3 「ある漢の夢、ある少女の希望」
その漢はかつて、最強を追い求めた。
その少女はかつて、最強であったために眠りについた。
1000年以上の時を経て、手を取り合った少年少女は、歴史の変革目指して闘いを挑む…
―*―
統暦1735年6月25日 東半球連合皇都ヴァルゴ宮
わずか4か月、たったの4か月だ。
2月に、ソーシア・テフェルンは、指先ほどのミニレンガを無数に重ねて作られた巨大魔術都市で一番の学校である魔術女子師官学園を、学年トップはおろか学園1000年史上トップクラスの知識・実技成績で卒業した。そのころには、「何としても、1人でも多くのネジ狂いどもを殺してやります」と、軍務への強固な意思を持っていたのだ。
それなのに。
気づけば、どうしてか、6年もの死と隣り合わせの訓練を共に生き抜いてきた大事な親友を捨てて、仇敵の先鋒とともに、何よりも守ろうとしてきたはずの皇宮へ攻め込むような真似をしている。
「不思議なものですね…そう、運命みたいな。」
「まーだそんなこと言ってるのか?
偶然にして必然。
それが俺たちであったというだけで、誰かがいずれ気付きそうすることは最初から定まっていて、ただそれだけだ。」
いわゆる「観測当事者論」。ある事象が起きて運命的なまでに偶然の積み重ねを引いたように思えた時、とても膨大な母数の中から低い確率の出来事を引き当てて神がかり的なことだと思った時に持ち出される「誰かがその事象をいつか引き当てることは決まっていた。ただそれがたまたまお前だっただけだ」理論である。
「貴方方が理屈的に考えるほど、私たちの信じる神秘が安っぽくなっていきますね。
ですが、私たちはそこに、あえて意味を見出します。
『ラプラスの悪魔と奇跡必要論』『環世界道程論』というのですが、私たちがその運命を引き当てたのは、私たちがそれを望み、必要としたから、なのですよ。」
「なるほど、そうするとケミスタとソーシア嬢さんは、どっちも、叛乱を望んでたってことか?」
「アホ言えイルジンスク。
そりゃ、俺たちにコレを強いたのは、俺たちの才覚だ。
だから、俺たちに、引き寄せられた。時代が変革を必要としたんだ。」
「…今はそう、ナルシシズムの力を借りることも必要かもしれませんね。」
ソーシアは呟きつつ、盗品の魔術杖を、まるで誰かを殴り殺そうとしているかのように思い切り振り下ろした。
根元に目玉のある白い羽根の嵐が吹き荒れ、杖の先に浮かび上がる魔術陣によって形成された空間断裂のドームが羽根を阻む。
「イルちゃん?
…は、な、し、が、ち、が、う、よ、ね?」
「もし、私に友を帰すだけの寛容さあるいは判断力が貴方にないのならば。
血の一滴たりとて残ると思ってほしくはないでござります。」
錫杖を両手に1本ずつ持つクララベルの銀髪と、両腕を広げてその翼を見せびらかすシンシアの白羽根。とても話が通じそうな雰囲気には見えず。
「やれやれ。
俺たちは相手を殺せないこの不条理。
…復帰戦としちゃたぎるぜ。」
「いくら仲が良さそうに見えても、脅されているように見えなくても、洗脳に間違いない。東西が仲良くなれたことは1700年一度もなかったのだから…か。
ホント、いい軍学教育だな。」
「お褒めにあずかり光栄、と言いたいところだけど、今回は裏目も裏目、ですね。
聖傘がないからと言って、遅れを取るわけには参りません。まして親友に。
行きますよっ!」
ケミスタは傘を、イルジンスクは無数のコインが入った袋を、そしてソーシアは魔力放射光まばゆい魔術陣を右手にかまえ。
両者は、駆けだした。
まず、羽毛の嵐が吹き荒れる。
根元に目玉を持つ、まるでクジャクの尾羽のような柄の白い羽根が、視界を埋め尽くす。目玉の周りは時空が乱れ、羽根がかすめれば素粒子は存在すら危うくなる。
両腕下の翼をはばたかせて空を舞うシンシアは、勝利を確信しながら羽根を降り注がせていたが、ふと違和感に気づいたー効いていない。
「…あなたでござりますか?」
滑空して、飛び降りるように。
シンシアは、イルジンスクの前に立った。
「さあ、どうだろうな?」
イルジンスクはそう応えながらも、手裏剣のようにしてコインをせっせとばらまいている。
「とぼけないで欲しいでござります。そのコイン、魔力を消してござりますでしょう?」
シンシアだって、まともな応えを期待したわけではなく、まき散らした羽根を集めて塊としてまとめてぶつける挙に出る。
「おお、なんか殺意たっぷりだなおい。」
イルジンスクも、眉間にしわを寄せ、十数のコインを羽毛の塊へと投げつけた。
コインに仕組まれた量子位置固定機が、周囲の量子を観測することで存在を確定させようとする。
羽根の付け根の目玉が、それぞれが少しずつ異なる空間の状態を観測することで空間の状態を歪ませる。
2つの作用は、結果的にはお互いに相殺しあった。
イルジンスクが、シンシアの攻撃を引き付けている間に。
ケミスタとソーシアは、クララベルに襲い掛かる。
クララベルが振るう錫杖が、ひっかき音のような不快な音とともに、闇色のオーラを放射する。
いきなりの精神魔術の洗礼に「さすがトップクラス…」とぼやきつつも、傘が生み出す空間の断絶面によって魔術の有効圏内からなんとか逃れたケミスタは、そのままに傘をたたんで斬りかかった。
クララベルの左手の錫杖が、一刀両断される。
クララベルは、右手の錫杖を振り回した。
杖と傘が、しのぎを削りあい、そして数秒にして杖が折れ飛ぶ。
「っ、こんなところで、負けるわけにはいかないよー!」
それでも、クララベルは、ハイライトの消えた目で、素手で立ち向かおうとしてきた。
「悪い、別に本丸でもない相手にかかずらうわけには、俺もいかない。」
だが、相手は西側ナンバーワン。その傘の石突きを向けられたことで、いくらナノマシンが命令しようとも、生物としての本能が闘うことを拒否した。
「ソ、ソーちゃん、たすけっ」
プスッ。
「…ごめんね、クララ…」
ソーシアは、倒れこんだ親友をキャッチし、背中をいとおしそうになでた。
