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2 「重なる傘、裏切る真実」

 それは、最悪の真実。

 2人が再び出会い、そして世界が回り出す…

 キーワードは「ミロクシステム」。

                    ―*―

統暦1735年6月3日 西半球同盟Tokyo都、戦闘工兵訓練施設

 「ケミスタ少佐、エリク少将閣下がお呼びです。」

 放送を受けて、ケミスタは面食らいつつも、部屋のVRフィールド機能をオンにしてヴァーチャル会議室へ接続する。

 「やあ、ケミスタ少佐。

 まずは昇進おめでとう。」

 「少将閣下のお力添えあってのことであります。」

 「はっは。

 我々軍部は、英雄を必要としている。

 いい加減に膠着するのも疲れたのでな。

 だからこそ、民衆に、戦果を上げ昇進を続ける英雄の存在を喧伝せねばならん。」

 「そう言って過去に何度も失敗しているのでは?」

 「耳が痛いな。

 それはともかく、だ。

 我が軍の現状は、わかっているな?」

 「はい。

 内惑星圏での制宙権はだんだんとあちら側に傾きつつあります。」

 「ああ、それもこれも、金星での大敗戦が原因だ。

 金星の公転に従い、我が方の発電衛星群は次々と撃破され、それによって供給エネルギーが減少すればするほど立ち直りが効かなくなっていく。」

 「僕一人でどうにかなることではありませんでしょう。」

 「うむ、それは重々承知しているぞ。

 敵戦力を薙ぎ払えるバトルエンジニアは確かに重要だ。しかし、一方で、いくら優秀な人物であっても、水爆クラスのエネルギーを受けては死ぬしかない。宇宙空間での戦闘にキミを放り込めるように訓練してはいるはずだが、実際にそれをしなければいけない時点で負け確だ。

 ではそれを受けて、キミは、私が何を求めていると思う?」

 「…イルジンスクと違って政治は苦手なので、間違っていたら申し訳ないでありますが。

 士気の向上、でありますか。」

 「そうだ。

 キミが戦場で活躍し、多くの人間を殺しあるいは敵将を仕留めるほど、工廠も一般国民も士気が向上し、兵卒に至っては言うまでもない。

 もっとも、痴れ者と言えど、考えることは一緒らしい。こざかしくも、あちらはすでにあちこちの膠着戦線で我が方の将をソーシア・テフェルンに殺させている…おそらく、宣伝のためだろう。

 すでに、地球各地や火星で、上は中将から下は特進大尉まで、20名以上…

 …殴りこみされては狩りつくされるようでは、話にならん。

 かと言って、同じことをさせるわけにも行かんだろう?」

 「僕たちの仕事は、確かに技術を活かして暴れることで戦場を掌握することもありますが、一番は、自衛しつつ戦場へ向かい砲兵などの兵器を整備し新兵器を開発すること、でもありますからね。」

 「いつまでも戦場に縛り付け転戦させ続けるなど愚の骨頂であろう?

 そこで、だ。

 ソーシア・テフェルンを殺せ。その仲間ともども、な。

 各戦線を飛び移り我が名将名兵を狩って回る痴れ者どもを消し飛ばし、そうして初めて、初めてだ、仇を取ることで士気を取り戻せる。

 何としても、何としてもだ。」

 「はい、了解であります!」


                    ―*―

 エリク少将が危惧している通り。

 ー宣伝もまた、戦。

 ソーシアとクララベルは、わずかな精鋭を引き連れて各地を転戦し続けた。

 転移、戦闘、転移、戦闘、転移、戦闘、転移、戦闘、転移、戦闘、転移、戦闘…

 それだけで1つの伝説が生まれ物語が作れそうな、怒涛の30人抜きである。もはや「金銀の悪魔」などと二つ名呼びされてしまうようになっていた。

 東半球連合では、連日「○○、××戦線などで我らを苦しめた敵将△△が、本日我が新英雄ソーシア嬢に☆☆で討伐され」といった報が連日飛び交うこととなっていた。そのたびに街路は祝勝ムードとなり、銃後の民は「英雄に続け、我らも頑張らなくては」と腕を振るい手足を動かす。

 聖傘が舞い、バリアが艦砲も弾き、魔弾の暴風が吹き荒れー

 ーそこにはただ、勝利のみ。

 軍事理論の1つに「魔法と純軍事の平衡力学」という一冊がある。これは統暦紀元前に執筆された名著であるが、要するに「少人数軽装備で殴りあうのなら、優れた力量の魔法使いが銃砲手にした歩兵に勝つ。しかし戦場が兵に求める攻防の要求水準が上がっていくと魔法では連隊が必要となり、そんな場合に同じ水準の攻防を銃砲火器などで達成すると魔力切れがない分圧倒的な攻防力となる。戦略レベルで見れば純魔法は純非魔法への勝ち目がない。」という内容である。もちろん「では絶え間ない大火力を達成できる重火器に魔法を組み合わせればトリッキーな攻防を達成でき効果的である」という続きがあるが、東西ともにそれは無視。

 機械と科学技術を重んじる西半球同盟としては、何としても、大型兵器による重攻防で効率よく敵戦力を薙ぎ払いたい。それに対して同じ攻防を達成するには、連発力を投げ出して魔術師数十人の連携を試みるか、あるいは超絶的な魔術師の力を借りるしかないというのが東半球連合の不利。例えば宇宙戦艦の砲には20人の魔術師の連帯が必要だが1日2時間しか撃てない。

 しかし、ソーシアは、まさしくその超絶的魔術師であることによって、情勢を塗り替える、いや、塗り替え続けている。

 ひとたびソーシアが傘を振るえば、一個人のものとしてはあり得ないほど激烈な魔力が魔術となり、大地は煉獄へと帰りキノコ雲が立ち上り、軌道兵器も核兵器もダメージを与えられず。

 たった一人で、戦場を支配する。

 一方で、だからと言って少女一人にすべてを背負わせ続けられるほど、東半球連合軍部は残酷でも楽観的でもない。

 彼女の連戦・戦勝を祝いつつも特別戦時国債を発行し、「魔術師」級新鋭宇宙戦艦「デメーテル・ロベッチオ」「コンテンジェラーノ・ド・ルリッチ」の建造が急ピッチで進められていた。さらには3番艦として「ソーシア・イクリス・テフェルン」の建造計画も早速持ち上がっているー本人が聞いた時は「準日蝕イクリスレベル魔術師などとは畏れ多いです。」と言ったものだが。

 こうして、東半球連合の反攻作戦は、ちゃくちゃくと進んでいた。

 

                    ―*―

統暦1735年6月7日 セーリゥㇺ≠Socotra戦線

 もはや、運命と言っても過言ではなかったのかもしれない。

 2人は再び、戦場で。

 東半球連合の地図には「セーリゥㇺ」と記され、西半球同盟の地図には「Socotra」と記されたそこは、砂漠に挟まれた海峡である。

 複雑に捻じ曲がる湾への入り口である海峡の東側は東半球連合の防空壕、西側は西半球同盟の掩体壕が、地平線の向こうへ無限に続くかに思われる砂丘地帯のそこかしこに覗く。

 1時間に一度ほど、爆撃機が飛来して迎撃機や対空砲と戦闘を繰り広げたり、砂漠に浮かび上がる魔術陣から炎の槍の雨が西へと撃ちあげられたりする。

 宇宙エレベーターを抱えるヒナセラ≠Hinaseraも過酷な戦場であることには違いないが、戦略的重要性は、大陸の狭間かつ内海の入り口であるセーリゥㇺ≠Socotraに比べると「新人の試練に使えるくらい」薄い(歴史的地名であることこそ、その証拠)。当然のごとく、闘いのレベル、配置された軍人の腕も、段違いで。

 ある意味、新人でなくなるための卒業式のような戦線であり、通常ならば軍学校を出てあっちこっちの戦線へ回されたのち10年ほどして担当にされる戦線であるが、そんな常識に縛られないほどに2人の才能は桁外れていた。

 ー先に、相手の存在に気づいたのは、ケミスタである。というよりケミスタは、どこかのタイミングでソーシアがここを訪れるとにらんでその上で衛星カメラ、レーザー干渉観測機、量子位置変動計とありったけの観測機材のモニターをにらんでいたのだから。

 一方で、傘にぶら下がってたんぽぽの綿毛のごとく空を飛んで海峡を越えてきたソーシアも、常に敵意値を観測しつつ飛行用魔術アーティファクト(通称:「空飛ぶじゅうたん」)に乗ってついてきたクララベルからの警告で、「見慣れた敵意にさらされている」と知った。

