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第1話「メインヒロイン(わたし)が登場するまでに3万字もかかるとか前代未聞です!」

「ねぇようちゃん。女の子を5回も殴り飛ばそうとするの、よくないと思うんだ」

「…………えその話今すんの!?」

 新歓でやることが決まった翌日の登校時。おもむろに乃蒼が振ってきた話題は、昨日の昼過ぎくらいの俺の心の中の話だった。お前の会話センスどうなってんの? なんで昨日は何事もなくスルーした俺の心の声を、今になってほじくり返すの?

「大事なことだよ。ようちゃんに5回も殴られたら私、キズモノになっちゃう」

「うん、言い方に気をつけようか! あと、もう1回日本語勉強しようか!」

 会話を聞いていたご近所さんが一斉に白い眼を向けてきたからな。軽くホラーだぞこれ。俺何も悪いことしてないのに。

「いや、殴り飛ばすって言ったじゃん」

「あれ別に本気じゃないから! 軽い冗談というかその場のノリみたいなやつだから!」

「えー、そうなの?」

「……なんでちょっと残念そうなんだ、乃蒼さんよ」

「へぁっ? そそ、そんなことないでござるよ?」

「わっかリやすい動揺だな……。え、なに、ちょっと殴られたかったの?」

 ここにきてM属性まで加わるの? さすがにお前それは属性過多じゃね? アサシン・パ○イソなの?

「そ、そんなんじゃないってば! この私を捕まえてマゾだなんて、そんなことあるわけ――」

 その言い訳を遮るように、少し強めの力で乃蒼の額にデコピンをかましてみる。

「えい」

「あんっ♡」

「うわぁ……」

「ちょっ、引かないでよ! 今のはそういう流れでしょ!? セオリー通りの展開でしょ!? 違うから! 素の私のリアクションじゃないから!」

 うーん……まあ、そういうことにしておいてやってもいいが……。

「あ、ダメだこれ何言っても私がマゾ認定される流れだ」

 何かを悟ったらしい乃蒼が死んだ魚のような目になった。せっかくのまともな顔が台無しである。

「え、ほんと!? ついにようちゃんも私が超絶ウルトラハイスペックダイナマイトファンタスティックアルバトロス萌え美少女だと認めるんだね!?」

「復活が音速! あとそこまでは全然言ってない! なに、その頭の悪そうな修飾語の数々! アホウドリ混ざってんぞ!」

 まともとしか言ってないのにどこをどう曲解したらその結論になるんだ。小2の2学期から国語をやり直せ。

「え、すっごい中途半端! なんで!? そこに何かターニングポイントあったっけ!?」

「何故……小2の2学期……!」

「「え?」」

 突然聞こえた第三者の声に、乃蒼と揃って振り返る。そこには、住宅街の電柱の陰からこちらを窺いつつ、口元に手を当てて笑う同じ制服の少女がいた。こちらが気付いたことに気付いたのか、慌てて電柱の陰から飛び出し居住まいを正す。

「お、おはようございます」

 そして何事もなかったかのように挨拶をかましてきた。いやそれは無理があるだろうよ、色々と。

「……ストーカー?」

 早速乃蒼さんの爆速ストレートが炸裂した。

「ちち、違います! 断じて違います! 確かにそう疑われてもおかしくない挙動が私にあったことは認めますが、これには深い事情があるのです!」

 対する電柱ガールは、乃蒼の先制パンチに動揺しつつもしっかり否定する。とりあえずはその情事とやらを聞いてみようか。

「じょっ、情事ではなく事情です! 初対面の異性に何を語らせる気なのですかっ! 意味が1260度違うのですから気をつけてください!」

 ……それは回り回って結局180度では? とツッコみたいが、きっとそれをすると永遠に事情とやらが聞けない気がしたので、口にするのは堪えた。

「いえ、口にしてますけど……。でも、そうですね。このままあなた方のペースに付き合っていては遅刻もしますし喉もやられます。私としても早く誤解を解きたいので、ここは私が大人になりましょう」

 出会って5分も経ってないが、多分コイツもキャラが濃いんだろうなー、と確信した。

「こほん。改めまして、私は伏木ふしき夕月ゆづきと申します。制服からお察しかとは思いますが、あなた方と同じ越中高校の生徒です。とは言っても、親の都合で本日転校してきたばかりですが」

「わお。転校生とは珍しい。さては超能力者だね?」

 そういうの挟むと話が長くなるから黙りなさい。ただでさえここまで3卍くらいかかってるんだぞ。

「…………(むすー)」

 ……スルーして話を続けよう。

「今日から? 学校は昨日から始まってるぞ?」

「手続きの関係で1日ほど間に合わなかったのです。ですので、本日が初登校ということになるわけですが……いかんせん見慣れない街並に、手続きで一、二度訪れただけの学び舎。すんなり辿り着くのは誰であれ困難です」

「つまり、学校の場所がわからなくて迷子になったら、同じ制服の俺たちについて行こうとした、と?」

「ちっ、違います! 断じて迷子などではありません! ちょっと学校までの道がわからなくなっただけです!」

「世間一般ではそれを迷子と言う気がするのだが……」

「しゃらっぷ!」

「ええっ!?」

 何故頑なに迷子を認めないんだ。だが、こんなことで言い争っていては本当に遅刻する。ここはこちらが大人になろう。

「……その言い方は腹が立ちますね」

「アンタさっきまったく同じセリフ言ってたかんな!? ……まあいい。どうせ俺たちも学校に行くわけだから、案内はしてやる。だがそのかわり、1つ質問に答えてもらう」

「……はっ!? まさかっ、道を教える代わりに私のスリーサイズを教えろと言うのですか!? この変態!」

「そんなこと1ミクロンも思ってないんだけど!?」

 訂正。コイツのキャラは尋常じゃなく濃い。どれだけ被害妄想が激しいんだ。俺がそんなゲスい野郎に見えるか。

「あまりゲスには見えないねー。童貞には見えるけど」

「よろしい戦争だ。歯ぁ喰いしばれよクソアマ」

「ぼっ、暴力いくない! ごめん私が悪かったって! 男の子のデリケートなところだもんね、本当のこと言われたら怒るよね!」

 お前微妙に反省してないだろ。やっぱ殴るぞ。

「し、してるってば! おわびにほら! 私も処女だし! これでおあいこでしょ!?」

 おあいこでしょ、じゃねーよ家の近所で何を叫んでるんだお前は。今ので完全に俺たち変態認定されたぞ。ご近所さんと気まずくなったらお前のせいだかんな。ついでに、いい加減羞恥心を装備してくれ。

「……さ、最近のバカップルは朝から往来ですごい会話をするのですね……」

「バカップルじゃない。ただの幼馴染みだ」

 あと、よく知らんが本物のバカップルの会話はこんな生温いもんじゃないだろう(偏見)。

「!? え、あんなにイチャついてたのにですか!?」

「どこがだ。どう見ても俺がアレに振り回される図だっただろうが」

「そういうのも世間一般ではいちゃいちゃと言う気がするのですが……」

 上手いこと言い返された。確かに俺たちのやりとりをそう捉える人も時々いるが、当事者的にはそんな意識や自覚は微塵も……って、話逸れすぎだろ。どうしてこうなった。100%乃蒼のせいだな。

「否定はしない(ドヤァ)」

「悪びれる様子一切なしかよ……まあいい。話を戻すが、別に変なことが聞きたいわけじゃない。俺は変態じゃないからな」

「え、そうなのですか……?」

「何故、疑いの眼差しを向ける……?」

 俺が変態だと疑われるようなシーンがあったか? ……情事? いや、あんなのただのボケだろ。ノーカンだ。乃蒼が疑われるならともかく、俺は潔白なはずだ。

「私変態じゃないよ!?」

「自分のことを棚上げして、女の子を変態呼ばわりするのはよくないと思います」

「だから俺は変態じゃ……ってそれだよそれ! 俺が聞きたいのはそれだ! お前、なんで俺の心の声が聞こえてんの!?」

 出会ったときから存在していた違和感。普段なら乃蒼にしか聞こえないはずの俺の心の声が、確実にコイツにも聞こえていた。そう確信できるだけの状況証拠は、既に出揃っている。

「……はい? 心の声? 何を言っているんですか貴方は。普通に喋っていたじゃないですか」

 喋ってない。

「いいえ喋って――……あれ、今口動かしてましたか?」

 動かしてない。

「くっ、口が動いていないのに声が……! ふ、腹話術か何かですか!?」

 違う。俺にそんな芸当はできん。

「じゃあ、一体どうして……!」

 なかなか現実を受け止められずにいる少女の肩を、乃蒼がポンと叩く。

「ゆづちゃんは、こっち側なんだね。私と同じで、何故かようちゃんの心の声が聞こえちゃう側。これはもうね、原因不明の先天的なパッシブスキルかなにかだから、なんで? とか考えずにそういうものなんだって受け止めた方がいいよ。聞きたくもない声が勝手に聞こえてきて迷惑だとは思うけど、お互い頑張ろう?」

「おいこら」

 勝手に心の声を聞かれて迷惑しているのはこっちなんだが。それに、なんだその説明は。そんなふざけたナチュラルボーンパッシブスキルがあってたまるか。……いやまあ、だったらどんな理由が考えられるんだと問われると、答えに窮するしかないのだが。

「そう、ですよね……。こんなの絶対非科学的ですし、彼以外の心の声が聞こえたなんていう事例も過去にはありません。貴女の言うように、ここはそういうものだと思って深く考えない方が……って、ゆづちゃん!? え、私のことですか!? 距離の詰め方エグすぎでは!?」

 反応おっそ。衛星放送だってもうちょっとマシなラグだぞ。でもまあ、乃蒼は一般常識がやや欠落しているところがあるからな。それに、同じ謎スキルの保有者が現れて嬉しかったのだろう。俺はちっとも嬉しくないが。

「だ、だとしてもです! そもそも私、貴方たちの名前も聞いてないんですよ!?」

 ……そういや自己紹介してないな。

「じゃあ、改めて! 私は雨晴乃蒼! 越中高校の2年生だよ! 気軽に『のあたん』と呼んでね!」

「お前気軽の意味わかってる!? あ、同じく高岡陽平だ。コイツの発言は半分くらい適当に受け流していいぞ」

「失礼な!」

「……自己紹介でさえそんなノリになるんですね。あなたたちと付き合っていく人たちは大変でしょう」

「なにおう。ゆづちゃんだってそのうちの1人だよ?」

「既に確定事項ですか!? やっぱり距離の詰め方エグくないですか!?」

 まあ、どうやら伏木さんは乃蒼に気に入られてしまったようなので仕方ない。発言に天然成分が多くてツッコミは大変だが、悪いやつではないので仲良くしてやってほしい。だが、乃蒼と手を組んでボケられると手に負えないので、やっぱりほどほどに仲良くしてやってほしい。

「どっちなんですか、それは……って、私がボケ!? 私のどこがボケなんですか! 失礼です! 焼き土下座で詫びてください!」

 そういうとこだよ、どう考えても。

「お、それはようちゃんのリアクションが面白そう。星羅先輩に頼んだら用意してくれるかな?」

「あっさり用意しちゃいそうだからやめて!?」

 言ったそばからナチュラルに手を組みやがった。意図してやってない分性質が悪い。もしこの2人が同じクラスになったら俺の高校生活は本気マジで死ぬぞ。主に喉が。2年後にはナイスミドルみたいな声になんぞ。

「利根川越えくらいはしてもらいますからね」

「いやだからやらねえよ!?」

 万が一やったとしても1秒ももたねえよ焼き土下座なめんな。

「……って、朝からなんでカ◯ジの話をしているんですか私たちは」

 主にお前が原因だったと思うが? あと、別に◯イジは悪くない。

「カイ◯が面白いのは私も知っています。ですが話が逸れたのは私のせいでは……いえ、ここで言い返してはまた話が逸れそうですので、ここも私が大人になりましょう。改めて短い間ですが、よろしくお願いします」

 ……すっげえ鼻につくけど、確かにここでこれ以上話し込むのもアレなので俺も大人になろう。

「ああ、よろしくな」

「はい。雨晴さんも――」

「のあたん!」

「……あま――」

「のあたん!」

「……乃蒼さんで。これ以上は譲れません」

「仕方ない、今はそれで勘弁してあげよう」

 お前ほんと凄いな。将来大統領とかになるんじゃね?

