4 「ビフォア・ザ・クライシス」
タイムスリップのために移動を開始した「穂高」の前に、ナノマシンにより操られた魔術・機械両文明の総戦力が立ちはだかる。1700年のギャップの中、見出された最後の手段とは…
ーそして、時間の輪は閉じられるー
ー*ー
統暦1735年7月3日、グリーンランド、スコルズビスーン≠Ittoqqortomit沖
激震が、グリーンランド東方を襲っていた。
スコルズビスーン地域地下のダンジョンを支えていた無数の随意金属片が、外洋へと一斉に移動せられ、そして、フィヨルド海底において一隻の巨艦の姿を成していく。
小山と見間違うような巨大な前部艦橋と、その後ろに2つ並列で並ぶ、円筒型のミサイル発射管。
前部艦橋は前面を傾斜させ、どこにも突出部が見当たらないのっぺりした形状をしている。
中央段よりさらに一段上げたところで、円筒形の後部発射管と、半球ドーム型の後部艦橋がそびえている。前部錐型艦橋、前部発射管、後部発射管+後部ドーム艦橋という3つの大型構造物が目立つ形だ。
それらの上部構造物が乗る中央部は一段高くなり、段のヘリにはこれも半球ドーム型のレーザー砲、周りには砲身こそ短いが連装高角砲がひな飾りのように設置されている。
前部に、2番砲が一段高い旋回台に乗るピラミッド型配置で2つ、後部に、後部煙突と後部マスト艦橋が乗るさらに一段高い部分の直後、中央段最後尾の位置で1つ、ハンバーガーのバンズをすこし前後で偏らせたような形状に砲身が2つ生えた主砲が見える。
細長い巡洋艦型船体。艦首は海面へと滑り落ちるような形状をして海水へ突き刺さっており、艦尾は丸くなっているーそれはどこか、潜水艦を思わせる形状だった。
「まるで」「ような」「ごとく」などいらない。そこに浮かぶそれはどうみても、海上の女王そのものであり、そして、大空、宇宙の女王とならんとしていることすら丸わかりであった。
―*―
・穂高型(超紀伊型)宇宙巡洋戦艦「穂高」
基準排水量:約22万トン
全長:340メートル 全幅:50メートル
兵装:56センチ連装砲(粒子電磁加速砲対応改修)3基6門
12センチ連装高角砲(粒子電磁加速砲対応改修)39基78門
連続走査型無減衰高エネルギー光線砲12基360門
装甲:対51センチ質量砲弾・CIC及び機関部にNBC防護壁
機関:魔法閉じ込め半慣性レーザー式核融合炉ー電磁流体発電機(海上巡航30ノット)
スペシャルテスラコイルシステム観測式空間座標固定機関(対ワープ改修済み)
特殊兵装:観測式空間固定狙撃・歪曲破壊砲システム1
―*―
「目標、伝説の不沈艦!」
グリーンランド東方を単縦陣で進む、2つの艦隊。
北にいるのは、東半球連合の旗「3つの眼に3方向から見つめられる地球」を掲げる、500メートルクラスと700メートルクラスの航洋戦艦。
後部甲板を真っ平にしたうえでVLSを敷き詰めているのは、DDL級航洋戦艦「デメーテル・デッデル・ロベッチオ」「エクセントール」
「穂高」の2倍の大きさを誇り、前後2基ずつの連装砲塔の間にはミラーボールのバケモノかプラネタリウムのような魔術艦橋をそびえさせるのは、天国級航洋超戦艦「浄土」「エデン」「ヴァルハラ」「アースガルズ」。
魔術勢力の地球における最高戦力である天国級が4隻もいる時点で、如何に東半球連合が本気かわかろうというものだが、「浄土」は皇帝座乗艦でありここには世界最強の魔術師がいる、ということがさらに絶望を加速させる。
南から迫るのは、西半球同盟の旗「銀河の果てを目指す探査機」を掲げる、400メートルクラスと600メートルクラスの航洋戦艦。
最も小さい400メートルクラス建国者級航洋戦艦「神武」「始皇帝」「ジョージ・W・ワシントン」「ジェームズ・S・ハインライン」は、前後に2基ずつ、主砲塔ではなく丸いミラーを架台に載せた反射砲塔を搭載している。これによって、宇宙から送信されたレーザーを敵に照射するのだ。
そして、600メートルクラスの探査機級航洋戦艦「ボイジャー」「はやぶさ」は、拡散レーザー焦点式という、3人大人が手を広げて横に並べるほどの太い砲身を持ちまるで双眼鏡のような見た目の特殊な連装砲を前部に3基後部に1基の変則的な配置で搭載し、東半球連合艦隊に負けない威勢を主張している。
ナノマシンネットワークを通じ急遽、人類を操って完成させた最強海上艦隊。1700年の争いを中断させてでも、「ミロクシステム」、クラナ・タマセの言うところの「悪いミロクシステム」は、粛清を実行しようとしていた。
「私たち魔術師にとってあこがれの存在である伝説の魔術少女が、実はネジ狂いの作った伝説の不沈艦と同一の存在だなんて、絶対に広めさせるわけにはいかないわ。
勅令よ!なんとしても撃沈しなさいっ!」
「逃亡し、あまつさえ瞑想オタクどもに通じるなど言語道断!海の藻屑にしてしまえっ!これは第1級全軍令であるぞ!」
目の前の仇敵の存在には、気付くことすら叶わず。
2国の艦隊は、歩調を合わせ、フィヨルド内へと攻撃を開始した。
魔術砲が、遅延型爆発魔術を付与された砲弾を水平線の向こうへ投射していく。
VLSが、追尾魔術と飛行魔術を付与された1000本以上のミサイルを、それこそ空を埋め尽くすほど打ちあげていく。
反射砲塔が、衛星から受け取った電磁波を、水平線ギリギリへと浴びせかけていく。
そして、拡散レーザー焦点砲は、何でもないただの光を発散し、それを目標の表面に設定した焦点において収束させることで、虫眼鏡で集めた太陽光の様にエネルギーを集めて蒸発、爆発させていく。
そうして、フィヨルドの入り口が、白い煙となって膨れ上がり、巨大な爆球となって、岸壁や氷河を吹き飛ばした。空気と言えども、数十万度に熱せられればその爆発は巨大な爆弾となりえるのである。
爆球は、フィヨルドを覆うほどの巨大なもので。
だからこそ、天空まで届く白い煙の中から、敵が全くの無事で出現しようなどと、誰も考えは出来なかった。
「目標、敵連合艦隊。
全主砲、電離粒子装填を確認。
完全励起への遷移を確認。
STCS起動。
敵空間座標把握。
敵艦を照準、軌道は直線。
発射!」
巡洋戦艦「穂高」から発射された6発の粒子塊は、亜光速で到達した瞬間に、「エクセントール」「アーズガルズ」「始皇帝」の艦首と艦尾に命中、瞬時に何千トンもの金属を蒸発させた。その膨張圧は、艦中央部を圧縮し、粉々に破壊する。
やらなければ、やられるー
ーずっと小さい「穂高」に対し、恐怖にかられ、魔術と技術の連合艦隊はビームを浴びせかけた。
「穂高」の周りに魔法陣が発生し、虹色の被膜が「穂高」を包む。
その魔術の名、「『不沈』」。
1700年語り継がれた伝説は、事象を捻じ曲げるに値した。誰もが、機械文明の英雄であり絶対に沈まない戦艦であると「穂高」のことを心の底に信じていたからこそ、「世界の在り方」が変えられ、「『穂高』が沈まない世界」へと、事象が改竄されることになる。それはまさしく、全世界の人類が実現させた、魔術。
虹色の膜に当たった時点で、ビームは、膜の表面に拡散し、オーロラの様に波を起こす。
「どんな魔術障壁でも、いつかは飽和する!撃て撃て撃て!」
「対抗魔術用意!障壁を解呪しなさいっ!」
艦隊があたふたする向こうでは、まるで意に介さないかのように、クラナ・タマセが「穂高」を構成する全随意金属にいきわたらせたミロクシステムの演算能力をフルに稼働させ、「穂高」の空間座標の固定に努めていた。
ある物質が、あるところにある…そう観測することで、実際にそこにあることが確定するのならば。
対象の構成物質すべてを把握できるSTCSには、観測によって、物質を移動させることができる。
「起きぬけで、正直、転移は難しいんだけど…
…でも、宇宙空間に出ないと、遡時はできないんだよね…」
タイムスリップ先は、世界が魔術勢力と技術勢力に割れる前であり、松良あかねの暴走が発生する前であり、クラナ・タマセがまだ戦艦「アンノウン」との相打ちで思考能力を失っていないころ。つまり、そのころまだ、異世界との相互融合は終わっていない。
「2つの世界が混ざり合いつつあるあの時代の時空間に、さらに遡時なんて負荷はかけられないからね…
…宇宙空間、地球から観測できない位置に出現すれば、それでも、観測によって遡時時点での存在が確定されないから、まだしも…
…すでに、この世界が2つの世界の融合世界である以上、過去に戻っても、本艦の両世界二重存在性はごまかしようがない。地球に下りれば、できるのは…」
2つの世界が交わった世界の属性を持つ巨大知性。
隕石が落ちるほどの出来事があれば「今までとは違うところ」とつながったとしてもおかしくないと、そう考えてしまう人類の本能の働きによる事象改竄。
ー行きつく先は、巨大な、そして桁違いの安定性を持つ「門」の完成。
クラナ・タマセの思考の中では、それらが意味するものが、理解できていて。
「まずは、該当の時代、地球から見えないところに『穂高』と私を飛ばす。それから、この世界と既に同じ属性になった状態のところへ、あなたたち4人を送る。それでいい?」
ーつまり、「ニュー・コンスティテューション」騒動が2つの世界を融合させ始めた、西暦2063/皇歴2722年6月9日以後で、クラナ・タマセが思考を保てなくなった西暦2063年/神歴2723年9月24日以前が、ケミスタたち4人の遡時先。いくらなんでも、東半球連合1代皇帝が伝説をもとに「穂高」とクラナ・タマセの思考能力を復活させた統暦700年代では遅すぎる。
「いくつかわからないところはあったが」
「どのみち、貴女にしかできないのです。信じています。」
「ありがとう。
常に地球から見えない位置…
…目的地は、月面裏!