 ソーシアたちがもっとも見慣れた敵意とは、すなわち、デビュー(?)の時に闘った彼のものに相違ない。

 何の躊躇もなく、ソーシアは、右手をクララベルが指さす方向へ向けた。

 手のひらを中心にして魔力で同心円が作られ、円がそれぞれ異なる速度で回り出し、そして同心円の円と円の間に浮かび上がった文字も高速回転しだす。

 同心円の中心、一番小さな円から、陽炎が揺らめき透明な高熱が空気を貫いた。

 熱気の周囲の空気が爆発的に膨張し、真っ赤に赤外線を放つ熱波となりながら地平線まで吹き抜ける。

 砂漠の砂が巻き上がり、そしてあちこちで、掩体壕の屋根であるコンクリートがあらわになる。

 「高熱」でできたビームは、砂粒が溶けてガラス結晶として吹き飛ぶような地獄絵図の中心軸の役割を果たしながら、数十メートルの厚さのコンクリートを蒸発させてその真下へと到達した。

 「あっけない…わけもないですよね。

 クララ、彼らのことなので、今の一撃で仕留められたわけがないでしょう。捜索を。」

 「そーだねー…

 でも敵意値の変動はないし…」

 見下ろす先では、砂漠に空から斜めに差す白熱の巨柱、そして、それを取り巻くように地の果て目指して拡大していくドーナツ状の赤い熱気。

 とりわけ、いくら地下深くに潜ったとはいえ熱柱が直撃した場所にいた以上、生き残れるとは、とうてい思えなかった。


                    ―*―

 「俺だって、親友をおとりに使うのは気が引けたさ。

 よしんば、こんな結末になるとして、な。」

 イルジンスクは、そう呟きつつ、はるか真下を見下ろした。

 砂漠を照らす赤を背景に、傘が1つとじゅうたんが1つ、けし粒のように小さいながらも目に入る。

 「ほらよっと。」

 イルジンスクは、空間閉塞の効果を持つステルス用コインをしまい、代わりにポケットから取り出したコインを投下した。

 コインの内部に仕組まれた相対論式時間流減速装置が停止され、3等分で収納されたフレロビウム298のフラグメントが円形になるようくっつきあう。

 7つの、臨界質量を超えた114番元素塊が、核爆発を起こして113番ニホニウムを中核とする無数の塊となり。

 ニホニウム塊は、半減期がミリ秒単位であるために膨大な核エネルギーを放出して一気に崩壊していく。

 たった1個の、落下するコイン。それが、空中に巨大な熱球を生み出した。よく見れば、1つの火球を6つの火球が6角形に挟んでいるのが見て取れる。

 中心温度は推定5兆度。爆風は秒速500メートルを超えた衝撃波そのものであり、その温度は10万度超。

 まさしく、天罰の灼光が、砂漠に差した。

 ソーシアとクララベルの姿も、はかなく、火球の中に消えた。


                    ―*―

 イルジンスクの奴、詰めが甘い。

 …せっかくおとりになってやったのに。

 確かに、事実、超重核爆弾をくらって無事でいられるとは俺も思わない。7つ耐えられるならバケモンだ。

 …しかし、事象改竄度計の針が、0を示すどころか振り切れてるのはなんだ。ラプラス演算から完璧に逸脱してるってことか?…絶対ソーシア死んでねえ。 

 「まあおかげで、まだ、楽しめる。」

 …問題です。数兆度の業火と放射線で焼いたはずなのに生きている人物を、どうすれば殺せるでしょう?

 どう考えても、答えは一つだ。

 ー自分自身の手で殺らなかった俺が100%悪い。

 「複合硬化剤アクティベート。

 スーツアシストフル出力。

 放射線防護フィールド最大。

 熱伝播率0極小フィールド展張。

 …突撃!」

 

                    ―*―

 「うう…」

 「クララ、大丈夫ですか?」

 …まったく。

 「だ、大丈夫…もービックリした…

 どーやって私の索敵を逃れたんだろー…」

 「私と同じ、空間に作用する系のタネでしょう。」

 もっとも、私のそれとは根本的に異なると思われますが。というより私よりレベルは低い、ただの空間の切断でしょう。

 「でもそれにしたって…

 …ソーちゃん、来る!」

 知っています!

 「『超硬イモータル』!

 『覆影(イン・ザ・バリア)』!」

 これでも、防ぎきれればいいけれどっ…!

 ガツッ!

 「…やはり、重いですね…っ!」

 「そんなひ弱そうなのに、限界までアシストされた俺の斬撃を受けとめられるお前の方がよっぽどだけどな!」

 「ひ弱とは失礼な!

 …「『失調光ミスティックフラッシュ!」

 

                    ―*―

 傘から発される強烈な光が、ケミスタから視界を奪う。

 ソーシアは傘をたたみ、両手で柄を握りしめた。

 傘が虹色に輝いて伸び、巨大な銛となってケミスタへ突き出される。

 ケミスタはしかし、両目をつぶったままに空中でステップして華麗に刺突を避けていく。

 無視界に思われても、その実、軍服に編み込まれた無数のナノカメラのデータを頭皮、毛根のインプラントへ送信させることで脳内にヴァーチャル視界を生み出すことができる。さらにそちらには光度処理が自動でかかるので、並の人間ならばショック死間違いなしの極光もあまり問題になっていないのであった。

 ケミスタは、避け続けはつまらないと思ったのか、それとも衝撃波を伴う神速の突きに堪えかねたのか、傘をパッと開いた。

 魔術による絶対の一突きと、技術による絶対の防御。

 まさしく、「矛盾」という韓非子説話の行きつくべき結論が、ここに至って示されようとしていた。

 「傘オモテ面の時空は断絶されている」と事象を「観測」し続けることによって出来上がった、白く輝く空間の切断面を表面にまとわせる、開かれたケミスタの傘。

 「傘表面の時空は対象を巻き込み破壊する」と事象を「改竄」し続けることによって出来上がった、銀にきらめく時空の融歪面を表面にまとわせる、閉じられたソーシアの傘。

 ソーシアが、腕から聖傘を離す。

 ケミスタもまた、傘を離し、空中で2歩下がる。

 聖傘の柄に同心円が渦巻いたかと思うと、周りの空気が赤熱して爆発した。

 爆風が吹き抜け、「何物をも貫く矛」こと閉じられた傘は、「何物をも通さぬ盾」たる開かれた傘にその石突きを衝突させた。

 

                    ―*―

 世界とは、何であるのか?

 誰かが世界に挑戦した時に、それは明らかになる。

 ー実際に、絶対の矛と絶対の盾がぶつかった場合、決着はつき得る。

 矛と盾がそれぞれなんらかの元素でできているからには、無理やり正面からその2つをぶつけ合ったら、もし矛が盾を貫けないのであっても矛の原子塊は盾のそれに食い込んでいくことになる…結果、矛が盾を侵食し、やがて融合、さらには貫通する。

 しかし、この場合、矛も盾も物質ではない。

 「時空融歪面」VS「時空断絶面」。物理障壁ではないが、「進行方向の空間を呑み込む」「空間を断ち切って不可侵とする」という真逆の定義平面は、一点において衝突した。

 そして、世界がゆがんだ。 

 誰もが、何かを幻視した。


                    ―*―

 …今の、何!?

 …私、何を、見て…

 「はっ…

 …冷静、冷静に、ですね。」

 魔術では、思いもかけない結果になることはありえる。それは魔術が物事の流れを変えているからであり、従って、そうなったならば冷静になって落ち着いて状況を確認すべし、と。

 「…は?」

 「…おい。」

 世界が、ズレて、止まって、いる…?

 いいえ、いいえ、でも、どういう…

 私の聖傘が、ケミスタの傘を貫いていて、でも、貫いていなくて…?

 「ソーシア・テフェルン…

 …コレ、どうなってる?」

 世界が、世界が…

 「まるで、2つ、世界が重なり合っているかのような…

 …違うちがうチガウ!」

 「叫びたいのはこっちです!

