エピローグ
「さて。いよいよ本番まで30分じゃ。お主ら、準備は良いかの?」
週明け、水曜日の放課後。本日は部活動の勧誘が解禁になる日であり、つまりは文藝部の朗読劇の初お披露目の日でもあった。
「もろきゅう!」
「もちろんって言いたかったのか!? だとしたらそこまで似てないぞ!?」
どうして突然キュウリを味噌につけたんだ、うちの幼馴染は。
「いや、お腹が減ってて」
「理由になってねえよ!」
仮にそうだとしても『もちろん』が『もろきゅう』にはならねえよ。
「相変わらずだなー、雨晴さんは。俺なんて緊張で腹がずっと痛いのに」
「オムツ貸そうか?」
「要らねえよ! てかなんでそんなの持ってんだよお前は! さすがにキメえよ!」
「いや、『オムライス色のツル』の略なんだが」
「ただの黄色い折り鶴じゃねえか! クソみたいな略し方すんな! あとそれで腹痛をどうしろと!」
貼ったら意外と効果があったりするんじゃないだろうか、知らんけど。
「そういうよーへいは、結構余裕そうじゃの。女声を全校生徒に披露するのに大丈夫なのか?」
「まあ、ジャンルで言えば女声というよりは面白ボイスって感じですからね」
そう割り切ってしまえば、そこまで恥ずかしいものではない。
「……むぅ。当初の予定と違くてあまり面白くないのう。よーへいにはもっと恥をかいてもらうつもりじゃったのじゃが」
しれっと最低なことを言う先輩だな。
「では、ヒロイン役に合わせて女性の制服を着てもらうのはいかがかしら」
「ナイスじゃせーら! それ採用!」
「最低な先輩どもだな!」
何故本番直前になってそういうことを言うのだろうか。いやまあもっと事前に言われていたとしても絶対にやらないが。
「まあ、貴方の女装ではせいぜい下の上ですからね」
「何ちょっとリアルな評価を下してくれやがってんだお前は!」
ちょっと普通に傷つくだろうが。そこは下の下とか適当なことを言っておけよ。
「ようちゃんの女装が見られると聞いて!」
「そう言いながら人を羽交い絞めにしようとすんな! こらっ、やめろ!」
お前その細腕でどういう腕力してんだよ! 物理法則無視すんな!
「心の声が聞こえている時点で物理法則もへったくれもないような気がするのですが」
「それは確かにな! ……で、伏木さんよ。なんで乃蒼と一緒になって俺を押さえつけてんの……?」
「実は私、人にメイクをするのに興味がありまして」
「やっぱりこの部には俺の敵しかいないのか!」
「えっ、それなら私にやってよゆづちゃん!」
「あいだっ!」
伏木さんのメイクの話に食いついた乃蒼はあっさり俺を投げ捨てる。落とすなら落とすって言ってくれ……頭打ったぞ……。
話題が伏木さんたちのメイクの方に流れたことでどうにか女装を免れた俺は、朗読劇が始まる前に飲み物を用意しておこうと、部室棟の1階にある自動販売機まで足を運ぶ。値段だけなら購買まで足を運んだ方がほんの少し安いのだが、移動の手間が金額差に見合わないので、部活中に飲み物を買うならほとんどこっちだ。
……あの日以来、伏木さんの心の声が俺に聞こえてくることはない。逆は今でも普通に健在なんだけどな。どうしてあの時だけ声が聞こえたのか、それは未だに謎のままだ。まあそれでいうと、普通に俺の心の声が乃蒼や伏木さんに聞こえているのも謎なんだが。
けど、あの時声が聞こえていなかったら、今日の朗読劇に、文藝部に、伏木さんはいなかったかもしれない。そう考えると……どこかで俺たちのことを見守っている神様的なサムシングが、少しだけ奇跡を起こしてくれたのかもしれないな。
「意外です。貴方も神様とか信じるのですね」
「……そういう存在でもいてくれないと、その能力の説明がつかないんだよ」
いつの間にか現れていた伏木さんに溜め息交じりに返しつつ、先程購入したペットボトルの蓋を開ける。あ、そうそう。神様じゃなくて、神様的なサムシングな。
「そこは別にこだわらなくても良いでしょう……」
いや、サムシング大事だから。これなら神様っぽい存在全部包括できるから。
「まあ、そういうことにしておきます」
「メイクの話はもう終わったのか?」
「はい。せっかくなのでもっと時間に余裕のある時にしようってことで落ち着いて、今は中川さんに首輪を装着するかどうかを検討中です」
犬役だからか。作中では別にそんな描写はなかっただろうに、ご愁傷さまだ。まあ、雪路なら首輪もしっかり着こなしてくれるだろう。
「首輪を着こなすってどういうことですか!?」
そりゃあお前……どういうことだろうな?
「適当に発言しないでくださいよ……」
一応言っておくと、別に『発言』はしてないからな?