『穂高』発進!」
そうして、ミロクシステムSTCSは、「穂高」を構成するすべての量子情報を観測しリアルタイムで改竄するという神業で以て、「穂高」を空へ浮かばせた。
17万トンの巨体が浮かんでいた海が重しから解放され、周囲から一気に海水が流れ込む。それはまるで、モーセが去った後の葦の海のようで。
「女皇様、畏れながら、聖武具の使用を打診しますっ!」
「即座に使いなさいっ!宇宙に出させてはなりません!」
―*―
それは、東半球連合の皇都防衛のかなめ。
現存する聖武具は少ないが、その中でも特に大事にされてきた逸品。
ー古くから、「槍」という武具には、史実、神話、創作問わず無数の言い伝えがある。
キリストを刺した槍であり、宇宙から降り注ぐ質量兵器の名前でもある「ロンギヌス」。
勝利をもたらし目標を外すことはなく持ち主に帰ってくるとされ、世界を巻き込んで破壊する槍と設定されたこともある「グングニル」。
同じように必中ブーメラン機能を持つばかりでなく、5筋の殺人光線を放つ「ブリューナク」。
光の神を殺したヤドリギの槍「ミスティルテイン」。
しかし、もっとも東半球連合の魔術研究者の心を集めたのは「竹槍」。
せいぜいが生身の人間体でしかない神様を殺す神話の槍よりなお、「竹槍」はすさまじい。なぜならそれは、「超空の要塞」を非力な女子供が投げただけで撃ち落とし、訓練された女学生に一本ずつ持たせることで数千両の装甲戦車部隊をも刺し貫かせて壊滅に追い込み、誰もが訓練すれば燎原の火も収まって神風が国家を護る…というのだから。しかも数々の伝承槍と異なり、「『竹槍』を300万本生産することで、如何なる敵にも勝利できる」と言う。鉄の装甲と物量で押してくるネジ狂いどもを撃退するのにこれほど優れた兵器もそうそうない。
皇都ヴァルゴ宮の郊外にある、広大な竹藪。それこそが、聖武具「聖槍」。
300万本が根付く地面に仕掛けられた魔術陣が、起動される。
魔術の発動に使われるのは、数々の槍にまつわる物語が人類に刻み込む、それぞれの槍へのイメージが生み出す魔力。
そして、300万本の竹は、大空へと一斉に飛び出した。
衝撃波で先端が裂け、枝葉が吹き飛び、槍らしい尖った穂先になる。
真緑の巨大な塊、あるいは、巨大な空飛ぶ根無し樹海。
まっすぐ、シャボン玉のごとく虹色の球形被膜に包まれ艦底を真下へ向けて艦首をやや上向かせ青空へと目指す巨大な艦体へと、無数の竹槍が殺到した。
シャボン玉へ、300万本の針。
聖槍の塊はただ直線で上昇し続けるのを止めて、徐々に散乱、「穂高」を包むシャボン玉を全方位から包み込み、完全に外部から見えなくした。
そして、シャボン玉は弾け、青竹色の球体は、収縮し、一点に集まり、爆発した。
―*―
「敵はあの伝説の不沈艦!瞑想オタクどもによって復活せられた!
我らの伝説であり、我ら機械文明の技術力がはるか昔より存在した象徴、それをよもや奴らの道具にされるとは許しがたい!
確かに、瞑想オタクの未確認兵器によって、伝説の不沈艦は魔術障壁を破られ、爆発した。
しかし、いくら大昔と言えども、魔術を使用していると言えども、我らの伝説に語られる最強の存在!
あれしきの秘密兵器に、やられるわけがないっ!
不沈艦を撃沈せしめなければならぬのは、我らであるっ!」
AMERICAクラス宇宙戦艦「AMERICA」「ROMA」「MONGOLIA」「ADEIL」「DEIPERIUS」「ELECTRIC・BIO」の6隻。かつて世界に覇を唱えた帝国の名前を冠するそれらが、赤血球のカタチの艦体を銀光で輝かせ、月と地球のラグランジュ点に滞宙していた。外側の部分には、4方へと1門ずつ、砲が向いている。
「事象改竄度計の反応はどうなっている?」
「聖武具の事象改竄度が高すぎて、不沈艦の波形を特定できていません。さらに、一般事象も大きすぎる影響を受けております。」
「それでは、敵を見つけられんだろうが!」
「ですが、かと言って方策があるかと問われますれば…
…っ、事象改竄度計に反応アリ!大質量体複数の転移反応です!
質量、及び改竄揺動波を確認っ!
これはっ、東半球連合近衛宇宙艦隊並びに第1、2宇宙艦隊っ!」
「第1艦隊だけでは役者が足りん!
司令部に応援要請だ!
第2,3艦隊を要請せよっ!さらに、軌道上の反射衛星をすべて作戦に投入するよう具申!
