在かはわかって、その上で、私たちはあかねお姉さまと支えあい歩いてきました。

 あんまり、馬鹿にしないでいただけますか?」

 木戸優歌も、そう言って睨み返す。

 「やー、でもさ?

 タマセちゃんって、そこのあかねさんの分身?みたいな知性体なんだよねー。ってことはさ、周りの人の推測より、本人の推測のほうが頼りになるんじゃないかなー。

 それで、そのご本人の分身は、私たちに、過去の本体の暴走を止めて来いって言ったんだよねー。」

 「それについては、あたしはちょっと違うなって思う。だよね?大志っち。」

 「ああ。

 タマセさんは、まるで僕らが入部したころの松良会長だった。人間としての『松良あかね』のデータが途切れてるんだから、それも無理はない。

 だけど、松良会長は、優生社長のおかげで道具でなくなり、峰山先輩のおかげで自由を知って、僕らで出会いと別れを経験して、そして、15年頑張ってきた。

 驚くほど、時間がそこだけ止まってるんじゃってほどきれいなままだったけど」

 その一言の瞬間、太田友子は机の下で思い切り夫の足を踏みつけた。

 「うぐっ…

 …とにかく!

 松良会長は、大人になった。

 いろんな人と出会って、縁を、人を、僕たちと僕たちのいる世界を…

 失礼な言い方、もう、無邪気な子供じゃないんだ。」

 「だから、15年ものブランクまで、人口智脳と言えども読み切れるわけねえ…ってか?」

 いつも通りイルジンスクの口調は極度に軽い…が、それは、核心をつく鋭い舌鋒にエリートとしてのプライドを載せることで格上の大物に舐められまいとする、舌先の戦争で。

 「でもな、それくらい考えてねえとは思えねえ。

 いくら1700年前、型落ちの人工智脳とは言え、『人心は機械では読み切れません』なんて瞑想オタクみたいな言い訳は許されねえ。」

 「いや、待て。

 俺には1つだけ、心当たりがある。」

 「心当たり?」

 全員からの「言え」という無言の圧力を受け、松良優生は、あからさまにイヤそうな顔をした。

 「…言わなきゃダメか?

 …ダメか。

 俺は、クラナ・タマセに頼んだんだよ。

 クラナ・タマセのメンタルは、『穂高』が作られたころのあかねに依拠する。もちろん本人もあきらめているしそんな次元にいやしないが、それでもなお、放っておいては後が怖い。

 だからまあ…

 …言わなきゃダメか?」

 ジー…

 「…やっぱり言わなきゃなのか…

 言ったんだよ。『俺は二股する気もあかねに嫉妬させる気もましてや浮気する気もない。だから、俺に対する気持ちは、すっぱり、削除してくれ』って。」

 ひたすら、全員からの視線が突き刺さるー現代人も未来人も「ないわー」と、ドン引きせんばかりだった。

 「あ、あいかわらず、優生君の愛、重いよね…」

 「…いやそりゃ、確かに、女心のわかってない頼みだと思うけどさ…

 …でも、根底のメンタルが同じなんだから、俺にとっては現実的な問題だったんだよ。そしてそれは、彼女にとってもそうだった。」

 誰かが、「えっ」と呟き。

 あかねは、はっと、顔を歪ませた。

 「もしかして、玉瀬ちゃん…もう一人の私は、『もうしたよ』って、言わなかった?」

 もし、自分のほうが分身だったら。

 もし、分身として、その時点ですでに戦場に消える覚悟だったのなら。

 自分が欲しいその席「優生君のとなり」が、オリジナルの分だけで分身の自分にまではなかったとしたら。

 松良あかね(ミロクシステム)の抜群のシミュレーション性能など、使う必要すらない。

 ーその気持ちのファイルを、上書きですらなく、完全に削除して。

 「ああ、そう言われたよ。

 『今はただのコピーデータとわかってても、いずれ、そのデータは解凍されてホントの恋心になるかもわからない。そうなる前に、消しておかないと、私もみんなもかわいそう。』ってな。

 さもありなん…と、クラナ・タマセをもっともよく知る太田玲奈は深くうなずいた。

 「…つまり、何?

 タマセさんには、『最愛の人への愛情』が、すっぽりと欠落していた…?」

 ソーシア・テフェルンは、呆然と呟いた。

 ソーシアは、戦場で出会ったライバルへの奇妙な信頼に始まり、そして、愛情を抱くまでになり、時間を超えた冒険をしてきた。

 だから、わかってしまう。

 「そのファクターがないのは、致命的だ…

 …待て待て、愛情、恋愛感情…そのデータを持っていなくても、定義くらいは辞書化してアーカイヴしてるはずだ。そうしたら、『もし自分のオリジナルが自分と異なり恋心を持っていたら』ってエミュレートするくらいは…」

 「ケミスタ、私なら、そんなことは考えたくない。

 自分が、別の人のために忘れることにした恋心。それを、その他人が恋を成就させていることを前提に想定してその未来を予測するだなんて。」

 ソーシアは、はっきりと、口にする。

 ーこれで、明らかになった。

 人間にとって、恋情や愛情が如何に心理的作用への多大な影響をもたらすのか、今さら述べるまでもない。それを計算に入れずに「松良あかねは、例えば最愛の夫の死などにより、暴走するかもしれない」としたクラナ・タマセの推測は、ガバガバだったのである。