「…くっ、あなた方は、ソーシアのみならず、クララまで洗脳するつもりですか!」
「違うんだが…
…ま、いいや。
おい、よそ見なんかしてていいのか?」
イルジンスクは、そう言ってシンシアの右腕の付け根へと銃口を向けた。
コインが、電光とともに撃ち出された。
きょうび、まさか、電磁加速砲程度では一般兵を倒せるのかも怪しい。だが、コインというものが普遍的に持つ「注目を集める」性質を科学的に極限まで高めたコレの場合は、「攻撃を引き付ける」機能がある。
コインに吸い寄せられるようにして自分の方へ戻ってくる白羽根の嵐に、さすがにシンシアは端正な顔立ちを歪めた。
「『天測』
『天移』!」
有り余る観測能力から来る、強大な事象改竄能力。それを限界まで使い、「自分だけを天体の運行から切り離す」ことで、自転公転に置いて行かれるカタチで、シンシアは一瞬のうちに宇宙への逃走を果たして見せた。
それでも、結果として、逃げたことには変わりがないー敵前逃亡を罪とするのは陣営の東西を問わないので、誰も不思議がった。
「…行きましょう。皇宮へ。」
今度は、ソーシアが友達を背負う番。そして、ケミスタとイルジンスクは、無数に現れる敵兵の海の中を突き進んでいく。
文字通り、血の雨が降り注いでいく。それが歴史を変えることに決めた己の罪だと言わんばかりに、ソーシアはあえて汚れを防ぐ魔術を使わず、金髪を鮮血の赤茶色へと染めていった。
臓物が、小さなレンガとレンガの間の緻密な隙間にしみこんでいった。
―*―
「ふふ。
ソーシア・テフェルン、それに愚かにも才を神にささげられない哀しき天才ケミスタ・ハクラン。まさか、3か月にして、私に挑みに来るとは思わなかったわよ?
ソーシア、やっと、皇帝になりに来たのかしら?」
「いいえ。
皇帝の間での引継ぎ事項の…
…伝説の不沈艦『ホタカ』の現在位置について、教えてほしいだけです。」
「…知ってるわよね?
伝説は、それ自体が信じられることで魔力を持つ。
古戦場や英雄の像は、それだけで膨大な魔力の源。
その中でも、「精神魔術の後継者』と『不沈軍艦』は、どちらも世界の半数が信じているという点で、信じ難いほどの事象改竄力を与えられていることになるの。
だから、歴代の皇帝は、その力を得ることで護国の力を手に入れてきた。
物質への攻防は、最強の軍艦の力を借りて。
心への攻防は、最強の魔術師の力を借りるの。
だからこそ、もし外部に漏れたら、体制が揺らぐ。1000年以上もこの国が革命や暴動、クーデターや反乱を持ちこたえて国体を護持してきたのは、この秘密があったから。
この事案について継承することは、すなわち、皇帝になるのと同義なのよ。」
「…ちょっと待て。」
「何かしら、まつろわぬ愚かな外の民。
本当ならばここでひねりつぶしても」
「どうして、俺たちの側に属する不沈艦伝説で、魔力を得られる?
お前たちは、俺たちの誇る技術の力を、これっぽちも信じちゃいない。
俺たちの伝説から力を得ようだなんて、できるはずがない、蔑みきってるんだからな。
いくらゴキブリが最強の生存力を持つ生物だからと言って、ゴキブリのDNAを注射しようとする奴がいないのといっしょだ。『しょせんネジ狂いの力、大したことはない』と少しでも心の底で思ったのなら、それだけで力は得られなくなる。無意識領域の事象固定力は意識領域の事象改竄力を圧倒するからな。」
「…ええ。
言いたいことはわかるわ。
それでこそ、知れたら、体制が揺らぎかねないのだから。
でも、そこから先は。
気づいてしまったのならば、言わせるわけにはいかないわね。」
「…下がれソーシアっ!こいつはヤバいっ!」
「知っています!しかし下がるわけには参りません!これは私への挑戦です!」
「じゃ、増援が来るまでに何とかできなきゃ…
…同じ墓の下、か!」
―*―
むかしむかし、あるところに。
ひとりの、おとこのひとがいました。
おとこのひとは、とっても、つよいひとでした。
おとこのひとは、とっても、えらいひとでした。
だけど、おとこのひとは、えらいだけではまんぞくできませんでした。
おとこのひとは、だれよりも、つよくなりたいとおもいました。
おとこのひとは、だれよりも、えらくなりたいとおもいました。
―*―
「そして、我が国の1代皇帝は、禁忌に手を出してしまった。」
それが最高機密であり自らの強さを保証してきたうちの1つであるにもかかわらず、女皇はなぜか、とうとうと語り始めていた。
一方のケミスタとソーシアは、ひたすら押されまくっている。
魔術国家である東半球連合。人類の半分にして太陽系の半分である彼女の力は、西半球同盟が想定していたそれをはるかに上回っていた。
透明な素材でできた円筒の部屋を無数にハチの巣状に配列、積み重ねた、特殊極まる作りの宮殿。それが、あっという間に破片1つ残さず消滅させられ。
女皇の指先が、空気をなぞる。ただそれだけで、指先を弾く、ただそれだけで。
「ちっ、思い通りに傘を使えない…」
「猊下の得意魔術名は、『指先三寸』って聞いてたけど、そういう意味だったんですね…」
つまんだ指を広げれば、意思に反し身体は遠くへ投げ出され。
人差し指が空中をなぞれば、鉄よりもダイヤよりも堅くなった空気の弾丸のみぞれが吹き荒れる。
ケミスタの傘の空間切断面バリアの中であっても、女皇に見えている以上逃れることはできず、フリックで銃弾の方向をいじられ、ピンチインでいきなり100G近い移動を強いられ、さんざんな状況にあった。
―*―
おとこのひとは、でんせつのあいてにかてば、れきしじょうさいきょうになれる、そうおもいました。
たったひとふりのせいけんでみんなのうえにたってきたおとこは、おのれのけんのうでをしんじていたのです。
ところで、ふしぎなことがありました。
でんせつにかたられるふねもおんなのこも、さいきょうで、ぜったいなのに、もうどこにもいないのです。
おとこはふしぎがりながらも、すべてをなげだして、でんせつをさがしました。
しかし、でんせつにいどむことはできなかったのです。
―*―
「くそがっ…」
べシン!
