03.ササラの花の舞い散る中で
「――族長、この辺で休もう。森を抜けるのは明日の朝がいい」
森の中を走っていた三人の、真ん中にいたナナカナが進言する。
周囲には背の高い木ばかりで、日中でも暗いのだが、さすがに夜ともなると真っ暗だ。
白蛇族は、暗闇の狩りも得意なので問題なく夜目が利き走れるが、
「そうしよう」
陽が昇っていた方が当然見通しも良いので、反対する理由はない。
待ち合わせ場所は、大きなキレの木。
迷ったり見間違えたりするような目立たない場所ではないが、念のために明るい時間に行けるよう調整する。
ないとは思うが、襲撃の待ち伏せなど、ないとは限らない。
――もっとも、たとえ百人規模の待ち伏せがいようと、向こうの民に負ける理由などないが。
「タタララ、火の準備だ。ナナカナ、落ち着ける場所を探して魔除けを。我は食料を探してくる」
アーレは二人に指示を出し、即座に動き出す。
霊海の森に入って九日目。
アーレたち三人は、特に危なげなく、果ての見えない深い森を踏破しようとしていた。
冬にこの森に入った時はかなり難儀したが、春であればちょっとした遠出感覚の距離である。
少し開けた場所を見つけ、火を起こし魔除けの陣を張り、アーレが見つけた黄縞梟と木の実を食べる。
「いよいよかぁ……」
やたら鼓動が早くなっている胸に手を当ててニヤニヤしているタタララは、明日、約束の場所で会うであろう男に思いを馳せている。揺れる焚火に照らされた横顔はなんとも緩んでいる。いやらしいことでも考えているに違いない。
アーレの婿の予定なので、当人には本当に関係ないのに。
それでもここまで盛り上がれるなんて、とナナカナは呆れを通り越してもう感心している。
まあ、今更そんなわかりきったことをわざわざ言う気はないし、楽しそうな妄想を邪魔する気もないが。
「族長、私が言ったこと、考えた?」
タタララは放っておくとして。
ここまでの道中、ナナカナはアーレに、思いつく限りの提案をしてきた。
「ああ、考えた。考えざるを得まい」
まず、文化のこと。
向こうの民とこちらでは、生活がまるで違う。
毎日を命懸けの狩りで過ごしている白蛇族と、平和にしか見えない向こう側では、本当に別世界のように違う。
「しばらく様子を見るのは、我も賛成だ。その方がいい」
アーレは婿を欲した。
言い換えると、人一人の人生を欲したのだ。
だがそれは、婿を無駄死にさせたいという意味ではない。
生活に馴染めなかったり、水が合わなかったりと、いろんな理由で白蛇族の一員にはなれない可能性がある。
その見極めを、アーレたちも、婿自身にも、してもらおうという話だ。
もし双方のどちらかが「やっていけない」と判断したら、男は向こう側に帰す。
冬場となると、白蛇族はどうしても動きが鈍くなる。加護神たる白蛇が寒さに弱いせいで、アーレらもかなりの影響を受けてしまう。
「今が春として、冬の前……およそ半年ほど様子を見て、無理であるなら秋くらいには帰すのがよいと思う」
もちろん婿の様子によっては早めに帰すこともあるだろうが、とアーレは付け足す。
「うん。それと――族長より強い男は駄目だから」
「そんな男が向こうにいるとは思えないが、それも賛成だ」
アーレは白蛇族で一番強い。
群を抜いて強い。
ゆえに族長になったし、ゆえに面倒事も起こった。
その辺のことも、いずれ婿には説明せねばなるまい。
「その二つさえ守れば、ほかの細かいのはどうとでもなると思う。あとは……」
ナナカナは、その先を言わなかった。
――あとは、アーレと婿の相性だ。
ナナカナの好みもタタララの好みもどうでもいい。
アーレが気に入るかどうか。
そして婿がアーレを気に入るかどうか。
アーレは美しい。優しいし、強い。
本来なら婿なんて選び放題で、何なら二人でも三人でも迎えられるはずだった。いや、いずれはそうなるかもしれない。
しかし今は、目下これから会う婿が、一番の候補である。
「……どうした?」
じっと見つめるナナカナに、アーレは首を傾げる。
「肉か? ……仕方ない、食え」
「いや肉はいい」
持っていた黄縞梟の肉を差し出されたが、それが欲しくて見ていたわけではない。
――ただ、個人的に、嫌な男に取られるのは絶対に嫌だ、と。
家族として再確認していただけだ。
しかし、アーレがナナカナの好まない男を望むなら、その気持ちも飲み込まねばならない。
一夜明け。
アーレたちは「男と会うかもしれないし!」とタタララが強く強く進言したので、川を見つけて水浴びをすることにした。
途中で休んだり洗ったりもしたが、九日間も森で走りっぱなしだったのだ。
汗臭い、土埃で汚い、返り血のシミができている、等々と、お世辞にも綺麗とは言い難い状態だ。
……まあ同じ集落の男の戦士に会うならともかく、これから婿になろうという戦士ではない男に会うのであれば、身綺麗にする気持ちはわかる。
アーレだって汚い男よりは綺麗な男の方がいい。ナナカナは綺麗好きなので言うまでもない。
タタララは、そういうことには人一倍気を遣う性格だ。見た目は凛々しいが、ともすれば一番女性らしさはあるかもしれない。いやらしいが。
「ふうっ」
せっかくなので、全身くまなくしっかり洗う。
鱗の隙間までしっかり綺麗にした。
返り血で所々どす黒く染まっていた長い髪も、朱色を一滴落としたような色合いを含んだ元の白い髪に戻った。
「どうだ?」
「……うん。綺麗になった」
ナナカナのチェックをパスし、着ている物こそ少々汚いが、多少身綺麗にはなった。
「これで男に会っても大丈夫だな。――興奮してきた」
タタララも準備ができたようなので、出発することにした。
「しかしこれで男がいなかったら興ざめだな。――興奮するのは早かったな」
どちらの意味でももっともだ。
そもそも無関係なタタララが興奮する理由があるのか。
「その時はその時だ。狩りでもしながら帰ろう」
タタララの過度の期待と、ナナカナの一抹の不安と。
相反する二つの視線を受けるアーレは、「男がいようがいまいが、なるようになる」と、軽く考えていた。
男は、いた。
森を抜けてすぐに見つけた。
「こ、興奮してきた……!」
タタララのことは無視して、アーレはまだ距離のある、キレの木を見上げている男を見詰める。
白い服に、黒いズボンというシンプルな格好。
背はさほど高くない。身体つきは細いが、程よく鍛えられているのがわかる。戦士としては貧弱だが、悪くはない体格だ。
アーレの瞳の色に似た輝く太陽のような金髪は短く、横顔を見る限りではやや幼さを感じる。
もしかしたらアーレと同い年くらいかもしれない。
――ふと、男がこちらを見た。
空を思わせる、透き通った青い瞳。海蒼石のような色。
白いキレの花が舞い落ちる中、佇むその男は、少しばかり現実味がないほど美しかった。
向こうの民が言うところの蛮族たる自分が触れたら、壊れてしまうのではないかと思うほどに。
「――行こう」
と、アーレは歩き出した。
きっと、あれが自分の婿だ。
理由はないが、確信があった。