 「…ソーシア。

 考え直そう。

 俺たちは、大きな勘違いをしているのかもしれない。」

 「…そうですね…

 …でも、貴女がたの疑いが、完全に晴れたわけではありませんから。

 もし、調べなおして、貴女がたが未来を陥れるとの確証が得られた場合、」

 ソーシアは、傘をまっすぐあかねに突き付けた。

 「それでもし、その確証とやらにエビデンスが足りなかった場合、」

 あかねは、新たな「魔王」として、魔法陣だらけの黒いマントを翻し、手招きをして見せた。

 「「その時が、白黒つける時!!」」


                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月5日

 決着は、結論は、先延ばしにされた。

 しかし、ケミスタたちに、うかうかしている暇はない。

 いつ、未来にて世界を大戦へと陥れ続けていたナノマシンネットワークが感染爆発パンデミックを起こして全人類を支配下に組み込むかしれないのだ。

 今にも、ナノマシンはどこかの誰かの中に入り込み、その脳波に干渉し始めているかもしれない…そう考えるだけで、焦りは募る。

 おまけに、バックアップしてくれていた朝本覚治が死んだことで、後ろ盾を失って…今、敵に情けをかけられてEB社社員寮にいる状況が、彼らのプライドも刺激した。

 「とにかく、この時代に、タネはあるはずだ。

 アカネ・マツラが、そのタネだと思っていたが…」

 「なんか偉そうにしていたけれど、実際のところ、彼女がいくら『魔王』を名乗ったところで、身に着けている魔法が古いからには、戦闘能力はせいぜい尉官クラス。戦闘経験も加味すれば、魔女師の留年生にだって負けると思います。」

 「…ただ、それは、今の状態の話だな。

 あんなでも人工智脳だ。

 戦闘経験はラーニングできるし、魔法だって最適化していく。弱いのは今だけだ。

 それに、この時代にはまだ、量子位置固定機が存在しねえ。」

 「人々の魔術と世界に対する理解も、浅すぎるんだよねー。

 それに、私たちの使った力も、はるかに強く使えるしー。」

 それは、魔術や技術の話ではない。 

 そもそも、どうやって、彼らは1700年をさかのぼったかー全人類がどちらかに対し「何ができてもおかしくないくらいにすごい伝説の存在」と思っているがために実際に全人類の無意識がその通りに世界を改竄して強大な事象改竄力を与えてしまっている存在2つに頼ってきたのである。

 問題は、その2つの存在「伝説の不沈艦(穂高)」「伝説の魔術少女(クラナ・タマセ)」はどちらもこの時代では少し前まで現役であり、従って人々のそれらを信じる無意識ははるかに強くなって「ミロクシステム」に帰属する…というところ。

 「おまけに、『魔王』と来ています。それに対するイメージは恐怖と畏怖に彩られ…

 …3つの伝説の力が、極めて人々に強い印象を持たせたばかりの状況で、アカネ・マツラのミロクシステムに収束しています。

 今は、何も明かされていないから、それが実際の効果を持つことはないけれど。

 ミロクシステムに対抗できるような巨大知性も、観測型の事象改竄対抗装置も存在しない以上。

 潜在的なアカネ・マツラの事象改竄能力は、残り全人類の無意識による事象固定力を完全に覆すに足るものでしょう。」

 「…彼女がそう望めば、物理法則が書き換わり、世界が裏返って、文明が消滅する…そういうことか。」

 どうして、この世界はかくのごとき世界なのか?ー

 ー自分が存在しない世界は、自分にとってないも同じ。ならば、世界が自分が「こうである」と見ているようにあるのは、「こうである」と見た自分には「こうでない」世界の存在は意味をなさないことになるからだ。

 その人がいる世界は、その人が自分の知性により「観測」することで初めて、存在に意味を成して実在が保証される。

 ならば、どうして、知性で以て好きなように世界を「観測」して実在する世界をその通り実在させることができないのか?ー

 ー人間の無意識は、意識よりずっと大きく強い。

 意識で「こうであれ」と考えたところで、無意識の「物理法則に反してこうなるはずがない」という物理法則固定方向の事象改竄力はそれをはるかに超越している。魔法のみは、誰もが心の底からその能力を信じることでその例外となり得ていたが。

 ところが、どっこい。

 松良あかねは、自分の神経が金属電子回路であることを利用してコンピューターと自分の思考回路を物理的につなぐことができる。これにより、コンピューターを脳の延長として使うだけでなく、脳をコンピューターの一部として使うことができるようになっていた。

 松良あかねには、コンピューターファイルとして自らの無意識領域を凍結し、脳の延長として全世界のコンピューターを意識領域に追加できる。その事象改竄力は、全人類の無意識下事象固定力を圧倒しかねない。