 どうして、何が、どうなって!?」

 今の状況を、理解すべき。私はそうであることを知っている。

 だけどだけどだけど、ここは、どういう…

 理解したくないし、そもそも、理解できない。

 いったい何がどうなって何なのか。

 「…やむを得ない。」

 「そうですね。

 本当に、心の底から、忸怩たる思いです。」

 …この止まったままのわけのわからない世界から、私たちはまず、抜け出さなくてはならない。

 「余命がほんの少し伸びて良かったですね。」

 「お前の余命がな。」

 …かもしれませんね。

 「事態を、どう認識していますか?」

 「世界が止まってるように見える。しかもズレてるように見える。

 ついでに、どっちの傘が勝ったんだかいまいちようわからん。

 計器は全部アウト。」

 「貴方がたのヘンテコ装置に頼る必要性は微塵もないですが、そうですね…

 …魔術に何らかの遅延がありますし、二分の一の効果しかありません。

 それに、このような状態を記述する言葉も、脱出する魔術も、あいにく私は持ち合わせません。」

 …魔術だって万能じゃない、頼りにならない、と謗られる原因になりそうでしゃくだけれど。

 「俺も同じだ。

 …思ってることがある。たぶん、お前も一緒だと思う。

 せーのでいいか?」

 「ええ、そうですね。」

 …魔術は、結局、人間の認識により、「コレがソレによってアレになる」という物事の当然の運びを書き換える行い。だとしたら…

 「「せーの!

 『言葉で表現できない事態』」」

 …やはりですか。

 「俺たちの科学技術はあくまで、自然の摂理、物事の流れ方をとことん理解して、それを使ってより都合よく物事を流れさせてるに過ぎない。

 水が上から下に流れると分かったら、水をもたらすモノより水が欲しいモノを下にする…それが科学技術だ。」

 「その例えならば魔術は、水が下から上に流れるようにしている…ですが」

 この止まった世界にこの例えを当てはめれば、「上と下の概念があやふやな世界」です。

 「何が起きているのか、正しく表現できねえ。

 ただ、俺たちに関わりあることだけ言及していいなら、『傘が貫通してる』『貫通してない』の2つの世界がズレて重なってる。」

 「ええ、そして、世界が止まっている…

 もっと、言い表すべきことは他にもあるのでしょうが、私には情報量が多すぎるしその質もとてもとても…」

 「計器、機械の反応も、エラーばかり吐いていやがる。

 …どうやら、人間の概念でもマシンの概念でも表せないし表せない以上手の出しようがない、みたいだ。」

 「世界の混ざり目、次元の狭間…

 …超えてはならない一線、だったのでしょうか。」

 「だとしたってどうする。

 …いや、元に戻る方法もなんとなく分かった。」

 「ええ…」

 それと同時に、ここがどんなに、思想的に危険であるかも。

 「…この世界が発生した理由は、俺もお前も無敵だったから。」

 「そうですね。

 私の傘は確実に何であれ空間ごと貫く、そして貴方の傘は空間を以て何物をも阻止する。

 その矛盾を解決するため、『貫かれているが貫かれていない矛盾した世界』に閉じ込められた、そう解釈できます。」

 「だとすれば、どちらかに決定して、俺たちの世界で説明できる事象に引き戻せば、戻れると思われる。問題は…

 …すまない。が、俺が防いだことにしよう。」

 …それしかないようですね。聖傘により貫けていない状態を貫けた状態にして矛盾を統一しようとすれば、新たな「貫けていない状態」を生み事態がややこしくなりそうですが、貫いている状態を引き抜き貫けなかったことにするのは容易いですから。

 「…それと。

 お前を信じる。」

 「はい、私も。ここは貴方を信じましょう。」

 記憶処理の魔術…

 …いいえ、心配です。

 きっと、彼が用意している薬にも、どうせ同じ効果があるでしょうし…10秒の時間制限を付けましょう。

 

                    ―*―

 「「っ!」」

 …何が、何があった?

 いや、俺の傘は、ソーシアの傘を受けとめ、耐えきっている。だが、何かがあったはず。何かが…

 …そうだ、思い出した。

 俺は、ついさっきまで、落ちていた。

 矛盾空間、仮空間、あるいは虚数空間と呼称される世界。そこは、本来は計算上の解でしかない。

 科学の世界では時々、そのような、「現実にはあり得ない事象」が仮に発生したとして、その結果を数式で予測した際に時間や空間が虚数になる「現実には起こりえない事象」と予測できる。そのような状況、計算上の解の世界を、数式で描くことができる。

 だけど、ありえない事象が実際に入力され、その結果、ありえないはずの計算上の解の世界が出現した。

 …ちょっと待て、俺は、なぜ

 「どうして、計算上の解の世界が存在する?」


                    ―*―

 あの空間は、比喩に過ぎないはず。

 収納魔術でしまい込まれたモノはどこへ行くのか。

 転移魔術で離れた地点を結べるが、本人からすれば「同一地点として2つの地点が結ばれている」ように感じられる。しかしそのような空間はあり得ないので、転移中の空間はどうなっているのか。

 あくまで比喩として、あるいは揶揄として、「矛盾空間」は提唱されてきた。「それは理論上の答えに過ぎず実際には存在せず、途中経過として0秒の中で矛盾空間への遷移を考える必要性は誰もが認めるが0秒より大きな実時間の間にそれが実在するというのは誤謬でしかない」と。

 「どうして、理論上の比喩の世界が存在するのです?」

 …魔術的効果の結果として、それが実在させられたとするならば。

 いや、それすら違う。だって、私自身がこうして放り込まれて還ってきても、矛盾空間の実在を否定している。そして、この付近に私を超える術者はいない。ましてネジ狂いに矛盾空間の顕現は無理ーというより、あくまで、理論上の存在にすぎず、現に私にも理解できなかったものを…


                    ―*―

 あくまで、計算上の解の世界だ。

 その解の意味を知り。

 その解のために世界を現出させたやつがいる。なぜなら、人間に理解できないから「計算上の解の世界」なので、人間以外の観測によってしかそれは現出しない。

 …だとしたら、そいつの事象改竄力は。

 いいや、事象改竄度で表せない、人間の概念で表し得ない解であるからには、何者かが人間の代わりにそれを観測して実在せしめる必要がある。だとすれば…

 「…まだ、何か、俺の知らないことが隠されてるな。」

 「私も、これは、そう思います。

 まだまだ、精進が足りないようです。」

 ここは退こう。

 計算上の解に何が隠されているのか、誰が何を隠そうとしたのか、解き明かしておいた方がいい。少なくとも、計算上の解が実在できるのは、その意味を理解し観測して実在させしめる、虚数質量と虚数時間を概念として理解し知覚できる非人間の超越存在がどこかにいたからとしか考えられない…だとすれば、東の瞑想オタクどもの言う「女神」もあながちまゆつばとも言い切れなくなるし、この戦争の前提もおかしくなってくる。

 「引き分け、にしておくか。」

 「そう、ですね。」

 俺は、ソーシアがしているように、傘をたたみ硬化させて振りかぶった。

 鏡合わせで、俺たちは最大威力を打ち合わせる。

 そして、すさまじい衝撃が、伝わってきた。

 俺は、衝撃に身を任せ、吹き飛ばされてみた。


                    ―*―

統暦1735年6月10日 東半球連合ヴァルゴ都、皇宮図書館

 魔術書あるいは魔導書ーそれは、魔術のいろはが記された文献。

 わざわざ、暗唱しろと言われたら暗唱できてしまうほど魔術の知識があるにも関わらず、ソーシア・テフェルンは皇立図書館の魔術書原本を閲覧しに来ていた。

 ソーシアの懸念はただ一つ。

 ー今まで、矛盾空間あるいは仮空間についての報告はなかった。あくまでそれは、魔術を理解する上での詭弁に過ぎず、実在し得ないのだから当然である。

 しかし困ったことに、今回、実際に矛盾空間に落ちるという経験をしてしまっている。こればかりは理解しがたいので、魔術の初歩に戻ってみる必要があった。

 「そもそも、魔術とは、世界の在り方を人間の認識によってより人間に都合よく書き換える行い。

 世界の在り方は、より多くの人間に認識されることで定まっていく。それは、世界の存在を証明しているのが、不特定多数による無意識の集積だから。

 魔術師はここで、無意識と意識の境界線を恣意的に取り払うことで、意識的に、観測的実在論に基づいて世界の在り方を改竄する。

 この前提に立てば、そもそも、この世界に絶対的なモノなど何一つない。世界は我々人類に認められることによって成り立っており、であるからには我々の便利のために世界を変えることは我々に託された当然の権利、それを認めないまつろわぬ者どもは排斥されてしかるべし。」

 ずいぶんと思想的には偏った書物だがそれは仕方がない。

 「…世界を、便利のために、変える…

 …どちらが勝つか決めかねて矛盾空間を実在させるのも、また?」

 矛が貫くか盾が貫くか決め難い場合に、その両方の状態の併存が、イエスでありながらノーである状態の併存が、プラスでありながらマイナスである状態の併存が…それらが起こりうるように世界を一時的に変えるのも、また、「世界の在り方を便利のために変える」行為。

