200.夢か現か
夢か現か。
いや、夢でもあり現でもあるのだ。
「どちらか」ではなく「どちらも」でもあるのだと思ったのは、以前この景色を見たことがあったからだ。
恐らくその時も、夢と現が重なるような……そんな時に私は訪れたのだと思う。
果ての見えない夜。
浮かぶ満月。
一面に広がる、淡く輝く白い花。
花畑の真ん中に倒れていた私は、いつだったか自分がここに来たことがあることを思い出しながら身を起こす。
後ろを見ても、前を見ても、一面の花畑。
あの時より植物の知識は増えたが、やはり花の姿形に見覚えはない。鉄蜘蛛族の住む森で見たものとも違う。
それこそ、夢と現の重なるような場所にしか存在しない花なのだろう。
「……臭いがない」
あの鼻が曲がるような青臭い酒の味と臭いが残っていないので、もしかしたら私は今、肉体を離れた魂のみの存在になっているのかもしれない。
あれだけの臭いが一切残っていないなんて、考えられないから。
霊酒か……
あまりのまずさで、肉体だけではなく魂にまで影響を与える説を私は推したい。薬効とかじゃなくて。
魂か。
そういうもの、と納得はしていたが、いざ自分がそういうものになると……それでもやっぱり実感はないな。
今の私は、本当に魂だけの存在なのか?
確かに嗅覚はないが、触覚や視覚はちゃんと機能しているようだが……
「……ん?」
微風にさわさわと揺れる花の音が心地良かったが、それに異物のような音が混じった気がして、ふと首を巡らせる。
満月が出ていても暗い暗い、星さえも飲み込む闇そのもの、という感じの夜空を見上げて――
「ん?」
何も見えない底なしの闇の中に、白い点を見つけた。
それは徐々に大きくなり、こちらへ迫ってくるようで……
「あ」
一体何かと思った瞬間には、驚く間もなく、私のすぐ傍に落下してきた。
地面を揺らすほどの白い巨体。
それは紛れもなく、一年前に見た白いドラゴン。
空を飛ぶ蜥蜴である。
あの時は距離があったので、戦っている人たちとの俯瞰で大きさを計ったが……
動く姿を間近で見ると数値より大きく感じるのは、生物の格とか威圧感とか、そういう数値化できないものが加わっているからかもしれない。
…………
だが、そんな白いドラゴンに、それより大きな白蛇が絡みついていることの方が重要というか……そっちに驚くべきなのか。
ちょっと気にするべき点が多すぎて、逆にどう反応していいのか迷ってしまっている。
――白いドラゴン……空を飛ぶ蜥蜴が、遠くの空から落下してきたのだ。
巨大な白い蛇に巻かれて。
拘束された空を飛ぶ蜥蜴は、自由を奪われた形で、目の前に落下……というか不時着して、慣性そのまま花畑と地面を抉るようにして滑っていった。
落下地点こそ私の近くだったが、滑った分だけ少し距離が空いた。
そして、散らされた淡く輝く白い花弁が舞い散る中、巨大なドラゴンと巨大な白蛇が、巨体よろしく地面を揺らし花畑を荒らしながら戦っている。
幻想的なこの空間で、それにそぐわぬ野蛮さと野生を感じさせる光景は、ひどくミスマッチだった。
……驚くタイミングを完全に逃した気がするが、目の前で繰り広げられる巨獣同士のぶつかりあいは、本来ならすぐに避難するべきとんでもないものである。
頭の片隅で「逃げるべき」と考えている。
だが、なぜだかそれでも足が動かず、呆然と立ち尽くして私はそれを見ていた。
…………
意味はわからないが、理由はわかる気がする光景だった。
私の中のカテナ様の加護と、空を飛ぶ蜥蜴の加護がぶつかっているのだと思う。
あるいは、カテナ様の魂がわざわざ来てくれているか、だ。
空を飛ぶ蜥蜴の魂を鎮めるために。
野蛮な言い方をするなら、怒り狂うドラゴンを力ずくでねじ伏せるために。
しかしこれ、どうしたものか。
私には見ていることしかできないのだろうか。
「私のために争わないで!」とか言って割って入って止めるべきなのか?
いや近づくのは危険だ。
今の私は魂だけの存在だとは思うが、それも私の想像でしかないし、仮に魂のみの私が怪我をしたらどうなるかもわからない。
あんな巨獣の戦いに巻き込まれてうっかり踏み潰されたとして、無事でいられる気がしない。
そもそもカテナ様は私のために来てくれたと思うが、空を飛ぶ蜥蜴の方はたぶん違うだろうしな。
もう事切れて、どこにも行き場を失った時、たまたま私の中に入れたから入っただけ、くらいのものだろう。
本能的に生き延びようとしただけだと思う。
ならば、私を守護しようだの加護を与えようだのとは思っていないはずだ。
私にできることはなさそうだ。
だが、目を逸らすのも違うと思う。
少なくともカテナ様は、私のために戦っているはずだから。
私にできることはない。
しかし、ただ、見守っていようと思う。
程なく決着は付いた。
カテナ様に巻かれて、それを解こうと暴れて疲れた空を飛ぶ蜥蜴が、動かなくなったからだ。