67.試したいこと
婆様の過去の話。
大雑把に聞いた時から、この話はずっと気になっていた。
現在、霊海の森と隣接している国は、私の生まれた聖国フロンサード王国と、ミッドウォード王国の二国である。
遠い昔に色々と揉めたことがあったそうで、その結果、森の向こうの住人とは関わらない、という法ができた。
両国ともに、である。
不文律や風習や風潮ではなく、法である。国が定めた決まり事である。
――少なくとも、二百年くらいは、森の向こうから人が来たという話は、聞いていない。
にも拘わらず、婆様は森の向こう……隣接しているフロンサードかミッドウォードのどちらかで暮らしていたという。
もしかしたら、霊海の森まで己が領地に入っているウィーク辺境伯は、蛮族たちと拘わりがあるのかもしれない、と。
私が気にしているのは、そういう話である。
ただ、私ももう完全な入り婿で、こちら側の人間である。今更知ったところで何をどうするということもないが。
「フッフッフッ。気になるかい? わしの過去が」
婆様は不敵に笑う。
そんな風に言われると、「全然気にならない」ときっぱり打ち切ってしまいたい気持ちになるが、本心では気になるは気になるので我慢する。
「でもまあ、少し待て。そう急くこともあるまい」
どうやらもったいぶるつもりのようだ。
「冬は短いようで、やはり長い。やるべきことが他にある今ではなく、冬の夜、やることがない時にでも聞くがいい。ばばあの昔話など役に立たんが暇つぶしにはなるからの」
……まあ、そう言われるとな。
確かに昼の内はやることがあるし、婆様は今日から冬を越えるまで一緒に過ごすのだ。話す機会なんていくらでもあるだろう。
「早めに話した方がいいんじゃない? 歳が歳だし、婆様が明日ぽっくり逝くこともあるかもよ」
あ、冷酷。
子供特有の残酷な一言である。ナナカナの言葉は時々妙に殺傷能力を発揮するな。
「はっはっはっ。うまい飯、雨風を凌げる家、面倒を見てくれるおまえたち、後ろ盾の族長アーレ。これだけ揃えば冬越えだって怖くないわい。長生きだってできるだろうよ」
おお、婆様も強いな。
「それにしても薄っぺらい肉とはうまいな。ほどよい歯ごたえで食べやすい。よくもまあこんなに薄く切ったものじゃ」
「うん。おいしい。厚みがあると硬いから」
ローストビーフもどきは、子供と老人には好評のようだ。
そんな感じで、私たちの日常に婆様が加わった。
「おまえたちの言うところの、いわゆる留学というやつよ。
先代の祈祷師とともに、薬草や薬の知識を得るために数年住んだ。
もう三十年も前の話じゃ。
あの頃は、怪我はともかく病気がなかなか治せなくてな……随分悔しい思いをした。後悔もした。目の前で子供が亡くなるのは本当につらかった。
だから、思い切ってな。学びに行ったのよ」
ほう……
「――で、どうじゃ?」
昼食を済ませると、婆様は私を呼び、外へ出た。
そうして私とナナカナで背負ってきた荷物の中から木材を出し、組み立てろと言った。
できたのは、一抱え程の木箱である。
「――良さそうだ」
そこに畑から拝借した土を敷いたところである。
婆様は、私の指先のことを、割と細かく知っていた。
名称や由来まではわからないようだが、どういう力があるのかはしっかり把握していた。
それも例の頭蓋骨で、「声」が教えてくれたそうだ。
伊達にあんな蛮族蛮族した格好はしていない、ということである。あの格好にはちゃんと意味があったのだ。
「それにしても、面白いことを考えたな」
アーレの家に来る直前に、婆様が「試してみたいことがある」と言っていたことを、今試している。
簡単に言うと、鉢植えによる野菜の栽培である。
これが成功すれば、冬でも作物が育てられることになる。
「……」
洗濯だ洗濯物を干すだ果物を日光に当てるだと家事をこなしつつ、離れたところから熱心に見つめるナナカナの視線が熱い。
そう、これは冬でも作物を育てる方法の試行。
成功すれば、黒長芋が作れる。
ナナカナとして言うなら、冬でも砂糖が育てられる。
もはや砂糖は、彼女の日常になくてはならないものである。
しかし冬の間は砂糖の原料たる黒長芋が育たない。砂糖が入手できなくなる。
できる限り作り置きをしているらしいが、そこに人知れない苦労があるそうだ。
虫にたかられたり、含まれた水分のせいでダメになったりと、なかなか保存も難しいのだとか。
作り置きを貯めておくのではなく、定期的に作る。
これが、安定した糖を入手するために考えた、ナナカナの結論である。
しかし冬場は……という不安が、ずっとあったそうだ。
――そこで、婆様が考案した、この鉢植え式の畑。
日中は外に出して陽の光を浴びさせ、夜は高床式の小屋に入れて地面から昇る底冷えを防ぐ、というやり方だ。
去年の冬、婆様は一人で試したそうだ。
その結果は、育ったけれど非常に小さく効率が悪い、という結論に至ったそうだ。
そして今年は、私がいる。
私の「豊穣の力」があれば、婆様が想像していたことができるのではないか、とのことである。
私の予想では、たぶんできる。
このくらいの規模なら、私の微々たる指先の力でも、なんとかなるだろう。
「わしとしては薬草が作れると嬉しいがのう」
あ、なるほど。婆様の目的は作物ではなくそっちか。
「体を悪くした子の面倒は、おまえが診ろよ。秋の間は一緒にやって教えてやるが、冬は任せるからな。教えていない病ならわしに言え」
…………
「婆様って頭がいいんだな」
格好こそ本気の蛮族だが、この人は……案外私より頭の回転が早いのではなかろうか。伊達に老いていないというか。
もしかしたら、大した人物なのかもしれない。
「何を言っとる。仕事を押し付けとるだけじゃろうが」
――いや。
婆様は、冬の間に、族長の婿として顔を売り腕を示せと言っているのだ。
私のことをよく知らない者にとっては、私はまだまだ余所者である。
冬の活動は、私の紹介と足場を固める意味もあり、また集落初の女族長であるアーレの立場を確立するためでもある。
つまり、私たち夫婦のためである。
アーレは族長になるために実力を示した。
だから私も、族長の婿として、実力を示す必要がある。
双方が揃ってこそ、私たち夫婦への信頼も勝ち取れるはずだ。
いくら族長だの族長の婿だのと言ったところで、信頼がなければ言うことだって聞いてくれないだろうからな。
逆説になるが、実力を示すとは、そういう意味だから。
「まあなんでもいいわい。冬の間はこき使ってやるからな」
どうやら冬も、やることがたくさんありそうだ。




