246.新婚旅行 七日目 然程の騒ぎ
「――少し呑み過ぎたようだ」
傍目には変化はないが、ウィーク卿は確かにちょっと酒量が嵩んでいた。
何しろボトルごと貰っていて、それを空けてしまったから。
酒でもないと語れなかったのか、それとも酒を呑みながら話すべきことだったのか。
どちらかかもしれないし、どちらもかもしれないし、どちらでもないかもしれない。
ただ、酒が似合う話ではあったと思う。
紅茶が似合うような甘い話ではなかったから。
「私が話せることは、このくらいですな。ネフィに伝えてください」
「わかりました」
優秀な前辺境伯と、落ちこぼれだったウィーク卿。
跡取りとして育てられ、期待を寄せられていたウィーク卿が持っていた、確執と劣等感。
言葉に尽くしがたい父親との実力差と才能。
その風穴を埋めるように出会った、ネフィートトという女性。
世間知らずだった蛮族の娘と知り合い、落ちこぼれの自分でも教えることがあることに充足感を得て……惹かれていったそうだ。
急速に仲が深まる二人。
そこに一石が投じられたのは、前辺境伯が倒れたことからだ。
まだ先だと思っていた家督を継ぐことが現実味を帯びてきた時――当時のウィーク卿は逃げることを選んだそうだ。
好きな女性と、家と家族を捨てて、蛮族の地に。
婆様はそれを許さなかった。
だからウィーク卿と別れることを選んだ。
それから、婆様と別れてからのこと。
色々と荒れていたウィーク卿を献身的に支えた、亡き奥方のこと。
「よく立て直せましたね」
話の端々から感じるのは、婆様への想い、執着、深い情だ。
今でも感じるということは、当時はもっと強い想いを抱えていたはずだ。
「恋は死にました。しかし愛は妻に捧げました。
今の私があるのは、妻への愛に他なりません。……ふふ、酒でも呑まんと言えない言葉ですな」
そうか。
「愚問を言っても?」
「今ネフィと会いたいか、ですか?
遠慮しておきましょう。心は無理でしたが、それ以外はすべて妻に捧げました。もしネフィに会ってしまったら、あの世で妻と会えなくなりそうです。彼女に嫌われるのは耐えられない」
……うん、想像通りの答えだ。未練を感じるところも。
「そろそろお開きにしましょうか。ウィーク卿、来てくださって感謝します」
話すべきことは話した。
今回は婆様の頼みだったから会ったが、恐らく、もう二度とウィーク卿と会うことはないだろう。
そもそも、私はもう平民だから。
本来ならおいそれと会える人ではないのだ。
「ええ――そうだ。いくつか気になることがあるでしょう? 少しだけ触れておきます」
ん?
「時折、森の向こうから客が来ることがあります。私はできる限り穏便に接触し、来た理由を満たし、向こうへ還すようにしています。
あなた方のことも、息子から報告を受けていますよ。こうして会うまでは結びつきませんでしたが」
…………
「リカリオ殿か」
そうか。
密偵である彼のような者が多数いて、森から来た者を見つけたら密かに助力しているのか。
だとすると、彼が私たちに……タタララに接触してきていたのは、やはり仕事の一環だったのか。
「探っているようだった」と言っていたナナカナの推測も、当たっていたと思っていいのだろう。
その割にはタタララだけに意識が集中していたような……まあいいか。
タタララに惹かれた理由は理解できる。
「向こうと拘わりがあるのですか?」
「少しだけ。なんとか向こうの者と繋ぎを取る方法も確保していますが、それでも距離は置いていますよ」
そうか……
もしかしたら、私が想像する以上に、森の向こうとこちらは関わり合いがあるのかもしれないな。
……まあ、婆様が留学していたくらいだから、やはりあるのだろう。
「それでは」
ウィーク卿は一礼し、カウンターに金貨を一枚置いてバーを出て行った。
そして、それを追うようにして店内の数名が去っていった。彼らはきっと卿の護衛だろう。
「ふう……」
酒の量はそうでもないが、随分長居した気がする。
さて、用事も済んだし帰るか。
嫁には断ってきたが、それでもあまり遅くなるのはよくないだろう。いらない心配を掛けてしまう。
「……? ……えっ?」
関わりがあることを悟られないよう、極力意識を向けることはなかった。
それこそウィーク卿にいらない警戒心を抱かせそうだったから。
予想より長い話を経て、ようやくそれが終わり、フレートゲルトとタタララの方に視線を向けると――そこには目を疑う光景があった。
…………
疑ってはみたものの、どう見ても疑いようのない光景でしかない。
……ちょっと行くのが怖いんだが、放置して帰るわけにもいかない。
覚悟を決めて、行ってみるか。
タタララに酒で勝負を挑んだフレートゲルトは、薄めの酒でも完敗していた。
単純に酒量が多い上に、ペースも速い。
多少薄めた酒でさえ、摂取量が増えれば酔うのは当然。
フレートゲルトの顔は真っ赤になっていて、視線は定まらずふらふらしていて、上半身も揺れ始めた。
完全に酔っぱらいの出来上がりだ。
対するタタララは平然としたものだった。
バーテンダーの女性が「薄めで」と情けないことをいったフレートゲルトに対し、「むしろ現実を見据えた要求だった」と思考を改めるくらい、平然としたものだった。
もはや平然としていられる方がおかしい、と思えるくらい呑んでいるのに。
「もうやめておけ」
そしてタタララは、真っ当なことを言う。平然とした顔で。
「私はこの倍はいける。おまえはもう無理だろう」
衝撃の言葉である。
ここまででさえ異常なのに、まだ半分だと言う。酒豪にも程がある。
「い、いやだぁ」
フラフラしながらフレートゲルトは否を選択する。
「おれぁまけねぇ。まけねぇ」
見るからにすでに負けている。薄めで。
「お客様、それ以上は……」
このバーでここまでべろんべろんに酔っぱらう者は、滅多にいない。上流階級の利用者が多いので、嗜む程度で済ませるのだ。
深酒するならあとは自室で、となる。
酒での失態、失敗を残さないためだ。
安酒場じゃないので、店側が客にストップを掛けるなど、本当に珍しいことだ。
「いやだぁ。結婚してくれぇ。うぅ」
今度は泣き出した。完全に酔っぱらいだ。
「おい……」
泣きながら求婚なんて情けないことをし始めた。
心に響くどころか冷めてしまいそうだ。
「お、おい。おいって」
フラフラしていたフレートゲルトが、タタララに寄り掛かってくる。
避けたらそのまま床に倒れそうな大男を、タタララは受け止め――
「っ!」
抱き締められた。
大きな身体に包まれるように、しかし情念を込めて強く。
戦士じゃなければ骨の二、三本は砕けたかもしれない――それほど強く。
「タタララぁ。けっこんしてくれぇ。おれおまえじゃないとだめなんだぁ」
泣きながら結婚をせがむ大男。
酒場においては然程の騒ぎじゃないこれが、このバーでは大きな騒ぎだった。客やピアノ奏者が気にするくらいには。
店内の注目が集まる。
いつの間にか近くにいたレインが、友人の暴挙を止めようとして。
しかしその手と言葉を噤んだ。
平然としていたタタララの顔が真っ赤に染まっていたから。
まるでここまでで呑んだ酒が、今ようやく回ってきたかのように。
――この情けない男に対する、よくわからない感情の芽生えに、確かに酔わされていた。