「……はあ。転入早々面倒なのに捕まってしまいました」

 聞こえてんぞ。あと、お前も人のこと言えるほどじゃないからな。



 歩き出してしまえば元々徒歩10分という距離なので、雑談をしていれば学校に着くまでは一瞬のはずだったが、雑談内容が俺の心の声についてだったので俺にとってはクソ長い10分だった。なに俺の心の声の傾向とか分析してくれてんだよ馬鹿乃蒼が。

「ええと、私は職員室に向かわなければならないのですが、どちらですか?」

 昇降口で上履きに履き替えた伏木さんが尋ねてくる。てっきり乃蒼が答えるだろうと思ってのんびりと靴を履き替えていたら、乃蒼さんが首をかしげていた。……え。まさか、1年も通ってるのに職員室の場所覚えてないのか……?

「……職員室は、場所的にこの昇降口の真上あたりだ。そこにある階段を上がって2階の右手側が俺たち2年の教室で、左手側がすぐ職員室になってる」

「あ、そうそうそうだった! しばらく行ってないから忘れてた」

 しばらく行ってないからって忘れるような場所じゃないと思うが。お前の記憶力どうなってんの?

「じゃあ、途中までは一緒だね。行こ」

「あ、はい」

 都合が悪いと安定のスルーか。さすが補習の常連。

「えっ。そうなのですか?」

「ちょっとようちゃん! いきなりゆづちゃんに恥ずかしい秘密を暴露しないでよ!」

「暴露した覚えはないんだが」

 伏木さんがたまたま俺の心の声を読んでしまっただけだ。

「その言い方100%確信犯じゃん! もー、ちがうからねゆづちゃん! ちょっと鉛筆サイコロの調子が悪かっただけだからね!」

「は、はあ……」

 その発言がもう既にアウトなのだが、本人に自覚はないようだった。

 とか言っているうちに、2階に辿り着く。ここから右に行けば俺たちの教室、左に行けば職員室だ。職員室に関してはもうそこに入り口が見えている。

「そこが職員室だよ」

「はい。案内していただいてありがとうございます」

「いいっていいって、大したことはしてないし。私たちは二年四組にいるから、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね。電話とかメールでもいいけど」

「……はい。いざと言う時はお願いします」

 そう言うと、伏木さんは軽く扉をノックしてから職員室へと入っていく。さて、道案内は済んだし俺たちも教室へ向かおう。

「ところでようちゃん。ゆづちゃんって何年生かな?」

「……え? 今まで知らないまま話してたの?」

「うん。勝手に同じくらいかなと思って話してた」

「そりゃそうだろうよ」

 お前と同じか、1つ上か下かしかないだろ。そりゃまとめたら同じくらいになるよ。同じなのか、違うとしたらどっちに1つ違うのかが重要なんだろ、俺たちの年代だと。

「……胸元のリボンがお前と同じ赤色だったから、俺たちと同学年だよ」

 うちの高校の女子の制服は、学年ごとにリボンの色が異なる。今の2年の代は赤、3年は青、今年入ってくる1年の代は緑だ。だから女子生徒の学年は一瞬で判断できる。なので俺も最初からタメ口だったし、乃蒼もてっきり同学年だとわかって話してるもんだと思ってたんだが、コレのポンコツ具合は想像以上だったわけだ。

「うわ。そんなとこばっか見てるんだ。ようちゃんの変態」

「何故そうなる!?」

 別に凝視してたわけじゃないだろ。というか、見ようとしてなくても視界に入るよリボンくらい。それを見落としてるお前が責められるべき場面だろうがここは。

「ひどい! 可愛い幼馴染の可愛いミスを責めるだなんて!」

「一歩間違えばただただ失礼なやつになってたんだから、反省くらいしろ」

「ぶー」

 その散漫な注意力がいつか悲劇を引き起こしても知らんぞ。



 伏木さんの案内……というよりはファーストコンタクト時のあれこれで思ったよりも時間を食っていたらしく、教室についてから程なくしてホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り響く。教壇に立った凪先生は、チャイムの鳴り終わりと同時に話し出す。

「えー、新学年2日目にして、早速だが転校生だ」

(((はやっ! いくらなんでもはやっ!)))※最早説明の必要はないな?

 宣言した瞬間、当然の如く教室がざわつく。まあ、新学年2日目に転校生が現れるなんて夢にも思わないだろう。ざわついて当然だ。俺だって、その転校生本人に会っていなければ同じように思ったはずだ。というか、やっぱりこのクラスに来てしまうんだな。運命は残酷だ。

「……おい、陽平。何死んだ鰯みたいな顔してるんだ。塩焼きにするぞ?」

「頼むから日本語で喋ってくれる!?」

 なんだ死んだ鰯みたいな顔って。聞いた事ねえよそんな例え。せめて魚にしろ。あと、従弟を塩焼きにしようとしない。俺は食べられないからな?

「まあ、陽平の顔はどうでもいいや。早速入ってきてくれ」

 俺の抗議をガン無視した凪先生が廊下に向けて声をかける。それに応じるように教室の前の扉が開き、件の転校生が教室に入ってくる。

「失礼します」

 入ってきたのは、やはり10分ほど前にも見た女子生徒の姿だった。それを見て乃蒼の顔がパァっとなったが、いきなり『ゆづちゃん!』とか言ったりはしなかった。てっきり言うもんだと思ってたから意外だ。後で聞いたら『転校1発目のあいさつは大事だからね。私がじゃまするわけにはいかないよ。常識的に』とか言われた。そんな常識が装備されてるなんて俺は心底驚きだ。転校経験があるわけでもないのに。その調子で他の常識も装備してくれ。

 転校生が女子だったので「おおぉ」となっている男子共の歓声にも特に反応する事なく、落ち着いた様子でクラス中央の教壇までやってきた伏木さんは、当然のようにチョークを手に取ると、流れるように右手で自分の名前を書いた。まるで活字のような綺麗な字に、クラス中から思わず溜息が溢れる。そして、黒板からくるりと向き直って自己紹介を口にする。

「初めまして、伏木夕月と申します。手続きの関係で1日遅くなってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします」

 丁寧な挨拶と綺麗なお辞儀に、教室は拍手に包まれる。さっきも思ったが、凄い丁寧な喋り方するよなコイツ。育ちがいいのだろうか。いや、育ちのいい奴があんな性格にはならないか……。

「…………」

 などと考えていたら伏木さんから睨まれた。そうだ、心読まれてるんだった。

「うむ。1日遅れはしたがみんな仲良くしてやってくれ。席はそこの空いてる席な。困ったことがあったら隣の席のアレに聞いてくれ。あんなんでも委員長だ」

「おいこらアンタが無理やりきょうせ――」

「任命」

「……任命したんだろうが!」

(((それ昨日も見た!)))

「そうだったか? まあなんだっていいだろう。とにかく、アレは私の従弟だからこき使っていいぞ」

「は、はあ……」

 やめろよ伏木さんめっちゃ困ってるじゃねえか。転校生にいきなりそのノリはダメだろ教師として。いやそれを言うなら俺や雪路への態度は教師として問題外だが。

「……お前今心の中で私を馬鹿にしたな?」

「言いがかりにも程があるんだが!?」

 ……実は凪姉も俺の心読めてるんじゃないか説の検証を誰か早急に頼む。

 と、そんなコントをしている間に伏木さんが隣の席までやって来る。そして着席しながらボソッと小声で呟く。

「まさか貴方が隣だなんて」

「不満か?」

「いえ。ですが、騒がしくなりそうだなと。私は静かで平穏な学校生活を送りたいのですけど」

「それは9割9分俺のせいじゃないんだがな……」

 周りの奴らが騒がしくボケまくるから仕方なくツッコんでいるだけであって、別に叫びたくて叫んでいるわけではない。文句は乃蒼とか雪路とか凪姉とかに言ってほしい。

「……凪姉とは誰ですか?」

 ――ビュン、チッ、グサッ(凪の手からチョークが放たれ、陽平の頬をかすめ、教室後方の黒板に刺さる音)

「おい陽平。最期に言い遺すことはあるか」

「言ったの俺じゃないよ!? というか最期って何!? 殺る気なの!?」

(((それも昨日見た!)))

 2日続けて教え子にチョークぶん投げるってどういう事だよ。言ったの俺じゃないのになんで俺が狙われてるんだよ。学年主任とかに告げ口すんぞ。

「お前以外にその呼び方をする奴はいないだろう。だから他の生徒が口にしたとしても結局原因はお前だ」

 うん、地味に反論できない。確かに元を辿れば俺が心の中で凪姉と呼んだのが原因だ。それを読んだ伏木さんが疑問に思って口に出してしまったわけだからな。まあ、だからってチョーク投げ(その行為)が正当化はされないけどな。

「今回はホームルームの時間がもうないから見逃してやるが、次そう呼んだら当てるからな」

「横暴だ……」

 何故2年に上がって早々命の危機と隣り合わせで学校生活を送らなければならないんだ。チョークを避けるか受け止める訓練でもしといたほうがいいだろうか。

「……なんか、私のせいですみません」

 凪先生が連絡事項を話し始めると、伏木さんが小さく謝ってきた。

「別に気にしなくていいよ。元はと言えば俺が原因だし、いつものことだし」

「いつものことなんですか!?」

「ああ。昨日も飛んできたし」

「昨日も!? ……やっぱりこの席不満です。流れ弾が怖いです」

「え、そっち!?」

 この流れで俺の心配より自分の心配かよ。やっぱり伏木さんも伏木さんだ。俺の今後の学校生活は更に騒がしくなりそうだ。


 ホームルーム終わりから1限開始までの5分間の休憩時間に、伏木さんは案の定質問攻めにされていた。まあ、転校生の恒例行事だろう。伏木さんの席の周りには人だかりができており、それは当然隣に位置する俺の席周辺もそうなので、それを見越して俺は少し離れた乃蒼の座席まで避難してきた。まあ、伏木さんについては今朝も色々聞いたし、そうでなくとも彼女とは今後も浅からぬ付き合いになっていきそうなので、今野次馬に混ざって聞く程でもないか、という判断だ。乃蒼も似たような考えのもと、自席に留まりつつ遠巻きにその様子を眺めている。