 「本気を出せば、世界は跡形もなく崩壊する。

 そう考えると、だ。

 暴走して、世界を戦乱の時代へと変えた…本当に、そうか?」

 「ケミスタ、俺も同意だ。

 アカネ・マツラの如何なる心境の変化が、世界を2つに割る戦争を1700年続けさせるに至ったのか。

 …俺には、暴走というよりはむしろ。

 確固たる目的で、冷徹に、合理的帰結としてそれを実行せざるを得なかった…そう思える。」

 「イ、イルちゃん、そんな、でも…どんな目的があるって言うの!?」

 「わかるかよ。」

 「…でも、私にも。

 彼女の精神構造は理解できました。余計な野心はないけれど、やむを得ずやらざるをえない時はやるタイプです。」

 「選択肢を創り出すことには向いていなくても、選んだ選択肢を実行するのには躊躇がないタイプ、だな。」

 「とすればイルジンスク。

 俺たちは、アカネ・マツラが戦乱への決断をしなくて済むように、むしろ彼女を守らなくてはならないんじゃないか?」

 「かもな…」


                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月7日

 「まあ、アレがロボットだとはいえ、ね。

 精神ショックで死ねるかと思ったよ。」

 椅子に深くもたれて、彼ー朝本覚治退役陸将はほがらかに笑った。

 亜森数真は、人騒がせな陰謀家をにらみつける。

 「そうそう怒ってくれるな。本官と違って、安全装置を外していないだろう?心拍数が上がると回線がアラート落ちしてしまうよ?」

 ここは、ヴァーチャルリアリティで作り上げた、仮想空間上の朝本オフィス。ミロクシステムの手すらも届かない、最高級の隠れ家。

 「閣下は閣下で、日本のために工作なさっていることはわかっていますが…」

 「わかっているのなら、なおさら、異世界国家の存立を許そうだなんて運動はやめてほしいね。

 今、中露韓朝がどう動いているか、君も知らないわけではあるまい?」

 ちっぽけな小島ですら、自国のモノと主張して譲らない国家群。それが、世界融合の結果として、異世界で最も国家数が多い東方辺境と重なるのである。

 「軍隊を動かして、融合が迫ってきたならば東方辺境諸国を滅ぼし自らの側で融合を終わらせる…ですね。」

 「彼らは、平原の1つだって、その空間を異世界側に譲ろうとはしない。それどころか日本海の陸地化も阻止するつもりでいる。

 しかるに、日本はどうだ?このままでは、数十の都市国家に虫食いにされ、ズタズタになってしまう。

 最低でも併合…と、国家上層部も、民衆も、思っている。」

 当たり前だ。いくら言葉を並べても「1年後にあなたの町は異世界国家に存在を上書きされて消滅します」という一言の威力を超えることはできない。そして、東方辺境諸国は都市国家であるために領土縮小要求に応じられないが、日本国はそれら都市国家を存立させるために多くの領土を異世界に譲り渡さねばならず、一方的な譲歩となってしまう。

 愛国者団体や土地を失う者たちを中心に、ほぼすべての日本国民が、今や朝本覚治の味方だった。

 「…知ったこっちゃないですよ。

 本来僕は、ここで、お互いにお互いの事情を理解して譲りあえる、そんな相互理解と相互調和を2つの世界にかけたかった。

 充分な準備で、お互いがお互いの世界を受け入れられるようにして、その上で、いくつもの『門』でお互いの世界に幸せをもたらしたかった。

 …決して、何も準備が終わらないうちに『世界が1つに融合する』など望んでいたわけではなくても、いまさら方針を翻すつもりはない。」

 「…まあ、そうだろうね。

 本官も、極東から大戦争を勃発させるつもりはない。

 九州戦争から始まった第3次世界大戦は、異世界とこの世界という対立軸を人間とAI、良いAIと悪いAIに変え、そこで終わるべきだ。結末として異世界とこの世界の対立に戻り、そして第4次世界大戦を石とこん棒のみで戦わなければいけなくなるバッドエンド…それは避けなければならないからね。」

 「だから、ここを?

 懐かしの『国民総電子化計画』を?」

 それは、かつて朝本覚治の道具としてミロクシステムへのジャブに使われた末に松良あかねに叩き潰された、「紐づけされたあらゆる電子情報をもとに電脳世界に模擬日本を形成し、そのデータと現実世界との照らし合いによって日本を管理する」システム。

 「アレと同じにしないでほしい。

 野暮な『国民総電子化』は、ただただ、現実時間に連動する日本のシミュレーションに過ぎない。

 そのシミュレート結果を閲覧することは出来ても、シミュレーションに住むことはできない。」

 「…朝本閣下、お分かりでないわけではありませんよね?

 本質的に、フルダイブVRが如何に危険であるか。」

 「その危険性を、本官はあえて前面に押し出したい。

 なに。

 2つに分かれていた世界が1つになってしまうので土地が半減する…ならば、新たな世界を創造すればいい。」

 「それが、どういう意味か!

 五感に接続して、現実世界となんら変わりのない架空世界を体験することの意味を分かったうえでなおしようと!?」

 すでに、VR技術は、「フルダイブ」と呼ばれる分野を可能とするまで発展した。

 人間の脳みそがどのように世界を感知しているかー「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触れる」「味わう」という行為において、神経と脳にどのような反応が起きてどのような電流が流れているのかーということは、生きている人間の脳をニューロンレベル分子レベルで見ることの困難さもあり、2020年代までは解明されたとはお世辞にも言えなかった。何しろ「夢」のメカニズムすらはっきりわからなかったのだ。

 しかし、2030年代、松良あかねー「常にコンピューターと回路同一化された人間」ーが現れた。おかげで、松良あかねにつながれたコンピューターのログをたどれば、何かを人間が感じた時に脳のどこでどう電流が流れたのかを完全に理解できるようになった。

 そこからは、早かった。

 普通の人間はミロクシステムに物理接続できないから、仲介のデバイスが作られ。

 研究でわかった五感のための脳反応どおりに脳に電流を流す/脳に流れている電流を外側から感知して何を見ていて何をしようとしているのか解析するデバイスとプログラムが作られ。

