63.新婚の秋
「へえ。へえ。……へえぇ」
「あんまり見るな……」
新妻となったアーレを、ナナカナは興味深そうにじろじろ見ている。
気持ちはわかる。
もしかしたら、私の思い入れのせいかもしれないと思っていたが……ナナカナの反応を見るに、やはりそうなのかもしれない。
このたったの三日で、アーレは、なんというか……とても可愛くなったと思う。どこがどうとは言えないが。
たとえば、表情が少し穏やかになったとか。
攻撃的な瞳が柔らかくなったとか。
さすがに姿形が変わるほどの時間は経っていないので、……強いて言えば、雰囲気なのかもしれないな。
――族長就任と番の儀式から、三日が過ぎた。
四日目の朝、タタララの家に泊まっていたナナカナが家に帰ってきた。
新婚となった私とアーレに気を遣ってのことである。
番の儀式とその翌日は誰も訪ねない、というのが白蛇族のマナーにあるようで、それに則って義娘も気を遣ったわけだ。
余裕を持って、三日ほど。
この三日間、この家に二人きりで誰にも邪魔をされなかった私とアーレは、新婚として…………
…………
うん。
お世辞にも、褒められるような生活は、していなかったな。
毎日こなしていた家事は最低限になり、食事も簡単にできるものばかりになった。
ずっとアーレの傍にいたかったから。
そしてアーレも狩りには出ず、家に入り浸りだった。
その間、ずっと、なんというか、恋人らしいというか、新婚らしいというか、なんというか、うん、まあ、一言で言えば、溺れるような時を過ごしていた。
こんなにも誰かを好きになることがあるのかと何度も思い、今も驚いている。
運命の出会いだの、この人と出会うために生まれただの。
そんな使い古された陳腐な言葉を信じたくなるほどに、アーレと一緒にいる喜びを噛み締めていた。
――でも、ここらが丁度いい区切りなのだと思う。
このままだと、延々と堕落した関係を続けてしまいそうなので、そろそろ日常に戻る必要がある。
秋は短く、大事な季節だ。
冬を越える準備をしなければ。
「あ……」
朝の仕事をするために立ち上がり、外に出ようとする私を、アーレの寂しそうな声が思いっきり引き留める。
あれだ。
あの声だ。
この三日、私の足を縫い留める声だ。族長でも戦士でもない、大切な嫁の声だ。
振り返ったら、きっと、また私の足が止まってしまう。
「すぐ戻る!」
それだけ言って、私は身を切る思いで外へ出た。
秋は大事な季節だ。
特にアーレは、新たな族長としての務めがある。いつまでもこんな生活はさせられない。
……冬になると色々アレだと、家を出ることが滅多になくなると。そういう噂を聞いているので、今が踏ん張りどころである。
「――よかった。そろそろ戦士に戻ってもらわないと困るところだ」
一日の仕事は、水汲みから始まる。
早く家に帰りたい私が早足で川へ向かう途中、タタララに声を掛けられた。
主語も抜かして「もういいか?」と問われて、よくはないけど「仕方ない」と答えた。
多くを聞かずともわかる。
タタララは、アーレの復帰を待っていたのだ。新婚でもなんでも、やるべきことはやらねば。名残惜しいが。
「気を遣わせて悪かったな」
「構わん。アーレから話を聞くという楽しみがあるからな。本当に楽しみだ」
あ、そう……あんまり夫婦間の話とか、恥ずかしいからしないでほしいんだが……
「なあレイン」
「ん?」
「ここに来て……アーレと番になって、よかったか?」
「ああ、間違いなく」
即座に頷く私に、タタララはふっと笑って「そうか」と答えた。
――「入り婿の幸せは新婚の内だけ」という不吉な言葉も聞いたが……新婚じゃなくなっても良好な関係でいられるよう必死に努力しようと思う。
二人して、いつの間にか……というかこの三日で完成させていた土塊魚ことナマズの養殖池の様子を見て、家に帰る。
湖の石を拾ってきて入れたり、水草を入れたりして、人工で小さいながらも池の体は成している。
水源の川から引いた水が常に流れているので、上手くいきそうな気はするが。
もう放流もしているので、春くらいには結果がわかるだろうか。