 「ううん、だけど、その時に、いろんな改竄力が働いた結果未来がどちらに転ぶかは…」

 ソーシアは、思考速度倍化の魔術を自らにかけて、紙と鉛筆を取り出した。

 計算するのは、魔術師が魔術の効果を調べるための必須公式「メッテイヤ未来俯瞰」。これによって、相反する魔術の結果がどうなるか算出することができる。

 ただ、いくら魔術で思考能力を強化したところで、魔術というものは1+1=ー1を平気で出力しかねない厄介な性質があり、そのような結果を正確精密精緻に算出するメッテイヤ未来俯瞰の計算も、それなりに時間がかかる。

 何度も何度も、ソーシアは首をひねった。

 まず、世界が今ある世界であるためにどれほどの「在り方の決定力」が働いているのか計算する。

 続けて、全人類による無意識の決定力を打ち破り矛盾空間を実在させえるだけの在り方の決定力を計算する。

 「…ありえない。」

 呟いてみてから、はっと、笑った。

 そうだ。

 全人類が、今の世界の在り方を実在させているし、そうでない、人類に理解できない概念によって成り立つ世界の存在を否定している。

 ならば、人類による実在の否定を超え、人類に理解できない概念で存立する世界を創るのは。

 「女神…」

 ソーシアは、事態の深刻さに気付き、唖然とした。

 「再計算を…

 …そんな、そんなはずはないです。絶対に、計算ミスで…」

 

                    ―*―

統暦1735年6月11日 西半球同盟Houston軍都

 「なあイルジンスク。

 お前、この結果見てどう思う?」

 「戯言、与太話、悪い夢。」

 「お前手厳しいのな…」

 「だってそうだろ?

 俺たちは、魔術については俺たちの科学理論を無理やり当てはめた仮説があるだけだ。それもただ『今までの件に当てはめたら全件で適合するからこの式だろう』程度の。

 だから、俺たちの計算で、未知の世界を現出させ実在を維持するに足る事象改竄強度を出力するのに必要な観測力が、東西全人口と一致する…なんて、なあ。

 そりゃどっかでなんか代入し忘れただけだ。

 確かに、お前が言うことをうのみにすりゃあ理屈は通る。…世界の在り方を固定するのが全人類の無意識であり、魔術は観測している人が少なく事象の固定力が弱い場所で無意識に反するだけの意識を使って該当箇所の在り方だけを違わせる…この説に基づくなら、人類の総無意識領域を凌駕して計算上の解の世界を現出させるだけの実在リソースは確認できないから、矛盾空間を実在させ得る観測力を実現するリソースは他でもない全人類だ…なんてな。

 でも、普通に考えてありえねえ。」

 「俺だってそう思ってるさ。

 どうかしてる。

 でも、でもだ。

 いいかイルジンスク。

 魔術は、事象の流れを書き換える。それは観測によって世界の在り方をほんの少し、身の回りのほんの少しだけ都合よくしてるってことだ。

 それに対抗する俺たちの装備、量子位置固定機は、対象物の量子の位置を観測で決定することで世界の在り方をより不動のものとする。」

 「それがどうした?常識だろ?」

 「そうして、世界の在り方を歪めてきた。だけど、おおもとの世界の在り方それ自体は、全人類の無意識領域で観測され、確定している。

 今回俺が味わったのは、人類の概念で表現できない、まったく未知の世界。機械でも知覚できるか知らない、そういう世界だ。

 世界の在り方を、人間が知らない世界にガラッと変える…それだけの事象改竄強度、いや、観測力は、他ならぬ人類が関与しているとしか思われない。」

 「…ああ、ああ。

 でも、少なくとも、俺もお前も、それに加担しちゃいない。

 みんなそうだ。

 お前が深読みしすぎだ。そもそも、その世界は、お前がどう知覚しようとも、存在しなかった。結果としてな。『0秒発生した』は、発生してるうちに入らねえよ。」

 「0秒であっても、疑いの余地なく0秒事象であっても、俺には、あの世界の実在は頭にこびりついてるよ。

 それに…」

 「…ケミスタ、これは?」

 「無意識、もっと言えば、集合的無意識の正体だ。

 インプラントにこびりついてやがった。しかも、俺たちに知覚されるのを避けてやがる。壁に写真をデカデカ貼っても誰も気づかない。」

 「…おい、おいおいおい…

 でも、だったらなんで、俺はこの写真とデータを見ることができる?」

 「すまん、一服盛らしてもらった。やりたくなかったが。」

 「…そうか、あはは、お前、そういやそういう奴だったな!

 でもな。

 オレタチダッテソンナニアマクナインダゼ?」

 「お前、イルジンスクじゃない…!?」

 「第4軍都憲兵隊であります!」

 「よし、憲兵隊、こいつをひっとらえろ。」

 「おい、お前、イルジンスクの顔で何を!?」

 「?

 俺はちゃんと、西半球同盟が戦闘工兵、イルジンスク・ドンヴァエ・ヴァリエフスキーだぞ?」

 「ああ、ああそうだろうとも!

 でも今のお前は、お前は、機械使いなんかじゃない!ただの機械の奴隷だ!」

 「何てったって考える人(ホモ・サピエンス)じゃない、創られた人ホモ・アーティフィキアリスなんだから、創り手の意思に従うのは当然だろ?

 俺は出世したいんで、長い物に巻かれてるんだよ。」

 「…正気に戻れ馬鹿が!」

 「言葉で世界を歪めようだなんて、いよいよ魔術に依ったかな?

 悪いがケミスタ。

 お前は知ることを求めすぎた。

 でも、最期に1つ、教えてやろうか。

 お前は、何を敵に回したか。

 電子顕微鏡の先の写真だけじゃつまらんだろうし教えてやるよ。

 『ミロクシステム』とか、コレを生み出した考える人(ホモ・サピエンス)は言っていたらしいな。」

 「ミロク、システム…」

 「ケミスタ・ハクランを牢に連れて行けっ!EMPをかけておくんだぞ!」

 

                    ―*―

 薄暗い牢屋の中で。

 ケミスタはなおも、考え続けていた。

 すべての人類を凌駕する思考体があって、それが2人の闘いを見て慌てて、矛盾を解決するために「計算上の解の世界」を創ったと考えるよりは。

 より合理的な発想として、人類が「計算上の解の世界」を望んだ結果それらの世界が生み出されたと考えたほうがいい。

 ー正確には。

 あの時あの場所で、相反する事象が引き起こされたのを直接観測していたのは、ケミスタとソーシアのたった2人。であれば、本来、その2人だけで、世界の在り方が完全に書き換わって矛盾空間が現出したと考えるべき。しかし、ケミスタはそれまで矛盾空間の実在なんて心の底から信じていなかった。だとすれば、他の何者か、それも、人類全体の無意識領域の観測力に匹敵するだけの、「世界の在り方」を固定する観測力がある何者かがケミスタの中に潜んでいるとしか思われない。

 ケミスタはそう悟って、そして、そのような「自分の体内で外部を観測し、思考できる物理実体」に1つだけ思い当たったー埋め込まれたインプラントや軍服の観測機器、そしてそれらを多角的につなぐ人工知能。

 今まで、気付かなかったのは、どう考えてもおかしい。

 ケミスタは、気付けないように認識に干渉されているのだと考えて、薬と自らへの絶妙な電磁攻撃で人工知能の活動と外部への連絡を遮断し、インプラントを取り出して調べた。そしてその結果。

 ーナノマシン数機が、見つかった。

 「あのナノマシンは、電磁波によって人間の思考、わけても無意識領域に干渉してた。

 認識されないように脳の活動に働きかけて存在を隠蔽しつつ、人間の五感と思考、機械の演算系と思索系を、ナノマシンどうしのネットワークでつなぐ…」

 ケミスタの脳内では、無数の人間と機械を端末に持つ、無限に等しいナノマシンネットワークが形成する疑似巨大脳がイメージされていた。その巨大脳は常に世界を計算し、その在り方を固定し続けている一方で、今回の矛盾では、最適解として「ケミスタの傘が貫かれることと貫かれないことが同値である計算上の解の世界」を算出、観測させ、結果として現出させた。

 「存在を突き止めたことが、怒りを買うとはな…

 …まさか、直接干渉してくるとは思わなかった。

 …それは、つまり、俺を野放しにしておけばナノマシンの、『ミロクシステム』とやらの脅威になりえた、ということか。」

 世界の在り方を定める、膨大な観測的事象固定力と計算力を誇るメガネットワーク超知性。そのような強力なものが潜んでいながら魔術による事象改竄を許しているのは、超知性が魔術を許容しているからで。