先を越されてなるかっ!」
誰一人として、「穂高」の健在を疑っていないのも問題だが、東の宇宙艦隊が出てきたというのに西の宇宙艦隊が発砲も逃走もしないのは異常事態を極まっていた。
―*―
「念のため、聞いておくよ。
あなたたちは、歴史を書き換える覚悟を持って、ここにきている。
…だったら、今ここで起きたことは、どうせ、なかったことになるのかもしれない。
だけど仮にそうだとして、あなたたちは、ここであなたたちの仲間だった人たちを吹き飛ばすことを、黙認できそう?」
「…たとえ時間軸から消滅しても。
なかったことにはできないし、しちゃいけない。
俺は、そう思う。」
「私もです。
だけど…
…なかったことになることが許しにならないように、許しがないことがためらいを許してくれるわけでもないと思うんです。」
「功利主義だなんてチンケなもんじゃねえよなあ。
やることも、やらないことも、許せねえんだよ。」
「私は、だったら、すべてを尽くしすべてを背負うべきだし、それは、すばらしき悪だと思うんだよ。」
「…そう。
もし、あなたたちの心が痛んでないようなら、私だっていろいろ考えた。
だけど、そうだね。
地獄に行くことを覚悟している者にのみ、道連れは現れる。
私は、せめてともに行く者でありたい。
観測式空間歪曲破壊システム、起動!」
―*―
突然、宇宙空間に。翠の十字架が、暗黒の夜空を割るようにして浮かび上がった。
「量子位置固定機出力最大!急げっ!」
「対抗魔術、反発魔術、空間障壁魔術、総員最大っ!」
技術力の艦隊であろうとも、魔術力の艦隊であろうとも、翠光の意味するところは同じ…空間転移の前兆だ、特に十字型はヤバい。
誰であれ、伝説が帰ってきている今、それに立ち向かって無事で済むと思っている人間などいない。決死の覚悟で立ち向かう。
しかし、現実は、想定のはるか上を行く残酷さだった。
翠の光、オーロラでできたもやが、艦隊を包む。地球上からは、宇宙艦隊がオーロラに呑まれたように見えた。
直後。
随伴の宇宙巡洋艦や宇宙駆逐艦数十隻が、バラバラに拡散していく。
砂で作られた城が高波をかぶったかのように。
それは、「崩壊」というよりはやはり「拡散」というべき現象で。
ーエントロピーの法則を持ち出すまでもない。例えば、山はだんだんと崩れて大地が平になり、星はそのうち星屑になって散らばる。宇宙というものは本来、物質が拡散するようにできているのだ。だから、激烈な空間の揺らぎで原子同士の結合が保てなくなり、反重力と超重力が入れ替わる空間震の中で揺らがされた素粒子は波に拡散してしまう。
西半球同盟のAMERICA級宇宙戦艦と東半球連合の教祖級宇宙大戦艦「イエス・キリスト」「ブッダ」「セイント・ディペリウス」「カクジ・アサモト」だけが、無傷の状態を維持していた。東側の通常型宇宙戦艦が、巨人に粘土遊びされたかのようにぐにゃぐにゃな状態になって漂流している。
翠の十字架の中央には、数キロの長さを持つAMERICA級や教祖級に比べてずっと小さく宇宙駆逐艦ほどの大きさしかないのに、後光を背負い超然的存在感を発揮する、バケモノがいた。
右上、左上、右下、左下の4つに分かれた艦体の中央で、煌煌と輝く炉の赤。
翠のもやはいつしか消え去り、代わりに、抹茶のごとく濃い翠で鉛筆ほどしかない細すぎる筒が、4つに分かれた艦体に囲まれたまま伸びていき、「ROMA」に突き刺さる。
翠の光は、空間系魔術のシンボル。ならば、それは、鉛筆の太さ分だけ、世界が切り離されたことを意味する。
観測論的な魔術ー「世界の在り方をいじる」という魔術の原理を考えれば、魔力などという誤謬に惑わされないそれは、まさしく真の魔術ーによって、解放された炉から発せられる熱は鉛筆の芯ほどしかない翠光筒の内部をはるか数百キロ進みながら無限に増幅せられ、インフレーション時、宇宙創成時もかくやという超高温を、強制的に「ROMA」装甲に発生させた。
光の筒は、「ROMA」を貫通してはいない。けれど、豆粒ほどの部位が10の数十乗度に加熱させられるだけでも、隔離している空間断裂が消滅し解放された場合、圧倒的な膨張力、そして発せられる超高エネルギー素粒子の奔流が、艦隊をまとめて壊滅させることは目に見えていた。
だから、宿敵である西半球同盟艦隊に、東半球連合艦隊は、手を貸した。
幾重もの魔術陣が、「ROMA」表面に浮かび上がる。
空間の震動それ自体を制御することは難しくても、震動によって実際の物質空間に与えられる物理的影響は、素粒子の激しい移動に過ぎない。従って、量子の位置を観測で固定する方法で、実体への影響を失わせることができる。また、単純な高熱も、激しい粒子運動に過ぎない以上は、量子位置固定で完封できる。
幸いに、「穂高」STCSの効果範囲外であったこともあり、幾重にも重ね掛けされた反魔術と、「ROMA」の量子位置固定機は、しっかり、装甲が破壊されるほどに粒子が移動させられることを防いで見せた。
一度できると分かってしまえば、後の対策は容易いものだ。
艦隊全体を、魔術陣が取り巻いている。
量子位置固定機も、内蔵STCSの効果を拡張し、艦隊全域を効力圏内においた。
そしてー
ーリンチが、始まった。
―*―
「タマセさん、かなり、まずい状況ではないのですか?」
「うん…
事象改竄に対する抵抗力が、強すぎる…
…それに、観測論的量子位置固定は、随意金属の自動修復と同じ効果を持つ…じり貧だよ…」
量子位置固定機。内蔵のSTCSによって対象の量子を観測し、それによって対象量子の位置が変わらないようにする機械である。それは、魔術によって量子の位置が書き換えられるのを防ぐばかりではなく、仮に攻撃により破壊されても、事前の観測データを使って再観測することで破壊前の状態に修復することができるマシンでもあるのだ。
「もともと、『穂高』の56センチ砲は、宇宙空間での戦闘なんか想定してない。急遽、粒子砲として使えるように改装したけどっ…」
再び、一体に戻した艦体。それを、白い魔力放射光と翠の空間魔術光でまばゆく輝かせ、なんとか、10隻以上の宇宙戦艦から照射されるビームを耐えている。それも、いつまで持つか。
「…右舷艦首水線下装甲、破られるっ!
随意金属も、もう、余剰が…!」
必殺の観測式空間固定狙撃・歪曲破壊砲システムが、空間歪曲による全体破壊も、固定・熱量照射による一点狙撃も効かなかった。つまりそれは、AMERICA級と教祖級宇宙戦艦に対し、ほとんど打つ手がないことを意味した。
「このままだと、月の裏側までたどりつけないかも…」
幾筋かのビームが、ついに、「穂高」艦首を、上から下へ、右から左へ、突き抜けていった。
艦首があっという間にささくれ立っていく。無数の爆発が、内部から艦首を爆発させ、自動修復は全く追い付かず。
「…っ、どうせじり貧なら、一歩でも近づいて、不可能であっても可能にするしかないのか…
しっかり、つかまってて!」
クラナ・タマセは、叫ぶとともに、STCSをフル稼働させた。
艦体が見えなくなるほどの強烈な翠光。
空間座標を随時にずらしていくことで、「穂高」は超高速移動を開始する。
しかし、空間魔術/STCSを使用することで、宇宙戦艦たちは逃すことなく追随してきて見せた。それどころか、明らかに速く移動し、翠の残像を描いて、「穂高」の前に出、T字を描いて集中砲撃を艦首に加えてくる。
「持ちこたえられない…っ!」
へさきは完全に消滅し、前側からのぞき込めば、裂けるチーズのごとき惨状を呈した艦首部分から、第一主砲の基部が見えるまでになってきてしまっている。
「思考能力12、4%低下、弾薬庫温度上昇…っ、私、自分で戦闘したことないから、もしかして、戦闘下手なのかな…!