ナマズの生態までは知らないし、産卵シーズンもわからないが、全滅していなければ増える可能性はあるだろう。
砂糖を搾った黒長芋や縞大根の切れ端など、できるだけ持って来よう。
「へえ。……ふうん」
「なんだ。じろじろ見るな」
「ナナカナ、アーレは可愛くなったか? どこが変わったとは言えないが……」
「なった。確実になってる」
「や、やめろ……」
家に帰り、早速タタララがアーレにちょっかいを出しているのを横目に、私は朝食の準備をする。
今日のところは、ナナカナも囲炉裏の傍でアーレと話している。三日ぶりの帰宅なので、多少はゆっくりしてほしいと私が言った。
それにしてもすごい。
番の儀式でアーレと交換したナイフ……私の場合は台所で使う包丁になるが、これの切れ味が恐ろしいほど抜群である。
半年程度のつけ焼き刃である私の包丁さばきでも、肉を極薄に切り落とせる。
相変わらず素材がわからないままだが、軽くて脂汚れが付きづらく、非常に使いやすい。
――料理をしながら、これからのことを考える。
結婚したら話したいと思っていたことが、二つある。
一つは、私の指先の力。
聞けば便利そうに聞こえるかもしれないが、実際は効果はそんなに高くない。だから、わざわざ話すほどのことでもないかもしれないが、隠し事はしたくない。
もう一つは、故郷への手紙だ。
私が霊海の森を越えると決めた時から、ずっと私の心配をしていた友人フレートゲルトと専属侍女に、私の安否だけは伝えたい。
それに……もし何か大変なことがあった場合に備えて、情報のやりとりができる環境だけは確保しておきたい。
医学書の写しでは対応できない病気だとか、ナマズの生態だとか……まあナマズはさすがにアレだが、白蛇族の命や存続に関わるようなことなら、情報や知識を得る必要がある。
一つ目はともかく、問題は二つ目だ。
手紙を送ると、向こうに私の居場所が知られるというデメリットが発生する。そういうフロンサード王家に伝わる魔法なのだ。こればっかりは条件を外せない。
だから、もしアーレがダメだと言うなら、諦めるつもりだ。
私は骨を埋める覚悟でここに来た。
だから、どちらを優先するかと問われれば、手紙じゃなくてアーレの命令に決まっている。
「――よし」
考えがまとまったし、料理もだいたいできた。
四人での朝食は久しぶりである。
「……行きたくない」
と、ストレートな駄々をこねるアーレを、なんだかんだと説得して狩りに送り出す。
「レイン」
駄々をこねるアーレを、ずっと、呆れとも半笑いとも軽蔑とも取れない、本当に感情が読み取れない微妙な顔をしていたナナカナが、ぐずぐずしながらタタララに手を引かれて出掛ける彼女の背中を見ながら言った。
「族長に何したらああなったの?」
「……私が聞きたいくらいだけど」
私も大概アーレのことが好きになっているし、この三日で我慢しなくていい気持ちが急激に成長したとは思う。
だが、アーレのあの壊れ具合は、私以上だ。
「反動じゃないかな。今まであまり色恋に興味がないって言っていたから」
内心我慢していたのか、ただ自覚がないだけだったのか。
そこまではわからないが、アーレも我慢しなくてよくなったから、ああして――あれ?
義娘が戸惑う新妻アーレが、タタララの手を振りほどいて走ってきた。
「どうし――」
どうした、とは、言えなかった。
走ってきた勢いのまま私の首にしがみつくと、顔を寄せ、軽く唇を触れさせる。
三日の間にせがんだりせがまれたりして何度もしてきたが、彼女の顔がよく見える陽の下で間近に見るアーレの瞳は、やはりとても美しいと思った。
「行ってくる」
どうやらこれでようやく気が済んだらしく、振りほどいたはずのタタララを今度は置いて行く勢いで、アーレは走っていった。
…………
「ねえレイン。本当に族長に何したの?」
「……さ、仕事仕事」
今度は私の方が追いかけたくなってきたし、きっと赤くなっているだろう顔をナナカナに見られたくない。
やれやれ……アーレのことばかり言っていられない。
私も早く新婚生活にも慣れないとな。