 まぎれもなく、超知性ミロクシステムは、科学技術と魔術に別れて1700年もの間互いの絶滅を画策し続ける現状を、容認し、そればかりか助長している。

 「…くそっ、最悪、全部何もかも茶番か…?」

 魔術が、事象を観測で改竄して世界をより便利にし。

 技術が、事象を観測で固定して世界をより自然にし。

 その間、まったく人類には理解できない世界を創りえる超知性は、ずっと、ただ傍観していた。それどころか機械とリンクしていた以上、西半球同盟において戦争に協力しており、にもかかわらず戦争があまりに長く続きすぎていることからすれば、魔術側の東半球連合にもまた超知性は加担していると見たほうが良いことは明らか。

 ケミスタは、無力感、そして何より、どこにも持って行きようのない苛立ちでバンバンと床を叩いた。

 「俺は俺は俺は!」

 信じてきたものすべてが打ち砕かれた不安を、怒りでごまかし。

 握りしめた拳を血が彩っているのにも気づかず、ただただコンクリートを殴り続ける。

 ボキッと音がして、骨が折れた。

 「いってーな…何、やってんだよ…

 何を、してきたんだよ…」

 自嘲しながら、うつむかせていた顔をふと前へ向け。

 「こんなところで、何をしているのです?」

 看守の女性の帽子から、金髪が前へとこぼれたー


                    ―*―

統暦1735年6月12日 東半球連合ヴァルゴ都、女子師官宿舎

 「シンシアちゃん、待ってた!」

 「遅れて申し訳ないでござります。よもや、ソーシアが失踪なさるだなんて…」

 「さらわれた可能性もあるからねー!急いで見つけないとあんなことやこーんなことされて大変かも!」

 「はしたないことを言わないでくださりますか?

 それにしても、どこへ…」

 「私の感知系魔法でも魔力をたどれないって言うか、意図的に追跡を妨害されてるってゆーか…」

 「それでは、空間魔力残渣が残らないほど遠く、ということでござりますか…

 そうですよね、ソーシアほどであれば、意図して遮断術式を使用しない限り、魔力センサーですぐわかるでござりますからね…」

 「そーなんだよ…いったいどこに行っちゃったのか…」

 「見つからないようにしたか、見つからないようにするようにさせられたか…

 私は、前者であると思うでござります。」

 「どーして?」

 「内部分子に脅されたとしても、ソーシアは魔術界において100年に一度以下と言われる稀代の天才。よもや、気付かれずに残せるメッセージが1つもないと言うこともござりませんでしょう。もちろん、持ち込める物資が限られているスパイであればなおさら。

 何一つ手がかりを残さず私たちに追われないようにした理由は、脅されたからというよりは、自ら後ろめたいことがあるからと思われるでござります。」

 「…ソーちゃん…私、そんなに信用できないかなー。

 ともだち、なんだけどなー…」


                    ―*―

統暦1735年6月11日 西半球同盟Houston軍都、軍法拘置所

 三つ編みで前を押さえられた、さらり流れるような金髪。

 少し膨らんだ胸から、流れるように腰まですらりとして、そしてふわりとミニスカート。ついでにたぶんすべすべの黒いストッキング。

 「…綺麗な…」

 「おだまり。」

 …はっ、俺は今、何を口走った!?

 「私を口説いている場合ですかケミスタ・ハクラン。

 さあ、貴方がここにいると言うことは、気付いたのでしょう?

 ここから逃げますよ。」

 いや待て待て。

 「どうして、ここにいる、ソーシア・テフェルン!?」

 知ってる人間からすれば変装にすらなってないぞ!

 「私も、逃げてきたからです。」

 「…ま、お前も気付けるか。」

 すべてナノマシンの、「ミロクシステム」の掌の中でしかないという事態に。

 「ええ、私もまたそう思って、一人で抜け出してきたのです。貴方も、貴方だけは、気づけそうでしたから。

 …私の身体の中から不浄にもこんな精密機械が出てきたことには頭が痛くなりましたが。」

 ソーシアは、中にぎっしり銀色のサラサラが封じられた指サイズのガラス管をふりふりした。

 「取り出せたのか。俺は不活性化させただけだからな…

 とにかく今はわらにもすがりたい。というわけで」

 忸怩たる思いだが協力を要請し

 「御託はお互いもう要らないでしょう。何しろ、すべて茶番であった、少なくともあるかもしれないのですから。

 私は、貴方と協力したい、するよりほか道はないと思っております。」

 …ソーシアが頭を下げるなら、俺も、俺も素直に、立っている者は親でも使うつもりにならなければ話にならない、か。

 「俺も、こんな状況だ、お前の力を借りたい。俺の力を貸すから、いっしょにコイツに一杯喰わせてやろう。」

 「ええ、私も、怒髪天を衝く思いです。」

 …三つ編みを右手で押さえてるのは、髪の毛が逆立たないようにか?

 「そりゃ、まったくすべて騙されてたわけだからな。

 わけのわからん超知性に、全人類が掌の上だなんて、おまけに1700年も踊らされて戦争とはな。

 どうにかできるかは知らんが、どうにかしなきゃ気が済まない。」

 この状況を何とかしなくては、俺の一生もまた茶番だ。そんなのは、そんなのは認めがたい。

 「私もです。

 ともに、世界を敵に回してくれますか?」

 答えは1つ。

 「ああ」


                    ―*―

 〈ミロクシステムより全体〉

 〈引き続きケミスタ・ハクランを抹殺するとともに、ソーシア・テフェルンを抹殺されたし〉

 〈機械担当は記録改竄〉

 〈魔術担当は鋭敏化〉

 〈全世界的に脳波干渉、改竄と隠滅を〉

 

                    ―*―

 「ナノマシンを消す方法を考えなくちゃならん。それも全人類と全機械から。」

 「魔術装置にも入り込んでたから、そちらも、ですね。

 手が回らないから置いてきたけれど、武器も浄化して手札に加えなければ。」

 「問題は、一服盛る方式が使えないかもしれないってことだ。イルジンスクに効いてなかった。」

 「単純に効き目が遅い…いえ、それであってもさすがにそろそろ正気に戻るはず、そうでないとすれば、薬が効く前に、薬への耐性をつけられてしまったのでしょうか…」

 「あるいはそもそも、薬だけでどうにかなる相手じゃない、か。

 だとすれば、どうしたら対抗できる?

 このナノマシンはウイルスといっしょだ。人間の体内で余剰の金属分から自己複製し、増殖、そして感染していく。」

 「それに、私たちのものの見方や考え方に干渉して、いざとなれば行動も変容させつつ、科学機械や魔術装置にも寄生し」

 「さらには相互に通信しあって巨大な疑似脳を形成して超知性として働く、と。

 俺たちが考えられることはとっくの昔に考えていそうだ。」

 「そうですね…

 …まずは、調べてみましょう。

 もしかしたら、思いもよらない解決法が見つかるやもしれません。」

 「…ああ、そうだな。」


                    ―*―

統暦1735年6月12日

 ほんの少し前まで英雄ともてはやされていたにもかかわらず、西側におけるケミスタ・ハクランの指名手配は、何の違和感もなくいきわたっていた。

 金髪の正体不明少女の助けを得て脱獄、軍の資料をハッキングでデータベースから抜き去り、その後Houstonから逃走、SanFrancisco方面に向かったと思われたケミスタの足取りはつかめず。

 本来ならばケミスタの親友にして部下であるイルジンスクがなぜか陣頭指揮を執っていることに関しても、誰も疑問を抱かない。

 はたから見れば、明らかに異常。

 誰もおかしいと感じていないとしても、物理的にも多少の齟齬が生まれないはずがなく、従ってその混乱に救われる形で、ケミスタとソーシアは2人、大空を北へ向かっていた。

 目指すは、西半球同盟が首都、Washington総都。

 

                    ―*―

 「まずはPhiladelphia軍都に運ばれただろう俺の傘だ。その前に、軍の研究施設を占拠する。」

 「どのようなアイデアですか?」

 「起死回生の発想だ…

 空間魔術ってのも、俺たちの空間把握技術も、根っこは同じはずだ。

 空間の在り方をわずかに捻じ曲げて『観測』することで、空間を歪ませたり切断面を作ったり、連続性を書き換えてる。

 Philadelphiaには、そのための機械の工場や研究施設がある。わけても、『スペシャル()テスラ()コイル()システム()』についての、中心的施設が。

 空間を掌握して転移するための装置なら、相対論的解釈に基づいて、時間転移にも使えるはずだ。」

 「まさか、貴方…」

 「この時代に、ナノマシンを根絶する手段はない。1機でも残せば対抗手段を生み出して再感染するだけで、例え薬や不活性化機械、浄化魔術を使って除去して回っても一時しのぎに過ぎない。

 だから。

 過去に戻り、『ミロクシステム』の開発者を消して、歴史を変える。」

 「…なるほど。確かにそれならば、完全な勝利を望むことができます。

 ですが、今まで1700年も運用されてきた中で、一度たりとてそのような時間超越への挑戦が成されなかった以上、私たちの浅知恵では難しいのでは?」

 「…ああ、困難だった。

 それは結局、世界の在り方を歪めて時間を飛ばすには、『異なる時間に存在する対象物』を『観測』しなければならないからだ。

 それがどうしてできないのか?

