29.雨の日は狩猟に行かないから
雨季がやってきた。
私の畑での初収穫が行われたその日から、雨が降り出した。
細々した手隙の間にちょっと触れれば充分、という程度のささやかな規模の家庭菜園のつもりだったが。
いざ畑を目にすると、なんだかんだと構いたくなってくるものだ。
翌日には小さな畑一面に芽吹いた命。
守れるのは自分しかいないと思うと、特に構いたくなる。
雑草を取ったり、耕した時は見逃された小さな石を取り除いたり、虫除けの魔除けを張り直したり。
日々すくすくと育つ作物たちを見守っていると、今度は天敵がやってきた。
そう、家畜どもだ。
なんのつもりか知らないが、異様なヒツジ、邪悪なヤギ、血走った目をした馬などがまた柵を壊して脱走して来たのだ。
間違いない。
奴らの狙いは作物だ。私の黒長芋や縞大根を狙ってきた害獣どもだ。あの邪悪なヤギの顔を見てピンと来た。
私は守った。
泣きながらナナカナに頼み込んで追っ払ってもらうこと数回、なんとか無害に抑えることに成功したのだ。
そんなこんなで、守るべきものができた私の日々は過ぎていく。
そして、明け方から降り出した雨の中、食べられそうな大きさまで育った作物たちを無事に収穫し――ちょうどやってきた雨季を迎えることができたのだ。
ほっとした。
雨の状態によっては、未熟なまま収穫する可能性もあったので、非常にほっとした。
畑とは愛しいものである。
雨季。
一年に一度訪れる、西からやってくる空一面の雨雲がもたらす、天の恵みである。
毎年やってくるが、雨量はまちまちである。
長くて二週間ほど、短くてほんの数日。
振り続ける年もあれば、休み休み降る年もある。ないと困るし、あり過ぎても困る。期間が長すぎても短すぎても困るものだが、こればっかりは人間にはどうしようもないことである。
向こう側の聖国フロンサードでも雨季はあったが、こちら側も雨季として認識されているそうだ。
まあよくよく考えたら、毎年フロンサードを訪れる雨は、霊海の森の向こうから雨雲が連れてくるのだ。
ならば当然、森の向こう側でも雨が降っていてもおかしくないか。
雨季がすぎれば夏である。
だが、すでにじりじりと気温が上がってきている白蛇族の集落……というかこの家では、ようやく囲炉裏に火を入れることがなくなった。
すでに夏の気配は強いのだ。
「――レイン」
穏やかに振り続ける雨音を聞きながら、それぞれの時間を過ごしていた時だった。
武器の手入れや、骨を削って槍先などを作っていたアーレ・エ・ラジャが、雨の音に支配された静寂を被った。
基本的に、雨の日は狩猟には出ないそうだ。
出発時刻と帰宅時刻を調整したりはよくしていたが、毎日のように出掛けていた彼女が日中でも家にいるのは、かなり珍しいことである。
私が集落にやってきてからのこの二ヵ月、あまり雨は降らなかった。降ったとしてもあまり長引かなかったから。
「どうした?」
山ほどある豆の殻を剥いていた私は、手元から視線を移す。雨が降って外に出られなくとも、やるべき仕事はあるものだ。
なお、ナナカナも同じ作業をしている。
「おまえの話を聞きたい」
ん?
「私の話?」
「うむ。我はおまえをよく知らないからな」
……ああ、まあ、そうか。
「アーレ嬢はあまりおしゃべりじゃないよな」
なんというか、端的に用件だけ言うことが多い。雑談のような話題は振られたことがあまりないんだよな。
「何も聞かないから、あまり私に興味なんてないのかと思っていた」
「そんなことはないぞ」
「本当に?」
「本当だ。……こうしてじっくり腰を据えて向き合うことがなかったではないか」
それは…………
意外とそうかもな。
アーレ・エ・ラジャは毎日狩りに行って、疲れて帰ってくる。
酒を呑んで夕食を食べたら、武器の手入れをして、そしてすぐに寝るから。私とナナカナはそれからこの家から出るのだ。
最近は本当に毎日タタララがやってきて、アーレ・エ・ラジャの相手をしているので、私が入り込む余地がなかったんだよな。
さすがにこの雨の中では、彼女は来ないようだが。
「私の話か。漠然と言われると何から話したものか……具体的に何が知りたい?」
「そう言われると我もなんと言っていいか……」
――たまに思うが、アーレ・エ・ラジャはたぶん口下手なんだろうな。おしゃべりが嫌い、という感じはあまりしていなかったけど。きっと得意ではないのだろう。
「おいナナカナ。ちょっとレインと話してみろ」
「え? ああ……何を?」
「おまえが気になることでいい」
雑な話の振りに少しだけ困った顔をしたナナカナだったが、目を見開いて「あっ」と声を漏らした。何か心当たりがあったらしい。
「レインって十七歳って言っていたよね?」
「ああ」
もしここに来ることがなければ、今もきっとフロンサードの貴族学校に在籍し、最後の一年間を過ごしていたことだろう。
「白蛇族の十七歳って言えば、普通は番がいて子供がいる年齢なんだよ」
ああ、そうそう。こっちは結婚適齢期が早いんだよな。
「レインはいなかったの? 嫁とか子供とか」
「いないよ。もしいたらここにはいなかっただろうね」
さすがに嫁やら子供やらを捨ててまで蛮族に嫁ごう、なんて思えなかっただろう。
「じゃあ、好きな人は?」
「ん?」
「好きな女とかいなかったの? 番になりたい女とか」
……ん?
…………ん?
…………
ナナカナ、なんて話題を振るんだ。そういう「昔の恋人はどうだった?」みたいな話は、これから嫁になるアーレ・エ・ラジャには言わなくていいことじゃないか。
こういう刺激を与えるような話題は極力避けてきたのに。
こんなにストレートに触れるのか。
子供って怖いな。怖いもの知らずだな。
こんな話、どう転んでも、アーレ・エ・ラジャが不愉快な思いをするだけなのに。
「おいレイン」
若干アーレ・エ・ラジャの声に、トゲというか、刃というか、痛いものを感じるのは――
「何をぐずぐずしている。早く答えろ」
きっと気のせいじゃない。
いや、気のせいだと思いたい。