 そして、リアリティある世界を作り出すにはどのようなデータを五感とそれ以外の感覚に送り込み、人体脳での身体への動作命令をヴァーチャルアバターとその世界にどのようにフィードバックすればよいかの知見が集められ。

 2064年現在、フルダイブVR技術は、やろうと思えば、現実世界とまったく遜色ない架空世界に人間を住まわせることができる。

 「フルダイブで現実を置換しようという試みの危険性は…

 …『ゲームを現実と勘違いする恐れ』なんてジョークが、ジョークで済まなくなる。」

 そう、だからこそー

 ー「架空世界が現実世界と区別できない」からこそ、EB社は63年半ば、具体的にはクラナ・タマセと松良あかねが出会って後、フルダイブ型VRの研究を停止し、一切の協力を引き上げ、さらには合法非合法問わず他社他国の妨害に奔走していた。

 「如何に、『現実と同じ精度で知覚される架空世界』がリスキーか。

 内部からは客観的に区別することができない。すなわち、架空世界は架空世界である理由を失うことになる。」

 単純な話、「水槽の脳」なのだ。今生きている自分たちとて、「実は脳を電極でつながれて眠っていて、架空世界で行動しているだけ」という可能性を否定することができない。であればそれが意味するのは、「現実世界」と「一定水準以上の架空世界」は同質の世界でしかない…という事実。

 「その通り。本官も松良君に説明を受けて驚いたものだ。

 …だが、それでこそ、計画は意味を持つ。

 架空世界と現実世界を真の意味で区別できないのならば、ヴァーチャルワールドはもはやヴァーチャルではなく、新たなる世界の創造だ。

 そこに、本官は、新たなる日本国を建国する。」

 「…実のところ、松良あかねは、『もし自分が朝本覚治だったら』についてシミュレートしたうえで、閣下がこうすると見て、僕に止めさせに来たんですが…

 …これが閣下の最期の仕事だと言うのなら、目をつぶります。」

 「ふっ、見抜かれたか。」

 「死に急ぎ過ぎですよ…

 …普段の閣下なら、松良あかねを逆上させて殺されてもいいようにロボットの身代わりを行かせる…なんてせずに、あいまいで遠回しな言い方でのらりくらりと真意をぼかしていますからね。」

 「はっは。

 …余命半年、だ。」

 「…それは。」

 思えば、亜森数真が初めて朝本覚治と出会った24年前、すでに朝本覚治はそこそこの地位を築いていた。そうして、しかもそれから、異世界対策の第一人者として異世界研究と各国への工作という2つの激務をこなし続けてきた。

 「楽隠居しつつ手術…と思っていたのに、この1年のAI戦争であちこち出歩いて手術を先延ばしにしたのがまずくてな。

 だから、本官は人間を辞める。あのロボットは第一歩に過ぎない。」

 「松良あかねがさんざんに嫌がっている、『創られた人ホモ・アーキフィキアリス』への路、ですか?」

 それは、松良あかね(ミロクシステム)が踏み出そうとしない最後の一線。

 「ああ。

 本官は、こんなところで死ぬつもりはない。融合しゆく世界の安定化、そして日本国の安寧が確立されるには、数年でも足りるとは思えないからな。」

 「…『プロジェクト始皇帝』とでも命名します?」

 「いいなそれは。珍しくセンスがあるじゃないか。」

 この場に朝本覚治という人間のアバターがいることが、全ての答え。

 伊達大作の「ホモ・アーキフィキアリス」構想は、人間の神経をコンピューターにつなぎ、デジタル思考回路を人体思考回路へ取り込むことにあった。しかしその技術的成果をフィードバックすれば、逆に人体思考回路をデジタル思考回路へと移すことができるー不老不死の実現だ。

 「もっとも、我々はむしろ、『現人神計画』と呼んでいるがね。」

 同じように、異世界との融合で行き場を失う多くの人々。彼らにヴァーチャルな日本という行き場を与えて、「デジタル化した人間」すなわち新時代のホモ・アーキフィキアリスとなってもらう。そして朝本らはその「新日本」の守護者としてデジタル世界で永遠に生き続ける…

 朝本はそんな、逃げの計画を考えていた。そしてそのために、普通の人間として生まれられなかった松良あかねが超えようとしなかった最後の一線「人間としての生き方を捨てる」ことを選択しようとしていたのだった。