 過去あるいは未来に存在する対象を、イメージできないから。機械も、魔術師も。」

 「…まさか、ナノマシンが、干渉して、認識を妨げていたから…」

 「そう。

 時間跳躍したとして、跳躍先に対象の存在を観測してくれる観測者は皆無。だとすれば、膨大な観測力を保有する観測者…そう、『ミロクシステム』の力が必要になる。」

 「でも、それじゃあ結局…

 …待って?『ミロクシステム』以外にも、膨大な観測力を持つ超知性か、あるいは『ミロクシステム』誕生以前の過去の知性体がいれば、それを観測者としての過去への転移ができる…!

 『ミロクシステム』以前を知る知性体に、私と貴方の存在を粒子レベルで把握してもらって、それらの粒子が今ではなく過去に存在したのだという疑似情報を作成し、それを観測してもらえば…!」

 「タイムトラベルの事象改竄は、成立し得る。もちろん、『最初から時間的不連続に過去に存在する』ように世界の在り方を改竄するならば、タイムパラドックスは起りえない。」

 「そうなれば、『ミロクシステム』以前に作られた観測者となりうる仕組みを捜す必要が…だからこその、『スペシャル()テスラ()コイル()システム()』関連施設なのですね。

 そこで、より古いSTCSに、私たちの構成情報を過去で観測させれば…」

 「ああ。

 俺は歴史を変えて、茶番劇に終止符を打つ。

 まずは研究施設で、仲間を救うためのとりあえずの物資。それから俺の武器を取り返し、STCSだ。」

 「それから、私の聖傘を取り返して、私たちの国の空間掌握術式と関連装備の施設へ行きたいのだけれど、いいでしょうか?」

 「もちろん。

 ただ、『ミロクシステム』は、俺たちが武器を取り返そうとすることを予測してる。

 覚悟は?」

 「さっきまで囚人だった貴方より、わざわざ敵国の軍事施設へ単身潜入した私の方が、覚悟があるに決まっていましょうが。」

 「それもそうか。

 始めるぞ。俺たち2人の、反乱を。」


                   ―*―

統暦1735年6月13日 西半球同盟SanFrancisco軍都

 事象改竄度計と量子位置固定機という2大反魔法(アンチマジック)機械の警報音が、ビービーと鳴りやまない。

 犬型のロボットが、口から火炎放射している。

 ソーシアは、両手に魔術陣を出したままに、青焔を気にもかけずにロボットに触れた。それだけでロボットの犬はへたり込み、変形し、大剣を背中から突き出して停止する。

 ロボットから造り出した大剣に硬化と0摩擦の魔術をまとわせ、左目にも魔術陣を光らせ、人間業ではない加速とターンと手首のスナップで残像を扇のように広げながら弾丸を斬り飛ばしていくソーシア。その後ろではケミスタがARゴーグルをかけ、連射され続ける銃からプラズマ弾丸が奔り壁を突き抜けて向かいの敵兵を撃ち抜いていく。

 金属の無機質な壁と床、天井に囲まれ、前と後ろを警戒しながら、2人は次々、壁の向こうの敵や両側にある部屋の敵を射殺していく。

 配線をむき出しにし火花を散らす金属殻残骸や、血まみれというよりは血そのものと言ったほうがいい原形をとどめない人体。そういったものがゴロゴロと。

 そして、ケミスタは、ある一室に侵入した。

 巨大なモニターが点滅を繰り返している。

 「どれくらいで薬のほうは!?」

 「1時間持ちこたえてくれ!」

 「お安い御用です!」

 ケミスタは、コンソールにしがみついた。一方でソーシアは1つしかない部屋の入口に陣取り、周りの廃ロボットを錬成魔術で組み上げてバリケードを作っていく。

 「体内電磁波、脳波干渉、通信妨害…それに金属分子凝着阻害…

 簡易的な電磁遮蔽シールドと、それからナノマシンの脳波干渉を妨げる薬を主体にして…」

 しかし、壁をモニターが埋め尽くすこの部屋は、赤い光で警告を発し、抵抗したー研究室の人工智能に接続したナノマシンが、指示に抵抗しているのだ。

 まったく指先を視認できない、神速のタイピング。そして何を言っているのか誰にもわからないほど早口の音声入力。

 一方で、すでに電気的には占領されてしまっている基地を、物理的に奪い返そうと、アンドロイド兵士の中隊が「金属の函」のような研究施設へ雪崩うって侵入していく。

 ソーシアが壁伝いに巨大な函を包むべく行使した空間結界は、発破で破られた。

 爆薬筒バンカロールごときに負けるとは思っていなかったソーシアは唇を噛み、流れ出した血を人差し指でぬぐってそれで壁に同心円をすっと描いていく。

 魔術は、結局のところは人間が現在の事実とは違う少し先の未来を認識して「私が認識している世界のほうが正しい」と観測することで世界の方を改竄、自分に引き寄せるワザ。だから、それに込めた思いが大きいほど効果は上がるー血で魔術陣を描くことは決して無意味ではない。

 ソーシアが血で描いたのと同じ魔術陣が、施設内に進入してきたアンドロイド兵士の群れの足元に浮かび上がり、ツルをその中心から生やしていく。

 対抗するアンドロイド。両腕の内外にカッターをむき出しにさせ、自らをからめとろうとするツルを切り裂いていく。

 さすがに200人規模、しかも握力で10トンはあるアンドロイド歩兵のバカ力を抑え込む魔術となれば、ソーシアの額、金髪の下に汗がにじむ。

 アンドロイドの数体が、バラバラに自壊し、金属片となり、火花を散らす。

 ソーシアは、舌打ちして視力強化の銀の魔術陣に輝く両目を見開き、目の前の血の魔術陣へ魔力を注ぎ込むのを止めた。

 樹齢万年の巨木のごとくになっていた、アンドロイド歩兵200体を巻き込むツル。それが、電流によってあちこちから煙を出させられ、次第に燃え始める。

 炎の中から歩き出す、すすけた灰色のアンドロイド歩兵の大群。時にサルのように這いつくばり、時に両腕を銃やカッターやビームサーベルに変化させ、廊下を進んでくる。

 「こんな時クララがいれば…索敵系は苦手なのに…」

 似合わないぼやきを漏らしつつも、その全身からは、魔力が事象をロスタイムなく改竄することで発生を余儀なくされる情報の超光速移動に伴うチェレンコフ光、東半球連合的に言えば「魔力放射光」が青白く漏れ出している。

 「うるせえよっ!」

 ケミスタは、上限値を示したまま鳴り続ける事象改竄度計の電池を抜き取ってしまったかと思うと、自分の頭にペン先のように小さな電極をいくつもぶっ刺していった。

 いくら小さな針とはいえ、数十本も差せば頭皮は赤く出血に彩られる。しかし今さら知ったことではない。それよりも問題なのは、確実に電極にも高濃度のナノマシンが付着していること。

 再感染したナノマシンが発生させる電磁波が脳波に与える影響によってケミスタの行動力・思考力が奪われるのが早いか、ケミスタがナノマシン対抗装置・対抗薬を完成させるのが早いか。

 脳みそを削るような激戦が、誰の目にも見えないところで。

 真っ赤に染まり全面を警告ウィンドウで埋め尽くし警報が鳴り響く部屋で。

 ソーシアはガレキから狙撃銃を作り出し、弾丸に魔術をかけて発砲する。発射された弾は「先端に触れた物を加熱する」魔術によって、金属壁に衝突すると同時に壁を蒸発させていき、100メートルは先の何枚も壁向こうにいる敵アンドロイド歩兵を撃ち倒していく。