何もない空中にて、まるでそこに堅い壁でもあるかのように、ソーシアが叩きつけられる。
気を失い、開いた口から大量の血を流して落下してくるソーシアを抱き留め、ケミスタは毒づいた。
と、ケミスタの足元が横へと一気に動く。空間がスクロールされているのだ。
転ばぬように、ケミスタは思い切って真上へと飛びあがった。とそこで嫌な予感を感じ、ジャンプ中ながらも無理やりな体勢変化をかけて身体を横へ倒す。その上を通り過ぎる空間の断裂面。
「油断も隙もないな…」
しかも、ケミスタは、重症のソーシアをお姫様抱っこしながら。
いくら軍服の内側にパワードスーツを着こんでいるとはいえ、その強力無比な傘の機能は、両手が不自由な状態で使いこなせるものではない。
「ふふ、次期皇帝が決まるかと思ったけれど、早々に脱落したみたいだし?
ネジ狂いに負ける皇帝じゃないのよ?だから、あなたはもう、おしまい。」
聖女のように天使のように、指で世界を指揮していく女皇。ケミスタにも、自分が何を言っても強がりにすらならないことはわかりきっていて。
「ほざけ。まだ、俺も、コイツも、まだまだだよ。」
なんとか傘を開きー傘の開閉すらも、思い通りにいかないー空間断裂面でドリルを作り出す。
前方から来る攻撃のすべてを、途切れている後ろ側の空間へ到達できなくさせるとともに、すべてを空間ごと引き裂きねじ切っていく。
女皇の、タッチパネルで画面をズームしたりスクロールしたりするようにして、目の前の空間を操作する魔術。それは空間の空間改竄への抵抗力を下げており、結果的に、かえって、不可視のドリルの突進力を上げていた。
もちろん、そんな危険性を、把握していないわけがない。仮にも彼女は東半球連合最強―西側が「道具がなければ何もできない」ことを考えれば、生身では世界最強である。
虚空をタップ、空間の異常をストップさせようとするが、ケミスタは数十のコインと折れた錫杖を投げつけた。
そのどれもが、事象観測改竄・事象観測固定に関するもの。そして、無視できない数の事象改竄ファクターが入ってきたならば、単純な操作と言えども実行するために検討すべき、計算すべきことは膨大に膨れ上がる。
たった数秒であっても、その数秒を弥縫策に費やしているうちに新たな攻撃をされていたちごっこにされるリスクを考えれば。
「まだまだ、語り切らないものねぇ…
『再起動』」
女皇は、右腕をスッと伸ばして、人差し指で長押しした。
ケミスタは、稼いだわずか数秒のうちに、ソーシアの口を親指と人差し指で強引に開き、薬のカプセルを無理やり押し込んだ。
「死んだら困るが、死ぬくらい頑張ってもらわないと、1人じゃキツいからな…
頼むぞ。」
―*―
すでに、そのふたつのでんせつは、しんでいたのです。
むてきのでんせつをもつまじゅつしもぐんかんも、やられるわけがありません。
おとこは、もうひとつのおもいもがけないしんじつにこうふんし、ただのこうみょうしんだけではなく、ふけいにしてすけべなこころで、でんせつのふっかつをこころみました。
おとこは、まったく、「どうして、でんせつはみずからしをえらんだのか」について、かんがえようとしなかったのです。
そして、おとこは、おおくのいけにえをぎせいに、でんせつをよみがえらせました。
まじゅつのじんをつかって、でんせつからちからをすいとるしかけもつくりました。
てきのかがくしゃときょうりょくして、なくなったかけらをおぎない、すべてのかけらをいっかしょによせあつめました。
しかしおとこは、ひきかえせないほどのせいしんおせんをうけることになったのです。
えいえんにおとこは、おおくのひとをいけにえにしたばつとして、そこにしばりつけられることになったのです。
「そんなにつよくなり、えらくなり、じぶんのすごさをしめしたいのならば、えいえんにたたかいつづけるがよい」
それから、おとこは、しまひとつおおうダンジョンにとじこめられることになったのです。
いまも、そのしまにはときどき、おとこのあとをついだつわものたちがあらわれます。
ぜったいにいきてかえれないダンジョンのおくで、おとこはまっています。
だけど、やってくるひとが、おとこにはまものにみえるのです。
おとこがのこしたしるしがなければ、さいおくまでいきぬけるつわものも、おとこにたおされてしまうのです。
おとこは、しるしをもっているちょうせんしゃだけは、こきょうのにんげんだとおもっていっしょにたたかおうとします。けれど、ダンジョンをでられるのは、おとこをたおしたひとりだけ。そのひとりは、おとこをだましてふいうちしなければいきのこれません。