 「…でも。

 閣下の計画が、僕らを脅かしたなら、僕らは、全力でつぶしにかかります。」

 「はっは。

 その時には、いつかの8月15日のように、正義はもはや意味を持たないだろうね。」


                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月13日

 「…ケミスタ。

 気づいていますか?」

 「ああ。

 …事象改竄強度が、わずかに落ちてる。

 もう、始まってるかもしれない。」

 「…でも、松良あかねの周囲に、ナノマシンは見られません。」

 「ナノマシン技術がEB社を中心としていることは確かなんだが…

 …それに、世界中のネットワークと同化できるミロクシステムを以てしてなお、把握できない闇計画は無数にある。」

 「それらのうちの1つではないか、と?だから、クララたちをサンプリングに向かわせたのですか?」

 「そうだ。

 裏で動ける組織なんてたかが知れてる。思想団体政治団体営利団体…伝手、裏ネットワークがある組織の人物が、最初にナノマシンを使うはずだ。

 とりわけ、一番怪しいのが、コレだった。」

 「『護国運動ガーディアンズ』?」

 「出どころのよくわからない、数カ国が所属する愛国団体だ。各国右翼の連帯組織と言い換えてもいい。

 コイツらは、異世界国家によって自国が割を食うことを良しとしない。しかも、各国政府の支援を受けているのは公然の秘密だ。

 「…コイツらは、観測論的効果について知識があり、それを使って、世界の融合で有利に立とうとしている。」

 「『世界の在り方』の固定は、より強く観測されている方になされる。つまり、より観測者が多いの世界が融合時に選択されて残る…ということですね。それで、動員を?」

 「動員だけじゃなく、準知性機械の活用も考えてる組織。そこが、問題だ。」

 STCSのような量子レベルの観測機器も、ミロクシステムのような人間レベルの自立知性もない…そんな状況で、機械にやらせられることは限られている。

 「結局、どこかで、人間の生体脳の助力を得ないと…」

 常に、世界は、知性同士の意識・無意識による観測の結果の最大公約数的なものとして成り立っている。それに対して「では実際、どれくらいの知性と観測力があれば世界の在り方にどれほど変化を及ぼすのか」教えてくれる「メッテイヤ未来俯瞰」「マイトレーヤ事象確定式」について、この時代では全く知見がないが、1700年後には必修事項であり、従って「21世紀の技術で世界融合を好き勝手に操るほどの事象改竄力を機械により得るのは困難であること」はソーシアやケミスタには自明であった。

 2人して、仮想スクリーンを眺めてため息をつく。

 「…そろそろ、帰ってくるか?」

 ソーシアは、頭をケミスタの肩に預け、目をつぶった。

 「そのようですね…何かわかればよいのですが…」

 未来が破滅であることはわかっている。しかし、何がそれを引き起こしたのかがわからないーケミスタは、ひとまず疲れを、彼女の金髪を撫でて癒すことにした。

 「ふあぁ…」

 ケミスタたち西半球同盟の戦い方は、整備した機械兵器でのごり押し。もちろん戦闘中にも各種兵器を取り回すし戦闘しながら兵器のアップデートなんて普通にあるが、それでも、戦闘中に無意識までも操って極限の集中で観測論的に事象の改竄を成さねばならない東半球連合魔術師に比べれば、本番での精神的疲労は少ない。

 「…今くらいは、ゆっくり休め。」

 コテンと、ソーシアの頭が、ケミスタの膝の上へ倒れこむ。金髪がふわり広がった。

 しばらくして、扉がそっと開く。

 「ソーちゃん寝てる?」

 「しーっ。」

 「なんだ、俺たちが出かけてる間、彼女とイチャイチャってか?」

 「よしイルジンスク表出ろ。」

 「いいぜ、でもお姫様を起こさずに俺に挑めるか?ケッケッケ!」

 「つーー!」

 声にならない声をケミスタが上げ…その頭をクララベルがはたいた。

 「それより、本題に入るよー!」

 言いながら、クララベルも、錫杖を揺らして安眠の魔法をソーシアにかけている。魔術師にとって集中力は命。

 「それで、何がわかった?」

 「奴ら、案の定ナノマシンでの計画を立ててやがった。

 これだ。」

 「しかも、市販するつもりでいるみたい。」

 「…潜入して、場合によっては、完膚なきまでにつぶす。それしかないな。」

 イルジンスクが手渡した、「ナショナライズ()ナノマシン()ネットワーク()」計画と表示された仮想スクリーン端末画面を見て、ケミスタは拳を握りしめた。


                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月15日

 護国運動ガーディアンズのアメリカ支部。

 ケミスタ、ソーシア、イルジンスク、クララベルの4名は、全面ガラス張りのオフィスビルの地下3階にやってきていた。

 ケミスタとイルジンスクは光学迷彩蒸着服と疑似4感情報放映機、ソーシアとクララベルは光魔術と感覚干渉魔術で、それぞれに完全に姿を隠す。カメラやマイクの類では、そこには何もいないようにしか映らない。

 タッチパネルに手のひらサイズのチップを触れさせる。それだけで、護国運動ガーディアンズのデータはすべてすっぱ抜かれてしまったーソーシアの魔術は、因果論的な手法で物事を辿り突き止めることができる。そしてケミスタの技術は、電子ネットワークを解析してその意味を数学的に解読する。いくらオフラインにしようがセキュリティを極めようが、意味的なつながりを保有する情報すべてがこのチップから免れ得ないのだ。

 「欠陥だらけのこんな計画!

 よしんばうまくいくかもしれないけど!」

 こめかみを軽く握った右手の人差し指でつつきながら、ソーシアは呟いた。もちろん、4名の同志以外にはその声は聞こえない。

 「排外主義、破滅主義…

 …例え世界の存亡がかかっていたとしても、こんなザルなマシンが流通して…

 もはや感染済みかっ!」

 ケミスタも、心の底から絞り出すようにして叫んだ。 

 「…イルジンスク、ここを爆破する。コインを。」

 「クララ、隠蔽工作を。関係者すべての認識に。」

 ーそして、透明な護国運動ガーディアンズオフィスビルは、わずか4分後、完全に消滅し、その区画まるごと、周囲のビルに一切傷をつけることなく、焼け跡となった。

 