「ゆづちゃん、同じクラスで良かったね!」

「そうか? おかげで俺は命の危機なんだが」

「あれはようちゃんが悪いよ。ゆづちゃんはようちゃんがなぎちゃんのことをそう呼ぶって知らないんだから、疑問に思って当然だし。心の発言には気を付けなくちゃ」

「心の発言ってどういう日本語だよ」

 何故俺は自分の内側での思考まで他人に気を遣わなくちゃいけないんだ。あと、なんかちゃんちゃんうるさい。

「たまたま続いちゃっただけだよ! ……それより、隣なんだからちゃんとフォローしてあげてよ? せっかく口を開かなくても会話できるんだから」

「できねえよ一方通行だよ」

 伏木さんは俺の心を勝手に読めるが、俺に伏木さんの心は読めない。つまり、俺は喋らなくてもいいが伏木さんは喋らないといけない。そうすると伏木さんは1人でブツブツと、まるで誰かと喋っているかのように話すヤバいやつということになるぞ。

「そ、それはダメだね。……って待って、その理論でいくともしかして普段の私って……?」

 今更気付いたのか。

「え、嘘!? 私ヤバいやつ!?」

 ……まあ、周りの評価とかあんま気にすんなよ。

「ちょ、なんでそんな慰め顔なの!? 嘘だと言って!?」

「嘘だ」

 乃蒼が俺の心を読んでいることはある程度知れ渡っているので、別に1人で空気と会話するヤバいやつだとは思われていない。これを機にちょっとでも読心を控えてくれればという、ちょっとしたジョークだ。

「……ようちゃんの穴という穴にチューブの辛子ねじ込んであげるから覚悟してね?」

「怖っ!?」

 乃蒼の目が笑っていなかったので、逃げるように自分の席へと帰る。ちょっとからかったくらいで辛子まみれになるのはごめんだ。普通はそれも冗談で済むんだろうが、アイツはマジでやりかねない。チューブ辛子片手に人を起こしに来る奴だからな。

「……朝から酷い会話をしていますね、貴方たちは」

 俺が着席するのと同時に、もうすぐチャイムが鳴るからと質問攻めから解放された伏木さんがジト目で話しかけてくる。

「聞こえてたのか」

「乃蒼さんの声はよく通りますし、貴方の声は聞きたくなくても聞こえてきますからね。私はヤバいやつにはなりたくありませんよ」

「お前が俺の心の声に反応しなきゃいいだけだ」

「何気に難しいことを仰いますね。私には普通の声なのか心の声なのか判断がつかないというのに」

「え、そういう感じで聞こえてんの?」

 乃蒼はごく普通に聞き分けるので、肉声と心の声では違ったように聞こえてるもんだと思ってたんだが。

「それは乃蒼さんが特殊なだけです。私のような一般人と同列で考えないでください」

 俺の心が読めている時点でお前も一般人ではないぞ。あと、何気に乃蒼を馬鹿にしてないか?

「とっ、とにかくです! 先程も言いましたが、私は波風立てずに学校生活を送りたいんです。なので、あまり私に関わらないでください。ホームルームで確信しましたが、貴方たちがいると間違いなく騒がしくなります」

 まあ、否定はできないな。この学校に入ってから俺が叫んだりツッコんだりしなかった日はほぼ無い。乃蒼や雪路、凪先生が俺に対してふざけた発言ばかりするからだが、騒ぎの中心は不本意ながら俺だ。お陰ですっかり騒がしい人カテゴリーに入れられているし、乃蒼や雪路などのぶっ飛んだ奴らの処理班みたいな立ち位置も確立されてしまっている。だから奴らのボケを俺が処理するしかなくなり、その際に叫ばざるを得ないので喉もすぐ枯れそうになる。のど飴を切らすと喘息時のゆっくりパチェみたいな声になってしまうむきゅーむきゅー。

「ぶっ! ちょっ、そういうのやめてください! 今後脳内音声で授業中に笑わせようとしてきたらチョキで殴りますからね!」

「チョキ!? 何故そんな、自分にもダメージが返ってきそうな手で! どこを殴る気だ!?」

「もちろん、鼻の穴を」

「汚い! 自傷ダメージ凄そうだから今すぐ考え直したほうがいいぞ!」

「ゴム手袋を着用するので問題ありません」

「何故そこまでしてその攻撃方法にこだわるんだ!? 確かに鼻へのダメージは凄そうだが!」

「とにかく、絶対に笑わせようとしてこないでくださいね。私、絶対に目立ちたくないので」

「……それはフリか?」

「……確か鞄の内ポケットにゴム手袋が」

「冗談だから! そのピンク色したブツを早くしまえ!」

 取り扱い注意にも程があんだろ、コイツ。時折冗談が冗談で済みそうにないところまで乃蒼に似なくてもいいのに。あとなんでゴム手袋持ち歩いてるんだ。



 という感じで、授業が始まる前まではそこそこ会話のあった俺たちだが、それ以降会話らしい会話が発生することはほとんどなかった。一番の理由は、やはり伏木さんが転校生で休み時間の度に代わる代わるクラスメイトの誰かが話しかけにくるからだ。質問責めにあったり、昼食に誘われたり、あるいは部活に勧誘されたり。しかし伏木さんは、その全てに対してどちらかと言えば塩対応気味だった。質問には必要最低限の回答しかしないし、昼食や部活の誘いは全て丁寧にお断りしている。波風立てずに学校生活を送りたいとは言ってたが、このままでは孤立ルートまっしぐらだ。今でこそ転校生という物珍しさから声を掛けてくる生徒は多いが、この塩対応ぶりが広まればそういう人たちも一気に少なくなるだろう。なんなら良くない評判が広まる可能性もある。そうなると悪目立ち学校生活が始まるわけで、波風立てない学校生活とは真逆だ。波風立てたくないなら、もっと他の生徒と程よく仲良くしておいた方がいいと思うんだが……どういうことだろう。登校時に話したときはもう少し柔らかい雰囲気だったというか、ちょっと変わってはいたが、乃蒼や雪路でも問題なく受け入れられている学校なのですぐに馴染めるだろうと思っていたのだが、本人がまるで馴染む気がない態度だからなぁ。

 そんなことを考えている間に今日の授業は終わり、残すは帰りのホームルームだけになっていた。

「ちゃんと授業を聞いた方がいいよ、ようちゃん」

「……そういう乃蒼はちゃんと授業聞いてたのか?」

「ううん。配られたプリントで折り紙してた」

「お前の方がアウトじゃねえか!」

「でもほら! おかげで綺麗な手裏剣が折れたの!」

「自慢げに見せてくんな! 今すぐプリントの状態に戻せ!」

「ええー? せっかく綺麗に折れたのにぃ」

「授業のプリントでやったら駄目だろ!」

「ぶぅ。なぎちゃん、ようちゃんがひどいよ~!」

 俺が乃蒼を咎めていると、ホームルームの為にちょうど教室にやってきた凪姉に乃蒼は助けを求めた。

「おい陽平。よくわからんが乃蒼をいじめるな」

「俺に怒るのかよ! 俺はコイツが授業のプリントで折り紙してたから怒ってたんだよ!」

「……それは本当か、乃蒼」

「うん! ほら、こんなに綺麗な手裏剣が折れたの!」

「……ほう。これは綺麗に折れたな。さすが乃蒼だ」

「えへへ~」

 いや咎めろよ教師! あとで数学教師に乃蒼共々叱られんぞ! 相変わらず乃蒼に甘いんだよ凪姉は。一人っ子だから妹に憧れてたのは知ってたけど、だからって乃蒼に対して激甘にも程があるだろう。某練乳入りコーヒーか。昔からそんな激甘だから、こんな残念な子ができあがっちゃったんだろうが。

「誰が残念な子か!」

「そうだぞ陽平。それに、駄目な子の方が可愛いと言うだろう」

「ちょっと待ってなぎちゃん、それどういう意味!?」

「……さて。そろそろホームルーム始めるか。陽平、さっさと席に戻れよ」

「なんでなにも言ってくれないのなぎちゃん!?」

 驚愕の表情で教壇に向かう凪姉のことを見つめ続ける乃蒼をその場に残し、俺は言われた通り席に戻る。すると、朝のホームルーム以降まるで話しかけてこなかった伏木さんが話しかけてきた。

「……貴方の幼馴染はどうなっているのですか? プリントで折り紙して、なのに担任にそれを怒られないなんて。弱みでも握っているのですか?」

 ……確かに、事情を知らないやつの目にはそう映るかもしれないな。

「……恥ずかしい過去話くらいは知ってるだろうが、別に弱みは握ってねえよ。凪先生は俺の従姉だから当然乃蒼とも小さい頃から面識があって、乃蒼のことは昔から可愛がってたから今でも甘いんだ。教師としてどうなんだとは思うが、まあ慣れてくれ」

「私の方が慣れるべき事案なんですね」

「去年も何回か注意したことはあるが、結局3日も持たずに乃蒼を甘やかしだすからな。もう全生徒全職員が諦めて受け入れた」

「全生徒全職員が!?」

 まあ、幼馴染みとして親しく過ごした10余年の方が圧倒的に長いわけだから、急に教師と生徒の距離になるのが難しいのはわかるんだがな。俺も当事者の1人だし。それに、普段はちょっと怖い雰囲気だけど、乃蒼を甘やかしているのを見るとなんかほっこりして怖くなくなる、というプラスの効果も地味に生み出しているので、今まで通り甘やかしていく方向でもいいか、という結論にはなっている。まあ、その代償として乃蒼がどんどん残念になっていくんだがな。

「乃蒼さんの為にも止めてさしあげるべきでは……?」

「大丈夫。割ともう手遅れだ」

「全然大丈夫ではないですが!?」

 そんなやり取りを交わしているうちに、凪姉が話し出してホームルームが始まる。

「あー、明日は午前中に新1年生の入学式があって、新入生がたくさんやって来る。先輩としてみっともない姿をみせるんじゃないぞー。特に男子、新女子高生を覗きに行くのはほどほどにな」

(((そそそそんなことしねーし!)))

 なんだ新女子高生って。意味はわかるが存在しねえだろそんな日本語。

「それと陽平。お前は伏木に学校内を案内してやれ。どうせ暇だろ」

「ひと言余計だ! というかなんで俺なんだよ!」

「そりゃお前、委員長だからに決まってるだろ」

「アンタとりあえず全部委員長に丸投げすればいいと思ってないか!?」

「思ってるがなにか?」

「なにか? じゃねえよ! 委員長が身内おれじゃなかったら大問題だぞ!?」

「いや、さすがに陽平以外にこんなことはしないぞ」

「ぶっ飛ばしてやる!」

(((実はお前らすげえ仲いいだろ!)))