ごめん、指示、お願い…!」
クラナ・タマセは、確かに、生み出された西暦21世紀においては、最強のシンギュラリティ突破人工知能だった。もちろん、自分で人間のように考え、そして、人間を遥かに超える処理能力と記憶能力を誇る能力を持つ、恐るべき超知性である。
しかし、そのメンタルのルーツは、ミロクシステムの素体である松良あかねに由来する。そして松良あかねは、基本的には温厚な女の子に過ぎなかった。だから、いくら使命があっても、思考の根本が軍事寄りになりきれなかったのだ。
「ああ、まかせろ。」
「とはいえ、この状況を覆す方策は思いつけませんね…」
「それでも、悪化させない方策ならわかる。
月防空圏の月面上500キロに侵入できるか?もっと言えば、500から490の間だ。」
「セクショナリズムの隙間、ですね。
いいでしょう。しかし、西側の宇宙軍と月面軍の境目だけでは、無理があると思います。
私たちの宇宙軍と月面軍の境目は、上空600キロです。」
「月面国境のデータなら、ここにあるぜ。」
国境の境目、月面軍と宇宙軍の境目。そこを飛ぶなら、攻撃されにくいはずだ…どちらの管轄かはっきりしていないだけに、突破しようとしているのならともかく、ただ通過しようとしているだけならば、初動の段階の迎撃対応が遅れることになる。
「そこにたどり着くまでは…
…イルちゃん、手伝って!できることするから!」
「おう!」
イルジンスクが、コインを何枚かクララベルへと投げた。
クララベルの錫杖の先の周りでコインがクルクルと高速旋回していく。
錫杖を中心に、「穂高」を囲む魔術陣が回転を始めた。
唐草模様を含む同心円が、文字を回転させ、行使者の髪色と同じであるシルバーに輝く。その効果は、クララベルの十八番である認知系魔法の中でも「幻惑」系統の「歪距視」ー背景との混同を起こさせることで距離感や速度感などを狂わせて照準を不可能とするもの。
それていく、各種のビーム。
「ソーシア、月面の対空兵器はどうなってる?」
「1つだけ、特大に強力なものがあります。」
「奇遇だな…アレだけは、飛んできかねない。
タマセさん、今から言うポイントに、先制で艦砲射撃をお願いします。」
―*―
月面唯一の聖武具、「聖盾」。
聖なる盾と言えばイージスであり、アテナ神が持っていたと言われるかの盾には、いくつもの伝承がある。最たるものは「向かってくるモノすべてをはたき落とす、『攻撃は最大の防御』」。
東半球連合の月面勢力が1700年にわたって持ちこたえてきたのは、この手の充実した防御機構のおかげである。
西半球同盟だって、負けてはいない。宇宙への出入り口として貴重であるとともに、地球を攻撃するための宇宙基地としても月面ほど優れた場所はないのだから、失陥するわけにもいかず、その防空システムは地球本土にも劣らない。
複雑な国境線の境目を縫うように進んでいる間、「穂高」は、真上を10隻の宇宙戦艦にふさがれつつも、なんとか宇宙からも月面からも攻撃されずに来た。
しかし、月の表から月の裏へ移ろうとした瞬間に、眼下の2点から、無数の光の筋が撃ちあげられ、「穂高」の艦底を、前から後ろから襲った。
ただのビームであり真っすぐ飛んでくる、西半球連盟防空システムはまだ良かった。いや、10000にもせまるレーザービームがサーチライトか何かの様に「穂高」へと照射され表面から蒸発させていく状況を、決して良いとは言えないが。
問題は、聖盾を使った魔術を発動させて防空してきた東半球連合。
曲がったりねじれたりしながら飛ぶ無数のビーム…に見えるのは、魔力を曳航して飛ぶ結晶体。長い間に蓄積された魔力を使って追尾飛行しながら、発射源の聖盾本体から魔力の追加供給を受け続け、その放射光がビームに見えるのだ。
結晶体それ自体にも、追加供給される魔力にも、攻撃魔法は組み込まれていない。しかし、結晶体に付与されている魔術は、対象に結晶体が付着するようにしている。
結晶が付着次第、聖盾本体から魔力が大量に供給されるとともに空間震動魔術が付与され、結晶体を震源とした数メートル規模の空間震を発生させ対象のその部分を破砕する。
発射された結晶体は、十数万個に及んだ。しかも、迎撃能力のない艦底側へと飛んでくる。
「穂高」は、想定より敵射程が長かったというドジを踏みつつも、まず、艦を傾けた。
真右に指向した連装主砲3基。それが、艦が傾くことで、真下、月面を向く。
照らしてくる西側防空システムのビームに装甲をはぎ取られまいと、艦体が翠に覆われる。
ゴォーン…と、非常に薄い月大気を振るわせ、静かに砲声が響いた。
6発の、56センチ急迫徹甲榴弾。本来それは至近距離用の特殊砲弾だが、下に向かって撃ちおろしているために、500キロ以上の距離を人工の隕石となって落下することが可能であった。
こうした質量体落下攻撃に対抗するためにある東西双方の基地防空システムは、古くに構築されて改修を繰り返したことによるバックドアをつかれ、ケミスタのハッキングとソーシアの対抗魔術によって異常をきたしていた。
ビームを照射し続ける無数のサーチライト型レーザー砲の陣地の中央に3発の徹甲榴弾が落下し、少し地中に潜ったかと思うと一気に大爆発、火山の噴火の様に土石を噴き上げて、レーザー砲を根こそぎ吹き飛ばしていく。
聖盾の本体は、数百本の支柱に支えられた穏やかに湾曲した数十メートルある丸盾である。その表面を覆う透明な被膜が次々と飛び出し、魔力結晶として「穂高」へと飛んでいく。そして、盾の裏からは潤沢に蓄えられた魔力が結晶体へと送られていく。
一種、神々しい光景。そこへ、わずかに赤く輝く56センチ砲弾3発が落下した。
盾の表面の、積雪のような蓄積魔力体。それが吹き飛び、砲弾が盾に食い込む。
無数の弾片が、砲弾から盾へと爆発により吹き付けられ、ひっかき傷をつけた。
そして、聖盾は…
砲弾落下地点の3点を結ぶヒビが入り、ゆっくり、ぱっくりと割れた。
しかし、喜んでいる場合ではない。
今の「穂高」は、無数の対空レーザーを受けて装甲がかなり薄くなっている。魔力結晶体が付着し発震すれば、とうてい耐えられない。
「三式弾、斉射っ!
全対空砲、統制射撃!」
間髪入れずに、「穂高」の3つの連装砲から、6発の56センチ三式弾が発射された。
降り注ぐ無数の火の粉と、上りつめる無数の結晶。
赤と白が、つかの間、交錯した。
無数のレーザーが、高速で照射角度を変えて、薙ぎ払うようにして魔力結晶体を撃ち落としていく。
爆発が連鎖し、塵芥の雲が舞い起こる。
重力が弱く大気もない月上空においては、「穂高」は遠慮なく三式弾を連射することができた。地球上では30秒に1回しか56センチ砲を撃てないが、今は、数秒に一度発射される56センチ三式弾の無数の弾片が、破壊の霧雨となって降り注ぎ、魔力結晶体を打ち砕いていく。
それでも、数十の魔力結晶体が、「穂高」の上下左右に付着、割れて結晶発射こそできなくなったものの裏面からの魔力送信を止めない聖盾から送られた魔力で、「震空」を発動させた。
空間そのものに地震を起こさせるこの魔術には、2つのベクトルの強さがある。1つは効果範囲、そしてもう1つは、震動の細かさ。
より広い範囲を震動破壊させられた方が強いのは当然。
震動の細かさとは、魔術が空間に与える震動が、マクロなのかミクロなのかという話だ。もしマクロな震動であれば、その破壊は地震そっくりになる。一方でミクロであった場合、分子レベルの震動であれば分子が破壊され、原子核レベルの震動であれば核崩壊を起こし、そして素粒子より小さい震動化ではもはやあらゆる物質がまともに存在できなくなる。
この聖盾から発射される結晶体は、聖盾が設置された地点への空からの攻撃を防ぐためにあり、従って、大きな震動を起こしても炸薬の分子構造などを破壊できずに爆発を許してしまったらアウト、ということになるから、数メートル範囲の限られた圏内を素粒子のレベルで震動させる物となっている。
付着した結晶から発せられた震動は、「穂高」の1番主砲を、艦底を、艦橋を、舷側を、ネズミが喰い荒らしたチーズのごとく欠けさせていく。
翠の光をまばゆく放つ観測論的空間魔術による対抗と、破壊部位への随意金属充当による修復はすぐに行われたが、素粒子の存在すら維持できないほど空間を震動させられた結果として質量の消滅が発生しており(空間の振動が激しい場合、質量であれエネルギーであれその存在が空間により裏打ちされないので、土地がなければ家が建たないように、保存則は機能しなくなる)、貴重な随意金属が失われ全体的に装甲が薄くなってしまったことは、ごまかしようがなかった。
ー*―
追い詰められている。
月の裏側で地球上から見えないようにして遡時を行うにしても、ある程度は月面から離れなければならないはずだ。なぜなら、「観測により、世界の在り方を変える」という事象改竄の仕組み上、多くの人々が居住する月面での遡時のような大規模な事象改竄は、人々の無意識による「そんなに簡単に世界の在り方は変わらない」という人々の無意識による事象固定の影響を強く受けてしまう。
方程式を参照すれば、どれほど月面から離れれば、クラナ・タマセの自由制御下の遡時が可能か判別することができる。…少なくとも、月面から1000キロは離れなければならない。
問題は、今も頭上には、宇宙戦艦10隻からなる宇宙艦隊が待ち構えていること。
火力は落ちていないけれど最初から優ってもいない。
防御力はただでさえサイズに応じて低いのに、自動修復能力のせいで悪化している。
「ソーシア、何気に、厳しくないか?」
「ですね…
無事にあの宇宙艦隊の向こう側へ抜けられる気がしません。」
「ね、それなら、空間転移ならどーなの?」
「…クララベル、いくら伝説っつったって、空間転移の直後に時間転移は無理だろ。それができれば、最初から空間転移も時間転移も同時にやれば、宇宙まで出てくる必要すらなかったんだからよ。」
イルジンスクの言うとおりだ。このフネの素体は1700年前のモノ、伝説だろうとなんだろうと、スペック的にはむしろ、お話にならないほど低レベル。きっと、宇宙航行さえ、だいぶ無理をしているに違いない。
「…そーだよねー。」
「いざとなれば、艦から放り出されてもいいように」
「俺も準備しとく。」
とはいえ、これほどの好機、そうそうあるとは思えない。ここでこのフネがやられてしまえば、希望はもはや、ついえる。
「…確かに、4人の言う通りかもしれない。
だけど、私にだって、これ以外の選択肢は残されていない。
突っ切るよ!