                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月16日

 「これが、問題のナノマシンだ。」

 「ただ、もう、手遅れだと思います。」

 4人は、いっさいの謝罪をせずに、開口一番に、封をした試験管を差し出した。

 ー相手が世界企業の主ならば、こちらも宇宙国家のエリート。お互いのプライドというものもあるし、それに、お互いに賭ける重い想いと信念があってのことだから、かえって謝罪したりするのも失礼な話なのだ。

 松良あかねは、銀色のサラサラが入った容器を透かして見て、「コレが、世界を…?」と疑問符を浮かべる。

 「それで、当然、作り手…『護国運動ガーディアンズ』なのでしょうが、そのデータも入手してきたのですよね?」

 「もちろんだユーカ・キド。」

 イルジンスクは、仮想スクリーンを展開し、ホログラムとして全員に見えるようにした。これは見ようとしている人物の目を識別した上でその人物にとって立体に見えるように目へと光を送信する、1700年後ではすでに枯れ切った、つまり「悪いミロクシステム」ナノマシンが侵入しようとしない技術である。ただ、「対象人物の無意識の眼球運動から画面へ操作したいことを判別してその通りに送信内容を変える」機能については、さすがの松良あかねも瞠目したが。

 そして、示された内容は。

 「…『ナノマシンネットワーク型人工知能による人体脳処理能力と電子機器監視能力の有機的連結により、地球世界国家を世界融合時に存続させ、異世界を消滅させる計画』…

 …言ってることがヤバいのはわかる。が、これのどこが、1735年後まで世界を苦しめる原因になりえるんだ?」

 地球各国の愛国右翼の連帯団体「護国運動ガーディアンズ」のプランは、どこからか漏れてあっという間に世界中へ広まった観測理論的世界仮説に基づいていた(その提唱者(松良あかね)の意思とはまったく対立しているのは皮肉としか言いようがないが)。すなわち、「人工衛星などの優れた監視能力を持つデジタル機器によって得た情報をナノマシン経由で生体脳へ送り込むことで知性に『観測』させ、それによって電子機器監視下の事象をより確定させることで、自らが護りたい国家が属する世界を融合後の世界として固定させる」というシステムの構築が目指されていたのである。

 それ自体は、異世界のすべての人と国家の存立を脅かしているのだから容認できるわけがない。しかし、融合後の世界においてー「自分の国が世界一尊い」と思っている連中の集まりだから連帯が瓦解する運命にあるのはともかくー悪影響を及ぼしたいという悪意のある計画とは思われなかった。

 「優生君、たぶん、問題はココだよ。」

 1文をあかねが指さす。そしてそれにより、松良優生の両目へと送られる光も、あかねが意図するところとあかねの指が重なって見えるように変更される。

 そこには、こうあったー「ナノマシンに、人体の遊離カロリー依存型自己複製機能を付加する。これによりナノマシンは不特定多数にウイルスの様に感染し、その観測能力を借用することができる」。

 「これによって、ナノマシン感染爆発パンデミックが起こりうる、と?」

 「そんなだけじゃないよ優生君。

 あのね。

 ナノマシンの自己複製は、大変に危険なの。」

 「…『グレイ・グー』か?」

 「そう。

 いちおうこのナノマシンは、人体が消費できなかった余剰栄養をエネルギー源及び材料としているから、増殖速度は話にならないほど遅い。ただ、なんとなく、『ああ私たちをモデルにしたんだね』って伝わってくるけど。」

 どこから情報が漏れたのか、ナノマシンのデザインは基本的に「存在しない魔力を得るために体内のカロリーを魔力へ変換する」ルイラ・アモリの体質と「体内に張り巡らされる神経網が金属質電子回路であるために、常人より金属栄養素をはるかに多く摂取して神経へ金属を供給している」松良あかねの体質を参考に、常人でも身体に負担のないようにした…としか思われなかった。

 「だけど、このナノマシンはネットワークによって知性体をなし、その上、自己修復プログラムがある。

 知性は己の往く路を示し、プログラムは複製個体へとコピーされる際や自身を修復する際にコピーミスを起こした結果としてのプログラム突然変異を誘発する危険がある。

 とりわけ、危ないのは、プログラム自体が、1体のナノマシンに書き込める規模ではないためにナノマシン同士のデータリンクで結成するネットワーク網に依存すること。つまり、知性とそれを縛るプログラムが隣り合ってるの。

 ネットワーク知性は、意図的にプログラム突然変異を起こさせて、自らの行動規範を好きなように変えられる可能性が高い。」

 「良く、すぐに気付けたな…」

 「いくら1700年前でも、私たちの使ってるもろもろの発見の始祖だからねー…」

 未来人組とあかね以外は、字面からしてヤバそうだとは理解できても、つまりどういうことなのかいまいちのみこめないでいた。


                    ―*―

 東半球同盟は、ナノマシンをかなり多用する文明であった。だからこそ、ナノマシンについて懸念される「グレイ・グー」についても検討が初期段階でなされていた。

 まず、金属型、非有機的ナノマシンについては、「ナノマシンが自己増殖を繰り返して地球を埋め尽くす」という、「グレイ・グー」原義どおりの事故は起きそうにないと結論づけられた。酸化された金属を還元してナノマシンとして構築するには多大なエネルギーが必要であり、これを自然界に寄生することで得るにも反応回路は複雑でとうていナノマシンごときに収まるわけもない。そもそも、ナノマシンが実際に有機生物である人間に作用したければ人間の体内においてウイルス的/インプラント的挙動を取らなければならないが、有機生物体内の遊離金属分はさほど多いわけでもない…などの理由のためである。