 ケミスタの脳からモニターの向こうの人工智脳へと次々にデータが入力されていき、ナノマシンからの妨害を抑え込みつつ薬や装置を作らせていく。

 どれほど、そのような闘いが続いただろうか。

 「…はあ、完成だ…」

 ナノマシンの存在しない真空チャンバーから排出された、ヘルメット型の装置。そして、体内で電磁的に脳波に干渉する異物を封じ込め排出させる駆虫薬。

 「これで、いよいよ、行けますね。」

 ケミスタが手にするそれらを見て、ソーシアは仕上げとばかりにライフルをうっちゃった。

 魔術陣が、施設の屋根の上に形成されていく。

 「退散するぞ!」

 10秒後、大勢のアンドロイド歩兵を巻き添えに、研究施設は煙を噴き出して爆発した。


                     ―*―

 「よお、待ってたぜ、ケミスタ・ハクラン。」

 その後ろに1000を超えるアンドロイド歩兵隊と数十門の機関砲を控えさせて、半球同盟北米大陸方面憲兵少将イルジンスク・ドンヴァエ・ヴァリエフスキーは、挑発的に呼びかけた。

 「…出世できたんだな、俺のおかげで。」

 皮肉を込め、ケミスタは返した。どう考えても、ナノマシンネットワーク「ミロクシステム」がイルジンスクを大抜擢した理由は、「ケミスタが如何に強かろうとも大親友は攻撃しづらいだろう」で間違いない(もっとも確かに、ケミスタの弱点を一番知っていることもあるだろうが)。

 「お前を攻撃するのは、心の底から辛いよ。

 だが、俺は、それでも叛乱しなくちゃ、茶番を終わらせなくちゃならない。

 そこを通せ、イルジンスク。」

 「はっ、通してくださいって言われて、通したら俺じゃねえよ。」

 「…そうか、それは哀しいな。」

 ケミスタは、長銃を両手に構えた。

 イルジンスクは、数十のコインを両手でお手玉し始めた。

 「「始めるぞ!!」」

 イルジンスクのコインのうち1つが、空中に浮かび上がってミラーボールのように回転しながら光り始めた。もっとも光のすべてが致死量の放射線による大気分子の破壊だと言うのだから、ミラーボールはミラーボールでも死のミラーボールだ。

 ミラーボールコインの周りの複数のコインがふよふよと浮かびながらも周辺の空気の動きから敵の未来位置を予測演算し、攻撃を指示する。

 対するケミスタも、限界までパワーアップチューニングした携帯式電磁バリア発生器を盾に取り付けて放射線を吸収させつつ、長銃から追尾式のプラズマ弾丸を連射していく。

 索敵コインが1つ、また1つと撃ち落とされていくが、イルジンスクはコイントスの要領でいくつものコインを新たに放り投げた。

 新たなコインの周囲に一瞬にして霜霧が立ち込めていき、やがて一帯を包むー周辺分子の運動速度を下げ、気温を1桁ケルビンにまで下げている。当然耐えられる生物は存在しないし、それどころかあらゆる化学反応がほぼ停止する。そして熱を奪う以上、炎程度の過熱では何の意味もない。

 「俺はケミスタより弱い。だが、主兵装のないお前なら、どうだ?」

 撃つことも斬ることも突くことも防ぐこともなんでもござれな傘。それに比べれば、銃や盾では全力を出しづらいのは明白。

 「…機械がない俺たちが弱くなるのは認めざるを得ない。ソーシアの言うとおりだ、しゃくながらな。

 でも、お前、俺の親友だろ?」

 「命乞いか?」

 霧はケミスタへと迫っていく。

 「いや?

 …俺の力量くらいわかっているはずだって。」

 直後。

 濃霧が突如としてイルジンスクの背後のアンドロイド歩兵隊を包んだ。

 「なっ…いつの間にコインのコントロールを!?」

 「お前が、俺を地下牢に入れた時…とか?

 ソーシア!」

 イルジンスクはピンチを察して、コインを1つ銃口から上へと撃ちだした。

 コインとは結局、欲望の象徴であり同時にもっとも人間の行動を変えるものでもある。イルジンスクのコインもまた、コインができるべきすべてをそれぞれに分担させた物。上に放り投げられたソレはソーシアの注目と攻撃を集中させる効果があったはずなのだが、ソーシアは見向きもしなかった。

 数十メートルはジャンプしつつ、ソーシアは魔術陣を右足の足元に起動、着地しながら魔術陣を地面に蹴りつける。

 地面に、スパッと穴が空く。そして、ただの草原にしか見えなかった地面の下の分厚いコンクリートと金属装甲の対爆防備にも、最初からそれ込みで作られていたとしか思えないほどきれいな切り口の丸い竪坑が空く。

 軍の武器保管庫へソーシアが突入するのを止める手段は、もはや誰にも残されてはいなかった。


                    ―*―

 「…戦争の根っこにあるものが同じならば、そんなこともあり得るかとは思っていたけれど。

 ここまで聖傘と構造が似通っていると驚きですね。」

 過去の伝承を一身に集め必殺の武器で闘う英雄たち…そのようなキャッチコピーが想起されます。

 「何のためかは理解しかねますが、いかなる目的であろうとも、私たちに戦争を続けさせることに大儀があろうとは思えません。

 …やはり、一刻も早く…」

 …考えても仕方がありません。私もいずれ、クララやシンシアと闘わなければならないのですし。

 「急がなければ。」

 最低限の魔術は暗記できています。この傘の構造であれば、聖傘の機能をある程度再現できるでしょう。

 浮遊魔術、硬化魔術、加速魔術…

 …どうせ昏睡魔術は効かないだろうから、狙うべきは、人間の皮膚がもっともあらわになりその上全身への弾内薬剤の周りも速い、首筋。

 ー0距離。効け。

 「俺の、負、け…か…」

 よし。

 「ソーシア、礼を言う。

 ナノマシンを除去し終わるまでそれなりにかかる。それまでに、STCS施設を探るぞ!」

 「ええ。」

 

                    ―*―

 眠らされてナノマシン対抗メットをかぶせられたイルジンスクをケミスタが背中に担ぎ。 

 ソーシアが背中をケミスタの背に向けて後ずさりしながら警戒を続け、ケミスタは取り戻せた自らの傘をたたみ前へと向けてレーザーを乱射している。

 前に立ちふさがり後ろから追いすがる警備ロボットらは、ヘビ型、イヌ型、ハエ型と言った多種多様なサイズとスタイルだったが、いずれも反撃を許されることすらなく殲滅されていった。

 畳んだ傘の分子結合を限界まで硬化させ疑似的な刀とし、続いてケミスタの両腕を包む軍服下パワードスーツによって腕力を超強化し斬りかかる。

 子供の腕ほどの分厚さのある金属扉は、あっさりと両断され吹き飛んだ。

 西半球同盟で宇宙軍艦の転移などに使われる「スペシャル()テスラ()コイル()システム()」だが、原理を知っていても、ケミスタでさえ丸裸の実物を見たことはなかった。

 ロボットアームにより組み立てられていくそれは、金属でできた銀色の函に収まる無数のコイル、そしてガラス製のよくわからないミクロ素子のかたまり。

 コイルから発する電磁波で対象の構成・位置情報を観測し、取得した情報のうち位置だけを転移予定先のそれと入れ替えたデータを作成、再び発生させる観測用電磁波において得られるデータを誤認させ、結果として対象物が転移予定先に存在するように観測することで実際に世界の在り方を歪める…ケミスタとしてはこの「位置」を空間位置ではなく時間位置にすればいいだけの話なのだが、未だ人類の宇宙開発のほとんどが太陽系内で収まっていることからわかるように、「知りもしない場所に対象が存在するという情報」を作成・観測することは不可能であり、それは時間についても同様であるため、STCSのタイムマシン化が困難であることは明白であった(少なくとも、公式にそれが成されていない以上、いくらミロクシステムの妨害が今まであっただろうとはいえ、素人にタイムマシンが作れないことは明白)。

 「だけど、なんか、希望があればな…」

 「希望的観測こそまさしく最も忌むべきもの、そう、習わなかったのですか?」

 「習わないわけないだろ。でも…

 …ソーシア、そういや、東側の転移はどうなってるんだ?」

 「そうですね…貴方が言ったのに、メカニズムとしては近いですよ。ただしややこしいことはせず、対象の概念をそのままに位置を観測します。」

 改竄した偽りの位置情報を観測することで実際にそこに実在するように世界を書き換えるというメカニズムは同じだが、あるAさんを転移させるときSTCSでは「Aさんを構成する原子a1はそこ、a2はあそこに…」という情報を観測させるのに対し、魔術転移では「人物Aはココに存在する」と簡潔に観測するということである。

