245.新婚旅行 七日目 思い出話
「どこから話したものかな……」
手紙を収めたウィーク卿は、ぽつりぽつりと話し出した。
私は婆様の手紙の内容を知らないので、彼の言葉を覚えて、詳細に持って帰って語らなければならない。
まあそこまで長い手紙ではなかったので、然程の返答があるとも思えないが。
「ネフィとの思い出は、もう三十年も前のことになります。私もすっかり歳を取った。息子が二人に娘が一人います。
あの頃は本当に彼女と添い遂げるつもりだった。私もあなたのように、あの森を超えて向こうへ……そう思っていたのです」
その辺のことは婆様から聞いている。
絶対都合よく言っているだろう、と思っていたが……これも本当だったのか。
「だがきっと、これでよかったのでしょうな。
あの頃の私はあまりにも無知で、ネフィという女性に夢中になりすぎていた。
――殿下、私はね、あの時一生分の恋をして、一生分の失恋をしたんですよ。婚約者だっていたのね。とても愚かで甘ったれた典型的な貴族の息子だった」
…………
「意外です。私は優秀な辺境伯であるあなたしか知らない」
若い頃からよくできた人物だと思っていたが、そうでもなかったようだ。
「ふふ……優秀であろうと決めたのは、ネフィに捨てられてからです。荒れる私を見捨てなかった婚約者のために生きようと決め、そして今に至ります。
亡き妻には恋はできませんでした。でもできる限りの愛は注いだつもりです」
……奥方は複雑だっただろうな。ウィーク卿の心にはずっと婆様が消えなかったんだから。
でも、心の問題は意思でどうこうできない部分もあるから。
難しいな。
「私を捨てて森に帰った彼女を恨みもしましたが、彼女は私より、辺境伯という役職の重要性を理解していた。だから連れて行かなかったのだと今はわかる。
むしろ当時の自分を振り返ると、捨てられて当然とも思います。それほど私は愚かでしたから」
そうか……
その頃の卿を知らないから、私は本当に何も言えないが。
「手紙にはあの時の謝罪が書いてありました。そして自分がいなくなってからどうしたのか知りたい、と」
あ、その辺は本人から聞いたな。
「ネフィがいなくなってすぐ、私は森を超えようとしました」
えっ。
「あの森に入ったんですか?」
「しかも単身で」
おいおい……なんて無謀なことを。思慮深い為政者であるウィーク辺境伯というイメージが大きく崩れる発言だ。
「ネフィの後を追って、森を超えようとした。そんなことを何度か繰り返し、結局大怪我をして家に連れ戻されて……」
えっ。
「怪我を?」
「はい。背中に大きな傷跡があります。医師からは死んでもおかしくなかったと言われました」
本当にイメージが崩れ去る逸話だな。
「動けなくなった私を献身的に面倒を見てくれたのが、妻でした。……それから色々あり、家を継ぐことと妻を大切にする決意をしました」
全てが懐かしい過去のこと。
そんな穏やかな表情で、ウィーク卿は酒を呑みながら多くを語った。
約三十年分の想いを言葉に。
私はひたすら、彼の話を聞き続けたのだった。
――少し離れた場所で、親友とタタララが大変なことになっていたことも知らずに。
「――タタララさん、酒で勝負しましょう。俺が勝ったら結婚してくれ。……これで最後にするから」
決意を固めた強い目を向けてくるフレートゲルトに、タタララは正直困惑していた。
そんなことを言われても、とタタララは眉を寄せる。
「おまえ酒弱いじゃないか」
新婚旅行初日の失態は、タタララはまだ忘れていない。
だが、決してフレートゲルトは酒に弱いわけではない。
比較してしまうとタタララたちが強すぎるだけだ。
「強かろうが弱かろうが、勝負所くらいはわかります。そして絶対に勝たねばならない時があることも知っています。
俺は、今だと思っています。どうか俺の最後の意地を見てほしい」
「意地……まあ別に構わんが。おまえが負けるだけだぞ?」
「構わない。負けないから」
「そうか。わかった」
――タタララも戦士だ、負けるとわかっていても戦いに挑まなければならない時があるのは知っている。
フレートゲルトが仕掛けてきた勝負は、そういう類のものだ。
たとえ勝敗はやる前から見えていても、覚悟を決めて挑んでくるなら受けて立つだけ――
「彼女と同じのを俺にも出してくれ。薄めで」
…………
「うすめで?」
堂々と付け加えられた聞き捨てならない言葉に、タタララはおろかバーテンダーの女性まで呆れている。
だが、フレートゲルトはそれも覚悟の上だった。
「言っただろう、絶対に負けないって」
顔が本気である。
「何度も言っているが、俺はあなたと結婚したいんだ。どうしても。何を捨ててでも。この際もうプライドだって捨ててやる」
「……」
「タタララさん。結婚してください」
こんなにも不毛かつ心に響かない番の申し込みなど、この世に存在するのだろうか。
少なくとも色恋沙汰の話が大好きなタタララは、聞いたことがない。
ついでに言えば、一切心臓にも届かない。
「……いいだろう。薄めでもいいから私に勝ってみろ」
たとえ酒を薄められようと、それくらいで負けるとも思えない。
フレートゲルトの気が済むなら、それでいい。
これで諦めがつくなら、気が済むまでやらせてやればいい。
――結局その判断は、タタララにとっては大きな分岐点となる。