 という感じで、余計な仕事が増えてしまった。こんな感じで今後丸1年凪姉の下僕のようなことをさせられるのかと思うと今から憂鬱だ。昨日の時点でもっと強く抵抗しておくべきだった。

「……余計な仕事を増やしてしまって申し訳ありませんね。別に案内はしてもらわなくて結構ですよ」

 心の中で愚痴れば、隣の席からやや不機嫌そうな声が飛んでくる。

「いや、案内しないとそれはそれで凪先生から折檻を喰らうから、案内はする」

「別に、案内した体にしておけばいいじゃないですか。話くらいは合わせてあげますよ」

「残念ながら、何故か俺の嘘はあの人に通用しない」

 別に乃蒼のように心を読まれているわけでもないのに、何故か俺の嘘は見抜かれる。幼馴染故に何か癖のようなものを掴まれているのかと思い聞いたことがあるが「ただの勘だが」と言われてしまったのでどうしようもない。今回も何もしてないのに「案内してきた」などと言おうものなら瞬く間に腕ひしぎ十字固めコースだ。

「何故流れるように関節技をかけられているのですか」

「ガード不可なんだ。攻撃前に強化解除してくるんだ。回避も無敵も無意味なんだ」

「何ゲイルですかそれは。現実とソシャゲをごっちゃにしないでください」

 今のネタ通じるのかよ。案外ゲーマーなのか、伏木さん。

「軽く嗜む程度です。貴方のような重課金兵ではありません」

「人を勝手に課金兵にすんな! 無課金で頑張ってんだよ!」

「知っています。無理のない課金、で無課金でしょう?」

「違うわ! 何故俺を課金兵にしたがる!」

「見た感じ、してそうだったので」

「見た感じ!?」

 どういう見た目だそれは。課金してそうな見た目ってどういうことだ。

「それよりも、案内してくださるなら早くしてください。あまり遅くなるのはごめんです」

「なんで偉そうなんだ……まあいい。俺も遅くなりたくはないし、さっさと行くぞ」

「ようし! じゃあゆづちゃんの校内案内へ! れっつごー!」

「「………………」」

 すまん乃蒼、いつからそこに?

「ホームルーム終わった瞬間からずっといたよ!? 余計な仕事を~のくだりからずっといたよ!?」

 随分序盤からいたな。全然気づかなかった。忍者とか向いてるんじゃないか。

「え、ホント!? 私、音速のソ◯ック君みたいになれる!?」

 何故その忍者をチョイスしたのかはわからんが、まあうん。きっといつかなれるさ。そいつ確か隠密よりも速度に極振りしたタイプの忍者だったと思うが、まあ乃蒼ならなんとかなるさ。

「ふふふ。亜音速ののあたんと呼んでもいいよ?」

 亜音速の方が強そうに見えるが、実は亜音速は音速よりも遅いからな。劣化してるぞ。

「あれ、そうなの!? でも亜音速の方が格好いいからいいや!」

 ふんふーん、と上機嫌に鼻歌を奏でる乃蒼を横目に、伏木さんが小声で話しかけてくる。

「……扱いが上手いんですね。普通なら拗ねられるか怒られる展開ですが」

「まあ、付き合いは長いからな。拗ねると機嫌を取るのが大変だから、先手を打たせてもらった」

 小さい頃に乃蒼のプリンを食べてしまった時は機嫌を取るのに結局7プリンぐらいかかったし、乃蒼が俺の部屋に勝手に入らないように扉の前に本棚を置いて入れなくしたら一晩中泣かれた挙句窓に穴を開けられて不法侵入された。

「もう少し可愛いエピソードはないのですか……? 2つ目なんてただの犯罪者でしたよ、乃蒼さん」

「まあ、昔のことだ」

「それで流せる貴方も相当ですね……」

「ほらー、ようちゃんゆづちゃん! 早く行くよー!」

 いつの間にか教室の入り口に移動していた乃蒼がこちらを手招きしてくる。なんであいつが一番張り切ってんだ。お前が先頭歩いても迷子になるだけだろ。職員室の場所も覚えてなかったくせに。

「ほ、他の場所は大丈夫だよ! 職員室はあんまり使わないから忘れちゃってたの!」

「その理屈で言うと保健室とか図書室とかも忘れちゃってそうだが?」

「…………ほ、ほらようちゃん! 早く先頭歩いて!」

 冗談のつもりだったのに、本当に忘れてんのかい。大丈夫か我が幼馴染よ。


「この学校は基本的に3つの建物に分かれていて、俺たちが今いるここが教室棟だ。あるのは各学年の教室と職員室ぐらいだから、案内は省略していいな?」

「そうですね。職員室の場所は覚えましたし」

「そしたら、次は特別教室棟だ。家庭科室だの音楽室だの化学室だのといった教室が集まってる建物だな。職員室前や昇降口前の渡り廊下から移動できるぞ」

 言いつつ、実際に職員室前の渡り廊下を進んでいく。こういうのは言葉だけで説明しても伝わりづらいので、実際に一度行ってみるのが手っ取り早い。

「ちなみに、渡り廊下も含めて意外と距離があるから、あんまり時間ギリギリの移動はオススメしないよ!」

「という遅刻常習犯からのありがたいお言葉だ。胸に刻んでおけ」

「ち、違うよ! ちょっとガールズトークとかうんこが長引いちゃったりするだけだよ!」

「はしたねえな!」

 まだ他の生徒も全然いるんだし、突然廊下でうんことか叫ぶな。ガールズトークとうんこを並列で扱うな。

「それにようちゃんも教えてくれないし!」

「なんで俺がそこまでお前の面倒見なきゃいけないんだよ」

「あれ、意外ですね。てっきり移動教室でも高岡さんと乃蒼さんは一緒に行動してるものだと思ってましたが」

「別に四六時中一緒にいる訳じゃねえよ」

「そうそう。ようちゃん以外にも友達たくさんいるしね。こう見えてもようちゃんにだって、友達の1人や2人いるんだよ」

「おいこら馬鹿にしてんのか?」

 普通にもっといるわ。無駄に騒がしいお前らのせいで校内ではちょっとした有名人なんだぞ、俺。

「あ、特別教室棟ついたよ!」

「おいゴルァ」

 確かに着いたけど。それを利用して馬鹿にしたくだりを流そうとすんな。

「……自由な方ですね、乃蒼さんは」

「本当にな。制御するの手伝ってくれ」

「幼馴染の貴方に無理ならどうしようもないと思うのですが」

「そうか? 伏木さんは結構乃蒼に似てるし、戦力になってくれると思うんだが」

「似てるのは貴方の心が読めるところだけでしょう。乃蒼さんのことは貴方1人で頑張ってください」

「冷たいなあ」

「私は波風立てずに学校生活を送りたいと言ったでしょう。乃蒼さんに関わったらあっと言う間に荒波の中心じゃないですか」

「……まあ、否定はできんな」

 学校にいる間でアイツが1人でいるのは見たことないからな。大体誰かが一緒にいて騒がしくしている印象がある。

「2人でなに話してるのー? はやく行くよー!」

 無駄に先行している乃蒼が俺たちを急かしてくる。案内もできないのに何故先走りたがるのだろうか。

「失礼な! 私だってここまでくればさすごに案内できるよ!」

 ほう。じゃあやってみせてもらおうか。

「上等だよ! じゃあゆづちゃん、まずは3階からね!」

「え、あ、はい」

 張り切った乃蒼が伏木さんの手を引いて階段を駆け上がる。さて、アイツにまともな案内ができるだろうか。

「3階の1番向こうにあるのが音楽室だよ。1番遠い教室だから、音楽の授業の時は気をつけてね。あと、夜になると鍵が掛かってるのにピアノの音が聞こえてきたりするよ」

「ひぃ! なな、なんですか後半の情報は! そんな学校の7不思議のようなものの紹介はいらないです!」

「あれ、そう? 越中高校の32不思議の情報、いらない?」

「馬鹿みたいに多いですね! なんですか32って! 不思議まみれじゃないですか!」

「で、音楽室の手前が美術室。よく石膏像がひとりでに動くよ」

「だから32不思議の情報は要らないと言ったでしょう!? しかも頻繁に動くのですか!?」

「週4くらいかな」

「学生のバイトみたいな頻度ですね!」

「でもって美術室の1つ手前が第2音楽室」

「配置悪っ! え、なんで真ん中に美術室挟んだのですか!? 並べてあげればいいじゃないですか!」

「まあ、音楽室に挟まれたから美術室も実質音楽室だね」

「そんなオセロみたいな!」

「ちなみにこの謎の教室配置も32不思議の1つね」

「でしょうね!」

「んで、3階の1番手前にあるのが保健室。具合の悪い生徒を3階まで上がらせる鬼畜仕様だよ」

「何故そのような酷い仕打ちを! 足の怪我とかだと絶望的ではないですか!」

「という人のためにこの建物の1階にも保健室があるよ」

「じゃあ3階の保健室は要らないじゃないですか! この建物を設計した人は馬鹿なのですか!?」

「ちなみに先生も1階の方にしか常駐してないから、ぶっちゃけベッドが置いてあるだけの部屋だよ。愛称は仮眠室」

「なら仮眠室に名前を変更してください! 紛らわしいです!」

「続いて階段を降りて2階、1番向こうが化学室。たまに爆発が起きるけど、この建物頑丈だから安心して」

「何も安心できないのですが!?」

「大丈夫大丈夫、原因不明だし」

「一層不安が増したのですが!」

「その隣は生物室だね。あそこには人体模型が置いてあるんだけど、何故か身体のほとんどの皮膚が剥がれてるの」

「ひいぃ! だからもう32不思議の情報は……って、別に普通です! 人体模型とはそういうものです! わざわざ恐ろしい言い方をしないでください!」

「あと熊の剥製も置いてあるよ」

「何故!? 人体模型よりそちらの方がよっぽど怖いのですが!?」

「なんか倒したんだって」

「熊を!? 誰が!?」

「生物室の手前は家庭科室だよ。包丁が20本くらい常備されてるよ」

「何故その情報をピックアップしたのですか!? 料理に使うのですからそのくらいあってもいいでしょう!?」

「放課後は家庭科部が部活動をしていて、遊びに行くともれなくクッキーとかお菓子をくれるよ」

「たかっている……!」

「2階の1番手前は補習室だよ。テストで赤点を取ったらするとここに連れて来られるの」

「わざわざ補習用の部屋があるのですね」

「教室よりも防音がしっかりしてるかららしいよ」

「中で一体ナニが行われているのですかっ!?」

「怒号飛び交う鬼の補習だよ? ゆづちゃんは一体ナニを想像したのかなぁ?」

「べべ、、別に何も想像していません!」

「ちなみに私はここの常連ではないよ」

「わざわざそう言うと逆に怪しく聞こえますよ!」

「中川君は救いようのないヴァカだから皆勤賞なんだけどね」

「失礼ながら中川さんとやらのことは存じ上げないのですが、可哀想な扱いですね!」

「最後は1階だよ。1番手前にあるのが本当の保健室」

「何故か3階にもあったやつですね」

「私は1回も使ったことないからここに来るまで存在を忘れてたんだけどね」

「確かに乃蒼さんは怪我とか体調不良とは無縁そうですよね」

「安産型だからね!」

「それ今関係ありましたか!?」

「でもってその向こうが図書室。これも私には無縁の場所です」

「活字を見ると眠くなりそうなタイプですよね」

「3行で寝れるよ!」

「なんの自慢にもなりませんね!」

「そして1番奥がみんな大好き購買あ~んど食堂! 座席もメニューも多いし、安くて早いよ!」

「おいしさは!? おいしさは保証されていないのですか!?」

「今日はコンビニで買ったっぽい鮭おにぎりをどこかでひっそり食べていたらしいゆづちゃんも、ここで買って食べた方がきっとお得だよ!」

「怖っ! え、なんで私のお昼を知っているのですか!? 見ていたのですか!?」

「いや、コンビニ袋を抱えて教室を出て行くゆづちゃんを見ていたようちゃんが『あいつコンビニのおにぎりなのか……弁当じゃないんだな。コンビニで買うくらいなら食堂使った方がいいだろうし、後で教えてやるか』って心の中で言ってたのを聞いて」