そして、おとこをたおしたにんげんは、でんせつのちからをすいとっているおとこをたおしたことででんせつをこえたとみとめられ、でんせつのちからをうけつぐのです。
いまも、こうていげいかは、まものとたたかいつづけながら、だましうちでころされるともしらず、いきかえらされては、たすけてくれるふるさとのひとをまっているのです。
―*―
「それが、歴代皇帝の秘密かよ…!」
「ええ。
まさか、皇帝が皇帝として君臨する方法が、国祖である1代猊下をだまし討ちすることなどであるとは…
…いえ、それ自体は、醜聞ではあっても、1代猊下を超えることで真の皇帝になれるのですから、例えダンジョン攻略に引き連れていく師団が『皇帝の冠を持っている一人以外は帰れない』とダンジョンから教えられた時の絶望の表情を眺めることを強いられるにしても、あまり、問題ではないのです。」
「ま、もう一つの真実とやらを考えれば、どうせついてきたやつを生きて帰らすわけにはいかないし、ダンジョンの事情について継承するわけにはいかないから知らずに伴を連れて行っても誰も責められないな。
そして、なるほど、皇帝にならなければいけないわけだ。
秘密を知ることは、皇帝の力を得る方法を知ること。一方で、秘密を活かすには皇帝の冠を手に入れなければならない。」
「そ。
あなたを皇帝にするわけにはいかない。我らが女神にして、伝説に語られるダンジョンの主、『ミロク様』を信じないあなたを。」
「…女神の名前は不明って聞いてたが、そんなことか。
まったく、徹頭徹尾、誰の掌の上にいるのか気づいてないんだから、おめでたいな…」
「おめでたいのはあなたのほう。だって、魔術を使わないあなたがあそこに行ったとしても、道中ソーシアを支えることができても、皇帝の力を受け継げないのならば居残り、新たないけにえになるしかない。
そんなことのために攻めてきたの?」
「いーや。
俺は、馬鹿な皇帝の2の舞になりに行くんであって、別におたくのふざけた慣習に習うつもりはない。」
「力を、奪いに…
…無謀ね。」
「無謀でも、西と東のトップクラスがいるんだ。何とかして見せる、この世界のためにな。」
「そのわりには、私独りにてこずっているようだけど?」
「そう思えるか。
ふーん。
イルジンスク!もう少し早く来てほしかったぞ!」
「うっせえよ!コイツ捜し出してやったんだから文句言うな!」
「ケミちゃん、ソーちゃんに渡してっ!」
シュン!
「なっ、武器庫に隠していたのに…」
「ソーシア、起きろ!お前の武器だ!」
「うー…
…うゆ?
…そういう状況でしたか。
仕切り直し、ですね、猊下。」
―*―
ケミスタの腕の中から降りて、聖傘を握ったその瞬間に、ソーシアの周りに雪が吹き荒れた。
魔力をチャージする方法として、「瞑想」という方法がある。魔力がもっとも湧き出してくるがもっとも使われてしまう戦闘中に生まれたわずかな隙、暇に、魔力を全く使わない瞑想時間を設けることで、戦闘中の勢いで生み出す魔力を貯蓄できるのだ(もっとも、おかげで闘っている間に寝る者が多く「瞑想オタク」とそしられてしまうのだが)。
戦闘中に唐突に意識をシャットダウンされたことで、ソーシアは疑似的な瞑想に入り、蓄えられた膨大な魔力があふれ出していた。
空気中の水蒸気が降り注ぎ、ダイヤモンドダストを成す。
ソーシアが傘を開けば、雪はますます強くなり、白銀のもやの様相を呈してきた。
女皇は指先を動かして攻撃をくわえようとしたが、「指先三寸」は視界の中のものをタッチパネル上にあるかのように操作する魔術。雪の中に隠れたソーシアを操作することができない。
ならば、まずは、広がり続ける雪霧をどければいいだけだーそう考えて雪霧全体を1つのオブジェクトとして横へとスライド操作して見ても、ソーシアの姿をあらわにすることはかなわず、新たに出現する雪霧が世界を塗りつぶしていく。
「猊下の魔術は、視界に入った瞬間に掌握されてしまう、いわゆる初見殺し魔術です。
ケミスタ、ですから、これだけの時間を持ちこたえてくれたことに感謝します。」
「じゃあ、とどめも譲ってもらおうか?」
猛吹雪の中で、100枚以上のコインをイルジンスクがパキパキ割っている。中から噴き出した「液体水と同じ分子密度の水蒸気」がクララベルの錫杖の一振りごとに拡散、そしてソーシアの魔力により凍結させられて、新たな濃霧へと変化していく。
皇宮からあふれ出して周りの役所の建物をも呑み込んでいく零下の嵐。
女皇は、やっと玉座から立ち上がった。
「なんだ、やればできるじゃない。
『空震』
ーズ!
「お褒めの言葉をありがとうございます。
『空震』」
ーズ!