祈ってて!」
はっ、迷信、信仰、祈呪…そう言ったものを観測理論の名のもとに科学の光の下に引きずりおろしてきた俺たちに、祈れって?
…まあ、それでも、できることはないではない。
「ソーシア、『奇跡必要論』だったか?」
「貴方は『観測当事者論』と言っていましたね。
いいでしょう、奇跡を運命にして呼び寄せるすべ、ここで私が使いこなさねば、誰も使う事あいなりませんし。」
「俺も、俺のアプローチをする。」
「信じますよ。」
…まったく、俺が魔術を信じるなんて、ソーシアが技術を信じるなんて、な。
「イルジンスク、お前、まだまだコイン型の量子位置固定機持ってるだろ。
そいつをつなげる。」
「ラプラス演算機、か?でも、あれは、因果、道理に沿って次に起こる出来事を推測しているだけで、とても、未来を変える力も偶然の事象を引き当てる力も…」
「いや。
あらゆる可能性を、偶然の事象を、推測する。」
それだけならば。
周囲の物事を察知して、その結果、未来の幅を推定するだけならば、量子位置固定機のラプラス演算機にもできる。ただ、演算機の強度は上げておかなければならないから、演算機の並列つなぎだ。
「でも、推測して、小さな『俺たちが勝てる可能性の未来』を見つけたところで、観測力が足りねえ。つうか、引き寄せができるだけの事象改竄力がありゃ、最初から、その事象改竄力で攻撃を」
「いや?
イルジンスク、俺たちが見出した御都合主義な未来を、ここには、引き寄せられる奴がいる。
俺たちにとって、御都合主義、運命的な出来事は、『確率的に誰かが体験することが決まっていたことを、後発的に見て結果的に御都合主義的に見えるだけだ』と解釈する。
だけど、あいつらは違う。あいつらにとっては『必要とされるなら観測され、奇跡は引き寄せられ、奇跡も希望もない世界は観測できないものとして切り捨てられる』と解釈する。
だとしたら、俺たちが示した道筋から、糸一本くらいなら引き寄せられるはずだ。」
だから。
「1分で改造するぞ!」
「OK!」
―*―
「クララ。
私が私の力を信じなくては、未来を信じることなどできません。
心を。」
「うん、落ちつけさせればいいんだよねー。任せて!」
…後は、わずかな可能性を、手繰り寄せるだけ。
傘を開くと雨がやみ、閉じれば雨が降る、これも「マーフィーの法則」の1つで、人々が持つバイアス。であれば、その結果人々が無意識に「傘」に持っているイメージが無意識化事象改竄力となり、聖傘に付与されているはず。
となれば。
私が聖傘を魔術で開くことで、困難の雨が止む未来を引き寄せることが、つかの間でも可能になる…はず!
「オリジナル魔術『天邪雨防』!」
私の力だけじゃない、クララの力、そしてケミスタとイルジンスクさんの力で、私たちは、未来を引き寄せる!
―*―
それは、御都合主義でありながらも、導かれた予定調和となった。
無数の羽根が、白い爆雨として、宇宙空間に吹き荒れたのだ。
羽根の付け根にある目玉は、それぞれが少しずつ異なる位相の世界を観ることで、「世界の在り方」をおかしくし、世界を決定的にひずませてしまう。その結果、羽根が触れた空間は破壊されることになる。
突然の奇襲に、宇宙艦隊は全く対応することができなかった。
東半球連合艦隊は、対抗魔術として消魔力魔術と空間固定魔術を使用した。しかし空間固定魔術は、術者たちが見ている世界をそれぞれ観測で確定させた結果としてそのアベレージを実在させる魔術に過ぎず、従って観測者が目玉の数=無数に吹き荒れる羽根の数である彼女ーシンシアに優越することができない。
一方の西半球同盟艦隊も、STCSで把握済みの空間座標に自らを固定し、量子位置固定機で歪んだ空間に伴って艦の構成物質の位置が変動することを抑えようとする。しかしこれもまた、効果の強く狭い空間魔術が無数に重ねあわされていることで、かえって艦包括的な対抗手段では荷が重い。
実質、無数の羽根に対抗する手段がない状態で。
羽根が少しでもかすめた瞬間に、装甲であろうとビーム砲であろうと艦橋であろうと、容赦なくサラサラと崩壊させられていく。
大本を絶たなければダメだ、すぐに、どちらの艦隊でも思った。だから、薄い球形空間被膜の中から確かに彼らを睥睨する彼女に、あらゆる攻撃が殺到した。
「タマセさん!彼女を助けてくださいっ!」
「わかってる!友達なんだよね!?」
魔術陣回る両腕の翼から、「複製」の魔術で劣化版の羽根を生み出し降り注がせるシンシア。そして、彼女へと殺到する数百条の光線の筋。
翠の光が、シンシアの後ろで明滅した。
光が、開くようにして。
すべてが、スローモーションに感じられる。
すべてが、コマ送りに思われる。
クラナ・タマセの、「穂高」搭載ミロクシステムの認知単位時間に落ちた世界の中で。
翠の十字架が開き、シンシアを呑み込み、屹立した。
―*―
「はあ、はあっ…たった人間一人と言えど、遡時準備状態を維持したまま空間転移を行うのはキツいよね…」
「だ、大丈夫ですか?」
「うん…大丈夫じゃないけど、ちゃんと、あなたたちの遡時をできるだけのリソースはあるから…」
もう、初期計算はしてあるし、予備演算も完了した。後は、実際に転移地点で正データを取得して上書き、さらに過去時間座標で正データを上書きして観測を確定すれば、その通りになる。
「安心して…」
それに、まだ、終わったわけじゃない。
「今度こそ。
突っ切るよ!」
―*―
「シンシア…無事だったんですね!」
「良かったよぉー!」
「…どうして、でござりますか?」
「えっ?」
「私は、一度は、ソーシア達を…」
「だって、その時は、操られてたんだもん。仕方ないよねー。」
「でも…私には、割り切ることは…」
「それでも、貴女なりに思うところがあったから、助けに来てくれたのですよね?」
「はい…ソーシアが、何も考えずに反乱を起こすとは思えないですし、それに、あの闘いの最中で新たに生成したクローン羽根は、それまでの羽根と意思が統一できなかったので、調べてみたら、新しい羽根からは粉薬、体内と古い羽根からは大量の意思を持つ金属塊が出てきてござりまして…」
「そんな小細工してたんだイルちゃん…」
「とにかく、貴女が独力でたどり着いて助けに来てくれただけで、私は嬉しいのです。」
「うんうん。」
「…ソーシア、クララ…
ありがとう…」
「はい。
それで、状況はどれほど理解していますか?」
「この小さな機械を世界から取り除こうとしているために、伝説の不沈艦と伝説の魔術少女の力を借りている、ということしか…」
「ええ。
それで、あそこの、不沈艦の魂にして最後の継承者であるクラナ・タマセさんの力を借り、私たちは、この小さくそして戦争を裏から牛耳る機械たちが生まれた時代に、飛びます。」
「遡時魔術…伝説的存在ともなれば、そこまでも可能なのでござりますか…
…しかし、観測者を該当の時代より以前に送り込まなければ、観測者は私たちを精密に情報が保持されたまま目標の時間座標に送り込むことは不可能なのでは?」
「うん、だから、先にタマセさんとこの艦が過去に向かうの。」
「そうで、ござりますか…」
―*―
巡洋戦艦「穂高」。
もはや、不沈艦の称号は不適切となった伝説の大戦艦は、自らよりずっと大きい大型宇宙戦艦10隻の間を、満天の星きらめく黒い宇宙を背に通り抜けていった。
シンシアの羽根攻撃でまんべんなくダメージを受けていた東西宇宙艦隊側は、復旧が間に合わず、有効な対策手段を取ることができなかった。
