89.友に話す 前
「――タタララ! 聞いてくれ!!」
「お、おおっ?」
急な訪問だった。
外套をまとい、黒い襟巻を巻いたアーレがいきなり家に飛び込んできた。
一般的な冬の白蛇族として、のんびりうたた寝していたタタララは瞬時に起き上がる。
緊急事態かと壁に掛けてある槍を手に取るが……アーレが武装していないことを見て、外敵ではないことを悟る。
「……なんだアーレ。どうした」
気が抜けたらまた眠くなってきた。
「どうもうこうもない! ――あ、おまえたちは帰れ」
「はあ!?」
「急に来て何よ! アーレ!」
アーレは家に上がり込みながら、同じようにうたた寝したり籠を編んだりしていた二人の女たちに出て行けと言う。
横暴極まりない言動だが――
「族長命令だ。出ていってくれ」
タタララはアーレを支持した。
「えっ!?」
「そんな……」
「――またな」
眠そうな顔で手を振るタタララを見て、女たちはアーレを睨みながら家を出ていった。
「相変わらずだな」
「ああ。困ったものだ」
――去っていった女たちは、タタララに強い好意を抱いている者たちだ。
なまじタタララはそこらの男より凛々しい顔立ちを持ち、更に男の戦士より腕が立つ。
その結果、男よりよほど人気があった。
本人はまったく同性との恋愛など興味がない。
というか、他人の男女の関係にさえ興味津々であることは、周知の事実である。
しかし、興味がないがゆえに、あまり強く追い払うこともしない。
番のことを考える時期になると、色恋に対して一時的に憧れや気の迷いを起こすことなどよくあると知っているので、よほど接触してこないと気にしない。
実際、そんな感じで何人も近くに寄ってきては、その多くが普通に番になっていった。
己はただの通過点。
そんなものだと、経験上よくわかっている。
だからできるだけ好きにさせているのだ。
いずれ飽きるから、現実に気づくから、と。
「――お、随分大きくなったな」
女たちが出ていって二人きりになると、アーレは外套を脱いだ。
そこには、タタララが知っているしなやかな肢体のアーレはいなかった。
大きな腹。
誰の目から見ても、妊娠していることが一目瞭然だった。
「出産は春か?」
「予定ではな」
「そうか。仲が良さそうで何よりだ」
毎日のようにともに過ごしていたタタララとアーレは、この冬ほとんど会っていない。
前に会ったのは、掃除をすると言い出した旦那に家を追い出されて逃げてきた時だ。
「ああそうだ。犬が孵ったぞ」
ほれ、とアーレは襟巻を取る……と、襟巻が動き出した。
「お、なんだ? 犬か? ……ん? 違うな? まあいいか」
挨拶するかのようにしゃかしゃか走ってきたが、いまいち何なのかよくわからない。とりあえずタタララはそれを撫でた。
眠いので、この生物が何者かなんて正直どうでもいい。
「化鼬だ。サジライトという名を付けた」
「サジか。可愛いな」
だがそれ以上に今は眠い。
「ガガセは?」
「今はどこか知らん」
タタララの弟ガガセは、まだ戦士見習いである。
見習いは、冬の間もできるだけ鍛える。
今頃はどこかの戦士の下で、いろんなことを学んでいるはずだ。
「よいしょ、と」
アーレが囲炉裏端に座る。ふう、と息を吐きながら。
「動きづらいか?」
「思った以上にな。女は大変だ。まだ大きくなるらしいぞ」
「そうか。それは大変だな……」
「ああ。――おい寝るな! 話を聞け!」
「お? おぉ、そうか。寝てたか」
自然と閉じてしまったタタララの目が開く。
「どうした? またレインに追い出されたのか?」
「それ以上にひどい話だ!」
また痴話喧嘩かな、と。
タタララは、新婚の幸せそうな憤慨を聞きながらまたまどろみ始める。
平和だな、と思いながら。
夫婦仲が順調そうで何よりだな、と思いながら。
眠くなければ騒ぎ出す心臓を押さえながら聞いているところだが、生憎ひどく眠いので、今は子守歌にしか聞こえない。
そんなものを聞きながら寝たら、きっと、さぞや幸せな夢が見られるだろう。
「レインが故郷の女を呼びたいと言い出した!」
「…………はあ?」
言葉の意味を理解した瞬間、タタララが覚醒した。
狩りの時でさえ見せない鋭い瞳で、殺気さえ帯びた瞳でアーレを見る。
大人しく撫でられていたサジライトが、怯えて逃げ出すほどの豹変だった。
「もう一人嫁が欲しいと? あの男は、子を宿す妻にそう言ったのか?」
信じられない話だ。
痴話喧嘩どころの話じゃない。
それではアーレに付きまとっていたジータと本当に何も変わらない。
あれを知っていてなお、レインティエがそんなことを言い出す性根が信じられない。
理解できない。
理解できないし意味もわからない。
いや意味はわかる。言葉通りの意味だろう。
どこまでも戯言でしかないが。
何より――アーレをないがしろにする言動が気に食わない。