あらゆる物質を裏打ちする「3次元空間」それ自体が、激震させられる。
空間に与えられた2重の地震。
実際の地震と同じく、地震波は地面を揺らし揺さぶりながら伝わる。2重の場合、その波形は合成されて、複雑に緩急ついた地震波となり、とりわけ波の山と山が重なると化学結合など一瞬で引き裂かれてしまうほどに空間がよじれることになる。
秘密を聞かせないために、わざわざ親衛隊を下がらせていた女皇。
休息をとることができた上に量子位置固定機により空間の異常を抑えることができるケミスタがいる、ソーシア達。
空間を破壊せんとする地震波は、抵抗の少ないほうへと逃れるように進行する。結果として、女皇へと強烈な空間震動が伝播していった。
女皇の白い皮膚が、皮下出血がにじんでピンクに染まる。やがて、顔のあちこちから不定形の切り傷が出来て大量に出血し、女皇はドサッと倒れた。
「…私を、超えるのね…2人で…
…いいわ、その調子よ…
…あなたたちなら、もしかして…
ダンジョンの位置は、グリーンランド…スコルズビスーン。」
それきり、血だまりの中でアメーバのようにつぶれて。
「Ittoqqortomit、か。」
返事は、なかった。
―*―
統暦1735年7月2日 グリーンランド、スコルズビスーン≠Ittoqqortomit
ダンジョン、あるいは迷宮。
それらがどのように形成されたのかについては、東半球連合の魔術学者や生物学者の間でも諸説が乱立している。
人間に「世界の実在を保証している観測によって世界の在り方を変える力」が存在するのであれば、一定以上の知性によって世界の実在の保証に貢献するほどの観測をする生物にはすべて、それゆえに事象改竄力が備わり、魔術を使える可能性がある。ただ、本能の働きが強い非人間は「世界がそう簡単に思い通り変わるわけがない」という無意識の事象固定力が強いので、普通は事象改竄力が発揮できない。
ただ、閉鎖環境においては、そうとは限らず、想像を絶する熾烈な生存競争が生息する動物に超常的な力の使用を強いることがある。その結果、魔物が無数に生息する魔窟、通称「ダンジョン」となる…と、されている。
一方で、西半球同盟では、いっさいダンジョンについての研究が存在しない。国家黎明の時期に、魔物絶滅計画が立てられ、震動弾頭弾搭載爆撃機の投入、そしてダンジョンには戦略核攻撃が行われて、広大な国土のどこにももはや魔物など存在しないからである。
そんなわけで。
深い雪に覆われた大地の先頭を往くのは、過去にもダンジョン踏破経験のあるソーシアとクララベルであった。
吹きすさぶ雪の向こうから、ときおり、人の腕ほどある鋭利なつららの針が飛んでくる。どうやら、ヤマアラシのような氷の魔物がいるらしい。各自、はたき落としていく。
そして、しばらく、夏であるというのに極寒の大地を歩いていくと。
地面に開いた、町一つすっぽり収まりそうな巨大な穴。底の見えない空洞の下から地上へと、目を開けられないほどの猛烈な吹雪が噴き上がってきている。
「まさか、夏だって言うのにこんな寒いのは、全部、ここから噴き上がる雪のせい…ってことか。なんてこった…
イルジンスク、事象改竄度計は?」
「マックスだ。
この底には、やべえ奴がいる。方程式どおりなら、確かに、Greenland中を影響力に収められるような奴だ。」
「1代皇帝と、2つの伝説…シャレになんないねー。」
「しかし、私たちとて、魔術と科学技術、1700年交わることのなかった2つの力を結集させているのです。その結果、向こうの想定をはみ出せているはず。
行きましょう。」
言うなり、ソーシアは、穴の淵から一歩踏み出し、落下していった。
直後、全方位から殺到する、透明がかった水色のビーム。傘を開き、反射バリアを展開して跳ね返していく。
「ソーちゃん待ってー。」
「俺も行くか。」
「無様は見せられそうにねえな…気合い入れなおして、と。」
クララベル、ケミスタ、イルジンスクも、次々と穴の底へと飛び降りていった。
穴の壁に巣を作っていたらしい無数のハチが、群れなして雲のようになって迫りくる。その尻の針は、視認するのも困難なほど細い氷で、紫に濡れながらひっきりなしに飛んできていた。
クララベルが錫杖をシャランシャランと振り、周囲の温度を上げる。しかし、亜音速で飛行しながらも摩擦で溶けたりしていない氷針が、気温の上昇ごときで溶けたりはしない。
イルジンスクが投げたコインを境目に空間に切れ目が生じ、断裂面に衝突した氷針が砕け散っていく。
ケミスタが、傘を閉じて振り回した。石突きからビームの弾幕が吹き荒れ、ハチを奈落へと叩き落していく。そして、それよりも速く、自らも落ちていく。
底が見えてきたのを確認し、傘を開いてパラシュートにし急制動をかける。
着地してみれば、ダンジョンの底は、ゴツゴツと岩が突き出て荒れていた。
バウバウという荒々しい鼻息が聞こえる。
「さっそく、お出迎えか。」
「大土竜、ですか。」
「おっきいねー。どっちかって言うとベヒモスじゃない?」
「なんであれ倒せば死骸だがな。」
ハニカムの装甲を赤く赤熱させる、巨大な鼻なしゾウとオオトカゲを重ね合わせてキメラのようにした魔物。その長い鼻から、煉獄が噴き出す。
灼熱を受けとめる、一本の開いた傘。壁に背中を押し付けて炎の圧に耐えるソーシアは、すでに岩壁に半分埋まりかけていた。
「いきなりの強敵ですね…」
クララベルがシャラシャラと錫杖を振り、イルジンスクが破甲爆雷になっているコインを押し付けると、くぐもった音がして、装甲にひびが入った。
ケミスタが、掛け声とともに斬りつける。すると、やっと魔物は、二股に別れた舌を口からはみ出させて倒れ伏した。
「次行くぞ次。」
「少しは、温感魔術を常時使用させられている私の身にもなってよねー。」
「まあまあクララ、早ければ早いほどいいのですから。」
「ミロクシステムで脳が影響しあってるなら、早晩どちらの陣営にも俺らの居場所が割れる。その前に終えてしまうに越したことはないからな。」
その後も、次々と、一同は魔物を倒していった。
雪と氷に閉ざされた大地の地下に眠る迷宮とは思えないほど、ダンジョンの中は多種多様だった。
金色の果実をつけてはその放射線で周りのすべての生物を即死させようとする歩行植物。
ー273度の右腕と273度の左腕を振り回すゴーレム。
完全に透明で、あらゆる手段で感知することができないほどステルス性を持ち、音速で突っ込んでくる空飛ぶ魚。
壁いっぱい、数百メートルもの範囲にへばりつき、柄の先の珠から不可視なほど小さい劇毒でしかも体内に急速な勢いで生える胞子をまき散らしてくる。虹色の変形菌(カビのような挙動のアメーバ)。
強酸の粘液を吐き散らし、腕ほどの分厚さの金属殻を持つ、バオバブのように大きいカタツムリ。
重力魔術によって空間を歪ませて獲物を引き寄せるアリジゴク。
毛の一本一本が、対戦車砲ほどの威力を持つ地雷になる、地面に潜るオオカミ。
電撃で空気の分子を破壊してプラズマで周囲を満たしている巨大タコ。
魔術を使うそこそこ強い魔術師ーかと思えば、部屋の木壁から湧き出す無数のシロアリでできていて、いくら攻撃してもいっこうにキリがなく身体が補充されていったり。
硫化水素、塩素、青酸ガスだけの大気を持ち塩の霧が覆う部屋では、有機物に触れて最強の毒ガス「ネオ・ノビチョク」に変換する古細菌が無限に浮遊していた。
ゴキブリと言えども、1匹見たら300匹いるだけにとどまらず、物質の分子構造を自壊させる超音波を出す魔術を使う。
些末な相手に見えても、一筋縄ではいかない。
それでも、立ち止まることすらせず、4人は攻撃を乱発しながら駆け抜けていく。
電光が奔り爆炎が舞い。
空間が割れ光が壊れ分子は裁断されていく。
相手を即死させる魔術を体内で循環させている巨大プラナリア。
無数の点滴針を自在に壁から突き出させる看護師アンドロイド。
強制的に淫猥な幻覚を想起させる魔術を100メートル四方に展開している、クモヒトデの腕を持つバフンウニ。
縒り合わせたコードのようなモノでできた身体を持つ、ヒトガタのモヤモヤ。
自らの魔術/ライトで充分な明かりを供給できるとはいえ、薄暗い地下洞窟でかくもわけのわからない敵ばかり、気も滅入るというものだ。
そんな中で。
「貴様ら、新しい魔物だな!」
その人物は現れた。
―*―
10メートルはある大剣に、完全に姿が隠れている。
…アレで、本当に、振れるのか?