そして、無事、「穂高」は、月から距離を取ることができた。
―*―
「今から、まず、私を思考体として遡時させる。
それから、私の遡時先の時間から観測した過去の精密なデータに基づき、5人の時間座標改竄データを作成して、再観測でその時間座標に存在することを確定させる。
いい?」
「待ってくださりませクラナ様。
私を、遡時対象に含めないでほしいでござります。」
「何を…」
「えっ!?」
「まさか」
「おいおい…」
「…どうして?」
「私はまだ、ナノマシン?とやらの、適切な除去処置を受けていません。自己流で除去しただけでは、過去に持ち込んでしまうやもしれないのです。でも、今から薬を飲んでも間に合いません。
それに、この艦が遡時してからソーシア達が遡時するまで、私たちの身を守ってくれる者などいないではござりませんか?」
―*―
ごく一般の中流階級で生まれつつも両親の寵愛を受け、日々の特訓と自学自習のおかげで10歳の時の徴魔術師試験で見いだされて希望通り魔術女子師官学校入りしたソーシア。
両親は軍でも政界でも高い地位にあり、本人も、政略結婚の道具ではなく武功を誇れる存在になろうと生きてきたクララベル。
…私は、最初から、2人とは決定的に異なっていました。
かつては世界中に数百万人を数えたと言われ、ワニの背中を渡る兎人の物語や人間に従えられて対立種族を滅ぼす狼人・林人・鳥人の物語などに足跡を残す、亜人族。今はわずかに人工冬眠状態で保存されているに過ぎない彼ら彼女らを使い、東半球連合の賢人たちは禁忌の領域に両手を突っ込んだのです。
何者かのーええ、その見当は既についていますー手によってその姿に人ならざるモノを混ぜて作られた亜人族。その手法を模倣し最適な兵器種族を作成する試みの下、「観測」と言うキーワードにより「魔法」から昇華して生まれた「魔術」の尖兵として、私たちの種族「翼人」は生まれました。
今やその翼人族も、魔術の発展により状況に適さなくなり、すっかり衰えて、私が死んでしまえば、あえなく滅亡となる運命にあります。
私は、もはや最後の1人、星でも見て自由に生きようと思ってきたのです。
けれど。
そんな私も、軍務と無関係ではいられず、運命と義務の名のもとに生きるしかなくて。
星の理は、見るものではなく戦いに使うものだと教えられ。
国を守るために作られた種族の最期の生き残りとして、もはや時世に適さずとも尽くすことを強いられ。
そして、ソーシアと、クララベルと出会った。
生まれながらに、生きた魔術兵器でしかない私に、役目があったとするのならば。
すべてを、終わらせる。そうすることでしか、歴史をすすぐことはできはしない。
―*―
「皆さん自身も遡時時点で当該時間から消滅してしまうのですから、皆さんが自らの身を守ることは不可能にござります。
ですから、丸裸の状態の皆さんを守れるのは私だけなのです。」
「シンシア、それは間違いですよ。
確かに、タマセさんが如何に優れた魔術師としての能力を備えていようとも、タマセさん自身がさらに過去に向かい、そして、私達の情報を精密に観測しないことには、遡時は成功しない。そして、その過程において、タマセさんが遡時して『穂高』が消えても、それだけでは私たちの遡時は確定しておらず、従って、確定までは私たちが宇宙に取り残される…これは、事実です。」
「でも、誤謬でもある。
タマセさんが取得できる俺たちのデータは、タマセさんの遡時直前時点のSTCSによるスキャンデータでしかない。
ということは、だ。
もし、俺たちが、タマセさんの遡時後に、俺たちの遡時が確定する前に、あの宇宙戦艦どもにやられたとしても。
はるか過去においてタマセさんが、自身の遡時時点の俺たちを遡時させたのなら、その時点で、俺たちの存在する時間座標は切り替わり、タマセさんの遡時以後の俺たちは、やられていようといまいと消滅する。
だからそもそも、俺たちを守る必要なんかないんだ。」
「…本当に?
本当に?
本当でござりますか?
私たち人類が、魔術であろうと技術であろうと、時間遡行を現実のモノとしたことがありましたでござりましょうか?
確かに、遡時が過去から確定させられれば、ここから先の未来で、皆さんは実在しなくなります。そして、実在した場合の未来は実在が消滅する。
でも、それまでの遡時が未確定な状態で。
もし、遡時対象が消滅してしまったのならば。
遡時先時間座標での対象の実在も、確定させられるとは限らないのではないのでござりませんか?」
「それは…」
「…その通り、だよ。
ついでに言えば、遡時対象の事象改竄力の増減も、非常に危険だと思う。
だって、属する時間座標が不確定なものが、さらに、実在までも不確定になるだなんてことがあれば、精密な遡時は保証できない。そして、少しでも精密性を失えば、DNAの塩基がいくつがズレただけでも、致命的なエラーを人体に引き起こすかもしれない。
100%精密な遡時でなければ、あなたたちの目的は達成できない。そのためには、遡時対象の損傷はおろか、戦闘も、容認できない。
だけど…
…何も考えなくていいくらい安全な、宇宙艦隊から離れた場所。そんな遠くへ移動できる余力はない。だって月面裏上空にたどり着くだけでも精一杯だったんだから。
…エラーの可能性を承知で、それを起こさないために私が死力を尽くす、それしかないと、私は思う。」
「いいえ。
タマセさんが遡時してからソーシア達の遡時が確定するまで、私が居残って守ればよい、そう、私は言ってござります。」
「シンシア、考え直して!
それじゃあ、私は、貴女を捨て石にすることになります!」
「わかっています。
遡時対象に、戦闘はさせられないのですから。
でも、これで良いのです。
ソーシア。
私には、願いがあるのでござります。」
「…なんでしょう。」
「私は、作られた、戦うためだけの種族でした。
ソーシアが過去に作りに行く新たな未来では、どのみち、私はもはや、必要とされないはずです。
お願いです。
ソーシアに、私の一番大切な友達に、私は希望を託したい。
私を、生まれないようにしてくださりませ!」
「…はい…」
「ソーちゃん…
…うん、私も、絶対、思い出の中だけには、絶対に、シンシアちゃんを生かし続けるから。」
「…俺たちも、この茶番の大戦争に作られたお前が、生きて、思って、言ったことを、絶対に忘れない。」
「ああ。
お前さんの、存在したくないって切実な思い、忘れられるかよ。叶えてやる。」
「ありがとうござります。
…私、はじめて、作られて良かったと思えるでござります…」
「…始めるよ。
STCS再起動。
現時点での『穂高』全量子情報取得。
量子位置情報書き換え機能を、空間位置から時間位置にアップデート。
『穂高』時間座標データ改竄データ作成。
遡時対象4名のデータ取得開始。
遡時対象4名の精密データ取得開始。
4名の時間座標改竄データ作成完了。
準備シークエンス終了。
『穂高』STCS、新規データ観測用意。
『穂高』、遡時開始!」
―*―
そして、唐突に、巡洋戦艦「穂高」は、消滅した。
やっと復旧した10隻の宇宙戦艦は、砲撃開始しようとした瞬間に目標が消え失せたためまごついたが、とりあえず、「穂高」がいたところにてシャボン玉のような球形空間被膜の中で浮かんでいる5人の人間に、照準を変更した。
―*―
私がすべきことは。
私に赦されたことは。
…私は、彼女の想いを果たさなければならない。
無意味にも作られてしまった戦争を、止める。
だから、私は…
…!?