 一方で、炭素回路や炭素繊維を中核とする有機的ナノマシンのリスクははるかに高い。作用対象である有機生物には最初から炭素化合物を思い通りに扱う反応経路が用意されているため、有機ナノマシンの増殖は、まさしくウイルスの様に生体細胞の機能借用によって行われ、エネルギー平衡によってはすべての有機生物を解体してナノマシンへと変換しかねない。

 もちろんのこと、ナノマシンがSF存在であったころから、この手の検討は無数になされてきたし、それらはすべてプログラムで解決できるとして現実性には無限の疑問符が付けられてきた。

 しかし、いざ統暦100年代、ナノマシンが軍用・医療用だけではなく民用として大規模に流通するようになると、思いもかけないトラブルが次々と発生することとなった。その一番のモノが、「ナノマシンネットワークの自己組織化的知性体化」。

 人間の思考回路を成す脳は、突き詰めれば神経細胞のネットワークである。つまり、そのように、「情報処理するネットワーク」は、自然と知性を成す危険性があるのだ。しかもこのネットワークは物理ネットワークとして存在する都合上、ナノマシンそれ自体に搭載されたプログラムに優越する。 そのため、相互ネットワークを保有するようなナノマシンシリーズは、自らを「改修」して人工智脳化し暴走しかねなかった。

 この「自己改修する自己増殖機能の発生」というのは、経験して見なければにわかに信じられないだけに、未来人しか知りえないバグではある。とはいえ、人間の脳シナプス数が数百兆であることから予想がつくように、ネットワーク知性の自己組織化は極めて多数の単位を必要とすることであり、その上いくつもの素人じみたミスの上で初めて起こりえることであって、無数に計画された中の1つで偶然にも発生したならともかく、人類初の大人数ナノマシン計画でいきなり起きてよいことではなかった。


                    ―*―

 「よっぽどずさんでなければ、こんな計画に許可は下りない…何もかもがでたらめな計画だから、ナノマシンネットワークには人間の管理下を脱する余裕がいくらでもある。」

 あまりにも致命的な例外として「悪いミロクシステム」があるとはいえ、基本的に、「人口智脳は常に人間がモニターしコントロールできるようにしておく」だなんて、常識中の常識。しかも、いくらそうなる危険性を知らない人物が設計したにしても、普通なら自己組織化が起きるほどの余地は生まれ得ない。

 「最初は、アホ過ぎてこんなことになっているのかと思った。だけど」

 「護国運動ガーディアンズ研究員にかけられたナノマシンの効果を魔術で解除した際に、精神的なジャミングを確認したのです。そこから…」

 「うん、私にも、だいたいの経緯はわかってきたよ。

 最初の計画はちゃんと、『ナノマシンを感染させることで人間の観測力を拡張、世界融合で有利に立つ』だったんだと思う。 

 だけど、試験投与の際に、ナノマシンネットワークは学習した…人間の脳にネットワークの形式を似せることで、より高度な知性を得られることを。

 そして、自然形成された原始知性は…

 …それで、どうなったの?」

 そう、アカネ・マツラが指摘する通り。

 世界を固定し、統合するナノマシンネットワークが、どうして世界を2つに割ることになるのか、そこがつながらない。

 なまじ実体を持つわけではないだけに、何かショックなことがあって自我が崩壊したとも考えづらい。

 「…でも、あなたたち未来人にとってはどうでもいいかもしれないけど。

 私たちにとっては、この計画は、切実。

 もしかしたら、いやきっと、世界融合において地球世界だけを残らせようとする試みは、亜森先生から私たち、太田君たち、そして連人君や玲奈ちゃん…連綿と頑張り続けてきたのを、全部無駄にしちゃう。

 だから、何らかの手段を取らざるを得なかったんだと思う。

 …ごめんね。あんまり、信頼が得られるやり方じゃないのはわかってるけど、1晩、いろいろ考えさせて。」

 …1晩、か。

 だったら、この1晩で、こちらも、心を決めておかなければ。


                    ―*―

 「あかね、それで実際、何を考えてたんだ?」

 「あはは…そうだよね、優生君には、隠せないよね…

 …あのね。

 未来の話を聞いて、ずっと、腑に落ちなかったのは、どうして『ミロクシステム』を名乗ったかなの。

 『ミロクシステム』は、命名した叔父としても、そして私としても、私のような作られた人ホモ・アーキフィキアリスを物理回路でデジタルコンピューターに接続したモノの総体としてしか定義してないの。

 でも、ナノマシンネットワークは自身のネットワークを模倣生体脳化しているだけであって、別に、誰か一人の特別な人間の脳を延長したわけじゃない。

 同化の性質で私の延長線上に取り込んだのだとしたら私のコピー体を保有するはずで、その場合は行動規範も私に準ずる。

 だけどね。

 やっとわかったの。だからこそ、私に忠実に、ナノマシンネットワークは世界を割ったんだ…って。」

 「…あかねが、そうせざるを得ない展開に追い込まれている、と?」

 「もしかしたら、ナノマシンネットワークの感染状況によっては、ね。」


                    ―*―

 もう、選択肢はない。

 知性として自己組織化できるほどに勢力を拡大させたナノマシンネットワークは、世界のためには放置できないけれど、一方でいくら私でもそんな正気度低いものを100億を超える全人類から取り出すなんて技術力はないし、未来でも不特定無数からすべてのナノマシンを除去することは不可能だからこそあの子たちはこの時代に来ているわけでつまり未来技術で解決してもらうのも無理。