「そういう揚げ足取りはいいんです! もう、せっかく貴方と話をしに来たのに、ちっとも本題に入れません……」
何を今更。文藝部の連中なんてそんな奴ばっかじゃないか。
「で? 話とやらはなんだ? 両親に変態扱いされたままなのか?」
「そ、そんな扱いはされていません! 父母共に良好な関係です!」
ほう、それは良かった。あれ以来話題に上がることがほとんどなかったから気になってはいたのだが、上手くいっているようなら良かった。俺も首を突っ込んだ甲斐があったというものである。
「……その件は、本当にありがとうございました。そういえば私からきちんとお礼を言っていなかったと思って、それを言いに来たのです」
「別にそんなの気にしなくていいのに」
「いいえ駄目です。救った側は気にしてなくても、救われた側は気にするものなんですよ」
案外そういうもんなのか。
「お父様もお母様も張り切っていますよ。高岡さんにはしっかりお礼をしなければ、って」
「別に俺だけじゃないだろ」
乃蒼も、ひみこ先輩も、国分先輩も……文藝部のみんなが伏木さんを助けたいと願ってたし、事実みんなが協力したから伏木さんを救うことができて、こうして新歓の初日をフルメンバーで迎えることができてるんだ。俺はたまたま部の代表として伏木さん家を訪れて、たまたまメインでしゃべっていただけだよ。
「……文藝部から、中川さんの存在が消えていますよ」
「あれ?」
名前言わなかったっけか。まあ、忘れがちだから仕方ないな。電車の網棚の荷物くらい忘れがちだからな。
「それ結構頻度高いですよ!?」
うん。雪路を忘れる頻度は高いよ?
「まさかの的確な比喩だったんですか!? ……はあもうっ、相変わらず脱線しかしませんね」
「それがウリなんだから仕方ないだろ」
それに、そんな部にこれからもいたいって願ったのはお前だぞ。そういうのが大好きなんだろ。
「……まあ、そうなんですけどね!」
自販機に正対していた身体をくるっと回れ右してこちらに向けると、1歩2歩と距離を詰めて、俺の耳元でささやいた。
「これからも私のこと、末永くよろしくお願いしますね♪」
至近距離で見つめたその笑顔は、まだそれほど日が傾いてもいないのに夕陽に照らされたように赤かった。
「ねえねえようちゃん! 今のゆづちゃんのささやきボイス、たまたま持ってた超高性能集音マイクで偶然録音しちゃったんだけど、私の好きに使ってもいいかな!? いいよね! ありがとう!」
「えっ、の、乃蒼さん!? どうしてここに!? というか、それ絶対に偶然じゃありませんよね!? そんなものたまたま持ち歩いてるわけありませんよね!?」
「べべべ別にそんなことないよ? こういう時用に星羅先輩にお願いして用意してもらってたとか、全然そんなことはないんだよ?」
「誤魔化しで全部自白するおバカの典型ですか! い、今すぐ消してください恥ずかしい!」
「嫌だ! これを1時間耐久にして睡眠用BGMにするんだもん!」
「ぼはっ! ちょっ、なに恐ろしいことを計画してるんですか! 高岡さんも見てないで止めてください!」
「なあ、乃蒼……そのボイス、いくらでコピーさせてくれる?」
「高岡さん!?」
「うむ。100ペリカで手を打とう」
「10円! 私の声やっす!」
「……これから朗読劇じゃというのに、なにをしとるんじゃあやつらは」
「今のが100ペリカの価値だとすると……ひみこさんのボイスは需要が限られるので、2ペリカくらいですわね」
「せーら!? 急にどうした!? ご乱心か!? わしはいたく傷ついたぞ!?」
「だー、なんで3階も2階もトイレが全部埋まってんだよ。お陰で1階まで降りて来ちゃったよ。まあ、ついでだからなんか飲み物でも……ってなんか文藝部が大集合してる!?」
……ったく、ついさっきまで伏木さんと2人で話してたはずなのに、なんで一瞬の間にフルメンバーが集結してるんだ、この部活は……しかも部室でもない場所に。なんか大層な縁でも繋がってるのか。
「……あるんじゃないですか。そうでもなければ、こんなに濃ゆい人たちばかりが同じ部活に集まったりはしないでしょう?」
「……ま、それもそうだな」
そんなヤバいやつの巣窟に新たに入部することになる新1年生は、一体どんな変人なんだろうか。俺のツッコミスキルで対応できる範疇だといいのだが。
「言うてようちゃん、最近そこまでツッコんでない気がするけど」
「いや全然ツッコんでるけど!?」
確かに伏木さんの加入でツッコミ寄りの要因が増えたので、今まで俺が一手に引き受けていたものが分散してそう感じるのかもしれないが。
「私、いつの間にかツッコミ要因扱いされているんですね……」
「ボケの方が良かったか?」
「どちらかと言えばそっちの方が好きです」
「じゃあ、どうぞボケてくれ」
「そんな雑なフリがありますか!? 急にお笑い素人ですか!?」
越中高校文藝部。最近1人部員が加わってより騒がしく賑やかになった彼らの脱線デイズは、これからも果てしなく続いていく。
「脱線デイズって何!?」
「ようちゃん、締めの地の文にツッコんじゃダメだよ」
「ならお前もそのメタ発言をやめろ!」