「待ってください、それだと鮭おにぎりだとはわからないはずですが!? どこから特定したのですか!?」

「ゆづちゃんから鮭の匂いがしたから」

「ゑゑっ!? そっ、そんな匂い出てますか!?」

「大丈夫、犬レベルじゃないとわからないくらい微量だから」

「乃蒼さんの嗅覚は犬並だと!?」

「誰が犬か!」

「えええ!? か、会話が成り立ちません! 高岡さんも黙ってないでツッコミを……って、なに暢気にスマホをいじってるんですか! しばらくツッコミを丸投げして一言も話さないと思ったら、遊んでたんですか!?」

「……ん? あいや、別に遊んでた訳じゃないし、話はちゃんと聞いてたぞ。乃蒼の天然ボケラッシュに対応できるなんて優秀なツッコミだなー、これなら任せても大丈夫だなー、と思ってた」

「思ってた、じゃないです! 聞いていたのなら手伝ってください! この数分で一体私がどれだけ叫んだと!」

「確かに、結構叫んでたな。でも伏木さんも楽しそうだったぞ?」

「なっ! そ、そんなわけ……!」

「ああでも、1つだけ訂正な。乃蒼が保健室だと紹介した3階にある愛称仮眠室の部屋だが、あそこは正真正銘仮眠室な。吹奏楽部や美術部の連中が泊まり込みで合宿するときとかに、普通に寝る場所として使われてるぞ。ベッドは山ほど置いてあるが、間違っても保健室じゃない」

 乃蒼にとって保健室=ベッドがたくさんある場所という認識なのだろうか。怪我とも風邪とも無縁の馬鹿だとしても、そのくらいの常識は装備しておいてほしかった。

「嘘!? あそこ本当に仮眠室だったの!? 頭とかお腹を抱えた人がよく入っていくのを見るから、てっきり保健室なのかと!」

「それはサボりに使われているだけだな。次見かけたら先生に報告してやれ」

 保健室と違って先生がいないから、サボるのに使いやすいんだろうな。でもそうか、乃蒼が馬鹿だった訳じゃないんだな。乃蒼を勘違いさせる馬鹿が沢山いたってだけか。

「そうだよ! 私馬鹿じゃないよ!」

「と本人は言っているが、どう思う伏木さん?」

「……先程の怒濤のボケラッシュの後では『嘘だッ!!』としか言えません」

「そんな……! ゆづちゃんもひぐ○し好きなんだね!」

「え、そこに食いつくのですか!?」

 さすが予想の斜め上を行くことで有名な乃蒼だ。自分が馬鹿だと言われたことよりも某アニメの名言を引用した方に食いつくとは。相変わらず読めない子である。

「それでどう? 特別教室棟のことは大体わかった?」

「……不本意ながら、余計なエピソードやツッコミの数々のおかげでなんとなく頭には入りました」

「おおっ、それはよかった! 私の案内は完璧だったってことだね!」

「……高岡さん。私は先程散々ツッコんだので、それを黙って見ていた代償としてここから先は全部貴方が処理してくださいね」

「ゑゑっ!?」

 伏木さんがいるせいかいつも以上に乃蒼のテンションが高いので、あんまり相手したくはないんだがなあ。まあ、先程ツッコミを丸投げしてしまったのは事実なので仕方がない。今後は3ツッコミ交代制とかを検討しよう。

「私を変な制度に巻き込まないでください!」


 特別教室棟の案内をアレで完了としていいものか少し悩んだが、まあ各教室の場所はなんとなく覚えられたと言っていたので、最後の建物の案内に向かう。再度渡り廊下を通って教室棟へ戻り、各教室の前を通過して反対側の端へ。そこにあるのは東と南、2方向へ伸びる渡り廊下。渡り廊下多いなこの学校。

「急に漏らさないでよようちゃん」

「漏らしたのは学校への不満な!? そこだけ切り取られるとあらぬ誤解を招くからな!?」

 無自覚に容赦なくボムを放る乃蒼をたしなめつつ、改めて伏木さんに向き直って案内をする。

「こっちの南の渡り廊下の先が体育館だ。その先にはプールもあって、夏場には授業で使うから覚えておくといい」

「ちなみに女子更衣室も体育館の方にあるよ。教室は男子の更衣室代わりになっちゃうから、体育の授業の前の移動は素早くね。男子たちの裸がみたいなら、その限りではないけど」

「そんな願望あるわけないじゃないですか! 私を変態だと思ってるんですか!?」

「だってほら、さっき補習室の案内をしたときに……」

「っっっ~! そ、その件は忘れてください!」

 結局ツッコんじゃってるな、伏木さん。まあ、今のは無視できないか。ふざけた発言をした乃蒼が悪い。

「ええ~、私が悪いの?」

「で、こっちの東の渡り廊下を渡った先が3つ目の建物、部室棟だ」

「わお、流れるような無視!」

 お前のペースに合わせてたらキリがないからな。

「主に文化部の部室が集合している建物だ。運動部の部室は校庭のさらに向こうだし、俺や乃蒼にはあまり縁がないから、運動部に興味があるなら悪いが自分で訪ねてみてくれ」

「大丈夫です。運動部に限らず、部活に所属する気はありませんので」

「えー? それはもったいないよ~。ゆづちゃんの青春は、あと2年しかないんだよ?」

「急にそんなくさいセリフを言われても……。それに、2年の春という半端な時期から部活に入るのは難しいです。人間関係が上手くいかないのが目に見えています。経験者だったり、コミュ力が馬鹿みたいに高ければその限りではないのかもしれませんが、私にはどちらもありません」

「確かになぁ」

 伏木さんの言うこともなんとなく想像ができる。確かに、入学直後以外のタイミングで部活に入るのはそれなりに勇気のいる行為だ。途中から入っても、部内での人間関係なんかは既に形成された後だろうし、経験者でもないとなれば実力的についていくのもしんどいはずだ。結果孤立する可能性は高い。もちろん、上手くいくケースだって当然あるんだろうが、あまり波風を立てたくない伏木さん的には、無理にそんな賭けに出る必要はない、ということなんだろう。

「あっ、それなら私たちと同じ部活はどう!? それなら既に友達が2人もいるわけだし、ひみこ先輩も星羅先輩もいい人だから人間関係に困ったりはしないはずだよ!」

 名案だ! みたいな表情で乃蒼が伏木さんに意気揚々と告げる。確かに文藝部なら、伏木さんでもすっと馴染める感じはするな。

「え、貴方たち文藝部なのですか!?」

「……まあ、そう見えないとはよく言われるよ」

 入部した当初は男友達によく笑われたものだ。乃蒼に誘われたんだよと言うと『あー(察し)』と納得してくれるんだがな。便利だな、乃蒼。言い訳に使うと大体相手が一発で納得してくれる便利ツールだ。

「それ私褒められてないよね!? あでも、私も確かに意外ってよく言われるかも」

 小説を読み出したら3行で寝落ちするお前が小説なんて書けるわけがないと思われてるんだろうな。

「そう、まさにそれです。乃蒼さん、文章書けるんですか?」

「ゆづちゃん私を馬鹿にしすぎじゃない!? 私だって小説くらい書けるよ! ねえようちゃん!」

「……そうだな。常人には発想もできないようなぶっ飛んだ展開が目白押しのやべえギャグ小説だったな」

「ほら! ようちゃんもこんなに褒めてくれてる!」

「今の、褒められていたのですか……?」

 ……まあ、解釈は個人の自由だよな、うん。

「それでどう? 文藝部、入ってみないっ? きっと楽しいよ!」

「私が、ですか? ですが、今まで小説なんて書いた経験は一度も……」

「大丈夫だって! 私もそうだったけど、私でも書けるんだよ? ゆづちゃんだってできるよ!」

「その言葉の説得力異常ですね!」

 コレにも書けるなら私にだって、とは思うよな。まあ、乃蒼は入ってほしそうにしてるし、俺も少しくらいは協力してやるか。

「それに、別に文藝部に入ったからって必ず小説を書かなきゃいけないわけじゃねえよ。そういうお堅いのとは無縁の緩い部活だしな。部室で本読んでるだけでも構わないし。せっかくだから見学に来てみるか?」

「見学、ですか?」

「そ。この後ちょうど部活だから、せっかくなら少し覗いていったらどうだ?」

「え、今日部活だったの!? 次の部活は3日後とかじゃなかったっけ!?」

「さっきひみこ先輩からメッセージ来てたぞ」

「私には届いてないけど!?」

「……乃蒼さんと高岡さんはどうせ一緒だろうから、しっかりしている方に伝えておけば大丈夫、ということなのではないですか?」

「!?」

 伏木さんが鋭い。多分それが正解だ。変なところで面倒くさがるひみこ先輩なら全然やりそうな話だ。

「私とようちゃんだと、ようちゃんの方がしっかりしてそうに見えるの!?」

 俺を指さしながら伏木さんに尋ねる乃蒼。対して伏木さんは困ったような、助けを求めるような視線をこちらに寄越す。仕方ない、ここは乃蒼検定準一級の俺が手を貸してやろう。

「それはひみこ先輩に直接聞けばいいだろ? それより、あんまり遅くなるとまたひみこ先輩が厄介だからさっさと行くぞ」

「確かにそうだね! 私にだけメッセージを送らなかったこと、きっちりひみこ先輩に拷問しないと!」

「拷問はしないであげてくれ」

 ともあれ、これで乃蒼の矛先はひみこ先輩に向かった。先輩には少し悪いが、まああの人なら大丈夫だろう。

「……ありがとうございます。さすが準一級ですね」

「そんな小ボケをわざわざ拾わなくていい。ほら、伏木さんもさっさと行くぞ」

「あ、いえ……ですが私は」

「別に最終的には入らなくてもいいよ。乃蒼と同じ部活だなんて目立つこと請け合いだし、それだと伏木さんの言う『波風立てない学校生活』は送れなくなるかもしれないからな。だから俺も乃蒼も無理強いはしない。でも、1回見学するくらいはいいんじゃないか? というか、このままアンタが帰ると乃蒼がとても面倒なことになるぞ」

「あー……」

 どうやら今日1日乃蒼と接していたことにより、乃蒼がどう面倒なことになるのかが想像できたらしい伏木さんは、渋々という感じではあったが頷いた。

「仕方ありません。明日教室で質問攻めにされる方が面倒そうですし、少しだけ見学させていただきます。ですが、きっと入部はしませんよ」

「それで構わねえよ」

 俺の推測がどこまで正しいのかはわからないが、部室に連れて行くことさえ多分上手くいくだろう。だって、これだけのメンツが揃ってるんだ。乃蒼1人でアレだったんだから、その牙城を崩すのはそんなに難しくないはずだ。きっとなんとかなる。そう思いながら、俺は先行する乃蒼を追いかけて部室へと歩き出した。


 渡り廊下を渡り、階段を上がって部室棟の3階へ、そのまま南に直進して建物の南端。すっかり通い慣れた文藝部の部室だ。

「「こんにちわー」」

「お、お邪魔します」

「遅いぞよーへい! わしが招集をかけたら亜音速で部室に来い!」

「また亜音速ですか!? でもまあ、昨日よりは少し加減してくれたんですね。でもひみこ先輩、人間は亜音速で移動できないって知ってました?」

「なら人間をやめて来い!」

「うわ昨日と全く同じやり取り!」

 デジャヴを感じたぞ。というか、音速が亜音速になっただけだろ。

「……む? おいよーへい、そっちのクールっ子は誰じゃ?」

 伏木さんの姿を捉えたひみこ先輩が尋ねてくる。さてはひみこ先輩、伏木さんの髪が長いってだけでクールっ子だと断定しているな? 実際はそんなにクールではないぞ。ツッコミも中々激しかったし。

