201.アーレの姿をした
「――神というのは、ただの力だったんだ」
は、はあ……
「――ただの力だった存在が、外から感じる喜びや怒り、恐怖といった強い感情に触れて形作られた。外枠ができてそれに納まり姿を成した者。それが神の正体。今もこの地に数多残る神々の正体だ」
あ、はあ……
「――眷属は……我は我が子と呼ぶが、それらがいることで神の意思が定まり、神の使いを通して干渉することができるのだ。子を失い外枠を失うと、意思はなくなり、力はただの力と成り果てる。それが我と我が子の関係である」
…………
「あの、ご高説は大変貴重な内容だとは思うのですが、……あなたはどちら様ですか?」
急に歩いて現れたアーレは、アーレではない。
姿形、声も瞳も、数えきれないほど刻まれた傷跡さえそっくりそのまま同じだが、彼女はアーレではない。
直感でしかないが、この人は違う。
アーレではない。
そもそもなぜアーレがここにいるのか、という話でもある。
巨大な白蛇に巻かれた空を飛ぶ蜥蜴は、抵抗空しく動けなくなった。
ねじ伏せられている空を飛ぶ蜥蜴は、頭を地面に抑えつけられている。
そして悲しげな青い目で私を見ていた。
私を見られても。
そんな何かを訴えかける目で見られても、私には何もできないんだが。
……で、どうしようか。
巨獣同士の戦いに決着が着いた今、今度はどうすればいいのか。
そう考えたその時だった。
――背後から普通に歩いて、アーレがやってきたのだ。
そしていきなりよくわからない……いやわかるけど、突然神の話を始めたところで、違和感を覚える。
このアーレは、アーレではない、と。
現に、指摘されたこのアーレは別人のように笑った。
どこか色っぽい、大人の女性を思わせる蠱惑的な笑みだ。
アーレはこんな顔しない。
……あと数年すればするかもしれないが。彼女はまだ童顔だから。
「――クックックッ……いいなおまえ。こんな状況でも取り乱さないか」
元王族だからな。
幼少から、窮地になればなるほど冷静になれと。
周囲の状況を知り生き残るための道を模索せよ、と教えられている。
要するに、状況がわからない時は下手に動くな、という教えだ。
「――我は、おまえたちがカカラーナと呼ぶ白蛇族の始祖だよ。いわゆる白蛇の神だな」
えっ!? カカラーナ様!?
「カッ、カカラーナ様ですか!? あなたが!?」
「――畏まらんでいいぞ。嫁じゃないけど嫁にしか見えんだろ?」
と、アーレのような軽い感じで笑う。
「――さっき言った通りだ。おまえはこの状況に不安を抱き、頼りになる嫁の存在を求めている。おまえの意思が我をこの姿にしているのだ。おまえが求めている姿だよ」
……お、おぉ……
「――ここでは嘘など吐けんからな。おまえが心底アーレを、我が子を大切にし、頼りにしている証左だな。我としては嬉しく思う」
そ、そう……
「――あと普通に話していいぞ。それこそ嫁と話すようにな」
「え、……無礼では?」
「――おまえの強い戸惑いが伝わってくるのだ。可哀想になるくらいにな。大丈夫だ。言葉遣いくらいで怒るものか」
おお、寛大な……
……そうだな、いきなり神の登場にはさすがに戸惑ってしまったが、彼女の言う通り少し落ち着こう。
「では、普通に話しても?」
「――構わん。どうせここでのことをおまえは記憶できない。多少の粗相は忘れてやるから気にするな」
「あ、前回来た時のことですか」
そうだ。
ここに来てすぐ、この場所に来たことがあるとわかった。なるほど、記憶できないってああいうののことか。極端な物忘れって感じか。
「――前に呼んだ時は話もできなかった。あの時は、我よりあのトカゲの方がおまえの魂に近かったせいだ。無理に干渉したらおまえの魂が壊れるからな。様子を見ることにした」
実に忌々しい、とカカラーナ様はねじ伏せられてなおこちらを見ている空を飛ぶ蜥蜴を睨む。
「――ようやっと言葉が通るようになった。あの無礼なトカゲめ。いつも邪魔しおって」
空を飛ぶ蜥蜴の加護が邪魔をして言葉が通らない、というアレだな。
「なんかすみません。迷惑かけちゃって」
「――そうだ、おまえも悪いぞ。あんなのを簡単に受け入れるな。しかも我より先に。おまえは我の方が好きだろう?」
その姿でそういうことを言われると、その、困るんだが……
「まあ、あのトカゲよりは好きですが……って、我より先に、というのは?」
「――おまえには、番の儀式と共に我の加護を与えようと思っていたのだ」
番の儀式の時に。
でも、空を飛ぶ蜥蜴の加護が邪魔をして与えられなかった、って話だよな……?
