74.本格的な冬がきた
温かい卵を持っていると、すぐに愛着が湧いてきた。
たとえ犬が孵らなくても、多少よくわからない何者かが孵っても、この子は私の子として育てたくなっている。
「なぜそっと抱き締める?」
愛着が湧いているからだ、としか返しようがない。
「まあいい。だいたい見たか?」
アーレの確認に、犬の卵 (疑惑)を大切に持っている私と、果樹の種を受け取ったナナカナは頷く。
残っている者はわずかである。
皆取引を終えると、後から来る者や取引を続けたい者に場所を空けるため、すぐに引き上げていったからだ。
最後までのんびり見ていた私たちや、物珍しいものに興味津々の子供たちや、優柔不断なのか慎重なのか交換する手持ちの物が少ないのか迷いに迷っている者。
あと延々と値切り散らかしている婆様が残っているくらいだ。
……値切りとは商人が嫌がり出してからが本番と、誰かが言っていた気がするが……私には真似できそうにない。あれはもはや職人芸だろう。
ちなみに小麦粉はなかった。
それとなく聞いてみたら、穀物みたいなものはあるようだが、小麦とはまったく違う物のようだ。次に来る時は仕入れておくと言っていたので、今はそれを待つばかりだ。
「よし。では――」
帰ろうか、と続くかと思ったが。
アーレは振り返り、商品を眺めながら指を差す。
「ルフル、あれとあれとあれ。それとここからここまで。そこの棚は全部だ。そこは飛ばして、そこから端まで。それとそこら辺の飾りはいらないが、それに使った顔料があるなら全部くれ。あと日持ちしない食料も全部引き取ろう。塩の残りも貰おうか。ただし次からは塩は少なめでいいからな」
…………
何そのかっこいい買い物の仕方!
おいおい、商売で一発当てて財力で成り上がった貴族だってこんな堂々たる買い物なんてしないぞ! ここからここまでってどんな買い方だ!
「アーレ!? 交換する物足りるのか!?」
ほぼ売れ残り全部をよこせと言っているんだが。大丈夫か!? 本当に大丈夫か!? こういうのは支払いが足りないってなったらすごくかっこ悪いぞ!
頼もしい背中だが、その後を想像してはらはらしている私が問えば、彼女はなんでもなさそうな顔で振り返る。
「問題ない。見せているのはそこまで価値があるものじゃないからな。まとめて取引しても多くは求められない」
……あ、なるほど。
本当に価値がある物や希少な物は、支払えそうな人にだけ勧められるわけか。言い方は悪いが、金がない人に宝石なんて見せびらかしても、あまりいいことはないだろうからな。
「それよりレイン。急で悪いが、ルフル団全員の昼飯を用意してくれないか?」
「食事?」
「ああ。昼過ぎに来ることは聞いていたからいらないと思ったが、こいつら昼飯はまだ食っていないそうだ」
そうか。
「わかった。家に用意すればいいか? それともここで?」
これはきっと、族長の嫁の仕事なのだろう。客の歓迎という意味で。ならば私がやるべき仕事である。
「そうだな……どうする?」
アーレの注文を聞いてあれこれ構成員に指示を出していたルフルは、「できたらここで」と答えた。
「今日中にもう一ヵ所行きたい場所があるから、すぐ発つ予定なんだ。ギリギリまでこのままここで取引したい。でもご馳走になる身として贅沢は言わないよ」
…………
急な要求だし、ここでとなると、バーベキュー以外思いつかないんだが。
「仕込みが全然できていないから、すぐに出せる物となると……ここで肉を焼いたり野菜を焼いたりでいいか?」
「もちろん。みんな肉は大好きだよ」
よし、じゃあ準備だ。
スパイスを用意しておいてよかった。
馬車のすぐ傍に焚火と鉄板代わりの石板を用意し、その場で少々薄く切った牛肉や野菜を、三種類ほどある香草入りの塩を選んでもらって振って焼く。
私が肉や野菜を切って焼けた石板に並べ、ルフル団は二股で長いフォークのような串でさらい、取り皿に拾い上げて食べる形だ。
十人を越える人数がいるだけに、並べる端からどんどん取られていく。野菜も食べてほしい。端っこにずっと転がっているじゃないか。
「――なぜもっと厚く切らないんだ?」
「薄い方がすぐ焼けるし、柔らかくて食べやすいからだ。でも厚い方がいいなら厚く切るぞ」
大柄な赤熊族の男からすればぺらぺらで物足りないかもしれないが、元々肉質が堅い赤身の牛肉なので、これくらいが食べやすいと思う。
そう説明すると、厚い肉を焼いたり薄い肉を焼いて食べ比べして、なんとなく納得したようだ。
「これは塩に何を混ぜてるんだい?」
「何だと思う?」
ルフルがスパイスの配合を気にしているが、素直に教えるつもりはない。それなりに苦労した配合だからな。
「うまい! うまい!」
「……そう」
なんでアーレまで一緒に食べているんだろう。さっき昼食とスペアリブをしっかり食べたはずだが。
「もう一声じゃ! ここまで来たらもう少しくらいいけるじゃろ!」
婆様はまだ値切っている。相手をしているルフル団の人がかわいそうになってきた。「ここで諦めたら今までの時間全部が無駄になるぞ!」とかどんな脅し文句だ。
――そんな少々慌ただしい昼食を取り、しばしの食休みを経て、彼らは白蛇族の集落を旅立って行った。
次は春に来る、と言い残して。
適当に物々交換したように見えたアーレだが、そのほとんどが、冬の間に室内でできる内職に使うものだったらしい。
よくわからない物も多いが、なんの変哲もない石のようなものは、研磨剤として使えるのだとか。
これは主に戦士の武具に使われる。
この辺の草は、すり潰して湯で溶かして冷ますと、簡単な家屋の隙間などを埋める粘着剤になるらしい。
そういえば、家の補強や屋根の修理をしている者が多いのは、冬に備えてのことだろう。
そういう物品の多くは、族長として買い上げたそうだ。集落で足りないという者がいたら何かと交換で渡すのだとか。
ルフル団は年に一、二回しか来ないので、ある意味族長が小売店みたいな役割をするわけだ。
それから、畑の作物は最後の収穫を終えた。
狩り納めをして時間ができたアーレが家屋の補強をし、婆様は透明な虫の羽を使用して小さな温室を作った。
ナナカナは、こっそりと今年最後の黒長芋で砂糖を作っていたようだ。
私の預かった犬の卵はまだ孵る気配はないが、すでに愛しいそれは、暇さえあれば腹に抱えている。元気に生まれ育ってほしい。
――そんなつかの間の準備期間を経て、本格的な冬がやってきた。