「それは全面的に乃蒼さんのせいです! ……あっ、し、失礼いたしました。私、本日転校してきた2年4組の伏木夕月と申します。先程まで高岡さんたちに校内の案内をしていただいていたのですが、せっかくだから部活も見学していけばとのことでしたので、少しだけお邪魔させていただきます」

 俺の心の声に思いっきりツッコんだと思ったら、それをカバーするように丁寧な挨拶がつらつらと続く。そこだけ切り取れば、確かに部長の評したようにクールっ子だ。あるいは良家のお嬢様と言われても納得してしまいそうだ。実際の中身を知ってしまった今ではもう無理だが。

「私を残念な子のように言わないでください!」

「……のあよ。このゆづきとやらはもしかして」

 突然俺に対してツッコんだ伏木さんを見て、似たような光景を一年間見続けているひみこ先輩は何かを察したらしく乃蒼に問いかける。

「そうです! 私が変なお姉さんです!」

「だめじゃアイツまるで話が通じん」

 しかし乃蒼はその問いかけをまるで理解していなかった。想像以上に馬鹿だった。ひみこ先輩への怒りも歩いている最中に忘れてしまった様子だし。鶏か。

「ひみこ先輩の想像通り、伏木さんは乃蒼と一緒で何故か俺の心が読めるんですよ。その縁もあって少し話すようになったというか、乃蒼がだいぶシンパシーを感じてます」

「別にサラリーマンの街のことは感じてないよ!」

「誰も新橋の話はしてない!」

 シンパシー程度の横文字も通用しないのか、ただ耳が悪いだけなのか。いやでも文脈的に新橋ではないことは確実にわかるだろう。いや、乃蒼ならあるいはわからないのか……?

「……まあ、のあのお馬鹿は放っておくとして、じゃ。まさかよーへいの心を読める奴がもう1人現れるとはのう。こんな奴の心が読めてしまうとは、お主も災難じゃな、ゆづきよ」

「ええ、全くです」

「おいこら」

 この中で1番災難なのは間違いなく俺だろうが。2人の女子に常に心の中を覗かれている俺が1番不憫で災難だろうが。なんでアンタの方が被害者面してんだ。

「大丈夫か? 心の声セクハラとかにあったりしとらんか?」

 なんだ心の声セクハラって。変な言葉を創造すんな。

「今のところセクハラにはあっていませんが……たまに私を笑わせにきます。もし授業中やクラスメイトとの会話中にやられたらと内心ひやひやしています」

「あー、それはもう立派にハラスメントじゃな。なんちゃらハラスメントじゃな。……何ハラスメントと言うべきかのう。せーら、どう思う?」

「そんなことより伏木さんに自己紹介なさった方がいいのでは、って思いますわ」

「うん、凄い正論!」

 国分先輩がいてくれて助かった。部室に入ってから脱線ばかりしていた会話がようやく元の線路を走り始める。

「遅くなったが、わしはこの文藝部の部長、3年の氷見恋葉じゃ。みなからひみこと呼ばれすぎてすっかり慣れてしまったので、お主も気軽に『ひみこ様ー!!』と呼ぶがよい」

「私にQ太郎になれと!?」

 また懐かしいネタ持ってきたなぁ。最近の若い子に伝わるのか、それ。あと、後輩に対して気軽に様付けを要求してるんじゃないよ。

「ひみこさんはお馬鹿なので、あまり気になさらないでくださいね。私は文藝部の副部長をしている3年の国分星羅ですわ。本日は文藝部に見学にいらしてくださってありがとうございます。こちら、良ければお近づきの印に」

「え、あ、わざわざご丁寧にありがとうござい……!?」

 国分先輩の手からすっと伏木さんに握らされたのは、剥き出しの福沢先生だった。

「ちょっ、なにやってるんですか国分先輩!」

 衝撃のあまり固まって動けなくなっている伏木さんに代わり声を上げる。何故出会ったばかりの伏木さんにいきなり現ナマを握らせているのだこの人は。

「え? だって、見学ということは、文藝部に多少なりとも興味があるということでしょう? なら、希少な入部希望者を逃さないようにと、念のため賄賂を……」

「当然のように最低な手段をとらないでください! 他の人相手にやったらドン引きされますよ!」

「いえ私も十分ドン引いてますけど!?」

 なんだと。乃蒼のボケラッシュに対応しきるような人だから、てっきりこの程度では驚きはしても引きはしないかと。

「いや誰だって引くでしょう!? 部活の見学に来た生徒に平然と賄賂を渡す人間がどこにいるのですか!」

 うん、ごもっともである。でも、国分先輩も悪気があっての行為じゃないんだ。とんでもないお嬢様だからちょっと一般常識と金銭感覚が欠如しているだけなんだ。

「ちょっとではないと思いますが……」

「まあ、とにかく悪気はないからあんまり気にしないでくれ。国分先輩も、なんでもお金で解決しようとする癖早くなおしてください。そのうち捕まりますよ」

「その時は国分家の権力でどうにかしますわ」

「駄目だもう手遅れだ!」

「諦めるでないよーへい! せーらの常識はお主にかかっておるのじゃぞ!」

「人に丸投げしないでひみこ先輩に協力してくださいよ!」

「無理じゃ! わしはせーらと5年間一緒におってコレなのじゃぞ!」

 くっ。お馬鹿ひみこ先輩では役に立たないということか……!

「…………あの、乃蒼さん。文藝部とはいつもこのような感じで……?」

「まあ、9割方こんな感じかな~。もちろん、真面目に部活することも年に数回はあるんだけどね」

「年に数回程度なのですか……」

「でも、すごく楽しいよ。みんなで馬鹿話して大騒ぎして、真面目な会議が気付けば大脱線して、立てた予定通りに事が進んだ事なんて一度もなくて。でも、笑い声と笑顔の絶えない部活。真面目に文芸をやりたいって人には多分、あんまり向いてないんだと思うけど……みんなと仲良く楽しく過ごしたいだけど私には、最高の居場所だよ」

「……そう、ですか」

 俺たちが騒がしくしている後方で、乃蒼と伏木さんが何事かのやり取りをしている。乃蒼にしては珍しく小声で話しているので、どんな内容かは聞こえてこない。けど、2人の表情を覗き見てなんとなくあたりはついた。ここからが勝負だ。一緒になって騒がしくしていたひみこ先輩と国分先輩に目配せをする。2人はこくりと頷いた。

「さて! よーへいとのあもやってきたところで、本日の部活を開始するぞ! ゆづきはここに座って見学するとよい」

「え、あ、ありがとうございます」

 ひみこ先輩にぐいぐいと引っ張られ、いつもなら雪路が座っている椅子に座らされる伏木さん。……あれ。

「そういえばひみこ先輩。雪路はどうしたんですか?」

「……ゆきじ?」

 可愛らしく首を捻るひみこ先輩。いやいや、またこのパターンですか。

「中川のことですよ。中川雪路」

「……ああ、中川のことか。アイツそんな名前じゃったのじゃな」

 もう1年も同じ部活やってるんだからいい加減覚えてやってくれ。

「アイツ昨日も遅刻しおったからのう。連日の遅刻とは、後で一発芸でもやってもらわんとじゃな。……あ、メッセージ送ったつもりが送れとらんかった」

「それで一発芸を迫るのはあまりに酷ですね」

 集まりがあることも知らない奴に「遅刻! 一発芸!」は横暴が過ぎるだろう。さすがの涼宮○ルヒでも……言いそうだなぁ。平○綾ボイスで普通に再生されたなぁ。まあそれはさておき、俺の方からメッセージを飛ばしておこう。どうせ暇だろうし、5分もすれば来るだろう。

「とりあえず雪路には連絡しておいたんで、先に部活始めましょう。今日は何するんですか? まだなんにも聞かされてないですけど」

「ばか、それくらい想像できるじゃろうが! 新歓でやる朗読劇の練習に決まっておろう!」

「あれ、それって昨日、3日後くらいに読み合わせするって言ってませんでした?」

「気が変わった」

「んな無茶苦茶な!」

 アンタが言った予定をアンタの気分で急に変えんな。そんな「お腹空いた」みたいなテンションで言われても、昨日の今日だからまだなんの準備もしてないぞ。せいぜい去年の文化祭で刷った冊子を部屋の引き出しから引っ張り出したくらいだ。本文にもろくに目を通していない。

「でも冊子引っ張り出しただけ偉いよようちゃん。私なんか冊子を焼き芋の養分にしたような記憶がフラッシュバックして焦ってるところなのに」

「部の大事な冊子を何に使っとるのじゃお主は! 焼き芋やったならわしも呼べい!」

「ひみこ先輩怒るところそこじゃないです!」

「だ、大丈夫ですよ! ぼんやりそんな記憶があるだけなので、まだ助かる可能性はあります!」

「マダガスカルなのか!?」

「ゴージ○ス☆さんは関係ないと思います!」

 しばらくは大人しく椅子に座って見学していた伏木さんだが、俺たちのやり取りに耐えきれなくなったのか思わずツッコむ。その一瞬後に「あっ。ついやってしまった」みたいな表情になる伏木さんだが、文藝部の誇る2大ボケエースはまるで気にした素振りを見せずに続ける。

「お主のハートに!」

「れぼるてぃおん!」

「レボリューションと言いたかったのですか!? そんな読み方する人初めて見ましたよ!?」

 まあ、乃蒼の英語は粗大ゴミなので勘弁してやってほしい。シンパシーが新橋になる女なんだぞ。

「何故粗大ゴミなのですか!?」

「そうだよ! 粗大ゴミだと回収してもらうときに結構お金がかかるんだよ!」

「いえ乃蒼さん反論すべきは多分そこじゃないです!」

「はっ、そうか! ありがとうゆづちゃん! 私は粗大ゴミじゃなくてセトモノだよ!」

「そこでもないです!」

「のあのボケにしっかりついていくとは……なかなか見所があるのう。そのツッコミ、我が部で活用しないか?」

「おおよそ文藝部の勧誘文句ではないですね!」

 相変わらず話が逸れすぎて全然進まない。朗読劇の読み合わせに一向に辿り着かなくなるやつだな、これ。仕方ないので少し方向修正を図ろう。

「とにかく、俺も乃蒼もなんの準備も出来てないんですよ。朗読の練習どころか本文の読み返しすらまともにやってないんですから、ひっどい出来になりますよ。乃蒼の噛み具合とか、乃蒼の噛み具合とか」