「魔物じゃないが、挑戦者ではある。」
「1代皇帝猊下、貴方を、乗り越えに参りました。」
「わりいが、俺たちの踏み台になってくれよ。」
「お互い、情けはなしだからねー!」
「…おかしな声で鳴く魔物たちだ。
しかし、容赦はせん!倒してくれよう!」
いまいちまとまりのなかった「東半球連合」。それを、中央集権的な帝政国家へとまとめ上げた、武断の男。それが、伝わるところの彼。…それこそ、ソーシアでも比較にならない人外のような強さを誇る人物であるはず。
どんな魔術を使ってくる?
即死か?
認知崩壊系か?
空間破壊系か?
それともエネルギー系か?
「行くぞ。
『剛力』!!!」
…はっ!?
ブン!
おいおい、そんな、ちっちゃいビルみたいな剣、軽々と振り回すな!
「イルジンスク、何キロ出てた!?」
「マッハ1,1だ!衝撃波出てんぞ!」
「トラック並みの重さがあると思うんだが、馬鹿力ってレベルじゃないな!」
「強いとは伝え聞いていましたが、よもやこのような分かりやすい強さとは思いませんでした!」
「ちょ、ちょっと、避けきれないって!」
ちっ、一人でも失うわけにはいかないか!
「クララ下がれっ!俺が傘で受ける!」
「ありがとケミちゃん!」
「我を侮るか!受けきれると思うなよ!」
こ、これはっ!
「ぐはっ!」
一太刀、たった一太刀を受けきることすらできない、だと…
「我は最強の皇帝であるぞぉぉぉっ!!
ぬん!!」
あ、死ぬ…
「ケミスタ危ないですっ!
ぐっ…!」
…そりゃ、俺が吹っ飛ばされるんだから、ソーシアに耐えられるわけないだろ。
「イルジンスク、クララ、デバフはどうなってる!」
「最大値だ!」
「効かないよー!」
たくまったく!
「ソーシア、スイッチ!」
交互に受ければ、剣を抑えられる。そうしながら、何とか、弱点を捜すしかない!
「そっちでもそう言うのですね!了解!」
だけど、重い…踏ん張り切れない…!
「ふっ…
えいっ!!!」
ドーン!
「ぐおっ…
な、何を…」
「ケミスタ、気を付けろ!
コイツ、剣を光速で動かして空間を切断しやがった!」
「イルジンスク、落ち着け、そんなことできるわけ」
「でもそーだよ!」
「怪力ってレベルじゃないですよ…」
道理で、最強なわけだ…さて、どうする…
「来ないならば、こちらから行くぞ!
とぉっ!!!」
「っ、退がるぞ!」
「逃がすか魔物め!」
くそ、どうすれば…
ー皆さん、聞こえますか?ー
魔術テレパシー、か?ソーシア。
ー角を曲がったら、エネルギー攻撃を斉射します。大剣で防ぎきれないでしょうし、生身で受けきれるわけもありません。ー
了解っと。
水爆砲、用意。
空間固定、アクティブモード。
「今っ!」
発射!!
―*―
ソーシアの聖傘から発射された、「極大高温」なる、宇宙の始まりよりなお熱い灼熱のビーム魔術。
クララベルの錫杖から放出された、「重力限球」なる、全方位から伝わる重力波によってブラックホールを焦点に結ぶ魔術。
ケミスタの傘から放たれた、空間を固定したナノチューブに水素爆弾の爆発全てを凝縮させる攻撃。
イルジンスクが投げるコインから放出される、あらゆる化学反応の速度をトンネル効果により天文学的に加速させて分子を破壊する攻撃。
すべてが、男とその大剣に殺到した。
一発しか撃てないから、だけではない。
あまりに、あまりに危険すぎるから、絶対にしないでいようと思っていた必殺攻撃。
にもかかわらず。
「足りん足りん気合が足りん!!!
もっと、もっとぞぉぉぉぉっ!!!」
「う、そ…」
「だろ…」
漢は、大剣を地面にしかと突き刺し、立っていた。
「どう、なってるのさー…」
「我が力は無敵にして絶対の最強なりっ!
羽虫が騒いだ程度で、揺らぐことなど…
あり!!!