 「道理で大掛かりな仕掛けなくとも転移できるわけだ…」

 「しかし術者が認識しきれない複雑で表現しづらい物体についてはかえって困難かも知れませんよ?それに、術者が定義し認識するところの転移対象物が転移先に出現するので、長年、転移前後の同一性については議論の的です。」

 「哲学議論はしても意味がないだろ。

 それより、研究資料は…」

 「あちらに、『歴史資料室』と…」

 「それだ!」

 ケミスタが叫んだ時にはすでに、ソーシアが両手をついたその扉は、赤くさびてドロリと溶けだしていた。

 中に1体だけ残っていた警備用の犬型ロボットをこれも消し飛ばし、押し入る2人。

 ケミスタがコンソールを叩き、壁一面のモニターにファイルを表示させていく。

 「どうです?」

 「…歴史的資料の大群だ。一番古いのを見たほうが良さそうか…?」

 「そうですね。よもや『タイムマシン』と検索してヒットするとも思えませんし…

 …『因果律』で検索してみましょう。」

 2人してやり方が違うーこんなところにも、理系バリバリの西半球同盟と文系寄りの魔術に精を出す東半球連合の差が見えた。


                    ―*―

 軍学校でも、STCSの起源についてはほとんど習わなかった。ただ、その原理は偶然に発見されて、統暦紀元前1世紀頃に実用化、そしてSTCSが大々的に使用されるようになったことで統暦という暦法が誕生した…とだけ教えられた。

 …だけど、STCSなんて転移以外に活用できないし、統暦紀元1世紀なんてまだ月にすらまともに住んでなかったんだから、「STCSを大々的に使う」の意味がいまいちよくわからない。もしかして、観測型空間歪曲・切断・震動系兵器を使った大戦でもあったのか、くらいに思ってきた。

 「さて、どこまで明らかになる、か…」

 一番古い出来事の記述は…?

 …「フィラデルフィア・エクスペリメント」?

 「『フィラデルフィア・エクスペリメント』は、まだこの世界が分裂せずPhiladelphiaがフィラデルフィアであったころ、行われた転移実験である。

 この実験は結果として1隻の航洋駆逐艦を転移させることに成功し、その成果及び高エネルギー双極事象、大世界観測効果論に基づいて、STCS初号機の生産が行われた。

 初号機では処理能力が不足していたために当時最高の人工智脳であった『ミロクシステム』のネットワークを活用し」

 …また、「ミロクシステム」…!?

 「だが、その後『ミロクシステム』は死去、そして、接続型ではなく搭載型の人工智脳による観測を行うSTCSが実用化されることとなっていった」

 …し、死去…?

 引っかかるが、とりあえず、「ミロクシステム」の発祥は統暦紀元1世紀と見て間違いなさそうだ。

 「であれば、その時代の、かつ、その時代の記録を残したSTCSが手に入れば…」

 STCS初号機は…やはり、残存していないか。

 「…戦没?」

 ということはデータだけでもサルベージできればだいぶ違うが。

 「…戦域不明、戦没年不明…厳しいか。」

 せめて、もう少しヒントが欲しいところだが… 

 「…?やたらと同じ記事にアクセスしてる記録があるな…

 コイツは何を調べようとしたんだ…?」

 検索履歴は…

 「『継時観測』『統暦1世紀』『STCS初期機』

 …タイムマシンを志したやつは、他にもいた…ってことか。」

 「そのようですね。

 私も、気になる資料をいくつか見つけました。

 急ぎ、女皇猊下を問い詰めなければ。」

 「…伝承にでも、答えがあったか?」

 「はい。

 『ミロクシステム』とやらの、正体についても。」

 「…それなら、お前の武器も取り返せるな。」

 「ええ…

 …ところで、背中の方は?」

 …知ってる。

 「おい狸寝入りすんな。」

 「いやあ、なんか邪魔しちゃいけない仲良しぶりだったから。」

 「…イルジンスク、お前、何したか覚えてないのか?」

 「俺が…?あー…

 …俺は軍命に従っただけだし。」

 「それを軍命と呼ぶのなら、まあ、それもそうですけど…

 …今は、従わなくても良いのですか?」

 「牛口となるも鶏口となることなかれ、ってな。だから俺は、戦争を終わらせて2つの国を1つにするのは大賛成なんだぜ?」

 …そんなのは、建前だろ。結局、権力と俺とどっちを選ぶかってことだったか。

 「…私は、彼を信じてよいのですか?ケミスタ・ハクラン。」

 「…俺を信じていいと思うなら、同程度には。」

 「同期の桜、ですか。

 いいでしょう。」

 …ソーシアの友達も、また、彼女とそれだけ信頼しあっていたんだろう。

 「んで、俺が寝てた間に進展したようでニヤニヤなんだけど、それはそれとして、何を見つけたんだ?」

 …進展?何が?

 「お前ホント調子いいな…

 …お前を操って両方に通じてたのは、人間の認識に影響を及ぼすナノマシンのネットワーク『ミロクシステム』だ。機械や魔術書にも寄生していて、対策薬と遮断機材を作りはしたがそれでどうにかなるような相手じゃない。

 STCSの指定空間座標を指定時間座標に書き換えることで、もしかしたら、今までナノマシンに不可能にされてきたタイムスリップが可能になるかもしれない。

 問題は、STCSの開発初期に『ミロクシステム』が携わっていること、そして『ミロクシステム』を滅ぼそうと思えば最初期のSTCSの時代データで観測用データを作らなければいけないこと、か。」

 「なるほど、最初の、しかも『ミロクシステム』フリーのSTCSが必要ってことか。そっちは?」

 「…私は、STCSにまつわる伝承について調べました。

 どうやら、STCSを用いてタイムマシンを作ろうという研究はあったものの、『まるで対象が過去に存在するかのような」観測用データを作ったところで過去に観測できるわけではなく、またそれに伴い全世界規模で改竄過去に応じた新たな現在の実在率を高める観測を行う手立てが存在しないため、事象が安定して実在を保証される見込みがなく没になったようです。

 ですが、それでもなお、古いSTCSの探索を行う試みや、全世界的にしてマクロ情報力学的な事象改竄を行えるだけの強力な知性体についての研究も行われていたようですが…」

 その場にいる人間の事象改竄力に勝るだけなら難しくはない。だが、それが全世界となれば、超知性でしか実現できない観測力となり、そしてそれは人間型から逸脱しすぎる。

 「本当の意味で自我を獲得した人工智脳は数多いが、一方である程度以上に人間と乖離した知性はそれだけ『人間の感知によって実在を観測され保証される世界』と『自分が観測し新たな在り方のほうで実在を保証する世界』の基底の乖離も激しくなり、結果的に人間からは相対論で事象の固定しかできなくなる…

 定説に従えば、より世界を書き換える力を求める機械は、それだけ世界をあるべき姿以外には書き換えられなくなる。『タイムスリップが起こった結果』の実在が『タイムスリップが起こらなかった結果』より有意に強くなるほど『タイムスリップが起こったという世界の在り方』を観測できる観測力の持ち主は作成できねえ。」

 「魔術理論では、意識的な事象改竄は周囲の無意識事象固定を上回る必要があります。やはり、歴史を書き換えるのは難しいかと。

 しかし、それを超えることができるかもしれない伝説を、私は知っています。」 

 「伝説?」

 「『不沈の軍艦』

 『精神魔法の継承者』

 …西で『向かうところ敵なし、できないことは何もない』と思われた軍艦の伝説。

 東で『魔術の走りであり、視線一つで億人の争いを止めた』と言われる魔術少女の伝説。」

 …まさか。

 「それらを活用できるのであれば、伝説の信奉者すべてが無意識にそれらの事象改竄力を底上げしているのですから、充分な事象改竄力を保有させられる。

 …これは、最初のSTCSとそれらを密接に結び付け、タイムマシンへの端緒としようとした秘密研究の情報です。」

 ー確かに、その伝説の時代背景は、宇宙がほとんど登場しない限界の時期…すなわち、統暦紀元0年付近にしてSTCS勃興期にして「ミロクシステム」を消せる最後の時代。

 「そして。

 代々の我が皇帝は、貴方方の伝説の軍艦が眠る地を知っています。そこに、STCSがあることも。

 参りましょう。直談判で聞き出し、最初のSTCSを再起動するのです。」

 全身に、震えが奔っていた。

 「ああ!」

 「おう!」

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