「それはいくら練習したって大差ないじゃろうが!」

「……! 確かに……!」

「2人とも私のこと馬鹿にしすぎじゃない!?」

 だって事実だからなぁ。普段はそんなに噛む方ではないんだが、緊張が絡むと途端にポンコツになるし。というか、昨日は自ら噛み王を自称してたんだから別にいいだろ。

「自分から言う分にはいいんだよ!」

「ともかく! 今日は冊子を見ながら一度読み合わせて見るのじゃ。実際にやってみないとわからん事もあるからの」

「ひみこ先輩がまともなこと言ってる……!」

「宣戦布告なら受けて立つぞよーへい。蜂の巣にしてやるぞ」

「あ、雪路から返事がきてるな」

「おい無視すんな。そんなんどうでもいいじゃろうが」

 どうでもよくはないだろう。アイツだって一応大事な配役の一人だろ。犬役だけど。

「犬役!? 何を朗読する気なのですか貴方たちは!?」

「去年ひみこ先輩が書いた小説だな。読んでみるか?」

 一応持ってきていた冊子を鞄から取り出し、伏木さんに差し出す。

「いや待てよーへい。せっかくなら中身を知らないまま朗読を見てもらった方がよいのではないか?」

「あー……確かに。伏木さん、どっちがいい?」

「え、私に振るのですか!? 別にどっちでもいいのですが!」

「なら、朗読の方を先に見てもらうことにしよう。ああでも、乃蒼は冊子を持ってないんじゃよな」

「ようちゃんからパクるので平気ですよ?」

「俺の冊子がなくなる!」

 平然と人の物をパクる宣言するな。というか、ここ部室なんだから余ってる冊子の1つや2つあるだろ。

「あ、そっか。それを貰っちゃえば、炭になったかもしれないあの子を探さなくてもいいんだね」

「今度は炭にするなよ」

「次に焼き芋をやるときはわしも呼ぶのじゃからな」

 何でまた焼き芋の養分にする前提なんだ。部の冊子で焼き芋すんな。俺にも食わせろ。

「貴方も焼き芋所望してるじゃないですか!」

 仕方ないだろ。想像したら食べたくなるんだよ。

「では、のあの分の冊子も用意できたところで早速読んでいきたいのじゃが……犬はまだ来ないのか?」

「さっきこっちに向かってるって犬から連絡来てましたよ?」

「犬役の方ではないのですか!? もう完全に犬扱いでしたが!」

 まあ、犬なら雪路扱いされても問題ないだろう。あんまりそういうのは気にしない奴だ、犬は。

「逆です逆! 中川さんと犬が逆になっています!」

「遅くなりました! いやー、急に招集かかるんでビックリしましたよ」

「あ、犬が来たのじゃ」

「犬、来ましたわね」

「来るのが遅いよ、犬」

「俺が呼んだら5秒で来いよ、犬」

「なに!? どういう状況これ!? なんで俺犬呼ばわりされてんの!?」

「……申し訳ありません、私の力が及ばないばかりに……」

「え、伏木さんがいる!? そしてなんで謝ってるの!?」

 部室にやってくるなり、状況がわからずに叫びまくっている雪路。仕方ないので説明してやるか。

「これはかくかくしかじかダ○ハツデミオでな」

「……いや伝わらねえよ!? それで伝わるのはフィクションの世界だけだからな!? あと後半のはなんだ! 初耳だぞ! 車関係ないだろ!」

 おかしいな。ここはフィクションの世界だったと思ったのだが。

「ようちゃんそういうメタ発言は駄目だって昨日も言ったよ?」

「そういうところがフィクションなんだよ!」

 俺の心の声だけをピンポイントで読む奴が2人もいる世界がフィクションじゃなくてなんだと言うんだ。現実逃避くらいさせろ。

「まあ、事情は追々説明してやるから、さっさと朗読劇の読み合わせを始めるぞ。中川も早く冊子を持って準備するがよい」

「え? いや俺、冊子持ってないですよ? 確か去年、焼き芋の養分にした記憶がぼんやりとあるんで」

「「お前(お主)もかっ!!」」

「えんでばー!」

 ツッコむのと同時に、俺とひみこ先輩のコークスクリューが雪路に向けて炸裂する。俺の友人二人は揃いも揃って部で作った大事な冊子を何に使ってるんだ。そんなに焼き芋したかったのか。やるにしても落ち葉集めてやれよ。冊子を燃料にすんなよ。

「あははははっ! えんでばーってなにえんでばーって! ヤク○トの助っ人外国人じゃん!」

 腹を押さえて身悶える雪路のそばで、相変わらず乃蒼が腹を抱えて笑っている。いや、お前もやってることは雪路とまんま一緒だからな? お前がこうなっててもおかしくないんだからな? あとそれはエンデバーじゃなくてエスコバーだから。しかも1年で退団してるし。せめてD○NAの方にしとけよ。マニアックな野球ネタをぶち込んでくるな。


「では、改めて読み合わせを開始するぞ」

 雪路が復帰するのを待ってから、ひみこ先輩が改めて宣言する。

「配役は昨日決めた通りじゃ。ナレーションというか地の文をのあ、主人公のヒロシ役がわし、ヒロインのエステル・ルルリエ役がよーへい」

「……貴方、ヒロイン役なんですか?」

 俺のそばに座っている伏木さんが小声で尋ねてきた。そこに気付いてしまったか。

「……スーパーウルトラアルティメットワンダーランド不本意ながらな」

「修飾語が長い上に不思議の国混ざってますよ」

「で、女教師のナナセ役がせーら、最後に犬のバーニング・ボルケーノ・ヘルファイア・プロミネンス・エクスプロージョン役が中川じゃ」

「犬の名前長くないですか!? それと凄く熱そうですが!」

 俺も最初に読んだときは同じこと思ったな。というか同じことツッコんだな。まあ多分あの犬は火属性なんだろう。

「なんですか火属性の犬って! どんなジャンルの小説なんですか!」

「ラブコメじゃが」

「今のところ全く想像できませんね!」

 まあ、犬の名前だけ聞いたら完全にギャグ小説だな。

「それは聞いてみるのが一番手っ取り早いじゃろうな。というわけでのあ、早速地の文から読み始めてくれ」

「了解です! ええと……『時は平しぇい、2のちゅきにゃにゃの日。1週間後に迫ったビャレンタイン一色にしょまる街のにゃかを、ヒロスィは浮かにゃい表情で歩いていちゃ』」

「え、待ってください! え、乃蒼さん!? おおよそ人類にはあり得ない噛み具合でしたが!? もしかしてそういう本文なんですか!?」

「いや、アレが噛み王の実力だ」

「だとしたらとてつもないバケモノですね! 逆にどうやったらあそこまで噛めるのか不思議なくらいです! そっちが気になりすぎて内容がまるで頭に入ってきません!」

 それはまあ、確かにな。まだ冒頭の2文しか読んでないのにこれだからな。これほど朗読に向いていない人材はないな。

「ううむ。のあの噛みまくりナレーションなら面白くなると思ったのじゃが、内容が入ってこないようでは意味がないのう。よーへい、なにか対策とか知らないかの?」

「うーん。緊張が原因らしいので、それさえ取り除ければ普段通りの喋りが出来るとは思いますけど」

「緊張? このメンツ相手にか?」

「ちょっとでもかしこまった感じになると駄目みたいですよ」

「見知った人たち相手でも、朗読劇だー、とか構えちゃうと駄目なんですよねぇ」

「ふむ。こういうときの定番はやはりアレか、ジャガイモか?」

 あー、舞台とか劇とかで緊張しちゃう人がよく使うアレか。オーディエンスをジャガイモだと思って演技するアレだな。

「普通に観客でいいではないですか。何故わざわざ英語にしたのですか格好つけですか気持ち悪い」

 散々な言われようだなおい。別にいいだろうが俺が心の中でなんと言おうが。

「ジャガイモ……聞いたことがありますわ。確か観客にジャガイモを投げつけて気絶させるアレですわね!」

「おい誰じゃせーらに間違った常識を埋め込んだのは! 今なら怒らないから正直に名乗り出ろ!」

「俺じゃないですよ」

「私でもないよ」

「俺でもないのでそのあからさまな疑いの目はやめてほしいっす!」

「……え、転校生の私にまで疑いの目を向けるのはさすがにおかしくないですか!?」

「ひみこさんですわ」

「…………ゑ?」

「たしかひみこさんから教わったのですわ。舞台上での緊張をほぐす手段だと言って笑いながら教えてくれましたわ」

「おもいっくそひみこ先輩のせいじゃないですか! 完全に面白半分で適当な常識を吹き込んでるじゃないですか!」

 それなのに無実の部員に疑いの目を向けていたのか。酷い先輩だな。

「ま、まじか……まったく記憶にないのじゃ……」

「酔っ払いみたいなこと言いますね!」

「実は酔っ払ってたんじゃないですか?」

「わしは健全な女子高生じゃぞ!? お酒とか飲んだことないわ!」

「いや、自分に」

「自分に!?」

 馬鹿な会話をしている2人は放置して、国分先輩の常識を修正してしまおう。

「ジャガイモを投げつけて気絶させるのはどう考えても嘘ですよ、国分先輩。そんなことしたら確実に問題になるでしょう?」

「まあ、そうですわね。ジャガイモはデコボコしていて握りづらいので、コントロールが定まりませんものね」

 うん、微妙にズレてんな。そういうことではないんだな。

「そうですよ、国分先輩。投擲するのはジャガイモではなくカボチャです」

「おいこら威力上げんな!」

 それじゃあ気絶どころか流血沙汰だろうが。あとジャガイモよりも投げるの難しいだろうが。というか伏木さん? なに国分先輩に更なる非常識を植え付けようとしてるの?

「だって、あらぬ疑いをかけられたので。少しくらい仕返ししてもいいじゃないですか」

「それをするならひみこ先輩にやれよ!」

 なんで国分先輩に仕返ししてるんだ。あの人想像以上に一般常識が欠落してるから、冗談のつもりでも普通に信じちゃうんだぞ。いじるならひみこ先輩にしなさい。

「なんとなく、本人に直接仕返しするよりも効果がある気がしたので」

「策士か!」

 確かに自分がやり返されるよりもひみこ先輩には効きそうだな。自分がやらかす度に友人に非常識が一つずつ追加されていくとか、恐ろしい抑止力である。友人として国分家から娘のことを頼まれているひみこ先輩なので、後で国分家から何をされるかわかったもんじゃない。この短時間で2人の関係をそこまで正しく把握できるとは。伏木さん、恐ろしい子……!

