01.白蛇姫、指先王子を迎えに行く
「――族長、約束の日が近いよ」
狩りを終えて家に帰ってきたアーレは、汚れた足を拭く養女ナナカナにそう告げられ、何のことかと首を傾げ…………「あ」と漏らした。
「我が婿の話か」
約束の日。
そういえば、と、アーレは一年前の冬のことを思い出していた。
「そうか。あれから一年後の春か。すっかり忘れていた」
この一年間は、早かった。
忙しく、煩わしいことも多く、またあまり余裕がない一年間だった。
そして現状は維持、だ。
悪くなってはいないと思うが、決して良くなっているわけでもない。
――まったく、実に煩わしい。
足を綺麗にしたアーレは家に上がり込み、囲炉裏を挟んだ上座にある、灰色狼の毛皮の敷物にどかっと座る。
家主にして族長の場所である。
たまたまやってきていたのだろう神蛇カテナが、とぐろを巻いて寝ているその鱗を一撫でし、ナナカナがすでに用意していた目の前にある瓢箪に手を伸ばす。
浄化の酒を一口あおると、まだ狩りで昂っている身体に火が灯ったかのようにカッと熱くなる。
「ナナカナ、来ると思うか? 向こうの民は嘘つきで人を騙す者が多いと聞くが」
アーレの足や汚れを拭い、次は夕食の準備をするナナカナは、料理場に立ったまま応える。
「来るのは間違いないと思う」
「そうか?」
「あの女、身分が高そうだった。ああいうのは口約束でも誇りに懸けて守る。――ただ」
獲物の肉と森の草などを煮た物を持ってくるナナカナは、苦笑していた。
「注文通りかどうかはわからないけど」
なるほど、とアーレは頷く。
「我は『礼がしたくば最高の男をよこせ』と望んだな。そしてあの女は了承した」
そうだ。
鮮明に思い出してきた。
あれは一年前の冬のこと――
「アーレ!」
あの時の雨の冷たさを思い出そうとしていると、戦士タタララが大声と共に飛び込んできた。
「黙って待っていたがもう辛抱できない! 聞かせろ! 一年前の約束はどうした!? 男を迎えに行かなくていいのか!? そろそろ出ないと間に合わないぞ!」
「――今ちょうどその話をしていた」
一見すると男と見まがう、女にしては体格もよく顔立ちも凛々しいタタララは、顔や気性に寄らずロマンチストであることをアーレは知っている。というか白蛇族の女たちの中では有名である。
「キレの花が咲き誇る頃から散るまでの間に会う、だろう?」
――あの日より一年後の春、夫となる男と出会う。
この約束をアーレ本人以上に気にしながら、タタララはあの日から今日に至るまで、時に焦れたり時にときめいたり時にいじけたりして、もやもやした日々を過ごして来た。
本当に関係ないのに。
「すっかり忘れていたのだ。この一年、忙しかったからな」
アーレがそう言うと、タタララは家に上がり込み、先客の神蛇カテナに「カテナ様、失礼する」と挨拶しながらアーレの右隣に座る。
「行かないわけではないよな?」
「ああ。約束を違える理由はない」
向こうの民はどうだか知らないが、こちらが破るつもりはない。
すっぽかされる可能性もあるが、それはそれでいいだろう。
忘れかけていた約束であり、男の調達には難儀しているが、絶対に調達できないというわけでもない。
方法を選ばなければどうとでもなる。
当然、アーレが注文した「最高の男」が待っている可能性もあるはずだ。
行かないという選択はない。
「タタララ。留守を任せて――」
「嫌だわたしも行く」
任せていいか、と言い切るより先に、しっかり断られた。
「おまえの、族長の夫となる男だぞ。ここに連れてくる前にどんな男か確かめる必要がある」
「我の目が信じられないか?」
「アーレ、おまえは戦士は見極められるだろう。だが向こうの民を見極められるか?」
「ナナカナを連れて行く。だから問題ない」
「わからないのかアーレ!」
ドン、と白鱗に覆われた拳を床に打ち付け、タタララは吠えた。
「一刻も早く! おまえの夫を! 私がこの目で見たいという話をしている! もう一年前から待ちっぱなしだ! これ以上待たせたらうるさく騒ぐ心の臓が飛び出すぞ!」
「なぜ我の夫のことを我より気にしている……」
タタララはこういうところがある。初心な小娘のようだ。……年齢的にはアーレも充分小娘ではあるが。
「言っておくが! おまえがいらないならわたしが貰う気まんまんだからな!」
「そうか」
今となっては貴重な男だ。与えるつもりは毛頭ない。
だが、ここまではっきり言われるとわかりやすくて非常に好い。
「せいぜい盗られないように気を付けるとしよう」
そのまま「約束の男」の、いまだ会ったことのない男の容姿だ性格だを肴に酒を飲み交わして、一夜を過ごし。
「――では、行ってくる」
一年前のあの時のように、だがあの時よりはるかに軽装で。
ナナカナとタタララを伴い、アーレら三人は女たちに見送られて、霊海の森へと旅立った。
それから十日の後。
向こうの森の終わり近くで、テントを張って待っていた男と出会うことになる。