え? あれ!?
「では、私は今、白蛇の加護はないのですか?」
それは衝撃の事実なんだが。
だとすると、私はカテナ様の加護なしで鉄蜘蛛族の代替わりを手伝いに行ったのか?
おいおい、加護がないと病気になるんじゃなかったのか。
「――今のおまえには仮の弱い加護しかない。いわゆる眷属の予約程度の仮の加護だな。あのトカゲの加護が邪魔で入らんのだ」
仮の。
そういうのもできるのか。
まあなんにせよ無防備にあの看病生活をしたわけじゃないなら、それでいい。
「――おまえに白鱗がないのも、それが理由だぞ」
あっ!
「私に白鱗がないのは、ちゃんとした加護がないからですか!?」
「――そうだ、まだちゃんと我の加護を与えられていないからだ。あのケイラという女にはすでに与えてあるぞ。白鱗もある」
そうだったのか!
いつだったか、自分では確認できないところにあるのかと服を脱いでまでカラカロに確認してもらったが、やはりなかったのか!
加護をくれる当の神様が「与えていない」って言うくらいだ、そりゃ探してもあるわけがない。
「――そうだ、ついでに聞いてやる。おまえはどこに鱗が欲しい? 言えば好きなところに生やしてやろう。顔とか格好いいぞ」
「いや顔はまずいです!」
さすがに目立ちすぎるぞ顔は! アーレの首も大概目立つし! これから新婚旅行だし!
「――なんだ、嫌なのか? 顔に鱗がある男はモテるんだぞ」
なんだそれ。
蛇族系女子独自のモテポイントなのだろうか。顔に鱗の男……まあ強そうではあるような気はするが。
戦士なら、まあ、いいんだろうけども。
「私には嫁と子供と鼬がいるので、もう異性に人気が出る必要はありません」
「――そうか。そうかそうか。アーレを大切にしてくれよ。月並みな言葉だが、我が子は皆幸せになってほしいからな」
本当に寛大な神様だな。
……いや、先の言葉を借りるなら、「部族が望んだ神の形」の結果が、このカカラーナ様になるのかな。
優しく、寛大で、情が深く信者を愛する。
女神と聞いて率直に思いつく特徴そのままな気がする。
「――さて。ゆっくり話をしたいが、まずは奴をどうにかせんとな」
すっと、アーレの姿をしたカカラーナ様の瞳が細く尖る。
横から見ているだけで、ぞっとした。
アーレが怒り狂う強い瞳とは違う、静かに凪いでいる瞳。
それなのに、アーレの怒りが可愛く思えるくらい、この瞳は怖い。
まるで、人命を切り捨てる判断をした父上のような……いや、あの時でさえ父からは情を感じた。
カカラーナ様のこれは、それとはまた違う。
「――我が眷属を横からかすめ取った愚か者に輪廻転生など不要。永劫の白き闇に捕らえてくれようぞ」
あ、あー……やっぱりそういうことを考えている感じの瞳でしたか。
優しく、寛大で、情が深く信者を愛する女神。
ただし一度敵だと認識した相手には、一切容赦しない残酷な面もある。
――私が漠然と思い描いていた白蛇族の女神は、確かにこんな感じな気がする。