えん!!!」
ドスンと大剣を地面に突き刺しなおした瞬間、地面が大きく揺れて、ケミスタたち4人は地面から跳ね上げられ数十メートル上の地下空間天井に叩きつけられた。
「わ、わかった…」
「俺もだ…
アイツ、自分が絶対不可侵の最強存在だって、微塵も疑ってないな…」
「だから、そうであるように、事象が改竄されたんですね…」
「無意識が働いてやがらねえのか?」
「違うよー…
…意識でも無意識でも、自分は絶対的存在で当たり前、そう思ってるんだよー…」
「女皇猊下のおっしゃるとおりならば、言葉で説得するのも不可能ですね…私たちが魔物にしか見えないのなら。」
「本来は後ろから刺すための敵、だからな…」
話している間にも、大剣は、一薙ぎごとに空間を切り裂き迫る。
「どうするどうするどうする…!」
―*―
そもそも、倒せないことが定義。
ふざけきっている…とイルジンスクは息を吐いた。
しかし、出世のためには労を惜しまないのがイルジンスク・ドンヴァエ・ヴァリエフスキーという青年。必死に、脳をひねる。
「…な、クララベルとやら。
てめえ、アイツが人間であるって言えるか?」
「うん!確かに、信じられないけど、少なくとも、人間だよ!サピエンスかアーキフィキアリスかはわかんない!」
「なら、手は、まだある…」
「え?」
「とりあえず、逃げるぞ!
落ち着けるところじゃねえと話せねえ!」
「わかったよー!ソーちゃんケミちゃん聞いてた!?」
「ええ!」
「了解!」
―*―
岩壁に掘った穴の中で、イルジンスクは語り出した。
「今まで何度も、後ろから刺す戦術はうまく行ってる。
つまり、いくら最強であろうとも、ありゃただのヒトってこった。しかもかなりバカ、脳筋ときた。
なら、油断させればいい。」
馬鹿力で無茶苦茶をやっていても、その根底に「人間の心」があるのなら、それによって行動に影響を与えることができる。得意技が「コインに隠した化学物質で人の心に働きかける」であるだけに、イルジンスクには「この着想ならもしや」と思わせるものがあった。
「でも、味方じゃなくて、敵だよー?」
「敵であっても、例え魔物に見えていても、だ。
な。
戦意を喪失するような状況なら、そして思わず気を取られるような状況なら、どうだ?」
そう言いながら、イルジンスクはケミスタの方をポンと叩いた。
「な、お前らを信じてるぜ?」
「は?俺?」
クララベルが、得心したとうなずく。ソーシアは何度も何度も首をひねる。
「障壁はたけえ。魔物だと思われてるし、その上に奴は職業軍人トップだ。
だけど、だけどだ。
どうせ死ぬより、賭けてみねえか?」
「待て待て、イルジンスク、何にだよ。」
「お前が鈍い人間に育っちまって、俺は悲しいよ。
いいか、お前に求められんのはドラマティックな場面を演出して気を引くことだ。…ソーシア嬢とな。」
「わ、私、ですか…?」
「うん!ソーちゃんが、熱い想いをぶつければいいんだよー!」
それを聞いて、やっと悪だくみの全貌を察し、ケミスタはため息を吐いた。
「ソーシア、お前の友達、殴っていいか?」
「ダメです私がやるので。」
ゴン!と、グーで殴ったにしても酷い音がして、イルジンスクとクララベルが頭を押さえる。
「…どうするソーシア。」
向き直ってしかとソーシアの眼を見つめ、ケミスタは問いかけた。
「貴方は、私に言いたいこと、言うべきことは?」
「あるな…」
「ならば、いつ死ぬとも知れぬ戦場の身、言いたいことは言っておくべきでしょう。」
「…こんなカタチで、言いたくはなかったよ。」
―*―
もうすぐ、見つかるだろう…そのことは、ラプラス演算機によってはっきりとわかっていた。
ー「ラプラス演算機」とは、現在の周囲の量子情報を取得し、それをもとに未来にどうなるか予測する機械。もちろん、シュレーディンガー不確定性があるので未来は1つに収まらないが、「リンゴが樹に実っている」なら「ついたまま」「持ち去られる」「落ちる」のどれかというように「未来の幅」を予測することができる。そして、「上に飛ぶ」「樹についたままジュースになる」などの現実の予測からの外れ具合まで測定すると「事象改竄度計」となる。
ともかく。
「後、30秒で発見されるな。」
「私たちは隠れるから、ごゆっくりー。」
今さら、「友達に見られている」などと、気にしても始まらない。見られるためにやっているのだし。
「はあ…
…俺を牢屋から連れ出してくれて、ありがとう。
本当に、ソーシアは、すごい奴だと思う。」
「私こそ。
私は、一人では何もできないと分かっていて、貴方がいればそれでも何かできるかもしれないと思い、そしてやってこれたのですから。私一人では前に進めませんでした。」
「…俺もだ。
ソーシアがいてくれなかったら…
…だから。」
ドタドタと、追手の足音が聞こえるのも構わず、ケミスタはソーシアを抱き寄せた。
「ソーシア、これからも、一緒にいてくれ。
俺が支えるから、俺を支えてくれ。」
ソーシアも、金髪をケミスタの頬に摺り寄せる。
「…はい!
これからも、よろしくお願いします!
好きです、大事です、ケミスタ。」
ーいつまでも、隣にいてほしいと願うから。
顔が、近づいていく。
それは、まぎれもなく本心で。
純粋な想いは、例え魔物の姿にしか見えなくとも、雰囲気だけで伝わるものである。
1代皇帝が、食い入るように岩陰から見つめる、2人の唇が触れ合おうとするのを。
ザシュッ!
「がっ…
…な、ん、だ、と…」
そして、背後から突き出された錫杖に、腹を貫かれた。
「油断したなぁ皇帝さんよぉ!」
「ソーちゃんケミちゃん、おしまいでいーよ!