「画風が変わってますよ、高岡さん」

 おっと、つい。

「ふうむ……鋭いツッコミの持ち主なのでてっきりよーへいやわし側かと思いきや、ゆづきはどちらかと言えばのあ側なのじゃな」

 しれっと自分をツッコミ側にカテゴリーしたけど、アンタはどう考えたってボケ側だからな。確かにツッコミを手伝ってくれることもなくはないが、普通にそれを上回るボケ量だからな。

「よし。ゆづきよ、今後思ったことがあれば遠慮せずにもっと発言するがよい。会話の流れをぶった切っても構わん。ボケでもツッコミでも好きに発言せい」

「……はい? いや、ですが……」

「この空間では遠慮も配慮もいらん。先程からなにか言いたそうにしては口をつぐむのが多かったからな。先輩だからとか、今日会ったばかりのやつらだとか、そんなことは気にせんでよい。その程度で気分を害する連中はここにはおらん」

「氷見先輩……」

 ……やっぱりこの人、適当に見えてちゃんと人のこと見てるんだよなぁ。乃蒼に誘われたからと言うだけでこの部に入った俺が今では完全に馴染んでいるのも、間違いなくこの人のおかげだろう。上も下も関係なく、親友も初対面も関係なく、どんな事情を抱える人でもみんなが笑って楽しく過ごせる雰囲気作りにかけては彼女よりも優れている人を俺は知らない。

「……ありがとうございます。半端な時期の転校生である私にも優しくしていただいて。……ですが、そういうことならこれ以上私はここにはいられません。だって――」

「――どうせまたすぐに転校してしまうから、か?」

「「「えっ!?」」」

 割り込んだ俺の言葉に、乃蒼と雪路、そして伏木さんが驚きの声を上げた。その反応を見るに、どうやら俺の推測は間違っていなかったらしい。

「な、何故高岡さんがそれを……!」

「今日の伏木さんを見ての推測だな。2年の春という微妙な時期の転校、妙に慣れている転校の挨拶、波風立てたくないと言う割には寄ってくる生徒を拒絶する態度の矛盾。波風を立てないためなら程々に仲良くしておいたほうがいいし、その程度のコミュ力は普通にありそうなのに、まるで仲良くする気がない感じが少し違和感を覚えたんでな。何でだろうと考えてたときに思いついた仮説が『親が転勤族で転校がやたらと多い』って奴だ。それなら半端な時期の転校にも挨拶慣れしてることにも説明がつくし、他人に冷たくするのはどうせ仲良くなってもすぐに離れ離れになって悲しい思いをするくらいなら最初から仲良くならない、という諦めから。どうだ、当たってるか?」

「だからようちゃん説明が長いって」

「今そういう茶々挟むところじゃないから!」

 どう見たって真面目なシーンだろうが。雰囲気ぶち壊しにも程があるぞてめえ。

「……推測だけでよくそこまでわかりますね。あまり頭が切れるタイプには見えなかったのですが」

「こんな時に嫌みを挟むな」

 真面目な雰囲気保てないのかこいつらは。

「まあ、高岡さんの推測通りです。私の父は3ヶ月に1回くらい転勤のある人で、それに合わせて私も各地を転々としているのです。もう、小学校の頃からずっとですね。なので、誰かと仲良くなってもあっという間に離ればなれになって、3ヶ月しか一緒にいなかった私のことなどみんなすぐに忘れていってしまうのです。最初は悲しくて落ち込んだりあっさり失われる友情に絶望したりもしましたが、中学に上がる前にはもうそういうのに疲れてしまいました。どうせすぐに別れることになるのだから誰かと仲良くするのはやめにして、1人で過ごすようにしたら楽になりましたね」

 やはりそういうことだったか。にしたって、3ヶ月はさすがにサイクルが短いな。勝手に1年ごとくらいかと思ってたんだが、3ヶ月じゃさすがにそうなるか。

「でも、『楽』にはなっても『楽しく』はないだろ」

「それは……」

「うわっ、上手いこと言ってやったぜみたいなドヤ顔」

「だからお前は茶々を入れんな! 国分先輩、乃蒼の口塞いどいてください!」

「了解ですわ。乃蒼さん、ここは3諭吉で手を打ちませんこと?」

「その口封じじゃねええぇ!」

 全然真面目な話出来ないじゃねえかこの部活。そういうのがいいところでもあるが今は悪い方に働き過ぎだ。

「そこでわしの出番だったというわけじゃな」

 そんな雰囲気を立て直すようにひみこ先輩が声を上げる。もうこの人だけが頼りだ。あっちの2人は話にならない。

「突然よーへいから連絡が来たときはなにかと思ったがの。心の底から笑わせたい奴がいると言われれば、応えぬわけにはいかないのじゃ。それで本来は部活の予定はなかったのじゃが、急遽集まってもらったのじゃ」

「……! まさか、校内案内の時にスマホを見ていたのは……!」

「ひみこ先輩に連絡してたんだよ。俺と乃蒼だけだと伏木さんが振り回されるだけになりそうだったし、俺が知る中でこの学校で1番楽しいのは文藝部ここだからな。この人たちなら、伏木さんの諦めきった心でも動かせるんじゃないかと思って」

 乃蒼と伏木さんが2人で話してくれていて助かった。おかげで簡単に連絡は取れたし、ひみこ先輩はすぐに俺の話に乗ってくれたからな。

「……何故、そこまで私の為に? 貴方たちにはなんのメリットもないでしょう? その上いずれ転校することまで推測できているならなおさら、私のことなんて放っておけばいいのに」

「「人を楽しませるのに、理由なんていらないだろ(じゃろ)」」

 俺とひみこ先輩の言葉が重なる。それはひみこ先輩の信条であり、今では俺の信条でもある。

「人生なんて楽しい方がいいに決まっとるのじゃ。一度しかない上に時間だって限られとるのじゃからな。それなら、1秒でも長く自分が楽しいと思える過ごし方をするほうがよいに決まっとる。つまらない時間を過ごすのはもったいないだけじゃ。確かにお主とわしらがこの学校で一緒に過ごせるのは3ヶ月という短い時間なのかもしれんし、時が経てば忘れてしまうこともあるのかもしれん。じゃが、たった3ヶ月しかないからこそその時間は楽しくあるべきじゃ。どうせ別れるから、すぐに忘れられてしまうから、そう決めつけて最初から楽しむことを諦めてしまうのはあまりにもったいない。忘れられてしまうのが嫌なら、忘れられないほどの濃い時間を過ごせばよかろう。その手伝いなら、わしらがいくらでもしてやる」

「そういうことだ。アンタが楽しむことを諦めたような態度でいるから、多少強引にでも思いっきり楽しませてやろうっていう、ただそれだけ。それ以外になにか理由が必要か?」

 まあ、強いてもう1つ理由を付けるとするなら、伏木さんとは縁がある気がするというのがある。転校してくる前の登校中に出会ったり、俺が委員長をやらされているせいで接点も多いし席も隣で、なにより俺の心の声を読んでくる。これだけ縁があって、たとえ短期間であろうと恐らく関わる事が不可避なのだから、どうせなら楽しく過ごしたいと思うのは当然だろう。

「……ふふっ。とんだお人好しですね、貴方たちは」

 そう言って薄く微笑んだ伏木さんの目尻には、少し涙が滲んでいるような気がした。

「転校生活は結構長いですが、これほどのお人好しは貴方たちが初めてです。私に仲良くする気がないとわかると離れていく方がほとんどですし、私もそれで良かったのですが……仲良くする気がないとわかりながら、その上でこんな風に言ってくれるだなんて……っ……あれ、何故でしょう……なんで、涙なんかっ……」

 伏木さんが思わず零れた雫を手で拭おうとするが、まるで我慢していた物が一気に溢れたような勢いで流れる涙は拭いきる事が出来ずに部室の床まで落ちていく。実際、今まで相当な我慢をしてきたのだろう。今日これまで話してきた感じや、校内案内の時の乃蒼とのやり取りの際の楽しそうな様子を見るに、多分1人で過ごすのが好きだったりとか、1人でも平気とかっていうタイプではないのだ、伏木さんは。本当は友達と一緒に過ごしたいし、冗談とかも言い合いたいタイプなのだ。だから乃蒼に振り回されてツッコみまくっている時もあんなに生き生きと楽しそうにしていたのだろう。教室で冷たく振る舞う伏木さんとはまるで別人だった。そんな人が、どうせすぐに別れてしまうからと独りでいることを選択するのに、どれほどの絶望があったのだろうか。どれだけの覚悟が必要だっただろうか。どれだけの我慢をしてきたのだろうか。転校なんて人生で一度も経験したことがない俺には想像もつかない。だからこそ……この場所で過ごす3ヶ月だけでも、そんな我慢をしなくていい最高の3ヶ月にしてやりたい。お互いに一生忘れられない3ヶ月にしてやりたい。改めてそう思った。

「なんかよくわかんないけど、離れ離れになったってゆづちゃんと私はズッ友だよ! たとえ転校しちゃった後でも、3分に1回はメールするよ!」

「頻度が高すぎます!」

「私からも、皆のことを忘れないようにひみこさんの銅像を贈呈しますわ!」

「置き場所に困ります!」

「お主らはわしとよーへいで作った真面目な雰囲気をぶち壊しすぎじゃ! あと、本人に無許可で勝手に銅像作んな!」

「だって~。私ああいう真面目な雰囲気、本当に苦手で」

 まあ、乃蒼はそうだな。入学式とか卒業式でも耐えきれなくなるタイプだからな。ぶち壊しにしないかとヒヤヒヤしたものだ。

「それに、この部活に真面目な雰囲気は合わないですよ。いつも通り自由にやりましょう、自由に。ほら、ゆづちゃんもこれで涙拭いて!」

「……なんですか、これは」

「紙やすり」

「目ぇ死にますよ!?」

 いやそれ以前になんで紙やすりを持ち歩いてるんだ。……でもまあ、乃蒼の言うとおりかもな。真面目にやろうとしてもいつの間にか脱線しているのがある意味この部活のいいところだ。真面目成分はこのくらいにしておこうか。

「乃蒼がバカですまんな。ほら、こっちを使え」

「……あの。これはなんですか?」

「乾燥昆布」

「ぶっ○しますよ?」

「俺へのあたり強くない!?」

 ちょっとした冗談じゃないか。

「雨晴さんの紙やすりよりもお前の乾燥昆布の方が謎だぞ……」

「まったくじゃ。夫婦揃ってなに持ち歩いとるのじゃ」

「なるほど。庶民は紙やすりや乾燥昆布を持ち歩いているのですわね」

「やめろせーら! あやつらを庶民代表として学習するでない!」

「雨晴さんと陽平がバカですまないな、伏木さん。俺のハンカチで良ければ使ってくれ」

「……そこは天丼で別のなにかを差し出すところでしょう。お笑いがわかっていませんね、中川さんは」

「まったくじゃ。お主もバカ夫婦みたいに面白いものの4つや5つ持ち歩いておれ」

「正しい行為をしたつもりがこんなに責められるんすか!?」

 そりゃお前、今の流れはどう考えても天丼だろうが。あと、いい加減夫婦扱いするのはやめてくれ。周りから冗談で言われすぎてて本当に勘違いしてる輩も出てきてるんだからな。

「……そういえば、心が読める私や乃蒼さんに気付かれずによく私の事情を推測できましたね」

 orzしている雪路をよそに、伏木さんが尋ねてくる。

「頭の中で考えるとすぐにバレるから、ノートとかに書いて推理・推測したり計画を立てたりするんだよ。まあ、長年乃蒼に心を読まれ続けた末に編み出した技術だな」

「やられ続けるとそんな技術が習得出来るのですね……。でも、それで授業中もやたらとノートに色々書いていたのですね」

「そうそう。おかげで授業ほとんど聞いてない」

「駄目じゃないですか!」

「あとでノート見せてくれ」

「私に頼るのですか!?」

「乃蒼と雪路が役に立つと思うか?」

「あー」

「「失礼なっ!」」

 事実だろうが。補習室常連のお前らのノートが参考になるわけあるか。実際乃蒼は授業のプリントで折り紙してたんだぞ。

「……ついさっきまで真面目に話しておったのが嘘みたいな光景じゃの」

「ええ。ですが、これがひみこさんの見たかった光景でしょう?」

「……じゃな! ゆづきも含めてみんなが楽しそうでなによりじゃ! 新歓前に部員も1人確保できたしの」

「え? 私まだ入るなんて言ってませんよ?」

「ええっ!? ここまでやっといて、涙まで流しておいて、ええっ!?」

「ふふっ、冗談です。3ヶ月ほどの短い期間になってしまうと思いますが、よろしくお願いいたします」

「……うむ! もちろんじゃ!」

 こうして伏木さんの文藝部入部が決定した。たとえ3ヶ月先に転校してしまう未来が待っているのだとしても、それまでに最高の思い出をみんなで作れたらいい。このときの俺たちは、そう思っていた。

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