 つまり、NNNを止めるために私に許された行動は最初から、「ネットワークをミロクシステムに同化する」でしかない。

 そうなれば、どうして世界が割られたか、おぼろげながら見えてくる。

 あくまで、私の電子機器への戦い方は、回路の構成電路を神経思考回路の延長とみなして頭脳の延長に取り込む同化方式。だけど、ナノマシンネットワークは有線をちっとも介さないし無線を仮想ニューロンと見なそうにも既存型ネットワークと違ってすでに脳構造を有しているのなら不可能。

 早い話、私では、ミロクシステムでは、ナノマシンネットワークに対抗しきれない。

 …せめてできるとすれば、ネットワークとの「同化」ではなく、ネットワークとの「融和」。

 ナショナリズムを保護するというナノマシンネットワークの目的・本質に沿うカタチで、その方向性を、「技術文明(地球世界)が魔法文明(異世界)を併合する」のではなく「技術文明と魔術文明が確固たるアイデンティティを持って併存する」というスタイルを持ちどちらかがどちらかを呑み込むことのないように支えていく方向に持って行かなければならない。

 だけど、融合後の世界において確固たるアイデンティティを与えるという行為は、そのまま、双方の勢力に国家としての自立心を与えることにつながり。

 …中核としての私を強化することができないミロクシステムと違って、ナノマシンネットワークは増殖によって構成端末数を無限に増加させ、その能力を指数関数的に増大させていくことができるはず。力関係は時間と共に急速に悪化する。

 ナノマシンネットワークを取り込むことは出来ても、ナノマシンネットワークの本能までも変えてなかったも同然にすることは、とてもじゃない、不可能。

 …だから、ナショナリズムを第一として感染者の脳に干渉し認識を操るナノマシンネットワークの本能と、使用者を支えるために処理能力を追加するミロクシステムの性質が嚙み合わされば。

 それぞれの勢力を維持し支え続けるために所属者をパワーアップさせ続ける一方で、両勢力を融和ではなく対立させるナノマシンネットワーク「ミロクシステム」の誕生。

 「…でも、その路は、選んじゃダメ、なんだよね…」


                    ―*―

西暦2064年/神歴2724年/統暦1年1月17日

 「きっと、ソーシアちゃんたち未来からの使者が来なかった過去の今では、私は、異世界の人たちを守りつつもこの世界を壊してしまわないように、ナノマシンネットワークの取り込みを敢行することになったんだと思う。」

 「その結果、少しずつじり貧になっていって最後にどうなるのか、おぼろげでも理解シミュレーションはしていたはず。だけど、自分の知ってる異世界のみんなが追い詰められるよりは、例え対立の路しかないとしても…私はそう考えて、非難を覚悟で、世界を割る路を。」

 「だから、私は…

 …でも、私の選択の結果が今ここに立っているって言うなら、私は、ナノマシンのミロクシステムへの取り込みを中止するしかない。」

 「だけど、他に、不特定無数に寄生して認識と行動に干渉しつつネットワークで超知性を目指すナノマシンなんてものへの対抗手段はない。」

 「…もはや、ナノマシンの勢力拡大は、止められない…!」


                    ―*―

 ゴクリ、誰かの唾を呑む音が、やけに大きく響いた。

 せっかく、未来から歴史を変えようとしてやってきた人間がいるにもかかわらず。

 時代のキーである松良あかねは、最悪と思われた歴史も最悪を回避するためのものでしかなかったと、そしてそれすら道義的に選べない今となっては匙を投げるよりほかないと、断言した。

 ーここに、希望はついえた。

 その時。

 ピリリ、ピリリ!

 「通知?」

 部屋中の機器が、携帯端末もタブレットもコンピューターも壁面スクリーンも未来のホログラムスクリーン端末も、一斉に鳴り響いた。

 「なっ…」

 松良あかねだけが、ガタンと立ち上がり、きゃしゃなこぶしを机に叩きつける。

 「あかねっ…!?」

 「やられたっ!」

 その視線の先、壁一面、十数メートルもの巨大モニターが、真っ赤に染まる。

 「血の、色…」

 「クララ、違います。

 …良く見ると、何か、背景画像のような…」

 ケミスタが、スチャッとメガネをかけた。視界にフィルターをして画像処理を行うAR技術の発展形であり、実はEBグループが現在開発しようとしている物にコレの先祖が存在する。

 「荒野?

 倒壊した建物?

 廃棄物処理場?

 いや…」

 誰ともなく、真っ赤な画面にぼんやり浮かぶ何かの画像に目が慣れてきて、呟く。

 「戦、場…」

 そして、あらゆる言語を織り交ぜた無数の人名が、上からつらつら、高速で流れ始めた。

 ー「『ナショナライズ()ナノマシン()ネットワーク()』より、臨時放送をお送りいたします。」ー

 頭の奥にそんな声が響いてきて。

 「なんて魔力だ…っ

 世界中、全部、包んでる…」

 亜森連人が頭を押さえてしゃがみ込む。

 ー「本日の感染者は、以上の皆さんでした。

 それでは地球の皆さん、おはようございます。」ー

ーそして、終わりが始まったー

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