…って、きーてないなー。」
のんきな声を出しながらも、クララベルは錫杖で1代皇帝の腹をかき回し、内臓をえぐり出していった。
「ぐおぉぉ…我が根性をなめるでないっ!」
空洞の腹から大量の血と内臓を茶色く垂れ流し、しかし彼は振り向きざまに大剣を振り回した。
クララベルとイルジンスクが、風圧で吹き飛ばされ壁に叩きつけられる。
「んなっ…」
「うそ…」
「魔物のくせに、我をたばかろうなど、万死に万死に万死に値するっ!」
刀身が殺意に輝き、振り下ろされる。
とっさに、傘を広げ、お互いを守ってみるが、ケミスタもソーシアも、死を覚悟した。
―*―
「野暮なことはさせないよ?」
さすがに、愛し合ってる2人を目の前で殺させるなんて、そんな不条理を許容できるわけない。
「そっか、もう、1700年以上だね…」
思わずつぶやきながら、私は、4人の訪問者への攻撃を止めるように、ダンジョン中に命じた。
「ねえ。
あなたたちは、力が欲しいんじゃないんだよね?」
「そうだ、『ミロク様』。
貴様を倒し、STCSを手に入れ、歴史を変える。」
…そっか、そうなっちゃったか。
「最初に『ミロクシステム』って命名された時。
人間の思考回路を、外部の拡張装置と直接に連結させて、全ての人間がインターネットの記憶機能と、スーパーコンピューターの処理能力を手に入れる、そんな、方法はともかく、理想の世界を創るための技術だったのにね…
…認識能力の増加で、魔法の力を手に入れる、そんなトラップがこの世界に仕掛けられていたせいで、私たちの世界は割れてしまった。」
「何をごちゃごちゃと…!」
「私は、言いたいの。
私は確かに、ミロクシステムによって存在する。だけど、あなたたちの敵となるミロクシステムじゃない。むしろ、あなたたちの味方になりたい。
どこで、もう一人の私は間違えたの?
どこで、もう一人の私は踏み外したの?」
「…もう一人の私、とは、どういうことですか?」
「松良あかね。最初に作られた、『ミロクシステム』にして、私のコピー元。
『ミロクシステム』は、私が一度死んだ時、それしか残っていないはず。そして私が一度死んだあの時はまだ、世界は魔術と技術に割れてはいなかった。とすれば、世界を今2つに割っているのは、あかねちゃんだけ。」
…悲しいことだけど。
「…お前じゃなく、お前とは違う、悪いミロクシステムがいる、と?」
「私のコピー元だから、悪く言ってほしくはないけど…
でも、もし優生君を失ったりしたら、暴走したとしても仕方がない、か。」
そうなったら…
…私には、そうなっていたとしても、止めることはできない。
「あなたたちに、希望を託して、いいのかな…」
テレパスで頭の中を読んだとしても、それは信頼できるかどうか教えてくれない。だって、人の考えは変わるから。
「いいですか?
私たちはただ、世界を2つに割って茶番の戦争を起こす黒幕である『ミロクシステム』を、過去に戻り、倒したい、ただそれだけです。
ここには、伝説の不沈艦と、伝説の魔術少女がいる。そうですね?そして、不沈艦のSTCSとそこに込められた『ミロクシステム』出現以前の時空観測データを以てすれば、かの時代に行き、歴史を変えることができる。」
「うん。
だけど、2つ、注意点があるの。
まず、いい?
遡時を一度してしまえば、元の時代に戻ることはできない。観測によって『過去にいる』というデータを作り出すことは、過去における量子状態の改竄前観測データを持っていれば可能だけど、未来のデータを手に入れることはできない。だって、未来の量子状態データは、シュレーディンガー不確定性に基づき一意に定められないから。」
「とうにわかっている。相対論的な時間航法ではなく観測論的な時間航法を選択する以上、自明だ。」
…そ。
相対論的時間航法は、実時間であって改竄ではないだけに、できること少ないもんね…
「わかったよ。
それで、もう1つ。
歴史を変えることで、必ずしも歴史が改善されるとは限らない。
私ですら、そうなんだから。
言いたいこと、わかるよね?」
「…お前が、『伝説の不沈艦』で『伝説の魔術少女』ってことか?」
「それだけの、世界中の伝説を一身に集めた最強の存在を以てして、止められない歴史の流れの末、ここに引きこもっている、ということですね?」
…どうして、あのフィヨルド決戦で私が完全消滅しなかったのかは、もはや天命としか言いようがないけれど。
私の目が覚めた時、あの東半球連合1代皇帝を名乗る男に覚まされた時、全ては手遅れで。
「それでも、俺たちはやって見せる。」
「それだけの、覚悟があります。」
…いいえ、とは、言えないよね。
「いつか、こうなる日を、待ち望んでいたのかな…」
私も、覚悟を、決めなければいけない。
「まず、過去における基点座標を決めて、その時間へとSTCSが遡時し、その上で、基底座標より少し未来の自STCSのデータにあうように設定しつつ、あなたたちのデータが今ではなく過去に存在するように事象を改竄する。
だから、目指した時間に行けるのは、あなたたち4人だけ。1回目の遡時は知性を維持できるほどの正確性を担保できないし、ある存在が自らの情報を丸々観測するのに必要なリソースは自らのリソースよりも多いから、私が私自身を過去に連れて行くことはできないの。」
だから…
…不完全な、人格を保持できない低レベルな状態で、私は過去に生れ落ち、そしてそれから少し未来へと彼らを運んで息絶えることになる。
…あかねちゃんが、本当の私の未来が変わるのなら、それも悪くない。
「いい?」
「もちろん」
「当然です」
「4人もいるんだ。楽勝楽勝!」
「今まで、よーく、頑張ったね。」
…この子たちは…
私が、力を、ただ一人だけに授け続けた理由を…
…いつか、情勢を打破する英雄が、現れてほしかったからだ、って。
「みんながそのつもりなら、私は、私の役割を果たし、最期の旅路を飾る覚悟を決めるよ。
我が名はクラナ・タマセ。ミロクシステム分離人格にして『精神魔法の継承者』!
我が意思に応じ、ここに復活せよ!」
そして、私は、あらんかぎりに心を込めて。
「不沈巡洋戦艦『穂高』…
…抜錨!!!」
そして、想いは受け継がれた。
不沈巡洋戦艦「穂高」は、真の最期、死に出の旅路へ向かい。
ーだが、未だ、統暦1735年は終わらないー