誰かが、いや、何かが、STCSに干渉して、改竄データを書き換えようとしている!?
でも、これは、成功させなきゃ…
…やむを得ない。本来なら当該のデータ部位を調べなければならないけれど、今はそんなリソースはない。切り離す!
演算処理能力が、若干減って…
…遡時完了!
でも、やっぱり、私自身、「穂高」の遡時精密性は酷い。
もう、これは、フネというより、金属塊でしかない。
空間座標を維持するのは困難。それどころか、私の思考能力がきちんと保たれるように私を物質として存在させるのもギリギリ…
…仕方ない。
まず、あの4人の遡時を行う。話は、それから。
―*―
殺到する、無数のビーム。
用意する時間がなかったので魔術による羽根の複製は出来ず、従って、シンシアはこれを、手持ちの羽根666枚で迎え撃つことになった。
彼女にできる防御方法はただ一つ、羽根をうまいこと配置して、観測の力で、ビームの射線上の空間をズタズタにしビームをさえぎることーもともとが破壊兵器として遺伝子設計された翼人族には、結局、破壊するしか能がなかった。
真空の宇宙空間を666の羽根が飛び交い、666の眼玉が世界を眺め、書き換える。
ズレた世界の境目、狭間で、光線が止まり、エネルギーが消滅し、粒子が跳ね返る。
ただ、西半球連盟の宇宙戦艦は反射衛星を放出し、東半球連合の宇宙戦艦は空間魔術をビームの通り道の途中にかけることで、ビームはカクカクと回折し、四方八方から迫った。
全方位からのビーム全てをさばききることなど、できはしない。
1枚、また1枚、羽根はビームが命中して消し飛んでいく。
シンシアは、何とか、羽根を乱舞させ、付け根の眼玉をビームに近づけ、ビームを消し去っていく。
空間が複雑に小片だらけに絡み合い、障壁を形成して、ケミスタ、ソーシア、イルジンスク、クララベルを守った。
ふと、両腕と翼で包み込む親友たちを見下ろし、シンシアは。
「「「「大親友、シンシア・ザ・アラトゥス・メリエールに、敬礼!!!!」」」」
涙を流した。
ースー
そして、4人の姿は、直立不動のまま、消滅した。
羽根が、次々と散っていく。
「ソーシア…
さようなら…」
羽根はなくなり、ただの人間の腕としか見えない両腕を、いっぱいに広げ。
「ずっと、覚えていてくださりませ…」
直後。
無数のビームがシンシアを貫き、彼女の身体を跡形もなく消し去った。
―*―
西暦900年代/神歴1600年代
過去に飛んだ「穂高」は、しかし、不完全なカタチでしか顕現できなかった。
自らの存在を、自らのみで記述することはできない。どんなに頑張ってみたところで、1枚の紙にその紙のすべての原子結合について書き表すことはできないし、それを行えば結果として書き表すのに使用したインクの分だけ原子の数が増加して、結局、全てを記述することはできない。
この「物質は自己記述できない」性質のため、クラナ・タマセのミロクシステムも、「自らの知性によって、自らの知性のすべてを表記する」ことができず、記述できないものを観測することなどできはしないので、「完全な自らの時間座標改竄データの作成及びその観測」はできるはずもなく。
結果的に、3000年近く過去ーまだ「統暦」ではなく「西暦」「神歴」が使われていた時代ーの月面裏に出現したのは、ぬらぬらとした灰色の金属塊だった。
その姿はどこか、銀色のジャガイモをほうふつとさせる。
問題は、だんだんと、月と地球の重力に引かれ、落下しつつあること。
もはや、人間態の顕現も不可能になった「穂高」ミロクシステムは、それでも、安全を模索した。
困ったことに、この時代、世界は2つに分かれている。「地球世界」と「異世界」、「日生楽」と「ヒナセラ」に。そして、融合後の世界から遡時してきた「穂高」は両方の世界の属性を持つ隕石であるため、両方の世界に同時同地点に落下する同一物体となり、確実に「門」を、それも桁違いの安定性を誇る大きな「門」を形成する。
月面への落下は、もってのほか。アポロ宇宙船が秘密裏に異世界の存在を発見したとて、良いことなど1つもない。
かと言って、自家動力の供給が望めない以上、落下できる場所は地球しかない。
金属塊の中に分散する思考回路を総動員し、「自らはこうこう、こういうカタチである」と無理やり形状を変化させ、さらに大気圏突入の衝撃と変化を最低限に抑えてもなお完全に無くすことはできないために自らの限界低レベルのコピーを無数に分立させ、そしてー
ークラナ・タマセは、悟った。
(ふふ。
そう言うことだったんね。
私は、自己完結的な、『時間のループを閉じる』ようなやり方でしか、終わらせることができないんだね。)
自嘲を、無数の思考体がこぼしていく。
重心を器用にいじり、22万トンの金属塊は、2つの世界へ、同時に、まったく同じ地点に、落下していく。
大気圏突入の衝撃にも耐えたそれは、表面を赤熱させつつも、随意金属としての性質を生かして耐熱性に変化して蒸発を防ぎ、そして、海中へ落下した。
(自己の質量の実在を、異世界側で観測)
それは、クラナ・タマセ最後の仕事。
海中へ突入する22万トンを、被害を極限させ、異世界の土中へうずめる。
落水の衝撃で、天高く白い水柱が舞い上がり。
海底の土もめくれ上がり、金属塊が一瞬で岩盤の下へ。
その時、金属塊中に分散した思考体は、自己の状態観測をなして、衝突のエネルギーがなるべく分散して被害が少なくなるようにドーナツ形に変形した。
そこで、いよいよついに、ミロクシステムは力尽きた。不完全な顕現での損壊状態下からの過負荷により自己による思考能力を保てなくなり、自我が崩壊、「言われたことしかしない旧来のスパコン」に成り下がってしまった。
それでもなお、巨大知性の面影。
分散した思考体の名残は、自らは自己のカタチについて意思を持つことができなくなっても、「お前はこのようなカタチの物体だ」と意思を与えられればその通りに自己を観測し「世界の在り方」を改竄し変形するだけの能力は維持していた。
隕石落下の衝撃で、近傍のマグマだまりが刺激され、水蒸気爆発を起こす。やがてそれはクレーターを成す。
のちに、異世界にて、数々の東方辺境の魔物を退治し「勇者」と呼ばれるようになったある男は、非定住民がほとんどのこの地を訪れて、洞窟に成り下がった火山に住む魔物たちを討伐し、この隕石の1部分を得て、自らの意思の通りに剣に変形したのを見て感動、「オリハルコン」と命名することになる。
「今、何があったべ!?」
「んだんだ、星が落ちただ!」
「行って見るべ!」
「あぶねえってお前!ああもう!」
さて、地球世界、隕石の落下した日本では、時は、平安初期。
「この前、星が落ちたと聞く。
ここは、何という里なるか?」
「…わっかんねえだ。」
「ふむ、では名前を付けよう。
星が落ちる、か。
落ちるという字は縁起が悪いの。楽しむ、に読み替えよう。」
「『星楽』?なんて読むべ」
「国司様の考えることはわっかんねえがらなぁ。」
「これ、縦に読むんだべでねえが?」
「『日生楽』…『ひなせら』…
ひなせら!いい名前だし、なんか良さそうな文字だべ!」
「そしたらどうすんべ?山の、洞窟の向こうの隠し里は?そっちもひなせら言うんか?それとも別の名前つけるべ?」
「あっこは、租庸調とられん、あるはずのない隠し里だべ。『別の里いぎでえ』思わな行けん。ほっから、郡司様も国司様も気づかん。
ほっから、別の名前使って、会話聞かれたら、怪しまれるべ。」
「ほたらどうすんべ?」
「カタカナで『ヒナセラ』って書けば、知ってる里のやつしかわっがんね。」
―*―
謎の干渉を受けてメインシステムから切り離された「ミロクシステム」分散思考体の一部は、時間座標改竄を停止せず、地表に落着したのち、さらに時間をさかのぼった。
干渉していたのは、紛れ込んでいた「悪いミロクシステム」と言われた巨大知性のうち一部であるナノマシンだったが、遡時不完全性に巻き込まれたために、随意金属と完全に融合、取り込まれていた。
人類が誕生するよりはるか過去の異世界に顕現したそれは、自らがもともと感染していた人間個体であるシンシアの遺伝子データをもとに通りかかった生物の遺伝子を改造し、魔法に強くなるようにキメラを生み出していく。
「魔物」「亜人」が、異世界に誕生した。その遺伝子は強さによって異世界中に瞬く間に広がり、さらに、魔法を見たことで常識が打破された他の生き物も「魔法などありえない」という無意識化の事象固定に修正が入り、魔物として進化することになる。
かくて、歴史は始まったのであった。
―*―
西暦2063年/神歴2723年9月24日
シンシアの犠牲を、無駄にするわけにはいかない。
「事象改竄度計の反応は?イルジンスク。」
「かなり低いな。この時代の人々は、魔術なんて信じてなかったらしい。」
「それでも信じていた、機械あるいはそれに類する人。
それが、悪いミロクシステム、ナノマシン、その始まりでしょう。」
「だよね!つまり、魔力がある方に行けばいいんだ!」
「そういうことです。それとクララ、魔術で、感情を読むことを忘れずに。チャンスは決して多いとは言えないのですから。」
「迅速に済ませるぞ。イルジンスク、俺たちの存在に疑念を抱かれないように頼む。」
「言われなくても任せとけ。」
「急ぎましょう。『ミロクシステム』『松良あかね』がキーワードです。おれらを知っている人に聞きこみ、辿っていけば、元凶にたどり着けます。」
「クラナ・タマセいわく、松良あかねの暴走がミロクシステムを悪いモノにさせたらしい。
何としてもだ。
松良あかねを、消すぞ。」
「ええ。
4人で、未来を、救いましょう!」
―*―
西暦2063年/神歴2723年12月25日
スコルズビ海戦にて、人類がシンギュラリタイズドAI「オーバー・トリニティ」に勝利してから、3か月が経過した。
問題は、まだ、全て解決されたわけではない。何しろ、最大の問題である、「今も融合しつつある地球世界と異世界の融和」という課題が残っている。
「本日は、2世界融合という未曽有の困難に際し、積極的な活動を行っておられる、Electric・Bioグループ会長、松良あかね女史に、今後の両世界と人類の展望について、改めて全世界にその概要を語っていただきたいと思います。
それでは、どうぞ!」
―*―
「異世界という存在を、異物、対立物ととらえる。そのような一般的なあり方は、安全策の一つとしてはいいでしょう。
しかし、今日にいたり、異世界をただただ仮想敵とし続けることは許されませんし、まして、植民地時代をもう一度行おうという懐古主義的な企みは看過しがたいものです。
太古より、偶然が『門』を開くたびに、私たちの世界と異世界は繋がってきました。それは神話に翻案されたりもしてきて、実は、私たちの世界の歴史の奥底には、深く異世界の存在が刻まれているのです。
異世界人にとっても、そう。
私たちと異世界人は、決して、分かりあえない遠い存在どうしではありません。幾度も交わってはわかれ交わってはわかれてきただけなのです。
今、2つの世界が1つになるのに際して。
不安を抱かない、などということはあり得ません。誰もが、ほぼ未知の存在である異世界に、恐れおののいている、これは正しい反応です。
ですが、それと同時に。
すっかり閉塞し、行き詰りつつあるこの世界は、天祐を受けて再編されています。
この新たなる世界を、無事に迎え終わる。それは一面では非常に困難なことです。ですが、チャンスでもあるのです。
異なる価値観を、ルーツを、信条を持つ人間が破壊的に交われば、対立が生まれます。しかし生産的に交われば、そこにはアウフヘーベン、より高いレベルの何かを生み出すことができる。
私たちがすべきは、まさに、そこにあります。
私たちは、科学的、論理的思考を積み上げ、技術力を磨き、その結果、弊社のミロクシステムを代表とした、巨大な文明を発展させました。
一方で、異世界の人々は、呪術的、哲学的思考を散らかし、魔法力を高めて、その結果、2つの世界帝国を代表とした、強力な覇権を確立させました。
そして、2つが混ざり合ったところで、現代的なコンピューター機械文明として機械化軍隊を保有しながらも魔法を市井のすみずみにいきわたらせてあらゆる人に恩恵をもたらし、1つの世界を安定させてすべての住民を幸せの段階へ引き上げる、ヒナセラという奇跡が生まれた。
私たちは、ヒナセラにならい、今まではぐくんできた力、新たなる世界の新たなる力、この2つを掛け合わせて、理想を目指さなければならないのです。
科学技術と魔法技術。
地球世界と異世界。
ハイテクとファンタジー。
お互いに手に入れたフロンティアは、やがて、世界ごと1つに融合するでしょう。その時、融歪を選ぶか、融和を選ぶか。
より、幸せになる路を、私たちが欲するのならば。
私たちは、この新たなる世界で、失うすべてではなく、新たなるすべてに目を向け、そして、外に飛び出していかなければなりません。
両世界国家の併存により発生する国境の複雑化に対し、軍拡ではなく軍縮で。
領土が減少することによる生産量の減少を、新たなる力を以て生産力を上げることで。
新たに増える人々に対しても、対立ではなく対話で。
相互に否定するのではなく、相互に高めあう関係にならなければならない。そのためのインフォメーションとリソースであれば、私はいくらでも提供します。
時代は、私たちがうだうだしている間にも、進んでいくのです。」
―*―
松良あかねが、話を終えたその時。
聴衆が、一斉に、真上を向いた。
別に、そこに何かあるわけではない。ただ、天井から1枚、コインが吊るされているだけ。でも、誰もが、その何の変哲もなさそうなコインに目をくぎ付けにされてしまっている。
VRを使って全世界に中継していたカメラとマイクが、シャラシャラと錫杖の音を浴びて、サラサラと灰になり崩れ落ちる。
コイン以外には何の注意も払えなくなってしまった観衆の間を、少年と少女が壇上へと走り抜けていく。
魔力を感知して走ってきた亜森連人が扉を蹴り開け、中里楓がテーザーガンを発射し、太田玲奈はスカートの中から魔法で加速した鋭い五寸釘針を何本も撃ち出した。
「さすが、約1700年前。
遅れていますね!」
その一言とともに、少女は傘を開く。
唐草模様が刻まれた同心円が回転を始め、傘の表面が翠色に輝き。
銃弾と鉄針は、空中で静止し、真っ赤に輝き、爆発音を発して蒸発した。
それでも、聴衆の注目は、コインから離れない。そして、警備員も警報も反応しない。
少年が、閉じた傘を一振りする。それだけで、亜森連人、中里楓、太田玲奈は、全身血まみれになって地に伏した。
後は、壇上で目を伏せ、一言も発そうとはしない、松良あかねだけ。
少年少女は、それぞれ、傘の石突きを松良あかねに向けた。
―*―
「貴女が、『松良あかね』、『ミロクシステム』の、クラナ・タマセが分離・不活性化した後の主ですね?」
「…どこで、それを聞いたの?」
「タマセさんから聞いた。
お前はいずれ暴走する。そして、世界を争いで満たす。
「私は、そんなことは、絶対に許せない。
世界のすべてのために。
私たちの時代のために。
シンシアの願いを叶えるために。
今から茶番を始める貴女を、ここで、倒します。
死んでもらいます、未来のために!」
「話しても、わからない?」
「俺たちは未来を見てきた。
対話など許されない、憎しみしかない未来を。
今さら元凶が、対話や融和を語るな!」
「…どうしても、ダメ?」
「「問答無用!!」」
「そっか。
…それなら、しかた、なかったのかな…
優生君、ごめんね…」
―*―
その2発に、未来を託し、全ての想いと歴史を載せて。
致死の腐敗毒を含む銃弾と、致死の発狂魔術を含む銃弾。それが、松良あかねの額を貫いたー
ー時間の輪は閉じられたー
ー知性の粋は息絶えたー
しかし、まだ、世界は終わらない。
統暦1735年は前日譚。
ーやっと、すべてが始まるー




